« ウグイス鳴きの廊下を歩いて | トップページ | 仮面の理由 »

『アレ』を待つのです

 女流作家の故有吉佐和子の本は読んだことはないが、母によると一作書く度に、入院していたそうである。私は入院したことはないが、このblogを真剣に書いている。すると、書いた後、最低一時間は食物が喉を通らない。一種の極度の集中により、そう状態になるのであろう。私の場合は、長時間寝ることによって、うさ晴らしにしている。食事も喉を通らぬから、その前に寝てしまう。ここ四日間も一日にフルーツゼリーを一個食べるのがやっとだった。我ながら、よく生きているな、と思う。起きたらほぼ毎日、ゴミ箱にヘドを吐いている。齢四十一にして死ぬかも知れないのは辛い。散々な親不孝である。しかしながら、私には大恩ある友人がいる。その友人との約束を守りたいのだ。この毎日blogだけが私の生き甲斐なのだ。誰に何を言われても止めることはない。このつとめは楽しい、と思う一方で、こんな読者数も少なく、お金にもならず、読んでもいない友達に、馬鹿にされることは許しがたい。書く前に毎晩泣く。金も地位も名誉も捨てて、真剣に書くからだ。それでも私はやりがいを感じている。昔、小林秀雄や大江健三郎にハマッた頃、私は大学院の二年生に上がったころ、退学届を出した。四年から研究室に入るのだが、院の単位を取って、修士論文のネタも山ほどあったのに、本に惚れたので辞めた。人間関係もあったが、私は実験中、本ばかり読んでいた。通学列車でも。その代わり、目を悪くした。退学届を出す朝、自分の進む道を半年以上案じていた私は、両親に土下座した。その前に、大学院の二年の学費は払わなくてもいいと言い聞かせてあった両親も黙っていた。それ程、誰かの役に立つ物書きになりたかったのである。それから私は大江健三郎のたしか、『私という小説家の作り方』という本を読んだ。すると、海が凪ぎになったり、シケになったりするように、どんなに優れた物書きでも、書けないときがあります。そういう時は、『アレ』を待つのです。と最後の章に書かれてあった。私にはそれが何を指しているか即座に解った。それは、手が脳みそに追いつかないぐらいの、一つのそう状態を指していると。しかしそれをやったら、反動で、恐ろしいほどのうつ状態が待っていることは私でも解った。私は長時間寝るだけで何とか持たせているが、故有吉佐和子は入院してまで作品を書いている。見習う気はないが、物書きとはそこまでしても、食べてゆけるのは一握りなのである。

|

« ウグイス鳴きの廊下を歩いて | トップページ | 仮面の理由 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/521582/59584221

この記事へのトラックバック一覧です: 『アレ』を待つのです:

« ウグイス鳴きの廊下を歩いて | トップページ | 仮面の理由 »