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2014年12月

大晦日(ぼんやり眠い)

 今日で本厄も終わりかと思ったら、起きたての腰痛で苦しむ。面倒なことはしたくないなと思っていたら、午後まで眠る。未だ腰は痛い。6日まで用事がないので、安静にしていようと思うも、風邪気味。普段、はたきなど掛けないお袋が、窓も開けずに部屋をホコリまみれにして、掃除機を掛けた時には殺意さえ覚えた。風邪気味だから勘弁してもらいたいものだ。駄目な母親に駄目な息子。嫌気が差す。すでに四十を超えてしまっては、年の暮れとはいえ、何の感慨も無い。人を捨て石みたいに使う母に、何も思わない。金を貯めて、こんな家、早く出て行きたい・・・というのも、口喧嘩をしたのだ。わめき散らす母、黙って聞いている私。平気な顔をしてふざけたことを言ったので、未だに口を利く気にもなれない・・・私の親父は、私が35の時に死んだ。8年間の闘病生活の末にだ。私は30代を犠牲にした。その代わり、親父から、多くを学んだ。面倒なのはその後。親父という絶対的な家長をなくして、母親がその立場に立った。無茶苦茶な状態が続きっぱなしだった。3.11の時など、何度かおかしくなった。訳の解らない不満と因縁を私にだけぶつける。どれだけ迷惑したことか。「そんなに俺にばかりストレスをぶつけるのなら、誓約書を書くから、殺してくれ」とも言った。具体的な結果(金)を出さないと、カヤの外なのだ。今日も好き放題に言ってくれ、わめき散らし、思う存分、私の胃を痛くしてくれた。私など子供のうちに入ってはいないのだ。TVが友達ならば、好きなだけ見ればいい。しかしながら、私は小学生の時から、観たいTVも観ずに、こんな馬鹿の期待に応えるために勉強していたのかと思うと、馬鹿馬鹿しくなる。勉強を強いたのも母だ・・・思うのだが、自分に出来ないことを、変に子供に期待を掛けて強いて子供を歪ませる。利用価値が無くなったら、ストレスのはけ口にする。こんな無茶苦茶が許されるのだろうか?既に私には、家に居場所が無い。死にたい。

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思わぬ贈り物

 弟の仕事も一段落着いたらしい。ボーナスが出たとのことで、自分用と私用に缶ビールを買ってきてくれた。しかし、残念ながら、昨日は休肝日。今日頂くことにする。他にも、「母と私で旨い物でも食べてくれ」と、母にお金をプレゼントしてくれたそうだ。また、肉屋に勤めているということもあり、売れ残った肉を大量に持って帰ってきてくれた。肉の値段が上がる一方の中、ありがたい差し入れである。私と母は、弟の子供にお年玉を用意して待っていた。弟の長男は、高校受験を控えている。一年前までプロ野球選手になりたいと言っていたらしいが、ここに来て猛勉強しているらしい。次男の方はまだ小学校の三年生だが、こないだの日曜に弟と舟釣りに行ったそうだ。結果はボウズ。「単に寒いだけだったよ」と苦笑いしていた。私は川釣りには故父とよく行ったものだが、海といえば、磯釣りはしたことはあっても、舟釣りは、小学校時代に瀬戸の祖父に連れて行ってもらったぐらいだ。釣り自体は好きなのだが、しかけを作るのが、どうにも面倒で気乗りがしない・・・さて、頃合いは年の瀬、風邪気味だったが、気合で一日限りで治した。年が明けたら明けたで、また忙しくもなる。とりあえず、年内の用事は全て済んだ。しばらくはのんびりさせてもらおうか。

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休肝日の使い方

 酒に酔えない歳になった。シュールに現実を受けとめれば受けとめるほどに。そんな私が週に二度、休肝日を作ったのは、単に肝臓を健全化するためである。もう、酔う歳でも無いだろ?と自分の中の誰かが言う。今日がその日に当たる。親父はいつまで経ってもガキみたいな所があった。典型的な末っ子である。酒も煙草も止めきれずに若くして死んだ。尊敬する親父だったが、家では隙だらけだった。というより、羽を伸ばしたいだけ伸ばしていたのか?度重なるがんの治療で疲れ切っていたのだろう。正直な所を言うと、ポテンシャルは親父の方が高い。しかし、親父も私のことをそう観ていたはずだ。決定的な差は、決断力、もしくは忍耐力の違いだろうか。決めたことを守り抜くということにある。休肝日と決めた月、木には一滴も入れない。その為の思考回路として、辛い、とは思わず、休肝日にしか出来ないことを探す。私の場合、多い時には百冊ぐらいの本を並行して読んでいた。しかし、酔ってしまうと、その時は覚えていても、一晩寝ただけで、忘れてしまうのである。歳もとり、やみくもに本を読みあさる時代も過ぎた。現在、三冊ぐらいの本を精読しているが、ややこしい物ばかりである。それらを休刊日に、集中的に読むのだ。記憶は全て連続性を持つ。これは楽しい。しかしながら、義務化してしまうと、面白みに欠ける。この、面白みというのも不思議なもので、自由がないと生まれてはこない。これについてのんびり考察してみるのもいいものなのかも知れない。肝心なのは、物事を窮屈に考えないことだ。後は少しの我慢で済む。有意義な一日が待っていると考えるだけでも、ワクワクしてくるではないか。このように、しんどいことでも、前向きに考える力というのも、捨てた物ではあるまい。たったそれだけのことで、日常生活を観る眼が変わってくる所も面白い。案外、生き方の秘訣というのも、こういうところに隠されているのかも知れない。

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敏感

 心配しなくてもいい。

もう、君の歌は売れないから。

言いたいことは山程あるが

これ以上、何かに頼るのは辞めた方がいい。

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『都合』

 似かよりすぎた 君と私は

いつの間にか 何かの都合で

どうでもいいようなことに拘りすぎて

いつしか 異なる道を歩むようになった

 

 どうして?何で?と顧みても

単に、お互い、プライドが高すぎたんだんだね

現に、誰を意識して書いているものかすら解らない

大切な思いは崩れ去り 塵芥となって消えた

 

 せめて、貴女が貴女らしくいられることを願う

僕は、歳月が過ぎ、余りにも変わりすぎた

「難しい人ね」と言われたのも10年以上も前

きっと、人を疲れさせてしまうのだろうと自省する

 

 似たもの同士の二人には きっと、今、何も無い

それでも、お互い強く生きてゆけるよう

冷たい北風の中 力強く舞うカモメに憧れた

十六の学生が 独り旅 寒い日本海を歩く

 

 きっと、本当の事なんて 何も無いんだ

お互いに 嘘ばかり作っていたような恋だったから・・・

 

 都合が都合を産み出して 本音はどこかに行ってしまい

それぞれの事情があったにせよ 逃げるべきでは無かった。

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歯磨きの習慣

 五回目の歯の治療に向かう日が今日である。初回の時に、怪しい歯は全て治して欲しいと依頼したので、通い始めてもう二ヶ月弱になる。別に、これといって痛い歯は無いので、暢気に通っているが、年を越すことになるとは思わなかった。近所なので歩いて通っていたが、前回と今回は用事があるので、車で行く。前回は治療後、親父の墓参りに、今回は、大掃除で私の部屋の布団を干し、窓を全開にするというので、この寒い中、かなわんということで、治療後、ガソリンスタンドに行ってガソリンを入れ、ついでに洗車もする予定だ。いわば、車の大掃除みたいなものである。駐車場が三台分しか無いので、朝一番に行って、待ち時間には本でも読んでいるつもりである。現在、三冊を並行して読んでいるので、どれを持っていこうか悩む。コンパクトな本にするつもりであるが、どれも好奇心をかき立てられている。ところで、歯医者という所は、急患も結構いるようで、予約無しの駆け込みが二度あった。また、こないだ、少し古くて固めなキシリトールのガムを噛んでみたら、左の奥歯の歯茎の部分に違和感を感じたので、歯茎をマッサージしながら磨く習慣を自分のものにする事にした。現在では、食後に歯を磨く癖が定着。これは今後も続けていくつもりである。また、他に思ったことと言えば、歯医者の予約を取る際に、これからは休肝日である月曜か木曜にしてもらおうと思った位か。と思ったら、木曜は歯医者さんの方が休診日である事に気が付いた。朝9時からの予約なのに、現在、未だ午前3時前。眠いので寝直すことにしようか。

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『13歳のハローワーク』を読んでみて

 『13歳のハローワーク』は実は名著なんだと聞いて、読んではみたものの、私にとっては駄作であった。もちろん、改訂版の方を読んだ。改訂版は前書きがしっかりと間違った道で、説得力溢れるように書いてあった。様々なことが数学の証明のように書かれてあったが、筆者は致命的なミスを犯していた。『金』が目的であってはならないと書いてある。金では買えないものの一例として、『信頼』を挙げて細かに書いていた。一方で、『地位や名誉』を得るために仕事を通じて、社会と関わり合う大切さを説いている・・・矛盾である。実際、現在働いている人の1%も、地位や名誉など得てはいない。家族を養うために、金を稼ぎ、我慢しながら働いているというのが現状だ。前書きを読んだだけで、これだけの疑問符が付くのだから、中身はあってないようなものである。採り上げている職種が少なすぎる。その割には具体的な職種が書いてある。これは、筆者の偏った主観によるものであり、現実社会に対して地に足が着いていないと言っても過言では無い。私から言わせれば、そもそも、人生にセオリーなんてものは存在せず、流れ着いた先に、待っているのが仕事である。向いているかそうでないかなど、自分で決められる人は少なく、みんな屈辱の中で、歯を食いしばりながら、『金』を稼いでいるのだ。それに誇りを持てるかどうかは、第三者の言うべき所では無い。それから、この本は、総合力に欠けている。様々な職種を半ば断定的に書いている。具体的には、対象の13歳に対して、科目ごとに向いている仕事を挙げている形式だが、人生なんて何が起こるか解らないのだ。トータルで考える人の方があらゆる面で伸びやすいということも欠落している。それに、13歳という初めてティーンエイジャーになった年頃というのは、悩みが溢れかえる年代でもある。大人が考えるほど、単純でも無い。純であればあるほど傷つく年代だ。そういう年頃のいわゆるガキどもの、考えるヒントにもなってはいない。一言で言うと、将来、働きアリになるためのHow to本に過ぎない。それ程にひどい悪著である・・・まだまだ言いたいことは山程あるが、こんな事を書いている時間がもったいない。ゴミ箱に放り込んでいい一冊である。

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意図的なる節煙

 一日に五十本以上の煙草を吸っていた私が、禁煙に向けて節煙している。多い日でも一日十五本、少ない日は二日で一箱といった按配だ。基本的に外出時には持ち歩かない。無意識のうちに火を点けるのを止めるために、煙草の箱を視界から消す。家で携帯灰皿を使うなどの努力により、以前の三分の一に喫煙量が減った。最近では、朝目覚めてから一服すると、頭がクラクラするようになった。医療関係者に言わせると、煙草は百害あって一利なし、といわれるが、喫煙者から言わせると、煙草はストレスの発散にもなる面は否めない。それでもやめようとしているのだ。禁煙した友人は、高価なジッポまで捨てたという。しばらくは、夢の中に煙草を灰皿一杯に吸った夢などが出てきたそうだ。でも、彼は完全に断ち切った。私に出来ないはずが無い。一方で、節酒にも努めている身としては、同時にやめると絶対に反動が来ると思っている。だから、節煙、節酒なのだ。節煙はもちろん禁煙に向けたものである。これ以上減らすとなると、まずは二日で一箱、次には五日で二箱という按配で減らしていかなければならない。節煙にしろ節酒にしろ、一番の方法は外出してしまうことである。退路を断つことなのだ。節酒にしてみれば、休肝日を月、木と決めた。いずれにせよ、節酒と節煙を同時に始めるのは、非常に辛い。下手をしたら、どちらも失敗する。バランスを考えながらやらなければならない。

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意図的なる休肝日

 これまで、意識的に禁酒をしたことは何度もある。長いものは半年ぐらい続いた。こういう時は、何となくお酒が無くても平気な状態が常態となる。気が付いたら飲んでいなかった、という感じだ。別に苦にもならない。しかし、昨日は違った。本来、お酒が好きな私が、飲みたいと思う日に、あえて干した。歳も歳だし、月曜日を休肝日にしようと決めたのである。もし、昨日という日に出来なかったら、私は一生涯、酒の奴隷になるであろうという思いが私の意志を強くさせた。また、何かやりがいが無く、これ、という決め手が無い、中途半端な自分を変えたくもあった。私の場合、朝、目覚めてから、その日一日の主な計画を立てるのであるが、昨日は、ため込んでいた未読の本を読むことに決定。中でも、毎日読んでいる般若心経について、勉強し直すことにした。私は、高野山の金剛峯寺で購入した『般若心経は語る』という本を10年以上前に読んで勉強したのだが、今回は親戚の叔父さんから紹介された、岩波の本を精読。この本の方が事細かに注釈が点いており、様々な考察がなされているという点では、より学術的であった。一気に読み上げた頃には、何か、胸の中のモヤモヤ感が消えていた。その他、少しづつ何冊かの本を同時並行的に読んでいたら、一瞬で時間が経過。この間、仏間でお勤めをし、母と二人で、祖父母の話などをし、夕食の準備を手伝っていた。炊事をするには水の温度が冷たすぎて、手が少し乾燥肌気味でもある・・・話を元に戻すと、意図的なる休肝日は、結構、充実したものであった。そう考えると、決して悪いものでも無い。

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免許更新  その2

 教材を渡され、講義が始まった。この五年間で法改正された項目のうち、際だって変わった、自転車の通行区分についてが主たる内容。最初に、自転車は路側帯を左側通行しなければならない、という説明を受けた時に私の右手が挙がり、質問。「路側帯が片側にしかない場合はどうなるのでしょうか?」と聞いた。まさにそういう道を走って来たからである。教官は、「後で説明します」と返答。自転車の項目についての講義が続き、途中で、路側帯が片側にしかない場合は、左側通行が優先で自転車は車道を走らなければならないとの説明。以前から思っていたが、狭い道が多い中、自転車が車道を走ると、運転しづらくて仕方がなかった。続いて、Uターン禁止でなければ、右折信号でUターンしてもよくなったことや、ロータリー式の交差点ではロータリー内の車が優先で、ロータリー内は全て左側通行であることが説明され、講義は終了。その後十五分間、交差点での注意点や危険予測についての映像を観て、講義終了。免許は即日交付ではなかったので、再び取りに来るのが面倒だった私は、千円払って郵送を選択。郵送した方が早く手元に届くということもあった。古い免許は隅がカットされ、新しい免許証が来たら自分で破棄する事を知った。ICチップなどがどうなっているか分解するつもりである。その後、帰宅し、もらった教材に眼を通すと、飲酒及び酒気帯び運転の罰則が強化されていることが印象的だった。酒気帯び運転でも一発で免取りになってしまう。要するに、二日酔いに相当注意しなければならないという事だ。お酒が好きな私としては、厳しい世の中になったことを痛感。まあ、飲酒運転などしないが。晴れてゴールドカードになった事だし、今後も一層、安全運転に努めたい。

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免許更新  その1

 六年と三ヶ月前に、近所の本屋で接触事故を起こしてから、ずっと無事故無違反で過ごしてきた。若い頃みたいに、スピードに狂ったりとか、傍若無人な運転をしなくなった。むしろ、譲り合う運転に変わった。車を頻繁に運転しなくなった、というのも大きい。これは原油価格の上昇に伴う、ガソリン高で、趣味の中からドライヴを消したからだ。それで、晴れて、生涯二度目のゴールドライセンスの条件を満たし、近所の警察署で手続きをすることとなった。証明写真を撮るのが面倒だったので、電話してみると、署内で撮ってくれるという。しかし、近くの警察署で安くやってくれるのはいいのだが、どうしても警察署に赴くというのは苦手だ。悪いことなどしていなくても窮屈なのが嫌だ。また、視力検査の際、メガネが合うのかも懸念していた。しかし、まあ、講習も30分で終わるのだから、と出かけた。署内に車を駐め、寒い朝だったので、ジャンパーを着て手続きをした。最初のおばちゃんは、典型的なイライラ公務員で、質問すると皮肉が返ってくる様子だった。『この人、幸せじゃあないんだな』と思いながら、次の窓口へ、そこの人は親切な方だった。用紙に印紙を貼り、写真代を払い、その後のことを、細かく説明してくれた。指示に従い、写真を撮るべく係の方に誘導された。署の裏の、小さな空き部屋である。アドバイスに従い、写真を撮ってもらった。その後、視力検査。いつものメガネで、多少ぼやけていたものの、一発クリア。そして、講習へと向かった。と言っても、ちゃちなものだが、教官がいた。

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謎の胃痛  (胃カメラ編)

 麻酔薬はキシロカインというスプレー式のものを喉に吹きかけられ、それをゴクリと飲めという(故父が舌がんの放射線治療の後、歯がボロボロになり、キシロカインを口の中にまいてから、食事を採っていた。ちなみに、余り効かない)。痛みは覚悟した。次に、寝かされ、楽な姿勢の指示とマウスピース。もう、まな板の上の鯉状態だった。胃カメラが入ってくる。喉の辺りで二、三度むせたが、後は大したことは無かった。胃カメラのチューブを観察すると、50cm以上入っているのが判る。時々、シャッターを切る音がする。結構な枚数を撮るんだなあ、と思いつつ、看護師さん達に励まされる。十分ぐらい経った頃であろうか、胃、十二指腸、食道の検査が終わり、一段落。何も吐かないままに、終わり、私はケロッとしていた。看護師さん達が、ゆっくりでいいから、と言う中、診察台からひょっこり起き上がり、サンダルの紐を結ぶ。私が画像を見るのは一週間後になるのだが、胃カメラ室を出ると、先生がモニターを見た感想を述べてくれた。胃も食道も問題なし。強いて言うなら、十二指腸の辺りが、少し炎症気味。つまり、私の胃痛の原因は、胃カメラを飲んでも解らなかったことになる。最悪のケースではなかっただけに、その事に感謝。それから、私の検査に立ち会って下さった先生に感動。一週間後に来なさいということで、私はその日から一週間、アルコールは一滴も飲まなかった。食事も、おかゆとかうどんとかパンやバナナで済ませていた。胃カメラよりも、その方が窮屈だった。幸い、あれだけひどかった胃の痛みも二日後には取れ、様子を見ながら食事も徐々に元に戻していった。一週間後に通院した時には、いつもの自分だった。血液検査をし、数値が全て良くなっている事を知った時には、嬉しかった。胃カメラの映像もその時初めて観た。先生が、三十日分薬を処方して下さると言った時、私は、常備薬としては飲みたくはない、という旨を伝えた。先生も考えて下さり、半分飲んで何ともなかったら、そこで打ち止めてよい。また、痛くなったら、いつでも来なさい。とおっしゃってくれた。私は頭を下げた。すると、「血液検査の結果、甲状腺の数値だけが引っかかっているんだよね。念のため、推薦状書くから、調べてもらいなさい」と言われ、私が首の辺りを指さしたら、「そう。あくまでも念のため」とおっしゃるので、仕方なく、「解りました」と返事。甲状腺を指摘されたのは初めてだったが、年明けに予約を入れた・・・今回の件、あれだけ熱心に観てくれた先生には頭が下がる。私より年下ぐらいの男勝りの女医さんだったが、独身と観ている。先生に素敵な出逢いがありますよう心より願っている。

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謎の胃痛  (病院編)

 新患外来で1番の番号札で待つこと一時間。書類を手に、内科に向かう。しばらく待っていると、私の番号が出たので、中へ。初対面の先生に言われたのは、「悪いけれど、もう一度、採血とレントゲンとエコーに行ってくれるかな」だった。24時間以内に三回エコーをすることになる(実は採血も)。全てを終わらし、再び内科に戻ると、それほど混んではいない状態だった。間もなく呼ばれ、先生(消化器内科)と話をすると、胃も膵臓も胆嚢も肝臓も問題なし、とのこと。γーGTPが高めである以外は。結論、神経性のものかも知れないとの所見。しかし、それでは、この謎の胃痛がどこからやって来るのかが判らない。薬を処方してくれるとのことだったが、先生も私も煮え切らない。すると、先生は、「これから、採血とCTと胃カメラをやりますか?」と思い切ったことをおっしゃる。胃カメラは産まれて始めてなので、不安もあったが、背に腹は代えられない。「宜しくお願いします」と言って、胃カメラ服に着替えるなどの準備をしていたら、右腕に栄養補給の点滴が。それで、採血の時に、ここ12時間で左腕から三回血を抜かれることになった。CTも問題なく済み、問題の胃カメラが。鼻から入れるものではなく、口から入れるものである。先生曰く、「鼻から入れる方が時間が掛かるし、胃からのものの方がよく判る」とのこと。私は、胃カメラ担当の先生がゴッドハンドである事をひたすらに祈った。

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謎の胃痛  (忍耐編)

 血液検査の結果が出たので、向かうと、コンピューターに様々な数値が並んでいる。それを前にして、医師から説明を受ける。要するに、「緊急性を伴わない可能性が高いので明日の診察を待ちなさい」という旨だった。痛みは放っておけという、この説明に、納得の行くはずが無い。結局、痛みを伴ったまま、金だけ取られて、タクシーを拾って帰宅。一つだけ判ったことは、夜中に病気になってはならない、ということだけであった。帰りにコンビニで買った飲む胃薬を飲んでも、少しも痛みは治まらないどころか、悪化して行く。眠られないままに、ベッドに横になり、ひたすら朝を待つ長い長い時間。朝方早くに朝食も採れずに野菜ジュースを少し飲む。痛みは増さないが、栄養を採った気がしない。ジクジクとした痛みの中、何をする気にもなれない。健康は失って初めて、そのありがたみに気付くものだと思い知らされた。そういえば、高校時代の英語の恩師は、胃が悪かったな、それでも三時間睡眠で仕事をこなしていたのか。よし、俺も頑張ろう。などという事ばかりが脳裏をよぎる。最悪、がんの可能性も覚悟しながら、保険を切り替えなくて良かったな、などとも考えているうちに時は過ぎ、早め早めの支度に取りかかり始めた。夜が白み始めた頃には、待ちきれずにタクシーを呼んでいた。一路、病院を目指しながらも、変に憂うつさはなかった。ただ痛いだけだったのである。

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謎の胃痛  (救急編)

 先週の頭の月曜日の夕刻、私は謎の胃痛に見舞われた。市販の胃薬を飲んでも効かぬので、奥の手として、ハチミツを飲んだ。痛みはそれで多少和らぎ、blogを書いて寝た。しかし、翌朝目覚めると、痛みは復活している。近所の内科医が減少して行く中、数少ない腕のいい内科医の元へと午後一番に行くことに決めた。異常に混むので敬遠しがちだったが、やむなく診察を受ける。エコーでの丁寧な検査の結果、確たる原因が判らないまま、翌日水曜日に、総合病院への紹介状を書いて頂き、薬を処方して頂いた。しかし、その薬を飲んでも、一向に胃の痛みは治まらない。夜の九時までの食事制限の中、痛む胃を宥めつつ、再びblogを書いて床についた。薬を飲んでもジクジクという痛みは眠れないほどにひどくなっていった。胃潰瘍にでもなったのか、それとも、日頃酷使している肝臓か胆嚢か膵臓でもやられたかという程、痛んだ。脂汗が出るようになった頃、母と相談し、救急車を呼ぶことに。着替えを済ませ、万が一の時でもblogを続けられるように、携帯を準備。気持ち悪さは無かったのと、痛む位置から、盲腸で無い事だけは判ってはいた。救急隊の人達に謝りながら、様々な質問に答えた。意識もはっきりしていたので、血圧や脈拍、心電図を取ってから、その日の朝に受診する筈だった病院へ。揺れる中、痛みを何とかして欲しいという一念で、最寄り駅近くの病院へと。自分で歩けたので、到着してからすぐに、二人の若い医師に事情を説明。再びのエコーと血液検査。私は緊急外来のベンチに横になって待っていた。痛みを何とかしてくれ、と思いつつ。

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厄払い

 元来なら、私は物事にゲンを担ぐタイプなのだが、拘泥し過ぎて裏目に出るのも嫌なので、占いやらおみくじといったものなどは、遊びの範疇に過ぎないものであった。他力本願では無く自力本願という仕組みが思考の基本をなす。何事も誰かが勝手に決めたこと故、根拠の無いものには、どうでもいい姿勢を貫いていた。その代わり、その根拠をしっかりと自分で納得できれば、大変信心深い一面も私にはある。仏壇を毎日拝むのも、ちゃんと自分の中に培ったものがあるからでもあるのだ。宿命論者であるというのも、長い目で観ての話で、その方がモデルとして美しいからという、自分なりの人生観の様なものである。その上で、自分一人の力ではどうしようも無いことというものが世の中にはあるという事、及び、その時の自分には解らないけれども、真剣に神仏などにすがる祖母の姿には何か意味があると、心の中で直感していた幼少の自分がいた事などは、自分という人間を掘り下げる上で欠かせない。ここで心理学を絡めて考えると、などとやっていては、面白そうだが埒が明かない・・・金を取る祈祷というものは、自分のためにしてもらったことが無かったが、昨日、親父の墓参りに行った帰りに、ひらめきに近い感覚で、厄除けの祈祷をしてもらった。本厄の今年が、余りにもひどい一年であったからである。別に心の安寧が欲しかったわけでも無いので、本能的としか言いようがない。たったあれだけの神事で運が開けると思うほど甘くは考えてはいない。ただ、厄年というものを甘く考えていた自分がいたのは確かである。こういう時は、もがかずに浮いているだけでいい。その確認のようなものだった次第。

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竹馬の友  その11

 ビールもそろそろという頃になって、「こないだの旅で親戚のおばさんと話をする機会があったんだけれど、子供の授業参観に行った時、教師が『将来何になりたいか?』っていう課題に、お金持ちになりたいです、っていう子がいたのに、教師は、お金持ち?ふうん、で何のディスカッションも無くってがっかりしたって聞いて、それはその教師のレベルが低い、って話してきたよ。要するに考える頭の無い奴が人を導いても、考える生徒は出てこない。可哀想だと思ったよ」と言うと、「うちの子供達が前通っていた学校の教師もひどかったぜ。どう考えてもおかしな事を話しに行ったら、モンスターペアレンツ扱い・・・子供の教育の根本は家庭にあるって事も解っていたし、すぐに引っ越したけれどな」とあきらめ顔だったので、私は少し趣向を凝らしてみた。「俺は親父に勉強を教わった事が一度も無いんだ。教わろうという気にもなれなかった。母親がうるさかったけれど、親父が黙っているのには訳があったんだよ。何でだと思う?」と尋ねると、彼は、「俺も親父に教わったことは無いし、強いて言えばじいちゃんとはよく話していたなあ、勉強以外で・・・だから、自然と自分で考えるようになったのかもな」と応えたので、「それだよ」と私は言った。「親父っていうのは、知ってても、あえて黙っている方がいいんだよ。ついつい何でもかんでも教えたくなる気持ちを抑えて、愛情を持って、子供が気が付くことを信じて待つ・・・自分で考えられるように育ててあげるのが、一番いい事なんだよ。それに、本当に親が愛情を持っていたら、子供は絶対にやくざな道には進まないもんだよ」と話すと、彼も自分の考えを確認できたようで、嬉しそうに、「実はこないだ、上の子が、数学で99点採ってきたから、褒めてあげたんだよ」と話してくれたので、「苦手な数学でか。そういう時は褒めてあげればいい・・・俺は、99点で怒られて、勉強しなくなったからなあ」などと話しているうちに、「そろそろにするか」ということになった。マスターに挨拶して、駅に向かった。改札で握手を交わして、それぞれの家路に就いた。帰りの車中を観察していて、無理にスマホに変える気持ちも消えた・・・それにしても、このシリーズ、長く書きすぎた。一部、事実と異なる点は、勘弁してもらいたい。密度の濃い話だったので、嬉しくなってしまったのだろう。今日は朝一番に歯医者だ。晩飯食べて寝るとするか。

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竹馬の友  その10

 「実は今な、日本の教育について考えている。そこでどうしても切り離せないのが、グローバリゼーションの行方なんだよな。ちょっとしたことで、すぐにみんな海外赴任になるだろ。中には日本国内でも、社内では英語を話せっていうような会社が出てきている・・・これらの現状が物語るのは、将来、ほとんどの日本人が帰国子女となり、日本から日本人という人種がいなくなるということなんだ。それは、つまり、」とまで話した所で、彼は、「危険な状況なんだよな。帰国子女にしろ、ハーフにしろ、アイデンティティが曖昧な、自分の魂の帰る場所が無い、根無し草になっちまうんだろ」と続けてくれたので、「うん。そこまで解っているんだったら、話は早い。既に日本から文化は無くなったと強く意識すればするほど、将来的に、もっとひどくなることが解ってくる・・・日本の文化って何だ?って考えてみると、『おもてなし』ではなくて、『もののあはれ』だと俺は考える。それは、いろは歌から始まり、小野小町の『花の色は』、平家、芭蕉、(葉隠では無く)新渡戸稲造の方の武士道、という様に、長い歴史を経て培われてきた、一つの大きな流れがあったんだ。お茶やお花や剣道、柔道、なんていうのも、その大きな流れから派生したものに過ぎないただの形だ。『もののあはれ』を外国人に説明しようにも説明の仕様が無いんだよな。解っている日本人でさえ少ないのに・・・」と嘆くと、彼は、「外人が日本のこと知りたいなら、自分で勉強しろ!!って言ってやりてえよ。『わび、さび』なんて、言葉で解るものじゃあねえ、心で感じることだ・・・その辺は、うちのカミさんはよく解ってくれている。自分の国に伝統や文化があり、その軸となる価値観の基で生きてゆける事のありがたみを。だから子供達には日本人であって欲しいという考えでは、お互い一致しているんだよな・・・」と話してくれた。「金では買えない大切なものを、カネ目で自らぶっ壊している」とも。

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竹馬の友  その9

 お互いの理系の血にも火が点いたらしい。数学のポアンカレ予想を証明したロシアの数学者は、熱力学を利用したから、その証明を出来る数学者が誰もいなかった話を聞き、「どうせ、エントロピー増大系でも」と言った所で、「そうなんだ。だから、面白すぎるだろ」と、彼がけなして言うので、「専門分野ばっかりやっているからそうなるんだよな。それは、物理で言うなら、公式丸暗記している奴と同じだ。あんなもん、微分積分知ってたら、少なくともニュートン力学と電磁気学は、基本の公式覚えとけばいいのと同じ事なんだよな。応用がきかねえから、時間を無駄にしちまうんだよ」と文句を言うと、「そうだ。もっと頭使え、頭!」などと二人で大爆笑。二人ともマスターに二本目のビールを頼んで、落ち着くと、「でも、そいつ確かに面白いなあ」とまで言うと、彼は手ぶらな私のために、後で、本のことをメールで送ってくれることを約束してくれた。もう手元にあるのだが、未だ読む時間が無い。それを私は、「お前が言っていたのとは違う、加速の原理だ」と言った。「それはな、アウトプットしながらインプットしていると必ずオーバーフローするし、物事も、肝心なことは、いつも、いきなり、一辺にやって来るように出来ているからだ」と話すと、「このヤマが終わったら、落ち着くのになあ、何て考えてたら甘い、やっている途中で、もっとでかい次の波がやって来る、処理している間に次が出来続けるんだよ」と言うので、「でも、時々は、あえて浮いておかなければならないんだよな。物事みんな波だ波!」などと、いい歳した二人が、酔ってもいないのに、ハイテンション!!・・・「だからその逆を行くサーファーはえれえ」、とか、「でも、あいつら、ほんの少し波に乗るために、必死に沖に向かってこぐ姿はかっこ悪いぞ」「何言ってやがる、桑田佳祐はだから偉い・・・ほんの少しの女の幸せのために必死になって努力するという男の空しさの原点は、波乗りそのものじゃあねえか」「そうか、だからだ。だからホイヘンスは奥が深い」などというぐらいの勢いで、飲んでいた訳では無いけれども、多分、昔だったら、これぐらいの勢いだったろうな、というぐらい、熱いハートを持って、いろんな事が語られていた夜だった。・・・彼との会話は、興に乗ると、ジャズのセッションの様にお互いに響き合う。という事を、文学的に表現してみたのが、今回のパターンでした。ちなみに、私は今、しらふである。

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竹馬の友  その8

 「全部解ってると思うけれど、俺も同じような理由で今の会社やってるんだよ。会社そのものが、大きな実験室みたいなもので、俺としては、働くというより遊んでいる感覚が強いんだよな。正直、矛盾している面もあるけれど、人に使われるのは嫌だし、払ってはいるけれど、税金納めるのも好きじゃあ無い・・・結局、人間て、自分の好きなことやってないと、生きてはゆけないんだよな」と彼も話す。私は口から黒ビールの泡を拭うと、「そうなんだけれど、時代とマッチしないと、なかなか思想を金に換えることは出来ない。中には盗む奴もいるしな・・・難しく考えすぎているのかなあ?」と嘆くと、彼はガラリと話を変えて、「角砂糖一個で地球が滅ぶ時代だからな」と確かに彼は言った。最初、私は、『はだしのゲン』で、車のガソリンタンクに角砂糖を入れるとエンジンがぶっ壊れる話を思い出していたが、彼の顔を見ると、ぶっ壊れるのは世界中の車だけでは無く、確かに地球だと解る。そこで、「相対論と関係あるかい?」と聞くと、「大いに関係ある。というより、『超特殊相対論』みたいなものだ」と言ったので、私には、全てが飲み込めた。「そうか、そこまで時代は行っちまったか・・・」と最初こそ嘆いたが、「『たとえ明日が世界の終わりでも、今日、僕はリンゴの木を植える』っていう開高健の言葉を思い出すなあ」と話すと、彼は、「そうだ。それが人間の唯一の道なんだよな・・・」、「そして」と二人が同時に言ったので、私が、「そこにしか、次への希望は無い」と言うと、彼も頷き、二人で乾杯した。久々に、互いが高め合えるような話をすることが出来る予感がした。他に誰もいないので気兼ねなく・・・それをここで書き過ぎてはまずいことも認識した上で、記すことにする。

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竹馬の友  その7

 二軒目の店は、客が一人もいない、世界中のビールを扱っているような店だった。私と彼は窓側の二人席に座り、私はドイツの黒ビールを頼んだ。そして、早速、私が、「いやなあ、こないだのカーナビが壊れた独り旅、そこでもいろいろ考えさせられたけれど、俺は、人間好きなのに、どうしても組織の一員として働くのは無理なんだ。だから、物書きやっているけれど、旅の途中で、『十三歳のハローワーク』を読んでみようかと思ったよ」と笑って話すと、彼は、「一人で出来る仕事なんていっぱいあるぞ。それに、あの本、実は名著なんだよ」と言うので、「確かに村上ロンは、いい所に目を付けたよな。お財布を握る御母様達が買っちまうような仕組みが出来ているんだ。戦法はアンパンマンと大差ねえんだけれど」とまでで、「よく解っているじゃあねえか」と彼が頷く。私は、「四国でな、遍路をしている奴は一杯いたんだけれど、托鉢だけで遍路を続けて、四国を終の棲家としている、四、五十人のうちの一人と、俺、奇跡的に出会っちまったんだよな。その人は八年目らしいけれど、話が聞きたくなった俺は、思い切って壱万円入れて、その人と話す時間を買ったんだ」とまで語ると、「それって凄い引きだなあ」と、彼が乗ってきた。「四時間位話したんだけれど、その人は宗教心と、便利さを捨てることこそ、人間らしい生き方だというポリシーの基にそうしていて、俺の場合は、実は、書く事そのものでは無く、いろんな事を考えて、相似論法みたいなアナロジーの中に、自分なりのモデルを作ることが好きなんだということが解ったんだよな。それって、文学というよりも哲学に近いってことが解ったんだ。足摺岬から東に二つ目ぐらいの道の駅での出会いだったんだけれど、なんか、俺、この人と会うために四国に来たんじゃあないのか?って気がしだして、そこからは高速に乗って、一路家を目指して返ったんだよな。途中で一泊したけれどもね。これは偶然では無くて必然だって思い込んじまったんだ。決してナビが壊れたから、帰って来たわけではないんだよな」と一気に話すと、「おまえらしいな」と黙って頷きながら、彼も面白いことを話し出してくれた。

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竹馬の友  その6

 その店は、確かに旨い店なのだが、客の回転を早くしようという魂胆が見え見えで、何か落ち着かなかった私は、草加の『Katsu』の店長の方針には合わない街なのでは無いかと感じた。彼の意見を聞くと、同様であった。『Katsu』の良さは、『おもてなしの精神』にあるのだ。一方で、彼に、「スマホに変えようかとも考えているんだけれど、今のスマホって持ち歩けないだろう?」と話を振ってみると、彼はポケットから大小二種類のスマホを取りだし、「仕事の都合で二つ持っているけれど、大きい方はほとんど使わねえぞ」と語り、「金が三倍掛かるだけだぞ」と教えてくれた。私は、「アンドロイド搭載で、自宅のパソコンが操作できるっていうのも魅力なんだけど、電車とかで使っている連中観たら何か引っかかるんだよな・・・煙草の止められない仕組みに似ているというか・・・」と怪訝模様で語ると、彼は、いい所に気が付いているという顔で、「スマホの中毒性っていうのは、実はそこにあるんだよ。ジョブズはそれに気が付いていて、あえて、開発したんだ」との解説に、「彼には麻薬中毒だった時期があるって聞いたけれど、確信犯だったのか・・・早死にしたのはがんのせいでは無く、自殺説まで考えられないか?」と呟くと、「あるかもな・・・とにかく奴は、パンドラの箱を開けちまったんだ。言い方を変えれば、何も知らない親がガキにスマホを持たすっていうのは、麻薬をそそのかしているようなもんだな・・・煙草でもいいけれど」とまで教えてくれたので、「だから娘さん達に携帯どころか、たまごっちも与えなかったんだな・・・」と、思い出すように私は話した。「ああ、実は二人ともその事に気が付いてくれる歳になったんだよな」という嬉しい知らせを聞いた。夢中で話していると、店員がまた追い出しの準備を始めたので、「まだ八時過ぎだし、どっか落ち着いた店で語らないか?」と提案してみると、「それじゃあ、俺のとっておきの穴場の店に行くか」ということになり、勘定を済ませ、久々の夜風の中、ギャグを飛ばしながら、店替えをした。

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竹馬の友  その5

 「あのなあ、保険屋って滅茶苦茶だぞ。新規医療特約とか言ったって、じっくり話を聞いたら、その設備が無い病院だらけなんだ。ありゃあ、詐欺だな」と私が放つと、彼は私よりも先回りして、「新規で契約すればするほど、保険屋が儲かる仕組みになってんだ」と言い、自分はほとんど保険に入っていない旨を教えてくれた。彼曰く、「あいつらに頼むよりも、自分でタンス預金でもしていた方が早い」とのこと。私は、「個人情報を悪用して、人の弱みにつけ込むやり方が気に入らない」と言って、バームクーヘンの話をしたら、彼が笑う。それから私は、思い出したかのように、「そうだ。第二東名、制限速度100Km/hらしいから気を付けた方がいいぞ」と忠告を入れておいた。彼が、「本当か?」と言うので、「確かに計画当初は140Km/h制限とかいう情報が流れたけれど、旅の帰りにS.A.の職員から聞いた情報だから間違いない。ただ、行きは知らぬが仏で、リミッター効かすぐらい踏んじまったけれどな」と苦笑。彼は、「その情報はありがたい」と聞き入れてくれた。同時に、彼は、私がGメールを使い出したことを指摘。トラブル続きの中で、パソコンのブラウザを徐々にクロームに変えつつある事を話し、クロームOSまでは、さすがに勉強する暇が無い事と、三年ぶりにヨドバシカメラに行ったら、浦島太郎状態だった旨を話した。加えて、自分達がWINDOWS3.1で必死に卒論を書いていた頃、はなたれ小僧だったような兄ちゃんに、頭を下げて教えを請うた話をしたら、彼は爆笑。そうして、最近のパソコン売り場には、空パソコンばかりが置いてあった事を話すと、彼は醒めた顔でハイボールを一口飲み、「あれには、実は、恐ろしい裏があるんだ」とだけ語り、どう私に言っていいものかと思案顔になった。察した私は、スマホの話を切り出そうとしたら、店員のお兄ちゃんが、ラストオーダーを告げにやって来た。内心で、引っ込んでろ、このボケ、と思いながらに。

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竹馬の友  その4

 彼の親父さんが腎臓がんだったことは知っていた。幸い腎臓は二つあるから、一つ残れば、命に支障は無い。これからの通院生活も含めて、不自由なのは解るが。再発しないことを、心より願った。それよりも深刻なのは、お袋さんの方で、原因不明の難病に陥ってしまったと言うのだ。詳しく聞いてみると、(確か)コラーゲンか何かが細胞的に不足してしまい、その為の注射を打ったら、副作用として、骨が弱くなるということ・・・くしゃみを一回すれば、肋骨が折れるぐらいの症状だそうだ。その言葉に私の胸は、ひどく痛んだ。正直、彼の実家に行ったことは一度だけある。彼には未婚の妹もいた。そんな中で、結婚願望について聞かれ、速攻で、「自分はまだまだ未熟です」と話した。彼の妹だからどうのこうのという話ではなく、本音そのもの。未だ三十前、縁があれば嫌でもくっつくものだし、縁が無ければどうしようも無いことだということぐらいは自覚していた。そこまで言ってくれたおばさんが、苦しんでいるという事実は、私の人生経験の中でも、無常観を味あわざるを得なかった。ちなみに、余計なお世話だが、彼の妹のこと(会ったこともない)について危惧していた私は、結婚して子供ができたことを、素直に喜んだ。相手のことは一切聞かなかったが、結婚詐欺説まで飛び交ったそうだ。どちらにしろ、祝福の気持ちに変わりなし。しかしながら、本厄の今年、私は祖母を一辺に二人失い、トラブル続き。彼も、災難続きであった。そうして私は、「本気で厄除けしてもらおうかなあ」などと呟いたら、「そうした方がいいぞ」という彼の返事。彼には宮司さんのコネもあり、祝詞を暗唱できるだけの力があったのだ。私は鍋に入れるエノキダケを半分に割りながら、独りで連想ゲームをしていた。次に私が語った言葉は、突拍子も無いものだった。

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竹馬の友  その3

 果たして、無意識を支配するとはどういうことなのか?難しいことだが、二人の間ではわかり合えるのである。共に苦労をしてきたから・・・彼曰く、「最初は夢の中で灰皿一杯に煙草を吸っちまう夢を観てたんだ。でもな、ある時から、寝ながらでも、自分自身に、これは夢だから大丈夫ってコントロールできるようになったんだ」と明かしてくれた。相槌を打つように、「解る。俺の場合、悪夢だったら目を覚まして理性でコントロールするんだけれど、いい夢だったら、起きても、もう一度、続きが観られますようにって寝たら、続きが観られる様になった」と話した。医学的・生理学的に証明されているのかは知らないが、二人とも、意識で無意識をコントロールしていることに変わりは無い。付け足しに、「そういう状況になったら、意識的にブレイクスルーを起こす事も可能なんだよな」と話した。彼はニヤリと微笑んだだけだったが、充分に意思の疎通は図れていた。結局、物事の奥義というものは、シンプルに出来ているということなのだ。そこまでで、ジョッキ二杯は飲んでいた。「久し振りに酔っ払ったぞ」と言いながら、クエン酸濃いめのハイボールを頼む。おいしかったので、彼にも味見してもらい、ハイボールの世界と鍋の世界が拡がりだした。次に彼が言ったことは、とてつもなく意外なことだった。

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竹馬の友  その2

 竹馬の友と言っても、大学からのつきあいだ。でも、お互いに高め合っていったという意味では、竹馬(たけうま)の友と言っても変わりないのである。さて、節煙の話か・・・その日、私は、あえて手ぶらで行った。そうして、彼に禁煙のコツで解ったことを説明した。そこでは、ニコチンパッドなんかを使って禁煙できた奴など、甘すぎるという話にもなった。私が恐れていたのは、その習慣性と、日常の中でリズムの様に吸ってしまう、だらしなさ、だった。同時に、禁煙に近い状態に持っていこうとする節煙の中で、自分の体重が増えたことも話した。最大、0.1tあった体重も、70キロ代まで落ちていたが、節煙と同時に、太り始めた事実。すると彼は、「ご飯がおいしくなり過ぎちまうんだよな」と語った。図星。丁度、私もそういう矛盾で悩んでいた所だったのだ。そこで、私は話をそらした。「最近、筋トレがブームらしいけれど、俺には絶対に合わない。というよりも、自然体でいたい」と話した。某芸人が筋トレしたという話を聞いて、私は、コイツも生き残るために必死だったんだろうな、という印象しか持っていなかった。半ば軽蔑していたのである。私にとってのスポーツといえば、チームスポーツである。筋トレなどは眼中に無かった。それがブームになるというのだから、不自然だ。私の考えからは、『強い自分』とはもっと違った定義であり、精神的なものだと信じていたのだ。その確信に変わりは無い。そういう事を話しながら、親友と鍋をつついている間に、禁煙の苦しみを知った。要は、無意識を支配しなければならないのである。

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竹馬の友  その1

 その日、私は電車に揺られていた。大学時代からの竹馬の友に会うために。手ぶらだったが、待ち合わせの店の地図はプリントアウトして電車の中で道順をイメージトレーニング。しかし、それにしても東京の地下鉄は訳が解らない。ビジネスマンみたいな方に、道を尋ねた。親切に教えて頂き、迷いながらも、待ち合わせの一時間前には店の位置をチェック。17:00に行ったのだが、まだ店は開いていなかった。仕方が無いので、階段に座り、終電の情報と過去に彼に書いたメールを読んでいた。自殺未遂の時に、彼にだけ、急いでメールを送ったのだ。今にして思えば、とんだ人騒がせな事だったと自覚。しかし、会う際には、詫びを入れてから、後は明るく行こうと決めていた。18:00待ち合わせだったが、彼は時間より早く来てくれた。先日のゴルフ以来、五十日ぶり位の再会だったが、お互い笑顔だった。彼とは、阿吽の呼吸で話が出来る。メールの件を詫びた所、「なにやってんだ」で終わり。互いに解り合いきっているから、それで話は終わり。何となく、そういう事が解るような年頃にもなってしまった感じだった・・・さて、問題は、初めて食べる火鍋という四川料理の食べ方にもあった。赤いタレと白いタレが鍋の中で太極図の様に別れている。「これ、どうやって食うんだ?」と質問したら、彼が手本を見せてくれて、しゃぶしゃぶのように食べるものだと知った。食べてみると非常に美味。同時に入っている香辛料についても考えたが、それだけは解らなかった。そんな時に、私が禁煙に向けた節煙中である事から話が始まりだした。その日は、煙草も持っていかずに、本当に手ぶらだったのである。

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電車内での人間観察

 三分の一の人が、スマホをいじっていた。私には、異常な光景だった。みんな下を向いているからだ。何をそんなに急いでいるのか、不思議で仕方がない。急いでいるというよりも、ルーズにしか、私の眼には映らなかった。

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オッペンハイマーは善か悪か?

 今日は親友と会う日だ。甘える気は無い。ただただ嬉しいだけである。私達は何でも話す間柄だが、やはり一線を置いている。コイツに言えなくて、誰に言うんだよ、とも思う。今日はその楽しみの話を書こうと思っていた。しかし、某ミュージシャンが、その気分をぶち壊しにした。彼は、原爆の父であるオッペンハイマーの映像を何回も繰り返しながら、音楽を作っていた。私は、この地球上で、オッペンハイマーほど孤独な人は観たことが無かった。だから、彼の弁舌は心に染み渡るのである。とてつもない後悔と、未来について、考えていないはずが無い。Regretし、Aporojyaisしている部分だけを取り上げ、批判するのはナンセンスである。人類の進化を否定しているようなものだ。どうしようも無い世界になっているのは、ニュークリアエナジーの問題だけでは無い。ニュークリアーエナジーと言えば聞こえはいいが、クリアで無いことは、誰しも解っている。しかし、電気を作るのに、どれだけの費用が掛かっているのかを知っている人は少ない。私の親父は原発の配管の仕事をやっていた。地震が来たら、原発に逃げ込むとも言っていた。そんな親父も、原発の犠牲者としてがんで死んだ。親父が言っていたことは、(原発は)無ければない方がいい。でも、そうしたら、国家の財政が破綻する、と言っていた。決して正しい道だとは思ってはいなかったのだ。全て原発を無くして、この気候変動に責任が持てるのならば、原発反対と、堂々と言ってほしい。電気料金のコストが倍掛かっている現実。これで国は、否、国民はやっていけるのだろうか?そこの所をよく考えてから、PRしてほしい。

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何を書けばいいんだ?

 友人が先日、道すがら、リストカットしているおばさんを見付けたそうだ。彼の性格からしては、絶対に放ってはおけない。そんな奴だ。多分、彼は話を聞いてあげたんだろうと思う。自分の時間なんか無視しして。それは、ただ単に、彼の優しさだけから来るものでは無く、裏に彼の苦しみを観た気がする。彼も、きっと、辛いのだろう・・・この歳になって、散々、結婚式に招かれたが、言われる言葉は、「お前は独り身でいいな」ばかりである。誰も好き好んで独りを選んだわけでは無い。相手にされなかった訳でも無い。自分の人生を振り返ってみて、何ら、幸せなことが無かった私は、独りで生きていくことを、半ば決めていたのである。その時々で、嫌みばかりを言われてきた。私には、ティーンエイジャーの頃から、自分の人生の行く末が観えていた。それは、いわゆる、『のたれ死に』である。ある友人からは、危なっかしくて耐えられないものを、いつも君には感じていた、とも言われた。別の友人からは、お前は、本と結婚する、とも言われた・・・勝手にしてくれ。自分だけが不幸だと感じている人は可哀想だ。ただ、人並みに生かしてくれるほど、世間は甘くは無かった。と言うよりも、無理解だった。無茶苦茶な家庭に育ち、無茶苦茶な教育を受け、親の気b王には応えた。ただ、そこ先が生き地獄なのは眼に見えていた・・・もういい。侮蔑のまなざしで観られ、金を稼がなければ生きている価値が無い、というような社会とは縁を切りたい。バブルの頃、散々私を潰した連中が、私から逃げる。彼等もきっと、幸せではないのだ。早くから、それを見切っていた私は、そんな連中を見捨てた。何でも自分が納得行くまで考えた。「お前なんか」と何回言われたことか・・・私は、それ程弱い人間では無い。

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人それぞれの悲しみ

 正直、未だ眠い。一日中ぼんやりと考え事をしていた。世の中の万人全てに、誰にも言えない事情があることを知った・・・いや、当の昔から知っていたのかも知れない。自分自身で抱え込んでいたから。今の自分の状態も、必然であるとも思う。そんな中で、自分が努力もせずに、人のせいにすることだけは絶対に止めることにしていた。いくら、不条理な理由で潰されようとも。そんなうちに、逆境をバネにすることを覚えた。その時々で、どれだけ辛くても、独りで黙って過ごす中、その時に出来る最善の策を練って実行してきた。その体験は、私の心を強くし、辛抱強くさせた。その時に培ったことは大きい経験となって、後の私にプラスに働いた。必然的に物事の本質について考え、自分の考え方というものを持つようにもなった。一方で、おかしな事はおかしいと言わなければ気が済まない性質にもなってはいたが。ある人からは我が儘な人間に映ったかも知れない。しかし、私から言わせると、当人の意見が相当な偏見を持っていることを感じざるを得ない例が多かったのも事実。一昨日は、母親のこれからの人生に関するルーズな考え方を聞き、要は、遅かれ早かれ、事実上、私に『死ね』と言っていることに気が付いた。私は少しも感情的にならずに、黙って、今、死のう、と決意しただけである・・・昨日一日考えてみて、母に、「座して死を待つよりは、動け」という言葉を語った。「どうすればいいの?」と聞く母親に、「自分で考えるしか無い」としか応えようが無い。それだけのことである。

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