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天はどんな人にでも平等

 まだ、自分を見つめ直す時期は続いているのだが、運動(散歩)と料理の手伝いは続けることに決めた。お酒も寝る前にほんの少し、煙草も一日にとりあえず、十本以下(昨日の場合、もっと少なかった)に減らした。そうしなければ、私達、家族が生き残ってゆけないからだ。ストレスも溜まるが、危機感の方が強い。目の前から煙草と灰皿を無くし、家の中で携帯灰皿を使うことにした。気付かぬ間に吸ってしまうことを避けるためにだ。同時に、家にお金を入れることにした。これまで、禁酒を半年ぐらい続けたことは何度もあったが、何かをきっかけに、また飲む事を繰り返して来たので、それを二度と繰り返さぬように、今は節酒している。これまでの禁酒中では、煙草を吸う量が増えていたので、最終的な目標は禁煙と決めた事情もあり、車は急には止まれない、という現実も含めて、今は、節酒と節煙にしている・・・こんな話ばかり書いてばかりいてもつまらないと思うので、少し別の話を書くと、私の、これまでの人生を漠然と振り返ってみると、人生の節目々々で、自分で決断してきたことは、実は、全てそうなるように決められていたという気がしてならないのだ。昔、床屋に通っていた頃、パソコンが置いてあり、翻訳ソフトで、『LET IT BE』と入力した所、『すべてをそうなるようにしたのです』と翻訳したのが強力に頭に残っていたので、そこから、私なりの理論展開で、宿命論者になったのである。決して、私は運命論者ではない事は断っておく。そこから、自然と仏教を研究しだし、再び私に新しい考え方が生まれた。正しく『感謝』する事とはどういうことかということについても、自分で悩み、苦しみながら、仏教的な、『正しい』ということの自分の中での定義も決まった。そこから、私の人生観は変わり、『運と欲の関係』などについても思い当たることがあった・・・まだまだ書けることはあるが、これらばかりは、説明の仕様が無い。自分で体得したり勉強したりしなければ、解らぬ仕組みになっている。だから、仮にコメントが来ても、返事の出しようがない。一つだけ言えることは、たとえどんな人でも、天は皆、平等にしているのだ、ということだ。

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