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2014年9月

おや、友人からのショートメールだ

 携帯(スマホでは無い)を久々に充電器から取ると、友人からのショートメールが届いていた。日付は三日前。申し訳ないなと思いながらも、中身を観ると、ゴルフのお誘いだった。何を隠そう、私に毎日blogを書いたらどうだと言われてから、七年三ヶ月以上。毎日観に来てくれている親友だ。だから、blogで、運動不足の解消に、打ちっ放しに行っていると書いたら、お古のゴルフクラブを打診され、ありがたく頂いた。仏画を頂いた友人でもある(この仏画は、自分の心の鏡である。3.11の時に、母を救ってくれもした)。しかしながら、手入れはしているものの去年の五月の頭以来、ずっと振っていなかった。友人のお誘いに、礼を打ち、丁度ストレスが溜まっているから、是非とも行きたし。場所と面子は?との私の問いに、熱海と千葉とどっちがいい?と聞かれた。どっちでも構わないよ、と打ち、もう一人は『Katsu』の店長ということだった。みんな必死で闘っている。今の時代、流れが速すぎて、個人の我が儘なモラルへのぶち壊しと、押しつけられた常識で窮屈で仕方が無い。たまには緑の中を歩きたい。というわけで、しばらく打ちっ放しに通うつもりだ。10.21が予定日である。天候に恵まれることを望む。いくら歳をとっても、この馬鹿三人組で、いつまでも気兼ね無くラウンドしたいものだ。叶うことなら・・・伴い、深夜にパソコンを開けることが少なくなるかも知れないが、どうか、その辺はご勘弁を。

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オフにするか

 何だか今日はPCをいじりたくない。オフにしよう。それから、札幌国際芸術祭に関わった全ての皆様、お疲れさまでした。

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「ご覧、これが金だけのことを考えて生きてきた人間の顔だよ」

 長年使っていた炊飯器が具合悪くなったので、昨日の朝方、母にAMAZONで品定めしてもらってから、注文したら、ジャーが当日中に来た。その時の受け取りのついでに、夕刊も取ってきている。母はジャーの取説を真面目に読んでいたが、私はパソコンに向かっていた。一通り確認した母は、覚えるために、私にプレゼンしてくれようとしたが、私は生返事。明日から使うと言うので、「要領を得たら教えて頂戴」と、初めてそのジャーを見た。「保証書は取っておくんだよ」と私が言った頃には、母は新聞の夕刊を読んでいた。「アベノミクスって滅茶苦茶だよね。税金上げるどころか、こうも物価が上がっちゃあ、大企業に勤める人でも生活は苦しいだろうね。白菜一つが700円弱?ふざけているよな」と話したら、「今の政治家、お坊ちゃまばかりだから、お金で苦労したことが無いのよ」との返答。「今の日本で、六人に一人の子供が、まともに食えていないって、クローズアップ現代でやってたぞ」とディスプレイを見ながら話しかけても、母は無言。一段落ついて、「どうしたんだい?」と聞くと、「この新聞の一面を見てご覧。一生涯、お金のことだけを考えてきた人間の顔だよ」と言うので、観てみた。その人は落ちくぼんだ目をして、眼に特異な感じを受け、観ているだけで気色が悪かった。明らかに異常な顔つきであることが解る。「コイツ、相当ヤバい人相しているな。フランケンシュタインよりも恐い・・・そこをいくと、ホリエモンなんかただの馬鹿だからいいけれど、こいつは大まじめにカネに一生を捧げたMADな雰囲気が写真からでも伝わってくる。金儲け以外には何も無いぞ、多分」と話したら、「こういう人間に、今の日本の政治家や官僚が勝てると思えないでしょ」と語った後、二人して亡国論に花が咲いた。空しすぎるだけだった。

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恐ろしい友達が出来てしまった(FB)

 夕方、パソコンを立ち上げ、メールを見てみるとフェイスブック(以下FB)の友人依頼が来ていた。気軽に承認したはいいのだが、ものすごい数のページが紹介されていて、全部観るのに数時間かかってしまった。彼自身の投稿が面白く、気軽に対処していたのだが、いつまで経っても昨日に追いつけないのだ。ちなみに私の友人数は53人ぐらい。ほとんどが中・高時代の友達で、大学時代の友人が幾名か。後は、おじいさんだけだったのだが、それでも全部見るのはきつかった。そこに、若い彼が加わると、恐ろしい数になってしまった。『いいね』も何回押したか解らない。こうなると、明日からの処理の仕方を考えなければならぬ。ところで、最初こそ、FBをblogのネタ探しぐらいに考えていたが、徐々にUP数が増え、時間のメドがつかないくらいに増えてしまった。老若男女問わずに教えを請いたいというポリシーの中、続けてきたが、このままでは時間的に破綻する。5000人も友達を抱えている方は、どうやって処理しているのであろうか・・・是非聞きたい。また、今日、とりあえず全部を読んでみて、お年寄りと我々ミドルエイジと若者達の価値観が、かなり異なるのが鮮明になり、そういう意味では面白かった。最近の若者でも、ちゃんと考えているんだなあ、と安心。これだけ時間を使っていても、実は私はFBの扱いには疎い。自分から投稿したこともほとんど無い。時間が無いというのも理由の一つではあるが、私はスマホでは無く、FOMAを未だに使っているから、写真が撮れないのだ。これが大きな要因でもある。面白い投稿が増えたのはいいが、肝心の友人関連の情報が判りにくくなってしまったのが欠点である。今度、本屋でFBの攻略本でも買ってこようか。

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胃痛とハチミツ

 こないだの日曜日から胃痛が出だし、胃薬を飲んでも効かないので、どうしたものか、と苦しんでいたら、お袋が突然、大さじ五杯ぐらいのハチミツを持ってきて、「これを飲み込みなさい」と言う。怪訝な顔をした私に、随分、昔の話をしてくれた・・・それは、昔、未だ神戸に出る前の故郷の瀬戸の島の村落で、今は亡き祖父と祖母が、ミカン作りをする傍らで、家の庭の隅っこで養蜂をしており、ハチミツを作っていたそうなのだ(もちろん、他にも、いろんな物を作っていたし、山の幸だけでは無く、海の幸にも恵まれていた)。ある日のこと、島に五つ六つ、ある集落の中の一つから、胃痛持ちの男の人がやって来て、故祖父からハチミツを買いに来て、茶碗一杯を一気に飲み干したそうである。しばらくに渡って、ハチミツを飲んでいたらしいが、胃痛が完治したそうだ・・・私が、「何でだ?」と聞いても、お袋にも解りかねた様子だった。藁をも掴む思いで、皿からスプーンでハチミツを取り出し、凝固しつつある部分が口の中でジャリジャリしたが飲み干した。もちろん、すぐに歯を磨く。瀬れを四回繰り返した頃、胃の痛みは消えていた。不思議だった。三日で完全に痛みが取れた。アロエや大根の絞り汁なども効くそうだが、ハチミツが何故、胃痛に効くのかは不明である。しかし現に良くなった ! ちなみに、純正のハチミツを私は飲んだ。純正のハチミツは、時間が経つと白い蜜の結晶が沈殿してくるのである。大量に。固くは無い。たまたま、母方の祖父母が生きていた頃のものが、残っていたのだ。その頃には既に、養蜂はしておらず、買ったものを送ってくれていた(もちろん代金は払って)。ハチミツが何故、効くのかも解らないので、どんなハチミツでもいいのかは不明ではあるが・・・ありがたし。

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ある木の夢

 私は中・高生の頃、絵を描くのが好きだった。特に風景画が。尤も、授業でやる範囲無いだけだったが。水彩も油彩もやった。ついでに言えば、何人かでの体育祭のマスコット造りの際にはペンキ画もやった。どれも面白かったが、晴れた日に、のんびりと風景の雰囲気を飲み込みながら描くのがこの上なく好きだったのである。だから、雨が降って、先生から、美術室内で風景画を描けと言われても無理な相談なのであったから、そんな時には絵筆を持たずに友人と喋っていた。これは、私が風景画を描く時の流儀なのだから仕方が無い。それから何年か経った頃、木の幹を油彩で描いている夢を観た。何でだか、木の幹一つ描くのに、白く塗ったり、緑に塗ったりと、いろんな色を塗り重ねて、最終的に、現在の色に塗っているのだ。インパクトの強い夢だったので、しばらく考えていたのだが、一つの結論に達した。それは、その木がこうなるまでの様々な積み重ねを重ね塗りしていたのだな、と思った。思い当たったフシは、自画像を描いた時に、私は自分の目ん玉を、最初に赤く塗ってから、黒く塗った事がある。まだ若かったのだ・・・思うに、実際の人間の顔というのも、様々なものの積み重ねなのではないだろうか?そう考えると、少なくとも自分の顔には責任を持ちたい。シワが増えたり白髪になるのは仕方が無いが、いい歳の取り方をしたいものである。

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草加の『Katsu』がネット放送で紹介さるる その2

 店のウリを聞かれた店長は、「職人が作った創作料理を味わって頂き、ソースなども手作りですし、他のお店と同じぐらいリーズナブルな価格で料理を楽しんで頂く事です(一部聞き取れなかった)」と丁寧に説明していた。またバクつくギャルレポーターの二人。美味しそうに食べる。すると、映像は一人が席に戻った形で、相方がおらず、窓際のネオンのカウンター席で見える夜景を紹介するという、凝った設定。再び『海老とマッシュルームのアビージョ』のおかわり。と共に、最後の一品、『ロコモコ(ハンバーグと半熟卵とサラダ)』を食べ出す。こいつら滅茶苦茶食うなあ、と思っていたが、半熟卵をハンバーグに絡めて食べるのは、確かに美味しそうだった。そして、店の外で店長の友人を囲んで取材が終わった後で、好きな料理を話していたが、どれも『Katsu』の定番メニューだったので、フォローさせてもらうと、ランチタイムは別として、メニューは底知れないほどある。もちろんお酒も。飲み放題もあるし、とにかく、低価格でいい料理が食べられる・・・映像を見終わった後、FBに、軽くコメントしたが、店長である友人も、あの食欲にビックリした様だが美味しく食べてもらえて嬉しかった様子。今回の取材の映像はこちらからhttp://sokagenki.tv/news/gourmet/(この文章は記憶違いと多少の脚色があります)。また、『ダイニングバーKatsu』の、ページのURLはこちらです。http://r.gnavi.co.jp/b250200/

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草加の『Katsu』がネット放送で紹介さるる その1

 友人の店、『ダイニングバーKatsu』が、草加インターネット放送局の『草加グルメ』という企画で、真っ先に紹介されていた。YouTubeで10分ほど。二人のギャルレポーターが店を紹介し、その店の名物料理を食べるという企画。店内に入りテーブル席に座り、カクテルとソフトドリンクを飲む二人。一品目は『トマトとモッツアレラチーズのサラダ(輪切りトマトの上にモッツオッレラチーズが乗り、軽く緑色のソースが乗っている)』を店長の友人が運んで来ていた。丁寧な接客に感心したが、二人のうちの一人は来店経験がある様子だった。実は、これは、私も食したことがある。二人とも、「おいしい」と言いながら食べていると、次に、『タルタルトースト((焼いたか揚げたかした様な)フランスパンの上にタルタルソースがたっぷり乗っている)』が運ばれ、二人はペロリ。続いて、『自家製煮豚とトマトの生春巻き(野菜も入っていた)』を、二人が(お好みによる)ピリ辛ソースをつけて食べる。「美味しい」はいいのだが、細かくなくてもいいから、もう少し器用に表現して欲しいなと感じ出す私。続いて『海老とマッシュルームのアビージョ(熱々スープに(焼いたか揚げたかした様な)フランスパンをつけて食べる)』と『海老のチジミ(何片かのチジミを特製ソースにつけて食べる)』が運ばれてくると、二人のうちの一人が店長の友人に、「このお店のこだわりは何ですか?」と質問した。

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墓参りと買い物

 一昨日が彼岸の入り、ということで、秋分の日は混むだろうと、昨日、父のお墓参りに行ってきた。格安スーパーにも行く予定だったので、二時間半睡眠で、朝の四時半に目が覚めたこともあり、風呂に入り、身を清め、朝の六時頃には母と身支度をして出発。途中、仏花をコンビニで購入し、空いている道を、サラッと走ると、四十分ほどで到着。早くから来ている方々も多かった。何か、今回の墓参りでは、初めて、親父を身近に感じた気がした。お盆の七回忌に私と弟と母と三人で墓掃除をしたので、今回は手間が掛からない。父の好きだったビールを備え、線香をともし、教を唱えて車に戻ると、未だ朝の七時。しかし、その頃には既に多くの車が駐まっていた。早めに来て良かったけれど、格安スーパーまで一時間程。余りにも早く着きすぎてしまう。仕方が無いので、途中ガソリンスタンドに寄って、給油と洗車をしたも、格安スーパーに着いたのは、八時半・・・開店まで未だ一時間半もある。椅子を倒して寝ようと思うも、寝られず、ボーッとしていた。何とか辛抱の、一時間半が終わると、愛犬のご飯とか、洗濯用洗剤などと共に、食物や飲み物、香辛料などを購入。車に積みきれるかどうかは解らなかったが、何とか詰め込んだ。帰りは、高速で帰って来た。しめて、六時間掛かって、愛犬の家に待つ家に帰還・・・現在は余りの眠さに、頭が働かない。

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弟の社内旅行in京都  その3

 「天竜寺はな、足利尊氏が後醍醐天皇の霊を弔うために作らせた寺なんだ・・・で、尊氏はうつ病の気があったと言われているんだ。だから、あんな立派な寺を建てたんだと思うぞ」とまで話したら、お袋が、「裏の竹林まで行ったの?」と聞く。「うん。行った」と弟。「何とも言えない雰囲気だったでしょう?」と母。「どうかなぁ」と応える弟に、「お前、感受性、限りなくゼロだぞ」と言うと、でも、「東寺の仏像は良かったなあ」と、思い浮かべた顔になったので、「東寺は一度行きたいと思っているけれど、行ったことないんだよなあ・・・でも、中に何体かの仏像が配置されていただろ?」と聞くと、「うん。不思議な配置だったなあ・・・でも一番良かった」と言うので、「曼荼羅って解るか?あれは弘法大師(空海)が表現した立体曼荼羅なんだよ。梅原猛の説によるとな。高野山が本拠地だけれど、都にも拠点を作ったんだ」とまで言うと、「焦げた仏像があったよ。ところで、兄ちゃん、国宝と重要文化財ってどっちが上なの?」との愚問に、「国宝に決まっているじゃねえか」と言うと、「重要文化財の方が多かったけれどなあ・・・」と疑うので、「国宝の方が金が掛かるだろ?文科省にそんなに金があると思うか?」との私の問いに、「あるわけねえな」と、弟が破笑。「もう一つの理由は、贋作が多いって事なんだ。雪舟展なんて、国宝の『天橋立図』を観た時には体中に電気が走ったけれど、そしたら他の作品が全部贋作なんじゃないかと思ったほどだよ」と言うと、「昔から儲かる話には裏があるんだ。今も変わらねえけど」と、弟。また笑う。最後にお袋が、「夢が無い話だねえ・・・でも、現実ってそんなものなのかも知れないね」で、閉めてくれた。

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弟の社内旅行in京都  その2

 旅行カバンを手探りしていた弟が取りだした物は、『漬け物セット』であった。母が、「こんなに買ってきてくれたの?」という中、「いろんなのがあったから、迷っちまった」と照れ笑い。その日は一袋だけ開けて、私は酒の肴にしていたのだが、翌日には、お袋のお茶漬けパワーによって、その漬け物は、お袋の胃袋の中に消えた。「他に何処に行ったんだい?」と聞くと、「あの後は伏見かな・・・寺田屋に行った。細い細い道だったよ」と言うので、「坂本竜馬の銅像観たか?」と聞くと、「うん。兄ちゃん、坂本竜馬って、あそこで殺されたんでしょ」と間抜けな事を言うので、「襲われたことはあるけれど、死んだのは『近江屋』だぞ。寺田屋は、昔、大阪と京都を結ぶ船の重要拠点だったんだ」と話したら、「河は無かったけれどなあ・・・」と言うので、「周りは木の建物ばっかりだっただろ。元かどうかは知らないけれど造り酒屋だ」と語ると、「うん。そんな感じだったなあ」と間抜けな事を抜かすので、「地酒買ってこいっていっておけばよかった」と悔いると、「あの辺て、美味しい地酒があるの?」と聞くので、「伏見の日本酒っていったら、有名だ(った?)ぞ」と教えたら、「オイラ、日本酒ってあんまり好きじゃあ無いんだよなあ・・・」と言うので、話を別の方に振った。「他は何処に行ったんだい?」と。「嵐山にも行った」と聞くと、お袋が、「天竜寺には行ったの?」と羨ましそうに言う。「行ったよ。イマイチだったなあ」などとほざくので、「あの寺の庭園がダメって、お前観る眼無いぞ」と私。「えっ!」と驚く弟に、私は追撃し始めた。

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弟の社内旅行in京都  その1

 こないだの14、15の連休に、弟が社内旅行で京都に行ってきたそうだ。旅立つ前の晩、会社近くの飲み屋で飲み会があったらしく、翌朝、旅立つために、みんなで、これまた会社近くに住んでいる人の家に雑魚寝させてもらったらしい。新幹線で京都に向かい、京都市内をマイクロバスで移動したそうだ。まず、金閣、銀閣と観光したとの話。弟は金閣よりも銀閣の方が気に入ったそうだ。私が、「『わび』とか『さび』とかを感じなかったか?」と聞くと、「よく解らないけれど、何だか良かった」と言うので、「奈良・京都は十一月に特別展をやる寺が多いんだけれど、俺が八年前に行った時には、銀閣の中まで入らせてくれたぞ」と話すと、「どんなだった?」と聞いてくるので、「・・・う~ん忘れた。ってことは、多分、たいしたことなかったんだろうな」と言っていたら、「兄ちゃん、金閣の中まで入った事があるのかい?」と聞くので、「それは無い。昔、寺の坊主が放火しただろう・・・あそこの池はな、『鏡湖池(きょうこち)』ていって、晴れた日の夕暮れ時に、逆さ金閣を観ながら庭園散策をするのが通なんだ」と語ると、「夕暮れ時じゃあ無いけれど、逆さ金閣は見えたなあ・・・」と弟。「お前、銀閣に行ったのなら、南禅寺まで行ったか?」と聞くと、「南蛮寺?そんなもんあるのか?」と言うので、「南蛮寺じゃあ無い。南禅寺だ」と諭すと、母が、「あそこには哲学の道があるのよね」と話した。「そこ行ってねえ」と弟が言うので、「いつか余裕が出来たら行ってみるといいぞ・・・ところで、銀閣の側には土産物店が多かったろ」と探る目をする私。「そうだそうだ、忘れて会社に持って行っちまう所だった」と、弟は旅行カバンを開きだした。

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一石七鳥

 ばあちゃんからの遺産が、勝手に決められた分配によって、振り込まれてきた。弟がお金のことで悩んでいる今、弁護士兼弁理士の友人が、「絶対に甘やかしてはいけない」と言うことを戒めとして、お袋にも口封じを命じた。カネのニオイすらさせるなと・・・苦渋の決断だった。その代わり桁が一つ少ない遺産金額は、全て家に寄付することにした。私もお金には困っているが、親父が建てたこの城を守れる。一匹目の鳥だ。また、弟の分はとっといてやれと話した。本当に困った時に小出しで出してあげろ、と。これが二匹目。私の経験からすると、棚ぼたのお金をもらっても自分のためにはならない。これが三匹目。欲を捨てて運を選ぶと、人生間違わないという自分の信念。四匹目。無茶苦茶な配分をした親戚一同にも筋が立つ。五匹目。腰がボロボロになるまで働いたばあちゃんのお金をどう使えばいいのか解らない。お針の師匠だったのだ。豪華な生地にもハサミを入れ、プレッシャーと闘っていたのだろう。親父が邪魔すると、よう、お袋に物差しで叩かれた、と言っていた。そんなばあちゃんの汗の結晶を使えない。六匹目。最後に、自分自身が、一番正しい使い方をしたと思えること。これが七匹目・・・しめて、一石七鳥。私は後悔していない。百年後を考えたらいい、棚ぼたやコネを利用した人間の子孫は、必ず滅びる。社会が許さない。買ってでも苦労をすべきなのだ・・・まさしくこれぞ、一石七鳥!!

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残暑の会 2014  最終話

 「前に、うちの弟が、カミさんに弱みでも握られているのか?って聞いてくれたけれど、あるとしたら子供なんだよな」と語ると、友人は黙って腕組み。続けて、二人の祖母の死に伴うゴタゴタ話と厄年話。友人はいろいろと教えてくれたが、「もう、気にしていない。今度、厄払いをしてもらうよ」と話した所で、秋葉原の駅に着く。「いろいろとありがとう。お疲れさま」と言って、一人きりになった。不思議なことに、帰りは迷わない。とりあえず、東京に出ることにした。飲み会の最後の辺りから、東海道線と京浜東北線が止まっていることは知ってはいたが、何とかなるだろう、ぐらい適当な気持ちで。草加では降ってはいない雨が東京駅では降っていた。一番早い列車の最前列に並び、ヨミが外れて30分待ち。『これだったら、もっと遅くまでみんなと飲んでいても良かったなあ・・・』などという間に、先に触れた人間観察を開始。並んでいる方々は、海外帰りの方も多い様だったが、やはりスマホをいじっている人もいる。業務放送の続くしとしとした駅で、立ちぼうけ。やっと来た電車に乗り、降車口側の席に座る。すると、おおよそ半分ぐらいの人がスマホをいじっていた・・・なるほどなあ、と友人の考えを思い出した。それは、ある種の異常な景色だったからである。スマホ中毒っていうのも、恐ろしいものだな、と考えているうちに電車は最寄り駅に着いた。サラッと降りて、タクシー乗り場へ。地元はひどい雨だったので、やむなくザックから折りたたみ傘を取り出す。そこでも待たされた挙げ句に自宅へ・・・振りが強かったので、自宅前に着けてもらった。勘定を済まし、家に帰ると、愛犬が鳴く。「馬鹿、俺だよ。ただいま」とお袋と愛犬に挨拶。その後、一服してから、メモをつけ、暁時に就寝・・・昼過ぎに目覚めると、お袋から、「お酒くさい」と言われた。久々のフレーズだったが、楽しすぎて飲み過ぎてしまったのかも知れぬ。二日酔いにはなっていなかったのだが、「今日は日曜日。国民の休日。毒をもって毒を制す」などと言って、飲んでしまった・・・反省。

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残暑の会 2014  その11

 「ラマヌジャンて、あの数学の天才だろ、インド出身でイギリスに渡った・・・」と私が応えると、「そう、証明こそしていないものの、美しい数式をたくさん生み出したんだよな」と友人。「『国家の品格』を書いた藤原君が、「天才というのは風光明媚な所に出現するって言ってたよ」と私。すると彼は、「そうなんだよ。ラマヌジャンの生きた時代のインドの出生地は美しいんだよなあ・・・」と話す。そう言った後、天才論について触れていた。確かに数学上の天才ではあるが、私は話半分で聞いていた。すると店長の友人が、「みなさん、そろそろということで・・・」と言ってくれた。あっという間に、会費の一万円札が舞う。「ありがとうございます」と店長はお礼。みんな、「何言ってんだ。こちらこそごちそうさま」と話しながら、一斉に帰り支度を始める。改札まで見送りに来てくれたので、「お疲れさま。ありがとうな!!」と言って、別れ。皆でとりあえず同じ列車に乗る。その前に、私の前に座っていた弁護士兼弁理士の友人と連れション。「あれから、弟とはうまくやっているけれど、助言通り、一切、甘やかしてはいない」と語った。「それでいい」と彼は言った。みんなと合流して、遅い電車を見逃し、速い電車に乗った。北千住に着くと、「お疲れ!!」の挨拶と共に、私と連れションした友人が一緒に帰りだした。そして、私は言う。「前のアドバイスの通り、一切(弟を)甘やかしてはいない。カネのニオイもさせてはいない」と語ると、「それで正解だ」と教えてくれた。

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残暑の会 2014  その10

 それは、帰りの電車で、独りになった時、思いっきり人間観察してやろう、という企みであった。そんな時にふと、私の頭をよぎったのは、電車の路線による乗車客のカラーの違いである。その話をすると、誰かが、「実はそうなんだよな」と話していた。深くは話さなかったが、店長の友人が、ラムのスペアリブを用意してくれ、かなりの美味。そして、私はある友人に、「昔、俺が中沢新一にハマっていた頃にもらった、『雪片曲線理論』って、実はチャートしか見なかったんだけれど、もし覚えていたら概略を教えてくれないか?」と聞くと、「忘れちまったなあ・・・でも何でなんだ?」と聞くので、「いやなあ、実は先週、渋谷に坂本龍一教授ご推薦の演劇を観に行ったんだよ。その後、ツイッターで、Nakaya何とかっていう人の雪の結晶に関する記事があったんだ。じっくり読んだら、雪の結晶を研究して、アメリカで後に評価された人らしいんだ」とまで言った所で、隣の友人が、「中谷宇一郎だろ」と指摘。「そうだ!!教授が喉頭がんで参加を断念した、札幌で芸術フェスタをやっているらしい」と語ると、正面の友人が、「何とか理論て何なんだ?」と聞いてきたので、「詳しくは解らないけれど、雪の結晶っていうのは、コンペイトウみたいな仕組みで出来るって理論だったと思う。例えばな・・・」と言いながら、三角形が次々と対称的に生み出される図を書く。「なるほどなあ」との返事と共に、店長の友人が、「もう少しだけ料理があるんだけど、みんな何を飲む?」と言うので、私は、「じゃあ、ZIMAで」と頼んだ。ZIMAとは、何処の酒かは知らぬが、ライムとよく合う瓶のお酒である。すると、本をくれた友人が、「話は変わるけれど、みんなラマヌジャンって知ってる?」と問いかけてきた。

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残暑の会 2014  その9

 すると、隣に座っていた友人が、面白いことを言い出した。「Appleのスティーブ・ジョブズは、実は麻薬中毒の体験から、スマホを開発したんだ」などと。公に話されてはいない事だが、彼の言うことに間違いは無い。続けて、「実はな、俺が分析する限り、五つくらいの麻薬が仕掛けられている・・・その一つが、あの、スクロール機能なんだ」とだけ話した。彼の正面の友人が頷く。私は、「俺、携帯電話とメールが出来るだけでいいから、未だにFOMAなんだけれど・・・」と言うと、「スマホなんか、金がかかる仕組みになっているから、それでいいんだ・・・例えばね、三歳の子供にスマホを与えるって事は、三歳から麻薬を教えるのと同じ事なんだ」と静かに語った。残りの四つの麻薬性には彼は触れなかったが、「あれって凄い仕掛けなんだよな」とだけ語る。友人の一人が、「ある公立の小学校では、みんな同じ格好をして歩いている」という異常さを指摘し、私が、「そんなのは、没個性化の象徴じゃあ無いか」と言うと、「今の時代の価値観ってよく解らない」と嘆いていた。最近、結婚した私の向かいの友人は、「なるほどなあ」と腕を組み、私は隣の友人に、「まだ、長女に『たまごっち』も与えていないのか?」と聞くと、「当たり前だ」との返答。「リセットが効くっていう所が良くないって言っていたけれど、人間リフレッシュはいいんじゃないかと思うなあ」と呟くと、「それは大事なことなんだよ。だから、物事の分別が付くまでは、ああいうのは一切我が家では駄目なんだ」と力説。みんな静まる中、「パソコンが駄目なら、昔ながらのワープロで、しかも、英文で打って、キー配置だけでも覚えさせた方がいいんじゃあないか?」とツッ込むと、別の友人が、「今時、そんな物、秋葉原でも置いてねえよ」との返し。私は時計をチラッと観て、店長の友人に、「十時半で宜しく・・・皆様申し訳ございません」と謝りながら、ある考えが浮かんでいた。

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残暑の会 2014  その8

 私は、毎日blogを勧めてくれた友人を中心に、「いや、実はな、毎日blogも七年以上続けているし、情報や勉強のために、毎日最低六時間以上はパソコンに向かっているんだ。まだまだ未熟だけれど、これじゃあ、本業の方に身が入らない・・・約束だったから、根性で続けてきたけれど、毎日、blogを書く事を、そろそろ引退しようかと思っているんだけれど・・・」と言うと、隣の友人と、正面の友人が、「それなら、気が向いた時にblogを書いて、シフトチェンジしてもいいんじゃないか」と言ってくれた。「書きたいことがある時には、そうするべきだ」とも。私は、「ありがとう」と話したが、内心複雑な思いであった。このblogには愛着もあるし、やっと最近、文章というものが解ってきた気がするからだ。複雑な心境だったが、店長の友人が、すかさず、ジェノベーゼピザを出してくれた。私が食べていると、隣の友人が、「うちのカミさんがね、あの人のblogは現実体験に基づいて書いていると、ものすごく説得力があるわよ、って言ってたぞ」と語ってくれた。「俺にはフィクションはまだまだなのかもしれないな」と言うと、正面の弁護士兼弁理士の友人が、「うちのボスがな、俺が悩んでいた時に、『北町ロケット』っていう本を紹介してくれて為になったぞ。直木賞も取ったし、池井戸潤って作家の本だ」と聞き、私は速攻でメモした。後日、AMAZONで検索してみると、アダルト作品しか出てこない。仕方が無いので、『直木賞 池井戸潤』で検索すると、本のタイトルは、『下町ロケット』であったのには笑ってしまったが・・・隣の友人に、「ピザ食ったか?」と聞くと、「いやまだだ」と言うので、「このピザ、モッツォローレーラチーズだから、熱いうちに食べた方が旨いぞ」と話すと、最後のワンピースを手にとって食べていた。「実はこれ、密かにリクエストしておいたんだ」と言うと、「旨い!!」と喜んでくれたので、店長の友人は笑い、私は彼の思いやりを感じた次第。

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残暑の会 2014  その7

 一段落した所で、正面に座っていた、弁護士兼弁理士の友人に、話しかけた。「男にとって、買うは別として、飲むと打つは大切だと想うんだよな」と。すると、友人は、「俺は打つはなあ・・・飲むは好きだけれど」と言うので、私は、「いや、しょぼい博打でもいいんだ。何故かというと、男って、勝負勘を磨かなきゃあいけないというのが俺のポリシーなんだ。簡単なことで、少額でも構わない・・・例えばNHKの『のど自慢』で鐘の数を当てる博打とか、テレ東の『なんでも鑑定団』で金額を当てるとか・・・特に後者は、審美眼と勝負勘とを一辺に養える。一石二鳥だ」と話した。すると彼は、「俺の仕事自体が、博打みたいなものだからなあ・・・」と言うので、「確かにそう思う。でも、普段から勝負勘を鍛えておけば、人生で大きな失敗はしないと思うぞ・・・バブルで借金抱えた連中なんかは、物事の真相、或いは裏が観えていなかっただけなんだ」と話した。隣の友人が、「その通り。人間の欲ほど怖いものは無い」と言った上で、「ここにいる奴等は、みんな本気を出せば、すごいパワーを発揮するんだ」と、力説した。みんな沈黙。私にとって、『俺もそのうちに入るのか』という安心感を植え付けてくれた。そして、『よし、俺も頑張ろう』という思いにさせてくれた。その上で、その友人は、私に毎日blogを提案した友人であり、一部消えてしまった所はあるものの、毎日、チェックしてくれているのだ。ありがたいことである。そんな中、私は、あることを話し出した。

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残暑の会 2014  その6

 「高野山には二回行った事があるけどなあ」と私は誤魔化した。隣の友人も、「その道を行くのも、一つの生き方だと思うぞ」と追い込みを掛けるので、「あのなあ、漱石の『草枕』のオチと同じで、この世に俗で無い場所は無いんだ。高野山の坊主どもだって変わらなかった。実家が寺だからとか、そういう理由で、得度を得るために我慢している奴ばっかりだった。比叡山も同じだよ・・・所詮、現実逃避しても、人には逃げる場所なんて無いんだ。そこで踏ん張らなきゃ行けないって事だよ」と話す。すると、向かいの友人が、「向いていると思うんだけれどなあ・・・」と言い、店長の友人が、「今の世の中、悩んでいる奴等ばっかりだぞ」と追撃。「うん、その通りだ。それに、神主にしろ、坊主にしろ、信頼さえ勝ち取れば儲かるぞ」と、隣の友人が言う。私は、「俺が坊主になったら、どうしても、堕落坊主になっちまう。飲む、打つ、女が好きだからな」すると、誰かが、「それでもいいんだよ。そういうオーラを持っているから・・・仮にアイツが坊主になってごらん(と店長の友人を指さす)、世の中終わっちまうぜ」とコメント。店長の友人は、明るく、「俺じゃあ、そうなるな」と苦笑しながら、「お前にしか出来ない事ってあるんだぞ」と励ましてくれた。私は、「俺は確かに仏教徒だけれど、世界には五大宗教があり、もっと細かく考えれば、恐ろしい数の信仰対象があると思う。そんな中で、一つの道だけを究める考え方って、矛盾している気がするんだ」と反論。そんなうちに、伝教大師(空海)の話へと移っていった・・・何事もまずは『一意専心』からだと解ってはいたが・・・

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残暑の会 2014  その5

 店長の友人が儚い眠りについた頃、ある友人が、柳田邦男の『遠野物語』を読んでいると語った。柳田氏といえば、高級官僚にして、民俗学の権威である。私は気軽に、「それだったら南方熊楠も研究しないとなあ」と言ったが、彼は真面目に話していた。柳田邦男は小林秀雄の影響を受けて、その道に走ったのだと。すると、私の正面に座っている友人が、私に、「俺も、出張の時に小林秀雄の『考えるヒント』を読んだ方がいいって言われた。あの人の文章は、本質を一言で現しているよな」と語りかけてくる。「小林秀雄と大江健三郎が読めたら、何でも読める。さすがだな」と返した一方で、「俺はホコリをかぶせてしまっているけれど、小林秀雄の全集を持っている。ある時、小林秀雄の本と神保町で買った対話集とを、1Pだけお袋に読んでもらったんだ。どっちの方が解りやすい?と聞くと、対話集だったんだよな・・・友人の文士にその事を指摘されたら、小林秀雄は泣いて悔しがったそうだ・・・ちなみに、あの人は理系音痴だから」と言ったら友人が少し怪訝な顔をした。すかさず、「講演のテープも持っている。それを聞くと一発で解るよ。ちなみに、湯川秀樹との対談では、エントロピーがマイナスになるプロパビリティ(確率)というのはあり得るのでしょうか?との質問に対して湯川秀樹は、一言、符号をマイナスにすればありえます、って応えていたよ。所詮、人間は学び続けねばならないという、いい教訓だと思った。人間って理系だけでも駄目、文系だけでも駄目なんだよな」と要注意発言。その友人は、『なるほどなあ』という顔をして、「高野山に行ってみたらどうだ?」と語りかけてきた。

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残暑の会 2014  その4

 「うん。これは旨い」と、とびっきりの日本酒をみんなが絶賛する中、ある友人が、「群馬の日本酒って独特のフレバーがあるんだけれど、これはいい」と語ったので、私が、「奥さん、確か、群馬出身だったよね」というコメントをした。みんな、「そうなのか?」という中、彼は整然と解説。みんなが納得しあった中で、誰かから、店長である友人に、「また、店のスタッフ入れ替えたのかい?」という質問が飛んだ。店長である友人は、「飲食業(サービス業)というものが解っていない奴等ばっかりだったんだ。ベルが鳴らない限り、気配りをしない・・・みんなクビにした。特に今の三十前の奴等は根性が無い。ゆとり世代は駄目なんだ。だから、ハローワークでスカウトした」と語っていた。すると、隣に座っている友人も、「そうなんだよな。遊びながら働いているような奴ばっかりだ」と語ったので、向かいの友人が、「ゆとり世代って、円周率が3なんだろ?」とツッ込む。すると、店長である友人が、「言って解らない奴には、体で覚えさせるしかないんだよな」と話したと同時に、モンスターペアレンツの話題となり、高校生の頃に新宿のドイツ料理屋でバイトしていた友人が、「あの頃は、黙って、先輩からフライパンでひっぱたかれるのが当たり前だった。それも、熱々のやつで」と語る。すると隣の友人が、「俺等の高校時代なんて、何かあったら、すぐにビンタだぜ」と言うので、私も、「男子校は特にそうだよな」と頷く。続けて、「今の時代は過保護すぎるよな、これじゃあ世界で通用する人材なんて生まれてこない」と言った。店長である友人は頷きつつも、瞼が重くなりつつあった。

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残暑の会 2014  その3

 再び御馳走が出てきたが、その友人に、名前はもう決めたのか?という質問が飛ぶ。彼の一族は男の子には『ゾウ』という名前を付けているらしく、「『シュウゾウ』にしようと思ったけれど、某テニスプレイヤーと間違えられるしなあ・・・」と言った所で、私が、「『秀』の方にしたらいいんじゃないか?」と言っても、彼は、「それも考えたんだけど・・・」と浮かぬ顔。すかざず友人の一人が、「エビゾウでいいんじゃないか?」と言って爆笑。ついでに私が、「そんな名前付けたら、将来、飲み屋に行った際、『暴れに来たぜ!!』とか言う様になっちまうぞ」と加速。彼は苦笑い。そんな時に、別の友人が、私の隣の友人に、「待望の男の子が産まれたんだよな」とフォロー。その話は知っていたが、名前の由来は午年だかららしい。「孫みたいなものだ」と話していた。親になる友人が子育ての秘訣を尋ねる中、みんな慣れだと言う。私は今話題の羊水検査の話をしたら、隣の友人は、「そんなのはナンセンスだ」と語った。デリケートな問題なので、それ以上は触れなかったが、彼には彼の信念があるのだろう。今度は話題を変えるべく、店長の友人が、「今回は特別に三種類の日本酒を用意したんだけれど、どれがいい?」と気配り。私は黙ってみんなに任せる代わりに、隣の友人に、「印刷社で知り合いいるか?三冊か四冊だけ、このblog本頼みたいんだけれど・・・」と密かに言ったら、「印刷業の知り合いはいねえなあ。今、印刷業者、困ってから、何処でも引き受けてもらえるぞ」という返事。私は、「そうだな。今まで頼んでいた所に交渉してみるわ」と、自分の過ちを認識。その間に、群馬の秘蔵の日本酒に決まり、フルーティーな香りと共に、サンマの刺身を楽しんでいた。

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残暑の会 2014  その2

 皿に載っているのは、見た目も華やかなフレンチ。本格的なフレンチ用のエビは死んでしまったらしく、大急ぎで伊勢エビに変更したらしい。添えているのはスイートコーンとふぐと、ししとう。美味しく頂きながら、私は、参加できなかった2人が、宜しく伝えてほしいと言っていた伝言をみんなに知らせた。そして、その前の日の私の様に、みんなの勤め先のホームページを電車の中でチェックしてきた友人もいた。私がその弁理士兼弁護士の友人に、「お前のところの事務所、一流大学からしか採っていないから、窮屈だろうね」と言ったら、「結構、自由にやらしてもらっているよ」との返答。そして、「今度、出張で、サンディエゴとシアトルに行くんだ」と言った途端、別の友人が、「バカンスか?」と質問し、彼は、「仕事だよ。まあ、今回はボスも行くから、時間が余らない限り楽しめないけれど」と話すと、別の友人が、「サンディエゴだったら、ヌードビーチがあるぞ」と補足。さすが弁護士の友人、「そんなとこ行って、立っちまったらかっこ悪いだろう」で爆笑。他にも、特許関係で、イタリアに証拠集めにも行ったり、国内では、福岡出張は中州があるから欠かせないそうで、名古屋は敬遠しているそうだ。もちろん、冗談なのはみんな解っている。そんな中で、ある友人が、「第二子の予定は?」と聞いたら、今年の十二月が予定日だそうだ。改めて、みんなから祝福された。男の子らしい。現代医学の羊水検査の話にもなったが、隣の友人が、「それはナンセンスなんだよ」と語った。そこで、もう二皿追加されてきた。

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残暑の会 2014  その1

 実は昨日は、大学時代の友人達との恒例の草加の『Katsu』での『残暑の会』の日だった。その日のために、あえて夜型にしていた。私の家からでは片道二時間以上かかることには以前触れたが、P.M.5:00集合だったので、幹事として早めに着かねばならぬので、二時には家を出た。途中、秋葉原駅ではいつも迷子になる。地下鉄日比谷線に乗り換える際に。駅の中で乗り換えられた筈だったな、と思っていたのだが、改札を出てしまい、外を徘徊していると雨に降られた。頭にきて、JRのつくばエクスプレスで北千住まで向かった。北千住の駅から東武伊勢崎線に乗り換えるのだが、この駅もややこしい。しかし、何とか三十分前には草加の『Katsu』に到着。いつも一番乗りを目指すのは、遅れる友人の連絡を待つため。計8人のメンバーのうち、2人は海外出張で総勢6名。みんな次々と現れる。まずはビールで乾杯から始まり、料理の一品目はムースだった。話題は、東京のツインタワーが、3.11の時、最上階の方で人が立っていられなかったぐらい揺れ、危うくビル同士がぶつかりそうになったけれども、防災関連の施設が地下二階にあったため、揺れず、「皆さん、安心して下さい。安全です」と放送を流したという皮肉話から始まった。そして、立ち食いステーキ屋の話が続き、飲食業の経営論の話になった。一番客の回転が速くて、利益率のいい物を売るのが鉄則だ、などという話。そうこうしているうちに、大皿が二枚やって来た。

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バベル BABEL 【WORDS】 の印象  その5

 帰路、産まれて始めてグリーン車に乗った。じっくり考えたかったからである。バベルという演劇が何を言いたかったのかを・・・舞台はまたセットが移動し、今度は多くの男女がペアになり、一組のカップルの男性が女性をぐるんぐるんと回転させていた、これは昨今の貞操観念及び性、及びSEXの堕落を物語っている様に観えた。学生時代から男も女も相手をとっかえひっかえ、就職できない女子大生の希望する職業の上位にキャバクラ嬢(男にも責任がある)という現状を連想させた。遊んで金になる時代・・・空しい。続いて舞台上で起こったのは暴力シーン。少し忘れてしまったが、みんな死ぬ。現代の人類の行き過ぎた科学への奢りと文化の堕落は、まさしくバベルの塔を作ろうとしている様なものなのではないか?その結果、再び、神の怒りに触れたのだ。ここで掃除婦役だった、時代に流されなかったおばあさんが、モップのようなもので死んでいる役者たちに触れると、倒れた役者たちが生き返る。横になったセットの中に入り、両脇でロボット役の女性と蘇らせたおばあさんが、美しい声で賛美歌の様なものを歌う。すると、各国の人々は、改心し、肩を組み、足を交錯させて、打ち解け合う。そして舞台奥に並んだ六つのセットの中に男女二人ずつ入って、エンディングとなる。ここで、私は悩んだ。この演劇は、現代の人類への警句なのか、神の怒りに触れても(多分同じ過ちを繰り返すだろうが)それでも人類は悔い改める英知があるはずだ、という人間賛歌なのか、グローバリゼーションの在り方のモデルを示したものなのか、それとも他に狙いがあるのか、と。おそらく、人によって解釈は異なるだろう。演劇とは文学と一緒だ。そこのところを考えさせるのが狙いなのかも知れぬ・・・鍛え抜かれた役者達の熱演に圧倒されもした。シナリオも素晴らしかったが、あれだけシンプルなセットで、ほとんどセリフもなく、様々なことを表現している演出家、振り付け師、音楽家、その他の全ての関係者の方々・・・全てに度肝を抜かれた。今まで観てきたセリフの多い日本の演劇は無駄銭だったとも思った。また、映画と演劇では全く別物だと言うことを思い知った。こんなに想像力をかき立てられたことは無い。今でも興奮している・・・ご紹介頂いた坂本龍一教授に心からの感謝をしたい。ありがとうございました。

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バベル BABEL 【WORDS】 の印象  その4

 バベルというこの演劇の副題である、【WORDS】というキーワードについて考えていた。言語という意味だけではなく、その裏には、【(KEY)WORDS】というニュアンスが含まれていたのではないかという気がする。確かに劇中の次のシーンでは、言語と文化の問題に触れる。アメリカ人役の俳優が、「今や、英語が世界共通語なのだ」と豪語したら、様々な国の人々が、様々な国の言語で自分の国の文化を訴える。日本人は英語さえ出来れば世界で通用すると考えがちだ。しかし、私がフランスで地下鉄に乗った際、『EXIT』とは一言も書かれていなかった。単に『SOITE』と書かれてあるだけだった。道に迷った記憶がある。どの国の人々も、自国の文化に誇りを持っている。その根底にあるのが母国語だ。郷には入れば郷に従え。この、当たり前のことを日本人は見失っている。アメリカ人はもっと見失っている。世界で英語を喋る人は全体の10%だそうだ。フランスでは、商売人は英語で話しても応えてくれたが、地下鉄の切符売りのおねえちゃんとケンカになった事がある。余りに腹が立ったので日本語で文句を言ってやったが、悪かったのは私かも知れない。後で友人から聞いたら、フランスでは、「ボンジュール」という挨拶から入るのが、常識だそうだ。台湾を旅行した時には、漢文の筆談も混じった。イスタンブールに行った時には、13ヶ国語を話すトラックの運転手の話を聞いて、驚いた。みんな、互いの文化を尊重し勉強しているのだと教えられた。日本人として恥ずかしかったが、若いうちにそれを知られて良かった。自分が井の中の蛙であることを思い知らされた・・・いろいろと考えが巡るうちに、舞台のセットの配置がまた変わった。今度は例のコンピューターロボットの女性を口説こうとする悪者ぶった男性の役者の出番。横にした直方体のセットをくぐると乱暴に女性を口説き、戻ると誠実な男性になる。これは、ドラッグ中毒とかアルコホリックとの問題だと認識した。コミカルに演じてはいたが、内容は深い。この劇はどこまでテーマが深いんだろうと考えながら、どうやってオチを付けるのかが気になりだした時間帯でもあった。

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バベル BABEL 【WORDS】 の印象  その3

 舞台前方に置かれた立方体の骨組みは、四次元立方体の中で暴れ回る孤独な現代人を象徴しているかの様だった。いくら暴れても、謎は謎であるから、戦い続けても無駄だという様に。その時の音楽は、間違った般若心経。これは、わざと間違えさせたのだと気が付いた。何故か・・・新興宗教の問題だ。もしくは、人々の信仰心への堕落を象徴しているのだ。孤独にあがき、視野の狭い人間を導く人間。宗教と金との結びつき。私は、EAGLESの『Learn to be still』という曲の中の『One more starry eyed mesia meets a viollent farewell(また新たな血走った目をしたメシアが現れ、(結局、それは)暴力的な決別へと繋がるだろ)』というフレーズを思い出している。愚かなことだ。謎と闘うことこそ学問であり、その領域は他力本願ではなく自力本願なのだ・・・そうして、また場面は変わる。立方体と五つの直方体が並べ替えられ、コンンピューターによって制御されているロボット訳の女優が、空港の金属探知機の様に、デジタルな人間とアナログな人間とを識別する設定。みんな急ぎすぎている時代だから、そのロボットに迎合する。唯一、抵抗したのは、掃除婦役だったおばあさんだけだった。これにはロボットも困惑する。デジタルな人間たちは小さな直方体の中に押し込められる。現代社会のストレスの象徴の様に、満員電車の乗客の様に。本当は彼等の方が弱いのだ、という事を、ロボットに対する掃除婦役のおばあさんの頑なな姿勢から安易に想像できた。この裏側には、以前blogで書いたが、将来、コンピューターが自我を持ち、人類を支配するのではないか?という不安があるのだが、実際はコンピューターは精度のいい電卓でしかなく、ボタンを押すのは、あくまでも人間であること、そして、コンピューターに支配されることを恐れている人間たちが、実は一番コンピューターの便利さに甘え、人間の方が堕落してゆくのが実情なのだ、と書いた内容を思い出しながら鑑賞していた。アナログにはアナログの良さがある。本来、人類はスマートフォンなど持つべきではなかったというのが私の自論である。物事の便利さの裏には、人間の堕落という、恐ろしい罠が待っているからだ。ここにもビジネスという名の下の大義名分に基づいた、金の罠が潜んでいる。自分に信念があるならば、少数派でもいいのではないか?人への配慮を忘れない限り・・・堕落した者ほど、流行を追う。そんなもの、少なくとも私はいらない。本当に良いか悪いかは自分で決めることだ。流行は必ず廃れる。本物を選ぶことだ・・・そうして舞台の直方体パネルが移動し始めた。今度は何だ?と思って観察していた。

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バベル BABEL 【WORDS】 の印象  その2

 例のシンプルな大道具を持ち寄り、天まで届くかの様な、バベルの塔を作り上げた瞬間に、恐ろしい雷の様な音が鳴り響く、神の怒りに触れたのだ。人々の言語がバラバラになり、争いが起き、バベルの塔は破壊される。そこに出てくる暴力とは、戦争の原型ではなかったろうか。言語が文化の基底である以上、異なる文化を持った民族同士の戦争が絶えなくなり(勿論、血の問題もあるが)、現代に於いてもそれが繰り返されることへの皮肉。その裏側には、本当の平和とは何か?平和ボケした今の日本の現状を考えさせられた・・・それらに嫌気が差した人々により、壊されたバベルの塔は、十字架の形(多分上から見たら)になり、人々が救いを求めていた。あれは、キリスト教をモデルとした、様々な宗教問題へのメタファーではなかったか?私は、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を思い出していた。人間には信仰が必要で、もし、それがなければ、モラルがなくなる、ということを。異なる宗教間で歴史上も現代も戦争が絶えず、同一の宗教の中でも右や左やで、争っている、人間どもの愚かしさへのメタファーだと受け止めた・・・場面は変わり、一気に現代に移る。舞台上のあらゆる直方体の骨組みが縦に置かれ、現代社会の街の様子を表現していた。おばあさんの役者が掃除婦を演じる中で、他の役者たちは舞台上を忙しく歩き回る。まるで、他人のことなど構っていられないという雰囲気で。あれは現代社会での人間疎外の問題、また、縦に伸びた直方体は、9.11を連想させた。ニューヨークのウオール街を歩いた時の異常な雰囲気を思い出しもした。何のために人々は忙しがっているのだろうか?何を焦っているのか?という皮肉。金と自分の家族や組織の為になら許されるという、エゴイズムの問題。漱石が留学先のロンドンで泣いて過ごした話。漱石は現代社会を見据えていたのではないだろうか。さながら、タイムマシーンにでも乗ったかの様に・・・人間疎外の中、舞台手前に置かれた立方体の中で、一人の男が闘う。音楽は般若心経・・・なのだが、般若心経が省略されていたのには心の中で笑ってしまった。しかしそこにも意味があったのだ。

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バベル BABEL 【words】 の印象  その1

 早めに座席に座り、待ちくたびれた頃に上演が始まった。私は、この演劇が何を物語っているのかを知りたくて、真剣に観ていた。まず、旧約のバベルの塔の話から始めなければならない。バベルとは、バベルの塔のことである。はるか昔、人類は統一された言語であったが、天にも届く様なバベルの塔を作り、神の怒りに触れ、言語をバラバラにされたという悲劇を根底に入れなければ、解らない・・・幕が上がり、天罰を受ける前の人同士のコミュニケーションの説明が入った。役者は様々な国の人々で、最初は、皆、正座していた。十数人ほどであろうか。テンポの良い、和風太鼓などのリズム。そこから、最初は、マイケルジャクソンのコンサートを観る様な見事な音楽に合わせたダンスが始まった。次に、日本人向けのアドリブなのか、日本人二人が、日本語で漫才をしていた。みんな笑っていたが、私には、それが『つかみ』だと認識する以前に、考えていたので笑えなかった。要するに、劇の中にコミカルな場面も、所々入れられていたのである。そうして、まずは、お金の話から始まった。ステージにある大道具のセットは、一つの立方体のフレームと五つの形の異なる直方体。『金が全てだ』という社会の中で、下働きをしている人、奢っている人、見事に大道具のセットと共に、それでは成り立たないという、強烈なアメリカ指導の資本主義への疑問を投げかけられた。強烈な皮肉の演技だった。これは、今現在、世界中の誰もが考えなければならない問題なのである。次のモデルは何なのか?ということを・・・続いて、宗教問題にも触れていた、というより、その時点では旧約以前の問題なので、あまり深くはツッコまれていなかった。テーマに合った大道具のセットの配置と動き方、見事。やがて、人々はバベルの塔をそれらで作り始める。

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岡本太郎の『明日の神話』について

 渋谷駅構内の、岡本太郎の壁画、『明日の神話』を眺めてみたが、柱がじゃまで、全体が鑑賞できないのが残念だった。とは言っても、巨大であることに先ず圧倒された。TVなどの解説では、水爆実験とそれによって被爆した第五福竜丸事件への怒りと人間の未来への生命力について述べていた記憶があるなあ・・・などと考えていたが、私にはそうは観えなかった。正直、よく解らない絵だったが、訳の解らない、おぞましい化け物どもが、骸骨を取り囲んでいる呪いの様なものしか感じなかった。骸骨の首は左に傾いていた。あれは何故なんだろう?と考えてみたりもした。その周りのトゲトゲしいものは、人間のきりの無い欲望の象徴なのかとも感じた。痛ましい絵だとしか感じられなかった・・・太陽が何故光っているのかは、長年の人類の謎だった。しかし、核分裂というものを発見した人類は、まず、ウエポンとして原子爆弾を作った。水爆とは、原爆のエネルギーを利用して、核分裂とは正反対の核融合を起こす爆弾なのである。水素と水素が核融合したら、ヘリウムが出来る。この時、巨大なエネルギーが生まれる。太陽は、その巨大な重力によって、核融合をして光っているのだ。物理学者としてはもちろん、一度は実験してみたいだろう・・・ここで、『明日の神話』というタイトルを振り返ってみたい。ここで言う神話とは何を意味するのか?おそらく考えてみても無駄だろう。私個人としては、加速し続ける文明への人類への警告なのではないかと思う。化け物どもは、人類の煩悩であり、好奇心の影であり、生と死ではないかと考えた。そこに、岡本太郎の『怒り』を感じたのは言うまでもない。丁度、ピカソの『ゲルニカ』を意識したかの様に。あの絵の何処に希望が感じられるのだろうか?私は何だか哀しかった。そして、黙って、独りで、演劇を観に、向かったが、いかんせん早すぎた。シアター側の喫茶店でクロワッサンとアイスコーヒーを飲み、バベルの開演を待っていた。

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