芸能・アイドル

勝新の武勇伝

・亡き勝新が、銀座で豪遊していた頃、「俺のおごりだ」と言って、巨大な盃に高級ブランデーをなみなみと注ぎ、クラブに来ていたみんなに廻していたらしい。だから借金を十数億円もつくったのだ。また、ある時には俳優仲間の後輩を引き連れて、寿司屋に行き、勝新がマグロを一口食ったところ、店員を呼び出して、凄みのある表情で、「オイ、この刺身、味がおかしくねえか」と、いちゃもんを付けた所、店員は顔面蒼白となり、大慌てで、「申し訳ございません。すぐに取り替えて参ります」と言って、速攻で厨房に入っていったところ、勝新が若い役者連中に、「観たか、あれが本当に人間がビビった時の姿だ」と言って、豪快に笑い飛ばしたらしい・・・そんな勝新だが、女房の中村玉緒は、「生まれ変わっても、私には勝新しかおりません」と語っており、勝新亡き後も、黙って借金を返し続けている。ところが、勝新の坊ちゃんが、京都の映画村で撮影していた時のリハで、「真剣を使う」と言い張り、役者さんを一人、殺してしまった。私が推測するに、坊ちゃんは、時代劇の殺陣で、ベテランの役者さんも想像できないような、常軌を逸した剣の振り方をしていたに違いないと、読んでいる。

・勝新と言えばハワイでの『パンツの中にコカイン事件』だが、あの時に記憶した際の記者会見は笑わせてくれた。勝新曰く、「誰かが、俺のパンツの中にコカイン入れやがったんだよな」と、逆ギレしていた姿が忘れられない。あの事件はかっこ悪すぎて、逆に愛嬌があった。

・がんになった勝新が、記者会見でタバコを吸っていたところ、記者から、「禁煙されたと聞いたのですが」と聞かれたところ、勝新はタバコを吹かしながら「ああ止めたよ」と言っていたが、最後まで、粋に生きようと決め込んでいる気がしてならなかった。

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お嬢

・美空ひばりは、小さい時から人気がありすぎたので、日本中あちこちでコンサートを開いていたが、人気に陰りが出だして、コンサート会場で空席が目立ち始めると、歌うことを拒否したそうだ。お嬢である・・・一方で私の高校の時の地理の先生は、大学の卒論に、『美空ひばりと戦後日本の復興について』というテーマで書いたそうだ。その先生は、自称、オタクと語っていたのだが、母校の先輩だったので、ナメられなかった。時には、生徒から、「あのアイドル、どこに行っちゃたんですか?」などという質問が飛び、見事に応えていた・・・美空ひばりが存命中に、ビートたけしとたけし軍団の数名が、自宅に招待されたそうだ。すると、部屋の中でワシか何かは覚えていないが、大きな鳥が飛んでいたそうである。たけしは恐縮していたらしいのだが、軍団員は月給五万円のため、料理等をガッついたらしい・・・美空ひばりの最後の方のシングルとなった、『川の流れのように』には、ファンが多いが、私から言わせれば、たまたま遺作の様になっただけの話である。私は、あの曲が発表される前に、手塚治虫の『ブッダ』という長編の中で、釈迦が川の側の菩提樹の下で悟りを開いた時に、「あの川の様に」と言った場面を覚えている。作詞の秋元康は、ニューヨークの河辺でヒラめいたと言っているが、私は、間違いなくパクッたと観ている。

・横浜、東京を旅した際に、安宿に泊まっていたのだが、日曜日に競馬のダービーがあると聞いたので、JRAの場外馬券売り場であるウインズに向かった。馬券は取れなかったが、街を観察していると、すぐ側に、美空ひばりの小さな古い銅像があった。

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「ジミーちゃんの方が才能あるぞ」

 今日は競馬の『安田記念』があるが、十数年前に友人と二人で行った時の事…

 私:「(友人の競馬新聞を見て)こいつの予想は当たらないぞ」

友人:「なんでだ?」

 私:「そいつの顔写真を見てみろ。鶴太郎そっくりじゃねーか」

友人:「そうだな。どうせだったら、俺が昔の鶴太郎にしてやる(ボールペンで写真の髪型を変える。すると『ひょうきん族』の頃の鶴太郎の頭になった)。そもそも、鶴太郎、芸風二回ぐらい変えてるだろ。それが許せねーんだよ」

 私:「ボクシング語り出した頃から、おかしくなったよな。才能もねーのに役者のまねごとやってみたり」

友人:「あいつの原点は、『ひょうきん族』での「ピヨ、ピヨ、ピヨピヨピヨ、ヒヨコの親子がピヨピヨピヨ」だったはずだ」

 私:「もしくは、『笑っていいとも』でコーナー持っていた時の、オスマン・サンコンさんの紹介の時に、嬉しそうに、「オスマンマンマンサンコンさんです」と紹介していた姿だな」

友人:「最近じゃあ、絵を描いたりしているけれど、一度あいつに言ってやりたいんだよな。「ジミーちゃんの方が才能あるぞ」って」

 私:「確かにそれは事実だけど、タブーらしいぞ」

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友人の結婚式のに二次会にて

 もう十年前のことになると思うが、ある友人の結婚式のパーティーで、私が音楽の担当になった。きっかけは、二日前に掛かってきたある友人からからの電話である。「俺が司会をやるから、お前は音楽担当」という要領だった。最初と最後に『Roling Stpnes』の曲を入れてくれとの要望だった。それなら、全部洋楽で攻めようと決めた。しかし、ビンゴの時のチャラい曲を知らなかった私は、友人のアドバイスに従った。TSUTAYAで5000円分借りたのは、これが初めてだった。友人の、「音楽が盛り上がりの九割を占めるんだ」との言葉に奮った。

 客入れの時は、enyaの『Only Time』を掛けていた(後に鎮魂歌だと知ったのだが)。雰囲気は良かった。それから、もう一人音楽担当の奴がいたので、マシンは彼に任せ、僕は場の空気を読む事に徹した。盛り上がる場面で、音が小さかったらワインを飲みながら手を振り上げたものだ。しかし感心するするのは、主催した司会の友人である。Excelを使って、いいスケジュール表を作って直前の打ち合わせにやって来た。少々の変更があったが、軸となった。相手が医者集団という事もあって、司会の友人も心配そうにしていた。

 私は、この時この曲が必要なんだよ、という付箋紙をアルバムごとに張って、使うやつ順に置いていたが、照明の奴もうまかった。途中フりータイムになるとマシーン担当の奴に、、何掛けてもいいぞと言って任せた。私は、何も食べず、白ワインばっかりを飲んでいた。

 追い出しの曲はStonesの『夜をぶっ飛ばせ』を流したが、関係者通し熱い握手。カメラ担当だった一年の時のクラ友は、「ナイス、ミュージック」と評価してくれた。私はその後、司会の友人の家に泊めさせてもらったが、評価は90点との事。最初にしては上出来である。

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やっさん武勇伝

 やっさんと言えば、無免許で、しかも飲酒運転で、セスナを操縦したりというようなエピソードが残っているが、同乗した方も気の毒である。これに対し、あの、カラヤンはプライベート・ジェットを操縦していたというのだから格が違う。しかし、やっさんをセスナでからかうのもどうかと思う。スカイブルーのスーツが懐かしいのと同時に、あの、「メガネ、メガネ」というギャグも見逃せない。

 たけしが講談社に殴り込んだとき、軍団を連れて行ったが、やっさんは「男なら一人で行け」と言っていたという。実際に一人で行って袋だたきに遭うやっさんんもマヌケだが、この事件は未だに謎が多い。僕は事件を追うよりも、やっさんの武勇伝の方に興味がある。

 何年か前の文藝春秋だったと思うが、かつてのマネージャーが、やっさんについて語っていた。なんでも、大阪のTV局の番組で、大物ゲスト(確か美空ひばりだったと思う)が集う中、マネージャーがいくらせかしても、やっさんは遅刻のペースでしか動かなかったらしい。もし遅刻したら、新人なら即刻クビを切られる中で、悠々とタクシーで出発したそうだ。案の定、渋滞にはまり、大幅に遅れそうな中で、後ろから救急車が来たらしい。みんな道を譲る中で、やっさんは、「あの後ろについて行け」と運転手に指示を出し、運転手さんも嫌々ついて行ったら交通事故にあったそうだ。スタジオ入りが大幅に遅れたにもかかわらず、他の出演者たちは、事故にあったやっさんを心配したらしい。そこで調子よく振る舞うやっさん。この件に関しては、当時のマネージャーも呆れ果てた様子が文面から伝わってきた。タクシーの運転手さんの人生を潰しておきながら、平気な顔でいる。そのことに呆れ返っている様子だった。一種の人格破綻者である。

 やっぱりやっさんには漫才しかないのかなあ。

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姦通罪

 今日、blogのネタに困りながらぼんやりTVを観ていると、韓国のトップ女優が姦通罪(夫を持つ女性が不倫したりした場合などに科せられる)を食らったとのこと。執行猶予付きだったが、これは女性についてのみのケースなのか。昔の日本などでもあったという。もし女性のみならば、田嶋良子先生の出番である。あんな我が儘な人もいないが。国会議員になってもすぐに放り出してしまったのは、大橋巨泉氏に通じる。共通する点は、自分の思い通りにならなければ気が済まないことだ。討論番組にも最近は出てこない。視聴率が下がるからだろう。大体、フェミニズム論というのは究極のところで行き詰まってしまう、という見解を外国の女性研究者が出したと聞いた。男女とはコインの裏表、どちらが偉いとかいう問題にしてはいけない。

 姦通罪について考えてみると、石田純一氏を思い出す。かつて、「不倫は文化だ」とまで言い放った男である。彼は自分にどれだけ自信があるのかは知らないが、もし、姦通罪が適用されれば、無期懲役であろう。そして、そこで初めて男に目覚めるなどというくだらない連想ゲームをしていたのだが、離婚とは罪である。

 私が子供の頃、夫婦ゲンカがあると、弟と一緒に泣いて止めに入った。親が離婚するというのは子供には耐え難いことなのだ。親の温もりを知らずに育った少年・少女は必ず心に傷を持っている。死に別れも辛いが、生き別れの方が辛いのではないか。

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ルー大柴とToeic

 私の友人にはToeicで満点をたたき出した奴もいれば、論外の点数を出した奴もいる。私個人としては、親友が一度で満点を出してしまった試験など受ける気がしない。しかし、ルー大柴のルー語を聞く度に、これなら俺にも何とかなるんじゃねーのかと思いだした。

 『藪からスティック』のルー大柴氏が仮にToeicを受けたとしたらどうなるだろう。どんな点数を出すかのかも楽しみである。企画として、是非やってもらいたい。番組にしても視聴率は取れると思う。

 ここまで、もし、ルー氏がToeicを受けたら?という話ばかりしてきたが、よく考えてみると英語とルー語は異なる。しかし、英語をベースにしている以上、ルー氏はToeicを受けてもいいと思う。

 私の読みでは、ルー大柴氏は日常会話には支障ないと思う。それで普通なのだ。外人と喧嘩できたら大した物である。

 無理矢裡まとめてみると、帰国子女の友人も奥さんも英語に堪能である。子供はまだいない。もし、子供さんを授かったら、その子供はルー語を喋るんじゃないかと言っていたら、こないだしかられた。

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ドロンズ大島

 父がガンで最初に入院したとき、向かいのベッドに大島さんというおじいさんがいた。父の部屋は活気に溢れていたので、大島さんも歳だったが、入院して元気になったようであった。たまたま私が父の見舞いに行ったときに、大島さんの見舞いに、イカツいサングラスをかけた若者がいた。病院にサングラス・・・しっくり来なかった。

 弟夫妻が父の見舞いに行ったとき、そのサングラスの若者がドロンズ大島であるとすぐに見抜いた。最初、私はドロンズを思い出すまでに時間が掛かった。そしてやっと、あの電波少年でアメリカ大陸(南米の南端からアラスカまで)を縦断したお笑いコンビだと知った。知るやいなや、TSUTAYAでビデオを借りてきて見てみた。相当危険な目にも遭っていたし、旅そのものを楽しんでいる彼がいた。よく見てみると、スペイン語を話している。母が聞いた話によると、番組ではやらせはなく、何度か死にそうになったそうだ。言葉も生きるために必死で覚えたという話だ。何度も聞かれているだろうからと、僕はその話題は挙げなかった。両親によると、すごく親孝行な若者だったらしい。

 そんなドロンズ大島がハリハリ鍋で一旗揚げたと聞いた。新聞にも載っていた。従業員には売れない若手芸人を使ってあげているとか。経営は順調みたいだが、お笑いをあきらめる決断も辛かったと思う。母の話だから当てにならないが、結婚するとも聞いた。

 大島さんは現在どうしておられるかは知らない。父と母は、大島さんが男前なので、役者か何かではないかなどと言っていたが、違ったらしい。現在もお元気でいるといいのだが、ドロンズ大島の頑張りはすごいと思う。何よりも逞しい。私も見習わないと。

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高田純次の年

 私は今年は、高田純次氏の年になると予感している。十年以上前に売れていたが、しばらく氏は姿を消した。その後、去年の暮れ頃から、ポツリ、ポツリと出演されている。その間に遊んだ分だけ、芸が良くなった。罪もないし、人を爆笑させる。以前、温泉の紫色の薬湯のところで、俯せで腰を使っておられた。私は、「なんなんだ」という中で爆笑した。

 馬鹿みたいな事をやってはいるが、馬鹿ではないのである。頭の回転も相当速い。・・・似合う番組とそうでないものがあるのが欠点だが、バラエティタレントは、自分の土俵で闘えばいいのだ。そうでない奴など認めたくもない。

 忘れられないのが、郷さんと外人の女をナンパする」という企画の中で、高田さんが、決めゼリフに「My face is sixty.BUT,My body is twenty.!!!」と言ったのである。『それで女を口説くのか?』という中、私はやはり爆笑した。

 そんな高田さんに子供さんがいると聞いて、一瞬、驚いたものの、何となく察した。・・・あえて馬鹿を演じることの辛さ。そうしてみんなが笑うことの辛さ。自分に対する罪悪感。家族を犠牲にするかも知れないという恐れ・・・チャップリンを思い出す。チャップリンは喜劇の帝王であった。しかし、産まれに恵まれたわけでもなく、笑い転げる人たちを尻目に、楽屋では密かに涙を流していたという。この涙を我々は無視してはいけない。コメディアンの、伝えたくても隠さざるを得ない一滴なのだ。

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ルー大柴氏について

 十数年前に関根勤と小堺一機のラジオの深夜放送で、ルー大柴と(振り付け師の)ラッキィ池田がちょこちょこ出ていた。当時の私は、どんな人なんだろう?と思っていたのだが、それからしばらくして、TVにも出演するようになった。インパクトが強かったが、私自身はラジオの影響もあり、すんなり入り込めた。ただ、芸風に個性が強すぎる面があったので、TVなどで他のタレントのキャラクターを殺してしまうのがまずい点だとは感じていた。たしか、「徹子の部屋」などの番組にも、当時も出ていた記憶がある。海外を放浪していた話などを聞いて、感心した記憶があるのだ。・・・だが、まもなくお茶の間から消え、みんな忘れていった。

 だから、今年の最ブレークは、とても嬉しかった。ブログも拝見しているが、TVでもよく見かけた。きっかけとなった「ルー語」なるものも、傑作だったし、「ルー語」をあら探ししても、ほとんど違和感が無く、しかも日本語とマッチしているのにも感心した。・・・しかし「ルー語」の難しさは、ルー大柴氏本人でないと面白くないというところにもある。

 また、NHKの「みんなのうた」でも「MOTTAINAI」で長く活躍し、「レッドホワイト(紅白)歌合戦を目指す」というのもルーさんらしかった。・・・だから、今年の紅白の出演者発表は楽しみだったし、落選したときも、「今年一番、紅白の宣伝をした人なのになあ」と残念だった。

 久しぶりにルーさんを見たところ、昔に比べてソフトに変わった感はあるが、その個性は独特である。これからも活躍して欲しいものだ。

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