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2014年8月

速攻

 今日は何十年振りかの渋谷。というわけで、先を急ぐ。

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バベル

 先日から、坂本龍一氏のblog or Twitterを読む様になった。そこで、『バベル』という旧約聖書に出てくる話の演劇が、ここ三日間、渋谷で開かれると知り、教授が『必見!!』と書いてあったのでチケットを取った。教授によると、素晴らしき才能が現れた、とのこと。是非とも見て観たくて仕方が無い。私には大学時代の知り合いと何度か演劇を観に行った事があるが、彼はコミカルなものが好きで、私は哲学的なものが好きなので、趣味が合わなかった。教授の音楽は全部聴いたが、9.11以降、素晴らしいものが出ていない気がする。しかし、もう、次の才能を見付ける段階に入ったのかも知れない・・・私の通っていた数学塾の恩師は、月に一回は本を読まなければ、若者に相手にされなくなる、とおっしゃっていたが、現在はそれどころではない。毎日、ネットで時間を費やさなければ、二十歳の青年淑女(?)らの考え方についてはゆけないのだ。自分でも無駄な時間だと思う。しかし、それが現実なのだ。パソコン嫌いの私でも、必死なのだ。正直、いい時代になったのかどうかは、判断しかねる。こんなに忙しすぎてはいけないだろう。友人たちも皆、我慢してパソコンに向かっている・・・『バベル』とは、例の、『バベルの塔』からの話であって、予告編を観てみると、かなり深そうな内容だ。外国人たちの演劇なので、言葉が解るか不安でもある。渋谷に出るのも久々。例の岡本太郎の壁画も、ハチ公広場の交番で場所を聞き、のんびり眺めてきたい。久し振りだからと思って、友人と飲もうと思ったが、日曜の夜だった。残念。

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修行中

 現在、私は、大馬鹿者になるための修行中である。

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CFRPの開発時

 今でこそCFRP(Carbon Fiber Reinforced Plastics (炭素繊維強化プラスチック))というのは、F1マシンのシャーシ(骨組み)などで使われていて有名であるが、開発した当初は、価格が高すぎて、開発したメーカーは、使い道に困ったそうである。要するに、高額な研究費を出して、売れなければ大損なのだ。しかし、世の中には賢い人がいるものだ。ゴルフクラブのドライバーのシャフトに使ってみたら、どうだろうということになり、売り出した。一般に、FRPというものは、比強度(重さの割に強度が強いこと)が高い上に、しなる。すると、同じドライバーでも飛距離が変わってくる。みんなこぞってCFRPのドライバーを買ったそうだ.。人間というものは不思議なもので、女性なら化粧品、男性なら趣味のためならお金をいとわないものなのだ。現在では充分、採算がとれている。F1マシンのシャーシだって昔はアルミを使っていたので、何人ものドライバ-が死んだ。しかしながら、CFRPに代わっても、史上最速の男、A.セナがイモラで死んだ・・・あの時は泣いた。なぜならば、私自身もF1が好きで、FRPを扱っている材料力学系の研究室で論文を書いたからだ。もっとも、私はGFRP(ガラス繊維)の一成形法であるSMC(Sheet Moldhing Conpaud)の腐食疲労の研究をやっていたに過ぎなかったが・・・A.セナがクラッシュした時、いろんな説が出たが、私は、ハンドルが折れたか、セナ自身の体に何らかの変化が起きたのだと考えている。

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飲む打つ買うについて

 棋士の故芹沢博文九段が九歳の時に、戦前、無敵将軍と言われた木村義雄永世名人と駒落ちで対局し、勝った話がある。メディアはこぞって、『沼津に天才少年現る』と書き立てたそうだ。それから芹沢九段は木村永世名人の鞄持ちをして、自身も名人を目指したそうだ。ある時、「どうやったら将棋が強くなるのでしょうか?」と尋ねたら、「バカだな、お前。飲む、打つ、買う、が好きならば、九段にはなれる」との返答。故芹沢九段は後に、「飲む、打つ、買う、をやっていたら、必然的に金が持たない。だから本業に精を出す。やっぱり名人は嘘をつかない」とおっしゃっていたそうだ(直木賞作家、色川武大(阿佐田哲也)『男の花道』より)。昔ならば、『買う』は女を囲ったり、女郎と寝たり、ということなのだろうが、現在では、異性の視線を意識すること、だと私は考えている。そういう意味で、『飲む、打つ、買う』は今でも男にとって欠かせない事なのだ。なぜならば、私の言う『買う』では、ナンパをする能力や相手の女性の本性を観るという大切な要素がある。『打つ』では、人間社会がどれだけ醜いものかを知る。そうして、お金のかげんを知るのだ。重要な失敗をしないために。『飲む』というのは、お酒と煙草。これにも意味がある。こんな社会だから、人と上手くやっていくために飲む。男というものは、本来、危険に憧れる存在だから、煙草を吸う・・・以上が私が考える、現代式の『飲む、打つ、買う』である。何も考えずにやっている奴の方が多すぎる。ちなみに、男の我が儘かも知れないが、女性にはお勧めしない。

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ひとにやさしく

 してるとしんどい。

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バカンス

 今日はバカンス。旅にでも出たい。ちなみに、明日はセキュリティソフトのメンテナンスがあるので、朝にかくことになる。

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助け合い

 ネタ集めのためにフェイスブック(以下FB)をチェックしている。二ヶ月ぐらい前か、FBでセルビアで大水害が起きていることを知った。不思議なことに、日本のマスメディアは一切取り上げなかった。私は一切のメディア(媒介)を信じていない。しかし、セルビアの大洪水は見逃せなかった。平均月収四万円の方々が、東日本大震災のあと、一億数千万というお金を日本に送ってくれたそうだ。私の家は貧乏であるが、私と母と弟と千円づつ、しめて三千円寄付した。現在、お金に困っている弟も、黙って千円出した。こいつ、腐ってはいないと、心底嬉しかった。家族の連名でセルビア大使館宛に送った。本音は切手代を取るなと言いたかったが。その金があるのなら、それも寄付したかった。FBを観る限り、半端な洪水では無かったので。日本でも天変地異が加速的に増している。広島でまた悲劇が起きた。内閣総理大臣である安倍晋三君は、この時、ゴルフを楽しまれていたそうな・・・既にこの国は駄目だと痛感。自分の地元だったら大慌てだろうに。まあ、彼は長州人だから仕方が無いか。これらの天災に見舞われた方々の気持ちをお察しする。しかし、私は地球が怒髪天を突く様な怒りを持っているとしか考えられない。人類の自惚れに神の手が落ちたのだと・・・一ヶ月後、セルビア大使館から領収書と礼状が届いた。しかし、連名で出したはずなのに、私の名前が無かったので、母は、「オレオレ詐欺だと思って破っちゃったよ」と言うので、私は、「馬鹿者」の一言。礼には礼を持って対処しなければならないのだ。

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奴隷

 ・私は私自身の奴隷である気がしてならない。

 ・私は本気で日本を愛している・・・しかし、この国の人々は『嫉み』が強く、自分の言葉で話さず、個性が無く、先見性も無く、出る杭を打つ。もし、将来、私が異国に住んだとしたら、それは日本という国から逃避したのでは無くて、日本という国から見捨てられたということだろう。世界は広い。人々よ、世界で通用する様なアイデンティティを持て!!と、きっと日本語で書くであろう。これほど悲しいことは無い。それでも私は単なる物書きであり、日本人であることに変わりは無い。藤田画伯の孤独さを実感している。

 ・日本の中では、恐いからみんなと束になるという風習がある。島国根性が抜けきっていないのだ。

 ・たたかっても、空しいだけだ。それなのに、昨日、私は刀を抜いてしまった。恥ずかしい。

 ・坂本龍一氏のblogを読むことにした。

 ・私はこの国で『異端』であって構わない。そのために、二十年以上、『自分』という刀を毎日研ぎ続けたのだ。

 ・人生は事を為すには短すぎる。

 ・人の中には『孤独』を認めない人が多すぎる。しかし、どんな人でも、実はその事に気が付いている。人間の『絶対的孤独』からは何人も逃れられないからだ。

 ・相手を一目で見切る能力は重要。下手に相手を傷つけないために。

 ・それなのに、私は刀を抜いてしまった・・・貴女を思う気持ちが強すぎたからだ。

 ・敵は作りたくない。本音だ。向上心のみで私は生きている。それが人間らしい生き方だと信じるからだ。しかし、老いると、衰えを隠せない。ただただ、真っ直ぐな道でかなしい。最後の言葉は種田山頭火からの引用。

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助けがほしくて

 目覚めると頭痛がした。妙に癒やされたくなった。現在、頭痛は治まっているが、パソコンに向かいたくなかった。のんびりと競馬ゲームでもしたかった。しかし、私は毎日たたかう事に決めた・・・勿論自分自身とである。しかし、どうしようもなく寂しい時には、外に出る。昨日は癒やされたくて、CDを一気に五枚買った。店員が卑屈なぐらいに、「どうもありがとうございます」と言っていた・・・最近、のど自慢を毎週観る様になって、音楽の趣味が若い頃と変わりだしている自分に気付く。一番最初に聞きたかったのは、岩崎宏美の『マドンナたちのララバイ』である。古い曲なので、シングルでは売ってはいない。見付けた。次に選んだのは、坂本冬美の『今君に恋している』だったが、これもアルバムでしか買えなかった。その代わり安い。親父が初めて自力で覚えた歌であるサブちゃんの『風雪流れ旅』、それならばサブちゃんと坂本冬美を食った島津亜矢のベストアルバムも欠かせない。私は、島津亜矢は将来的に紅白の大トリを歌うだけの実力があると予想している。ただ、苦労が足りないだけだ。何はともあれ、女性の歌う癒やしの曲がほしかった。最後に『ロンリーチャップリン』も欲しくなり、二枚組のCDを買った。しめて、一万三千円。演歌のCDというか、皆がネットから落とす様になって、CDそのものが安くなった。半ばヤケクソ買いをしたが、未だに全部聞き終わってはいない。今晩もこれからツイッターを観て、自分と闘う。毎日blogを書いていたら、ネタ切れの時は、たとえ壱万円出してでも、ネタが欲しくなる時があるのだ・・・ただの馬鹿かもしれないが。

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気まぐれ

 ・つもりになっている人間程タチの悪いものは無い。そいいう奴には必然的に破滅が待っている。

 ・今の日本は日本では無い。政治家を筆頭に、五割以上の奴がコネで就職している。私も親父に誘われたが、「行こうと思ったら余裕で入れている」と言って頑なに拒んだ。みんながみんなそうなったらどうなるか、ということを真剣に考えていたからだ。国が滅ぶだけである。

 ・大金持ちの友人が言っていた。「金の使い方も判らない馬鹿なガキに何千万円も払えるか!!」と。小室哲哉を観れば解るというものだ。心の戒めとしたい。

 ・結婚の悩みの相談をたまに受ける。これはこいつを不幸にするなと思った時、「同情と愛情を混同するなよ」と、今まで二回言ったことがある。一人は弟だ。夫婦とは、似たもの同士になってしまうことが多すぎるのを知っていたからだ。

 ・最近、弟が心を開く様になってくれた。素直に嬉しい。

 ・気配りをし過ぎると、ノイローゼになる。やたらと眠くなる。丁度、コンピューターの無限ルーチンに嵌まってしまったかの様に・・・

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我が恋愛観

 齢四十一、相手にされなくて独身でいるわけではない。十年以上忘れられない人もいた。友達の妹も紹介された。でも、私の心の中では、一人の人にぶち当たる。自分で言うのもおかしいと思うが、私の思春期は高一の夏だった。それまでは、ぼっちゃん狩りで、真っ赤なほっぺをしていた。中高男子校だから、通っていた数学塾でしか、女性と知り合う機会が無かった。私の膝が硬くなって、大人としての自覚を持ちだした頃、大人になって初めての初恋をした。悩みは耐えなかったが。塾中の男がマドンナの噂をし、塾の女の中には、私を意識している人が居ることを知って、辛かった。恥も掛けないのだ。息苦しくて仕方が無かった。名誉な事なのだろうけれど遠慮したかった。未だ、ティーンエイジャーの頃のことである。しかも相手は年上ばかり・・・人間というものは、本気で恋をすると、体が勝手に動くものだと、大学の時に知った。屈辱感で一杯だった。一番辛い時には、体が電車に飛び込むのを必死で押さえた・・・歳月が経ち、私は本当にマドンナに惚れていたのか疑問に思う様になった。同時に、色香だけで自分は動いていたのではなかったか?と疑った。しかし、想い出は消しゴムでは消せない。焼き捨てるぐらいの覚悟が必要なのだ。現在では、音信不通。携帯などなかったからかもしれない。今日のblogで一番肝心な所は、女の良さというものも、男の中では変態し続ける、ということなのだ。たくさんの人に出会い、別れ・・・女性に関しても、心(ハート)を一番に置く様になった。

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持ってる・・・?

 俺は持っていると言う奴に限って、何にも持っていないことが多すぎる。丁度、勝利の女神に告白したかの様に。こう言われて悔しいのなら、死ぬほど努力しろ!!

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今日は本当の休憩

 書くことは無い。

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今日は休憩

・ある将棋棋士が語っていた、一流と二流との違いは努力する時の気迫の違いなんだ、と。本当の一流って言うのは、A級にいて、かく棋戦でもトップリーグに入っている人のことをいうのだ、と。それを読んだだけで、将棋講座を毎月買っていた価値があるというものである。 

・『私には忘れてしまったことが多い。だが、それは、決して捨ててきたというわけでは無いのだ。忘れることも愛することの様な気がするのである』(寺山修司)。この言葉を、大学時代に電車の中で読んだ時、私の体にカミナリが落ちた。

・大学時代は留年が掛かった試験の前でも、誘われると飲みに行っていた。お酒は控えめだったが、誘われるというのは名誉なことだ。一度、「お前、今飲んでて大丈夫なのか?」と聞かれた時に、「徹夜すれば何とかなるだろ」と平気な顔で言っていた。その通りになったが、問題は難しかった。酔いどれながら試験を解いたが、何とか単位は確保できた。仲の良い友人二人は一科目留年という屈辱を味わった。彼等に、資料を大量に提供したことは言うまでもない。

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よき七回忌だった

 8月15日(金)が親父の七回忌だった。私自身は夜中の三時に起き、大慌てでパソコンを起動。四時半頃に風呂に入り、身を清め、少々の朝食を摂り、弟が来るのを待っているうちに眠くなって、二時間ほど就寝。暑さを避けるために、弟に早く来いと連絡していたら、七時前に来た。私も飛び起きて、清めの最後として、歯を磨いた。速攻で着替え、行きは私が運転した。お盆のど真ん中なので、混んでいるとも予想したのだ。弟は私の運転がシャープすぎると言っていたが、帰路、弟が運転すると、「ブレーキが甘い。これ、兄ちゃんの運転のせいじゃあない」と言ってくれたが、弟の助手席に乗っていた私は怖かった。肝心の墓参りは、弟が積極的に掃除してくれて、私はそのフォローをする感じだった。掃除が終わると、線香を上げ、私と母が経を読んだ。帰路、上に立つ者の心構えなどをさりげなく例え話で話した。また、弟は、親父と何か約束をして、それを破ってしまったらしく、仏間には入らなかった。親父の臨終が11:26分だったので、その前に、母と二人で、お勤めをし、浄土真宗東本願寺大谷派のCDを掛け、黙祷した。堕落坊主は呼んではいない。生前、無信仰だった親父は、何回目かの入院のうちに、般若心経を勉強するためにいい本を貸してくれと言っていたので、私が高野山で買った本と、父の父の本を入院中貸してあげた。高野山で買った方の本は私の赤ペンチェックだらけだった。私が一番仏教の勉強をしていた時のことだ。親父はそれを観たのか、「俺の葬式はお前の般若心経でいい」と言ってくれたが、「本来、浄土真宗と日蓮宗は般若心経を読まないんだよ」と応えたら、「お前の代で、宗派を代えてもいい」とまで言ってくれた。親父は自分の死期を悟っていたのである。しかし、浄土真宗の坊さんに限ったことでは無いのであろうが、「三回忌とか七回忌とかというのは、故人を偲ぶ所に本質がある」とよく言われる。お経のCDをボリュームマックスにして流している間、母といろんな話をした。正午にも黙祷したのは言うまでもない。

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親父の七回忌

 早いもので、親父が他界してから六年になる。今日は親父の七回忌だ。人間五十年と、敦盛では言うが、現代人にとっては充分過ぎるくらいの早死に。がんとの闘病八年の末に命を散らした。齢六十四。他界した時に、中・高・大時代の友人達が線香を上げに来てくれたことには非常に感謝している。ありがたかった。しかし、私は今年も喪中なのである。祖母二人を一辺に亡くした悲しみの塊なのである。皆が存命中の頃、私は迷惑の塊でもあった。だから、せめて両親には恩返ししようと、三十代は親父とお袋のために生きた。今でも親父の他界した時のことが頭にこびりついて離れない。親父ががんになって退職した際、ドンピンと花束を買ってきた。感謝の気持ちからである。旅が好きな人でもあった。私が旅立つ際に、いつも、「俺も行きたい」と言って困らせられた。今日は特別な日なのである。私と母と弟とで墓参りしようと考えている。お盆のど真ん中に産まれて、誕生日と同じ日に他界した。闘病生活の間、親父と酒を酌み交わしながら、毎日将棋を指していた。親父は教えてはくれない。けれど、言葉の節々で、大切な事を聞いた。親父が他界してからは、お袋の支えになろうと努めた。特に3.11の時には、混乱したお袋に手を焼いた。そんなお袋に、昨日、「親父からの遺言って、わざとグチャグチャグチャって書いて・・・ごめんな」だけだったんだよな、と話したら、「兄ちゃんが遺言書いてくれっていうから、父さんは心置きなく死ねたんだよ。兄ちゃんは親不孝どころか、親孝行をしたんだよ」と言われ、少しだけすくわれた気がした・・・これから親父の墓参りである。暑いので急いでいるが、身を清めてから行くつもりだ。

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北方領土問題

 昔、祖母が存命の頃、神戸のセンター街の古本屋で、棋士の升田幸三の『名人に後者を引いた男』という有名な本を見付けた。本の裏を見ると初版。帯も着いていて、状態も良かった。恐る恐る手にとって値札を観ると、千円。発売当初の価格と同じだった。これは安い買い物だ、と受け止めた私は迷わず買った。何度も何度も読んだ。面白おかしい話だらけだったので、このblogでまた紹介する機会があるかも知れない。私が唯一ブックカバーを着けている本だ。政治的な思想とは関係なく、その中で、北方領土なんかどうでもいいと考えている方がいらっしゃる様だが、私は重要だと思う。将棋にたとえれば、丁度、『歩』の様なものですな、と書いてあった。なるほど、と観えた。歩の無い将棋は勝てるはずがないのである。それはつまり、北方領土が無かったら、いきなり北海道に攻めてくる可能性を否定できないのと同じ事だ。世界史を少しかじれば解ることだが、第二次世界大戦の時にソ連(ロシア人)が一番汚い真似をしている。ヒトラーばかりが反発を受けるが、スターリンが同じぐらいの人間を虐殺していることは、あまり知られてはいない。現在の日本のポジションとは、敗戦国としてアメリカの極東の軍事基地の様なものだ。それに対して、どれだけアメリカにカネを貢いだことか。ロシアが北方領土で軍事演習を始めたと聞いた。欧米の経済制裁に対するストレスのはけ口なのかも知れない・・・冷戦を収束させたゴルバチョフは確かにノーベル平和賞に値する人物だった。しかし、今のロシアの状態は何だ。歴史に挑戦している様なものではないか・・・しかし、私が思うに、日本は無くなってしまって、敗戦以来、アメリカの従属国になっている様なものではないか。最近は若い男の腑抜けた顔を観るのに耐えられない自分がいる。

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誰が猫に鈴を付けに行くか

 ここのところ、みんなストレスが溜まっている。暑さもそうだし、色々とある。私の大学時代の友人には金持ちになった奴もいる。私は相変わらず貧乏だが、人の金は目当てにしていない。それをやったら、終わりだと認識している。金持ちには金持ちの悩みがあると考えるからだ。貧しくても、幸せになれる方法を模索し続け、現在では惑ってはいない。不惑である。既に天命も知った気がする。こう書いたら、自惚れかも知れぬが・・・昨晩、深夜三時に携帯が鳴った。幸い起きていたのだが、『Katsu』の店長からだった。時間帯的に観ても、彼も悩みの塊であることが解る。『残暑の会』の幹事として、日程が二つに割れてしまったので、店長と話し合って決めることにしたのだ。件の事に関しては、すぐに話が着いたが、私も酔ってはいたが、本音を話した。店長は草加で終わる様な人間では無いことを承知の上でこう言った。「本当の友達だと思うから、あえて言わせてもらうけれど、赤坂に店を出せ、なんて言っている奴等は本当の友達じゃあないぞ。お前が失敗して借金背負ったら何の責任も取らない奴だらけだ。そこの所をよく考えた方がいい」と。私は、草加を往復するだけで交通費に七はつかっている。それでも、構わないのだ。店長の料理の腕もみんな知っている。その上で言ったのだ。明るく笑って、いつでもゴルフでもやりたいのだ。だから、言った。その為に友人から借金してまで店を出すのは言語道断・・・カネほど人を狂わせる材料も無い。あえて、諫言したのだ。もちろん、彼のためを思って。自分自身も相当に傷ついた経験があるから・・・私は一番無力なネズミである。翌日、私の弟が生意気なことを言ったので、殴り飛ばした。本当に彼のことを考えているからである。How dose it feel?という様な気分だ。

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フェイスブックにて

 以前紹介した、『平成禁酒共同委員会』は撲滅した。委員会と言っても、友人と二人だけ。昨日、友人からフェイスブック(以下FB)で、マイナーなコメントがあったのだが、彼はずっと禁酒していて、γ-GTPが30位まで落ちたらしい。そのあと一ヶ月飲んでしまったらしいが、『おめでとう』と送った。一方の私は、まだ計測していない。そもそも、この委員会は、飲んだら報告しあおう、という所から始まった。最初こそ、お互いに報告し合っていたのだが、後に途切れる様になった。彼も私も強烈なストレスから逃げる様に飲んでいたのである。独り身の私はまだいいが、彼には家族がいる。繊細すぎる神経の為の精神安定剤みたいなものだった。昨日も書いたが、男は社会に出て闘う。岩崎宏美の『マドンナ達のララバイ』が売れた理由も自然と解るというものだ。FBで、お互いに本当のことを言い合った。私は、父方の祖母が他界して、招かれぬ葬式でも酒には口を付けなかったが、その後のゴタゴタが大変だったことを告げた。母は黙っていたが、三度目の円形脱毛症が待っているのかと思ったぐらい。今日聞いたら、出来てはいないとのこと。自分を強くせねば・・・現在の私は、まだまだ器が小さすぎる。切羽詰まった弟の居場所も確保してあげなければならない。母のことも考えている。家庭犬の弥吉君のことも。母が弱気なことを言ったら、「歳だから仕方が無いのかも知れないけれど、家長が弱音を吐くな」と諫める。弟との距離も、もっと縮めたい。家の空気を丸くしたい。弟を甘やかしてはいけないが、母に、「俺に無い部分をあいつは持っている。でも、その逆も成り立つ。お互いに憎しみ合う事ほど馬鹿馬鹿しいことも無い。互いに協力し合えば、この上なくめでたき仲となる」と言った。母は泣いていた・・・ちなみに、私は最近、異常に眠い。飲む量もトマトジュースで割って、かなり減った。今日は寝坊して、晩飯の支度に間に合わないかとも思ったが、茶碗蒸しを習った。これからは勉強の時間である。

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やさしさのはき違え

 先日、FMを聞いていたら、『私の旦那は年下なんですけれども、料理を作ってくれたりしてとっても優しいんです』という様な葉書が紹介されていた。私が黙って聞いていたら、母が、「最近の若い娘は勘違いしている。本当の優しさというものを解っていない」と、吐き捨てる。気持ちが重々理解できた私は、「米を研ぐ時に、洗剤を入れて研げばいいんでしょ?って本気で言っている奴がいたぞ。そんなのばかりで、要するに地に足が着いていないんだ」と話した。ついでに、「苦労していないんだよ」とも発言・・・私は家事のうちで炊事だけが苦手だったし、長生きする気も無かった。しかし、悲しいかな、生きながらえてしまった。色々と考えた挙げ句に、『生きる』ために、炊事について、母に弟子入りした。母も喜んでくれている。基礎から教わり始めている最中だが、料理というものは、いい気分転換にもなる。何より、自分で作ったメシはうまい。母が勘で味付けしている時も、パン粉や小麦粉や香辛料を入れる理由や、肉などに火が通ったかどうかの判断の仕方などを必ず聞く。覚えるためにだ。料理を始めて驚いたことは、スライサーなど、便利すぎるものが多すぎることだった。短時間で出来るのだ。面白味さえみつかる・・・冒頭の男は、よっぽど仕事が出来るか、その逆の、どちらかだと思う。本当に家族のことを考える男ならば、家庭を大切にすることも重要だが、世間の荒波から家族を守らなければならない。男子、外に出れば七人の敵がいるというのが、この社会の実情なのだ。あるいはもっといるかも知れない。また、一方で、上に立ったら立ったで、いろんな人の生活を支えなければならない。責任とはそういうものだ。私も母も弟も、父の孤独を知っている。だから、『やさしさのはき違え』について、嫌な時代になったな、位にしか思わないのだ。

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長男として

 二人兄弟の兄貴として、黙っていなければならぬ事が多すぎる。時には、ストレスで爆発しそうだ。それでも、情けをかける。こんな事の繰り返し。友人の弁護士からは、「どんなことがあっても、絶対に甘やかすな・・・そういう事例が多すぎるんだ」と念を押された。甘やかすつもりは無くても、同じ屋根の下、気を遣う。すると、段々と図々しくなって行く。時にはケンカにもなる。彼の存在で、私の生活も無茶苦茶になる。特に睡眠時間が・・・これはコタえる。朝型にしたくても、無茶苦茶な時間に目が覚める。今の私は、超分割睡眠だ。眠れても一時間半か三時間。人間的な生活とは言えないし、それができない。弟は私の、この、夜間の辛いblog行について理解が無い。自活するために料理を母から習い始めたら、「コックにでもなるの?」と馬鹿にされた。これには頭に血が上ったが、今では、母に、「今度、買い物に行く時には、どういう風に買えばいいか教えてね」と頼んでいる。自分のために始めたことだが、弟を認めさせるには、続けるしか無い・・・私が料理を習い始めたのは、『生きること』を人生の主眼に置いたからだ。また、尊敬するばあちゃんが死去し、雀の涙ほどの遺産金(根拠なんて何にも無い)も、自分の分は全額、家のために使ってくれと、母に言った。父方の親戚とも縁切りの手紙を代筆した・・・それで、どれほど苦しんだことか。弟にも本当のことが言えずに、どれだけ悩み抜いたことか・・・欲に目がくらめば運を失う。貧乏の中で幸せを見付けることには慣れている。運をなくすことだけはしたくはない。人間の要素として、一番大切だと思うからだ。

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温暖化と競馬

 私が昔、布団を積んだ車で、東北・北海道と旅した時、馬産地である新冠(にいかっぷ)のユースに泊まったことがある。私はトウカイテイオーが好きなのだが、サクラローレルのファンとステイゴールドのファンの若い男女と一緒になった。ユースの談話室には競馬関係の資料で埋め尽くされていた。みんな、競馬ファンから寄贈されたそうである。夜には希望者だけの競馬談義が若いオーナー中心に交わされたが、みんな個性的。昔はオグリキャップなども拝観できたのだが、その時には、もう公開されていないということであった。残念至極。競馬ファンが多いのを考慮して、夕食は鹿肉のシチューだった。その頃の夏の北海道は、まだ過ごしやすかった・・・しかし今、夏の北海道でも、車中泊で下手をすると死ぬ。気温が30℃弱まで上がっている。私は競馬場に行って負けたことは無いし(家から遠いので)、グランプリにはめっぽう強かった。また、今のボールペンはダービーで勝った時のものだ。今でこそやらないが、競馬では、まずまず浮いている。私の頃とは、GⅠのローテーションも気候も何もかにもが変わってしまった。梅雨前線が北海道の辺りに行ったりして、昔の私の予言である、『北海道に梅雨?』というblogも当たってしまったのかも知れない。とにかく日本全体がひどい状態だ・・・それはともかく、私が当てた宝塚記念で、印象深いのは、二着に牝馬が入った時のことだ。私は競馬についても、かなり研究したが、『牡馬に比べて牝馬は夏場に強い』と記憶していた。人間でも男女を比較すると、相対的に女性の方が体脂肪率が高い。馬も変わらぬ。ここ数年の牝馬の活躍は、温暖化と関係があるのでは?と考える。いずれにせよ、そういう推論などを考えている時が、競馬の予想は一番面白い。

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忙しい一日

 夜中にblogを更新し、食欲も無いままに寝た。朝五時起床で、大学時代の年に二度の集まりの九月中のスケジュールのアンケートのメールを一時間かけて作り、送信。液晶画面はブルーライトが強いせいか、眼が異常に疲れ、前日のメンチカツを食して、再び就寝。午前十一時頃、再び起床。やっと頭がスッキリする。寝ぼけ覚ましに、タバコを吸って、水を飲む。巨大な台風11号が日本列島を縦断する予報円を観て、特に、九州・四国方面を案ずる。台風が発生する緯度が上がり、ここ数年、直撃型の台風の増加や集中豪雨などが増えている傾向から、日本の気候の変化を確認。ユウウツになっている暇も無いので、母に頼まれ、久々に車の運転をし、激安スーパーへと向かう。タイヤの空気圧が下がっているのが第一印象。また、暑さのせいか、途中で事故を起こしている車の多いことに気が付く。無事に車を駐車場に駐め、外に出ると、屋内駐車場のせいか、サウナ状態。あれでは熱中症になるのも解る。買い物を済ませ、荷物を積んでいると、汗が噴き出す。車で水分補給をし、家路に就く。無事到着すると、時計は既に午後の三時過ぎ。荷下ろしをして、しばらくバテる。この時点で友人からのリプライを観た。九月の最初か終わりになりそうである。しばらくして、落ち着いたので、今日も母に料理を習う。メニューはシーフードマカロニグラタン。二十分ほどで用意が完了。休憩の後、シャワーを浴びるが、かなり熱めのお湯。この時点で午後六時。曜日感覚を忘れないために、録画しておいた朝の連ドラを観ながら、犬と戯れる。十二時間食べていなかったので、弟の帰宅を待たずに、たいらげる。食休みをしながら、再びパソコンチェック。友人一人からのリプライを確認。また、母も疲れたのであろうか、弟の帰りを待ちながら、一時間程就寝。その間、ニュース9を観ていた。九時半頃、弟が帰宅。「おかえり」と言い、二人分のグラタンをオーブンで焼く。余りに高性能になったレンジ兼オーブンに驚く。弟と母の食後、弟と寝ぼけた母と私で議論。今日のblogは午前様になると覚悟した・・・眠い目をこすって、今に至る。

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今、若者はみんなアメリカ

 昨朝、寝ぼけ眼で広島原爆の追悼式をTVで観ていた。八月六日とは、私にとって特別な日である。さだまさしさんのアルバムをいつ買ったのかは覚えていないのだが、一枚だけ持っている。その中に、長崎原爆の悲惨さを歌った曲があった。かなり、リベラルな視点の歌詞であったが、原爆を憎む気合に満ちた曲であった。それを、あの、爽やかな声で歌われると、逆に恐い。STINGも原爆のことをオッペンハイマーの人殺しのおもちゃと批判している。さださんのアルバムで気になった曲がもう一曲あった。それがタイトルに書いた、~今、若者はみんなアメリカ、それも西海岸に、という曲でもある。アメリカに実際に一ヶ月以上いた私は、あの国のどこに魅力を感じるのかが解らない。確かに、何もかもが、日本とスケールが異なる。しかし、私が頭を痛めていることは、『モモ』という童話を書いた、ミヒャエル・エンデの言葉通り、欧米主体の、政治体制としての民主主義も、経済の仕組みとしての資本主義も、今のままでは成り立たなくなるのではないか?という危惧だ。この二つを世界中に強いているのが他ならぬアメリカ。けれども、アメリカの独り勝ちの時代は既に去った。地球上の皆で、新しいスタイルを模索するべき時なのかも知れない。そのためには、日本人が日本人としてのアイデンティティを、まずは外国から日本という国を観ることによって、若いうちに確立しなければならない。グローバリズム観も大切だが、私はアメリカを横断した時に、日本語が崩れている日本人を何人も観てきた。これでは駄目なのだ。アメリカが自由奔放な時代は、既に終わっている。変な憧れを抱けるほどの懐の深い国では無いのだ。

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破壊

 私にだって、パソコンをぶっ壊したくなる日もある。ディスプレイなど観たくも無い。丁度、今日がそんな日だ。

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ケンタッキー

 甲府から戻ってきた友人が、奥さんの留守らしく、ケンタッキーフライドチキンを買ってきて食べたと書いていた。コメント欄に、『ケンタッキーは足の部分が一番食べやすいよね』と書いたら、彼から、『胸の辺りの部分が好きで、パリパリ感がたまらない』という返事を頂いた。それを読んで妙に納得した。彼とは学生時代、100回以上、私の部屋で呑んだ仲である。一度だけ仲違いになりそうなこともあったが、三十の時に、彼は私の部屋に来て、「おい、悪いけれど、俺、結婚することになった」と教えてくれた。その時の私の表情について、何度、笑いものになった事か・・・しかし、彼とは小学校以来のつきあい。披露宴で、友人代表のスピーチを任されるという名誉な事案を任された。スピーチの時間を聞いた私は独りで三通りぐらいのシナリオを作った。いざ発表となると、人生であんなに緊張したことも無いほどに緊張した。でも、彼のために必死だった。後から聞いてみると、新郎で高砂にいる彼は、私よりも緊張していたらしく、何にも覚えていなかった。けれども、いい披露宴だったことは覚えている・・・それにしても、彼も私も個性が強い。何で本格的に衝突しなかったのかが、何となく解った気がする。それはつまり、二人でワリカンでケンタッキーフライドチキンを買ってきて食べても、好きな部分が異なるから、平和に食することができるということなのだ。これは、女についても言えることかも知れない。自然とケンカにならないのだ。また、私は彼ほど人格が出来ていないのかも知れない。彼のFBでのコメントには、男女問わず、みんながコメントを返してくる。彼の性格の良さが滲み出ているというものだ。

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安倍君、いいかげんにしたまえ

 一国の総理大臣が国の中で、ある県だけをひいきにしては為らない。こんな事は当たり前のことだ。随分前の話だが、今の内閣総理大臣である安倍晋三君が地元である山口に帰る度に、墓参りをし、先月は下関の東行庵を訪れ、決意を固めたというニュースを観た。はっきり言って、相当にシラけた。そんなくだらないニュースなどよりも、下関で安倍君が何を晩飯に喰ったのかの方が気になるほどに。自腹で喰えよとだけは言いたかった。あの人の政治理念には疑問を抱かざるを得ない。政権交代して、何故か、一度は国政を放り出した、あの人が首相で、副首相も、民意を無視して勝手に決められた。結果、元首相の小泉と同じような道を踏襲している。法的に言えば、おいしい法案だけを先に通して、国民の知らぬ所で滅茶苦茶な、ポリシーも無い法案を通している。ヤバくなったら外交に出る。はっきり言って、あんなのはバカンス以外の何物でも無い。彼等が内閣を牛耳って、国民の生活は幸せになったのであろうか?先日、北海道電力が17%以上の値上げを表明し、続けて乳製品も10%余りの値上げを表明した。その一方で、トヨタは法人税を払っていなかった・・・こんな無茶苦茶なことがあるか!馬鹿に馬鹿と言っても、どうしようも無いことぐらいは判る。NHKのニュースで取り上げない記事があるのも知っている。安倍君は、やたらと、「私も長州人として・・・」という表現を使う。これは間違いだ。会津の人にも意地がある。時流というものだけで判断していては、道を外す。私はアベノミクスなんて全く期待していない。国民は、集団的自衛権だけで政権を観てはいけない。その裏で、汚い法律を通そうとしている事に着目せねばならない。

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静けさや・・・

 目覚めると、蝉の音が凄い。いよいよ夏も到来か。今朝はクマゼミが鳴いている様な感じだった。クマゼミを捕まえる事ほど簡単なこともない。クマゼミというのは、鳴き声が大きいからどこにいるのかが、すぐに判る。しかも、鳴くのに夢中で、鳴いている時には素手でも捕まえられる。しかしながら、この時間帯になったら、ミンミンゼミばかりがやかましい。私から言わせると、ミンミンゼミなど蝉のうちに入らない。東北の平泉に行った時には、蝉の音が違ったのに驚いた。ヒグラシの様な鳴き方をしていた。場所は山寺と異なるが、『岩にしみいる』という表現の素晴らしさに気が付いた(芭蕉で平泉と言えば、夏草や・・・なのだが)。ツクツクボウシが鳴く頃というのは、晩夏の様で寂しい。しかも、いちばん捕獲しにくい蝉でもある。ところで、みなさんは、幼虫の頃の蝉というのを観たことあるでしょうか?有名な話として、蝉は六、七年、土の中で過ごし、一週間足らずの命だと言われます。母の古里である瀬戸の島に、弟と二人、夏休み中いたころ、ミカンの木には蝉の抜け殻(茶色っぽいオレンジ)が溢れていました。でも、一匹だけ、昼に土から出てきた蝉の幼虫がいたのです。珍しさと興奮で弟と二人、観察していました。でも、その幼虫を捕まえることはしませんでした。蝉になっても一週間足らずの命であることを知っていたからです・・・人間界も同じ様なものです。幼心に、その事を知りました。

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道場荒らし

 母の叔父が東京見物に行った際、将棋の二上道場に行って、四日間通いつめて、アマチュア四段の免状をもらったらしい。それを聞いて、私が最初に放った言葉は、「そのおっちゃん、アホやな」だった。二上といえば、名人挑戦者になったこともある名門でもある。ある本では、将棋をこよなく愛し、詰め将棋好きの方が創っていたら、麻雀をやりながら、一目見た二上九段が、「それでは余詰めがありますよ」と、一目見て言ったらしい。昔から、力士とケンカをするな、将棋指しとは麻雀をするな、というのは格言であるが、その作家の先生も、「一目見て、パッと解っちまう。勝負にならない」と、諦めたそうだ。これで、将棋のプロとはどれだけのものか解るというものである。そんな折、八王子の側に住んでいた羽生が、親に連れられて入門した。もちろん弟子としてである。親が、「大丈夫なんでしょうか」と聞く中、女将さんか弟子が、二上が駒落ちでも真っ赤な顔をして指している。あれは、本気モードですよ、とアドバイスする。将棋の師匠と二度対局したら、それは、諦めろということを知った。奨励会には年齢制限というものがある。しかし、羽生は、中学生にして、見事プロ棋士となった。私は、今は死語となった『羽生マジック』というのは、本人のたゆみない努力と、将棋界の研究によるものではないかと思う。確かに、一つの道に生きるとは辛いものだ。しかし、三年連続してA級でトップを張り、名人となった。四十間近の彼の生き方に注目してみたい。

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花と花瓶

 今の時代、女が花であり咲き続けるならば、男なんてヒビの入った花瓶の様なものだ。

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