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仏像とにらめっこ

 若かりし頃、車中泊の旅で、東へ西へと行っていた自分が懐かしい。そういう旅でも、一度は出家しようかと考えていた私は、寺社仏閣を中心に見て回った。初めて高野山に行き、奥の院で坊さんに質問しまくる。そんな失礼なことばかりを繰り返していた。ロクに仏教の勉強もしていないのに。その甘い考えは、薬師寺の坊さんによって完膚なきまでに打ち砕かれた。彼は言う、「足し算引き算かけ算割り算も出来ないのに、どうやって微積分が解ろうか」と。屈辱感でいっぱいだった。その後、真剣に仏教を勉強した。自分で自分の敵は取ったのだが、解らない事が広がりすぎてしまった。そんな折、同じ奈良の、法隆寺を訪ねた。坊さんに質問などしない。あそこは観光地だからだ。幸い季節柄もよく、国宝を観てきた。その中の片手が欠けた梵天像に、傷ついた私の心は惹かれた。悩み多き二十代、私はその仏像と問答をしていた。どんなことだったかは覚えていないが、とにかく、その仏像の前に一時間は立っていた。私が、『どうしたら泰平の世が来るか?』と問うても、仏像は無言・・・しかし、考えさせてくれるのである。考えているうちに悩んだら、仏像を観る。そこには仏像しかないのだが、何だか、私の悩みを解釈してくれると同時に、「おぬし、まだまだじゃのう」と言われている気がするのである。仏像とは、価値によって決まるものでは無い。自分がこれが正しいと思った瞬間に決まる。下らない新興宗教になどに嵌まっている暇はない。

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