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厄払い

 元来なら、私は物事にゲンを担ぐタイプなのだが、拘泥し過ぎて裏目に出るのも嫌なので、占いやらおみくじといったものなどは、遊びの範疇に過ぎないものであった。他力本願では無く自力本願という仕組みが思考の基本をなす。何事も誰かが勝手に決めたこと故、根拠の無いものには、どうでもいい姿勢を貫いていた。その代わり、その根拠をしっかりと自分で納得できれば、大変信心深い一面も私にはある。仏壇を毎日拝むのも、ちゃんと自分の中に培ったものがあるからでもあるのだ。宿命論者であるというのも、長い目で観ての話で、その方がモデルとして美しいからという、自分なりの人生観の様なものである。その上で、自分一人の力ではどうしようも無いことというものが世の中にはあるという事、及び、その時の自分には解らないけれども、真剣に神仏などにすがる祖母の姿には何か意味があると、心の中で直感していた幼少の自分がいた事などは、自分という人間を掘り下げる上で欠かせない。ここで心理学を絡めて考えると、などとやっていては、面白そうだが埒が明かない・・・金を取る祈祷というものは、自分のためにしてもらったことが無かったが、昨日、親父の墓参りに行った帰りに、ひらめきに近い感覚で、厄除けの祈祷をしてもらった。本厄の今年が、余りにもひどい一年であったからである。別に心の安寧が欲しかったわけでも無いので、本能的としか言いようがない。たったあれだけの神事で運が開けると思うほど甘くは考えてはいない。ただ、厄年というものを甘く考えていた自分がいたのは確かである。こういう時は、もがかずに浮いているだけでいい。その確認のようなものだった次第。

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