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男女の貞操観念について

 性という概念を考える前に、基本的に、この世には、男と女とニュートラルな方しかいない。誰が勝っているだのと言う気にもなれない。少数派のニュートラルな方々は、男女が欠陥品として産まれてきたとするならば、パーフェクトな存在なのかも知れない。しかしながら、少数派であることから苦しんできたに違いあるまい。ここではその方々には失礼かもしれないが、男女間の話をしたい…私は何故だか解らないが、男として産まれてきた。男とはどういう存在でなければならないか(女性に接する態度も)、ということは、親父の背中を観て学んできた。私は、男女間に友達関係など無いという信念である。しかしながら、女性と喋れない、いい歳をした男を哀れに思ったのだから、きっと、私は、人間として女性を観ているのだと考える…私は、過去に無邪気に女性と仲良くなって、大火傷を負ったことがある。肉体面ではなくて、メンタルの面でだ。それ故、トラウマに捕らわれている私のメンタルが、これから物申すことになるかもしれぬ。今、私が仮に、「日本の文化とは何だ?」と外人に聞かれたら、きっと、「アメリカだ」と答えるであろう。単に、『アメリカ』といっても、様々な点がある。戦後に生まれた日本人として、言いたいことは山ほどある。しかし、ここでは、男女間の貞操観念について書いているのだから、そこに絞る。まずは、アメリカと日本との間での男女付き合いのあり方からだ。私が知っている限りで、アメリカで育った帰国子女の友人は、『根無し草問題』について悩みながらも、男女間の関係については、日本の友人達とは正反対の答えを出していた。具体的に言えば、アメリカ人と日本人では、男女関係とそれに伴う肉体関係の問題の価値観が正反対だったのだ。ここで問題なのは、友達付き合いの延長線上としてのコミュニュケーションとしての男女間の肉体関係が、果たして許容されるのか?という問題でもある。何も、フリーセックスの時代とは解釈してはいないが、そこにモラリズムや信仰の問題、もっと単純に、いかに自分を大切にするか、という問題が関わってくる。初対面で飲んだ後、「どうして、自分をもっと大切にできないんだ」と、降りやまぬ雨の中、安易な日本人の女の子を、叱ったこともある…男女の貞操観念について洋の東西を問わず常に難問である。『人それぞれ』と言ってしまえばそれまでだが、確実なことがいくつかある。崩れない絆など無いということだ。

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