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2014年7月

原爆責任

 広島原爆を投下した飛行機の名称である、エノラ・ゲイの最後の飛行士が九十数歳で亡くなったと聞いた。某メディアによると、原爆投下について聞かれると、皆が口を揃えて、「(当時の大統領である)トルーマンに聞け」と、話を渋ったそうである。自分達は、指示に従っただけなのだと・・・アインシュタインの特殊相対論で、質量というものがものすごいエネルギー体であることが導かれた。有名な、E=MC2乗という式は、それ程に恐ろしいものである。質量が光速の2乗と組み合わさって、エネルギーとしてのポテンシャルを持っているということなのだ。第二次世界大戦の時に、ドイツ人が核分裂を発見してから、アインシュタインはアメリカ政府の書類にサインをした。この事は一生涯、悔いても悔い切れぬものとなった。戦後にプリンストンの研究所を訪問した湯川秀樹に、涙ながらに謝ったそうである・・・現代の量子力学には行き詰まり感を否めないが、当時は旬であった。核分裂を起こす物質も、ウランとプルトニウムの二種類。それぞれ、大きさから、リトルボーイ(広島原爆)とファットマン(長崎原爆)と名付けられたが、シャレにならぬ新型爆弾であった。原爆を作った奴等は、とうに死んでいる。ロスアラモスのグラウンド・ゼロで、物理学者達は、一時的な達成感の後に、恐ろしい思いをしたであろう。作った奴等が悪いのか、命令した奴が悪いのか、スイッチを押した奴が悪いのかは、解らぬ。しかし、歴史の生き証人がまた一人消えたという現実だけが彷徨う。なんとも後味の悪い話である。

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孤独の影

 いつからかは解らないが、自分の心の中に、『強い気持ち』と『弱い気持ち』があることを知った。ここで考える。『強い気持ち』というのは、外向けに、ハッタリをカマした自分であり、何にも残らないことを意味していると気付かされた。また、そういうだけでは、ロクな駆け引きもできないと。人間、不思議なもので、『弱い気持ち』の中に自分が埋もっていることが多すぎる。これは本質的なことでもある。昔の憎しみや哀しみは全部、ドブの中に捨てた。相手にしている暇がないからだ。また、私は、自分の弱点を克服するべく、大学生活を送った。勉強などできて当たり前だからだ。私から言わせると、10あったら、大学の勉強など1未満である。残りの九割以上は、社会勉強のために様々なことをした・・・人生とは苦しみが苦しみを産むためにあるのではないか、と疑ったことだらけである。そんな私を導いてくれたのは、友情と本だった。友情はかけがえのないもの、と単純に言っても、なかなか一言では言えない。それは、傷ついた上でしか成り立たないものだからだ。本来は辛い絆なのである。そういうことが解っていない人のいかに多いことか。否、多い少ないの問題ではなく、傷つきもしない青春なんて無いのだ。もう一つの方の、私を救ってくれた、本には世話になった。図書館で借りてまで読んだ。そう言うと、故親父の蔵書は半端ではない。しかも、当時、日本一を争った高校の図書館から、三倍以上の本を読んだと言っていた。そこに私は、故親父の孤独の影を見るのである。

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たたかう

 数日前、中高時代の小さな(四人)集まりがあることを知った。友達経由でである。行く気がしないので、勝手にやっていろ、位にしか考えてはいない。はっきり言って、どうでもいいのだ。知らせてくれた友人は、(少し解る奴なら)君の全身に悩みが溢れていると解る、と教えてくれた。その通りだ。今まで、物心が付いてから、悩まなかったことなど無い。そのために、内科では胃薬に使うという、精神安定剤を飲んできた。意識自体は何も変わらない。信用できる人間には、話しても来た。たたかうためにだ。そのために人生から捨て切ったことも多い。しかし、哀しいことに、一部には、全然理解しようとしない人もいる。そういう輩は、鬼の首でも取ったかの様に、「実はアイツのこと知ってる?」から始めて言いふらす。私は、彼のことを友達だと思っていたが、単なる、知り合いに過ぎない。そんな奴など、まさに私が『たたかう』べき相手だからだ・・・村上春樹の『ノルウェイの森』は古本で読んだが、主人公の彼女は死ぬ。その施設の中で、先輩のギターを弾く女がこう言っていた。「頭のいい人ほど、ああいう病気になりやすいのよ」と。当時の孤独な私にとっては、癒やしだった。その正反対にあるのが、ドストエフスキーの『白痴』だ。私には、どちらが幸せなのか解らない。いずれにせよ、どんな人にでも、最低限のプライドがあるということだ。それが汚された以上、『たたかう』しかないのである・・・空しい限りだ。

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醜いもの

 父方のばあちゃんが他界して、まもなく四十九日となる。どういう意向だか知らないが、ある叔母様の都合により、三十三日で一回忌が執り行われた。そのころの私といえば、栄養失調で、ぶっ倒れることを繰り返していた。本来、信仰心の強かったばあちゃんからすれば、そういう日取りには拘った筈である。母だけが向かう準備をしていたが、私は、「どうせ、ハメられるだけだから行かない方がいい」と進言。うちの母は、驚くほど傷つきやすく、アホで、お人好しなのだ。そもそも、三十三日の法要など聞いたことが無い。葬式とは恐ろしいもので、その人間の本性が現れる。私は、故父が親戚をまるっきり信用していないことを知っていた。母をその渦に呑まれない様にしただけである。傷つくだけだからだ。結果、母は家に残り、訳の解らない遺産金を受け取ることになった。行っても行かなくても同じだ、という私の読みは的中したのである。遺産金と言っても、僅かな額で、私は自分の為にならないと思い、辞退したかった。本来、お金というものは汗水垂らして稼ぐものなのだ。ばあちゃんの汗を受け取る気にはなれなかった。弟もそう言った。これらが私どもの本音である。棚からぼた餅みたいな金を受け取ると、自分が潰れる・・・そこまで言ったら、母が涙腺を潤した。「私の子供達は、しっかりと育ってくれている。育て方を間違っていなかった」と。本当の所、私は、ばあちゃんの遺言書のありかまで教えられていた。でも、ばあちゃんを愛しているからこそ、受け取れない。こんなことで悩むぐらいなら、一日も早く、生産的な事がしたい。

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熱めの風呂に入り・・・

 本来なら、タイトルを、『熱、めの、風呂に入り』にしたかったのだが、これでは訳が解らぬ。ここまで書いて、何故、私がそうしたかったのかを判る方は達人である。もちろん、桑田佳祐の『夏をあきらめて』から来ている。夏真っ盛りだというのに、今は無粋という方は、この暑さをどうやって凌いでいるのであろうか?基本的に私は、夏はシャワーだけである。しかしながら、あえて熱い湯船に浸かってみた。短時間ではあるが、風呂から出た瞬間に、極楽気分を味わう。妙に涼しいのだ。風呂上がりとはいえ、確かに汗はかく。しかし、それ以上に快適。試しにそういう事をやってみるのも、をかしからず、と思った・・・ここで私は、『をかしからず』だったか、『おかしからず』であったかで悩む。古典の活用形など覚えたことの無い人間だから。そういえば、高二の時、古典の試験で、源氏物語の『桐壺』の冒頭を訳しなさいという問題が出た。この時、『つとめてときめきたまうありけり』の所で手こずった。確かに授業でやった所なのだが、短い試験時間の間で、暗記してもおらず、『大層、趣のある方がいました』と、無理矢理に訳した。ここの訳は、『ときめき』をどう訳すかに掛かっている。当然アドリブだが、たしか、先生は別の訳し方をしてらした。その時の試験、活用型だけ分からずに、『10』を逃した・・・基本的に暗記が私の一番の苦手どころである。

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研究者としての在り方

 私は、個人的には、小保方氏をこれ以上、個人攻撃するやり方には反対である。しかしながら、Dr.論文についての早稲田の方針が面白かったので、書いてみたい。まず、数カ所の引用が明らかになったにもかかわらず、早稲田大学が博士号を認めると発表した。おかしな話であると、誰もが思ったはずだ。これは何故なのか?答えは簡単である。同じようにして、すり抜けている社会人が多いからだ。本当に優秀なドクターなど一割もいない。私の通っていた大学の場合でも、博士論文どころか、四年で認められる、いわゆる学位論文でも、二割ぐらいの奴が先輩の論文を写していた。就職優先(学校と企業の契約みたいなもの)だから、先生も解っていてハンコを押していた。学位論文の場合、中身が無くても、大概、『A』が与えられる。また、例えば、『数学科』などは、教えるだけで手一杯のせいか、学位論文など無い。修士論文から始まるのだ。これを悪用する輩も大勢いた・・・この『論文の抜け穴』ばかりを利用して卒業してゆく学生も多いのだ。小保方氏の場合、はっきり言って、英語のスキルは高いのだろうが、これらの『抜け道』ばかりを利用している。ましてや、D論ともなると、科学者として許されざる行為なのだ。パクリが解っていて、博士号を与えるなど考えられぬ。その上で、早稲田の有志の教授連中が、小保方氏の博士号に対して、異を唱えるのは当然である。確かに、論文を書く作業とは、孤独で空しい。そんなことも解らずに、下村博文文科省は、彼女の研究について「意味がある」と、訳の解らないことをコメントしている。要するに、『理科研にカネを出す』とも受け取れる。少なくとも、彼女は、リーダーなのだ。理科研といえば本来、エリートの集まる場所であった。少なくとも、戦前では。ごまかしだらけの奴がごまかしだらけになって、あくせくする姿は、いまや、迷惑である。自分の生活の権利などを訴えずに、潔く辞表を出したまえ。君以外にも、たとえ認められなきことを覚悟して研究している方達が一杯いるのだから。

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オッペンハイマーの苦しみ

 こんなものを創りだしてしまって、果たして、よかったのだろうか・・・いや、きっと、誰かが先にやるだらふ。

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アンコールワットの最終壁画

 カンボジアにあるアンコールワット遺跡(ヒンズー教)の一階の廻廊にある、人類史を物語った石の壁画については、以前触れた。簡略に書くと、過去、現在、未来の人類史が一階の廻廊四面にわたって彫られている。その最終画が、人類同士が争って紅蓮の炎に包まれていたのには考えさせられた、というものだった・・・私は、最近、あれが炎だったのか、血だったのかで悩んでいる。

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生物学を学ぶには

 競馬をやるのが一番いい。

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どんな人であっても

 孔子にしろ、宮澤賢治にしろ、聖人と呼ばれる人々でも、論語や詩集の中で、ちゃんと自尊心をぶちまけているのは、いかにも人間らしい事だ。

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殺し文句

 ・三島氏が三輪氏に対して、「お前には、たった一つだけ、欠点がある。それは、俺に惚れないことだ」

 ・三輪氏が何処かの講演の際、女子学生相手に、「美しい日本語を喋りなさい。学ぼうと思えば、いくらでも、いい日本語を書いた本はあります。例えば、堀口大學さんの訳した詩集など・・・」と、ここまで読んで、その本をゴミ箱に放り投げた。私は、この、大學さんの詩集のために金をドブに捨てた様な者である。フランス語が少々お達者だったのかも知れないが、大學さんの訳では、『詩』に為っていないのだ。まだ、ヴェルレーヌなら、明治時代の『海潮音』、ランボーならば小林秀雄訳の方が、詩として伝わって来る。大學に全く才能が無いのは明らかである・・・本来、教科書が間違っている、などということは、どうでもいいのだ。私は、ヴェルレーヌがランボーの手を狙撃した一夜の惨劇に、心打たれる。

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武士は喰わねど・・・

 『武士は喰わねど高楊枝』という言葉は、一見、武士の底意地を示した様に感じられるが、私は違うと思う。こういう歴史に残る流行り言葉というのは、『意地』が生み出すのでは無く、『皮肉』や『侮蔑』が生み出すものであろう。おそらく、商人辺りから出たのではないか。

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脱法ドラッグを巡って・・・

 最近の脱法ドラッグによる交通事故などのニュースを受けて、ドラッグとは何か?ということについて母から質問攻めを喰らった。この文章は、あくまでもドラッグの意味を認知した上での立場に基づいていることはご承知願いたい。まず、知り合いで、ハワイに行った時に、マリファナに手出しした(時効)奴の話をした。そいつ曰く、「俺は大したことなかったなあ。ただ、壁が緑で天井がピンクなだけだった」・・・これは充分にラリっているのである。私自身も、タイからの帰国の際の成田で、皆と共に、麻薬犬の検査を受けた。結果は『異常ナシ』、当たり前である。そんな中、母が、「ヒロポンは麻薬じゃあ無いの?」と聞いてきたので、仕方なく、「戦後のどさくさにまみれて、出てきた純度の悪い覚醒剤みたいなものだ」と話したら、「コカインは麻薬じゃあ無いの?」と聞くので、「勝新と春樹君に聞いて」と応える。段々イライラしてきたので、母が、「シャブは?MDMAは?」と聞いても、「尾崎君と学君に聞いてくれ!!」と突き放す。『コイツどこまで馬鹿なんだ』と思ったが、親父の一言の方が味がある。「おまえな、麻薬ちゅうんは、水みたいなもんやで。麻薬の種類まで、いちいち聞く馬鹿がどこにおるんや!!」と一喝。これには助けられたが、大麻やマリファナよりもニコチンの方が依存性の高いことを知っていた自分が、嫌になった。これだけ馬鹿な母親と、これだけ賢い親父とが、何故一緒になったのかは知らぬが、親や身内を裏切ってまで、麻薬に手は出せない。脱法ドラッグとは、法に許された訳ではなく、法の目をすり抜けた麻薬なのだ。成分の均一性なども疑われる。間違えれば、死に至るものなのだ。自分だけで無く他人も巻き込んで・・・

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ゴジラの謎

 ゴジラといっても、ヤンキースの松井のことでは無い。怪獣の方のゴジラのことだ。ゴジラ自体が放射能体であるならば、何故、何十年も存在出来るんだ?とっくの昔に、くたばっている筈だ。

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あいつら・・・

 結局、自公の奴等は、自分達の給料だけを増やして、何もしなかった・・・あいつら、W杯休みでも取っていたんじゃあねえのか?

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うなぎ密談

 ショートメールにて・・・

 私:「昨日は電話とれなくてごめんな。栄養失調でぶっ倒れてた」

友人:「うなぎに行くぞ」

 私:「日本産のものは、絶滅危惧種になっちまったからなあ・・・」

友人:「だから行くんだ」

 私:「おい、そういうものは、『ヤミ』でしか食えないと思うぞ」

友人:「いつがいい?」

 私:「未定状態。今は、ぶっ倒れないために、必死で食ってる。時期が来たら連絡する」

友人:「了解。」

 私:「ごめんな」

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あっ、やっちまった

 ・W杯の決勝戦、ハーフタイムの間に寝てしまい、自分としても悔しいけれど、起きたと同時にドイツの優勝を知りました・・・決勝は逃せないと書いた私、全世界の皆様、申し訳ありませんでした。

 ・家の近くの八百屋は、火、木、土、しかやっていない。自慢は、現地産の野菜だそうだ。

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鶴と狐

 ・イソップ童話で、鶴と狐の話がある。狐の家に招かれた鶴は、平たいお皿で食事にならなかった。その後、鶴の家に招かれた狐は、深いツボに入れられたスープを食べられなかった・・・今でも、同じ様な事が繰り返されてばかりだ。私の家に『PIZZA-LA』のチラシがやって来ると、三日以内に、必ず『Pizza Hut』のチラシがやってくる。業界間でも、熾烈な争いが十二分に受け取れる。。。かといって、私は一切注文しないけれどね。

 ・アルゼンチン対ドイツ、希望としてはアルゼンチンびいきだけれど、多分、ドイツが勝つんだろうな。3-1位で・・・正直言ったら、みんな、ブラジル開催のW杯で、ブラジル対アルゼンチンの試合を観たかった。

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皮肉なことだね

 人間という生き物は、自分に無いものばかりを欲しがる・・・皮肉この上無いし、それは多分、あらゆる人間が屈辱の中にいるということだろう。

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一定命題

 一定命題が全て○と言う奴等には気をつけた方がいい。それは、一番に身近な人々・・・とどのつまりは世界を滅ぼそうとする狂気だから。

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裏切った奴等と風見鶏

 畢竟、わたくしが知ったこととは、箸が一本だけだといふことだった。

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わたくしは・・・

 わたくしはわたくしといふ・・・

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わたくしは

 わたくしは、わたくしの望まぬ方向で、わたくしの立場としての大河を渡った・・・それは、ルビコンといふのかもしれぬ。わたくしが捨てたはずのものだった。人間の裏切りにも身を捨てた。血情と裏切りの中に自分を見いだした・・・それが、こんな形態で、実の母親にも裏切られるとは!!!!・・・君もきっとかなしんだらうね。家の母親は鼾をかいて眠っているよ。

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あの時ああ言ったろう

 全てはおまへのやり方で、復讐されるべき道を選び、そうなっているのだらう。

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没個性論

 なんぼいい言葉ばかりあげつらえても、情報が混乱したら意味が無い。少なくとも確固たる自分を保つためには、捨てなきゃいけない情報の方が多すぎる・・・戦争だって情報戦だ。ビジネスだって情報戦だ。現代というのは、溢れすぎた情報に溺れて、足をすくわれている奴の方が多いのではないか?自分造りというものを他人任せにしてしまうと、アンドロイドみたいな無機的な人間しかできなくなる。本当に有機的な人間になりたければ、自分の魂は自分で創るしか無い。それは、辛く、孤独で苦しいことだが、そこを見失うと流される。職場や学校にコンピューターが溢れている社会というのは、個性も人格も思想も魂も、その他あらゆる人間としての本質的なことを、全て『ボツ』にしてしまう。だから、私は、極めてコンピューターという物が嫌いであって、あえて距離を置いている。安易に解ってしまうというネットの問題はとりわけ教育の場にはふさわしくない。智恵を得るためには、汗をかかなければならないのが当たり前だ。もはや人類は手遅れなのかも知れぬ。私の中に絶望感が広がる・・・この事をよく解っている友人は子供に携帯どころか、たまごっちさえ与えなかった。時代の先端にいるから、その脆さというものを、相当に理解した上で危険視したのであろう。私も彼の考え方に同調する。ネットを利用しなければならない筈の人間が、ネットという便利の基、自分で考えている気分になって、実は流されているという皮肉は、よくあるSF映画の様に、すでに社会全体がコンピューターに支配されている現実を突きつけられている気分になり、私個人としては諦念の極みである。こんな社会は、絶対に成り立たない。

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69年以降、ここには、そういうお酒はないのです

 日本が無条件降伏した国だと認めていない人が多い。その上で、米国の文化を考えてみたい。はっきり言って不思議な国だ。未だに、自国の文化を否定する映画監督などが存在する。でも、社会的に容認されている。そこを言ったら、EAGLESは外せない。つまり、アメリカ史を語る上で、欠かせないのだ。私は、ホテカルのBeastが友人の車で流れていた時、「これは何の象徴なんだ?」と質問した。彼は、『いい所を付いてくるな』という顔で、「それは、一言では言えない・・・昔のアメリカはよかったね」というニュアンスだけ教えてくれた。Feastの中でBeastを刺しまくる。それも上流階級の戯言の中で・・・現実を生きている主人公は戸惑う。逃げだそうにも、そこからは逃げようが無いという設定だ。私はホテカルの本当の意味を解するのに十年かかった。1973年に産まれた私には、60年代のアメリカなど想像出来なかったのだ。それは、アメリカのバブルであり、音楽ではBEATLS、政治ではJFK 、文明ではアポロの月面着陸、Woodstookでのジミヘンのライヴを物語っていたのは、後から気付いたことだ。EAGLSのホテカルのアルバムの最後の曲である『The Last Resort』も見逃せない。アメリカの侵略史を物語っている。最後の『結局、そこも駄目にしまうのにね・・・』という友人の訳には恐れ入った。日本人では分からない感覚だ。しかし、THE EAGLSといえば、結論的な『LEARN TO BE STILL』や、紹介された、『DESPERADO』などが忘れられない。・・・私は、一度紹介された曲は自分が納得いくまで訳す。そこで、私が得意としていたはずの英文和訳の実力が歴然と現れるのだ。彼も私の境遇を知ってか、私の部屋に来た時、『DESPERADO』がいいんだよな。と言ってくれた。私は和訳に取り組んだが、詩ほど訳しにくいものは無いのである。彼の訳である、『ダイヤのクイーンは引いちゃあ行けないよ、お前を打ち負かそうとするからな。勝負するならハートのクイーンだろ』という訳には、限界を感じた。彼は付き合う女を半年間観察していたそうだが、私は三年間?いや、十年間だった。だから、行きそびれたのだ。

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真ん中が一番いい?

 真ん中が一番いいことぐらい解っていた。現に私の母方の曾祖父の名字が『中道』であった。しかし、不思議なことに、中道家は金には困らなかったのに、滅びた・・・ニュートラルでありたいということは、車の空ぶかしと一緒で、動かないものなのだ。仏教の中道思想とは、理想であって、現実的じゃあない。人は生きていくために様々な業を背負っている。何事についても、もの申したり、実行したり、ということには思想が伴う。その時点で、ニュートラルでは無いのだ。右か左かということは、車を前進させるか後退させるかということに他ならない。日本人には、沈黙の文化というものがある。ニュートラルであるとは、沈黙に他ならない。もし、外人が見たら、あいつは何にもやっていないだけだ、と解釈するであろう。幼稚なのだ。だからこそ、日本人の根底には、『滅美』の文化がある。これを誤解しているのが、アメリカに与えられた民主主義と憲法と物質文化である。ベネディクトの『菊と刀』は日本人の本質を突いているという意味でも深い。与えられた、無茶苦茶な土壌の上には、エゴイズムだけが横たわる。人々は歴史を学び、自己哲学の基で言動しなければならない。今の日本には、残念ながらそれが無い。金を右から左に動かして、儲けることなど、あってはならない資本主義の形態だ。砂上の楼閣であることは、バブルで借金作った連中に神の手が降りたのだ・・・神?それはアメリカに深く根付いている、ある民族のことかも知れない。あいつらは、人々が欲深いことをようく知っている。ただ、それを利用しているだけだ。エゴでものを言う民主主義もエゴで動いている資本主義も、必ずエゴによって滅びるであろう。人間が醜さをさらけ出している自由なぞ自由では無い。人類は行き着く所まで行き着いた。取って代わる思想など無い。懐古思想も駄目だ。人は一度覚えた味を捨てることは出来ない。『今は昔』には歴史観を感じるが、実際は逆で、『今は未来』なのである。少なくとも私は、『今』に希望を見いだせない。従って『未来』は暗い。

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政治思想を聞かれて

 人はニュートラルポイントには行けない。

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三時間悩んでみて

 ネタ探しに三時間悩んでみて、書けないということは、今日は書くなという日なのだろう。

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どうして自分はこうなんだろう?

 ここ数日間、阿呆となっている。一辺に私に、様々なことが降りかかったのだ。何かしながら、常に他のことを考えていた。自分は、もう41である。一身上の都合から、好きになった女にも無愛想を貫いてきた。普通の私だったら、あえて意地など張らない。適当に、である。そう考えると、何であの女にだけ意地を張るのかよく解らなくなる。コンプレックスかと思うとそうでもない。あえて言うならば、私の男友達に比べても、その娘は感情で話している。もう、女なんてどうでもいい、と割り切った頃に彼女の結婚の話を聞いた。私は長年の呪縛から解かれた気がして、相手にしなかった。『よかったね』で終了・・・のはずだったが、彼女は思いの外、私の生活に入ってきていた。そこからは、必死で受け取れる、私の前に行こうという姿勢。この娘もバカなんだなとしか思わなかった。それは、私が優れているとかいうことではなく、向上心の強さを感じた・・・最近、私には、ややこしいことを悩まなくなった自分がいる。いろんなハード・ショックに壊されかけている自分がいる。そんな私の為に、十年間、変わろうとした彼女がいたのだ・・・その衝撃の方が、今現在、私の胸に響いている。響きすぎて、茫然自失となる。生意気なことを書いたりしたのも、申し訳ない。貴女は貴女の幸せを掴んで欲しい・・・先程、二十年前の自分の写真を見たが、今との違いに驚いた。一番驚いたのは、『コイツ、危なっかそうだな』というのが私見。あの頃は、逞しさが欲しくて、がむしゃらだった。割り切りすぎている、今の自分を見つめ直す。思い出させてくれたのは、貴女。どうぞ、最高の祝福に悩まれます様に・・・ありがとう。

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ファシズムの根幹

・ファシズムの根幹は、その人自身の妬みから来るのです。だから、何にも解っていないおばかさん達は、今頃、W杯を観て仕事をしていないのです。

・教育者にファシストが多いのも事実です。自分の方が多少、歳をとっているだけで、子供を潰す様な真似をする。社会的にぬるい職業だから、間違った人間になる。そんなのに教わるぐらいなら、寝た方がいいでしょう。

・右だとか左だとか言っているうちはまだ幼い。ニュートラルであるべきにはどうしたらいいか、そして、その矛盾点を考えなさい。単に批判するだけなら、誰にでも出来るから・・・

・自分に都合のいい言葉だけを選んではいけない。批判と葛藤して、新たな自己哲学が生まれる。そこは苦しいけれど我慢だよ。

・文句を言う暇があったら、自分を省みろ。俺はそうしている。そして、そんな暇など無いと気付かされる。

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