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2015年5月

最近

・「たまには焼肉でも食ってみたいなあ」「食う資格ねえよ」

・「一日中暇なくせに、とっとと二階上がれよ」

・「俺がいなきゃあ、この家やって行けねえんだろ」

・「お前なんか暇なんだから、こいつ泊めてやれよ」

・「あんたの病気は遺伝のせいだって?」

・「~~~ごめんな」

・「うつうつされた」

 退屈。窮屈。憂うつ。

どこかに突破口は無い物か・・・

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サザンの『葡萄』を聞いて

 遅ればせながら、先日、サザンのアルバム『葡萄』を購入した。二枚組の『KILLER STREET』が今ひとつだったので、買い控えていたが、桑田さんのお子さんも大きくなり、食道がんを患った後ということで、CDでの購入を決意。ダウンロード購入というのは、何だか味気なくて、私は余り好きでは無い。まあそれはいい。しばらく音楽を聞いていなかったのと、がん克服後の人生観の変化などを期待して、ここ三日間ほど聞き込んだが、今一つ来るものが無かったというのが正直な感想だ。このアルバムでは新規のファンの開拓は難しいだろうとも思った。確かに桑田さん自身が、もう恋愛を歌う歳ではなくなったというのもあるかも知れない。メロディラインも、心に響くものが無かった。昔の曲では、胸に来る歌詞やメロディがこびりついて離れず、慌ててリピートボタンを押すこともあった。そういう路線を期待して買ったわけではないので、暢気に楽しみながら聞いている。それに、まだ三日。これから好きな曲が出てくるかも知れない。とりあえず1曲目の『アロエ』の歌詞、散々『勝負しろ!』と原坊とハモった後で、いきなり、ソロで、~杏仁豆腐とジャージャー麺が食いてぇ~食べたい、という訳の解らない気ままな歌詞展開は桑田さんのやんちゃさが現れていて、笑いを誘い、私まで食べたくなった。後は、7曲目の『天井座敷~』で寺山修司を意識したのか、~毛皮のマリーの良さがわからない、というのには、私も同感である。また、この曲、最後に桑田さんの『ちょっとだけよ』が入っている。これまでも幾度か観測されたが、ドリフターズの加藤茶さんのギャグを意識したものだ・・・今のところ、評価はまずまずだが、他のファンの方はどう評価したのか年代別に知りたい。AMAZONのコメント欄でも観ようと思ったが、のんびり聞いている方がいいのかもしれない。

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殿様商売

 先週の金曜日、ぶっ壊れたスマホの充電用アダプタが保証期間内だったので、docomoショップに持って行き、修理または交換を望んだ所、修理に出すこととなり、それが終わったら、docomoショップから連絡が来ることになっていたのだが、一週間後の木曜日(つまり昨日)の午後六時過ぎに電話が鳴った。修理不能とのことだったが、故障原因がはっきりしない。最初に指摘を受けたプラグ部分のプラスチックの溶け出しが原因では無く、USBケーブルの異常が原因とのことだったが、どちらにしろ、アダプタを普通に使っていて購入してから十日でぶっ壊れたのだから、当然、不良品扱いで交換ということになるのだと思っていたら、何やら担当がどうのこうのとゴネだした。頭に血が上りそうになったが、押さえて、おとなしく、USBケーブルのどこに異常があったのか聞くと、原因不明とのこと。何を言っているんだコイツは、と思った私だが、再び、「そういうのを不良品て言うんじゃあ無いですか?何のために保証期間があるのか解らないじゃないですか?」と言ってみても、何だかんだでうやむやにしようとする店員。私が怒鳴らなかったのは、NTT関連に知り合いが多いからである。これ以上、コイツと話していても時間の無駄だし、ブチ切れてしまいかねない、と思った私はアダプタの廃棄を依頼して電話を切った・・・大体、アダプタなんて、そうそう壊れるものでは無いし、私は普通に使っていただけだ。NTT関連に知り合いが多いので、損だなと思っても、15年以上docomo一筋で携帯電話を使ってきたが、今日の電話応対で、今のスマホの寿命が来たら、他の会社に乗り換えようと思う様になった。殿様商売もいい所である。アダプタなんて、たかが二千円程度のものである。しかし、されど二千円だ。馬鹿だから、アダプタ一つで客の信頼を失った。

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車検の予約

 近所で最も安いガソリンスタンド(以下GS)は、いくつかの系列から成り立っており、工場もあるので車検も請け負ってくれる。ディーラーの方が無難なのだが、二年に一度とはいえ、安く済ませるに越したことは無い。ここ二回ほどは、そのGSで車検をお願いしてきた。今年が車検年ということで、昨日、受付に向かった。元々安い上に、早期予約割引など様々な割引サービスもあり、合計で壱万円ほど割り引かれる。しかも、このガソリン高の時代に、車検終了日までリッター7円引いてくれる。ここまで良いことばかり並べてきたが、単純に喜ぶ程のお人好しでも無い。車検の持ち込み日が8月18日なのに対して、8月4日に一時間ほどの事前点検がある。GS側としては、ここでどれだけポイントを稼ぐか必死になる。私もおとなしく店内で座っている気は無く、点検の時には必ず作業場までチェックしに行く。基本的に、車検の時に一気に交換する事にならないように、主要パーツはマメに交換しているのだ。私はエンジンオイルは5000Kmに一度は交換する事にしているが、こないだ軽くエンジンルームをチェックした際、バイトの店員が、「半年に一回は交換を」などとふざけたことを言っていたので、要注意である。そこのGSの店員は、客目線で対応してくれるのが良い所なのだが、それが無くなってしまったら考え物だ。何はともあれ、スケジュールは組んだ。今回指摘されて悩むとしたら、オートマオイルである。一度交換したが、随分、時間が経過している。後は、リヤワイパーぐらいか。私の読みだと、指摘されるとしたら、このあたり。いったいどうなることやら。

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ゴルフのお誘い

 二月のゴルフ以来ずっと連絡を取っていなかった友人から、ゴルフのお誘いが来た。気が付いたのは、ショートメールが来てから二時間後。手元に携帯を置いていなかったのだ。問題は場所である。今回は軽井沢とのこと。北陸新幹線でその日帰りにするのだろうか?今まで三回一緒にラウンドしたが、熱海二回、千葉一回であった。軽井沢に行く場合のシュミレーションをしてみた。その日帰りの場合、車では不可能である。電車と新幹線を使ったとしても、かなりタイトなスケジュールになる。そもそも、軽井沢まで行って日帰りではもったいなさ過ぎる。昔みたいに避暑地というイメージも無い。好きな町なのだが、十年振り位になる。車では何度か行ったことがあるが、電車では大学一年のシーズンスポーツの時に、アイスホッケーをやりに行った。当時は長野新幹線も無く、上野駅から特急で向かったのを覚えている。スケートセンターも今ではすっかり模様替えしてしまった。町全体に元気が無い印象を受けた。そんなことはどうでもいいとして、友人も私の鬱憤が溜まった頃に誘ってくれる。丁度いい気分転換になるのだが、何分、練習不足だ。まだどうなるか分からないが、練習はしておかないと、友人に失礼である。暑さ対策もしておかないといけない。こないだの雪の日ゴルフで、短いティーを全部折ってしまったので、それも補充しないと。って、すっかり行く気になっている私・・・二、三日で具体的なプランが伝わって来るだろうから、それ次第というのが実際の状況である。

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馬券とギャンブル

 今は亡き、馬券予想の神様、大川慶次郎氏が、JRAで三着までを当てる馬券が出たときに、三着馬を当てるのは邪道、と言っていたのが忘れられない。今でこそ、三連複、三連単、などは当たり前になってしまったが、少なくとも私は買ったことが無い。単純に馬の世界を人間社会に当てはめる気は無いが、勝たなければ生き残れないのである。これまで、いろんな馬を観てきたが、報われるものとそうでないものとは雲泥の差である。だから、私は、よっぽどのことが無い限り馬刺しは食べられない。いわゆる桜肉は、よう食べん。あの時の未勝利線で惨敗した馬か、と思ってしまうのだ。また、博打としては、勝ってはいるが、何度も痛い思いをしての結果だ。これまで競馬場に行って負けたことは無いが、最悪の場合は勝ち分がラーメン一杯というときもあった。家路が遠いだけに、空しさだけが残るというものだ。私がその事を話すと、「勝つだけいいじゃない。オケラ街道って知らないの?寺山修司よ」という娘もいた。そういう場合、コイツはバカな奴だと私は相手にしない。寺山修司が、車は持っていなくとも馬主だったことぐらいは知っている。家出を勧めながら、自分は過去の女を裏切り女優と結婚し豪邸に住んでいたことも知っている。矛盾の無い人間などいないが、不純な人間は嫌いだ・・・こんな事を考えていたが、よく考えると、今週はダービー前のスペシャルウイークである。日本ダービー・・・かつて私が馬券で三連覇したときに、『もういい。これ以上、運を使いたくない』と思わせたレースでもある。有馬記念でも馬券で四連覇した次の年に負けた。ギャンブルというものは、欲張りすぎたら、必ず角が立つように出来ている。来週の日本ダービーはおそらく買わないであろう。

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南房総へドライブ  その4

 『生まれ落ちて、果たしてその者には帰る場所があるのか?』という事を考えてみる。ある小説では、異性の中に帰る、というオチだったが、釈然としなかった。原罪の観点からだ。今生きている人の中に、もう一度、同じ人生を味わいたいという人はいるだろうか?少なくとも私は違う。幼い頃からカオスばかりだった人生は、私を追い詰め続けている。だから、私は家族を持たないことを決断した。二十代の半ばのことか。本来、人間には帰る場所など無い、というのが私の信条になった。きっと、不幸なのだろう。歳と共に、身軽さと孤独と暗闇を感じる。自分の生きている存在根拠が失われるような錯覚に陥るのだ・・・車のナビでエラーが出たので、もう一度やり直すと、自宅へのルートが出た。房総の山越えルートである。道は分からないが、何とかなるだろうと出発。今度は海から山へと向かった。山道を運転していると、狭くなったり、二車線になったり。機能していない凹面鏡をいくつも見かけた。所々に民家があり、狭く曲がりくねった道を行く。それ程の高低差は無かったが、どこを走っているのかは判らない。方位磁石は北西を向いていたが、何とかなる、で走る。狭い道を抜けると、ゴルフ場の看板が出だした。そこから先はスムーズに行った。どこかの城跡を抜けるコースだった。そこからは一直線に家路へと・・・土産物屋のおばちゃんのイチオシだったアジの開きは、翌日に食べた。確かに美味しいのだが、薄味な気がした。南房総は何もないと思っていたが、楽しかった。地図を広げて観てみると、確かに南。一周しようと思ったら、一泊しなければ無理だと悟った。

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南房総へドライブ  その3

 『美』とは音楽的でもある。時間の中で、ある形態を保ち、イメージとして記憶される。時が経つと共に断片化されてゆく。私は、いくらデジタルの方が人間に心地いいからといっても、人間の脳というのはアナログであると感じる。線分を限りなく小さく処理した作業でノイズを払うというのは、デジタル技術そのものだが、人間の脳をごまかしているに過ぎない。加工も出来る。これは自然ではない。というよりも、必要な音を一辺に聞き分ける作用というのが人間の脳という所にはある。そこを磨く方が自然だ・・・話はそれたが、トンネルというのはいきなり開ける。光と感動をもって。しかしまた、トンネルに入る。この繰り返し。大切なのは焦らないこと。新たな物を新鮮に吸収する。心は開かれていなければならない・・・ふと脇を見たら土産物屋があったので車を駐めた。中に入って、名物を聞くと無い。簡単な物を買い、どこで売っているかを聞くと、もう少し先にあるという。催してきたので隣のコンビニに入ると無言。こちらも無言でトイレを拝借、何も買わずに車に戻った。勝浦で逃したら、いい海の幸は替えないと思いながらのんびり走る。ふと、右手に大きな土産物屋。右にハンドルを切る。エンジンを切り、店内に入ると先客一人。店はおばちゃん一人でやっている。とりあえず、旨い物を聞き、いくつかチョイスした後、アジの開きはないかと聞くと、おばちゃん待ってましたとばかりに、真空パックに何匹か入った物を指さす。冷凍せずに処理したから美味しい、としたり顔。買わぬ訳には行かぬ。勘定を払い、少し話し込むと別の客が。礼を言って車に戻る。晩飯はゲットした。ナビの自宅に帰るボタンを押すが、出てこない。『俺には帰る場所なんてないのかもな』と、昔、悩んだテーゼをふと思い出すも操作ミス。もう一度、設定し直した。

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南房総へドライブ  その2

 のどかな田舎の道。カーステからJ-WAVEが入らなくなったので、CDに切り替える。適当に持ってきた中で、STONESの『LET IT BLEED』に。ぽかぽか陽気で、少し眠気を催し、窓を全開にして走る。風が心地よい。信号も少なく、右手に海が見えたかと思うと、間もなく正面にも海が見えだした。外房だ。今度は右手に海、左手に線路を観ながら北上。予定では適当に海の幸定食でも食すつもりだったが、食べたら寝る気がしたので、迷う。途中、磯と海の眺めのよい所に車を駐めて、高台から、浜辺はエメラルドグリーン、沖は濃紺の海を眺める。台風のせいか波は高く、磯では白い波飛沫が。タバコは持ってきていない。運転しながらでは、のんびり海を観ている暇が無いので、ぼんやり日常を忘れながら、眺める。潮風が心地よい。サングラス越しに空を見上げると、日は西に傾きだしている。九十九里まで行く気をなくす。あんな所はなんもない。行くのは止める事にした。となると、房総の山越えか、と考えているうちに先を考えすぎている自分を𠮟る。腹も別に減っていないので、みやげ物を買って晩飯にしちまおうという目論みで出発。鴨川、リゾート街。通過。間もなく目前に巨大かつ急峻な緑の壁が現れた。私は目を見張った。様々な緑色が苔のように張り付いている。巨大な盆栽群を真上から観ている様で美しい。そうだ、新緑の季節でもあったのだ。一瞬見とれた後に、無情にもトンネルに入る。CDは最後の曲。『美』が一瞬の感情だとするならば、どんなに焦がれても、人間には決して手に入らぬ物だし、それはある形態として記憶されるしか無いもの。時の流れは無常だと認識し印象に留めるしか無い・・・儚い。トンネルは長く暗く、曲がっているので、出口が見えない。しかし、アクセルを踏み加速するしかない。

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南房総へドライブ  その1

 空がカラッと晴れているので、家にいるのを勿体なく感じ、アクアラインを使って半日ドライブに行くことにした。アクアラインは去年の秋のゴルフ以来。南房総は二十年振り生涯二度目。どんな所だったかは全く覚えていない。高速は風が強く、ハンドルを時々持って行かれた。いつも思うのだが、高速道路ほどつまらない道路もない。ただ走るだけで、気ままに寄り道したり、温泉に入ってみたり、ということが出来ないからだ。なので、内房に入ってすぐに下の道に入る。日差しが強く、ナビが見えたり見えなかったり。とりあえず東京湾フェリーの乗り場の広場に車を駐め、ビワのソフトクリームを食べながら地図でルートを確認。日差しが強く、車中泊のできる気候では無くなった事を認識し、半日ドライブではなく、旅に出た場合どうしようかと首を捻る。いい策が思い当たらないまま、車に戻り、出発。間もなく、右の肩が凝っているのが気になりだした。どこかでストレッチを、と思っているうちに道が広くなり、館山に着いたので左折し、外房に向かう。何故かガソリンが安いので、千円分入れることに。ついでに軽くストレッチ。ここまで釣り関係や東京湾の魚料理の店が多かったが、雰囲気が変わる。道の駅を発見し、入ってみると、千葉の名産の落花生があったので土産に購入。イカとサバの天日干しをしていたが、アジの干物が欲しかったので見送る。ビワが1ダース五千円かよ、と思いながら、缶コーヒーを飲んでトイレを済まし、出発。外房へと向かった。

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docomoショップへ

 朝方の雷の音によって目が覚める。階下に置いていたスマホには落雷情報が載っていた。少しづつスマホに慣れつつあるが、まだ解らない事だらけだ。基本的に余り使わないので、プランを大幅に絞った。その後、アダプタから充電できなくなったので、本体が壊れているのかアダプタがぶっ壊れたのか不明だったが、どちらにしろdocomoショップに行かねばならない状況。混むので出来るだけ行きたくはない場所だ。本来なら今日、赴くつもりであったが、母が右手の腱鞘炎で病院に行きたいというので、昨日の朝、母を送ってからショップへと向かった。車を駐め、ショップが入っている建物が開くのは午前十時。三十分前から待つ。午前十時になったと同時にダッシュ。二番目の整理券だったが、一番目の人が故障相談では無いので、すぐに手続きへ。状況説明の後、ショップのアダプタを繋いでみたら、充電状態になった。これで、問題があるのはアダプタの方ということに。故障応対の人が指摘したのは、プラグの部分の感電防止用のプラスチックの溶け出し。こんなのに気付くかよ、と思ったのだが、もしかしたら、プラグの差し込み口に埃でも詰まっていて、ショートしたのかも知れないと予測。その事は黙っていたが、普通、アダプタの故障は回転するプラグの接触部分の故障か、コードの破損が多いらしい。結局、新しいアダプタと車充電用のアダプタを購入し、一段落。何か納得のいかない所もあったが、母を待たせていたので、ちゃっちゃっと済ませた。帰宅し、自室のプラグを新しい物に替え、アダプタ経由で充電し、一件落着。

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友人の骨折

 こないだの日曜日、小・中・高と一緒だった友人が階段を踏み外し、右足を一本二カ所骨折したそうだ。フェイスブック(以下FB)に右足の写真が載っており、経緯が軽く書かれてあった。私もコメントを送ったが、会社の人やら友人達からのコメントのやりとりでどんな状態なのかが一層伝わってきた。油断というよりも、アクシデントという感じであり、不幸中の幸いは、咄嗟に階段の手すりを掴めたとのこと。日曜日にやっている病院を見付け、治療してもらったそうだ。その日一日は、足を高くして安静にしておくように指示が出たそうだが、それ程、痛みが無いというのも幸いだ。しかし、通勤列車などで不便をしているだろう事は容易に想像できる。大丈夫だろうか。それにしても、FBでこのアクシデントを知った時、一番に疑問に思ったのは、彼はマンションに住んでいるのに、どうやって階段でこけたんだろうか?ということだ。エレベーターもちゃんとある。そこの所が謎である。骨折といえば、私も三年前にゴルフ場で肋骨を二本もっていかれた。よく言われたのは、どうやったらゴルフで骨折できるんだ?という事だったが、寝不足でビールが入り、アイアンを二本持って急坂を上っていたら、足をすべらせてしまったのだ。転げ落ちた。全治二ヶ月だったが、痛みはそれ程無かった。まあ、何はともあれ、今回の友人の件、災難だったが、二日後にはFBに家で晩酌している写真が載っていたので、心配あるまい。

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何で充電できねえんだよ

 スマホを買っても無関心だった私に嫉妬したのか、コンセント→アダプター経由の充電が出来なくなってしまった。電池は減る一方。原因を手繰ると、車のシガーソケットから充電できるか試してみてからそうなった。docomoのねーちゃんに電話しても、docomoショップに行けと言うだけ。不信感が増した。充電するためだけにエンジンを起動するのも馬鹿らしい。USBケーブルで充電することにしたが、いつまで経っても終わらない。一体この脆さは何なんだ、と腹が立つばかり。私はパソコンやスマホに興味は無いのだ。どちらも時間ばっかりが喰われる。イライラしながらblogを打とうとしたら、大学時代の友人から電話があった。私が行った披露宴の中で、最も最近の友人である。娘さんが三歳になるという。年賀状を交わしている数少ない友人の一人だが、一昨年は彼が喪中、去年は私が喪中で、長らく連絡を取っていなかった。スマホの事件を話すと、彼は大笑いしてから、親身になって教えてくれた。それでもやはり、一度はdocomoショップの門をくぐらねばならないようだ。弟が言っていたが、i-phoneの場合だと、相当手間が掛かるらしい。その事を話したら、東京の一等地の話がズラリ。まだ、近場にあるだけdocomoショップの方がマシかと感じた。その後、懐かしい友人達の話をしたが、時間が離れ過ぎていた。寂しさも感じるが、それに対応するのが歳をとることの条件でもある。汚れちまった哀しみを受け入れなければ、生きてはゆけない。

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馬鹿ばっかり

 数日前から友人にメールを送っていた。docomoのアプリの中で彼の勤めている会社があったからだ。彼に利点を聞いても無いと言う。自分の仕事に誇りを持てよ、と言っても、私には正直な所を教えてくれる。あほらしい料金システムなのだ。その友人に掛ける前に、私はdocomoのおねーちゃんと話した。まずは解約手続き。いろんなプランを解約した。二時間ほど掛かったが、一件一件やらねばならぬ非常に面倒な作業であった。スマホとは、一種のパソコンだと私は認識している。しかしながら、OVERなものはいらないという、非常に面倒なものでもある。FOMAを持っていた私には、その可能性が解らない。と言うより、解らなくてもいいし、解ろうとする方が無理なのだ。日経が通常型携帯廃止とすっぱ抜いた時点でスマホを買うことに決めた。買ったその日のgoogleのニュースで、dokomoだけはいわゆるガラケーを扱うという情報が入った。忸怩たる思いだったが、OSはどうなるんだろうか?という疑点だけが残った。幸いパソコンを毎日いじっているので、スマホへの対応も早かったが、逆スマホシンドロームでもある。よく、スマホ依存症の話は聞くが、私は正反対なのだ。スマホアレルギーと言ってもいい・・・それにしても、NTTdocmoの電話でのオペレーター達の質は低かった。言葉が通じないどころか、自分達も何にも解っていない様子だった。勉強不足である。そんな彼女らに、『喝!!』だ。

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古典のまっちゃん

 母校からの手紙が届いた。どうせ募金だろうと思いながらも封を開ける。やっぱりそうだったが、母校の実績は伸びている。嬉しい限りだ。英語の恩師の名前もあった。数学塾から終電で帰り、家に着くと眠い目をこすりながら辞書を引き引き予習していった日々が思い出される。高三の時のことだ。家で寝るのは三時間ぐらい。下らない授業の時には容赦なく寝ていた。書簡を読んでいると、もうすぐ創立100周年らしい。私達の時にも70周年誌を無理矢理に買わされた。久々にその本を開けてみると、私が高二の時の懐かしい先生方の集合写真を見付ける。コイツとコイツとコイツはデクで、などと考えているうちに、懐かしい顔を見付けた。古典のまっちゃんである。早稲田かどっかを出たはずだが、一浪して代ゼミから入ったはずだ。普通、新しい先生が中高一貫の高校のクラスの授業を受け持つというのは、卒業生で無い限り、相当な覚悟がいる。ナメられてしまうのだ。明らかに反抗する生徒もいたが、大概は眠ってしまうのである。まっちゃんが担当した我がクラスもそうであった。あるとき、古典の法則を教える時に、歌で教えるのが一番早い、と口をすべらした。みんなから、歌え!コールの中、まっちゃんは歌った。半分馬鹿にした拍手と歓声で盛り上がった。しかし、それから、まっちゃんの事をナメる生徒はいなくなった。私は関心を持って、まっちゃんの授業を真面目にノートにとりだした。すると、案外面白い。源氏や平家、大鏡、増鏡、その他などをやってくれた。私は、古典の活用形は覚えないのだが、自分なりに解釈した。試験前夜も丸暗記などせず、ノートをパラパラめくっただけだった。試験は授業でやった所からしか出ていなかった。楽勝だった感触があったが、暗記していたわけではないので、当然、アドリブで訳した。それでも93点を取れたとき、まっちゃんは、答案を返す際、「お前、凄いな」と洩らした。『?』だったが、私の答案は他の生徒と異なり、明らかに間違っている所だけが減点されていた。自分なりの訳なので、多分教師泣かせだったのだろうと教える立場になって想像がついた。そんなまっちゃんだったが、何故か一年で辞めてしまった。私としては残念だったが、あの歌声と、黒縁眼鏡と、下手くそがいじったような髪だけは覚えている。愛嬌のある笑顔が忘れられない。お元気だろうか。

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てすとらん

てすとらん。

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自画像

 長年、毎日blogを書いてきたが、何度もピンチに陥った。自分が原因であるもの、他者が原因であるもの全てを含めて。気楽に書くように努めてはいるが、あんまりだらけすぎると、ただの日記になってしまう。用心しながら手探る。基本的に私はblogでは何でも書いてきた。自分が統合失調である事も。そして、そういう薬を飲んでいることも。これは極端な例だが、好きなことを好きなままに書いてきたということだ。統合失調であろうと、薬を飲み忘れる日もある。何ら問題ないのだ。ただ、私は主治医に、幅が広すぎる病名である統合失調という病の定義を尋ねたことがある。主治医は首を捻りながら、閃いたように、『疲れやすさ』と言った人がいる、と話してくれた。なるほどと思った。私は普段は健康体であるが、ある特定の環境に置かれると、何もかにもが嫌になる。薬を飲んで治るというものでもない。九人に一人が精神科に通う時代に、統合失調の患者は百人に一人だそうだ。私の母も、全く異なる症状で統合失調である。単純計算で一万人に一人の計算になるが、私はそんなに甘くは考えてはいない。正直、親を恨むときもある。だから、お前は許してやったと言われれば、死にたくもなる。はっきり言って、家族にさえ理解者がいないのだ。弟には、薬を飲むのは弱いからだ、と言われ、同じ病名の母親からは、blogを金にしろと言われる・・・これが家族か?どう考えても私にはそうは思えない。消えて無くなりたい気分だ。

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我が家の食卓

 夕飯は天さるであった。とはいっても、量が半端じゃあない。天ぷらだけで充分な量があるのに、その上、ざるそばまである。家族三人で食べたが、誰も完食できなかった。なぜこんなに量を作るのかは謎であるが、私は腹八分目を守っている。しかし、昔、友人が来たときに、タンメンを御馳走したら、「お前の家、いつもこんなに食べるのか?」と聞かれたので、「ほとんどが野菜だろ。すぐ腹が減るぞ」と応えたが、確かに食べる量は多いのかも知れない。こないだ行った近所のラーメン屋で大盛りを頼んだが、今ひとつ足りない気がしたので、普通の人に比べると多めに食べているのだろうか。しかも家族三人とも、異常に食べるスピードが速い。また、トンカツなどの脂ものの場合、私は付け合わせの野菜をごはん代わりに食べるのだが、他の二人は、茶碗一杯きっちり食べる。とは言っても、量が多いのは夕飯だけで、朝と昼は適当である。また、母は食物科出身だけあって、料理が好きだ。作る料理もおいしい。しかしながら、母の料理の情熱は、美味しい物をもっと美味しくという方向にでは無く、いかに手抜きして美味しく作るかという方向に捧げられた。複雑な気分だが、料理を習う分には解りやすくていい。何はともあれ、食べられる事に感謝しなければ。今日一日、食育という言葉について考えていたから、こんなblogになったのだろう。

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コンビニとクリーニング屋と

 かつて私の実家近くには、徒歩30秒で行けるコンビニがあった。幼なじみの家でもある。幼なじみは、ここにコンビニを作ったら当たる、と言い、私もそう思っていたので先見性があった。友達を呼ぶ際には、そこを拠点とし、いろいろとお世話になった。競馬新聞もそこで買っていた。二十年ぐらいは流行ったものの、高齢化が進み、バスの乗車客も減ったので、クリーニング屋に変わってしまった。すると、またそれが当たる。安くて早いので、町内で残っているのは二軒だけである。私の家はどちらともつきあいがあるので、バラバラに出している。そう考えてみると、町内で二軒のコンビニが潰れ、一軒のコンビニが残ったことになるが、新たに一軒のコンビニが出来た。そこは駐車場があるのだが、歩行者にとって限りなく危険なコンビニである。私は母に、なるべく近付かないように言っている。道を走っていて感じるのは、駐車場の大きなコンビニが増えたということである。これは確かに入りやすい。地方などでは見かけていたが、トラックも入れるコンビニというのが増えたと気付く。昼頃行くと、コンビニ弁当を食べている運チャンばっかりだ。昔、コンビニでバイトしていた友人は、客からおしかりを受けた。接客態度がなっていないと。遊びに来た私は黙っていた。兄貴分の振りをして謝ろうかとも思ったが、辞めた。そいつの問題だからである。そいつはまた、賞味期限切れの弁当を大学でさばいていたらしい。一緒にいた時、トイレを貸して下さいという女性がいた。そのコンビニにはトイレは無く、断っていた。事情を知った私は、「貸してやれよ・・・;月のものもあるだろ」とだけ言った。それから彼は、女性客にはやさしくなり、間もなくバイトをクビになったそうだ。

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五月の嵐

 私の記憶の中で、五月に台風及び熱帯低気圧が来た記憶は無い。しかも、明日は台風一過、30℃近くまで気温が上がるという。今現在、風雨が強烈な時間帯でもある。昨日行った公園では、新緑から若葉が芽生えていた。私は若葉の香りが好きだ。生命力に満ちあふれ。ああ、まだこの木は生きていると感じるので。若々しさを感じる。逆に、死に木もすぐに解るというものだ。しかし、今日の季節外れの暴風雨でどうなってしまうのかが心配でもある。私個人は、日本は亜熱帯化したと感じているが、識者の意見はどうなのだろうか。天気予報がことごとく外れるといった現状に、かつてのセオリーは通用しない。五月にこれだけの台風が来るのは、前代未聞なのではないか。気温の変動にもついてはゆけない。家屋の中から外を伺うに、確かに南風がひどい。車の走る音もしない。丘の上の我が家は、水害の心配は無いが、谷間の河川などはどうなっているだろう。風が荒れ狂って、雨と共に雨戸を叩く。おいおい、まだ、五月の半ばだぜ、という気分にならざるを得ない。しかも、台風一過で熱波がやって来るというのだから、参る。五月で30℃なぞ聞いたことが無い。ここ数年、地球上で巨大地震が頻発しているということも気になる。根拠として、惑星直列や太陽の黒点運動の激化を唱える説もあったが、温暖化以外にも、それもあると思われる。今の地球君には何が起きても不思議ではない。ここ数十年で気候が大きく変わった。人間が順応できるのか試されているようなものである。

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ポピー園に行くことで和解

 目覚めたら、blogを書いた記憶が無かった。慌ててパソコンを立ち上げたら、書いてはいた。しかし、内容がひどすぎるのでかなりヘコむ。これは、歯医者の定期検診が終わったら、母の日のプレゼントの仕切り直しをしなければならぬと痛感。外房では無いが、ネットで見付けたポピー園に行くことに。ナビに入力して向かったが、日差しが強くてナビがほとんど見えない状態ながらも、一時間位で到着。昔、親父と来た時には、桜の季節で、ポピーでは無く、菜の花しか観られなかったそうだ。およそ十年振りとのこと。どんな所か見当もつかなかったが、入園料はタダ。確かにいろんな花が咲いている。坂が急だなと思っていたら、乗り合いの乗り物があるので乗車。私はてっきり一周して元の場所に戻ってくるものだと思っていたが、片道だけである。帰りは徒歩だ。この時点で母が帽子を忘れたことに気付くが、後の祭り。高低差の激しい道を花を見ながら歩く。峠を越えてしばらくすると、花が密集している窪地に降りる階段があった。階段の上から観る景色と、降りてからしばらく歩いて振り返ったアングルぐらいしか見所が無かったのが本音である。入口広場でベンチに座っていると、行きに乗車した乗り物が戻ってきた。母が車掌に落とし物の帽子について尋ねると、運良く見付かる。駐車場を出て家路に就くと、「もう一度来る気はしない」ということで意見が一致。まあ、いい運動になったというのが結論である。高速を使って帰ったら、あっという間に帰宅。わざわざ行くほどの所では無かったと反省会。いい日光浴にはなったが、マヌケな感触だけが残った次第。

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忘れかけていた母の日

 5月10日が母の日だとは、ずっと前から意識していた。カーネーションを送りたい所だが、今年は止めにした。その代わり、藤の花のスポットを二往復半した。それでも母は曰く、「まあまあね」と。多分、お袋には満足という概念が無いのだろう。何でも比べるのだ。こういう親の元で育つときりが無い。私は産まれてから、一度も褒められたことは無い。褒めすぎるのも、どうかと思うが、文句ばかり聞かされるのもどうかと思う。彼女は何も解っていないだけなのだ。勉強が出来なくて文句を言うのならまだ解る。しかし、そうではないのだ。女の欲望とは限り無いものだと気付く。そうなると、どうでもよくなる。適当になって、ごまかすのだ。確かに勉強も大切だが、それ以外に重要な事が人間社会にはある。そこの所を見せないように人は育つ。自分に出来ないことをい押しつける・・・これ、最低。しかしながら、私の暮らしの中では当たり前のことだった。勉強が出来ないなら出来ない人なりの悲しみが、逆なら、もっと強い悲しみがあるものだ。席次順に並べる塾の中で、私は疑問を感じた。塾講師の暴力のために、殴られた友人の授業をボイコットしたりもした。大体、いい大人が小学生を殴る事に腹が立った。生意気とかそういう次元の問題では無い。卑怯なのだ。なんぼ東大出ようがおかしい奴ばっかりだった。まあいい。昔の思い出だ。神よ、我々を正しい方向に誘え。それが役目だろ?

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強欲ババア

 限りなくインサイダー取引に近い過程で株を売った親戚がいる。夫は銀行員。「一番高い値で売ってやったわよ」と自慢げに話していた。80年代のバブルの末期の話である。夫は死んでいた。葬式に参列した記憶がある。香典だけで1000万以上。長い葬式だった。あれから20年。一日に三回寿司を食いに行った伝説はともかく、子供が皆、駄目になった。長男は、私の母親の名前を出して、就職。課長になれなくてノイローゼになったそうだ。長女は長女で、大学時代遊び放題。『平安時代の貴族の恋愛感情について』みたいな題目で、卒論としたが書けずじまい。最後は親が書いたとか。それで留年。親のコネで入る予定だった銀行にも入れずじまい。不思議に思うのは、平安時代の~というテーマだったが、私だったら、小野小町の一首で始まり終わる。要するに、その兄姉は、コネを使って入ったに他ならぬ。私だったらプライドが許さない。妹は×2。世界中を遊び歩いた末のことである。子供は小学校留年。バグダッド大学を出たというダンナにふられた。いい歳である。祖母が6月10日に他界したとき、一番喜んだのは、一日に三回寿司を食いに行った強欲ババアである。葬式に入ったが、相続問題の時、私は、母に、その会には出席するなと言った。ハンコを押すなと。意地である。結局、因果応報の原則によれば、私の家系の血筋は絶えることになる。そうしたくはなかったが、やむを得なかった。お金というのは恐い。人を変える。幸せさえ見失しなければこんな事にはならなっかっただろう。ナムアミダブツ。

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般若心経論

 私の祖母の弟に当たる叔父さんは、強欲だが信心深い。長年、般若心経を研究されてきたそうだ。叔父様は、『無』と『空』は一緒だ、とのこと。確かに、般若心経で一番多く使われている文字は『無』である。しかし、私はこの言葉に違和感を覚えた。その事を聞いたのは、ヒンズー教の聖典、『バガバッドギーター』を読んでいた頃だと記憶している。なかなか面白かったが、全体像は掴めなかった。まあ、ヒンズーはどうでもいい。般若心経を漢文として読んでみたら、どう考えても、『空』の概念を説明するために『無』という言葉が使われているようにしか受けとめられないのだ。この、『空』の概念というのは、仏教上、結構重要で、一言では説明できない。だから、般若心経があるのだ。言い換えれば、『空』は無敵である。しかし、そうもいかないのが人間社会。いろんな人がいる。最近は、『因果応報』という言葉が恐ろしくなってきた。いい事であれ、悪いことであれ、必ず人は報いを受けるように出来ている。だからといって、念仏を唱えていれば救われるというものでも無い。行い次第なのだ。私は、es細胞やらips細胞ができたことに脅威を感じる。絶望もした。フィクションでは無いのだ。倫理がどうのこうのと言っても、一人のマッドサイエンティストによって破壊される。私のテツガクとして、人間は死を受け入れる為に生きているのでは無いのだろうか、という信念がある。コインの裏表の様に。その中で、人は弱いものだから、皆、何らかの信仰を持つ。私の唱える般若心経は信仰のようで信仰では無い。いつも、考えながら唱える。そこに救いは無い。現実が待っているだけだ。迷いながら唱えるお経というのも、それもいいではでは無いか。所詮、生きているものが冥界に口を出すのは烏滸がましいことだからである。許せないのはクソ坊主である。

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仏画と向き合う

 足下を見つめ直すべく、故祖父母、父、に経を捧げ、仏画と向き合う。

 

  迷いがあるから見失う

  とらわれるから見失う

  落ち着け

  自分にしか出来ない何かがある

  それは己の内にも外にもあるものだと気付く

  さあ、また、歩き出そう

  希望を持って

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別れの時

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非日常

 親父を殺したのは誰かの罵り合い。俺は黙ってた。言った奴は気休めにしかならないのに・・・こんなの家族じゃあねえ。

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深夜のドライブ

 がんじがらめの枠に縛られている自分が嫌になって深夜のドライブ。誰もいない場所に行きたくなり、そこでいろいろと考える。帰宅。ドッと疲れが出た。

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五月病か?

 ここのところ、ぐっすり寝たという実感があまりない。寝ても二時間位で目が覚める。やたらと夢を観る。一日に三回ぐらいこれを繰り返す。当然、疲れが取れない。頭は働かないし、体は重い。時計の針が進むのを、やたらと早く感じる。目を覚まそうと伸びをしたら、足の筋肉がつる。気持ちが乗らず、何か自分が倦怠感の塊になった様に感じる。このままでは駄目だと解っていても、パワーが出ない。頭がレッドゾーンまで入らない。元々長眠派で、よく寝る代わりに、起きている間はフルに行動していたのになあ。気合が空回り。今一番望むことは、あらゆる通信手段からの解放。こういう場合、現実逃避の旅に出るのがベストなのだが、今月は、実は忙しい。夜の静寂、なれど集中しきれない。苛立たしくて、煙草に火を点ける。食欲不振。24時間以上、何も食べてない。来週の今日は歯医者だ。嫌だな。ディスプレイを見るのも嫌だ。なのに、その時間は増える一方。溜息をつきたくなる。肉親への不信感。抱きたくない。スマホ。パソコンよりもたけえじゃあねえか。こんなもんいらん。積み重ねられた本。今にも崩れ落ちそうだ。傷つき、傷つけ、心はボロボロ。こんなの文章じゃあねえ。書くのが嫌だ。ああ、俺は一体どこに行こうとしているのだろうか?これを打ち終わったら何か食べよう、と思っても、この時間、カップ麺ぐらいしかねえ。軽いめまい。栄養失調だな。もう一度、眠ろうか。眠れたら。こんなにテンションが低い日も珍しい。五月病か?なんで?

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詩人は辞める

 とにかく疲れ切っちまったので 詩人は辞める

 特別、恋もしていないので   詩人は辞める

 なごる様な真似はしたくないから 詩人は辞める

 いくら書いても納得できないので 詩人は辞める

  嘘ばかりの世の中と自分とお前に愛想が尽きた

  お前がたくらむ度に悲劇は起きただろ

  いつも親父の出番だ

 キスマークの入った高級な紙と万年筆を与えられ

 一日中、夢中になって書いた事もある

 誓って言うが、あれはラブレターなんかじゃ無い

 しかし、俺は、最初から最後までピエロだった

  こんな自分でいいのかと激しく内省した後

  俺は旅に出て自分を見つめた

  何かを変えなければ・・・

 今でも思う きっと 二人の気持ちは一緒だったんだろう

 光学異性体の様に 性別だけが違い そっくりで

 妄想は化け物のように膨らんでは萎んで

 俺もお前も 解らぬままに 互いと自分を裏切り続けた

  それでも楽しかったと思う 心からロマンスをありがとう

  君の様に 『あいのことば』なんて繰り返しばかり

  それでも全部、眼を通している

  それでいいじゃあないか

  互いに大切な事 抱えてる

  若いまま 歳をとればいい

 だから 俺は 辞めたくても 詩心が 気迫が 言葉が 教訓が

 今日も頭をよぎるんだよね

 

  肝心なことを書き忘れた 

 運と欲望は反比例するから気を付けて

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独りでやれ

 遠くで族が走っている音がする。族とは、もちろん暴走族。現在、5月1日(金)の午後11時過ぎ。5月2日(土)のblogを打ち始めた所だ。5分以上経つのに、まだ喧噪が続いている。族もG.Wで張り切っているのか。それにしても、いまどき、まだ大規模な族の集会が開かれているとは。かなり久し振りのことだ。族は確かに厄介だが、時には何もかも忘れて、暴走してみるのも爽快だろうな、とは感じる。しかしやらないのは、明らかに迷惑だからだ・・・二十年以上前、深夜に友達の車に乗っていたら、対向車線になぜか無数のライトが見えた。『族だ』と気付いた瞬間に、運転していた友人と、車を車線の端に駐めて、刺激しないようにした。下手に車に何かされてはかなわないからである。小さな族で、何事も無く済んだが、不愉快極まりなかった。ドライブでさえこうなのだから、仕事で運転している方ならブチ切れたい所だろう。私独りの時にも、バイトの帰りに族の信号止めをくらったことがある。その時も、アクセル全開で突っ込んでいってやりたいほどの怒りを覚えた。他にも、ドリフト族に巻き込まれた事もあるが、奴等も迷惑だった。山道を原チャリで走っていると、後からもの凄い音がしたので、慌ててエンジンを切って路肩に駐まると、ケツを振りながら、何台もの車がドリフトをしまくっていた。あの時は土曜の朝だった。事故でも起きたかと思って駐まったのに、奴等は遊んでいやがったのだ。一つのコーナーで二十代ぐらいが列をなしてドリフトして終わるとUターンして立て続けにやる。ギャラリーでも無いのに、絶え間ないので移動できない。タイヤのこすれた焦げ臭い匂いをよけながら、こいつら、よくタイヤの維持費が持つな、と思った。イライラしたのは言うまでもない・・・どちらも、問題なのは、『族』であることだ。やるんなら、独りでやれ、と言いたい。

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新冠のユース  夜の座談会

 座談会の冒頭、ユースのオーナーさんが、「私の知っていることなら、何でもお答えします」とおっしゃって下さったので、その方が詳しいことを悟ったのか、少しの間が空いた。突破口を開こうと、年長の私が口火を切った。「基本的な質問ですが、ディープインパクトほど皐月賞を楽勝した馬をご存じですか?」と伺うと、オーナーさんは、「一概には言えませんが、私の記憶には無いです」とおっしゃった。二人が黙っていたので、続けて、「あのレースを勝った後の武騎手が指を一本挙げたパフォーマンスは、岡部騎手のシンボリルドルフの時が元祖ですよね。夏を超えて淀の3000mの菊花賞があり、伸びる馬もいると思うんですが、ベテランの一流ジョッキーは何を根拠に判るのでしょう?」と聞くと、オーナーさんが、「難しい質問ですね。私はジョッキーじゃ無いので、はっきりとは言えませんが、やっぱり、それまでの経験からくるんじゃないですか」と応えたので、「ディープに初めて乗った時の武騎手が、あっ、お化けだ、と言ったといいますからねえ」と私は黙って首を縦に振る。他の二人に話に参加してもらいたく、話題を振ろうと思ったが、二人とも真剣に聞く姿勢。仕方が無いので、「武騎手ぐらいの年齢の時に同じぐらいタッパのある田原騎手は引退しましたけれど、歳と共に減量がきつくなる中、武騎手は引退を考えているんですか?」と質問すると、「武騎手は現役を生涯続けて、調教師になる気は無いとのことですよ」と聞き、驚き、「他には?」と聞くと、「アンカツさんもそうらしいです」と教えて頂いた。また、黙って首を縦に振り、他の二人を待つ。が、二人とも来ないので、もう、無理矢理、二人向けの話題を振った。三人の好きな馬を話し、「トウカイテイオーは厳しいと思うんですけれども、血統学的にサクラローレルとステイゴールドの産駒の将来性はどうでしょうか?」と話すと、オーナーは、「三頭とも血統としては魅力的な馬ですが馬齢の問題もあります。種牡馬として成功するかどうかというのは運もありますし・・・」と応えられたので、私は再度、黙って首を縦に振った。二人とも言葉を発する気配が無い。このままじゃあ、私とオーナーさんの会話で終わっちまうな、と感じた私は、オーナーさんだけで無く、他の二人と話題になりそうな話を軽くして、「すんません。眠くなってしまったので」と言って部屋に戻った。他の二人も聞きたいことがありそうだという眼をしていたので。寝てしまった私は、その座談会がいつまで続いたのかは知らない。ただ、翌朝、四時半頃に目覚めてしまったので、庭のベンチで一服し、談話室で音量を下げてビデオを観ていた。見終わっても時間があったので、その日の予定を大まかに決め、「夕べはお先に御免」と言って、三人で朝食を頂き、ユースの方々にお礼を言って、一番遅い出発で、ある牧場に寄って、バターを購入しようとしたが、売っておらず、仕方なくソフトクリームを食べ、生まれて始めて馬に乗り、ニンジンをやってから、帯広のユースを目指して出発。新冠の旅の思い出である。

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