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般若心経論

 私の祖母の弟に当たる叔父さんは、強欲だが信心深い。長年、般若心経を研究されてきたそうだ。叔父様は、『無』と『空』は一緒だ、とのこと。確かに、般若心経で一番多く使われている文字は『無』である。しかし、私はこの言葉に違和感を覚えた。その事を聞いたのは、ヒンズー教の聖典、『バガバッドギーター』を読んでいた頃だと記憶している。なかなか面白かったが、全体像は掴めなかった。まあ、ヒンズーはどうでもいい。般若心経を漢文として読んでみたら、どう考えても、『空』の概念を説明するために『無』という言葉が使われているようにしか受けとめられないのだ。この、『空』の概念というのは、仏教上、結構重要で、一言では説明できない。だから、般若心経があるのだ。言い換えれば、『空』は無敵である。しかし、そうもいかないのが人間社会。いろんな人がいる。最近は、『因果応報』という言葉が恐ろしくなってきた。いい事であれ、悪いことであれ、必ず人は報いを受けるように出来ている。だからといって、念仏を唱えていれば救われるというものでも無い。行い次第なのだ。私は、es細胞やらips細胞ができたことに脅威を感じる。絶望もした。フィクションでは無いのだ。倫理がどうのこうのと言っても、一人のマッドサイエンティストによって破壊される。私のテツガクとして、人間は死を受け入れる為に生きているのでは無いのだろうか、という信念がある。コインの裏表の様に。その中で、人は弱いものだから、皆、何らかの信仰を持つ。私の唱える般若心経は信仰のようで信仰では無い。いつも、考えながら唱える。そこに救いは無い。現実が待っているだけだ。迷いながら唱えるお経というのも、それもいいではでは無いか。所詮、生きているものが冥界に口を出すのは烏滸がましいことだからである。許せないのはクソ坊主である。

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