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2014年6月

基本は『軸』なんだよ

 自分の軸を大切にしなさい。教えてもらおうとするべきでは無い。

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魂の抜け殻

 寝るしかないね。

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テスト氏との一夜

・ポール・ヴァレリーの『テスト氏との一夜』、あれは、文学などではなく、予言だ。

・有機体を失うことよりも、無機体を失うことの方が私には辛い。

・ポーは発狂した時、「俺は、あの木と似ている。梢から枯れるのだ」と言った。

・ディープインパクトは知っている。。。だからトラウマとなり、心当たりが無いのだ。

・『ポーー』で始まる寺山修司の『ロング・グッドバイ』は見栄だ。証拠に彼には子がいない。

・『_bye』?白紙の解答用紙を出された気分。しらふでコミットしないと、また金で眠れぬ。

・レポートの雨止んで、光雲うるさく、重い真相カーテンは閉じられ、また立ち上がる。

・ほおら、徹夜だ。信じがたき本当を押しつける予言が当たる・・・やっと、解き放たれる!!

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珍しく、いろんなネタがあったなあ

・友人がフェイスブック経由のメールで、『責任を取って辞任』という表現はおかしいと主張。これに対し、『辞任するのは私が無責任だったからです』なら、意味が通るとコメント欄に書く。

・北朝鮮がミサイルと認識している物を、『発射物』と書いてから、「ミサイルか?」と書く記事。

・ドクター中松(86)童貞説(『二十歳の頃』・立花ゼミ著の中で、氏は現役東大生相手に頭のいいことを強調。氏「人間の脳は三十くらいで成熟する。二十歳の頃というのは脳が未熟だから、そういう事をしてはいけない」:東大生「じゃあ、先輩はそういう事をしなかった!?」:氏「つまりねえ、半熟卵がスクランブルエッグになってしまうということだ」:ここを読んだ私の友人「半熟卵からスクランブルエッグは作れないんですけれど・・・ツッコミがあめえよ、東大生!!」)を裏付けるかの様な、前立腺導入管(?)の末期がんによる、医師からの余命宣告。

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なんだったんだろうな・・・

 今回のW杯ほど盛り上がった大会も無いのに、なんだったんだろうな・・・

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何かやってくれそうな雰囲気

 ブラジルW杯予選C組の最終試合が迫り、予定よりも大分、早く起きてしまった。保険として録画しているのだが、やっぱりLIVEで観たい思いが強い。弟が、「試合観てから会社に行こうかなあ」と言っていたので、「遅刻の理由がバレバレだぞ」と返した。母も、日本代表メンバーのスタメンを半分も知らないのに、寝たり起きたりを繰り返したそうだ。普段は、ほとんどサッカーを観ない我が家でさえこうなのだから、普段から応援しているサポーターの方々のそわそわ感は並大抵のものでは無いだろう。これまでのグループリーグ二戦を終えて、1分1敗にもかかわらず、今の日本代表には期待を抱かせる何かがある。攻めるサッカーができるタレントが整いだして、面白みが増した事もあるが、昔から日本代表は、追い詰められてから力を発揮してきた。Jリーグが出来てから二十年余り、まだまだ世界のトップクラスとは差があるが、少しづつ階段を登ってきた。それに伴って、サポーターのサッカーを観る眼も肥えたかと考えるに、そうでも無い気がする。もっとひどいのは、マス・メディアなどのポスト・ザッケローニ報道などがあったことだ。水を差すな、と言いたい。しかし、今回のブラジルW杯、中・南米のチームが圧倒的に有利にみえる。ブラジルの高温多湿さが、これらのチームに有利に働いていることは間違いない。対コロンビア戦も、気候面では相手のホームの様なものだ。しかし、日本のサポーターの応援も凄い。どんな試合になるのかが、楽しみである。ミラクルを期待したい。

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おっちゃんのコロッケとメンチカツ

 お袋が、「買い物に行くけれど、何か食べたい物ある?」と昼食前に尋ねてきたので、迷わず、「おっちゃんのコロッケ(通称『浜コロ』)とメンチカツ(通称『浜コロメンチカツ』)」と応えた。おっちゃんとは、近所のガラス屋さんなのだが、そちらは息子さんに任せて、調理師免許を活かして、胸焼けしないコロッケを最初に売り出した。小ぶりで100円だが、本当に胸焼けしない。材料や油などに相当こだわったのである。デパ地下などでも扱っていたそうだ。しかし、コロッケをおかずにしては、ご飯が進まない(両方とも炭水化物だからだ)。単品で食べる分にはいい。そんな中、今年に入ってからか、おっちゃんは、メンチカツを開発した。一個200円だが、その気になれば、一つで、ご飯の大盛りが食べられる。やはり、こだわりの品である。以前、食した時に、材料の載っている包装紙に包まれてあったのだが、それまでメンチカツを食べたことのなかった母はそれを捨ててしまった。その旨を母に言うと、母は残念そうに、「取っておいて、自家製メンチカツに挑戦してみたかった」と言っていたので、今回、私がリクエストしたら、喜んでいた。しかし、買って帰ってきてみて、材料の多さに驚いていた。おっちゃんは揚げ方にもこだわっているので、私が、「買った方が安いでしょ」と言ったら、母も頷いていた・・・おっちゃんが何故、包装紙に材料を書いたかというと、二つ理由があると思う。一つは、アレルゲン特定物質を明記するため。もう一つは、材料を明記することによって、コロッケやメンチカツ一つでも、『たかが』ではなく、真剣に取り組んだ事へのこだわりと自信があるからだ。だから、材料だけ判っても、真似ができない仕組みになっている。食後、少し時間が経ってから四時間ほど寝たので、夕飯はまだ採っていないのだが、このblogを打っている現在(深夜1時)でも空腹感が無いのが不思議だ。

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産まれくる命・去りゆく命

 パソコンのトラブルで久方ぶりに友人二人に電話した事には触れたが、その際、一人の友人は、晩婚であったが、一人の子宝に恵まれた。二歳七ヶ月の娘さんである。可愛くて仕方が無い時期なんだろうなと想像していたが、彼が去年、喪中だった事を忘れていた。奥さんの親父さんだと認識していたが、亡くなったのは奥さんのお兄さんで、45歳の若さで急性心筋梗塞だったそうである。私はねぎらいの言葉をかけたが、奥さんの御両親が相当ショックを受けたそうである。心中悼み察しいる。若い命が散るというのは、いつ聞いても悲しい。私も祖母を今年一辺に二人亡くしたが、年相応の散り方だったので、残念だったが、ショックは一過性のものだった。これで彼とは二年連続で年賀状のやりとりがなくなることにもなる。接点を失わない様にしなければ。お悔やみ申し上げる・・・散りゆく命がある一方で、新しい命の誕生もある。もう一人の友人は、跡継ぎの男の子が産まれて、やはり、可愛くて仕方が無い様子だった。電話越しに赤ん坊の泣き声を聞かせてくれたので、思いっきり、「ベロベロベロバー」などと、あやしてあげると、なぜか泣き止む。大きな声で泣く、元気のいい赤ん坊の声を聞くと、少し癒やされた・・・『ああ、この子は命そのものなんだな』と感じざるを得なかった次第・・・二人の友人との会話を通じて、命について改めて考えさせられた。『祝福の中に産まれた命ならば、皆が幸せであれ!!』と。自分にも重ね合わせてみると、親への感謝と、自分の命をいい意味で大切にする意識、が蘇ってきた。

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パソコンを難しく考えすぎていたな

 パソコンのソフトなどをダウンロードすると、いらないソフトまで付いてくることがある。このいらないソフトがしつこくてうっとうしいので、コンパネからそれらのソフトを削除していたら、誤って、ネットのドライバを削除してしまった。ヘルプを読んでいっても埒が明かない。一番重要なドライバのうちの一つを消してしまい、手作業で行おうと思っても、なかなか上手くいかなかった。自室にあるメインコンピューターの方だったので、かなり焦っていた。背に腹は代えられぬと、電話の104でサポートセンターの番号を聞き、電話するも、平日しかやっていないことが判明。やむをえず、友人に電話で尋ねた。そうしたら、「多分、復元でなんとかなるよ」と教えてくれたが、私は復元には嫌な思い出があるのだ。OSにWINDOWSのXPを使っていた頃、復元で、重要な所まで消してしまって、えらい目に遭ったのだ。XPから7に切り替えてからも復元はしたことが無かった。しかし、7では、復元する前に復元後、削除するファイルやドライバと復活するものが解る様になっていた。これで一段落。慌てていたので、友人に粗雑な応対をしてしまったのが、反省点だ。教えてもらう前に、自分で解決しようとしたおかげで、パソコンの仕組みについては少し勉強になった。パソコンを難しく考えすぎている事がなんだかマヌケなようにも感じた。システムをいじるのが怖かったが、随分便利になった事と、ヘルプが解りやすくなっていた事に驚いた・・・例によって、10時間ぐらい向き合っていたので、終わったら、脳味噌バーン。夕方頃、ぶっ倒れて寝た。四時間半ほど寝て、現在に至る。まだ、マウスの調整をしなければ、ダウンロードしたソフトは使えないのだが、パソコンのトラブルで、のめり込む性分は変わってはいない。易しいことを難しく考えるのは、もうよそう。それ位、便利になっている。

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産みの苦しみの共有意識

 先程まで、何を書こうか迷っていたが、やはり、ドローに終わったサッカーW杯について書く事を決意。『つまらない試合』などという意見が多かったからだ。私はそうは考えてはいない。正直、初戦のコートジボアール戦後は、予選リーグ三戦全敗でもおかしくない負け方をした。昨日の第二戦、よく、引き分けまで修正できたと思った。ギリシャだって、2002年のヨーロッパチャンピオンなのだから、決してナメてかかってはいけないチームである。確かに、あのカウンターサッカーはつまらない。それに対して、フィジカル面で圧倒的に劣る日本が、超攻撃的サッカーを旗印に、どう崩すかが課題ではある。至らない面も多かったであろう。しかし、私は、初戦でガタガタに崩れた日本代表の修正へのキーマンは、やはり本田だと思っていた。彼の決定力は魅力的だが、どれだけ他の選手からの信頼を取り戻せるかに掛かっていた。ギリシャ戦での本田のプレイスタイルを観ると、チームプレーに徹していた。ああするしか無かったのだ。全員が力を出し切って、自分達の新たなプレイスタイルである、超攻撃的サッカーを信じ、勇気を持って一方的に押しまくっていたのは、確実なる進歩である。確かに結果は出なかったが、短期的な視点で戦術まで否定するべきでは無い。挑戦には失敗が付きものである。失敗して、学び、強くなって行くのだ。長期的な視点からは、プラスなのだ・・・日本のサッカーは、行き詰まっていた。選手達は、W杯という自分のサッカー人生に於いて最も重要な舞台で、次の日本サッカーのために精一杯やったのだ。その『産みの苦しみ』をサポーターも共有しなければならない。それに、まだ、終わったわけではない。チャンスがある限り、最後まで諦めない姿勢の中にこそ、活路が開ける。ここまで来たら、本当に開き直るしか無い。最終戦が楽しみだ。

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スイッチを切り替える

 サッカーのW杯日本代表の第二戦が本日ある。初戦に負けた後、中四日で調整が利くとは思えなかったが、翌日、街を歩いていて、道行く人達の歩き方を観察していると、本当に日本国中がしんみりしていた事を肌で感じた。だから、代表チームは、第二戦、意地でも勝たなければならない試合である。敗因は選手達が一番よく解っているだろう。現代サッカーの主流となったパスサッカーで一世を風靡したスペイン代表が1次リーグで予選敗退する中、やっぱりスポーツにはフィジカル面も重要なのだと考えさせられた。しかし、ザッケローニ監督が目指したサッカーは単なるパスサッカーではない。組織的でいて、かつ、超攻撃的なパスサッカーである。体格で劣る日本人が世界とやっていこうと思うなら、ザッケローニ監督のヴィジョンが日本の次のスタイルとしてふさわしいのは言うまでもない。初戦は四年前と同じサッカーをしてしまった。これでは、日本サッカー界の進歩は無い。そのことを一番解っているのは選手達だ・・・スポーツをやった事があるなら、誰だって、ミスをした経験があるはずだ。特に、サッカーの様な集団競技ならとりわけ悔しいし、迷惑をかけた申し訳なさを覚える。しかし、優秀なスポーツ選手になればなるほど、メンタル面でもフィジカル面でも、ミスの後の修正スイッチの切り替えが早い。特に、短期決戦では、この能力次第と言ってもいい。反省したり、後悔している暇など無いのだ。幸い日本の選手達はこの能力が高い。過去の例を見てもそれが判る。今日はどんなサッカーをしてくれるのか、勝ち負けよりも内容を中心に観てみたい。気負いすぎず、欲張りすぎず・・・難しいことだ。もしかしたら、今日の第二戦が日本代表選手達の真価が問われる面白い試合になるかも知れない。『こんなものか』で終わるのか、『初戦で失敗したのがよかったな』となるのかが問われるからだ。

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友人の帰還

 昨日のフェイスブック(以下FB)で、小・中・高時代の友人の甲府での単身赴任が、あと2週間程度で終わり、東京勤務となる事を知った。詳しいことは解らないが、これで無事、家族と共に過ごせる様になるのならば、とてもめでたいことである。同僚の方々を中心に、お祝いのコメントがFBの彼の欄に押し寄せていた。記憶が定かでは無いが、甲府での生活は2~3年ぐらい続いたのではないだろうか。終末に電車でこちらに帰って来ていることは知っていたが、大変だっただろう事は容易に想像が付く。甲府は夏と冬の寒暖の差が激しく、特に夏は、クーラーが苦手な彼には地獄で、扇風機や夜風で凌いでいた様子。FBでは、やたらと麺類とお酒の写真が多かったのが印象深い。過酷な仕事から甲府の寮に戻り、自炊して洗濯する気分にはなれなかっただろう。外食が増える気持ちも解る。シャワーを浴びて一杯やりたい気持ちも解る・・・彼が結婚するまでは、お互い自宅が近いので、しょっちゅう一緒に飲んだ。よく、家の犬を可愛がってくれたものだ。彼が近くのマンションに引っ越し、一女一男に恵まれてからは、やや疎遠になってしまったが、当たり前のことである。人一倍家族思いの彼が、子供さんの大切な時期に戻って来られて、本当に良かった・・・本来なら、中高時代の友人みんなでお祝いをしたい所なのだが、メンバーのうちの一人が、やはり、熊本に単身赴任中。今年の新年会では幹事を任せた奴のチョンボで集まれなかったが、来年の新年会には、みんなで集まれたらいいなあ、と思っている。その際には、進んで幹事を引き受けたいものだ。

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ウエストが縮まった

 気が付けば、禁酒しだして一ヶ月が過ぎ、自分の人生に対する考え方が大きく変わったことと、よく食べる様になったことには気が付いてはいたが、肝臓が良くなっているのかどうかも解らないし、体型がどうなったのかという事には、まるっきり意識がいっていなかった。祖母の他界により、久々に式服を着た時、ズボンのウエストがダブダブだったので、大慌てで古い方に履き替えたのだが、バタバタしていて体型のことなど気にもとめていなかった。別にダイエットしているわけでも無いし、体重計になど乗ってはいない。しかし、母がそれをしっかりチェックしていたのだ。ある日、「一昔前の普段着のズボンが10着あるから、それを試しに履いてみたら?」と言われたが、面倒なので、なかなか試着する気になれなかった。だから、「後日」の繰り返し。今朝、母が1着持ってきたので、疲れ切っている中、仕方なく試着してみたら、ピッタリと入った。母が「夏物と冬物とジーンズを合わせて10着置いといて良かった」と喜んでくれたのだが、ピンとこない。確かに今まで3着のローテーションだったので、増える分には嬉しい。また、以前、書いたと思うが、母は流行を追わず、いい物を長く着る主義なので、多少古くても問題ない。早速、夏物とジーンズを出してきてくれた。私が、「そんなに嬉しいのなら、サウナにでも行ったら、もっと落ちるよ。水分摂取量が多いから」と言ってみたが、よくよく考えると、『これまでどれだけ飲んでいたかの裏返しだな』と冷静に分析している自分がいる。肝機能の低下が目的とは言え、ウエストが縮まった事は、確かに嬉しい。まだまだやるべき事がありすぎる中で、思わぬ副産物が付いてきてくれた。

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父の墓に祖母の死を報告

 先日、父方の祖母が他界した事は、既に触れた。これに伴い、母と共に、車で父の墓にその報告に向かった。六月の梅雨の時期とはいえ、既に暑い。なので、夏は早朝に出る事にしていたが、今回もそうする事にした。早朝だと、渋滞が無いというメリットもある。夏至も近く、既に午前五時の時点で空が明るかったので、サングラスを掛けて行きたかったが、墓参りに行くのに、そうするわけにもいかない。うちの墓は交通の便はいいのだが、階段がきつい。いい運動不足の解消になるのだが、歳をとったら大変だとは感じている。仏花は、近くのコンビニで買う。四十を過ぎて足の力が弱り始めたのを自覚していたが、禁酒してから、体重が落ち、少しづつだが歩くのが楽になった。しかし、水分摂取量は多いので、墓に着いた頃には、汗をかく。途中、あじさいが見事に咲いていたが、父の墓で般若心経を唱えている間に、足と腕を蚊に噛まれた。父に祖母の死を報告し、手を合わせ、心の中で、『これからは、精一杯、頑張るからね』と唱えたら、『焦って頑張りすぎるな』という声が聞こえた気がした。ここの所、四時間睡眠でいろいろと考え事をしていたのだが、空回りしている気がしていたのだ。父は生前、よく私に、「お前はマラソンを100m走の様に走る」と言ってくれていた。私の欠点を見抜いていたのである。自分でも、いくら起きている時間を増やして睡眠時間をへずっても、このままでは潰れるな、と悩んでいたので、焦るのだけはやめようと、墓参りで確認したかったのかも知れぬ。父の好きだったビールを墓の前の地面にまき、母には、「多分、今頃、じいちゃんとばあちゃんと酒盛りしているだろうよ」と母に言って、家路に就いた。帰ってシャワーを浴び、さっぱりしてから、自室のベッドに寝転び、天井を見つめながら、自分を数時間客観視してみた。思う所があったので、居間で母の意見も聞き、「悩み事があったら、家族で話し合おう」という意見で一致。私がいくら意識改革しても、家族の理解がなければ成り立たないので、お互い真剣に話した末の結論だった。時折、弱気になる母に、前向きになってもらいたかったのだ。その為の協力は惜しまない事も話した。母と納得いくまで話し合い、気が付いたら、夕方になっており、食事を採って寝たが、五時間で目が覚め、今に至る・・・何より今年は父の七回忌でもあるのだ。

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W杯初戦日本敗退のA級戦犯は本田だ!!  

 日本代表のW杯の初戦敗退の要因は多々あるだろうが、キックオフ直前に司令塔の本田がワントップのFW大迫に右を指さし、何か指示して、大迫がOKと言った映像があった。私は本田が大迫に相手の右サイドについて何か言っているのだと思った。しかし、フタを開けてみれば、本田が何故か右のFWの位置に入り、ツートップになっていた。ザッケローニ監督の指示かと、不思議に思っていたが、本田の独断で監督の指示に従わなかったのだと私は考える。前半飛ばして1点こそ決めた本田だが、香川と岡崎と大迫が全く機能していなかった。これでは8人対11人で試合をしている様なものだ。当然、組織だった攻撃など出来ず、押されっぱなしだった。ハーフタイムに何を話し合ったのか知らないが、前半飛ばしすぎた本田の足が後半止まる。攻撃の起点である司令塔の役割を任されていたはずの本田のワンマンプレーで、他の選手は何をどうしていいのか既に解らなくなり、最初から最後まで混乱していた。司令塔がそんな真似をするから、みんな個人プレーに走った。結果、守備が下手な香川が途中交代し、ワントップのスーパーサブだったはずの大久保も機能せず、監督が本田のプレーに合わせる様な形となり、負けるべくして負けた。ザッケローニ監督の試合後の悲しそうな表情が全てを物語っていた。キャプテンの長谷部も、言葉を選んでいたが、内心、ただならぬものがあったであろう。ネットのニュースを見ても、選手全員、自分達のサッカーが出来なかった、というコメントが多かった。何故か、本田のコメントだけは載っていなかった。確かに相手チームのマナーも悪かったが、押されっぱなしで、ザッケローニ監督の下、四年間積み上げてきた物が全く生きず、選手間の信頼関係にもヒビが入る、最低の負け方だった。

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喪中の葉書はどうしよう?

 父方の祖母の葬儀は歳が歳だけに、人数は二十人程度だったが、最後のお別れをし、骨を親族で拾って、骨壺に収めた。最後に坊さんにお経を読んで頂き、無事に終わった。これで私は、ここ四年あまりの間に母方の祖父と祖母、父方の祖母を立て続けに失った。父方の祖父は十五年以上前に他界している。これで、私は、祖父と祖母を全て亡くした事になる。母も、瀬戸の実の父と母、と神戸の父方の義父母を亡くし、「これでもう、広島や神戸に帰ることも無くなった」と、寂しそうに言っていた。母は瀬戸の実家に小学校の途中までおり、それから母の母方の祖母の神戸の家に独り移り、神戸で小学生から就職するまでを過ごしていたのである。亡き父との結婚を機に横浜に移って今に至る・・・このblogで取り上げたかどうか、記憶が定かでは無いが、母の弟に当たる叔父さんが広島に住んでいて、母方の祖父が他界した後に、独り瀬戸の実家に住んでいた祖母を、瀬戸の実家から広島の叔父さんが自宅によんで、面倒を観てくださった。母の兄弟の中で唯一の男の跡取りだったので、そうしてくれたのだが、代わりと言っては何だが、母は親の遺産の相続を放棄した。一年ぐらい経ってからであろうか、母方の祖母に末期の胃がんと肝臓がんが見付かり、余命が告げられ、祖母は今年に入って、ホスピスに入った。母は今生の別れと思い、二月の終わりに会いに行った。叔父さんの奥さんに当たる叔母さんから、胸水がたまっている旨を聞き、祖母の死が近いかも知れない事を話したらしい。私の父がそうだったのだ。祖母が私達家族の写真を欲しがっていたらしく、私が写真を探し、買ってきた写真立てに入れ、広島までとんぼ返りした母が、翌朝一番に速達で出した。叔母さんがすぐに祖母の元に持って行き、母と話していたが、午後になり、祖母の容態が急変した。叔母さんは気を利かせて母の携帯に電話して、容態が悪化した事を伝えて下さり、自分の携帯を祖母の顔に近づけ、母と祖母が話せる様にしてくれた。母は、大声で、自分の名前とねぎらいと感謝の言葉を掛けていた。叔母さんにお礼を言って電話を切った後、間もなく母方の祖母は他界した。今年の3月1日のことである。祖母の遺志で、葬儀は開かず、広島で直葬にし、四十九日も兄弟だけで済ませた・・・今年の三月から六月の間に、私から観たら、一辺に二人の祖母を無くした私は、喪中の葉書をどう書くか考えてみた。一辺に二人の名前が入った喪中の葉書など見た事が無いからである。落ち着いたら、調べてみよう。

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父方の祖母の葬儀へ  

 昨日書いた通りに、父方の祖母は6月10日(火)午後8時30分頃に老衰により、98年間の生涯を閉じた。祖母は男、女、男と三人の子宝に恵まれた。末っ子が私の亡き父である。長男の叔父も父の四ヶ月後に亡くなった。現在でも生きている実子は、長女の叔母さんだけである。亡くなった長男の叔父さんの未亡人に当たる神戸に独り暮らしの叔母さんは、慌てて病院と寺に行き、葬儀場の手配をしてから、親類に急いで電話を掛け、祖母の実子に当たる東京の叔母さんに10日午後10:30頃、電話で訃報を知らせ、私の母に電話をする様に依頼したらしいが、東京の叔母さんも慌ててしまい、11日の始発の新幹線に乗ったはいいが、葬儀場に着いてから、母への連絡の事を思い出し、結局、我が家に連絡があったのは、11日の午前10時であった。驚いて慌てたのは、我が家も同じ事。その日の晩が通夜だったからである。まず、仕事中の弟の携帯の留守電に訃報を知らせ、弟から、一時間後に電話があり、会社が出張扱いで、大阪の業者と顔見せしてほしいという扱いになり、会社から直接、その日の夕方の新幹線で大阪に向かう事になった、と知らせてきた。しかし、それでは弟の喪服がないので、私と母は、翌日の始発の新幹線に乗ることに決め、葬儀場の最寄り駅で弟と待ち合わせることとなった。式服一式と数珠を揃え、駅に切符を取りに行った。大恩ある祖母のお通夜に出られないのは残念だったが、叔母さん達が何故、慌てたのかが、今日になって解った。昨日6月13日(金)が友引だったので、祖母が亡くなった翌日11日に通夜、12日に葬儀となったのだ。

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極度の睡眠不足

 父方の祖母の他界の知らせで、昨日は神戸までとんぼ返りの荒技・・・考えてみると、現在までの55時間で4時間しか寝ていない。極度の睡眠不足で疲労困憊。これから12時間は寝ると思われる。<判明した事>祖母の臨終は6月10日(火)午後8時30分前後。死因は老衰。享年98歳。

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父方の祖母の他界

 昨日の午前十時の段階で、父方の祖母の訃報を知った。97歳前後だった。とりあえず、今晩が通夜なのに、昨日の正午過ぎになってもFAXが送られてこなかったので、こちらは準備などもあり、今日の始発の新幹線で神戸に向かう。駅までの交通手段がないので、午前四時半にタクシーで向かう。現在、午前1:45分。そこそこ雨が降っている。泪雨だ。とりあえず、四時間寝れたが、ショックは隠しきれない・・・まとまっていない文章だが、バタバタしまくっているので仕方が無い。祖母は施設に預けられて十年以上。何度か見舞いに行ったが、頭ははっきりしていたのに、最後は食べられず、喋れずの状態だった・・・祖母の他界を知って、これから神戸に向かう所だが、いつが臨終の時だったのか、とか、死因は何だったのか、とかも、把握しきれていない。心の整理がつかず、歯がゆいままに、これから向かう・・・さて、準備の時間だ。食事して、シャワーを浴びて、身支度を調えるとするか。今日の葬儀に出たら、とんぼ返りの予定だ。詳しい事は確認次第、後日書く事とします。

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いろいろあった七年間~毎日blog満七歳

 毎年書いているが、今日6月11日は、毎日blogの満七歳の誕生日である。いろいろとあったなと振り返る。タイマーは使わないので、七年間、24時間縛りの生活に何度も悲鳴を上げた。最初の頃こそ、いくらでも書く事があったが、月日が経つにつれて、ネタ枯れに苦しむ事が多くなった。途切れるのが怖くて、深夜の十二時過ぎにUPするようにもなった。最初の頃の作品をコンピューターで観るのが大変なので、ココログ出版で自費で本にした。しかし、ココログから出版出来るサービスが無くなり、五冊目で終わりか、とも考えたが、印刷会社と個人的に交渉しようかとも考えている。いいものが書けない時には苦しんだが、よくよく考えてみると、私は、文章がうまくなる訓練だけではなく、締め切りを守る絶対さや、アイデアの出し方、膨らまし方、文学的アナロジーによる連想、また、文章的には、語尾のあり方、構成の仕方、オチの付け方、引用の仕方、話の力点(視点)の移動による壁の突破法、描写力、伏線の張り方、ユーモアのセンス、また、内容としては、理系文系問わず、総合的に考えること、あらゆる事への問題意識と情報収集と自論のあり方・・・要するに、自分の文章のスタイルの模索をしてきたのだと思う。しかし、基本的には、blogとはエッセイに過ぎない。電子書籍の出現によって、今後の文学界がどういう形態へと推移するのかも読めないほど、時の流れは速い。また、毎日blogというのはセワシ過ぎて、将棋にたとえるなら、早指しどころか秒読みで、何もかもが雑になってしまう。一番コタえたのは、先日観た、NHKのクローズアップ現代の『単身赴任のあり方と変化』の内容で、自分の友人も二人、家族の大事な時期に、嫌でも単身赴任している現実と照らし合わせて、自分だったらどうだろう?と考えた時、自分はやりたい事として物書きを志し、大学院まで通わせてもらっていたのに、退学する道を選び、結婚も捨てて身軽なのにもかかわらず、文章を書くために喜んで(魂の)単身赴任みたいな真似が出来るだろうか?と考えたら、必ずしも二つ返事で喜べない自分がいる事に気が付いたからだ。確かに書く事は好きだが、書く事の辛さや怖さを嫌というほど知ったからだと思う。天は物事を人間が創造するのに必ず汗をかかせる。その代わり、達成した時にはご褒美をくれる。これは、どんな仕事でも変わらない・・・昨日、ふと気が付いた事がある。どんな人の人生にだって、必ず、他の人とは代えがたいオリジナルドラマというものがあり、それはフィクションに勝る、ということだ。これで、少しは希望が見えたが、毎日blogについては考えざるを得ない。『毎日』を取って実験をしてみたいが、未だ継続力に自信が持ち切れないない事と、エッセイ以外でいろんな事を試したい気持ちと、創造のスタイル(動機?)への疑問との間の三つの因子の間でのトレードオフ状態だ。いずれにしろ、様々な意見を聞き、最終的には、自分で決断するだろう・・・長くなってしまいましたが、八年目に入ります。毎年の事ですが、読んで下さる方々がいなければ、私は続かなかったでしょう。東日本大震災の後、バタバタしていて、一行でいかに意味のある事を書くかという失態もありましたが、あの時でも、読んで下さった方がいたから、私は幸せ者です。重ね重ね、ありがとうございました。本来なら、自分の誕生日より嬉しいblogの誕生日に、一人ビールかけでもしたい気分ですが、禁酒中です。おかげさまで、消されたblogを除いて、もうすぐ2600話です。イチロー選手の4000本安打がいかに凄い記録か身にしみて分かります。支えて下さった皆様全てに感謝です。ではでは。

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ナチュラルハイ

 ここの所、『思いっきり寝てやったぞ』という感触があまりない。三時間睡眠ぐらいが一日に二度。分割睡眠になっている。私は一度何かに手を付け出すと、止まらない癖がある。ロクに休憩を取らない。blogを意識して、前の晩の十時半頃からパソコンを立ち上げる。メールチェックとニュースとFBをチェックしてから書き出す。四、五時間ぶっ続けなどザラだ。で、書き終わったら、少し放心状態になる。昨日書いた、気分転換に予約しておいたTV番組を観る、というのも放心状態から抜けて、十五分程度のNHKの朝ドラを観るのがやっとだった。それ以上長いとTVでも真剣に観てしまうため、脳が休まらない。その頃になると、腹も減っているので、適当に玉子かけご飯でも食べる。脳を沈静化させるには、適当に寝るのが一番の気分転換法である。それでも昨日は三時間ピッタリで目が覚めた。午前中は用事があったので朝風呂して出かけ、昼過ぎに帰宅し、眠気が襲ってきたので昼食を採って昼寝二時間。料理も覚えたかったので、午後四時から、夕飯の『アジのたたき』の支度をしている母に弟子入り。三十分で完成。あまりに簡単だったので、驚き、これは、いい気分転換になると思った。その間、弟から電話で遅くなると聞いたので、普段あまり使っていない自室のメインコンピューターのメンテナンスとアドレス帳をインポートするのに四苦八苦。気が付いたら、弟が帰ってきていた。午後九時で丁度、コンピューターへのインストール待ちが一時間くらい。下の居間に降りて、家族で夕食。弟は日本代表のサッカーの試合を観ていなかったので、撮ってあった試合を観て、みんな盛り上がる。blogがあるので、十時半には居間を開けといてくれと言って、十時頃、自室のコンピューターを再起動し、別の作業に入ったが、なかなか上手くいかず、きりのいい所で打ち切り。途中、弟が私の部屋でサッカーゲームをやり出した。PCのプログラムのインストールの合間に、「今の外国人選手、全然解らないなあ、俺には」と語りかけると、「選手寿命短いからね」と弟。「お前、ゲーム楽しいか?」と聞くと、「サッカー観たらサッカーゲームがやりたくなり、競馬観たら競馬ゲームがやりたくなり、野球観たら野球ゲームがやりたくなる・・・アハハ」と言うので、「確かにな。でも、今度、一緒にゴルフの打ちっぱなしにでもいかないか?」と誘うと、「おいら、スポーツは左利きなんだよな」と言うので、「そうだったなあ・・・でも、自分の人生の残り時間は大切にしろよ」と話し、PCを閉じたら、十一時前だった。「もうちょっとやってもいいかなあ?」と尋ねてくるので、「いいけど、そこで寝るなよ。あと、寝タバコするなよ」と言って、階下の居間に降りると、お袋と室内犬の弥吉君は既に寝室で寝ていた。居間の戸を閉め、自分だけの空間にし、今度は使い慣れたノートPCでネタが無い中、上記の手順で、brogへと突き進む。既に日付が変わって三時五十分・・・疲れ果てた。弟は午前五時起きだが、多分、私の部屋で寝ているだろう。私は、もう、十二時間くらい起きている。今日の趣旨は、料理って案外、面白くて、気分転換になることと、FBの閲覧のしかたを考えなければ、時間がいくらあっても足りない事、PCを一人前にするのは面倒だということだったはずが、何か途中から、徹マンでよくある、ナチュラルハイになり、大して意味の無い事を、長々と書いてしまった後悔で、落ち着きを取り戻した時の反動の大きさが怖い。気楽に書きすぎた。

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TV番組との距離感

 子供の頃は別として、基本的に私はTVが嫌いであった。くだらない番組が多すぎるし、何かをする時に、TV程、集中の邪魔をする物は無い。なのに、自室も含めて、現在、計四台のTVが家にはある。車は地デジ対応にしていないので、現在は観られないが、それまで含めたら五台だ。このうち、車と台所のTVは、まず点けない。私は部屋が暗くなければ、深く眠れないタイプなのだが、故親父はTVを点けたまま寝る人だった。母曰くに、何にも考えなくて済むからだろうとのこと。弟もTVを点けて寝る・・・私は、為になるTV番組や本当に興味深い番組は観る。すると、ほとんどがNHKかNHKBSとなってしまう。これはあくまでも、私の好みだから家族に押しつける事は無い。しかし、興味ある番組を全部見ていたら、ダラダラとTVを観てしまう。そんな時間の使い方が嫌なので、ほとんど観ていなかった。ビデオデッキで、いちいち予約録画するのも面倒だから(録画用のDVDデッキは無かった)、滅多に録画予約しなくなった。 それを激変させたのが、居間のTVだけ、ケーブルTVにし、ブルーレイのデッキ(ハードディスク内蔵型で、ずっと保存したければディスクに落とせばよい仕組み)を導入した事である。録画方法も簡単になった。母と私が観るTV番組はほぼ共通なので、TV雑誌を観て、母が番組予約を一週間分、暇な時間に入れる(勿論、母だけが観る番組もある)。これをやると、(故盛田さん風に言うなら)タイムシフト出来る。前の土曜日のサッカーの日本代表の試合は、blogが長引き、三十分遅れで観た。しかし、何よりのメリットは、気分転換に利用出来るという事だ。独りでの夜間作業の合間に何か観て、スイッチを入れ替えて次の作業に入ることができる。デメリットは、PC→TV→PCとやると眼が疲れすぎるという事である。目薬が欠かせない。あくまでも、気分転換の選択肢の一つに過ぎないが、目下、実験中である。とりあえず、今は、ストレッチがしたい。

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時間の使い方

 時間の使い方について、最近悩んでいる。若い頃は時間が無限にあるように考えがちだが、歳をとればとる程、自分の人生の残り時間の少なさに気付くと同時に、月日の経つのが早く感じられる。特に睡眠時間の長い私は、起きている間の時間をいかにして有効に使うかが鍵になる。それには、掃除の時の整理整頓みたいに、無駄な時間を省く事から始めなければならない。まず、のんべんだらりと酒を飲む時間は私にはもう無い。飲むにしても、節度と分別がいる。次に、どうでもいい事で悩まない。大事な事を考えるだけでも時間が足りない。また、いらない本は読まない。後悔するだけだ。そして、blogも要領よく。これは難しいが、普段から、アンテナを張って、ネタ詰まりの無い様にするだけで違う。気楽に書く日があっても良い。blogに支配されると、他の物が進まない。他にも多々あるが、とりあえずは、これらを守ろう。この中で一番難しいのは、当然、毎日blogについてである。対策としては、気分転換を上手にする事だ。うまい気分転換のやり手こそ、時間の使い方の達人と言えるかも知れない。運動する時間も作りたい。(生活の中で)面倒な事でも大切な事ならやる、また、始末する。自分を粗末にせず、信じる。常識がどうだろうが、常識ほど無責任なものは無い。常に、心に、『Why?』を持つ。話し上手以上に聞き上手になる。社会に何らかの形で恩返しをする。親に孝行する。何事も、甘えず、自分に厳しく。こんなところか。ってなんだか目標録みたいになってしまったけれど、まあいいか。人生を自分なりに完全燃焼させたいのだ。

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人間としての絆

 フェイスブック(以下FB)を読んでいて、今日は興味深い記事が多かった。その一つを挙げると、セルビア(バルカン半島・ヨーロッパ)で五月に大洪水が起きたそうだ。日本が支援している国の一つだが、日本で東日本大震災が起きた時に、平均月収が4万円程度のこの国から、1億九千万円以上の寄付金が日本赤十字社を通じて送られた事を知り、驚きを隠せなかった。すぐに寄付する気になり、母と弟も誘った。貧乏な家なので、三人で千円づつ出す事にした。微々たる額だが、もし、日本人の全員が同じ事をしたら、1000億円は集まるのだ・・・災害の際、一番いいのは自発的にボランティアに赴く事である。10年ぐらい前、福井の洪水の際、ボランティアに行ったが、いろいろと考えさせられて、自分のためにもなった。ちなみに、私は福井とは縁もゆかりもない。ただ、自分の中の何かに突き動かされた。ボランティアに行きたいけれど都合が悪い場合は、できるなら、お金を寄付するしかない。それも、自分の出来る範囲でいいのだ。できないなら、祈るしかない・・・ボランティアに興味が無いという方もおられるだろう。それは個人の自由だ。何も言う気は無い。ただ、子供にでも出来るボランティアがある事を忘れてはならない。それは、バスや電車などで、お年寄りに席を譲る事だ・・・私達は、あらゆるコミュニティの中で生きているのではなくて、生かされている事を知らなければならない。自分や身内だけの事ばかり考えていてはいけない。みんなが協力し合い、助け合ってこそ、あらゆるコミュニティというものは、より良い方向へと働く。チームスポーツなどがいい例ではないか。様々な問題や矛盾が森羅万象にはある。その中で、人間が人間だけの事を考えても良くないが、最低限、人間同士の問題を人間が人間としての絆のもとに、より良くしない限り、先に進めないどころか、待っているのは、近い将来での破滅である。

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井の中の蛙

 高校一年の時の現国の先生が、「選ぶという事は、捨てるという事なのです」と言った。私は、『そうなのかもしれないな』と思った記憶がある。歳をとるにつれて、選択と決断の連続が続き、今に至っている気がする。生活というものを考えると、自然と物事は専門化して行く。これが天職ならば良いが、嫌で、もっと幅広く学びたいと思うと、何かを捨てなければならない。大学に入る前から、私は悩みの塊だった。入ってからも一緒。みんな自分の殻を固く閉じていた。女がらみで本能が理性に勝る事を知り、病的に悩んだ私は、神経が参ってしまい、大学二年の頃から精神安定剤を飲むようになった(後に医学部出身の友人の奥さんに聞いたら、内科では胃薬に使うと聞き、ズッこけてしまった)。転機が訪れたのは、大学三年の終わりの春休み、話せそうな友人と飲んで、全ての悩みを打ち明けた。徹夜で語り明かしたが、朝方、黙って聞いてくれていた友人が、「お前が正しい。周りが間違っている」と断じ、二冊の本を貸してくれた。そのうちの一冊(タオ自然学という本)が、私の価値観を180度肯定させてくれた。全てはそこから始まった。彼の部屋は家の離れにあったので、次第に一人増え、二人増え、という感じで、本音で話せる友人が増えていった。その友人達とは今でも集まる面子である。卒論も必死で書いたが、本の素晴らしさに気付いた私は、通学電車や実験の合間に片っ端から本を読むようになった。院に入ったのは、考える時間が欲しかったからである。学会発表をしてみて、重箱の隅をつつくような研究が嫌になった私は、その道で就職して食っていくのがどうしても嫌だった。幅広い学問がしたくなり、大学院の二年に上がった四月に退学届を出して、その時は、安易に物書きにでもなろうかと思い、旅に出た。が、そこで思い知ったのは、自分が井の中の蛙であること、つまり、自分の世界の狭さだった。物書きを軸に幅広く学問するには、のたれ死にを覚悟せねばならぬと思い知った。

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しあわせのかたち

 かつて、国民の幸福度が世界一だったブータンでは、貧しいながらも、TVもコンピューターも無かったため、家族の団らんを中心に、地域コミュニティが充実しており、農業を中心に、つつしまやかながらも、人間として有機的な生活が送られていた。しかし、時代の流れには勝てず、国王が、TVとネットを国民に許した。その際、国王は、「文明の利器に頼っていたら、必ず大きなしっぺ返しが来る事を忘れないように」と釘を刺す事も忘れなかった。その後、国王自らが王政を廃止し、国を民主化すると決め、国王の座を降りた。一度手に入れたものを自ら国民のために捨てる事は、なかなか出来る事ではない。名君である・・・案の定、国王の予言は的中してしまうのである。かつて、一家団らんを楽しんでいた家々に、TVがあるだけで、みんな黙ってTVを観ている。私はここに人間疎外の原点を感じる。また、街のネットカフェでは麻薬の密売までされていた・・・人間の欲にはきりが無い。金、地位、名誉に自分の中心軸を据えると、ロクな事が無い。自分の代は良くても、三代持たぬ。自分自身の中に自分よがりでない確固とした柱を作り、そちらを中心にしなければ、上手くは行かぬ。そういう自分になりたければ、若いうちから学問(机上の物とは限らない)に励み、見聞を広め、様々かつ優秀な人材と積極的に交わり、悩む事だ。それができたら、他人を嫉んだり、憎んだりする事が無くなる。何事にも感謝する気持ちが持てれば、必然的にその人は、いつか『しあわせのかたち』を見付けるはずだ。

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俺の胃よ、どうしたんだ?

 これまで、禁酒してから、おいしく食事を採って体力も回復し、復活の日を心待ちにしていたのだが、昨日の朝食の後、激しい胃痛に見舞われた。空腹時には痛みを感じないのに、食事を採ると、何故か胃に激痛が走る。空腹時は何ともないし、年齢的にも、胃がんではないだろう事は解る。胃潰瘍にでもなったか、胃が荒れているかのどちらかだろう。胃腸薬が欠かせない状態で、飲んでも痛い。何故昨日から?・・・と思い当たる節を考えたら、禁酒してから喫煙量が増えた事ぐらいである。神はお酒のみでなく、タバコまで私から取り上げるのかと、今日は意識的に喫煙量を減らした。他には、ストレスは前から感じているし、前にも短期間だが何度か胃痛になった事があるので、短期間で治る事を信じたいが、食事の後に胃痛が来るので、胃酸過多状態なのだろう。禁酒する前に胃が食物を受け付けなかった状態から、一転、禁酒後に食事をきちんと採るようになったので、胃がビックリしているのではないだろうか、などと、このblogを打っている今現在も痛いので、いろんな推測が飛び交ってしまう。今日、整形外科に行こうと思っていたのだが、夜食を採っていいものか悩む。これ以上、胃痛が続くと眠れなくなってしまう・・・今日は、書くネタを決めていたのだけれど、胃痛によって、思考力が弱まった。申し訳ないがこの辺にしておこう。

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爆発型とコツコツ型

 先日、中高時代の母校の大学進学実績が送られてきた。全体的にレベルアップしているようだが、気になったのは、合格者の現役比率が増したのと医学部が増えたことである。医学部が増えたのは医者の息子が増えたのだろうかと推測する。現役比率については、不景気のせいか、もしくは真面目な生徒が増えたからであろう。仮に後者だとすれば、校風が我々の頃よりも変わった事になる。我々の頃は、(男子校だからかも知れないが)浪人するのも当たり前のようだった。それくらい大らかだった。むしろ、浪人するような奴と遊んでいる方が楽しかった。私の場合、現役の時には、理系なのに理科が終わらず、受けた大学全て落ちた。模試だけは受ける事にして宅浪をしたが、夏休みまでは勉強する気になれなかった。夜、親父と碁を打ち、朝は新聞の囲碁・将棋欄を頭の中で並べるのを日課としていた。だが、七月中旬、朝食を食べながら、朝のニュースを見ていて、自分がカヤの外にいる気分になった。妙な焦りを感じ、気が付いたら自転車で海を見渡せる所に向かっていた。考えるのに飽きた頃、開き直った私は、翌日から二日かけて計画表を作り、食事などの時間を除いて、机にかじりついた(日曜日は除く)。12時間勉強する代わりに12時間寝ていた。それを三ヶ月続けた後に、第一志望の大学の模試を受け、厳しく自己採点したら、結構出来た。ここで遊んでしまうから、私はバカである。コツコツやるのが駄目なのだ。一ヶ月後の模試では調整をミスり、試験中に寝てしまった。自己採点の結果、『志望校を再考せよ』が来ると解った。しかし、もう、十二月である。これで目が覚めたが、後悔している暇はない。完全に昼型のリズムを作る事と風邪を引かぬように注意しながら、時計を置いて、何校かの大学の赤本を実践形式で解いて、解答を熟読した。途中、センター試験があったがセンター向けの勉強はしていなかった。何とかラストスパートをかけて、第一志望の大学に滑り込んだのが実情である。しかし、コツコツやれないのが私の駄目な所で、語学と実験以外は出なかった。留年こそしなかったものの、専門まで授業に出なかった。だから、バイトの面接の時に出す履歴書の特技の欄には、いつも、『一夜漬け』と書いていた。面接官によく笑われたものだ。

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摂酒量報告委員会

 私が禁酒しだして半月あまり、久々に某友人とチャットで会話した。彼も酒好きなのだが、肝臓を休めるために、禁酒しているそうだ。彼はノンアルコールビールを、私はウーロン茶を現在飲んでいる。私は禁酒してから、食事がおいしくなって、みるみる体力が回復したのだが、彼はランニングまで始めると言っていた。私の場合は、ウオーキングからである。かつて、最高で一日に40Km歩いた足も、八年も経つとナマってしまった。毎日blog、その他のプレッシャーや親父亡き後のお袋へのフォローで、次第にアルコールの摂取量が増え、こないだは大学時代の友人の誘いを断らざるを得ない程、弱り切った自分が情けなかった。私はそれで、禁酒を決意した(お酒は好きなので断酒ではない)。アル中ではないので、やめるとなったら、全く飲まなくても平気なのだが、いろんな事に気付かされもした。昔は易しい事を難しく考えていたが、今は逆である事。それと同時に、記憶力などが落ちたのも確かだが、それ以上に、大切な事を悩む力が衰えたのには、危機感を感じている。夜、眠れない時、天井を見つめながら、自分を客観視する。そして気付かされる。『自分には、もう、余計な事をしている時間は無い』と。しかし焦らない。焦ってもロクな事が無いのは経験的に解る年齢だ。だから、『ゆとり』も大切にする。その中で、いろんな物事を分析して、前向きに先を考える。そりゃ、悲観的にならざるを得ない事もある。しかし、それで、自分で自分を駄目にしてしまっては、死んでも死にきれない・・・チャットの最後に、禁酒している友人が、「山を登るには、一人よりも二人の方がいい。これから随時、飲んだ量を報告しないか?」ときたので、少し考えてから「了解」と打った。ここに摂酒量報告委員会が設立された。委員会といっても二人だが・・・

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ゴルゴ13の傾向と対策

 初めのうちこそ、何気ない殺しが多かったゴルゴ13だが、ゴルゴの生い立ち話などが数回登場したりする。結局、ゴルゴの生い立ちや目的は藪の中なのだが、他にも、狙撃の腕前を披露するために、新式の銃を持った他のスナイパーと対決させたり(ゴルゴのバナナシュートみたいなシューティングもあった)している。また、冷戦時に連載が始まった『ゴルゴ13』は、圧倒的にそのネタが多かった。冷戦崩壊後はゴルゴはどうなるんだろう?と勘ぐった私は、杞憂に終わった。いつの世もどこかで何かが起きている以上、不滅なのである。作者のさいとうたかをは、怪しい殺しは、実在の人物にまで手を付けるようになった。具体的には、冷戦崩壊後の民主化運動のデモの中、ルーマニア元大統領チャウシェスクの銃殺映像が世界に流れたが、ゴルゴ13の世界では、あれは実は影武者で、本物がヘリでソ連に逃亡しようとした所をゴルゴが狙撃したという無理な設定。また、ダイアナ妃事故死も、もう一人の殺し屋が車のブレーキに細工を施し、パパラッチが来る前にバイクで追走してリモコンでブレーキが利かない状態にし、事故を起こさせるのだが、このバイクを追走していたゴルゴは事故現場で恋人のドディを殺し、ダイアナは観ただけで間もなく死ぬと見抜き、もう一人の殺し屋も追いかけて始末する、という設定。無茶苦茶である。このあたりから、『ゴルゴ13』という漫画は、国際問題になるのではないか?と疑念を抱き、無茶な設定が馬鹿馬鹿しくもあり、私は読むのを止めた。しかし多分、フセインや金正日やビン・ラディンを殺したのも、ゴルゴという事になっているのだろう。9.11で、相当ネタを作っただろう事も容易に想像がつく。作者は現在、ウズベキスタンに注目しているのではないだろうか・・・怪しい殺しはないか、と。読者は、現実に怪しい殺しがあったら、しばらく経ったら、『ゴルゴ13』のネタにされていないかチェックしてみるのもよかろう。

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