日記・コラム・つぶやき

アレの出し方で悩む

 以前、大江健三郎氏の『私という小説家の作り方』という本を読んでいた時に、一番重要なことが最後に書かれていた。それは、筆が進まぬ時、アレを待つのです、とだけ書かれていた。この時点で、アレの意味が解らぬ方は、気の毒だがそっち方面には向いていない…人は無我夢中になるとどうなるかということと大きく関係ある。一言で書くと、神が降臨するのだ。例えば、試験や物を書くときに、それまで観えなかった物事の全体像が瞬時に捉えられ、あたかも脳の中に広がる絵画を猛スピードで手で書くなり打つなりしても追いつかない、という様な一種の知的陶酔状態を意味している。こうなると、無敵である…問題は、どうやってそのような状態に持っていくか、ということになる。私は若いころ、十二時間寝る人間だったが、起きている間は、例えばエンジンに例えるなら、レッドゾーンで勝負していた。そのころは、気合で生きていた。四十を超えた現在、アクセルを踏み続けてレッドゾーンにまで持っていくことは滅多になくなったが、その代わりアンテナは高く張っている。自分なりに今まで生きてきて、アレを持ってくる条件をいろいろと考えてみたが、やはり、感受性が一番最初に来る。自分の中の知的好奇心をくすぐられた時に、私は自然と創造活動に取り組む。これだと、刺激がある時にしかアレが来ない事になる。それでは駄目なのだ。今迄、実体験に基づいてアレがやってくる必要条件を考察していたが、いくつかの因子があると考える。以下全てに伴う極端までの緊張感の下、集中し、危機感を持ち、もったいなさを捨て、自分を自分なりの方法で限界まで追い込まねば、アレは来ない。アレと神の降臨は似ているようで異なるのは、タイミングの問題としか思えない。アレは自発的であり、神の方は受動的である。神の方は意図的に起こすことはできないが、共通しているのは、普段からの心がけである。努力である…悩むべきは、アレが生じるはずの自分なりの方法が変化する時である。常に意識どころか無意識の片隅にでも置いておかないと取り残されるだけである。

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Positive & Spiritual

・堕落活動が終わった今、私は、Positive(前向き)&Spirituual(情熱的)のテーマの基、Challenge anything (とにかくやってみなはれ(覚悟と決断力に基づいた挑戦))をモットーとして過ごしている。
・動物は言葉を持つのか?持っていたとしたら、神は存在するのか?宗教とは何か?人間とは『神』無しに存在しうるか?何故カラマーゾフは未完に終わったのか?
・ゴルフの打ちっぱなし場がリニューアルされて、ボールがやけに飛ぶと感じた私、聞いてみると逆だとか…言われた言葉は、「当たりがよくなったんじゃあないですか?」
・金、地位、名誉に拘らない『志』を探している私、あらゆることに興味をもって生きている。
・ごく最近刺激を受けたもの。NHKのサリドマイドのドキュメント、亡霊、貧しさで解った生活感、料理の基本の根拠(何故中華料理にはオリーブオイルではなくごま油が多く使われるのかなど)、20年ぶりのジャンピングダッシュができたこと…
・最近の女性のタイプ。優しくて明るい人。
・悩み…ips、人工知能、ゲノム操作、金欠、筋肉痛、時間…
・行ってみたいところ…羅須チジン協会の賢治先生の家、温泉
・謎…果たして人はニュートラルポイントに行けるのか?そこでは全てが止まっているのではないかという疑問。
・気づいたこと…禁煙は苦痛ではない。世の中に殺人病院が実在すること。早朝の運動が
最高の気分転換なこと。
・嬉しかったこと…物書きの友人からの北海道への引っ越しの知らせ。映画『最強の二人』の発見
・『風立ちぬ』は乙女にしかふさわしくない。日本の伝統的な大和撫子の在り方は芸術的には評価が高いが、この歳になると生活感が無いところが不満。
・ユーミンは松任谷の頃よりも荒井由実の頃の方がいいと感じる。
・親父はバブルに乗れなかったのか、乗らなかったのか…後者なら天才的なばくち打ちだと思うこの頃。でも、将棋は俺より弱かった。
・若い頃は政治的関心を前向きに持っていた。しかし、現在は民進党が共産党と組んだこと、アメリカの大統領選などで、絶望的な関心を持っている。本当は捨てたい。
・文句…仮に日本に徴兵制が導入されても、士官学校が防大だったら、召集された賢い奴らが犬死するだけだぞ。
・歳をとればとるほどに、気合と努力の大切が身に沁みる。
・自分という『刀』を磨いていたころ、三島の『葉隠入門』と芥川の晩年の世界に染まったが、若気の至りだと感じる昨今…よく死ななかったなと思う。
・仮に自分に子供がいたら、バイクは勧めない。私自身が五回以上死にかけたからだ。
・初めてのゴルフのラウンド、派手な坂での転倒の後、打撲だと言い聞かせてドライバーをフルスイングしていたが、実はろっ骨を2本折っていたことを後で知った。
・やすしのすしや、きよしとよしき。
・女にだらしない男を毛嫌いしていた学生時代。
・スマホ嫌い、パソコン嫌い…でも、スマホの辞書機能と音楽機能の便利さに気付かされた昨今。
・SNS嫌い。FBは毎日チェックするが、滅多に『いいね!』を押さないほどプライバシーの問題に疑念を抱いている。Twitterも一つしかチェックしない。
・私の大学時代、女の子に電話番号を聞くのには度胸がいった。携帯電話がなかったからだ。
・「如来になろうと努力し続ける人を菩薩という(高田後胤)」
・日本の湖で一番綺麗なのは、エメラルドグリーンの十和田湖。しかも、下流から奥入瀬渓谷を二時間近く歩く喜び‼
・初対面の女に、「今日は帰りたくない」と言われたことが三度ある。しかし私は、あえてそれらを無視した…初対面でそういうことを言う女性の貞操概念を疑ったからだ。誓って言うが、私はお持ち帰りをしたことがない。私の飲み友達もみんなそうだった。紳士だった。その事は、自分も含め、誇りに思う。
・最近は、お酒との距離感がいい。そうなると、一日の時間の使い方が変わる。
・欲と運は反比例する…だったら、どうやったら金持ちになれるんだろうな・・・
・人が『成功』と呼ぶ事柄に、未だに消えない疑問…そんなもの本当にあるのか?
・名人は鼻声の女の品性を疑う。ましてや、息遣いではもっと解る。
・時には、計算を度外視して、感情を爆発させる事は大切。私の場合は、今はドライブ…一応、ゴールド免許ですが、何か?
・皇族がI.C.U.に入るのはいかがなものか?「靖国で会おう」と言って死んでいった人々にとって、犠牲になった根拠の人乙は天皇が神道に基づく現人神だった事だ。それらの御霊に対する背信行為ではないのか?ちなみに、I.C.U.が戦後後続によって作られたことは承知済みで…
・生前退位の条件は、第三皇位後継者を決めてからでなければ成り立たぬ。
・『命があれば金は稼げる。しかし、命を金で買うことはできない(前田一)』
・週に一度、長時間訓練するよりも、毎日、短時間でいいから訓練する方が上達は早い。しかし、それには金が掛かる。
・本当の教育とは、その時点で決めるものではなく、最低限、三代先、つまりは孫の生活や才能にまで気を配ることだ(前田一)。
・東京五輪は金の始末の仕方が下手だ。国立競技場は、最初の案が一番よかったのだ。始末の仕方は、リオ五輪が教えてくれた筈だ。
・時間にルーズな人間は信用できない。なぜならば、ほかの何人もの時間の合計の無駄な時間を考えれば解るだろ?
・創造力を掻き立てられる条件というのは、確かにある…要は、きっかけなのだ。
・それが、現在、このblogを書かせている原動力でもある。
・何故、日本人の多くは、ORION(オリオン)座に感傷的になるんだろう?かつての私もそうだったが、今のわたくしの目標は、南極からサザンクロスを観ることである。7
・白髪が少しずつ生えてきたが、若く見えると言われるのは、素直に嬉しい。
・全国各地に、僕だけの『場所』がある。これは喜びだが、地球規模にしなければ…
・「みんなエンジンや飛行機に惚れて機械科に行ったんだよな」という、こないだの飲み会での友人の言葉がその年頃の私を象徴していた。ほかの科や文系の友人もいたのにね…
・片思いでも、創造力次第では、立派な恋愛だ。
・今年、医者不振から始まった私の人間不信は、『親友』の定義さえ疑わせた。今は立ち直っているが、それ程、私は堕落したということだ。
・男女間で一番よくないのは、中途半端な想いを中途半端に捨てきれないことだ。
・僕は不器用な男だ。しかしながら、気付いていないわけではない。また、傷つくことを恐れているわけでもない…って、そんなことは、お互いさまなんだよね。現在の僕は、貴女のおっしゃる通り、芸術は誰のものでもないと考えている。盗用されたとも思っていない。お願いだから、これ以上のRegretは捨てて…僕は、前向きでスピリチュアルな人が好きだから…そうなろうと今更ながら努力しているんだ。僕も若すぎたから、きっと、君に嫉妬したんだろうね…ごめんね。

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3000話目のひと区切り

 今回のblogで3000話目となる。歳月にして八年と一ヶ月弱。この間、ずっと、24時間縛りでblogを毎日発信し続けてきた。いろいろな事があったが、これを区切りに、毎日書くのは辞めようと思う。体を壊してまで続けることに疑問を持ったし、そろそろ生き方を変えてもいい頃だとも考えている。書く事自体は好きなので、気が向いたらblogをアップするし、文筆業も止めるわけではない。私の人生の節目が訪れただけのことだ。仮に毎日々々blogを書く事が修行だとするならば、満足はしていないが納得のゆく状態である以上、私は次に進まなければならない。達磨大師だって九年座ったら立ち上がったではないか・・・当初、私は、文章が上手くなりたくてblogを毎日書く事にしたが、やがて続けることに拘泥しだし、いつしか生活の中心軸となっていった。裏返せば、そういうちっぽけな尺度でしか生きてこなかったということである。世の中はもっと広い。様々な生き方がある中で、いつの間にか自分を殺し、人生を決め打ちしてしまっている自分はどうしようもない馬鹿である事に気が付いた。愚直なまでに八年以上、同じ事を続けてきたから観えたのだろう。密度が濃いようで、実は薄っぺらい生き方・・・そんなものはいらない。もう、過去を振り返っている暇は無い。前向きに生きる。焦らずに急ぎ足で・・・きっと達磨大師も立ち上がった時に、足を鍛えることから始めたことだろう。同時に、人形の達磨さんは起き上がりこぶしの様に出来ている。私の心も、折れること無く何度でも立ち上がることだろう。長いトンネルを掘り続けたら、眼も眩む光が差し、目の前は風光明媚・・・さあ、歩き出そうか。

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成功って何だ?幸せって何だ?

 イソップ童話の『ウサギとカメ』の話をある友人をしていたら、人生に於ける『成功』という言葉が、喉に詰まった魚の骨のように引っかかり、悩んだことがある。私は、大きな業績の裏には深い影が必ずある事を知っていたからである。それから、私は、『成功』という概念を捨てた。と言っても、別に人生を捨てたわけでは無い。『成功』というものは、求めなければ得られないものだが、私にはとりわけ欲しいものでは無かっただけである。どなたか『成功』の定義を納得できるように説明して下さる方がいたら、教えて欲しい。人生には、それ以上に大切な事が多すぎるとわたくしには思われるのだ。可能性を求めて大学に行ったはずなのに、逆に生き方が窮屈になるだけだった。こんなものはいらねえ、と若気の至り。後悔など無い。不思議と私は、後悔したことが無いのだ。その時々の自分の決断を信じているから。『成功』という言葉に不信感を持ちつつ過ごしていたら、やがて、『愛』とか『幸せ』という言葉に置き換わった。時代の風潮として現実味が無くなったからである。『愛』という言葉と勝負しても、大海を相手にしているようで、勝負にならない。安っぽい言葉になってしまったと思うが、つかみ所が無いのである。私個人としては、『愛』には、仏教でいう、慈愛の概念が無ければならぬと考察する。それ以外は嘘だと思った方がいい。最後に、最近よく見かける、『幸せ』の概念。人それぞれだろうが、無欲でなければならぬ。自分が幸せではないと思ったら、独り旅に出るといい。様々なものが見えてきて、普段、自分がどれだけ恵まれているか、涙するまで返ってこない覚悟で。結局、青い鳥は足下にいることに気付かされるのだ。そうやって人間は成長して行く様に出来ている。『成功』『愛』『幸せ』・・・どれも己の心の状態の問題では無かろうか?

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日常に転がっているもの

 よっぽど困らない限り、私は即興でこのblogをこしらえる。勿論そこには作法はある。当然、ネタが決まっていないときには頭を悩ます。出来るだけクオリティの高いものを提供したいからだ。でなければ、八年以上毎日blogなんて続かない。ネタをどうやって見付けるか、というのはトップシークレットに近いことなのだが、普通の人では理解できないので明かす。同じ物をどういう視点で見るか、にかかっている。普通の物を普通に観ないことが肝心なのだ。ヒントはいくらでも転がっている。要は、それができるかどうかなのだ。諸行無常ということを念頭に世の中を見れば、この世も少しは棲みやすいものになるであろう。どんなに辛い思いをしても、自分の仕事に誇りを持っていれば耐えられるどころか頑張れる。肝心なのは、心の眼なのだ。それさえ曇っていなければ、日々新たな発見がある。だから、私は時々、心の眼を研ぐ。自分と向き合い、問答をする。問答では、いつも、私の心の弱さが滲み出てくる。このblogを書いている今でさえ、問答している。相手は手強い。ちょっとした心の隙に入り込んでくる。この文章を打っている途中から、どういう終わり方にしようか考えだした、私の心のその部分の隙を問答の相手は見逃さない。参ったな、とつくづく思う。八年も書いていると、きれいな終わらせ方をするのは楽勝なのだ。いつもはそうしている。しかし、今日のblogは友人へのメッセージでもある。私は最近、将来のことをよく考えるようになった。物書きでは食ってはいけないことも含めて。複雑な気持ちである。やりきれない気持ちになることもある。blogを書いている事自体が矛盾しているのだから。しかし、『桃栗三年柿八年』とはよく言ったものである。最初は、コミットメントについての言葉だと思っていた。たしかにそれもある。しかし、それ以上の言葉なのだ。今の私には、それだけしか言えないし、言葉では上手く説明できない手応えがあるのだ。隠しているわけでは無い。私も未だ長い階段を登り始めたばかりなのだから。

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姿勢で判る

 塾講師をやっていた頃、新入生が入ってくると、いつからか机に向かう姿勢だけで勉強が出来るかどうかとか伸びしろがどれくらいあるかといった事が判る様になった。具体的にどうこう言えないのだが、出来る子は、机に向かう姿勢が美しいのである。友人の故親父さんで、休みになると雀荘に通っていたリュウさんが、同じような事を語っていたらしい。麻雀が強いかどうかは姿勢を見れば判る、と。リュウさんはカミさんから小遣いをもらった事が無いそうである。凄いと思ったが、粋な人でもあった。友人の家で徹マンをしていた時に、朝方、誰からともなく、吉牛(吉野家の牛丼)喰いてえな、という話が出て、俺だったら、玉子も頼む、いや、玉子よりも味噌汁を選びたいな、などと話しながら麻雀を売っていると、その部屋がリュウさんの寝室の隣だったのか、聞こえていた様子。リュウさんがいきなり入ってきて、「これから吉野家行くけれど、他に買ってくるもの無いか?」と言われてしまった。一同、申し訳なさの中に食べさせて頂いた記憶がある。さすが雀鬼、参りましたという他ない。後年、みんな社会人になると、私の家に三人が突然やってくる様になった。親父が元気だった頃の話だ。正直言うと、私はあまり麻雀が好きでは無いので、代打ちを親父に任せたこともある。故親父は麻雀が大好きだったのだ。雀荘に通うほどではないものの、社内麻雀では横綱クラス。そんな親父を観察していると、私とは打ち筋が違っていた。どう判断しても、納得がいかなかった。後で親父に聞くと、「お前の友達から巻き上げるわけにはいかんやろ」の一点張り。親父は爪を隠したのだろう。その代わり、私の友達の性格を見事に言い当てた。麻雀に向かう姿勢で解ったとのこと。麻雀をメインに書いてしまったが、物事に取り組む姿勢一つで、ベテランは一瞬で器量を見抜くのだな、と恐れいった次第。何事も無駄なことなど無いのだ。真剣に取り組まなければいけない。

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ディーラーにて  (駆け引き)

 「いやあ、あの車、親父の形見みたいなものなので、あれだけ丁寧に観て頂けると幸いです」と再び切り出し、「所々にタッチアップペイントの後がありますけれど、あれ、全部、自宅の車庫でやっちゃったんですよね」と続けざまにジャブ。営業の方は、「そうなんですか」と思案顔。「だから、あの車より大きな車は入らないんですよ」と説明すると、相手方は作戦を変え、「ところで車検がまもなくですね」と来た。「考えておきます」と返事し、「あの、ブレーキパッド以外に何かありましたか?」と質問。営業の方は車へダッシュ。時間稼ぎだ。間違っても、もうスタンドで予約しています、なんて言えない。コーヒーを飲む。戻ってきた営業の方は、「特に無いそうです。何か気になる点はありますか?」と聞くので、「特にないです」と応える。「車検はいつもどちらで?」と再び聞くので、仕方なく「なじみのガソリンスタンドです」と返答。「ガソリンスタンドの方が安いですもんね・・・そのかわり、うちはしっかり整備させて頂きますよ」と言うので、「それは解るんですが、ディーラーさんとスタンドじゃあ、どうしてもスタンドの方が頻繁に通うじゃあないですか。スタンドの方とも親しくなっちゃうんですよね」と説明。内心では、二回に一回ぐらいはディーラーで観てもらったほうがいいな、と思ったが、口には出さずにポーカーフェイス。後は適当に車の話に持っていって時間切れ。代金35047円をぎりぎりで払ったら、自然とお互いに笑いが出た。「ありがとうございました」とお礼を言い、ディーラーのユウウツから解き放たれて安心したが、よく考えてみると結構な出費だ。良かったのか悪かったのかが微妙。帰宅し、日めくりカレンダーを観ると、三りんぼうで『万事に用いて不可。財産を失い、寿命を損ずる。昼のみ吉』と書いてある。当たっているなあ、と腕を組んだ。

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ディーラーにて  (パッド残り1mm)

 このままでは、メカニックさんも私も二度手間になってしまう、と思って悩んだ。正月に銭洗い弁天で洗った千円札ならあるのだが、極力使いたくない。メカニックさんに事情を話し、「少し考えさせて下さい」と言うと、「解りました。では、とりあえずリアだけパッドを交換しますんで、終わったら、また来ます」と言ってくれた。その千円札は、母が宝くじで当てた縁起物でもある。それに、そもそも、47円はあるのか?とジャリ銭入れを観てみたら、なんと、500円玉が二枚入っており、見積もりの35047円に何とか足りる。ラッキーだと思った。ゴルフの打ちっ放しに行くときの為に、入れてあったものなのだ。メカニックさんが再び来たときに、即金で払える旨伝え、作業に取りかかってもらった。払えることは払えるが、財布がスッカラカンになるな、と思いながら、何で見積もりが予想金額を上回ったのだろうと観てみると、リアのブレーキパッドよりフロントのブレーキパッドの方が微妙に高いのだ。何故かは知らぬ。しかし、ホッとした私に、「リアのブレーキパッド、残り1mmだったそうですよ」との声。警戒していた営業マンが寄ってきた。「そうなんですか」と返事して、車検問題と新車の押し売りに対して警戒感を強めた。そこでまず、私が先手を打って、「ここからメカニックさん達の様子を観ているだけで、幸せになります。いい雰囲気の職場ですね。僕はエンジンに惚れて、大学の機械科行きましたけれど、エンジン周りの設計も面白いでしょうが、現場もやっぱりいいですねえ」とニコニコ話したら、「そう仰って頂けるのは嬉しいです。ちなみに私も理系でしたよ」と営業マンの方。その一言で、この男、論理が通じるだろうし、ゴリ押しタイプでは無いな、プライド高し、と分析。ここからは交渉術の勝負となる。

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ディーラーにて  (千円足りねえ!)

 午前十時から開店だろうと思い、ユウウツな気分で車のディーラーに行く準備をしていたら、雨が小雨になった。昨日のblogで触れたタイヤ近辺の異常音は雨の日でもするのか疑問だったが、重い腰を上げ、ハンドルを握るとしっかり音はしてくれた。小雨なので、窓を少しだけ開け音を聞いていると、右のリアタイヤが怪しい雰囲気。おそらくブレーキパッドだろうと思いながら運転、まもなく到着。受付のお姉ちゃんが出てきたので、車の状態を説明し見積もりを依頼。店内に通されると既に多くの人が着席している。後で確認したら、九時半からとのことだった。フリードリンクにアイスコーヒーを選び、迷わずメカニックさん達の作業の様子が見える窓際の独り席に座る。五台ぐらいの車が同時にメンテナンスされている様子をじっと観察。私は運転も好きだが、車そのものが好きなのだ。メカニックさん達の無駄の無い動きに感心しながら、コーヒーを飲む。まもなく奥から二台目に右のリアタイヤが外された車が上がる。読みは当たっているかな、と待つこと10分強。担当のメカニックさんに名前を呼ばれた。リアのブレーキパッドが要交換とのことで、見積書を渡された。16000円強。フロントの見積もりも勧められ、私は33000円位と予想して承諾。やっぱり、パッドだったか、とリアの見積書を見ると、受付のお姉ちゃんが正確に伝えてくれていたので感心していたら、再びメカニックさんがフロントとリアのブレーキパッドの見積書を持ってきたので、観ると35047円。あれ?と思い、慌てて財布を観ると、34000円しか入っていない。1000円足りない。見積もりだけのつもりだったので、お金を用意してこなかったのだ。

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雨がしとしと

 梅雨に入ってから、やっと梅雨らしい雨がしとしとと降っている。屋根にぶつかる雨音と、雨滴がポタン、ポタンと時々落ちる音、庭のアジサイが色づき、いかにも梅雨らしい風情。気温は下がったが、湿度が上がり、肌に来る温気に少しイライラ。少し早足で歩くとジトッとくる。それでもせっかちだから、歩く速度は落とさない。さて、今日は買い出しに行こうと思っていたが、昨日、車を運転していると、速度を抑えて走っていたら、後輪のあたりから異音がした。ブレーキパッドは今年の車検で観てもらおうと思っていたが、ブレーキペダルではなく、アクセルを踏んだ時に、目立たないが甲高い音が鳴ったので、ディーラーに近々持っていかなければならない。嫌だな・・・なじみのガソリンスタンドで既に車検の予約をしているから、その前にディーラーに行くのはかなり気まずい。原因不明なのが不安を煽る。親父の形見とはいえ、古い車なので、これ以上お金を掛けたくは無いという思いもある・・・雨がしとしと。行く気が萎える。車の重要なパーツでは無いだろう事は判るので、それだけが気休め。そんなことを考えているうちに、時計の針だけが進む。案ずるより産むが易し。行くことにしよう。気が変わらないうちに、身支度をするか。って、まだ、朝だった。行くまでに雨が止んだらいいなあ。

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