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2014年11月

自殺未遂の明け方

 未だに頭がボーとしている。この一ヶ月、私は神経が張り詰めていた。それでも、前向きに考えて、生き甲斐の無い中、家の財政の建て直しを模索し続けてきた。母親とも話し合い、より良い方向へ導く努力をしてきた。しかし、詳しくは述べないが、弟は、非協力的どころか、甘ったれた意見を言い、自己中心的な発言が目立っていた。お袋も気分を害し、私にまでそのとばっちりがやって来た。私も忙しい中、家族が協力しなければ成り立たないことを、散々言ってきた。それなのに、I,me,mineの世界で、それぞれが自分勝手なことを言い出した。昨日に至っては、お袋が勝手に腹を立てて、そのうさを思いっきり私にぶつけた。独りで怒鳴り散らし、私の意見を聞く余裕も無かった。要するに、私に死ねと言っていたのである。いい加減腹に据えかねていた私の我慢も限界に達した。もう、覚悟を決めるしかないとも思った。それで、母親に黙って、睡眠薬を大量に飲んだ。ためらいは無かった。もう、鬱憤に鬱憤がたまって、覚悟した上で飲んだ。もう、こんな滅茶苦茶な状況では、どうしようも無いことを自覚していた。決して短絡的なものでは無い。本当に死ぬつもりだった。その際、親友にだけ、ショートメールで詫びた。もう、明日はやってこないという気持ちで。しかし、私は頑丈に産まれすぎたのか、飲んで六時間経ったら目覚めた。それで今に至る。まだ、頭は働いていないが、本気で死ぬ決意をしたのはこれが初めてである。馬鹿馬鹿しいことをしたとは思ってはいない。ただ、迷惑を掛けた親友には心配も掛けて、心から申し訳ないと思っている。お詫びのメールを出したが、すぐに返事が返ってきた。本当に申し訳ないことをしたと反省している。

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ディーラーの請求書

 九万という大金を持って、嫌々ながらディーラーに車のナビの交換に行った。その日二度目の出動。着いてみると、お姉ちゃんが出てきたので、要件を説明。その後ナビの取り付け修理に入る。この日は、スマホの情報を調べに、最寄り駅に向かい、大手三社のパンフレットを持っていたので、暇つぶしにそれを読む。概要は掴めたが、今ひとつピンとこない中、まだ、自分のニーズも掴めていないし、先の話だなあ・・・と腕を伸ばして考えていたら、先日の担当者が請求書を持ってきた。それを観て、呆れかえった。メイン基板交換、DVDドライブ交換、技術料、の三つだけしか書いてはおらず、数字だけがやたら桁が多い。担当者は営業なので、メカのことを聞いても判らないだろうとは思ってはいたが、あまりのどんぶり勘定に呆れ返った。それを言っても無駄だと思ったので、保証期間について尋ねる。大慌てでメーカーと交渉し、三ヶ月、とのことだった。しかし、ナビのどこが壊れているかも解らないのに、トラブルが発生しても困る旨を言うと、再び打ち合わせ。しばらくして、三ヶ月はディーラー保証ということになり、これ以上、何を言っても無駄だと考えた私は、帰る事に決めた。すると、机の上には、A4の請求書とちっぽけな領収書。何とかしてくれるよう頼み、封に入れてもらい、車のエンジンを掛け、ナビに自宅を登録して家路へ。曇天模様の中、夕暮れ時、ピリピリしながら返った。そんな私を待っていたのは、ボーナス時期狙い撃ちのオートバックスのチラシ。ピンキリだったが、最新式のは二十万していた。それを観て初めて、ディーラーを少し許せる気持ちになった。

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煙草をトントントン

 節煙し始めて一ヶ月近くになる。吸う量も以前の半分以下になった。自宅で携帯灰皿を使っているのも私ぐらいなものだろう。しかし、灰皿があり、煙草の箱が置いてあると、気が付かないうちに惰性で吸ってしまうものなのである。この、『惰性』というやつは、かなり手強いもので、なかなか研究のしがいがあるテーマかも知れない。現在の私は、全ての煙草を意識的に吸っている。だから、吸う前には、箱から一本取り出すごとに、煙草をトントントンとやって、煙草の葉を詰める癖が付いた。無駄にしないためにである。それでも、吸い終わった後、『なんで、俺、こんなもの吸っているんだろう?』と思う事しばしば。ストレスがかかると、後悔することが判っていても、手を伸ばしてしまうこともある。本気で止める気があるのか、自分を見つめ直す。長年吸っていると、自分を落ち着かせるための『儀式』の様になっている事にも気が付く。煙草を吸わない方には理解できないだろうが、『習慣』とはそういうもので、なかなか消すことが難しい。禁煙した友人などに聞くと、解っている上で、「あんなの金の無駄だぞ」と教えてくれる。それも解る。しかし、なかなか止められないのは、生活の中で、煙草によって、一種の『間』というか、リズムを取っている面があるからではないかと思うのが、最近の私の感想である。我慢できる出来ないという類よりも、こっちの面の方が私の場合は強い。ここからさらに減らすには、誰かに預けてしまって、意識から消す様にしなければならない。焦ることは無い、徐々にでも構わないのだ・・・ところで、煙草をトントントンと詰める様になったのは、ある友人が飲み会の席でやっていたのを思い出したゆえ。彼はきっと、禁煙したかったのだろう。私があげた一本を大切に吸っていた。今になって彼の気持ちがしみじみと解る。

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気が付けば夜

 バタバタした一日だった。遅めの朝食を採ったら睡魔に襲われ、昼過ぎまで寝てしまう。起きてから車のディーラーから電話があった旨を聞き、嫌な気分で掛け直してナビの修理予定日が決定。その後、大学時代の仲間との新年会の日程確定メールを流し、ついでだからと高校時代の方にも手を付ける。打っていると、友人から忘年会のお誘い。二つのことを同時進行でやるものだから、休む暇が無い。忘年会の方はおまかせモードだったが、高校時代の新年会日程アンケートメールに手こずる。メールアドレスが三人ほど変わっていたからだ。急いで携帯のショートメールを出し、返事を待つ間に、忘年会のお店の地図を印刷しようと思ったらインク切れのエラー。新しいカートリッジを取り出してセッティングしていると、携帯にメールが入る・・・慌ただしい。三人中二人と連絡が取れた。一人からは暮れの飲み会に誘われたが、そちらは未定にしておいて、パソコンのアドレス帳を書き換えてメールの再送信。もう一人からは単身赴任から帰って来て、パソコンのメールをあまり見ないという知らせだったので、ショートメールで対応。インクを交換し、ピン留めしておいた忘年会の店の地図を印刷しようと思ってもエラー。長年の勘から、一旦パソコンを切り、夕飯の支度をし、仏壇で読経。一服して、ノートパソコンでFBをチェックし、再び自室に戻り、メインパソコンで店の地図の印刷完了。他のメールもチェックしたが、新年会のリプライが一通も無いので、階下で夕飯を食す。くつろぐ間もなく、携帯にショートメール。友人の一人から、希望日が送られて来たので、それを打ちに自室へ。ついでにウインドウズのアップデート。経験的に高校の方の予定は当分決まらないであろう事を予測し、いろいろな処理をしていたら、時計は午後十一時を過ぎていた。blogを打とうと思い、今に至る。休む間もなく集中し、時間だけが過ぎていった一日。目がショボショボする。ようやく暮れらしくなってきたな、という印象。読み返してみると、この文章も慌ただしい。

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半日でのレスポンス

 恒例の2015新年会(大学編)のアンケートメールをそろそろ廻さなければな、と思っていたので、朝一番に表を作り、廻してみた。今回、私はG-Mailを初めて使ったので、落ち度が無いかが心配だったが、送信ボタンを押して10分後には、リプライのうちの一通が帰って来た。その速さに驚く。昼過ぎに観てみた所、それ以外のレスポンスが無かったので、試しに他の面子に転送してみた。それから、数時間、新年会のことは忘れていたが、夕飯前にメールボックスを開けると、いきなり全員からのリプライ。レスポンスの速さに再び驚く。一人々々の都合を表に間違えずに書くのに苦労したが、概ね日取りが決まった。これをできるだけ判りやすく書くために、再び表を打つ。慣れないせいか、チョンボもしてしまったが、後は、草加の『Katsu』の店長に連絡を取って確定メールを流すだけ、という所まで来た。この怒濤のメールラッシュに、一日で新年会の概ねの日程が決まってしまうスピードに少し疲労。凄いことなのだが、背面にある怖ろしさを観た気分。ここには、FBを安易に使うことや、Twitterで意見を書くことの難しさを思い知った自分がいる。SNSと言えば聞こえはいいが、恐ろしいシステムでもある・・・まあいい。とりあえず、新年会の方は、後は、高校時代の方を残すのみ。どちらも、知らないうちに幹事になってしまっていた・・・既に暇では無いのに。ここで、毎年書いている言葉を吐かせてもらう。幹事って何だか辛いな、である。

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トレードオフ状態

 頭の中が半分以上、コンピューターの事で占拠されてしまった私は、嫌気が差し、近くの森林公園まで車で出かけた。家から車で三十分位の所である。思い悩んだ時の場所の一つで、これまでも、何度か人生の岐路に立たされた時に、独りで来ていた、思い出深い公園である。春にはお花見に訪れる場所。今は丁度、紅葉の季節で、朝から賑わっていた。のんびりしながら、手入れの行き届いた芝生の上を歩く。少し肌寒い中、起伏を楽しみながら、昔の記憶が蘇る。同じ景色を観ても、昔は、いろんな詩句や、アイデアが浮かんだなあ、と心の底から感じる。広い公園の片隅にあるベンチに座り、背筋を伸ばす。缶コーヒーを開けて、そこからの眺めを楽しむ・・・しかし、心には大きな穴が空き、何も感じ取ることができない。いつから俺は、こんなに無機的な人間になってしまったんだろうと嘆く。何を焦っているのだろうか?と考えようとしても、頭が働かない。そのベンチで感じた事は、私は大切な何かを確実に見失っているということ。すると、もう、手遅れなのではないかと訝る嫌な感情・・・煮詰まって、余裕の無い自分に、嫌でも気が付かされる。生活と人間らしさのバランスでもがく。一番なりたくはなかった心の現状。何をするのでも、何か別のことを考えている。感受性はどこかへと消え去ってしまったのだろうか?と苦悶。それでも続く現実との戦い・・・この辺で脳がパンクした。何も整理が着いてはいない中、もどかしく家路に就く事の寂しさ。フリーズされた心のままであることには、現在も変わらない。帰宅しても、駄目な時は駄目と、眠るだけ。そんなベッドの中で、ふと、友人の言葉を思い出した。彼が言っていた、トレードオフとは、こういう状態を言うのだな、と。要するに、理想と現実のギャップにもがくことなのだと悟った。彼が語ってくれた、『いずれ納得できる状態が来るのか、納得できる自分になるのかは微妙な所だが、それまでは走り続けろ』というEAGLESのメッセージ。私の場合、ブレイクを入れながらだが。

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お前、それは無いだろ

 カーナビが完全に壊れ、仕方なくディーラーに持っていったのが約一週間前。旅先でぶっ壊れた時にはどうしようかと悩まされたが、旅先で、最寄りのディーラーまでタクシーに案内してもらい、コンピューター関係の不具合を指摘されたのが一ヶ月前。旅先から帰宅しても、しばらくは放っておいたのだが、見積もりだけでも出してもらおうと、仕方なく、ディーラーに足を運んだ。状況を説明し、1時間ほど待つと、見積もりだけで8000円かかるという。その時、修理に出そうか迷ったが、修理に出したら見積もり分は上乗せしないという話。そこで、選択肢はいくつかあったが、修理費用はおおよそいくらかを聞くと3~4万と言うので、依頼した。ナビだけ取り外し、およそ1~2週間という見積もりを待っていた。すると昨日の朝になって、私を応対した店員が言った金額は、90000円弱。一旦電話を切り、悩んだ。9万円あれば、もっといいナビが買えるのではないかと。何故、倍以上の金額が掛かるのかを聞いた所、コンピューター関連と電気基盤の両方の故障だからだそうだ。納得がいかないのは、一週間前に聞いた見積金額は、最悪の場合として捉えていたにもかかわらず、平気な顔で倍以上の90000円弱を請求してくることにだ。こういう場合、ディーラー側は、最悪の場合を想定して金額を見積もるのが常識なのではないか?ある意味、一種の詐欺とも言える。相当、頭にきたが、ディーラーとは喧嘩をしたくは無いので、電話を掛け直し、こちらが折れた。また、一週間後あたりに電気系統を修理したナビが来たら、電話が来るそうだが、この話、どう考えても納得が行かない・・・まあ、カッカとしないように努めよう。しかし、この件、思い出す度に腹が立つ。まあ、こういう商売をしていたら、後々困るのは、相手の方だから、黙っていよう。少なくとも私からは、充分に信頼を失った。

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今日はのんびりと

 今日はのんびりと過ごす。

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プチ・リフォーム

 台所の床の一部が窪んで来たので、何とかしようという話になった。業者さんに頼んだら、しっかりと直してはくれるだろうが、何分、金が無い。そうこうしているうちに、へこみ具合が加速し、穴が空いてからでは遅いということで、対処療法的だが、上に分厚い板を置いて、圧力を分散させることにした。当初は二枚の長方形を組み合わせる予定だったが、いざ、ホームセンターに行って見てみると、適度な大きさの板などない。床に置く物だから、危機管理にも気を遣わなければならない。一時間ほど見て回って、諦めかけた頃に、いい板を発見。といっても、一枚板では無い。当初は、大きな板を購入し、切ってもらおうと考えていたのだが、細かい板をパズルのように組み合わせる戦法を採った。フローリングの125cm☓25cmの板を三枚と80cm☓25cmの板二枚で補修する事となった。問題はどうやってそれを安全かつ安定的に取り付けるか・・・とりあえず、明らかに危険な角を滑らかにするための荒いサンドペーパーと、丈夫な方のガムテープを二枚買う。後のことは何も考えていない。家に帰ってしばらくしてから、やる気になった。いろんな棚などが置いてある台所だから、きっちりサイズが合わない。そこの所は、融通の利く、三枚板にして正解だ。次に、危うい角は適当に面取り。そうして、さらに、明らかに、くっつく板同士をガムテープで簡単に固定。これで大方、骨組みが出来たのだが、安全の確保のために、面取りした角を覆うようにマットを敷いた。『これでよし』と思ったが、パズル式故、圧力が均等に掛からないのがネック。その内に慣れるだろうと安易に考える。プチ・リフォームは三十分で完成・・・だがしかし、これは明らかにリフォームでは無く、ごまかしに過ぎないという不満感だけが残ってしまった。単なる気休めに過ぎないか、効果を発揮するかは、これからの様子を見なければ判らない。出来としては45点。赤点は免れた。

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喪中葉書で困ること

 もう、送った人の所には届いたと思うが、喪中の報告をさせてもらった。今年は父方の祖母と母方の祖母とが相次いで他界したので、どういう風に印刷しようかと、まず困った。プリンターで印刷しようかとも思ったが、しばらく年賀状ソフトを買っていないし、インク代を考えると、頼んでしまった方が楽だと判断。喪中の葉書のチラシの中で、二人分の名前を扱っているのは、一つしか無かったので、それに決定。文章が今ひとつ気に入らなかったが、選択の余地が無いので妥協。いざ書き始めようとすると、10年分位ストックしてある年賀状の箱を開け、今年と昨年の賀状を取り出し、名簿を作ってから、その順番通りに並べる。後は、ただ、ひたすら、住所を書く単純作業。賀状と異なり、喪中の報告だから、裏に余計なことは書けない。己の字を観てみて、習字を真面目にやっておくんだったと後悔。中にはどう書けば良いのか判らない漢字などもあるので、苦労。書き終わり、チェックを済ますと、あることに気が付いた。来年の正月は賀状が来ないので、今年と同様にして書かねばならぬ事と、住所変更や家族構成が判らなくなるというリスクに・・・まあ、大したことではないが。何はともあれ、二人の祖母を亡くした事は悲しい現実なので、喪に伏すのは葉書だけではなく、自分の心の底から、そうありたい。それにしても、仏壇の側の棚にある故人の写真が増えたものだ。時折、しみじみと思いにふけることもある様になった。

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予防接種完了

 これまでインフルエンザにかかったことが無い私は、その事を誰かに話すと、『羨ましい奴だな』という顔をされる。幸い、今年の秋は風邪も引かなかった。ここ二、三日で急に冷え込みだしたので、これから用心せねばならぬ。とりあえず、持病の痛風の薬を処方してもらうついでに、インフルエンザの予防接種を受けに、整形外科へ。着いてみると、異常に混んでいた。整形外科だけあって、お年寄りが多い。受付で混合ワクチンの接種を希望する旨を告げると、もはや恒例となった健康状態を記入する紙を渡された。最近の子供はアレルギーなどが多いと聞くが、母が頑丈に産みすぎてくれたせいか、私の場合、記入はすぐ終わる。熱を測ってこなかったのだが、提出時、受付の方が、おでこにかざすだけで一瞬で体温が測れるという、ハイテク体温計で36.3℃と判明。無事受けられることになった。お年寄りが多いので、ずっと立って待っていたが、人間観察。私の名前が呼ばれたので、先生と話をし、看護師さんに打ってもらって、無事終了。会計を済ませ、痛風の薬をもらいに隣の薬局で処方箋を出すと、すぐに応対してくれた。顔なじみの薬剤師の叔母さんに、節煙、節酒の旨を伝えると、「お酒は、まあいいですけれど、煙草は百害あって一利無し」とおっしゃる。これは、後には引けないなと覚悟。それはまあ、何とかなるにしても、痛風の薬がジェネリックの新しい物に変わる度に、名前がややこしくなるので、記憶することを挫折。その後、帰宅してみると愛犬が六種混合ワクチンを動物病院で受けたらしく、ぐったり。お互い、予防接種が無事に終わった。

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墓参りと過去帳事件  その3

 母が店員と共に、何やら小さな仏具の前で話している。仏具を観ると、過去帳を置く木の台で、8000円という高値。雰囲気から察するに、何やら、事件が起きた様子。そういえば、墓参りに向かう車の中で、「あれ、壱万円札が無い」と母はもらしていた。過去帳が二、三千円とすると、合わせて壱万円以上・・・足りない。私は咄嗟に、「そういえば、こないだ金借りてたなあ」と言って、母に一万円札を握らす。過去帳を買うだけならば安く済むだろうとふんでいたが、仏具屋には、しっかりと『過去帳置き』という高価な仏具が存在。安堵の表情の母。家の仏壇に合った色の物を選び、線香とセットで購入。店員さんは親切。だが、全部、お見通しの様子。仏具屋で、「お金が足りません」は確かに格好悪し。偶然に私が店内に入り、母のピンチを救った形。思わぬ油断。『仏具屋に用がある時には、多めに持って行け』という教訓をゲット。家路に就く途上、互いに反省会・・・帰宅し、仏壇に『過去帳置き』を置く母、過去帳なるものを観てみる私。過去帳は手の平サイズなれども、幾重にも紙が折り重なってたたみ込まれ、一日から三十一日まで、故人の命日に、戒名や俗名を書く仕組み。本来、故人の月命日に坊さんに読経してもらう為の物だが、堕落坊主に毎月お布施を渡す必要なし。我が家は月命日には墓参り。しかし、この過去帳、困った事に、書き方が解らぬ。我が家のみの物なので、適当。とりあえず、父の命日である日を開いて、高価な『過去帳置き』に置かさせて頂いたまでの次第。

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墓参りと過去帳事件  その2

 手を合わせ、『南無阿弥陀仏』を何度か唱え、続いて般若心経。そしてまた、『南無阿弥陀仏』で礼。明らかに矛盾している。本来、浄土真宗は、般若心経を唱えないのだ。しかし、そこは何でもありの浄土真宗。別に構いはしない。手短で便利なものをくっつけただけだ。この辺は、自己満足もあるのかも知れない。読経を終えると親父の好きだったビールを墓の前の地べたにまき、一言二言、墓に話しかけて墓参り終了。毎月来る代わりに、いつも、こんな墓参りでいいのか?と思いながら帰る。寺の桶などを洗い、元に戻して車に戻ると、なにやら喪服を着た人が多い。駐まっている車も多い。何かの法要でもあるのだろうと思いながら、寺を去り、仏壇屋へと向かう。車庫が狭い記憶があったので少しユウウツ。死んだ親族の命日を記録しておく過去帳を買わねばならないのだ。向かう途中、助手席の母に、「そういえば、墓の横のお袋の名前、赤い塗料がはげかかっていたぞ・・・今度、赤いマジックでも持ってくるか」と話しかけると、「あのお墓買ってから十五年になるからねえ」と素っ気ない返事。「長生きはした方がいいぞ」と言っている間に、仏具屋へ着く。母を先に降ろし、二度の切り返しで無事駐車。車で待っているつもりだったが、好奇心から、車を降り、仏具屋に入ることにした。私は、仏像や仏具を観るのが好きなのだ。何気なく入って行くと、店員と母が何か話している。何だ?と思って近寄ると、母が振り返り、よく来てくれた、という眼をしていた。

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墓参りと過去帳事件  その1

 故親父の月命日ということで、墓参りに行くことになり、車で母と二人で向かうも、お供えの花を途中のコンビニで仕入れようとしたが、二軒のコンビニに寄っても仏花は置いておらず、仕方なく途中の最寄り駅の商店街に向かう。車を駐め、少し肌寒い朝の中を歩くと、花屋さんは未だ準備中。仕方が無いので、商店街の一番端に当たるドラッグストアまで歩くも人まばら。時計を観ると、午前九時過ぎ。日曜の朝はこんなものかと、購入予定だった、発熱ソックス三組と綿棒と無添加のボディソープを探しカゴに入れている間に、母はのど飴をカゴに追加。勘定を済ませ、荷物を持ち、駐車場に戻ろうとすると、先程の花屋の店支度が大体出来ており、交渉して仏花を購入。コンビニよりもはるかに安くていい花が買え、満足。車に積み、少しの遠回りをしながら、車道の自転車に気を配りながら、運転。少し眠くなったので、ガムを噛みながら一路寺へ。寺に向かう途中の信号待ちの電柱に、海抜2.5mと書いてあり、『津波が来たら死ぬな』と思う。ようやく寺の駐車場に着くと、腹具合が悪く、寺の厠にピットイン。出た所に灰皿があったが、節煙中なので吸うものが無い。裏道を通り、きつい階段を登る途中で、同じく墓参りに来た方と軽く挨拶を交わす。登り切り、桶に水を入れている間に、ヒシャクとブラシを準備。それらを片手に持ち、先行する母を追いかけながら、墓地の一番奥の区画にある故父の眠る墓へ。着くと先月飾った花が未だある。そういえば、先月は台風か何かで、墓参りが遅れたんだな、と気付く。花を差す対の器から、枯れた花を取り出し、水を入れブラシで洗浄後、新しい仏花を供え、墓全体に水を掛け掃除、とはいっても、この寺は管理費を取る代わりに、清掃等をしてくれるので手間が掛からない。墓石に水を掛け、父の好きなビールを供え、線香に火を点け、準備完了。母と二人での読経が始まった。

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サングラスの修理

 車の運転の時に日差しがきつすぎると(特に日の出と日没頃)、普通の眼鏡では視野が極端に狭くなり、危険だと思っていたので、今のサングラスを作ったのが三年ほど前。確か、視力を1.2に調整してもらった、度入りのサングラス。他にも、パソコンの画面に向かう時、太陽光が眩しい時などにも使用していた。しかし、いつだったかテーブルの上に置いていたサングラスを探していた時に、肘に変な感触がしたと思ったら、サングラスのフレームをモロに曲げてしまった。まあいいか、と放っておいて、歪んだまま使っていたのだが、用事があったので、ついでに、修理してもらうことにした。その眼科兼眼鏡屋さんは、眼鏡が非常に安く、アフターケアなども、きっちりして下さる。二年半前、ゴルフで転んでメインの眼鏡を壊してしまった時にも、その眼鏡屋さんに持っていき、修理中に壊れてしまう事を前提条件に修理を依頼。無事に直してもらい、今でも快適に使っている。しかも、修理費用は無料だった・・・今回のサングラスも以前と同じく修理を依頼したが、多少、曲がっている部分が薄くなってしまったものの、修理成功。丁寧にやって下さったので、問題無し。やはり無料なので、悪いな、と思い、サングラスに装着するヒモを購入。お礼を言って店を後にした・・・そういえば、故親父は、よく、「眼鏡は大切にしろよ」と言っていた。確かに眼鏡無しの生活は考えられないので、普段、ぞんざいに扱ってしまっていた事を反省。これからは大事に使うことに決めた・・・物事は、無くして初めて、それがいかに大切だったかと気が付かされることが多すぎる。

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保険屋さんとの知恵比べ  その4

 新しい資料とは、私が死亡した後に、身内にお金が入るというプランだった。3000円と4000円の資料が提示され、説明を聞いていたが、内容はひどいプランだということだけは解った。内心では、『人の弱みにつけ込んだ、ひどいプランばっかり一方的に押しつけやがって』と腹が立っていたが、ポーカーフェイス。私は迷う振りをしながら、『ここが母を呼ぶ唯一のチャンス』とばかりに、「こればっかりは、母と相談しなくては何とも言えません」と言い、母に合図を送った。手はず通りに、紅茶とバームクーヘンを持ってきて、母が戸をノックしたので、「ちょっと話があるんだ。来てくれる?」と招き入れた。母が挨拶して、父のがんの時に世話になったお礼を言って、自分も『がん保険』に入っていることを話し、場が少し和んだが、保険屋さんは、転んでもただでは起きぬとばかりに、母に説明しだした。私は黙ってバームクーヘンを食べ、紅茶を飲みながら様子を見ていたが、母に軽く解説すると、母は、「折角ですが、私はいいですから」と断りをいれた。そして、それまで説明を受けてきた中で、最先端医療の現実などを説明してもらった。矛盾だらけのプランであることが露呈。私は、バームクーヘンを食べながら、胃がんで胃を三分の二取ったと言った保険屋さんが、どの様に食べるのかを観察していた。ものすごくハイペースで、私よりも速く食べ終わり、立ち去る際には、ペットボトルのウーロン茶まで、悔しそうな顔をしながら持って行った。私は静かに挨拶をして、見送った後、母に概略を説明。「あのねーちゃん、金勘定と相手の不安を煽ってばかりいた。バームクーヘンの食べ方を観ていると、胃がんになったっていうのも、多分嘘だろうな」と話した。何とも後味が悪く、不快な上に時間の無駄であった。たまには保険について、しっかりと見直した方がいいのかも知れない。

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保険屋さんとの知恵比べ  その3

 六年前に私が『がん保険』に入った時、最寄り駅近くのファミレスでいろいろと話を聞き、即決したことを覚えていた。そして、帰りの車の中で、「実は私もがんになった事があるんです」と、その保険屋さんは話していた。私は黙っていたが、若いのに大変だな、と同情した記憶があったのだ。だから、私は、「再発したのですか?」という質問をしたのに、四年前に初めて胃がんになって、胃を三分の二取ったという・・・つまり、嘘をついているということに気が付いたのだ。これで私は完全にその保険屋さんを信用しなくなった。そして、ポーカーフェイスで、静かに、「私は異常に記憶力がいいですよ」とポツリ。相手は解らずに、その後もいろいろと言って来るので、今度は私が、いろいろと質問を始めた。すると、保険の新しい部分の穴が観えてくる。『お客様のニーズに応えて』という部分が逆に聞こえる。それで結局、私は、新しい保険に入ることを止め、今までの保険の条件で続けることに決断。私は、「申し訳ないのですが、これでは、六年前から入っていたメリットが無くなってしまうので、今まで通りでお願いします」と話し、いささか、場の空気が宜しくなかったので、母にお茶菓子を持ってきてもらうタイミングを見計らう。すると、保険屋さんは、カバンから新たな資料を取りだし始めた。

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保険屋さんとの知恵比べ  その2

 家のインターフォンが鳴ったので、保険屋さんを出迎え、挨拶をし、上がってもらった。六年振りの再会なので、初対面と変わらない。私と同じぐらいの年齢の女性で、第一印象は、計算高そうなイメージだった。六年前とは雰囲気が変わったことを察知。座布団に座ってもらい、「足を崩して下さい」と言って、サイドボードで向き合い、交渉が始まった。私に必要な資料はサイドボードの下に置いておいた。保険屋さんは、パンフレットを取り出し、新しいプランのメリットを話し始め、一方的に話を進めていった。私の質問は全て後回し。そして、私が新しい契約を結ぶ場合に使おうと思っていた、告知書の話から始めた。かなり強引だと思ったが、全て正直に話し、問題がないことを、互いに確認。それから、新しい保険についての質問を私が始めた。この時点で、相当な不信感を胸の中に秘めていたが、お互いにポーカーフェイス。いくつかの質問の後、メリットばかりを言う相手に、デメリットの面を聞いてみた。しかし、保険屋さんはデメリットをメリットにすり替えてしまう。何かあると電卓を叩いて、金額表示。何だか嫌気が差してきた。仕方なく、私は、「六年前は終身の積み立てを勧められていたのに、何故、今度は、終身の掛け捨てを勧められるのですか?」と質問。すると、「実は、私、四年前に胃がんになったんです。胃の三分の二を切除しました。その時、保険を終身にしていて、がんになってしまったので、積み立て分はもらい損ねました。だからなのです」と話した。私が、「再発されたのですか?」と聞くと、「いいえ、初めてです」との返事。ここで、私は話の矛盾点に気が付いた。

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保険屋さんとの知恵比べ  その1

 いざ保険屋さんとの交渉の日の朝、久し振りに私は『がん保険』の資料を見直していた。最初は訳が解らなかったが、段々と現在の私の保険の状態を把握した。終身の積立型で、抗がん剤特約にも入っている状態だった(ただし、抗がん剤特約は10年ごとに更新)。おおむね把握した頃、保険屋さんから電話があり、「本日午後一時にお訪ねしてもよろしいでしょうか?」と。私は、「はい。宜しくお願いします」と言って、受話器を置いた。私は父の死後、がん治療についてほとんど無知に近い状態だったので、母に相談した。すると、例えば乳がんなどの場合、入院期間が一週間程度であることを知った。また、最新型医療対応の欄では、当時のパンフレットには上限2000万円と書いてあるのに、契約書では多くても250万円までということが解った。この時点で、私は、かなりの不信感を持ったので、ある策を講じることにした。お茶菓子は用意していたのだが、それを後出しにして、最初はペットボトルのウーロン茶とグラスのみを出すことにしたのだ。新たな契約を結ぶか結ばないかで、お茶菓子を出すか出さないか判断することにしたのだ。そして、疑問に思った資料についてまとめて置くことにした。そして、痛風などのデータがある六年前の持病の告知書を熟読し、茶封筒に入れ、これは契約する場合に出そうと決めた。束の間の昼食の後、歯を磨き、交渉する部屋の暖房を入れ、保険屋さんが来るのを、ジッと待っていた。

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『がん保険』どうしようかなあ・・・

 私は煙草もお酒も大好きだった六年前に、『がん保険』に入った。まだまだ自分は若い気がしていたのだが、親父が多発性がんの体質で、それまでの闘病生活は過酷を極め、さらに、がんという病気の入院治療のために、どれだけ多くのお金が必要かを知っていたからだ。幸い、親父は、がん保険に三口も入っていたため、がんの治療費には困らなかったが、八年間の通院費や生活費は結構な額だったし、何より、通院にしても、朝から夕方まで総合病院にいたら、くたびれ果ててしまう。食事でも、母は相当に気を遣っていたし、親父も不自由な食生活(生活自体)を強いられていて可哀想だった。親父のそんな姿を見続けてきたので、私は保険に入ることにしたのだ。親父の生前のことだったが、六年前に親父を亡くしたのも事実である。私は一口しか入らなかったが、年齢的に若かったので、終身で入ることにした。がんの事は考えたくなかったのだが、がんの治療法などが大きく変わった事は知っていた。すると、先月、保険屋から保険の形態が変わるとのことで、新しいプランを打診してきた。つまり、入り直すということなのだが、この時、私はそれ程深くは考えてはいなかった。しかし、今までと同じ料金で入ろうと思ったら、掛け捨てにせざるを得なくなる。そして、これまでの六年強の終身の保険で払っていた金額の40%が帰ってくる・・・何かとてつもない不信感を感じてはいるのだが、ここ六年、がんになった場合のリスクを考えると、そんなものか、とも思える。しかし、六年前と今回の説明に、多少の矛盾を感じてもいる。保険の営業をしていた知り合い(当時は友人)から、保険屋の仕組みを聞いたことがあるので、多少の知識はあるが、その、かつての友人は、友達を失った。まあ、そんなことはどうでもいいのだが、うちの家系を考えると、がんになるリスクは否めない。どちらにしろ、保険には入らなければならないのだが、節煙、節酒を始めたこともあり、今後、保険の形態がどの様に変わるのかも判らない。同じようなことを繰り返すのでは、単なる保険屋のカモである。熟慮の上、保険に入り直すか更新するかを決めてみたい。

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私達はどうあるべきなのであろうか?  その5

 これからの時代、どうなってゆくのであろうか?過去の時代の流れから現在へと回帰してみると、IT革命が一つの大きな転換点であること、スマホの出現により、さらに加速的に時代は変化した、というよりも、し続けているという現実を前にして、果たしてこれでいいのか?という疑問符が付く。二極化した社会、能力の無い政治家達、そして、朝日の没落に伴うマスメディアのこれからの在り方、教育の問題、高齢化社会を実際に迎えだした現実、赤字国債を抱え込んでいる日本と経済の諸問題、異常気象、相次ぐ天変地異、原発の問題、新興国とのつきあい方と国益の問題、まだまだ数え切れないその他の事情・・・日本だけとは限らないが、とりあえず、近い将来、誰しもが直面するであろうこれらの現実に、現時点で私達は目をつむってごまかし続けているのが現状なのではないのだろうか?確かに私も様々な事を考えては来たが、どこから手を付ければいいのか解らない位に、時代の流れは加速し続ける。ただ、一つだけ解っていることは、このまま行ったら間違いなく破綻するということだ。これは、日本だけではなく、世界規模でかもしれない・・・人は誰しも、現実から目を背けたがるものだが、それに立ち向かわなければならない日がいつか来る。自分でなくても、自分の子孫が。そこに、現在の貧富の差やら勝ち組負け組とやらは通用しない。どんな立場の人間でも絶対に逃れられない。なぜならば、どんな人間にも生老病死の苦しみ(仏教でいう四苦)を味わう時が必ず来るから・・・昔ながらのやり方で上に挙げた日本の問題に対処しようとしても不可能なのだ。これは、文明の便利さにどっぷりと浸ってしまった現代人全体が抱える業なのかも知れない。もしくはエゴイズムの問題なのかも知れない。もしくはコマーシャリズムの問題なのかも知れない。もしくは・・・というように、その根拠でさえも、いくらでも浮かび上がる。結局は、人類全体の責任なのであり、逃げ道など無い・・・その上で、『私達はどうあるべきなのであろうか?』という問いを発してみたのである。私自身も迷える子羊であることに変わりは無いのだ。

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私達はどうあるべきなのであろうか?  その4

 朝日新聞のボロとは言うまでもなく、捏造された記事が明るみに出たこと。主な所では、従軍慰安婦関連の『吉田証言』を、他の新聞社とは異なり、32年間黙認し続けた問題、また、先に挙げた珊瑚のでっち上げの問題、東京電力の福島第一の所長のコメントについての『吉田調書』問題、池上彰氏の問題、などなど、多々ある。要は社風に合わない情報を握りつぶし、さも、自分達の書いている事だけが正義だ、と勘違い甚だしい認識で多くの国民をアジり続けた責任は重い・・・そして今回の朝日新聞の木村社長の辞任の根拠の主旨と、朝日新聞社内(パスワード込み)メール『風月南天』での木村社長が社員宛に出した社内メールの内容との食い違い。これには、朝日新聞社内部でも、社員達が怒号をあげたという。当たり前である。社長が部下を置いて敵前逃亡したようなものなのであるから・・・朝日新聞はコマーシャリズムの時代の中で、ジャーナリズムを無茶苦茶にし、従軍慰安婦問題の『吉田証言』に於いては、国の形態を無茶苦茶にし続けてきた面は否めない。実際に国民の朝日離れが生じだしている事実は否めない。しかしながら、踊らされてきた多くの国民にも責任があることも事実である。確かに、情報というものを扱う以上、間違いも生じる事はあるであろう。しかし、朝日新聞のケースは許されるものではないのだ・・・これら一連の問題を顧みて、私は、歴史や政治思想に『絶対』が無い以上、個人の思想の自由として右だ左だというのはあるにしても、ジャーナリズムには、それがあってはならないのであることを改めて認識したし、これだけ朝日が叩かれている現在、右翼が勢いづくな、と感じたと同時に、時代がマスメディアの在り方としての大きな転換期を迎えているような気がするのだ。その様な中で、私達はどうあるべきなのであるのだろうか?ということを、考えてゆきたい。右だ左だという論点ではなく、もっと時代というものについてをである。

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私達はどうあるべきなのであろうか?  その3

 戦後、各新聞社が論調を変える中で、朝日が最も部数を伸ばしたことには、様々な意見もあろうが、紛れもない事実である。原因は様々あろうが、いち早く時代に迎合したという見方も出来る。そして、日本が経済復興してゆく中で、新聞各社はコマーシャリズムの波に呑まれて行くことになる。部数を伸ばすためなら、手段を選ばなくなる時代がやってきた。新聞社が新しいマスメディアであるTVを利用し、戦後の日本のイデオロギーを作り、多くの国民を先導したという事実も否めない。そんな中で、朝日系列の先導の仕方は、とりわけ左寄りであった、ということも周知の事実。先に挙げたテレビ朝日の『ニュースステーション』を多くの国民が支持したことからも明白である。時はバブルの時代、朝日新聞のペンにも力が入る時代であった。珊瑚に朝日の契約社員がK.Yと彫ったでっち上げ記事は許されるのに、朝日新聞の記者が赤報隊と名乗る団体に殺されると、躍起になって、ペンは剣よりも強し、などと書いていたのも事実・・・しかし、バブルが弾け、不景気となり、さらにIT革命を迎え、時代(多くの国民)の流れが、徐々に新聞社やTVからコンピューターに移行し出すと、特に新聞社が多くの国民を先導する時代ではなくなってしまった。スマートフォンも急激に普及し、新聞社に虫のいい時代では無くなった。ここで新聞社の中でも、一番の部数を誇っていた朝日新聞も昔のようには立ちゆかなくなり、徐々にボロが出始める次第となったのである。

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私達はどうあるべきなのであろうか?  その2

 ある頃から、私は、戦前から存在した新聞が、何故、戦後も大手をふるって、存在しているのかが疑問でならなかった。それは、無論、日本が敗戦国だという認識があったからである。戦前の新聞など読んだことはないが、夏目漱石が明治時代に今の朝日新聞に当たる新聞で様々な名作を連載していた事くらいは知っている。それに、戦前の治安維持法のむごさや政治犯を厳しく取り締まった事実もある。となると、何故、戦前の新聞社が現代まで生き残っているのかという疑問を、ガキの頃に漠然と抱いたことがある。最初は記者を全部入れ替えたのだろうと思っていた。しかしそんなことは、あり得るはずがない・・・物事がある程度、解る様になってきた頃、日本の敗戦と共に新聞社を辞めた記者がいたことを知った。つまり、戦前は各新聞社とも、軍国主義、及び戦争を煽っていたのである。私は、故祖父母に戦争中について話を聞いたことがある。何で、敗れる確率の高い戦争に突っ走ったのかを。すると故祖母は、「あの頃はそんなことを言ってられる状況じゃあなかった」とだけ話してくれた。太平洋戦争時の海軍司令官であった山本五十六も開戦前に何度シュミレーションしても、アメリカに勝ち目がないことから、開戦には反対であったにもかかわらず、開戦に踏み切らざるを得なかったことからも、世論が許さなかったということであろう。その世論を煽ったマスメディア(巨大媒介)のうちの一つが新聞社であるとすれば、敗戦と同時に、責任問題として、軍部のみならず立派な戦犯なのである。その扇動に乗った、国民にも、もちろん責任はあるが、ここで問題視しているのは、戦前の新聞社が戦後、論調を手の平を返したかのようにコロリと変えたということである。

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私達はどうあるべきなのであろうか?  その1

 朝日新聞社長引責辞任とのニュースをネットで見てしまったが故に、また、朝日か、今度は何だ?と、調べ物をしているうちに、三時間ぐらいが経過していた。ジャーナリズムや政治思想、ひいては、個人の在り方、及び国の在り方ということを考え込んでしまった。これは、私が夜型にしたのでは無く、二時間弱しか眠れなかったのがきっかけである。この国の政治を見捨てていた私は、政治的関心と共にニュースも新聞ではなく、ネットでチェックしていた。新聞もニュースもデタラメだらけであることが解っていたからである。何故、ネットかというと、気になるニュースがあった時にいろんな角度から情報を仕入れやすいからである。四年ぐらい前、朝日の夕刊の『素粒子』のコーナーの揶揄の仕方や、デタラメな記事及び応対(イラク戦争の時に、天声人語と国際面が同じ記事を同じ新聞で正反対の見地から書いていることに腹が立ち、朝日にクレームの電話を入れたら、受付の女性社員は、私が、「あの、今日の」とまで言った瞬間、電話をクレーム係に回し、男が出てきた。私が矛盾点を指摘すると、その男は黙り続けたので、嫌気が差し、電話を切った)の非道さに腹が立ち、日経にすぐに変えた。そもそも、私の家が朝日新聞を取り始めたのは、中・高時代に国語の教師陣が、天声人語の漢字が受験によく出るからと、夏休みの宿題にし、夏休み明けには全校統一漢字テストというものを行う風習があったからなのだ。高校になると社説まで加えられた。確かに漢字には強くなるのだが、思想的な意味では、考え物だと思われる。実際に、高校にもなると、朝日新聞の記者になりたいと言う奴もいたし、テレビ朝日の『ニュースステーション』が一世を風靡した時代でもあった。『ニュースステーション』の久米宏が、初めてニュースキャスターとしてニュースにコメントを入れ出したことは画期的であり、TVニュースの報道の在り方を変えた革命的な番組で、当時は視聴率が25%近くあった人気番組だった・・・それと今回の朝日新聞の社長辞任問題はどこにあるのだろうか?単なるコマーシャリズム(商業主義)だけの問題だけでは無いのである。

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天はどんな人にでも平等

 まだ、自分を見つめ直す時期は続いているのだが、運動(散歩)と料理の手伝いは続けることに決めた。お酒も寝る前にほんの少し、煙草も一日にとりあえず、十本以下(昨日の場合、もっと少なかった)に減らした。そうしなければ、私達、家族が生き残ってゆけないからだ。ストレスも溜まるが、危機感の方が強い。目の前から煙草と灰皿を無くし、家の中で携帯灰皿を使うことにした。気付かぬ間に吸ってしまうことを避けるためにだ。同時に、家にお金を入れることにした。これまで、禁酒を半年ぐらい続けたことは何度もあったが、何かをきっかけに、また飲む事を繰り返して来たので、それを二度と繰り返さぬように、今は節酒している。これまでの禁酒中では、煙草を吸う量が増えていたので、最終的な目標は禁煙と決めた事情もあり、車は急には止まれない、という現実も含めて、今は、節酒と節煙にしている・・・こんな話ばかり書いてばかりいてもつまらないと思うので、少し別の話を書くと、私の、これまでの人生を漠然と振り返ってみると、人生の節目々々で、自分で決断してきたことは、実は、全てそうなるように決められていたという気がしてならないのだ。昔、床屋に通っていた頃、パソコンが置いてあり、翻訳ソフトで、『LET IT BE』と入力した所、『すべてをそうなるようにしたのです』と翻訳したのが強力に頭に残っていたので、そこから、私なりの理論展開で、宿命論者になったのである。決して、私は運命論者ではない事は断っておく。そこから、自然と仏教を研究しだし、再び私に新しい考え方が生まれた。正しく『感謝』する事とはどういうことかということについても、自分で悩み、苦しみながら、仏教的な、『正しい』ということの自分の中での定義も決まった。そこから、私の人生観は変わり、『運と欲の関係』などについても思い当たることがあった・・・まだまだ書けることはあるが、これらばかりは、説明の仕様が無い。自分で体得したり勉強したりしなければ、解らぬ仕組みになっている。だから、仮にコメントが来ても、返事の出しようがない。一つだけ言えることは、たとえどんな人でも、天は皆、平等にしているのだ、ということだ。

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人生観の変化

 昨日の朝に旅から無事帰ってきた。今回の旅で、私の人生観は変わった。四国のある道の駅での行者との出会いによって。この話は気が向いたら書く。今朝五時に目覚め、煙草を一本吸ってみたら、頭がクラクラした。お酒も控える様になった。朝食の袋入りのインスタントラーメンが美味しい・・・あらゆる人に生きる苦しみがあることを知った。とりわけ、友達達の苦しみも・・・特に、ごまかし続けてきた、自分自身の足下もよく観えるようになった・・・これから先に世界や、とりわけ日本がどういう風になってゆくかも、大方、観える様になった。自分は、知り、考え、何らかの自分の考えを持つことが好きであることが解った。伴い、物書きではなくて自己哲学を組み立てることの方が好きなことが判った。それを形にするためにものを書くのだろうということも。また、生きる道は一つだけではなく、たくさんあり、拘ることも止めることにした・・・今、私は、自分の事を見つめ直している。ネットとのつきあい方やあらゆる生活の便利ということについて考える時だと解った。自分は、何も解っていなかったのだということが解った。悔い改めなければならぬことを悟った。親父が死ぬ間際に、喋れないので、メモ帳を差し出したら、『~~~~~ごめんな』とだけ書いて死んだ意味も解った。自分がどれだけ背伸びして、見栄や世間の目を気にして生きていたかも解った・・・とりあえず、まとまってはいないが、とりあえず、これからは、絶対に焦らず、慌てずに生きてゆきたいと考えるようになった。まだまだ、書きたいことはあるが、とりあえず、この辺にしておく。さて、とりあえず、散歩に出かけようか。

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家路

現在、神戸。昨日は足摺岬に行った後、訳あって家路についた。現在、午前1時40分。詳しくは、後日に。

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車中泊、4 時間しか眠れず

現在、愛媛。昨日は母方の先祖が眠る、瀬戸の島で墓参り。計13名が眠る墓だったので大変。その後、フェリーで愛媛上陸。一路、道後温泉に向かい、入浴。雨が非常に激しかったので、移動は困難を極める。夕食はご当地名物がなかったのと、車での移動だったので普通のレストランで、サイコロステーキを頂く。夜になり、暗かったので、道の駅で車中泊。現在、午前3時。外は真っ暗。独り孤独にブログを打つ。何はともあれ、多分、瀬戸の島に帰るのも、これが最後だろうと覚悟。感慨深いものがあった。伴い、日常の自分を客観視でき始めたのも大きい。少しずつ考え始める様になった。まずは普段の生活の無駄から始まり、今後、どんな自分になりたいのかを考える様になった。果たして結論が出るのかは解らないが、悩んでいる自分がいるのは、まぎれもない事実。ナビも相変わらず調子が悪く、時々、地図を観たり、人に聞いたりして、道に迷い続けている。人生も、かくのごとしと受け止めている。今回の旅で、何らかのヒントがほしい。

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雨だ

現在、広島。昨日は神戸から何処に行こうか、決めかねていたが、再びナビの調子がおかしくなったので、分かりやすい国道2号をとりあえず西に向かった。これで、広島に向かう事を決意。途中でナビは復活したものの、今後も油断できない。いろいろあって、現在広島。昨日の夕食は、お好み村にて広島風お好み焼きネギが利いていて、非常に美味だった。とりあえず今日は瀬戸の祖父の墓参り。外は雨。どうなることやら・・・

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