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私達はどうあるべきなのであろうか?  その1

 朝日新聞社長引責辞任とのニュースをネットで見てしまったが故に、また、朝日か、今度は何だ?と、調べ物をしているうちに、三時間ぐらいが経過していた。ジャーナリズムや政治思想、ひいては、個人の在り方、及び国の在り方ということを考え込んでしまった。これは、私が夜型にしたのでは無く、二時間弱しか眠れなかったのがきっかけである。この国の政治を見捨てていた私は、政治的関心と共にニュースも新聞ではなく、ネットでチェックしていた。新聞もニュースもデタラメだらけであることが解っていたからである。何故、ネットかというと、気になるニュースがあった時にいろんな角度から情報を仕入れやすいからである。四年ぐらい前、朝日の夕刊の『素粒子』のコーナーの揶揄の仕方や、デタラメな記事及び応対(イラク戦争の時に、天声人語と国際面が同じ記事を同じ新聞で正反対の見地から書いていることに腹が立ち、朝日にクレームの電話を入れたら、受付の女性社員は、私が、「あの、今日の」とまで言った瞬間、電話をクレーム係に回し、男が出てきた。私が矛盾点を指摘すると、その男は黙り続けたので、嫌気が差し、電話を切った)の非道さに腹が立ち、日経にすぐに変えた。そもそも、私の家が朝日新聞を取り始めたのは、中・高時代に国語の教師陣が、天声人語の漢字が受験によく出るからと、夏休みの宿題にし、夏休み明けには全校統一漢字テストというものを行う風習があったからなのだ。高校になると社説まで加えられた。確かに漢字には強くなるのだが、思想的な意味では、考え物だと思われる。実際に、高校にもなると、朝日新聞の記者になりたいと言う奴もいたし、テレビ朝日の『ニュースステーション』が一世を風靡した時代でもあった。『ニュースステーション』の久米宏が、初めてニュースキャスターとしてニュースにコメントを入れ出したことは画期的であり、TVニュースの報道の在り方を変えた革命的な番組で、当時は視聴率が25%近くあった人気番組だった・・・それと今回の朝日新聞の社長辞任問題はどこにあるのだろうか?単なるコマーシャリズム(商業主義)だけの問題だけでは無いのである。

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