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芭蕉の世界 その2

 私は松尾芭蕉とは、単なる俳句の世界を定め、気ままに過ごした旅人だと思っていた。しかし、その当座は、俳句では無く俳諧というものだったらしい。例えば有名な、『古池や 蛙飛びこむ 水の音』という俳句は、「チャポン」という音と共に池に広がる波紋を連想させる。この、『連想』がこのテーマの主題でもあるが、この句は『蛙飛びこむ水の音』が先に出来たそうだ。古来では、蛙と言えば鳴き声であり山吹の花と合体させないといけないという決まりがあった。そこで、弟子が芭蕉に、「その句の最初は、『山吹や』ではどうでしょうか?」と尋ねた所、芭蕉は、かまいもせずに、あの有名な句を作った。これは、古来からの伝統を破る一種の日本語改革でもあった。型にはまった形式美よりも、自分の心を思いのままに表現できる道を芭蕉は築こうとしたのである。そこにこそ、美意識がある、と。これは、江戸では大変に受け入れられた。俳句と言ってしまうと、一つの句だが、俳諧というものは、連歌の様なもので、親しみやすかったのだろう。だから、あの有名な、『奥の細道』の旅路でも、俳諧形式の連歌会を何度も何度も行って、楽しみながら、じっくりと旅を続けたことが解る。連歌とは人々の輪の中で、連なるから面白い。その為の表現形式として、末尾に、『や、か、けり・・・』などの余韻を含ませた言葉で、次の人に回す。この余白が俳諧を支えている。だから全国的に普及したのだ。伴い、識字率も上がる・・・私個人では俳句よりも短歌の方が得意だが、短歌にしろ、俳句にしろ、己のアイデンティティをさらけ出す面がある。当時の人が頭を悩まし、表現したから、日本人というのは切磋琢磨した。それが代々受け継がれ、現在に至る・・・人間は努力するから伸びて行く。同時に、知恵が付くと、気付くことが多い。当然の理屈だ。そうして民度が上がって行く・・・いつか、何故、『芭蕉』と名乗ったのかも研究してみたい。

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