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2014年3月

消費税5%最後の日

 四月の一日から消費税が8%に上がる。今日が5%最後の日ならば、何か買い忘れた物は無いかと考えてしまう。いろんなものが頭をよぎるのだが、結局、何も買わないのが一番いいことに気付く。まあ、生活必需品は仕方がないが・・・しかし、8%に上げたら、またデフレになる恐れがある。いや、必ずなるとみている。国民もバカでは無いから、金を使うよりも貯めるであろう。当然、景気は右肩下がりになる。しかも、今年の十二月から10%に上げるタイミングを計る相談が為されるそうだ。しかしながら、中国でも既に消費税を17%取っている。まあ、隣の国のことは、どうでもいいのだが・・・赤字国債のことも考えなければならない。東北の復興のことも考えなければならない。社会福祉も年金もメルトダウンを起こした原発のことも考えなければならない。現在この国は問題が山積みである。一つ一つを解決すべく、実行して行かなければならない。子孫の代まで貸りを作ってはいけない。政府は増税する代わりに、何にいくら使ったのか、本当のデータを国民に報告する義務がある。政治家および官僚は自分達の給与を下げる義務がある。国民だけに背負わせるのはおかしい。

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食えない四大野菜

 大分前に弟と話をした時、弟の次男もやって来て、「タケノコをみんなで掘ってきた」と言って母に渡し、カツオぶしダシでわかめと醤油とで調理してくれた。これがなかなかいけて、次男の頭をなでなでしてやった。すると次男が、「次はフキを持ってくる」と言うので、弟に私が、「俺は基本的には野菜好きだけれど、そんな俺でも食えない四大野菜がある」と言い、続けて、「それは、フキとセロリとカリフラワーとブロッコリーだ」と言ったら弟も、「オイラはフキとホワイトアスパラとカリフラワーとベビーコーンだ」と言うので、「カリフラワー駄目だったら、ブロッコリーも駄目だろ」と聞いたら、「究極的に食えない四太野菜だろ」と言い「確かにブロッコリーもきついけれど、我慢すりゃあ食える」との応え。「それは、俺も同じだ」と応じる・・・人間とは不思議なもので、好きな物を馬鹿食いしても、嫌いになるのだ。これは何故だか解らないが、私の場合は、おはぎとさくらんぼうと玉子焼きでこの現象が起きた。玉子焼きは、家の母が作る弁当に毎日入っていたからであろう。おはぎは好物だったが一山食べたらきらいになった。さくらんぼうもその類いである。酒を飲み出すと辛口好みになる。そうなると、肴はあぶったイカでいい。女は無口な・・・これじゃあ、八代亜紀の『舟歌』だ。元が取れていない。

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UFOキャッチャー恐るべし

 私は、UFOキャッチャーで三個ぐらいしか人形を取ったことが無い(元来、興味が無かったのであるが・・・)。ある時、中高時代の後輩にその話をすると、「僕は千円で十五個ぐらい取りました」と言うので、試しにコツを聞いてみた。すると、千円投資するとします。最初の八百円は死に銭として、人形を積み上げます。残りの二百円で一気にその山をくずすんですよ。と教えてくれた。私はこの話を聞いて、裏に女がいるなと思ったが、黙っていた。その後輩からは、三十越えて結婚しないのは、遊び好きかモテないかのどちらかだそうですね。と言われた。私の経験上もピッタリ当てはまっていたので、そうかもしれないなあ、と頷く。ちなみに、その時には、未婚の奴が四人いた。でも、一人にはフィアンセがいて、友人代表の挨拶をさせてもらった。非常に名誉なことである。吞まねばならず、飲み過ぎてもいかず、という、極めて微妙なポジショニングだった。スピーチの最中、緊張からか頭の中が真っ白になった。次の言葉を探すべく必死で私の頭の中をルーティーンが廻る。思い出して、必死になってしゃべった。卓に戻って、「おつかれさん」と言われたが、「疲れた」というのが精一杯っだった。一人だ笑った奴がいたが、私は、「おまえは、やったことが無いから笑えるんだ」と言ったら、黙った。

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瀬戸のじいちゃんとの思い出 その4

 瀬戸のじいちゃんの村落は、山と海の幸に恵まれていた。まだ、島の一周道路が無い頃、船で畑まで行っていたそうだ。だから、向かいの漁師島で海底の地形を教えてもらって、三ヵ所ぐらいのポイントを知っていたそうだ。そうしたら、漁師島の行商の魚が売れなくなり、問題となったらしい。みんな、じいちゃんの真似をするからである。じいちゃんと船で海釣りに行くと、竿は使わず、ひもを巻き付けた四角形の木の道具を使う。また、農業をやっていても、バカでは成り立たないのだ。一番、高値の時に売る為に、夏から仲買人と交渉し、情報を聞き集めていたそうである。ここぞという時に、まとめ売りしていたそうだ。また、みんなでスイカを食べていた時、「このスイカは、うまーけん、種残しとくんじゃぞ」という指示もあったそうだ。この話を友人に語ったら、笑って、「農業のプロじゃねえか」と言われた。また、戦争で五体満足で生きて帰ってきてくれたから、瀬戸のじいちゃんはマムシなどに会っても動じないのだ。まず、頭をたたきつぶす、Y字型した木にくくり付ける。それで海にほかしに行くのだが、途中で会う人に、「マムシとったった。おんし、いらんけ?」と話しかける。マムシだったら、『マムシ酒』ができるからだ。みなが、「いらん」と言ったら、じいちゃんは海に放り投げてた。

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瀬戸のじいおちゃんの思い出 その3

 瀬戸のじいちゃんは、何でも一人で出来る人だった。ばあちゃんが出かけても、畑から帰ってきて、風呂を沸かし(みかんの灌木で炊く)、自分で料理を作っていた。ある時から、ばあちゃんが都会かぶれなのは解ったが・・・じいちゃんが可哀想で仕方がなかった。でも、文句一つ言わずにに働く・・・じいちゃんは男だった・・・まだ車検が無い頃、じいちゃんは一年に三回位、整備をしていたそうだ。車の下にもぐりこんでいると、エンジンの掛かる音がしたので脱出し観ていたら母の弟に当たる叔父さんが子供の頃に運転しだしたそうだ。じいちゃんは飛び乗り、エンジンを止めたらしいが手遅れで、土壁に衝突したらしい。でも、じいちゃんは叱っただけで、手を挙げなかったそうだ。お袋は小学生の頃から祖母のいる神戸に移ったが、その時の山陽本線はSLで、汽車が止まらないうちに、じいちゃんが飛び乗って席を確保してくれたらしい。頼もしすぎる。カメちゃんという子もいたそうだ。ボランティアでやって来た勤労奉仕の国際チームに一人勝ちしてチャンピオンという称号を与えられた。お袋が海を泳いでいると、カメちゃんは300m位の潜水をかましたそうである。でも、家のじいちゃんも負けてはいない。運動会で孫のために徒競走に出てくれた。結果は二着だったが、もう、還暦を過ぎていた。じいちゃんの愛情である。

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瀬戸のじいちゃんの思い出 その2

 瀬戸のじいちゃんは、何しろすばしっこかった。村で山火事が起きると、飛び起きて、ゲードルを素早く巻いて、一分以内には家を飛び出し、最前線で活躍するのである。火が燃え広がらない様に、周りの木を裁断する。女性衆は、握り飯を作る。しかし、ばあちゃん曰く、おにぎりが最前線のじいちゃんの所まで届かずに、途中で食べきってしまうそうだ・・・じいちゃんは孤独な様で、二人だけ心を割って話せる友人がいたそうだ。コウケン兄やんと、マーチャ兄やんだ。特にマーチャ兄やんの宿題などはやってあげてたらしい。じいちゃんは村で一番早くに車を取り寄せ、自分で分解して運転していたらしい。お袋曰く、小学校のクラス中の男子が、じいちゃんの車が通る度に、「かっちょええ、かっちょええ」と言って窓に群がったそうだ。これでは授業にならないだろう。また、じいちゃんは、職人の技を盗む名人でもあった。手伝いながら、自分で覚えてしまうのである。だから、二回目以降は、全部、自分でやってしまう。大工仕事などお手の物だ。じいちゃんが研いだのこぎりの切れ味のいいこと、いいこと、天下にそうおるまい。ハサミ一つ取っても全然違うのである。切れが悪くなると、瀬戸に送って、じいちゃんの修理を待つ・・・この繰り返しである。他界して3~4年になるが、苦労しきった死に顔だった。冥福を祈りたい。

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瀬戸のじいちゃんの思い出 その1

 瀬戸のじいちゃんは、三年か四年前に亡くなった。じいちゃんは若い頃、20Km位泳いでいたらしい。そして、戦争に行った。日中戦争である。元来、瀬戸の男達は運動神経がいい。戦争でも、鉄砲の玉が自分の方に向いていないと解ると、豚を追いかけていたそうだ。だから、飢饉なんてなかったそうだ。私が一度、「じいちゃん、敗戦を知った時、どう思った?」と軽トラの助手席で聞くと、「信じられんかった。じいちゃんの部隊は強かったけんのう」と話していた。戦死者の救護もしたのだろうが、肝っ玉じいちゃんだった。戦地で、向かいの島の戦友に、飯ごうを無くしたことを告げると、戦友は、自分の飯ごう持っていけ、と言ってくれたらしい。あの頃、金属類は貴重品であるから、無くしたら大事なのだ。戦友のおっちゃんがどうやって工面したのかは知らないが・・・ある時は、家屋の真ん中に座っていたらしいが、敵襲を恐れて、家屋の端に移ったらしい。すると、本当に玉が飛んできて、真ん中に座っていた人は死んだらしい。じいちゃんは、一回も軍歌を歌わなかった。その代わり、上官に殴られたことも無いという。じいちゃんは最前線で戦っていたから、悪質な上官だと、味方から鉄砲玉が飛んでくるそうである。

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顰蹙を買うもの

 プーチンがバタフライをする時の映像。

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NHKのど自慢の傾向と対策

 私は毎週、NHKののど自慢を観る様になってから二年が経つ。そこで気付いたことを述べたいと思う。まず、秋山キセイの鐘を疑うべきだ。①お年寄りと女性には鐘一個がない。②外人には評価が甘い。③二人組ではハモれていないと鐘三つは鳴らない。④鐘一個が鳴るのは、リズムも音程も外した若い男である(独りの場合が多い)。⑤特別賞は老人にあげる。⑥腹から声を出していない奴には鐘三つはならない。⑦鐘が三つ鳴る奴は、声がいい傾向にある。⑧合唱部だからといって、騙されてはいけない。音痴もいるのだ。⑨合格するのは、おおむね四分の一である。⑩ゲストの方がへたくそな場合が多々ある。⑪暴れて踊る奴は大概鐘二個か一個。⑫NHKのアナウンサー小田切千は、合格した挑戦者に抱きつかれたりなど役得をしている一方で、時計をものすごく気にしている。⑬太っている人は声量が多いので、鐘三つ鳴らすことが多い。⑭日本全国行き交えば、歌が上手い国とそうでない国がある。⑮迷ったら鐘二つということだ。安全性が高い・・・私が発見したセオリーはこのぐらいのものであるが、勝負相手のお袋に全部、話しちまった・・・お袋は左耳で聞く様にしているらしい。耳は私の方がいいのに、いつも、お袋にやられる。

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コネについて

 私が院を辞めた後、親父がコネで入れたろうか、と言った瞬間に、俺は実力では入れた。他にやりたいことが見付かっただけだ。そもそも、女がコネを利用するのは、まだ許せるけれど、男がそれをやっちゃあいけない。実力も無い奴がコネで就職するなんてもってのほかだ。みんながみんなそれをやっちまったら、国が滅ぶじゃねえか。と、文句を言った。しかし、私の従兄弟の八割がコネで就職している。そんな奴等は親方がいなくなったら梯子を外される。仕事が出来ないから出世も遅れてノイローゼにもなる。某銀行の取締役だったおっちゃんの名前を今でも出す叔母がいる。私が、馬鹿じゃあねのか、と親父に言ったら、どこの会社が新入社員の為に新しい課をつくるんや、と言っていた・・・男は勝負しなければならない。どんなに苦しくても。私の場合、ソフトボールとはいえ、面子を保つために、予告ホームランをした。そうしたら本当に打ててしまった。ランニングホームランだったが、余裕でホームベースに帰ってきた。先輩達は、あいつ、本当に打ちやがった、という顔だったが、それ以来、ナメられなくなった。しかし、私の中では、打った当初は嬉しかったのだが、ここまで戦い続けてきて、男社会の勝負の世界が空しくなった。私は勝負の世界から降りることにした。それからも悩み続けて、二年後の大学院の二年に上がった春、退学届を出した。

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STAP細胞

 三十の女の理化学研究所の研究員が、STAP細胞について発表した時には、驚いた。ips細胞と共に、研究しあおうと、京大の山中教授からも打診があったそうだ。しかし、実像が解れば解るほど、化けの皮がはがれた。名誉欲だけだったのだ。論文や写真は写しで、オリジナリティが全くなかったのである。私は、それを知るまで、日本人女性初のノーベル賞受賞者が現れるかも知れないと思っていた。裏切られた。大体、理系の論文で嘘をつくことは許されない。論理で成り立っている学問だからだ。ましてや医学系の論文だと絶対に許されない。命に関わるからだ。やってはいけないことを、やったコイツは研究者の資格がない。理化学研だけで無く、つまはじきにされるだろう・・・研究というのは怖い物で、認められなければ価値が無い。そこで重箱の隅をつつく様な研究ばかりしていたら、勘違いしてしまうのだ。それが自分のオリジナルであると。勘違いが積み重ねられれば、本当に自分が成し遂げたと思い込んでしまうのだ。研究の世界とは、それほど狭いものなのだ。日本の学会だったらごまかせるかも知れない。しかし、世界では違うのだ。実際に日本の学会でハンコをついた奴もいると聞く。そいつらみんな、やめさせろ。

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おぎのやの釜飯

 近くのスーパーで、駅弁フェアというものがあり、おぎのやの釜飯が売られることとなり、行列が出来たらしい。三時間は販売するという予定だったらしいが、ものの十五分で売り切れたらしい。「俺はいい」と言って、釜飯は食べなかったが、いつも思うのが、あの釜飯の容器を何とか再利用できないかなあ、ということである。安物なのは判っているし、宣伝効果があるのも解る。しかし、あの容器をそのまま捨てるだけではもったいなさ過ぎる。知恵を絞りまくっても、灰皿にしては大きすぎるし、調理道具としては小さすぎる。帯に短したすきに長しである。せいぜい貯金箱ぐらいにしかならないか・・・私の大学一年の冬休み、軽井沢でアイスホッケーをしなければならなかった。前の晩にクラコンで終電で帰ってきて、始発に乗って上野駅を目指した。特急列車で行ったのだが、碓氷峠の手前の横川駅で、おっさん達がダッシュする。何故か、電車も長く止まる。みんな、つまらない出張を面白くしたろうと、おぎのやの峠の釜めしを買っているのだった。私は寝不足でそれどころではなかったが、旨い物を食べ損ねたとだけ思った。横川には釜飯屋がいっぱいあるが、元祖はおぎのやの釜飯なのである。他の所とは味が違う。

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冷凍庫装備完了

 前にも書いたが、冷凍庫が到着した。通販である。今の冷凍庫では、弟が来た際に間に合わないという理由からだった。私が、「置く場所がないやろ」と言ったが、台所ののテーブルの上に置くことになった。これじゃあ、もんじゃも出来ないし、大体、弟が食事する場所もない。弟のために購入した冷凍庫が弟の邪魔をしている。邪魔をしているといえば、私の好きな静寂の時間帯に、冷凍庫の音が鳴る。ブーンと鳴っていると不愉快なので、ドアを二つほど閉める。何であんな野郎のために、ここまで不自由しなきゃあいけねえんだと時々腹も立つ。出勤するのに、原チャリのでかいのを置かせてくれ、と言ってきているが、家には置く場所はもう無いのだ。容量上、車の裏に置かざるを得ないのだが、そこには、瀬戸のじいちゃんが植えてくれた、ボケの木がある。それを踏みにじるのだろうか・・・しかし、弟は昼も夜も関係なく働き詰めだった。営業成績もトップ。けれども、嫁が借金を作る天才だった。長男は中三にして、今でもプロ野球選手になりたいという馬鹿。次男は小学校三年にしてゲーム顔。私は、「あいつ、補助受けても、借金こさえるで」と言ったら、「あんたのことも何も言わせないから、兄弟仲良くするんだよ」とお袋。「俺とあんたとが、どういう生活しているか見せつけてやれ。それでわからんかったら、アホや」とぶちまけた。

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重力波の発見

 1905年は軌跡の年と言われた。天才、A.アインシュタインによって三つの論文が提出され、全てがノーベル賞級だった。アインシュタインの論文の中でも、一番有名なのが相対論だと思う。一概に相対論と言っても特殊相対論が先で、一般相対論が後である。アインシュタインはナチスの迫害から逃れようとして、アメリカに亡命し、プリンストンの教授になる。そのころのプリンストンのメンツと言ったら恐ろしい。コンピューターを発明したF.ノイマン、不完全性定理を証明したゲーデル、原爆の父オッペンハイマー、とそうそうたるメンツがそろっている。みんなユダヤ人だ。デンマーク人のN.ボーアなどは原子核の周りを飛ぶ電子の周期を発見したが、東洋思想にハマって行く。日本人では惑星の配置からヒントを得た、長岡半太郎も見逃せない。みんなが量子力学にハマって行く中、アインシュタインだけは、「神はサイコロを振らない」と言って、相手にされなくなっていった。そんなアインシュタインから現代人に残された宿題は、重力波の問題だった。今回、アメリカの研究グループが南極で本当に観測したのならば、ノーベル賞級の発見である。某研究の様にウソで塗り固められていないことを祈りたい。重力波の発見長年の物理学者たちの悲願だったのである。

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JR北海道について

 以前、友人から聞いた話で、国鉄時代には、馬鹿みたいな値上げが続いたが、社会党の基盤である組合が、ものすごい力を持っていたそうだ。中曽根と後藤田が民営化して、社会党ごとぶっ潰したんだろ、という話になった。他は民営化が進むにつれて、強力な組合を潰しまくったそうだが、JR北海道だけが、潰し損なったそうだ。だから、JR北海道だけが不祥事を重ねている様な報道ばかりが流される。真面目に働いている人間としては、納得がゆかない。裏事情も言えない。だいたい、線路の整備ミスなどで事故は起こっているではないか。JRでも、北海道の社長のみが不幸な結末を送っているではないか。客あっての旅客会社である。権利を主張する前に、義務を果たせ・・・私が学校に通っていた頃、国鉄の定期代は私鉄の三倍掛かった。毎年毎年値上げである。こんなに馬鹿馬鹿しいこともないと思った。要するに異常に高かったのである。そのカネがどこに使われたかは判らないが、ボッタクリ状態であった。国鉄という漢字は、国が金を失う、とも読める。政府としては、一刻も早く捨ててしまいたい漢字だったそうだ。バス停で並んでいると、前の男の人に、国鉄存続の署名を依頼しているおばちゃんがいたが、その人は、「私は民営化賛成なので」と言って断っていた。それぐらい昔の国鉄の値上げはひどかったのである。

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静寂の時間帯

 現在、午前四時過ぎ、静寂の時間帯である。終バスが走ってからは、音がしない。この時間帯が一番blogもはかどる。耳をつく音もしない。私はこの静寂の時間帯が自分のものの様な気がして気に入っている。昼はやかまし過ぎる。このblogを終えた後のきつねうどんを楽しみにしている。あえて、ニンジンを目の前にぶら下げられた馬の様に・・・と、新聞配達の兄ちゃんのバイクがの音がした。やかましい。何者も私の静寂の時間に入ることは許されない。耳がシーンとなる。心が落ち着く。コタツがぬくい。誰にも邪魔されることの無い、自由な時間・・・って母親が台所で白菜の漬け物を洗って切っている音が聞こえるので最悪だ。明日は彼岸の入りだから、親父の墓参りに行きたい。でも、栄養失調で行けそうに無い。そこで、きつねうどんなのだ。この静寂の時間帯を楽しんでいるのに、お袋は新聞を取ってきて、やかましくチラシを読む。どうかしている。しかし、何も言う気は無い。お袋も婆ちゃんが無くなる直前に広島まで行った。最後の親孝行をしてきたのだ。チョコレートを食べてくれたらしい。「帰るね」と言ったら、ばあちゃんは目を見開いて、頷いたそうだ。そして、「何か欲しいものある?」と聞いたら、「写真」と言うので、速達で送った。たった一枚の十和田湖の乙女の像の前で、母と私が写っている写真だった。着いてまもなく、ばあちゃんは他界した。臨終直前の時には、叔母さんが連絡をくれ、母と会話させてくれた。

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本当に買って来やがった

 バレンタインのお返しにホワイトデーというものがある。私は酔った勢いで、壱万円以内の好きなもの買っておいで(私は甘い物嫌いなので、チョコは全部お袋が食べた)と言ったら、五千円ぐらいのズボンを買ってきた。メイド・イン・ジャパンていうブランドを後押しするのも大切でしょ、などとほざく。確かに長持ちしそうなズボンだったが、ねだる女にロクなのはいない。しかし、今回は、私の方から言ってしまったので、母に罪は無い。でも、チョコ一つで、五千円はないだろう、と驚くばかりである。しかも、チョコは、母の胃袋に吸収された。これでは、私独りだけが損を観ることになる・・・まあ、普段、たえまぬ努力で・・・などと甘いことは私は言わない。でも、まあいいか、普段世話になっているんだし、少しは親孝行出来たかなと切り替える。どうせだったら、母の日にユニクロにでも行って、サプライズ・プレゼントにした方が喜びは増えたかも知れない。しかし、私はお袋のサイズを知らないし、そもそもユニクロには日本製品は置いてはいない。寂しいものだ。私は、ユニクロは三年で潰れると読んでいた。人というものは、確かに安い物を歓迎する。しかしながら、人というものは、どこかしらで、贅沢もしてみたいものなのだ。多くのどうしようも無い奴がユニクロに行った。英語の筆記体も書けない様な連中だ。これからどう凌ぐのか観ていたい。

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ホワイトデー忘れ

 バレンタインデーにチョコを貰っても、私は食べない。甘いものが嫌いだからだ。結局、いくら豪勢な品を貰っても、お袋の胃の中に納まる。だから、ホワイトデーなどというものが、頭から抜けるのである。今日、お袋に壱万円以内で、好きなものを買わせてあげようともと思っている。お袋の方はというと、美蓉室に行き、スマホで地震雲なるものを見せて貰ったらしい。月に向かって雲が伸びていたらしい。あたかも、オーロラの様で竜巻の様な雲だったらしい。みんなが、「地震が起きなければいいねえ」と言う中、実際に広島、山口、愛媛方面で、震度5強の地震が起きた。お袋は速攻で弟に当たる叔父さんに電話したらしい。するとおっちゃんは、「大丈夫じゃーけん」との返事。朝の5分は晩のの一時間。お袋は手短に済ませたそうだ。「それにしても、従兄弟の子は高校入試の直前に爺ちゃんを亡くし、大学受験の真っ最中にばあちゃんが他界して、その挙げ句に天変地異か。まあ、みんな同じ条件だし、弱音は許されない」とだけ言った。受験とは避けられぬ道、なれば、誰にも負けない漢となれ。

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友情の株

 前にも書いた様に、私はベンチャーで成功した友人の株を持っている。友人から情報を受け取ったりはしていない。親父が死んで、リーマンショックが起き、今が買い時だと、46000円で買った。その後、200000円近くになった頃、よっぽど売ろうか迷ったが、売らなかった。それ以来、何度チャンスが来ても放っておいた。よっぽど自分の生活に困らない限り、売る気は無い。友人の会社を、陰で支えてあげたいのだ。そもそも、株で儲けるなら、とっくに勝負している・・・それはそうと、『株』の話になったら、『Katsu』の店長は外せないだろう。一方で世界中のどの仕手筋が動いているか判る友人もいて、私はそれを聞いて、『株では稼げないな』と思った。株は情報戦なのだ。リーマンショックの時に数百万失った後輩もいる。でも、彼は、ここが底値だと見切って、買い足した。そしてなんとかピンチを凌いだ。私も底値だと判っていたから友人の会社の株(普段は買えない)を買ったのである。でもそれは、『友情の株』なのである。ここまでいろいろと書いてきたが、昨日、友人の会社の株主総会の書状が着いたので、『いつも通り、返事を書かない様にしよう。行ってもつまらねえだろうしな』と、適当に考えている。友人だって、一番つまらない会合だろうし、訳の解らないパープルの服を着た総会屋対策も面倒だろうなと思った所存である。

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3.11の後

  突然、電気が切れたのと揺れ出したのとで、「母さん、地震や」と言って、二人して外に逃げ出した。五分ぐらいはひどい横揺れだった。最初は、東京がやられたと思って、友達のことを心配していたのだが、携帯のワンセグを着けたら、津波警報ばかりやっている。何が何だか解らなかったが、とんでもない事が起きたことだけは解った。私は朝の連ドラの『あまちゃん』も観ていない。観られないのだ。私は東日本大震災の数年前に三陸を旅した。ユースホステルにばかり泊まっていたのだが、宮古の人達は温かく、なんでも教えてくれた。ユースというより旅館に近かった。そこのおばあさんで、宮古近辺の見所を聞いたら、龍仙洞に行けという。信じて行ってみたら、山口の秋芳洞に負けないくらいの迫力だった。宮古から車で片道一時間。同じ宿に泊まっていた女の子は、将来、弁護士になりたいそうで、鼻高々。私は自分の素性を明かさなかったので、『コイツ馬鹿なんじゃあねのか?』と思われただろうけれど、意地を張ることに疲れ切っていた私は、「そりゃ、頑張らないとね」と適当に流していた・・・けれど、その宿のおばあちゃん杖をついていた。震災の時にどうなったんだろう?と考えると、考えられない結果でも受け入れなければならない、と考えた。辛いばかりである。

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冷凍庫購入

 弟が自宅住まいするというので、どこに寝かすとか、食い物はどうする、などという会議が私と母の間で繰り返された。弟は、寝るだけでいい、三年経ったら出て行く、と言っていたので、母は、食費や光熱費を払わせるつもりだ。弟が来ることになって、一番悩んだのが、母の睡眠時間である。私と弟とを重ねると、ほとんど無いのである。現在、午前五時だが、この時間に弟は出勤するという。その前の午前四時には、お袋は起きていなければいけない。弟の弁当作りのためだ。先程、午前四時半頃、無理矢理にお袋を起こそうとしたら、稲妻が飛んできた。自分がどれだけ辛い生活になるかとの自覚が無いのだ。安請け合いばかりして、全然計画が出来ていない。これでは駄目だと、思うのだが、現在も寝ている。時計を観ると午前五時十五分・・・駄目だ。弟は私の三倍ぐらいは食う。それで、母が大慌てでしたのが、冷凍庫の買い付けである。私もパンフレットに眼を通し、アマゾンと比較してみたら、僅かに通販の方が安かった。お袋は速攻で電話していた。私の眼からは涙が止まらなかった・・・どこまで人を利用して、弟主義なんだよ、という悔し泣きである。

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松茸食い放題

 お袋が村上水軍の末裔で、おやじが九鬼水軍の末裔だということは昨日書いた。九鬼水軍の方は、領地替えで丹波に行ったらしい。故親父の小さい頃、丹波の家の墓移しの為に、同行した所、姫君の墓から、アホみたいに刀などが出てきたそうである。また、タイトル通り、アホみたいに松茸が採れた山があったそうである。そこで割いて焼いて醤油を掛け、そのうまいこと、うまいこと、と何度も聞かされた。その話を母にしていると、私の方も負けてはいない、と言った。瀬戸から広島に出て、親族の叔母さんの田舎に行くと、みんなで松茸を探すそうである。そして、取り分を公平に分け、(虫籠ぐらいの)籠一杯になって、瀬戸の島に戻ったそうである。今は亡きばあちゃんが、松茸をさき、七輪であぶって、みんなで食べたそうである。故じいちゃんが、「うまいのう」と言って喜んで食べてくれたそうだ。親孝行である。しかし、じいちゃんの抜け目ない所は、広島の叔母さんに電話した所である・・・しかしながら、何故だかは解らないのだが、ある年から急激に松茸が採れなくなったのである。現在の松茸を国産で食べるのは、相当掛かる。だからといって、中国産の松茸はもっとあやしい。焼いた松茸に、チューと醤油をかけて、それ勢いに、ご飯を食べる。こんな贅沢があるだろうか?もしくは、松茸ご飯を頬張る、こんな贅沢があるだろうか・・・末期がんだった親父には、「毒キノコにでも当たっていたらなあ」と言うと、「アホ、俺がそんなドジな真似するかいな」の一言で返されてしまった。「でも、当たった奴もおるんやで」と一命を取り留めた奴の話をしてくれた。すかさず、私は「イカに当たったのはあんたやろ」とツッコミを入れておいた。

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2500話突破

 婆ちゃんの他界などによって、忘れていたが、気が付いたら2500話を突破していた。ここのところ、気にしていないぐらいだったのだが、あのイチロー選手が4000本以上打っているのだから、この道を選んだ私としては、追い越したい・・・先日、NHKかNHKのBSで、面白い放送をしていたので観てみた。それは、戦国武将が山賊ならば、海にも海賊がいるという話であった。親父の先祖は九鬼水軍で、信長に味方したらしい。一方、瀬戸の母方の先祖は村上水軍で毛利に味方したらしい。一回目は村上水軍の圧勝。二度目は九鬼水軍が鉄工船をこしらえて圧勝したそうだ。TVを観ていると、いろんな説が飛び交っていたが、注目したのは、銭を取って道案内したりと、いろいろとやっていたそうである。実際、しまなみ海道で、村上水軍資料館にも行って、当時の最高級の品々が展示されていた。家系図を見ても、必ずしも長男が次ぐわけでは無く、たくさんの養子縁組がなされていた。結局、村上水軍の本拠地は、小さい島か大きい島かで、説は二分されていたのが当時。現在では大三島では無く、小さい方の島と観るのが妥当らしい。勢力圏は知らぬが・・・刀狩りの時のが、家の床下からも刀や槍が出てきたそうだが、親父の方の九鬼水軍は、家康の国替えで、丹波に行ったらしい。お袋が自慢げに、「殿様の御殿医をしてらしい」と言った瞬間に、「あんたら、敵同士で結婚しているじゃない」と言った。

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いいから食え!!

 親友とのショートメールのやりとり。

親友:「元気ですか?」

 私:「みんなでのむためならば禁酒します。最近あんまり食べてない」

親友:「食べる=生きること。酒は関係ない。酒は所詮人間が考え出した娯楽に過ぎない。ちゃんと食べてね」

 私:「生きるために食べているよ」

親友:「子供を観ていると再確認できる」

  私:「俺には(子供がいないから)よく解らんけれど、何となく解る気がする。命の重みが」

親友:「生きるために妥協せずに食べること。それだけだな」

  私:「大丈夫だよ。復活したら、また、飲みにいくぞ!」

親友:「三人でまた行くぞ。万全にしておいてくれ」

  私:「了解」

 

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看取り

 先日、主治医の所に行く際、十日ぐらい前から栄養失調になった私は、行けそうになかった。1月に行った際、迷惑を掛けたので、一等級の菓子折を持って、ワビに行くつもりだったが、体調不良。お袋が代打ちとして行く際に、作戦を考えた。前日に、まずそのことから初めてくれ、と頼んだ。必ず笑いが取れると。案の定、先生は笑った。そして、五臓六腑が死んでます。と言い、間髪入れずに、でも、世の中には、毒をもって毒を制すという言葉がある通り、呑んでます、と喋ってくれ。そうしたら、また笑いが取れる。そもそも、俺は長い待合時間の中で、どういう風に医者を笑わせるのかを考えているんだ。あの先生の専門は認知症だし、お袋も心配ない。二十年以上、あの先生にはお世話になっているんだ。時にはケンカしたこともある。でも、俺の性格まで解ってくれている唯一の先生だった。と言うと、「息子は死んでも救急車だけは呼んでくれるな。blogが書けなくなるからって言うんです」って言ったら、「救急隊員、殴り飛ばしてでもそうするだろうなあ」との応え。性格を見抜かれている。その後、もしも私が死んだら看取ってあげてもらえませんか?先生のことを一番信頼しているんです。と母が頼んだらしい。「看取ってあげるよ」と二度言われたらしいが、こっちはまだ、くたばるわけにはいかない。だから、こうして、書いている。

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ばあちゃんの死 その6

 あのクソババア、やっと死んだか。という気持ちと実感が湧かない気持ちとの両方である。密かに涙腺が緩む。あんなクソババアでも愛おしいのだ。本当に実感が湧かない。ただただ悲しい。生前は瀬戸の島で嘘をついたり、ハッタリをかましていたらしい。それぐらい負けず嫌いな婆ちゃんだった。孫の中では、姓を受け継ぐ子が一番可愛かったみたいだが、私の名前も唱えてくれたそうだ。しかし、叔父さんの孫は不幸である。高校入試の前に爺ちゃんが逝き、大学受験の時に婆ちゃんが逝った。これでは集中できるはずがない。また、地方と首都圏の差も感じた。叔父さんは、一人っ子のその従兄弟に、苦労させるべく、一人暮らしをさせる様子である。いずれは叔父さんの後を継いで、広島に戻るだろうから・・・私は一言、母に言った。「同じ大学に通っていても、独り暮らしの奴の方が成績がいいんだぞ・・・大学にしか居場所がないからだ」と。就職の悩みがないなら、好きなことをやればいい。また、母は、「家のはエンジンに憧れて機械科行ったみたいですけれど、整備などの授業は無く、理論ばっかりだそうですよ。へこんでました」とも叔母様に語ったそうだ。「家のは現役の時、全部すべりました」と言った上で、「担任の先生が理科をやれと言う所、もう、一年は諦めています。今は英語の勉強が楽しくて仕方がないんです」と言ったそうです。と言って笑いを取りまくったそうだ。

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ばあちゃんの死 その5

 今の世の中、堕落坊主ばかりである。ばあちゃんは、丁度、ももの節句の時に京都の大谷廟に納骨された。お袋が古傷で正座できないことを知っていた叔父さんは、母のために椅子を持ってきてくれたそうだ。メインの坊さんの読経が終わり、別の坊主が説法したそうだ。合わせて十分とかからなっからしい。彼等にとっては、どうでもいいことであり、そうでなければ、やっていけないのであろう。もし、私が同席していればケンカを売る。今まで坊主相手の問答では勝率がいいのだ。なっていない坊主が多すぎる。そんなクソ坊主と問答しても、余裕で勝てるのだ。残念ながら、今回、私は行っていない。しかし、ナマグサ坊主のお経など一瞬で解る。家の母親も般若心経位なら、楽勝で唱えられるので、お経の善し悪し位は判ったでしょう?と聞いた所、「解らなかった」と言うので、ズッこけてしまった。お袋は、親父の死後、私が唱える般若心経を横で聞いて、耳で覚えたのである。例えば、西本願寺ならば、『仏説阿弥陀経』を唱えるのが筋なのだが、あいつら手抜きしやがった、としか思えない。「そいつら,クズの集まりじゃあねえか」と言ったら、「正座出来ないしねえ・・・」と母が言ったので、黙った。叔父きはそれから何時間も掛けて車で広島まで帰ったし、お袋も切符を取ってから、しば漬けだけを買って、忙しくとんぼ返りしていた。

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ばあちゃんの死 その4

 叔父さんと出会ってから、豚まんの話が出たらしい。中華街の中でも一番旨い店のものだ。私は人に物事を聞く際に、金を払って受け取った瞬間に聞く様にしている。すると、相手も本音で応えてくれるのだ。アメリカのグランドキャニオンの宿場町である、フラッグスタッフという町に夜着いた時、ユースを見付けたかった。土地勘のない私は、その田舎町に夜中に着いた。町中をうろうろしていると、気難しそうなおっさんがやっている店を見付けた。救いな事に、一枚1$の記念写真があった。私は少し間を開けて店内を物色する様な真似をして、やっと見付けた、という様な顔をして、記念写真を1$で買い、相手が1$札を受け取った瞬間に、この辺りにユースはないですか?と聞いた。相手もやられたなという顔で、地図を書いて教えてくれた。そして、アメリカの道路は縦縦横横だからすぐに解ると教えてくれた。それからユースはすぐに発見できたのだが、アメリカは田舎町の方が治安が良く、気楽に過ごせるとも思った。ここに書いた事は、結構大切な交渉術なのである・・・ばあちゃんの納骨の為に京都駅で待ち合わせをした。「一番遠いいのが早く来て、一番近いのが遅く来る」とぼやいていたそうだが、母と叔母様が、豚まんの話で盛り上がり、叔母様が「あれ、美味しかったですねえ」という話になると、叔父様も、「肉がギュッと詰まちょった」と言うので、母が「タケノコも美味しかったでしょう」とトドメを入れて丸く収まった。私の読みでは、六個中四個は、従兄弟の子が食べていると観ている。

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ばあちゃんの死 その3

 ばあちゃんは直葬となった。母は見舞いに行ったので母には「最後の親孝行ができたね」と話して、最高の功徳だよ、と語る。そして、ばあちゃんに、「何か欲しいものある?」と聞いた所、「写真が欲しい」と言ったので、独り旅主義者の私と母が十和田湖の乙女の像の前で撮ってもらった唯一のの写真を速達で送った。写真を見た祖母は喜び、数時間後に体調が急変したそうだ。本当の危篤状態となって、おば様がお袋に電話を掛けてくれた。お袋は叫んでいたが、その度にペ-スメーカーの波が上の方に動いたそうだ。要するに母に最後を譲って頂いたのだ。それから私は、胸にぽっかりと穴が空いてしまった。あんなに強欲なババアでも死ぬ直前に、母にしたことと、私が言った事の意味が解ったのだな、と気が付いた。それは、ある意味、解脱したという証拠である。だから、あんなに私と母の写真を欲しがったのだ。たった一枚しかない写真を送った価値が、そこにはある。

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ばあちゃんの死 その2

 旅先で、友人に、仏教について質問した。すると、「本来、仏教では、死後の世界を想定していない」と教えられた。私は驚き、「そうなると、輪廻や六道の概念はどうなるんだ?」と聞いた。すると聡明な彼は、「輪廻については上手く答えられないけれど、現実社会の上で六道っていうのは成り立っているんじゃあないのか?」との返事。それに対して私も、「なるほど!!」との返事。四国の旅の途中の道の駅で、大きなお日様が土佐湾に沈んで行くのを眺めていた。もちろん飲んでいた。車中泊だったからである。

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ばあちゃんの死  その1

 「おかあさーん、おかあさーん、私よ解る?」という悲痛な叫びで目覚めた。何事かと思い驚愕。ばあちゃんの死はあっという間にやって来た。胸水がたまりだし、そうなったら後は少ないということを、親父のがんで知っていたので、親戚の叔母様に伝えたそうである。お袋を散々利用した婆さんだったが、親父のことは何にも解っていなかった。私は、うちの犬を畜生と呼ぶのなら、あんたは既に地獄道に堕ちている、と言った。自分が地獄に堕ちる覚悟で・・・母も最高の愛情で引導を渡した。母も地獄に堕ちる覚悟でそう言ったのである。数日前に、それを聞き、「あんたも地獄行きやな。でも、閻魔さんの前で、一発ぶったる。笑いまくらせて、あんたと父さんとばあちゃんは天国にいかしてあげるからな」と言った。仮に俺だけが地獄に行くとしても、地獄をお笑いの世界に変えてみせる、と言い、仮に針の山に登れと言う奴がいたら、そいつを先に登らしてやる。その際には、「そもそも華道というものは、このの国の文化である。私の親戚には華道の師匠をしている方がいて、剣山がなければ成り立たない。それでも、本当に度胸があったら、お前からいけ・・・」などとかましてやる。と言ったらお袋が大爆笑した。血の池地獄に入れ、と言う奴がいたら、「こちとら、伊達に別府まで行ってはいない。あそこでは、いろんな地獄を観てきたわい。お前が先に入れ・・・」と言う。地獄という所を天国みたいに変えてやろう、というのが私の野望である。

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ばあちゃん危篤 その2

 車内で、そんな会話がなされた後、お袋は、ばあちゃんの所へと向かった。おばさんは席を外してくれて、ばあちゃんと二人きりで会わせてくれたらしい。ばあちゃんは肝臓がん」と胃がんを患っていて(親父の経験もあったので)、多分、ホスピスに入っているのだから、死んでもいっておいで、とは語った。このばあちゃんが、昔、家の飼い犬のことを、畜生と呼んだので、私が、あんたは地獄道に落ちている。と言った。無論、私も落ちる気である。しかし、ばあちゃんに会った母も、「私も65歳、いつ死んでもいい覚悟は出来ている。おかあさんは88の米寿まで生きたんだからね」と引導を渡したそうだ。本当に愛しているから、そういう事が言えるのである。私も同じ気持ちだ。そうして、許可を取った上で、チョコレートを食べさせてあげたら、たいそう喜んだらしい。お袋も親孝行できたな、とその話を聞いて思った。私ごときがうんぬん喋る資格はない。

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