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研究者としての在り方

 私は、個人的には、小保方氏をこれ以上、個人攻撃するやり方には反対である。しかしながら、Dr.論文についての早稲田の方針が面白かったので、書いてみたい。まず、数カ所の引用が明らかになったにもかかわらず、早稲田大学が博士号を認めると発表した。おかしな話であると、誰もが思ったはずだ。これは何故なのか?答えは簡単である。同じようにして、すり抜けている社会人が多いからだ。本当に優秀なドクターなど一割もいない。私の通っていた大学の場合でも、博士論文どころか、四年で認められる、いわゆる学位論文でも、二割ぐらいの奴が先輩の論文を写していた。就職優先(学校と企業の契約みたいなもの)だから、先生も解っていてハンコを押していた。学位論文の場合、中身が無くても、大概、『A』が与えられる。また、例えば、『数学科』などは、教えるだけで手一杯のせいか、学位論文など無い。修士論文から始まるのだ。これを悪用する輩も大勢いた・・・この『論文の抜け穴』ばかりを利用して卒業してゆく学生も多いのだ。小保方氏の場合、はっきり言って、英語のスキルは高いのだろうが、これらの『抜け道』ばかりを利用している。ましてや、D論ともなると、科学者として許されざる行為なのだ。パクリが解っていて、博士号を与えるなど考えられぬ。その上で、早稲田の有志の教授連中が、小保方氏の博士号に対して、異を唱えるのは当然である。確かに、論文を書く作業とは、孤独で空しい。そんなことも解らずに、下村博文文科省は、彼女の研究について「意味がある」と、訳の解らないことをコメントしている。要するに、『理科研にカネを出す』とも受け取れる。少なくとも、彼女は、リーダーなのだ。理科研といえば本来、エリートの集まる場所であった。少なくとも、戦前では。ごまかしだらけの奴がごまかしだらけになって、あくせくする姿は、いまや、迷惑である。自分の生活の権利などを訴えずに、潔く辞表を出したまえ。君以外にも、たとえ認められなきことを覚悟して研究している方達が一杯いるのだから。

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