映画・テレビ

映画『アスファルト』の雑感

 ある友人の奥さんの勧めで、フランスシネマの『アスファルト』を観に行った。もう、半月以上前のことである。フランスシネマはBRなどに残りにくいので、映画館まで行って観た。ネタ晴らしはしたくないので、雑感を述べると、三組三様の話であるが、それぞれにメッセージがあった気がする。メインのところは誰にでも解る。問題は残りの二組である。NASAの宇宙飛行士とアラブの女性、これは解る。信じられない組み合わせの中で、それぞれに共通項を見付けるという設定だった気がするが、NASAの宇宙飛行士が言いたかったことの一番は、深い影の裏には強烈な光があるということだろうと推察した。この言葉は五木寛之の本の中のフレーズとして使われていたので、強烈というほどのインパクトがなかったのが残念である。一番解らなかったのが、車いすのおっさんと看護師との、その後の行く末だった。看護師は、車いすのおっさんの言葉を信じたのか信じなかったのかが不明なのである。他にも、様々なメタファー(隠喩)がスパイスとして効いている作品だったが、伏線の張り方といい、見事な映画であった。友人の奥さんは、是非、私に観てほしいということだったので観に行ったが、それだけの価値がある。ネット上の評価では、必ずしも星の数が多かったわけではないが、これはフランスシネマである。ハリウッドの映画の様に解りやすいものではない。気付く人だけに解ってもらえばいいという代物である。だから、私はヨーロッパ映画が好きなのだ。それだけ、考えれば考えるほどに、味わいが出てくるというところが嬉しい。

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ゴルフのレッスン番組について

 これまで、色々とゴルフのレッスン番組を観てきたが、面白いものやテクニカルなものが中心だった。一番いいのは両方が合わさったものなのだが、なかなかそういう番組はない。ラウンドしてみて、後から観てみて、納得することも多いのだが、同じプロでも、いろんなタイプがいるから、グリップの握り方一つ取っても異なる場合には困る。基本が定まらないと、当然、応用へは行けない。こないだ観たものは、ドライバーの飛距離を伸ばすためのものだったが、確かにマスターすればドライバーの飛距離は伸びるだろうが、コントロールがつかなくなりそうなものだった。実際に、番組で、そのプロが本気で打ったら、Par4でグリーン越えするぐらい距離が出ているのであるが、コントロールがついておらず、これは実践的ではないと感じた。しかし、素人が飛距離を伸ばしたければ、真似してみるのもいいかも知れない。また、他のレッスン番組では、元プロ野球選手が出ていたが、ゲストとしては運動神経が良すぎて、プロも本気になる事が多く、レベルが高くなりすぎるケースも多い。基本が終わったら応用を飛ばして一気に発展に移ってしまうパターンだ。これは面白いのだが、実践的ではない。最後に、昨日観たレッスン番組は、今迄で最低だった。ゲストが局アナなのか、一番打っていて、しかも、無茶苦茶なスイング。女子アナだけにプロもきつくは言わない。観ていて馬鹿々々しくなり、途中で消した・・・結局、レッスン番組では、基本的なことは、自分で気が付いて、吸収してゆくものなのだなと悟った。後は練習あるのみである。温かくなってきたし、暑くなる前に少し通ってみようか。

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J:COMの横暴

 ケーブルTV会社として、JCN(Japan Cable Network)と契約した。KDDIが関わっていたというだけで、電話、ネット、TVの回線を任せた。信用していたのだ。しかし、いい関係というものは長続きしない。こちらはJCNと契約したつもりでも、いつの間にかJ:COMに業態を変え、まずはパソコンのセキュリティでトラブルが出た。メールアドレスのドメインがJ:COM名義になっていないとセキュリティのサービスが受けられないというのだ。つまり、強制的に子ネズミになれと言われているのと同等である。文句を言ったが、焦げ付いて焼けた。次に不審に思ったのは、パソコンでGoogleで検索したキーワードが、無理矢理に押しつけられたJ:COMのサーチエンジンにも現れるという問題。まるで、プライベートを監視されている様な気分だ。こういうハラスメントを突きつけられては、いい関係など作れるどころか、J:COMという会社は何か勘違いしているとしか考えられない。何があったのかは知らないが、現時点で、KDDIが手を引いているのだが、その知らせも突然で、一方的に無茶苦茶な条件を突きつけられたようなものである。いつの間にか、相当に信用できない会社にライフラインを握られている気分だ。イライラが納まらない中、二、三日前から、TVを点けると、J:COMのページから番組が始まるようになった。何とか怒りを静めている状態だが、要するに、出しゃばりすぎているのである。解釈の仕様によっては、プライバシーの侵害だ。今時、そんなことをしても、信用を失うだけで、何のメリットも無い。旧態依然とした、あわれな企業なのだ。契約を打ち切ろうかどうかで悩んでいる所である。

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TV嫌い

 よくある話だが、新聞とTVの違いについて、新聞は自分で記事を選べるという自主性を持っているのに対し、TVはただ情報を順番通りに選べないということから極めて受動的であるということ。これは本とTVにも当てはまる。ここで、ネットの存在は?という事を考えてみると、ニュースなどについては、興味深い記事の情報を様々なメディア(媒介)から調べられるというメリットがある(あるいはジャンルを問わないのかも知れない)。こんな中で、私の場合、限られた時間の中で、ある一つの事象について調べようとするならば、ネットが一番幅広い気がしてならない。どの道、自分に主体性があるものを選択する。だから、私はTV嫌いなのだ。特に最近は、安っぽいCMと軽い番組が、特に民放で目立つ。バブル時代を満喫した私の知り合いは、広告代理店に行きたかったらしい。業界人の仲間入りでもしたかったのか、ミーハーだ。願いは叶わなかったが。今でもそういう人種がいるのかは知らないが、CMがある以上、存在するのだろう。当然、TVに踊らされている人種が今でもいるのだから。私は何も、完全否定しているわけではない。しかし、節度が無ければ、流されるだけだ。朝一番からエンターテイメントのニュースなどいらない。気合いが抜ける。私自身の考えとすれば、あえてTVを消すことによって、少しは人間らしい生活をしてみるのも必要な時間だ。だいたい、TVってそんなに大切なものなのか?私には理解できない。

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ゴジラの謎

 ゴジラといっても、ヤンキースの松井のことでは無い。怪獣の方のゴジラのことだ。ゴジラ自体が放射能体であるならば、何故、何十年も存在出来るんだ?とっくの昔に、くたばっている筈だ。

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TV番組との距離感

 子供の頃は別として、基本的に私はTVが嫌いであった。くだらない番組が多すぎるし、何かをする時に、TV程、集中の邪魔をする物は無い。なのに、自室も含めて、現在、計四台のTVが家にはある。車は地デジ対応にしていないので、現在は観られないが、それまで含めたら五台だ。このうち、車と台所のTVは、まず点けない。私は部屋が暗くなければ、深く眠れないタイプなのだが、故親父はTVを点けたまま寝る人だった。母曰くに、何にも考えなくて済むからだろうとのこと。弟もTVを点けて寝る・・・私は、為になるTV番組や本当に興味深い番組は観る。すると、ほとんどがNHKかNHKBSとなってしまう。これはあくまでも、私の好みだから家族に押しつける事は無い。しかし、興味ある番組を全部見ていたら、ダラダラとTVを観てしまう。そんな時間の使い方が嫌なので、ほとんど観ていなかった。ビデオデッキで、いちいち予約録画するのも面倒だから(録画用のDVDデッキは無かった)、滅多に録画予約しなくなった。 それを激変させたのが、居間のTVだけ、ケーブルTVにし、ブルーレイのデッキ(ハードディスク内蔵型で、ずっと保存したければディスクに落とせばよい仕組み)を導入した事である。録画方法も簡単になった。母と私が観るTV番組はほぼ共通なので、TV雑誌を観て、母が番組予約を一週間分、暇な時間に入れる(勿論、母だけが観る番組もある)。これをやると、(故盛田さん風に言うなら)タイムシフト出来る。前の土曜日のサッカーの日本代表の試合は、blogが長引き、三十分遅れで観た。しかし、何よりのメリットは、気分転換に利用出来るという事だ。独りでの夜間作業の合間に何か観て、スイッチを入れ替えて次の作業に入ることができる。デメリットは、PC→TV→PCとやると眼が疲れすぎるという事である。目薬が欠かせない。あくまでも、気分転換の選択肢の一つに過ぎないが、目下、実験中である。とりあえず、今は、ストレッチがしたい。

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冒険家・植村直己さん没後三十年

 一昨日辺りに、NHKBSで、冒険家・植村直己さんの没後三十年北極の犬ぞり横断12000Kmのドキュメンタリーをやっていた。平成生まれの方には、ピンとこないだろうが、偉大な冒険家である。世界五大陸の最高峰登頂を人類で初めて成し遂げ、日本人で初めてエベレストの登頂を成し遂げた、偉大な冒険家である。植村さんが、明大の山岳部だということは知っていたが、大学から山登りを始め、身長も僅か158cmということは知らなかった。番組の内容は、主に、エスキモーの村で十ヶ月、北極圏での生活と犬ぞりの操り方を学び、二年に渡って犬ぞりで北極海の12000Kmのアラスカまでの冒険をしたことだった。-40℃の中での犬たちのふれあいと、孤独を描いたものだった。植村氏の本は、その後の冒険家達のバイブルとなった。私も、別の本で、冒険をするときの気持ちを綴った本を読んだことがある。そこには、植村さんの言葉として、『途中、何度も、何度も、引き返したい、帰りたい、という思いになることがあった。しかし、私の背中を押してくれたのは、妻の顔、後輩達の顔、スポンサーになって下さった方々の顔が浮かんできたからであった』と書いてあった。私が小学生の、30年前のことアメリカ大陸で最高峰のアラスカのマッキンリーの冬山に登頂し、下山中に行方を絶った。塾の先生が、クレパスに落ちたのだろうと言うほど、植村さんが行方不明になった時には、日本中のTVで騒がれた。懸命の捜索も空しく、植村さんは冬のマッキンリーに散った。当時の日本人は、植村さんを誇りに思っていたので、みんなが悲しんだ・・・あれから30年、早いものだ。植村氏は一人での冒険をしていたが、集団行動が嫌いな自分を、『社会人不能者』と言っていたようだが、人々の胸に、強烈な星として、今も生き続けている。また、40年前に植村氏が北極横断の偉業を成し遂げてから、北極の気温は、温暖化で、10℃上がり、北極海が全て凍り付かなくなったそうだ。今の人間達がやっていることは、北極海の資源争いである。その為のプラントを作り、スノーモービルで移動し、北極海航路ができれば・・・などと言っている。事態の深刻さを思い知るときが来るはずだ。

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中島誠之助が2億円をつけた日

 あれは、まだ、島田紳助が司会を務めていた頃であったが、『開運!なんでも鑑定団』で、あの、中島誠之助が2億円をつけたことがある。これには、私も驚いた。出てきた依頼者は、私の知らないプロの囲碁棋士で、若い頃、アメリカで手に入れた物らしい。世話になった知り合いに、給料三ヶ月分のカメラと交換したそうだ。面白いのは、その価値の解らないガラクタみたいな物と本当に交換してしまう無欲さである。普通の人ならば、カメラを取るであろう。しかし、その人はお礼も兼ねて、そのガラクタと交換した・・・そして、いざ、鑑定してもらうと、2億円。中島誠之助が、「私がこの番組に出だしてから、最高の物に出くわした」などと褒めちぎる中でも、その囲碁棋士は普通だった。無欲だからである。そして、「これをどこかの博物館にでも寄贈したいと思います」と落ち着いた口調で語った、と同時に紳助がその人の前に入り、(そんなこと言ったらあかんみたいなニュアンスで)必死にフォローを入れていた。この人は、本当に無欲なんだな、と感心。あんな人が出てくることもあるんだなあ、と考えさせられた。なぜなら、あの番組は、出てくるお宝を観るのは楽しいが、出演してくる依頼者の顔を観ていると、誰も彼も欲ボケしているのが気に入らない。そういうのを観ると嫌気が差す。骨董なんて、たとえ5千円でもいい。自分が気に入ったものを、ただ眺めているだけで充分ではないか。

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NHKのど自慢の傾向と対策

 私は毎週、NHKののど自慢を観る様になってから二年が経つ。そこで気付いたことを述べたいと思う。まず、秋山キセイの鐘を疑うべきだ。①お年寄りと女性には鐘一個がない。②外人には評価が甘い。③二人組ではハモれていないと鐘三つは鳴らない。④鐘一個が鳴るのは、リズムも音程も外した若い男である(独りの場合が多い)。⑤特別賞は老人にあげる。⑥腹から声を出していない奴には鐘三つはならない。⑦鐘が三つ鳴る奴は、声がいい傾向にある。⑧合唱部だからといって、騙されてはいけない。音痴もいるのだ。⑨合格するのは、おおむね四分の一である。⑩ゲストの方がへたくそな場合が多々ある。⑪暴れて踊る奴は大概鐘二個か一個。⑫NHKのアナウンサー小田切千は、合格した挑戦者に抱きつかれたりなど役得をしている一方で、時計をものすごく気にしている。⑬太っている人は声量が多いので、鐘三つ鳴らすことが多い。⑭日本全国行き交えば、歌が上手い国とそうでない国がある。⑮迷ったら鐘二つということだ。安全性が高い・・・私が発見したセオリーはこのぐらいのものであるが、勝負相手のお袋に全部、話しちまった・・・お袋は左耳で聞く様にしているらしい。耳は私の方がいいのに、いつも、お袋にやられる。

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刑事コロンボと警部補・古畑任三郎

 刑事コロンボの存在は知っていても、観たことが無かった私は、撮りだめしてあったものを、新年に入って4話観てみた。『なんだよ、古畑任三郎のパクリじゃねえか』と一瞬思ったが、元祖が『刑事コロンボ』で、後から脚本の三谷幸喜が設定をパクって、『警部補・古畑任三郎』を書いていた事に気が付いた。間抜けである。コロンボと古畑任三郎の仕草も似ているし、トリックが同じものもあった。『刑事コロンボ』が水の出ていない庭の噴水の下に遺体を隠して埋めているのに対し、『警部補・古畑任三郎』では、記念碑の下だった・・・まあいい。普通サスペンスというと、最後に犯人が捕まるのが常識だったものを、逆転の発想で、最初に犯人を明かして、刑事が矛盾に気付き、推理し、最後はロジックによる動かぬ証拠で追い詰めて行くのは、観ている方としては痛快である。ただ、ロジックが後付けになってしまうケースが、どちらの作品にも多々あるのはやむを得ないのかも知れないが、残念な点でもある。私は、こういう作品を推理小説として書けるのかと考えてみたが、多分、不可能であろう。映像が伏線となり、かつ、会話の矛盾を隠す効果があるからだ。そう考えると、逆に、最期に犯人が分かる小説で、映像化できないものは、駄作ということになる・・・『刑事コロンボ』を観ていて思うのは、コロンボがどこでも葉巻を吸っているということに、当時のアメリカの時代背景が伺えることだ。現在では、日本でも考えられないことである。古き大らかな時代のアメリカを感じながら鑑賞させてもらった。

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