音楽

サザンの『葡萄』を聞いて

 遅ればせながら、先日、サザンのアルバム『葡萄』を購入した。二枚組の『KILLER STREET』が今ひとつだったので、買い控えていたが、桑田さんのお子さんも大きくなり、食道がんを患った後ということで、CDでの購入を決意。ダウンロード購入というのは、何だか味気なくて、私は余り好きでは無い。まあそれはいい。しばらく音楽を聞いていなかったのと、がん克服後の人生観の変化などを期待して、ここ三日間ほど聞き込んだが、今一つ来るものが無かったというのが正直な感想だ。このアルバムでは新規のファンの開拓は難しいだろうとも思った。確かに桑田さん自身が、もう恋愛を歌う歳ではなくなったというのもあるかも知れない。メロディラインも、心に響くものが無かった。昔の曲では、胸に来る歌詞やメロディがこびりついて離れず、慌ててリピートボタンを押すこともあった。そういう路線を期待して買ったわけではないので、暢気に楽しみながら聞いている。それに、まだ三日。これから好きな曲が出てくるかも知れない。とりあえず1曲目の『アロエ』の歌詞、散々『勝負しろ!』と原坊とハモった後で、いきなり、ソロで、~杏仁豆腐とジャージャー麺が食いてぇ~食べたい、という訳の解らない気ままな歌詞展開は桑田さんのやんちゃさが現れていて、笑いを誘い、私まで食べたくなった。後は、7曲目の『天井座敷~』で寺山修司を意識したのか、~毛皮のマリーの良さがわからない、というのには、私も同感である。また、この曲、最後に桑田さんの『ちょっとだけよ』が入っている。これまでも幾度か観測されたが、ドリフターズの加藤茶さんのギャグを意識したものだ・・・今のところ、評価はまずまずだが、他のファンの方はどう評価したのか年代別に知りたい。AMAZONのコメント欄でも観ようと思ったが、のんびり聞いている方がいいのかもしれない。

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目覚めの音楽

 久々に、夢で音楽が鳴って目覚めた。クラプトンの『Cange the World』だ。かつて、ある友人に昔の洋楽事情を聞いたら、「本来、クラプトンは60年代が終わった頃に死んでいなければならなかった」という過激な発言も出た。何はともあれ、『Tears in Heven』のバックグラウンドや、ウッドストック、ジミヘンの存在を知った上での話だった。そういう話はもういい、というのが私の現在のスタンスである。クラプトンは3月30日産まれだが、他にも、ノラ・ジョーンズやセリーヌ・ディオンの誕生日である事をこないだ知った。三人で一体いくら稼げば気が済むんだ、とも思った。寝覚めに音楽が鳴ったのはこれで三度目。一度目はモーツアルト。二度目はホテカルである。どれも悩んでいるときに鳴った。目覚めの音楽としては、ノラ・ジョーンズがいちばんいいのではないか?カーテンの隙間から朝の日差しがこぼれる中、気だるそうに、下着のままコーヒーを持ってくるイメージ。それが一番いいのに、なんでクラプトンなんだろう?と思う。間違っても、マリリン・マンソンであってはいけない。しかし、昔、外国に、ユーザーフレンドリーという馬がいたのも事実である。間違いなく関連性はないと思うが。そういえば私は、現在、ノラ・ジョーンズのCDを見失っている。買い直そうかとも思うが、まずは部屋の整理整頓が先である。同じ物を二度買うほど馬鹿馬鹿しいことはない。CDよりもYou Tubeで探した方が早いかも知れない。ちなみに私は気持ちがモヤモヤしたときに、ジョンレノンの『GOD』を聞く。うさ晴らしに過ぎないが・・・

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歌を忘れた自分

 音楽を聞かなくなった自分がいる。何年も洋楽・邦楽、ジャンルを問わずに聞いていたのに、全くといっていいほど聞かなくなった。一説には、飽きた自分がいる。車の中でも、CDを流さずに、J-WAVEを聞いている。その中で出てくる洋楽のワンシーンを連ねたパートでも、ほとんど全ての曲を知っている自分がいる。いいものしか聞かないという中で、悪いものもたくさん掴んだ。邦楽も同様。何を持って自分の音楽とするかは勝手だが、音楽のセンスというものは、自己紹介の様に重要なパートを占めてくる。こういうものは、他の人との出会い頭や、結婚式のパーティーなどでも重要な要素を占めるのだ。以前、勤めていた塾で、ある女の子の数学を担当した。頭のいい子だった。私が説明する所を吸収力の強い頭で理解してくれた。一方で、その子の英語を担当した後輩講師は、リスニングのためにと、自分の趣味のヘビメタを聞かせていた。私は、「せめて、ビートルズぐらいにしとけ」と注意したが、彼は頑として受け入れなかった。ここまで来ると宗教である。彼は、何故、私が注意したのかも解ってはいなかった。一つの塾として、どういう指導をしているのかに一番関心を示すのは親御さんなのだ。そこで英語の初心者にヘビメタを聞かすというのは愚行である。そういう事が原因で辞めさせる親も実際にいるのだ。英語の初心者なら、発音がきれいで、面白く、将来に役立つものを提供してあげなければならないのだ・・・音楽論から多少それたが、私がCDプレイヤーを買ったのは高一の時である。遅いスタートだ。色々と聞いた挙げ句に辿り着いたのが、洋楽である。当時の日本はバブルで、いらない物が多すぎた。洋楽の指南をしてくれる友人もいた。よく、洋楽に興味を持って英語の教師になったなどという輩がいるが、それは受験向きでは無い。それでも洋楽を通すというのなら、ホテカルのbeastが何を意味しているのか質問したい・・・私はホテカルの訳に十年悩まされ続けたのだ。最近では、『let it go』の訳を考え続けている。翻訳家の和訳は時として滅茶苦茶な例が多いのだ。湯川れい子などがいい例だ。間違った訳をして金をもらっている立場でありながら、数年前には紅白の審査員をしていた。何もかもがおかしいと思うのは私だけであろうか・・・

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敏感

 心配しなくてもいい。

もう、君の歌は売れないから。

言いたいことは山程あるが

これ以上、何かに頼るのは辞めた方がいい。

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助けがほしくて

 目覚めると頭痛がした。妙に癒やされたくなった。現在、頭痛は治まっているが、パソコンに向かいたくなかった。のんびりと競馬ゲームでもしたかった。しかし、私は毎日たたかう事に決めた・・・勿論自分自身とである。しかし、どうしようもなく寂しい時には、外に出る。昨日は癒やされたくて、CDを一気に五枚買った。店員が卑屈なぐらいに、「どうもありがとうございます」と言っていた・・・最近、のど自慢を毎週観る様になって、音楽の趣味が若い頃と変わりだしている自分に気付く。一番最初に聞きたかったのは、岩崎宏美の『マドンナたちのララバイ』である。古い曲なので、シングルでは売ってはいない。見付けた。次に選んだのは、坂本冬美の『今君に恋している』だったが、これもアルバムでしか買えなかった。その代わり安い。親父が初めて自力で覚えた歌であるサブちゃんの『風雪流れ旅』、それならばサブちゃんと坂本冬美を食った島津亜矢のベストアルバムも欠かせない。私は、島津亜矢は将来的に紅白の大トリを歌うだけの実力があると予想している。ただ、苦労が足りないだけだ。何はともあれ、女性の歌う癒やしの曲がほしかった。最後に『ロンリーチャップリン』も欲しくなり、二枚組のCDを買った。しめて、一万三千円。演歌のCDというか、皆がネットから落とす様になって、CDそのものが安くなった。半ばヤケクソ買いをしたが、未だに全部聞き終わってはいない。今晩もこれからツイッターを観て、自分と闘う。毎日blogを書いていたら、ネタ切れの時は、たとえ壱万円出してでも、ネタが欲しくなる時があるのだ・・・ただの馬鹿かもしれないが。

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今、若者はみんなアメリカ

 昨朝、寝ぼけ眼で広島原爆の追悼式をTVで観ていた。八月六日とは、私にとって特別な日である。さだまさしさんのアルバムをいつ買ったのかは覚えていないのだが、一枚だけ持っている。その中に、長崎原爆の悲惨さを歌った曲があった。かなり、リベラルな視点の歌詞であったが、原爆を憎む気合に満ちた曲であった。それを、あの、爽やかな声で歌われると、逆に恐い。STINGも原爆のことをオッペンハイマーの人殺しのおもちゃと批判している。さださんのアルバムで気になった曲がもう一曲あった。それがタイトルに書いた、~今、若者はみんなアメリカ、それも西海岸に、という曲でもある。アメリカに実際に一ヶ月以上いた私は、あの国のどこに魅力を感じるのかが解らない。確かに、何もかもが、日本とスケールが異なる。しかし、私が頭を痛めていることは、『モモ』という童話を書いた、ミヒャエル・エンデの言葉通り、欧米主体の、政治体制としての民主主義も、経済の仕組みとしての資本主義も、今のままでは成り立たなくなるのではないか?という危惧だ。この二つを世界中に強いているのが他ならぬアメリカ。けれども、アメリカの独り勝ちの時代は既に去った。地球上の皆で、新しいスタイルを模索するべき時なのかも知れない。そのためには、日本人が日本人としてのアイデンティティを、まずは外国から日本という国を観ることによって、若いうちに確立しなければならない。グローバリズム観も大切だが、私はアメリカを横断した時に、日本語が崩れている日本人を何人も観てきた。これでは駄目なのだ。アメリカが自由奔放な時代は、既に終わっている。変な憧れを抱けるほどの懐の深い国では無いのだ。

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69年以降、ここには、そういうお酒はないのです

 日本が無条件降伏した国だと認めていない人が多い。その上で、米国の文化を考えてみたい。はっきり言って不思議な国だ。未だに、自国の文化を否定する映画監督などが存在する。でも、社会的に容認されている。そこを言ったら、EAGLESは外せない。つまり、アメリカ史を語る上で、欠かせないのだ。私は、ホテカルのBeastが友人の車で流れていた時、「これは何の象徴なんだ?」と質問した。彼は、『いい所を付いてくるな』という顔で、「それは、一言では言えない・・・昔のアメリカはよかったね」というニュアンスだけ教えてくれた。Feastの中でBeastを刺しまくる。それも上流階級の戯言の中で・・・現実を生きている主人公は戸惑う。逃げだそうにも、そこからは逃げようが無いという設定だ。私はホテカルの本当の意味を解するのに十年かかった。1973年に産まれた私には、60年代のアメリカなど想像出来なかったのだ。それは、アメリカのバブルであり、音楽ではBEATLS、政治ではJFK 、文明ではアポロの月面着陸、Woodstookでのジミヘンのライヴを物語っていたのは、後から気付いたことだ。EAGLSのホテカルのアルバムの最後の曲である『The Last Resort』も見逃せない。アメリカの侵略史を物語っている。最後の『結局、そこも駄目にしまうのにね・・・』という友人の訳には恐れ入った。日本人では分からない感覚だ。しかし、THE EAGLSといえば、結論的な『LEARN TO BE STILL』や、紹介された、『DESPERADO』などが忘れられない。・・・私は、一度紹介された曲は自分が納得いくまで訳す。そこで、私が得意としていたはずの英文和訳の実力が歴然と現れるのだ。彼も私の境遇を知ってか、私の部屋に来た時、『DESPERADO』がいいんだよな。と言ってくれた。私は和訳に取り組んだが、詩ほど訳しにくいものは無いのである。彼の訳である、『ダイヤのクイーンは引いちゃあ行けないよ、お前を打ち負かそうとするからな。勝負するならハートのクイーンだろ』という訳には、限界を感じた。彼は付き合う女を半年間観察していたそうだが、私は三年間?いや、十年間だった。だから、行きそびれたのだ。

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ソエちゃんとクリスマスイヴ~山下達郎編

 研究室時代の同輩で、ソエちゃんという息の会う仲間がいた。彼は文系就職希望だったのだが、すべて一次面接で落ちてしまい、卒論だけは通して、一科目留年をする事になった。卒論も、〆切りの二日前にデータだけ持ってきて、二日二晩先輩とつきっきりで仕上げ、ハッタリの発表でも、そつなくこなし単位をもらった。卒論発表会の時の筆談は今でも覚えている。私の発表が終わった後だったので、手伝ってもらった先輩にソエちゃんは筆談していた。可笑しかったので、私も筆談で、紙を送り、その全容をつかんだ。「今の発表どうでしたか?」、「まずまずだな」、「どうもありがとうございました」みたいな感じ。笑ってしまった。ソエちゃんはこれで、晴れて、選択科目のみの単位を一つ残して希望留年となった。他にも、渋谷にナンパしにいったら、当時のチーマーになぐられたと言うし、笑いが止まらないキャラなのだ。私が修士一年の時の各大学からなるセミナーに参加する時、ソエちゃんを誘った。富山なので、私が車を出し、助手席にソエちゃんを乗せた。前年に発売された山下達郎のベストアルバムを掛けていると、ソエちゃんが不思議そうに言う。「この曲さあ、JRとかだけでなく、毎年聞くけど、矛盾していると思うんだよな。99%来ない女の子のために、待ち続けるっていうのは、メルヘンだけど、そんな男、勘違い甚だしいと思うんだよな。自惚れてるって言うか、現実的じゃあないといつも感じるんだ」とのコメント。手厳しい一手であった・・・Merry X'mas!! for everybody.

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拘泥しすぎると、人格が歪む

 Beatlesの曲で、『ABBEY ROAD』という、実質、最後のアルバムとなった最初の曲は、ギターのジョージ・ハリスンが作ったという、『SOMETHING』だ。そこで歌われているのは、純情な男の、ある女性への、まさしく、愛の賛歌だ。その一方で、曲名は忘れたが、メロディーと歌詞を覚えている曲がある。英語表記が面倒なので、意訳してしまうが、『お前らは、私に一度も金をくれなかった。その代わりに、訳の解らない、というか馬鹿馬鹿しい紙を送ってきた』という意味の歌詞から始まる曲がある。ポールマッカートニーが歌っている。僕はこの曲を、よく知っていた。最高の曲に最低の歌詞を込めた曲だからだ。聞く度に悲しくなる曲だった。『人間なんてカネに屈するものか』と若い頃は信じていた。だから、騙され続けた(博打の世界では別だが)。博打をやらなくなっても、いくら騙されようが、自分をガードしてくれる様々な人に助けられた。だから、自分を見失うこともなかったし、死にたい気持ちになっても、『まだまだや、未来は明るい』と信じ込んできた。齢四十になってもそうである。常に死を覚悟していても、写真を撮ってもらうときには、心から笑う様にしている。笑えないときでも、大爆笑したネタを思い出し、笑う。時には、人も笑わす・・・今でも付き合いのある友達達のほとんどは変わっていない。でも、少しずつ距離が出る。これは仕方の無いことだ。問題は、性格が悪い方向へと変わってしまった友人だ。『変わってしまったんだね』と思い嘆く。それが、どうでもいい奴ならどうでもいいが、愛して止まない存在だったら、どうしよう?観ていられないし、放っておけない。貴女の心からの笑顔のために、きっと尽くすでしょう・・・I wanna see your smilin' face, as soon as possible.

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桑田佳祐を哲学しているDJ

・お袋の買い物の足に、車を運転したが、最近の私は面倒なのでCDを掛けずに、FMを流している。なぜだか解らないのだが、ラジオを点けると、VICKSが効かなくなるのだが、もう慣れた。丁度、J-WAVEを効いていると、サザンの特集をやっていた。最初こそ適当に聞いていたのだが、段々、DJが桑田佳祐についての哲学論みたいな話をし出したので、可笑しくなってしまった。私個人としては、これは桑田さんが酩酊状態で作った曲では無いのか?とか、半分趣味に走っているな・・・などと感じていたのだが、そのDJは言葉巧みにサザンのエロ音楽についてテツガクしていた。桑田さんのエロい歌詞が許されるのも、サザンに、紅一点、原由子さんの笑顔があるからである・・・などと、おもしろ可笑しく語ってくれた。お袋は桑田さんの歌詞を聴き取れないので、適当に、プロデビューのきっかけとなった、『女呼んでブギ』の冒頭を歌って、「これでデビューしたんだよ」と語っていたら、案の定、信じられない顔をしていた。そして、同じく、「そんな歌詞ばっかり書いていたの?」と聞くので、「1/3はそうかなあ・・・でも素晴らしい歌詞も書いてる。天才だな」と応えた。私は、桑田氏は才能が涸れたかなと、残念に思っていた時期もあったが、食道がんを乗り越えられて、大分、変化が出てきた気がする。まだまだ、ガンガンにエロイ曲や、誰もがしびれるような音楽を提供して頂きたい・・・P.S.:桑田さんのソロの『フロムイエスタデイ』の中の、英語の歌詞の歌で、『I got no chance.』と叫ぶところ、私には、「加藤茶~~」と叫んでいるようにしか聞こえないのだが、気のせいだろうか?

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