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玉虫厨子を観て

 法隆寺では、小学校の時に習った、玉虫厨子にも出逢った。最初こそ、当時は玉虫が多く捕れたんだろうな、という印象であったが、その輝きは現代にはない。それでも、ようく観察してみると、四角形の中に、当時の最先端の文化が伝わっていることが解った。その一面に、釈迦が修行中に、共に修行していた小坊主が飢えた虎に自分の身を犠牲にしている絵があった。かすんでいたが、確かにあった。私はこれを観て、涙をこらえるのに必死だった。私の母は、理解のある人で、漫画でも、手塚治虫のものは、やりくりしながら読ませてくれていたのである。氏の作品の中で、『ブッダ』も読んだ。その作中、悟りを開く前の釈迦(ゴータマ・シルダッタ)と共に修行していた少年僧が、自分たちの命のために、大蛇から玉子をもらい、代わりに自分が大蛇の餌として、自ら食われるシーンがあった。その事を思い出したのである。釈迦は、何故、あんな風に出来るのかと、真剣に悩む。その甲斐あってか、数年後に、大きな菩提樹の下で瞑想していた時に、半ばひらめきに近い感じで悟りを得る。そうして、弟子が集まり、仏教というものが成立した。現代のインド及びネパールでは、ヒンズー教が主流である。ある学者は、仏教には冠婚葬祭の葬が欠けていたから廃れたという。しかし、私が玉虫厨子を観て涙をこらえたのは、それが仏教の根本概念に結びついているからなのである。要するに慈悲の心とはなんぞや、ということなのだ。仏教的な『慈悲』の心が解らない者に、果たして時代を任せられるだろうか?

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