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2014年2月

ばあちゃん危篤 その1

 母に、最後の親孝行だから、と言って、昨日、広島に向かわせた。万が一の場合は、兄姉だけで葬式をするらしい。ばあちゃんは、もう胸水がたまっている段階なので近いと覚悟した。その前に、母に、「最後の親孝行のチャンスだぞ」と言った。母も迷わず会いに行った。新幹線の広島駅に着くと、母の弟に当たる叔父さんのカミさんが、車で迎えに来てくれていたそうだ。車での会話が面白かったので、母から聞いた話を書く。車に乗せて頂くと、まず、シートベルトで困ったそうだ。間抜けである。その後、叔母さんが、「家のは出来が悪いので」と言うと、母は、「家のは現役の時、全部スベりました。担任の先生から、理科をやれと言われても、今は英語の勉強に燃えています。もう、1年は覚悟していますから。と応えたそうです。でも、文法は得意でも、長文読解が苦手なので、どこの大学も60点しか採れないんです。ただ、数学は、中三の時から数学塾に通わせていました。そして、本当に一浪したんですけれども、現役で通った友達から、参考書を貰いまくったそうです。宅浪しましたが、春先は遊んでいました。その後、夏休みに、自分なりの計画表を作って、起きている間は勉強していましたが、三ヶ月後の模試でいい結果が出ると、遊びました。師走の模試でF判定を食らって、『志望校を再考せよ』というのを食らって、残り一ヶ月半で追い込みを掛けたそうです」と言うと、叔母さんは、笑ったりしながら、原爆ドームや広島城を通るコースをエスコートして下さったそうだ。母は、万が一、従兄弟が浪人した場合も考えて、わざと話したそうである。

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臨時休業

 お袋がホスピスに入っている、母方のばあちゃんに会いに行った。三日間、ロクに食っていない。ばあちゃんは、私と母の写真を欲しがった。一枚だけあるのだ。今からそれを探しに行く。

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ドラゴンボールなんて甘い

 私はガキの頃から、母親に、「勉強しなさい」と言われて来た。そうして、黙って努力し続けた。結果も出した。大学に入るまでは、寝ないで勉強した。勉強するのが当たり前の世界だからだ。しかし、いざ、大学に入ってみると、勉強できることなんて当たり前で、それ以上のものを要求された。地獄を味わって、地獄に行きたがる様なものである。お袋に、男社会というのは、そんなに甘い物じゃあない。隙が少しでもあれば潰されるし、親父の世話してて解らなかったのか?と突っ込むと、それこそドラゴンボールの世界じゃない、と言った。そんな馬鹿馬鹿しいことは止めろと言うのだ。いくら勝ち抜いても空しいだけだと・・・それを聞いた私は激怒した。ガキの頃から、毎日、「勉強しろ」って言ってたのはどこのどいつだ?俺に金を掛けてくれたことも解っている。だから必死で努力したんじゃあねえかよ。従姉妹の誰にも負けていねえじゃねえか、大体なあ、ドラゴンボールの世界なんて努力して、勝てば終わりだろ・・・でもな、男社会では、嘘を平気でついたり、勝っても勝っても妬みを買って、足を引きずる奴のいかに多いことか解ってない。それでも、嫌でも、そういう奴は殴ってでも潰さなきゃいけないんだ。どんなに苦しいことか解るか?だから、俺は院の二年の春に退学届出して辞めたんだ。そういう世界に耐えられなくなるのが、まともな人間だろ?辞めた時に学生証取られたのはショックだったけれど、俺だってどんだけ悔しい思いして辞めたか全然解ってない。そして、その後働いたろ?と言ったら、母は黙り込んだ。

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帰郷のススメ

 母方の祖母が余命一ヶ月だと言うことを聞き、私は迷わず見舞いに行ってこい、と母親に話した。憎まれ口ばかりを叩き、家からだけ、相当な金を巻き上げ、憎いことこの上無かった。爺ちゃんの没後、村落中の嫌われ者だった。何か自慢されると、三倍返しで言い返す。自分が世の中で一番不幸だと思っている憐れなばあちゃんだった。嫌われるのも仕方がないし、どうしようもない甘えん坊なのである。現在は母の弟に当たる叔父さんの家に世話になっているらしい。母も無茶苦茶なお袋だ、と言っていたが、それでも、母が困った時に世話になったので、見舞いに行く様に勧めた。あんなクソばばあでも、恩人なのである。母には返るついでに広島風のお好み焼きを食べてこいと言ってある。次に広島に帰るのは葬式の時だからだ。叔父さんは広島で、兄姉だけでやると知らせてくれたが、私も少しながら包もうと思っている。参加はしない。本当に、自分のためになることなら孫さえ利用し、用済みになったら平気で捨て、家族には金目の物ばかり要求する、最低の人間だったからだ。仏教的解釈をしたら『人間』というのもおかしいかも知れない。家の可愛がっている犬を、『畜生』と言われたから、あんたは充分、『地獄道』を歩んでいる、と電話で言い切ってやった。仏教には、『六道』という概念がある。上から、天、人間、修羅、餓鬼、畜生、地獄とある。また、本来の仏教は、死後の世界はないものだと定義づけられていると友人から教わった。その上で『六道』をどう解釈したらいいのか?と聞くと、既に現実社会上でそういう区分がされているのじゃあないか、と諭された。私は、なるほど!!と叫び、丁重に礼を言った。

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ハクがつかんやろ

 母の弟に当たる叔父さんの子が、今、現役で大学受験に立ち向かっている。受かった大学は東海大の工学部ということである。叔父さんは、困ったら内の会社にくりゃいいんじゃけえ、と気軽に構えているが、私は地方と首都圏のギャップを感じざるを得なかった。地方の受験生は首都圏と比べて、遙かに洗練されていない。青山も落ちたとのこと。まあいい。私も現役の時は、全部スベッたのだ。親に土下座して一浪させてもらった。その代わり、現役で受かった友達連中から、ありとあらゆる参考書を貰って、宅浪した。高一の時に、親に一年分の予備校代を払わせて、通わなかったのが原因である。私が数字を稼ぎ出した頃、上智と青山は、最初っから願書を出さなかった。理系として設備などが欠けているという情報を握っていたからだ。親も何にも言わなかった。ありがたいことである。数学塾の先輩は、ネームバリューに溺れ、をれ以上の大学には受からなかった。そいつは私の高校の先輩だったが、『こいつ、俺よりも阿呆だな』と思った瞬間に講師の先生が私の立場も考えてくれて、年下の私を叱られ役にしていることが解っていたので、黙って叱られた。その代わり、最後の授業では、講師の先生は、そいつのことを完膚なきまでボロクソに言っていた・・・もし一浪するのなら、私よりも上を行って欲しい。このままじゃあ初孫の私が一番の学歴を身につけてしまうからだ。心より祈っている。

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ばあちゃん余命一ヶ月

 昨日、母の弟に当たるおじさんから、母の携帯に電話が鳴った。母方のばあちゃんが余命一ヶ月と告知されたことの連絡。丁度、米寿の年に他界することになる。葬式は兄姉だけでするそうだが、私も弟もばあちゃんには世話になったから、包もうと思っている。ミカン作りで腰が曲がるほど働いたばあちゃんも、最後はがんで死ぬ。もう、覚悟も出来ているようだ。点滴の針を外したりして、死に急いでいる。お袋が一度、見舞いに行きたいと言うから、十万貸すことにした。最後の親孝行だ。イヤミのあるばあちゃんだったが、米寿まで生きた。不満はあるまい。ガキの頃、九九と時計の読み方を働いている合間に教えてくれた。私はすぐに理解したのだが、弟がなかなか自分の意見を言えないタイプで、時計の読み方に手間取った。心配したばあちゃんは、弟を診療所に連れて行き、医者に見せた。すると、医者は弟の顔を見るなり、「こりゃ、大丈夫じゃあけん」と語ったそうだ。弟は小学校の一年の時の知能テストで学年一位を取った。私は幼稚園の時に芸州一位を叩き出した。死に行くばあちゃんも、親父も神戸でトップだった。当たり前なのである。しかし、その裏側で、苦しい思いも人以上にしてきた。気付きすぎるのである・・・まあいい。今は恩のある憎きばあちゃんの冥福を祈ろうと思っている。母には、見舞いに行くなら、お好み焼きを食べておいでよ、と言ってある。親類縁者を亡くすのはもう嫌だ。

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つらい、つらい、つらい、と嘆く前に

 今日の僕のblogは、『つらい、つらい、つらい、心が引き千切れそうだ』で済ます予定だった。しかし、友人達のフェイスブック(以下FB)を観て、少し考え方が変わった。直接的でなく、間接的にでも、彼等は前向きで、私を笑わせてくれたり、読んでいるうちに、元気をもらった。みんな必死で生きているのが解った。そうこうしているうちに、自分なんてどんなに狭い了見だったんだろうと気付かされる。中高時代、必ずしも仲が良い友達ばかりではなかった。でも、それについては考えない様にした。だから、私のFB友達は、男ばっかりである。しかも、結婚している奴ばっかりだ。子供の写真もよく観る。私は四十を超えてから、他人に対して『嫉み』という感情を徹底的に省くことにした。不思議なもので、そういう人生観を持ったら、人の喜びが自分の事の様に喜べる様になったのである。こんなに嬉しいこともない。四十代にもなれば、多かれ少なかれ、みんな人生の辛酸をなめている。だから、許すし、気軽にFBなどでなんでも書いてくれるのだ。それでも悔しいと思うことはたくさんある。でも、みんながそうなんだな、と分かち合える所にFBの価値がある。使い方はよく解らないし、一日に一度しか開かないそれでも、価値があるのだ。しかし、悪徳商法に使う輩もいるのも事実である。私は何回かぶち当たったが、FBで数十万のカネを儲けている奴など信用しないし、相手にもしない。ただ、かわいそうな奴等だな、とは思う。FBなどで安易にカネを得る手段に長じるほどに、そいつらが滅びていくのが解るからだ。間違ったカネの掴み方をしたやつらは、それがなくなると、どうしようも無くなるからだ。

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齢四一にして

 齢四一にして、初めて、TVドラマの主役よりも、脇役の女の方が好みになった。

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プロにはかなわない

 雪どけ道を辿り、歯医者に向かったが、歯磨きを二回し、隙は無いなと、安心していた。ユウウツな中、朝一番だったので、挨拶だけはしっかりしようと決めていた。朝一番に頼むのは、待ち時間が短いからである。完璧な歯磨きだと思ったが、先生もプロ、私の歯の甘さを見逃さなかった。「虫歯があったら見て下さい」という私の依頼の元、三カ所ぐらい指摘された。吐き気がする中、治療に耐えた。そして、歯の数値が悪くなっている原因に、「毎晩、2:00位まで文章を書いていて、食事を採ったら、気絶するように寝てしまうんです」と語る私。空しさをを覚えながら帰路に就く。やっぱり、プロにはかなわないなという気持ち・・・昔数学塾に通っていた頃、私立ということで、中三から一学年上のクラスに入れられた私は、高一の時、プリティな女の子と出会った。高二の時、ビューティフルなマドンナから声を掛けられた・・・ある、微積分の授業の時、講師の先生は私ともう一人の私立の奴には、やたらめったら難しい問題を当てていた。そんな折、マドンナの宿題のプレゼンを観ていた時(私はロクに予習などしていなかった)プレゼンを聞いた直後に、「正解です」という先輩がいた。私は、『こいつ、この問題だけ予習してきたのか?』と疑った。その後、マドンナの答案を二回観て、間違いに気が付いた私は、その先輩の立場と、誰でも気付くだろう、と判断して、しばらく上を見てから、『ここはダマだ』と思い、下を向いた瞬会に、「コラァ!!」と講師の先生に叱られ、嫌々、正解を言った。プロにはかなわないと思った。しかし、そのままマドンナを放っておくのも見せしめみたいで嫌だった気持ちもある・・・唯一、自分から私に話しかけてくれたのも彼女だし、塾中の男が惚れていたのだ。

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恐怖の歯医者の日

 歯医者に行く際、最低限のエチケットとして、歯を一生懸命磨いて行く。今日は定期検診の日なので、二回は磨くつもりである。雪なので車も使えない。歩いて行く覚悟だ。世の中にはたくさんの歯医者があるのだが、痛くもなく、丁寧に対応してくれるので、自宅近くの今の歯医者に落ち着いた。別の歯医者で、幼児体験のトラウマからか、あのドリルの音を聞くと嫌な思いがする。世の中には異常に痛い歯医者というのも存在するのだ。だが、そういう所は、自然に淘汰されて行く。実際に潰れた。今現在通っている歯医者には、なんの不満もない。治療の際の麻酔も、格段に痛くなくなった。先生に聞くと、針が相当細くなったそうだ。前にも書いたかも知れないが、一旦診察台に上がったら、その先生を信じて、まな板の上の鯉状態になることに決めている。先生に礼を尽くしたら、歯科衛生士のおばさまから、歯磨きのコツなども密かに教えてもらったりした。歯磨き粉には研磨剤が入っているので、あんまり付けすぎないことや、下の前歯の裏を磨く時には、歯ブラシを縦に使うこと、奥歯を磨く時には45度の角度で磨くことなどなど。親切に教えて下さった。今日の検診で、最後には強烈な液体で歯を洗浄されることだろう。その時も先生に、「食塩水ですか?」と質問したら、「いや、重曹が入っているんだよ」と教えてくれた。痛くないことは解っていても、上に書いたトラウマのせいで、歯医者に行く日はユウウツなのである。しかも、オリンピックと重なっている。

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フェイスブック

 私はこのblogを書くために、メールチェックとフェイスブック(以下FB)のチェックは怠らない。この大雪で、情報が殺到している。大雪で、仕事にならないのか、いつもより多く掲載されている。酒好きな友人は、「これっきりです」と書いてあったのだが、「越乃寒梅飲んでんじゃあねえか」と突っ込むと、「アップする間に開けちまった」との返事。笑いが止まらなかった。ゴルフでホールインワンする夢を観たという友人には、「ホールインワン保険入っとかないと・・・」と書いたら、「ホールインワンする自信はあるんだけれど、保険はなあ。。。」という返事が返ってきた。また笑う。しかしながら、甲府に単身赴任している友人は、山梨が陸の孤島になっていることを伝えてきた。他の情報も調べると、電車も止まり、車も通行止めとのことで、物資が輸送できず、コンビニの棚が空っぽになっている写真を見た。本気で心配した。また、『Katsau』の店長は、仕入れに原チャリで行ったら、ヘルメットと手袋が盗まれていたそうである。仕入れた物を載せて、一時間近く押し、急遽ヘルメットを買って店に戻ったそうである。そのフォローに、私は、家の近所で放火魔が捕まった話を挙げ、自転車とかバイクも盗んだらしいぞ・・・安心したけれど、高校生だったらしいぞ、と書いておいた。飲食業は雪でも休むわけにはいかないしなあ・・・と心を痛めた。しかし、『Katsu』の店長は、東日本大震災の直後の食糧難の時も、ラーメンを一杯100円で提供した男である。メット代は痛い出費だっただろうが、絶対にめげない強い男である。

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大雪

 私には、現在、単身赴任の友人が二人いる。彼等に向けて、甲府はともかく、熊本は楽しそうだな、という無神経なメールを送った奴がいる。そいつは何も解っていないし、彼等の反感を買ったこと、間違いなしと思った。それからあまり相手にしていなかったのだが、私もバスの中で、そいつの母親に大恥をかかされた。この親あって、馬鹿息子ありかと嘆いた。問題は甲府に単身赴任している友人である。真夏の気温は異常に熱く、冬は異常に寒い土地柄であることである。フェイスブック(以下FB)で、寮の非常階段が雪の積もりすぎで、使えなくなっていることを知った。彼に実家付近の様子を伝え、雪かきの大変さと車を運転する際の凍結の方が怖いよ・・・と伝えるとFBで、運転要注意と彼からあった。彼の方が大変なのに、彼に励まされてしまった。彼の方がよっぽど不自由しているのに・・・他の友達も、雪で自宅待機の命令が出ているのに、徒歩通勤のオイラは一体どうすればいいんだろう?などというメッセージを受け取った。みんな大雪で複雑なのである。そんな中で、阿呆のように飯を食い、阿呆のように笑っていて、齢四十にしても課長にもなれない彼の存在だ。みんな、家族のために、必死で働いている。それを馬鹿にするような奴には、天罰が下る。充分、覚悟した上で言ってるんやろ。このインチキ大阪人。

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歯医者とアイスホッケーのトレードオフ

 私は、19日に歯医者の定期検診に朝の九時から予約をしている。しかしながら、その確認をしたのは、半年前だ。冬期オリンピックがあることを忘れていた。最近は食ったら寝てしまうので、blogを書いてから夕食を採るという生活を続けてきた。母上には申し訳なかったが・・・今日の昼に『タコ焼き』を食べてから寝てしまった。起きたらアイスホッケーの『アメリカ対ロシア』をやっており、blogを書く時間が遅れた。事実上の決勝戦みたいなものである。どちらもが決勝戦に出れるだろうに、予選でも、国の威信をかけて戦っている。遙か昔の、軽井沢での思い出が蘇るのだ。あの時は、私もチームのために必死だった。それでも、自分のチョンボで負けた。勉強で負けても、『ガリ勉君』なんだなと、どうでも良かったのだが、スポーツで負けることは、それの数倍の屈辱だった。本当は泣きたかった。でも、体育会の先輩は、それを許してくれなかった。「外に滑りに行ってもいいですか?」と言っても、その先輩は、体育会のDFとして、アイスホッケーでフル出場するという根性を見せてくれた・・・ところで、ソチ五輪、楽しみに観ているが、歯医者の定期検診はどうなってしまうのかと不安に思っている。寝ずに行くか、我慢するかの悩みどころだ。はっきり言って、ホッケーと歯医者とのトレードオフである。

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羽生選手おめでとう!!

 私:「やっぱり、羽生(はにゅう)選手は強かったですね。日本の誇りです」

老人:「それにしても、羽生(はぶ)って野郎は大したもんだ」

 私:「あの、同じ羽生でも『はぶ』じゃなくて『はにゅう』なんですけれども」

老人:「そんなことはわかっとる。羽生は七冠達成した奴じゃろう」

 私:「・・・」

老人:「うんうん、強いはずじゃあ、カッカッカッ(笑)」

  私:「・・・」

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加加速度?

 私は、浪人時代にニュートン力学を学んだ際、速さを微分すれば加速度となり、それが力の単位である『N』(ニュートン)の根拠になっていることは解った。それから、力も波なのではないかと、真剣に悩んだ。だが、そんな事は、大学に入ってから学べばいいことである。読書をする時にも、私は、それが受験生として許されかられざる行為として、自分を戒めることにした。『大学に入ったら、のっぱらに寝転んで好きな本でも読みながら、木陰でのんびり本を読みたいなあ』と思っていた。本気である。しかしながら、そんな暇は、理系には無いのである。嫌気が差した私は、単位なんてどうでもいいと考え、語学と実験だけに出ることにした。語学(独語)も実験も下らないものだった。大学では憧れる存在ではなくて、我慢する場所だと確信した。大学一年の時には、解りきっている実験をやらされた。私は、大学とは、自分が信じる発想を、具現化してくれる場所だと思っていたが、そうではなかった。幼稚な実験を繰り替えされ、判定はB。あいつら、なにを考えてやらるのかを疑った。確認実験などつまらない。その時、私が疑問に思っていたのは、『加速度はなんで微分できないんだろう』ということだった。物理学的に意味を持たないのである。少なくともニュートン力学に於いては。ある友人は、「加加速度があるじゃあないか」と応えてくれたが、本質論ではない。また、別の友人が応えたのは、多分、私と同じ疑問を抱いていたのだろう、「アインシュタインの等価原理を疑えば、何かが出てくるかも知れませんね」というような返事だったが、そんなに教えてくれる奴でもない。私の読書とヒントによって、そういう返事をくれたのではない。私の友達はそんなに甘くはない。キーワードは一言も教えてくれなかった。私も、学問をするために必死で勉強及び思索をしたのである。

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願い

 自分がどんな立場になっても、人から憐れみを受けることなく、人の喜びを自分の事の様に喜び、人の悲しみを自分の事の様に悲しめる。そういう人間になれることを、ずっと、ずっと、目指して生きてきた。齢41にして、初めて自分がそういう人間に近づいた気がした。これからも目指し続ける。それが人間として、一番幸せなことではないかと思える様になったからだ。

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聖徳太子と梅原猛

 法隆寺の境内を歩いていて、ふと、考えたことがあった。弟のカミさんに、母が無理してくれて百回は読んだ日本史の漫画のことだ。なんでも、「聖徳太子は実在しなかったのが今の定説です」と言われて驚き、それでも、「歴史というものは流れを掴むのが一番大切なことなんだ」と言っても無視したので、「だったら、あの漫画、返してくれ」と言ってもなしのつぶて。弟の長男は中三になって自分の実力を客観視すべき時なのに、「プロ野球選手になりたい」としか言わない。弟夫婦もそれを後押しする。内心で『コイツは馬鹿だし、学問も身につかないだろうな』と憐れんだ・・・そんなことはどうでもいい。法隆寺と言えば欠かせない人物が梅原猛氏である。法隆寺は聖徳太子の鎮魂のために建てられた、という説を唱え、一世を風靡した方なのだ。私は、どちらが本当に正しいのか、境内をくまなく歩いた。すると、聖徳太子を祀る社が確かにあった。私は梅原氏の説の方が説得力があると思った。なぜならば、もし、聖徳太子がいなければ、憲法十七条、冠位十二階、の説明が付かないし、538年に伝来したとされる仏教を重んじ、「仏法僧を敬え」と言って、日本の宗教革命とも言える、神仏習合という概念を誰が作り出したのか解らなくなる所に、決定的な矛盾を感じたからだ。内心で、『アイツは平気で嘘をつく奴だからなあ』と思いながら、季節外れの干し柿を食って、法隆寺を後にした。

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玉虫厨子を観て

 法隆寺では、小学校の時に習った、玉虫厨子にも出逢った。最初こそ、当時は玉虫が多く捕れたんだろうな、という印象であったが、その輝きは現代にはない。それでも、ようく観察してみると、四角形の中に、当時の最先端の文化が伝わっていることが解った。その一面に、釈迦が修行中に、共に修行していた小坊主が飢えた虎に自分の身を犠牲にしている絵があった。かすんでいたが、確かにあった。私はこれを観て、涙をこらえるのに必死だった。私の母は、理解のある人で、漫画でも、手塚治虫のものは、やりくりしながら読ませてくれていたのである。氏の作品の中で、『ブッダ』も読んだ。その作中、悟りを開く前の釈迦(ゴータマ・シルダッタ)と共に修行していた少年僧が、自分たちの命のために、大蛇から玉子をもらい、代わりに自分が大蛇の餌として、自ら食われるシーンがあった。その事を思い出したのである。釈迦は、何故、あんな風に出来るのかと、真剣に悩む。その甲斐あってか、数年後に、大きな菩提樹の下で瞑想していた時に、半ばひらめきに近い感じで悟りを得る。そうして、弟子が集まり、仏教というものが成立した。現代のインド及びネパールでは、ヒンズー教が主流である。ある学者は、仏教には冠婚葬祭の葬が欠けていたから廃れたという。しかし、私が玉虫厨子を観て涙をこらえたのは、それが仏教の根本概念に結びついているからなのである。要するに慈悲の心とはなんぞや、ということなのだ。仏教的な『慈悲』の心が解らない者に、果たして時代を任せられるだろうか?

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仏像とにらめっこ

 若かりし頃、車中泊の旅で、東へ西へと行っていた自分が懐かしい。そういう旅でも、一度は出家しようかと考えていた私は、寺社仏閣を中心に見て回った。初めて高野山に行き、奥の院で坊さんに質問しまくる。そんな失礼なことばかりを繰り返していた。ロクに仏教の勉強もしていないのに。その甘い考えは、薬師寺の坊さんによって完膚なきまでに打ち砕かれた。彼は言う、「足し算引き算かけ算割り算も出来ないのに、どうやって微積分が解ろうか」と。屈辱感でいっぱいだった。その後、真剣に仏教を勉強した。自分で自分の敵は取ったのだが、解らない事が広がりすぎてしまった。そんな折、同じ奈良の、法隆寺を訪ねた。坊さんに質問などしない。あそこは観光地だからだ。幸い季節柄もよく、国宝を観てきた。その中の片手が欠けた梵天像に、傷ついた私の心は惹かれた。悩み多き二十代、私はその仏像と問答をしていた。どんなことだったかは覚えていないが、とにかく、その仏像の前に一時間は立っていた。私が、『どうしたら泰平の世が来るか?』と問うても、仏像は無言・・・しかし、考えさせてくれるのである。考えているうちに悩んだら、仏像を観る。そこには仏像しかないのだが、何だか、私の悩みを解釈してくれると同時に、「おぬし、まだまだじゃのう」と言われている気がするのである。仏像とは、価値によって決まるものでは無い。自分がこれが正しいと思った瞬間に決まる。下らない新興宗教になどに嵌まっている暇はない。

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軍師・官兵衛の誤算

 今年のNHKの大河ドラマである、『軍師・官兵衛』を毎週、楽しく拝見している。当初は、戦国一の軍師であった黒田官兵衛をアイドルグループ出身の男が演じるということで、観るのをやめようかとも思った。それならば、司馬遼太郎氏の『ああ播磨灘』を読む方が早いと思ったからである。しかしながら、ついついTVを観てしまう・・・基本的に私はTVが昔から嫌いである。しかし、NHK関連のものは目を通す。連ドラを観ていて、涙を流す時もある。そんな中、官兵衛役の子が、確か渡哲也の紹介で、昔から騎乗訓練をしていたことを知った。こいつも人生設計を真剣に考えているんだな、と思ったので、見始めたというのが動機。乗馬というのは、結構、度胸がいるものなのである。私は北海道の牧場で馬に跨がったが、思いの外、高い視点なのに驚いた。それを彼はやっていたのである。自分の将来のために・・・今では楽しく拝見しているが、その努力が映像を通して、私の眼にやって来る。自分も見習わねばと自省・・・ところで、表題についてであるが、黒田官兵衛は秀吉の軍師となる。それ以前の軍師であった竹中半兵衛は備中高松城の毛利責めの時に死ぬ。水攻めにしていた備中高松城の秀吉の陣に、本能寺の変の情報が入った瞬間、黒田官兵衛は「殿、チャンスでございますな」と言ってしまう。信長下での秀吉の立場を見抜いていたのだ。秀吉はこの時から、官兵衛の存在を意識する様になった。その後も、軍師として官兵衛は秀吉の天下取りに協力するのだが、いざ天下を取ったら、黒田官兵衛には、ほとんど恩賞を与えなかったそうである。その事を不思議に思った家臣が、殿、あれはないのでは、と言う中、太閤秀吉は、「あいつに一国でも与えてやると、それこそ天下を取られる」と語った。実際、黒田官兵衛には天下取りの野望もあったのだ・・・考えてみると今の世の中でも、切れ者が切れすぎると、梯子を外されやすい。そんなことを考えながらドラマを楽しみにしている自分がいる。何を学ぶかの為にだ。

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洗濯機のリコール情報

 私がblogをチェックしたり、書く前には、必ずGoogleのニュース欄をチェックすることにしている。一番情報が早いからだ。2月4日(火)のニュースで2005年以降に作られた、東芝及びシャープの洗濯機兼乾燥機のリコールの情報に気が付いた。母に知らせ、翌日には取説と保証書を用意して、電話することを促した。電話番号がフリーダイヤルで載っていたので、早速メモ。書類を用意した母は、電話した。いつ買ったのかとか、どこで買ったのかとかを電話越しに聞かれたが、予め書類を用意していたので、次の日に業者さんが来てくれる様になった。所要時間は約40分ぐらい。パナのチラシ作戦に対して、随分無愛想だとも思った。パナは石油ファンヒーターの件で、全国中にチラシを配り、TVのCMでも注意を呼びかけていた。「あの責任の取り方は見事だった」とパナの友人に語ると、「どんだけ金が掛かったか解っていない」と言うので、私は、「人間の信用なんて金で買えるものじゃあない。でも、行動に関しては誰もが評価する。パナは顧客の信頼を勝ち取ったじゃあないか」と話した。そして、家は東芝だったのだが、リコールが成立した瞬間に、「親戚全員に教えてあげた方がいいぞ」と母に言い、電話を掛けまくった。知っていたのは母の弟に当たる叔父さんで、それでも喜んでくれた。他の親族は知らなかった。すると、リコールに当てはまる例が、他の親族から来た。電話番号は地方で異なると思ったので、情報だけを速攻で伝えた。母が、いいよ、と言う中、無理矢理に促した。そういう情報を聞いて、喜ぶ人はいても、怒る人などいないからである。全て終わった後に、「お中元をタダで贈る様なものだ」と私は母に語った。しかも、情報収集まで出来る。姑息な気持ちではなく、気持ちを送っているのだ・・・もし、このblogを読んでいる方で、上のリコール情報を知らない方は、サーチエンジンなどでキーワードを入れて、即刻、リコール先の電話番号などを調べて頂きたい。当てはまる場合、品物の型番といつどこで買ったかは、東芝の方では聞いてきた。落ち着いて行動されたるがよし、である。

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新年会 2014 その6

 弁護士兼弁理士の友人は、本当に親身になってくれた。いろんな事を話したが、一番強調していたのは、これ以上、甘やなかすなということ。その話をしている時には、私と彼の二人組と、その他の三人で話が別れた。話を聞いてくれた友人に礼を言い、折角の会なのに、辛気くさい話をしてごめん、とみんなに謝った。『Katsu』の店長が、私の馬鹿話や、自分の馬鹿話などで、場に景気をつけてくれる。冗談半分のウソもあったので、「それはない。お前、調子に乗りすぎや」などとツッ込んでいた。宴の最後は、ケーキかアイスクリームという話だったので、店長がアイス好きなのを知っていた私が真っ先に「アイスクリーム!!」。みんなそれでまとまった・・・時間になり、店長が駅まで送りに来てる中、みんな改札越しに、「ごちそうさま、そして、ありがとうな」と言って手を振った。電車で途中までは四人だった。コンピューターで食っている友達に、「電車のダイヤグラムが乱れた際、修復するプログラムはあるのかい?」と聞いたら、「それはない。管制室からの人力なんだ」との応え。その後、途中駅でみんな別れるのだが、弁護士兼弁理士の友人と二人きりで二十分ぐらい話す時間があった。彼は、私に念押しすると共に、会の経緯を尋ねてきた。私は、手短に伝統や人間関係を説明。すると彼が納得。乗換駅に着いたので、握手を交わして独り家路に就いた・・・家に着くと、母は私のいない隙に、弟が我が家に来ることを勝手に受諾した旨を話しので、「これ以上、あいつを甘やかしたら駄目だ」という、友人のアドバイスを元に対立。すると、いきなりの携帯のコール。驚いて取ると、『Katsu』の店長だった。なんでも、スクーターで帰るために、それまで二時間サウナに入っていたとのこと。私が無事帰った報告をし、お礼を言った後に、このネタの『その1』をこれから書く所だ、と言って、お互いきついな、みたいな話をして終わった。店長の優しさに触れた様な気がして、翌日には、いつも通り、『お疲れさまメール』をみんなに出した。

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新年会 2014 その5

 最後の友人の件について話したことは、私も悪いと思っていたが、友人達から、「悩みを聞いてあげて、それで、その人元気になったんじゃあないかなあ」というコメントが多々聞かれた。栄養失調で気絶してぶっ倒れた私としては、難しく思っていたが、それ以上は言わなかった。すると、向かいに座っていた、弁理士兼弁護士の友人が個人的に、「その話は、ストレスのキャパシティを越えてしまったから生じたんじゃあないかなあ」と語り、私も、「そうかもしれないなあ・・・」と頷く。そして、「問題は、弟に借金を申し込まれた方が深いぞ。俺にも何件も、そういう相談が来るんだけれど、繰り返し来る人が多いから話すよ。まず、借金する方は甘えてんだ。だからといって、貸す方にも責任がある。要は、何度も相談に来る奴というのは、甘やかっしぱなしなんだよ。それで、家庭が壊れる。でも、それをストップさせるのが難しい場合、叱っても意味が無いんだ。何度も来る奴は、どんどんエスカレートしてゆく。そして関わった全員が破滅するんだ。だから、借金する本人に自覚させて、ストップを無理矢理でも掛けなければ、その破滅へのスパイラルは止められないよ」と、本当に親身になって語ってくれた。私は黙って聞いていたが、「ありがとう。さすが弁護士だけあって、説得力があるなあ。お袋にもよく言っておく」と言い、「ところで、俺、一回だけ裁判を傍聴したことがあるんだ。それまでは、検事や裁判官に対して弁護士っていうのは、『正義の味方』みたいなイメージがあったんだけれど、実際はクロでもせめて灰色に持っていかなきゃならないし、その下準備も手間が掛かる。俺には出来ないほどのストレスだなって解ったよ」と語ると、彼は、「確かにストレスはたまる。でも、何で俺が弁護士になろうかって思ったのは、結局、睨み合っている人達を少しでもまるくして、仲良くさせるために、両者の間を取り持てる仕事だと思ったからなんだ」と話してくれた。「そうか、ありがとう」と、私は心の底から彼にお礼を言った。

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新年会 2014 その4

 斗瓶取りの極上の日本酒を飲みながら、鍋つついているうちに、私は寝てしまった。後で友人に聞くと一時間ぐらい寝ていたそうである。バチッと起き、「う~ん、よし、目が覚めた」と起きざまに発言。店長がお冷やとりんごジュースを用意してくれる中、一服吸い終わると、「お前、拒食症になる程の、どんな強烈なストレスがあったんだ?」と友人達が問う。いわゆる奇襲である。「それはな・・・」と酔ってはいない頭で話し出してしまった。私が一番ストレスに感じていることは、お金の問題以上に、いくらblogを書いても認められない辛さ、なのだが、それは自分の問題なので、お金の話をすることにした。「blogでも書いた様に、弟から、ウソの断れない理由で金をだまし取られた事が一つ目、俺には話さなくてもいいけれど、お袋への相談も無しに離婚し、汚い社会制度の使い方をして母子家庭にしたことが二つ目」と言った時点で、友人達は、「お袋さんは、保証人になっているのか?」と聞くので、「死んでもならないって言っているよ」と話すと、友人の一人は、「保証人にはならないのが人生の鉄則だし、借金も貸した時点で、やるつもりじゃないといけない」と語り、思わず私も、「そんなことは解りきっていたけれど、折角の二人きりの兄弟だし、一生懸命働いていることも知っていたけれど、弟のカミさんは借金作る天才なんだ。そんな中で弟の生活基盤である会社の金使い込んだ、という風に言われたら迷うだろ?貸した俺が口を出したら角が立つと思って、お袋を信頼して一任していたのに、約束通り返していない時には、家族を疑った。お袋にも弟にも、裏切られたショックで、どぎつく言った。ただ、一時的に怒っても、結局は、無い金はたいて貸してやった俺が馬鹿だったっていう所に行き着く」と一気に喋って溜息をついた。そして、余計なことに、「三つ目は、二十年ぶりの友人の神経が知れない」とまで言ってしまった。勿論、名前は挙げずに。

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新年会 2014 その3

 店長の不満はまだ続く。草加のイトーヨーカドーの横に第三セクターとして成り立っている、『食彩館』の三階に『Katsu』はある。初めて行った時には、ファミレスなどの食べ物屋があって、店長やスタッフは、駅前でチラシ配りや、半ばナンパみたいな形で客を引き寄せていたのだが、その功が奏してか、段々と流行りだした。店長のモットーは、『安くて旨い店で、利益を上げながら、どれだけ勝負できるか』ということだったのだが、店長の腕は確かで、『食彩館』の三階の飲食店から全ての客を奪取。だから、三階は英会話スクールとマッサージ店とテニスショップが入り、飲食店は『Katsu』のみとなった。味が確かなのは、埼玉で行われたB級グルメ大会で、初出場で初優勝したことからも判る。店長は、第三セクターが管理している『食彩館』全体のイメージアップに繋がると思い、宣伝に使うことを要望。お役人の中で二転三転しているうちに、他の店とのテナント料の違いの文句も言ったそうだ。宣伝は許可されたが、テナント料は変わらないという不遇に激怒。第三セクターとして、『食彩館』として成り立っているのに、飲食ではない店のテナント料が安いのはおかしいと訴えたそうだ。テナント料は三年か六年サイクルで変わるので、猛抗議。しかし、相手にされなかったらしく、今回の新年会でぶちまけていた。すると、法律に詳しい友人二人が、「実際に他のテナント料を調べたら決着は早いし、もっと有力な証拠があれば、勝てる可能性が高い」と語る中、別の友人は、「三セクだったら、間違いなくここの建物は赤字だろうし、暇な役人も焦るんじゃあないか」と笑う。店長は真剣に、事情を説明し、坪単価を下げる様にすることを、友人に依頼。「税金の無駄遣いだな、そこで揺さぶれ」などという意見が飛び交う中、私は疲れと体調の悪さで、眠りに就いてしまった。

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新年会 2014 その2

 今回は全部で五人とやや少なめ。しかし、みんな時間を守ってくれる。遠いので、土曜の午後五時スタート。みんなビールから入った。料理が運ばれてくる中、ハイテンションな店長が、いつも通り、料理を仕分けてくれながら、赤坂に店を出したいという話から始まる。これは、様々な要望から、仕方のないことなのだ。既に二十回以上、下見に行ったらしいのだが、競争の激しい上に景気の良くない飲食業を赤坂でやっていこうと思ったら、どうするべきなのか?ということを掴むためなのだが、店長の観察によると、相当、店の入れ替わりが激しいらしく、安い店か高級店かのどちらかになってしまう、とのこと。その上で、マーケティングの話などが、例え話込みで、飛び交った。店長の腕があれば、どちらでも出来るのだが、草加の『Katsu』はリピーターが多く、店長がいる日といない日で、売り上げが倍違うとのことである。それを聞いて、私は、『店長で持っている店は、店長がいなくなったら廃れるリスクが高い』と思ったが、詳しい友人達が多いので、黙って話を聞いていた。ある友人が、「赤坂にこだわらなくても、他にも栄えている所はいっぱいあるよ」とも語っていたし、別の友人は、「借金してまで店を出すのは、やめた方がいい」とも言っていた。店長も、自分の店の資金ぐらい自分で作ってやろう、と思い、株に手を出したが大損。私が、「消費税が8%になったら、株価はかなり落ちるだろうな。飲食業も、もっと苦しくなるよな。そうしたら、赤坂の人の流れも変わるんじゃあないか?早く赤坂に店を出せ、って言う奴なんか無責任だよ。焦らない方がいい」と話した。店長も、「それは解っているんだけれど、このまま終わりたくはないんだよな」と言って、策を練っている顔をしていたが、「いや実は競馬でよう・・・」とギャグを飛ばしたので、みんな、「馬鹿野郎、これ以上、山っ気出すな」と爆笑。

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新年会 2014 その1

 草加の『Katsu』での新年会当日、私は五時間睡眠ぐらいで朝の八時頃起きた。『しまった、早く起き過ぎちまった』と思った。必ず帰宅は午前様になるし、その後一服した後で、blogも書かねばならない・・・それに、ここの所、強烈なストレスが重なり、拒食症気味だったので、その二日前に、栄養失調でぶっ倒れたのだ。『Katsu』のボリュームのある料理のために、毎回、昼は抜く。軽く朝食を採って、しばらくしたら眠気がやって来たので、一時間程の睡眠から目覚めたら、体調が急変し、脂汗をかく様になった。幹事の私がドタキャンするわけにも行かず、しばらく休んでから、特攻精神で行くことを決意。何回もの乗り継ぎがあるので、もし、調子を崩し、駅で休憩する様なことがあったらと思い、いつもより早めの出発。幸いほとんど座ることが出来たので、脂汗を拭きながら、草加に到着、いつもは最低でも三十分は早く着く様にしているのだが、集合時間の一時間半前に着いてしまった。開いているテーブルに通され、店長である友人が、お冷やと灰皿を持ってきてくれた時に、「実は今日、栄養失調で、脂汗が出る中、やってきたから、悪いんだけれど、あまり食べられないかも知れない」と話すと、「どうしたんだ?」と店長。理由を話した私に、「解った。無理すんなよ」と優しく言葉を掛けてくれた。しかし、『Katsu』はパワースポットなのか、一時間ほど座っていると、体調は大分治まったのである。その事を店長に話したら、笑って、「でも無理するなよ」とのありがたい気遣い。ちなみに私がいつも早めに行くのは、幹事として、いろんな事情によって、友人が遅れたりする場合に、常に電話を取れる様にするためなのだ。

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草加の『Katsu』へGo!!

 今日は短くしか書かないつもりである。大学時代の私の友人は、まともにサラリーマンをしている友人が一人もいない。だから、集まったら面白いのである。友人が金を貯めて、開いた店だから、私は新年会に片道二時間半掛けてでも行く。幹事も私であるのもあるからだ。今回は、店長含めて人数が五人となってしまったのだが、久しぶりの友人を誘ったら、「この飲み会、昼飯抜いてきた方がいいな」と言うぐらい、ボリュームがある。しかし、クオリティも抜群。一人あたり壱万円のコースで、何でもあり。しかも、冬場だと、斗瓶取りの日本酒が出てくる。幹事として、店長に、「無理はするなよ」と言うのだが、「このメンバーは特別だから・・・お前だって、遠い所来てくれているんだし」などと笑顔で返される。粋な店長なのだが、ある友人に言わせると、「飲食で11年持たしているのは凄い」といつか語っていた。私も、ある時、ふと、「味の伝承って出来るのか?」と尋ねたら、「八割方は出来る。でも、そこから先は、本人のセンスになっちまう」と断言。「難しいものだなあ」と、私は頷くばかり。彼は誠実な男だが、埼玉県民の県民性は、盛り上がる時には盛り上がるのだが、旗色が悪くなると、容赦なく寝返る様な傾向がある気がする・・・勿論、全員ではないが。同じ日本人として、言い過ぎかも知れないが、店長はそういう波を乗り越えて、ずっとやって来たのだ。新年会が楽しみで仕方がない。

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