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2016年11月

映画『アスファルト』の雑感

 ある友人の奥さんの勧めで、フランスシネマの『アスファルト』を観に行った。もう、半月以上前のことである。フランスシネマはBRなどに残りにくいので、映画館まで行って観た。ネタ晴らしはしたくないので、雑感を述べると、三組三様の話であるが、それぞれにメッセージがあった気がする。メインのところは誰にでも解る。問題は残りの二組である。NASAの宇宙飛行士とアラブの女性、これは解る。信じられない組み合わせの中で、それぞれに共通項を見付けるという設定だった気がするが、NASAの宇宙飛行士が言いたかったことの一番は、深い影の裏には強烈な光があるということだろうと推察した。この言葉は五木寛之の本の中のフレーズとして使われていたので、強烈というほどのインパクトがなかったのが残念である。一番解らなかったのが、車いすのおっさんと看護師との、その後の行く末だった。看護師は、車いすのおっさんの言葉を信じたのか信じなかったのかが不明なのである。他にも、様々なメタファー(隠喩)がスパイスとして効いている作品だったが、伏線の張り方といい、見事な映画であった。友人の奥さんは、是非、私に観てほしいということだったので観に行ったが、それだけの価値がある。ネット上の評価では、必ずしも星の数が多かったわけではないが、これはフランスシネマである。ハリウッドの映画の様に解りやすいものではない。気付く人だけに解ってもらえばいいという代物である。だから、私はヨーロッパ映画が好きなのだ。それだけ、考えれば考えるほどに、味わいが出てくるというところが嬉しい。

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男としての最低限の意地

  前回の九月の集まりにて。

友人「店長、美容師の娘とは続いてんの?」
店長「別れた」
友人「今付き合っている娘はいないの?」
店長「今はいない」
 私「いないのか…珍しいこともあるものだな」
店長「とりわけ珍しいことでもないんだけれどな…」
 私「男女関係について色々と教えてもらった昔が懐かしい」
店長「あの頃は休みなしで夜に営業していただろ?」
 私「ああ…花見の時の娘に告白されたって言っていたね」
店長「俺にあまりにも時間が無かったことが悪いんだけれど、お互い接点が無かったんだよな。そしたら、銀行に勤めていたから給料がよくて、俺を食わせる代わりに仕事辞めて、もっと会う時間がほしいって言ったんだよな…あいつとはそれで別れた」
 私「…解る」
店長「俺にヒモになれって言っているのなら、勘違い甚だしいんだよな…まあ、もう昔の話だ」
 私「…男として生きる根拠の最低限の意地があるよな。ヒモになる男も駄目だし、そんな男は認められない…何で解らねえのかな?いくら男女平等って言ったって、男には男にしかできない事があるし、女には女にしかできない事があるのが現実なんだ…って、俺が昔に付き合っていた女なんか、俺に金を全額負担させて男尊女卑だっていう馬鹿だったな」
店長「あの頃のお前は相当荒れていたけれど、それでも女は守ってやんなきゃなんねえんだよな」
 私「どれだけ悔しくても、男が弱音を吐いちゃあいけねえ、とも教えてくれたな…ありがとうな。時間が経たないと冷静になれないし、そこで初めて気づく事も多いんだよな」

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男女の貞操観念について

 性という概念を考える前に、基本的に、この世には、男と女とニュートラルな方しかいない。誰が勝っているだのと言う気にもなれない。少数派のニュートラルな方々は、男女が欠陥品として産まれてきたとするならば、パーフェクトな存在なのかも知れない。しかしながら、少数派であることから苦しんできたに違いあるまい。ここではその方々には失礼かもしれないが、男女間の話をしたい…私は何故だか解らないが、男として産まれてきた。男とはどういう存在でなければならないか(女性に接する態度も)、ということは、親父の背中を観て学んできた。私は、男女間に友達関係など無いという信念である。しかしながら、女性と喋れない、いい歳をした男を哀れに思ったのだから、きっと、私は、人間として女性を観ているのだと考える…私は、過去に無邪気に女性と仲良くなって、大火傷を負ったことがある。肉体面ではなくて、メンタルの面でだ。それ故、トラウマに捕らわれている私のメンタルが、これから物申すことになるかもしれぬ。今、私が仮に、「日本の文化とは何だ?」と外人に聞かれたら、きっと、「アメリカだ」と答えるであろう。単に、『アメリカ』といっても、様々な点がある。戦後に生まれた日本人として、言いたいことは山ほどある。しかし、ここでは、男女間の貞操観念について書いているのだから、そこに絞る。まずは、アメリカと日本との間での男女付き合いのあり方からだ。私が知っている限りで、アメリカで育った帰国子女の友人は、『根無し草問題』について悩みながらも、男女間の関係については、日本の友人達とは正反対の答えを出していた。具体的に言えば、アメリカ人と日本人では、男女関係とそれに伴う肉体関係の問題の価値観が正反対だったのだ。ここで問題なのは、友達付き合いの延長線上としてのコミュニュケーションとしての男女間の肉体関係が、果たして許容されるのか?という問題でもある。何も、フリーセックスの時代とは解釈してはいないが、そこにモラリズムや信仰の問題、もっと単純に、いかに自分を大切にするか、という問題が関わってくる。初対面で飲んだ後、「どうして、自分をもっと大切にできないんだ」と、降りやまぬ雨の中、安易な日本人の女の子を、叱ったこともある…男女の貞操観念について洋の東西を問わず常に難問である。『人それぞれ』と言ってしまえばそれまでだが、確実なことがいくつかある。崩れない絆など無いということだ。

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