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喪中の葉書はどうしよう?

 父方の祖母の葬儀は歳が歳だけに、人数は二十人程度だったが、最後のお別れをし、骨を親族で拾って、骨壺に収めた。最後に坊さんにお経を読んで頂き、無事に終わった。これで私は、ここ四年あまりの間に母方の祖父と祖母、父方の祖母を立て続けに失った。父方の祖父は十五年以上前に他界している。これで、私は、祖父と祖母を全て亡くした事になる。母も、瀬戸の実の父と母、と神戸の父方の義父母を亡くし、「これでもう、広島や神戸に帰ることも無くなった」と、寂しそうに言っていた。母は瀬戸の実家に小学校の途中までおり、それから母の母方の祖母の神戸の家に独り移り、神戸で小学生から就職するまでを過ごしていたのである。亡き父との結婚を機に横浜に移って今に至る・・・このblogで取り上げたかどうか、記憶が定かでは無いが、母の弟に当たる叔父さんが広島に住んでいて、母方の祖父が他界した後に、独り瀬戸の実家に住んでいた祖母を、瀬戸の実家から広島の叔父さんが自宅によんで、面倒を観てくださった。母の兄弟の中で唯一の男の跡取りだったので、そうしてくれたのだが、代わりと言っては何だが、母は親の遺産の相続を放棄した。一年ぐらい経ってからであろうか、母方の祖母に末期の胃がんと肝臓がんが見付かり、余命が告げられ、祖母は今年に入って、ホスピスに入った。母は今生の別れと思い、二月の終わりに会いに行った。叔父さんの奥さんに当たる叔母さんから、胸水がたまっている旨を聞き、祖母の死が近いかも知れない事を話したらしい。私の父がそうだったのだ。祖母が私達家族の写真を欲しがっていたらしく、私が写真を探し、買ってきた写真立てに入れ、広島までとんぼ返りした母が、翌朝一番に速達で出した。叔母さんがすぐに祖母の元に持って行き、母と話していたが、午後になり、祖母の容態が急変した。叔母さんは気を利かせて母の携帯に電話して、容態が悪化した事を伝えて下さり、自分の携帯を祖母の顔に近づけ、母と祖母が話せる様にしてくれた。母は、大声で、自分の名前とねぎらいと感謝の言葉を掛けていた。叔母さんにお礼を言って電話を切った後、間もなく母方の祖母は他界した。今年の3月1日のことである。祖母の遺志で、葬儀は開かず、広島で直葬にし、四十九日も兄弟だけで済ませた・・・今年の三月から六月の間に、私から観たら、一辺に二人の祖母を無くした私は、喪中の葉書をどう書くか考えてみた。一辺に二人の名前が入った喪中の葉書など見た事が無いからである。落ち着いたら、調べてみよう。

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