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没個性論

 なんぼいい言葉ばかりあげつらえても、情報が混乱したら意味が無い。少なくとも確固たる自分を保つためには、捨てなきゃいけない情報の方が多すぎる・・・戦争だって情報戦だ。ビジネスだって情報戦だ。現代というのは、溢れすぎた情報に溺れて、足をすくわれている奴の方が多いのではないか?自分造りというものを他人任せにしてしまうと、アンドロイドみたいな無機的な人間しかできなくなる。本当に有機的な人間になりたければ、自分の魂は自分で創るしか無い。それは、辛く、孤独で苦しいことだが、そこを見失うと流される。職場や学校にコンピューターが溢れている社会というのは、個性も人格も思想も魂も、その他あらゆる人間としての本質的なことを、全て『ボツ』にしてしまう。だから、私は、極めてコンピューターという物が嫌いであって、あえて距離を置いている。安易に解ってしまうというネットの問題はとりわけ教育の場にはふさわしくない。智恵を得るためには、汗をかかなければならないのが当たり前だ。もはや人類は手遅れなのかも知れぬ。私の中に絶望感が広がる・・・この事をよく解っている友人は子供に携帯どころか、たまごっちさえ与えなかった。時代の先端にいるから、その脆さというものを、相当に理解した上で危険視したのであろう。私も彼の考え方に同調する。ネットを利用しなければならない筈の人間が、ネットという便利の基、自分で考えている気分になって、実は流されているという皮肉は、よくあるSF映画の様に、すでに社会全体がコンピューターに支配されている現実を突きつけられている気分になり、私個人としては諦念の極みである。こんな社会は、絶対に成り立たない。

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