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2013年12月

年忘れ・・・プチ忘年会 その4

 今年も私のblogを読んで頂いた方々ありがとうございました。私にとって今年は今ひとつな年でしたが、皆様が充実した一年をお過ごしになり、来年も良いお年になることを願っております。では、続きを書きますね・・・・・・三人で地元の赤提灯でいろいろと語ることは楽しかった。「スティーブ・ジョブズ氏はアップル社の中でも、『異端』だったんだね」と二人の友人に聞いたら、「その通り」という返事が返ってきた。「優秀な社員というのは官僚みたいなもので、重要なのは、『意欲』なんだ。そういう奴が、組織を動かすんだ」と一人が言うと、もう片方の友人も、「新入社員の面接には必ず俺も参加する。コンピューターの知識も必要だけど、何も知らなくても、『意欲』のある奴は試しに採ってみるんだ。それに、俺なりの組織論も出来てきた」と言うので、「どんなものなんだい?」と聞いたら、「わざと逆のことを言ってみたり、要するに、組織に揺さぶりを掛けるんだ。そうしたら議論が起こる。最終的に責任を取るのは俺だけれど、その議論が面白いんだ」と語ってくれた。私が、「そうか、それで組織を活性化させているんだね」と言うと、彼は美味しそうにビールを飲んでいた。そして、「前に、女と話せない奴採っちまって、「お前ナンパしてこい。これは仕事だ」と言ったら、半月ぐらい経ってからかな、「俺、自信つきました」って言っていたよ」と話すので、「ナンパして給料もらえるなんて、いい会社だな・・・でも、そいつ、暴走するんじゃあねえのか?」と意見したら、彼は涼しい顔で、「そんなことに俺は責任を持てない。彼次第だ」と話した所で、もう一方の友人が、「巷では草食系男子とか言っているけれど、男は肉食を越えた、猛禽類で無ければ駄目なんだ」という持論を展開させた。私はおかしくて笑ってしまったが、確かに理にかなっている話だった。

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プチ忘年会 その3

 昔、一緒に呑んだ友人の一人が言っていったのは、「携帯は滅びない。でも、どうして伸びないのかなあ」ということだった。しかし、アップル社の故スティーブ・ジョブズ氏によって携帯からスマホという流れになったのは、誰もが否めない事実である。何故そうなったのか?ということは置いとくにしても、私が、「俺、今でもFOMA使ってんだけれど」と言うと、友人の一人が、「世の中の99.99%がスマホを使っているこの時代に、貴重な0。01%がお前みたいな奴なんだ」と言われ、けなされているのかほめられているのかよく解らない言い方をされたので、「昔っからdocomoのPと俺の中では決まっていたんだ。だって学生時代の友人がドコモエンジニアリングに勤めていて、もう一人は松下のモバイル戦略室にいたんだ・・・だから、迷うこと無くdocomoのPを買っていた。Pの方の友達(彼等も知っている)は、松下辞めちゃったから、もう、義理立てすることは無いけれど、ドコモエンジニアリングの友達がフェイスブックで真夏の作業を赤裸々に語られたら裏切れない。富士山の山頂でも繋がるのは、docomoだけなんだ」と語った。そして、「買って三年も経たないうちに買い換えるのは嫌だし、俺に電話してくる奴なんか滅多にいない。だったら、いまのままでいいんだ」とも言った。すると、もう一人の友人が、「本当にスマホの知識無いのか?」と聞いてきたので、「俺には必要ない」と応えた。そして、i-phonを開発した、スチーブジョブズ氏の話に入っていった。その時の赤提灯のつまみは鰯のフライだった。

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プチ忘年会 その2

 まもなくビールが運ばれてきて、乾杯。友人二人ともコンピューターには強い。私が以前、『家のホストコンピューターが壊れた』と表現したことに言及。「メインコンピューターなら解るけど、ホストコンピューターと言ってしまうと、一体どんな家なんだよ、って思われるぞ」と言われ、私は、「もしかして、スパコンみたいなのをホストコンピューターって呼ぶのか?」と聞いたら、二人とも笑いながら、首を縦に振った。「あちゃ~やっちまった。取り返しがつかねえ・・・実はな、その、メインコンピューターの電源は点くけれど、下の居間のテーブルで、お袋が買って挫折した、持ち運べないノートパソコンで文章書いたり、いろいろチェックしたり、blogも書いているんだ。メインコンピューターはフリーズ状態なんだけれど、何故か無線LANの電波は来ている。毎日blogを続けている以上、あまりいじりたくは無いけれど、ヨドバシとかでクソ高いセットを買う前に年末年始、出費が激しい中、五万二千円弱の本体を買っちまった」と言ったら、もう一人が、「それ、多分、ディスクが壊れているんだよ。秋葉原あたりで買って交換したら良かったのに。ディスクなんて三年でぶっ壊れるぞ」と教えてくれた。その友人は商売柄、不法侵入が以上に多く、「マイクロソフトのファイアウオールの警告ランプが常に光っていて、意味がねえ。結局は穴をふさぐ作業とのいたちごっこなんだけれども」と言っていた。「二ヶ月ぐらい前に筑波大と京大のスパコンを荒らしたのも、某国のハッカーだったのか?」と聞いた。十数年前の中国での子供向けのNHKのインタビューで、「将来、何になりたいですか?」と聞いたら、「優秀なハッカーになりたいです」という答えの多さには驚いたという話をし、現在、現実問題になっているという話をしたら、二人とも驚きと同時に、100%とは言えないけれど、という前提で、「ほぼ間違いない」という仕草を見せた。

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プチ忘年会 その1

 九月に会って、来年の二月にも会う大学時代の友人二人が、私の地元の駅まで来てくれた。二人とも東京なのだが、時間通りに来てくれた。私は二人との待ち合わせ時間より少し早めに行って、二人が希望する赤提灯の店を探していたら、二十年ぶりぐらいにその店はあった。確認してから、駅の待ち合わせ場所に向かう。二人がほぼ同時にやって来て、すぐに、赤提灯の店に案内した。一軒目で二人とも気に入ってくれ、即決。三人だけのプチ忘年会が始まった。近況報告から始まって、二人ともベンチャー企業のトップ。東京は情報が早いと、つくづく感じた。近況報告が私の番になると、特に語ることは無いけれど、新しい小説を書くことにした旨を話した。そして、一日の生活について聞かれたので、「俺の場合長眠派だし、年末年始はどうしても夜型になってしまう。夜の二時頃寝て、朝は十時か十一時に起きる。寝ぼけを取る為に、三十分はコタツで目を覚ます。それが終わったら、朝食。そして大体、正午頃になる。blogのネタが浮かんでいる際には、小説の構想を練って一行でも書く。ネタが無い時にはあれこれ考える。そうして、撮っておいたNHKスペシャルなどを観て考える。情報も集める。そうしているうちに、昼の二時頃になって、寒いので温かい時間に風呂に入る。冬の風呂は時間が掛かるから好きでは無い。そうして午後の三時か四時頃、おやつにフルーツゼリーを食べる。それから、また、風呂に入る前のパターンが続くのだけれど、起きて六時間経った頃の五時ぐらいから、少しづつお酒を入れる。そして、メールチェック。ここまででblogの構想が出来ていないと日記みたいになってしまうが、悩みながら何かを掴む。そこで夕食を食べる。食べてからは、これまた撮りだめしておいた、NHKの連ドラか、ゴルフ番組でも観て、リラックスする。午後十時になったらフェイスブックをチェック。十一時過ぎからblogを書き始める。書き終わったら、頭のクールダウンのために一時間はゆっくりする。大体、二時頃寝るというのが最近の傾向かな」と応えた。

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オムライスを作ってみて

 六年ぶりに厨房(家の台所)に立った。友人達が単身赴任などで、一番苦労しているのが食事についてだと解ったからである。外食をすると余分なお金が掛かるし、何が入っているか解らない。前に自炊したのは、親父が生きていた頃に母がくるぶしを複雑骨折し、半月間、自炊していた。親父と買い物に行き、二人でお袋に書いてもらったレシピノートを見て作っていた。ごくごく簡単な物ばかりだったが・・・初めて自主的に料理をしたのは中学生の時で、カレーライスを作ってみた。包丁などさわったことも無かった。だから、ジャガイモの芽を取り、皮をむくと、大きさが半分になっていた。それでも、家族のみんなは、「おいしい」と言って食べてくれた。親父が釣り好きだったので、釣ったニジマスのはらわたの取り方も、お袋の見よう見まねで覚えた・・・お袋は神戸の短大の家政学部食物科だったこともあり、一通り手の込んだ料理も出来るのだが、四十頃から、簡単にそこそこの料理を作る(手を抜く)必殺技を身につけていた。私に、「作り方は簡単だから」と言って、タマネギと鶏のもも肉とを用意させた。たまねぎの皮をむき、スライサーでみじん切り風にして、鶏肉を包丁でカットした。その間にご飯をボウルに入れ、ケチャップを取り出す。鶏肉をフライパンに乗っけて塩コショウしながら充分火を通し、タマネギをと混ぜる。頃合いになって、ご飯を入れ、ケチャップを適量加える。そしてまた混ぜる。焦げない程度になったら中身の出来上がりである。次に、外側のタマゴだが、お袋が「タマゴ三つ」と言うので、割って、混ぜ、加熱した別のフライパンの中に放り込んだ。やはり、適度なところで先程のケチャップライスを半分に載せてひっくり返す。簡単なものだった。私は三倍時間が掛かったが、お袋はこれを十分ぐらいで作ると言う。手抜き料理なのだが、うまかった・・・それにしても、昔に比べて、便利な料理道具が増えたものだ。「これを覚えたら、タマネギをスライスしたら親子丼になるし・・・」と五品ぐらい挙げてくれた。お袋も長年主婦やっていないな、と感じた次第。

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小泉、なんでお前が出てくるんだ!!

 政界を引退したはずの小泉純一郎が、度々、政治に口を出している。これは納得がいかない。原発ゼロ政策を直訴したりしている。だったら、自分が総理大臣の時にやれば良かったではないか。そうでなくても、彼はヒトラーに似ている一面があると思う。『わが闘争』の愛読者ではないかと思うくらいに・・・郵政民営化という名目で、彼は衆議院選挙に大勝した。しかし、彼が裏でやったことは、社会福祉の削減である。国庫の借金も増えて、どうしようも無い面もあったのだろうが、お年寄りを切り捨てる法案を次々と通した。これは、社会に役に立たない人間は切り捨てるという方針である。ヒトラーの考え方とそっくりではないか。自分は老後はイタリアでオペラ三昧、と言っていたのには呆れた。中曽根を追放したのも自分なのに、安倍に何かあったら、もの申す。矛盾しているではないか。自分の地盤を次男の進次郎に次がせ、世襲制を維持しているところもおかしい。どいつもこいつも、ふぬけた国会議員の顔は見飽きた。世襲ばかりだからである。ぼっちゃんぼっちゃんしていた奴等などに、既に国政は任せられなくなった。今の民主主義は明らかにおかしい。しかし、それも、国民の責任なのである。どんなに無茶苦茶されようとも。コイツと俺が同じ一票なのか?と疑う時もある。TVに出れば当選すると思っている議員も少なくない。こちらとしては、どんどんどんどん政治的関心が薄れて行く。馬鹿な奴等に何が出来るというのだ。それでも民主主義。責任は国民にあるのだ。つまりそれは、国が誤った方向に向かっても、責任を取る者がいないということなのだ。

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恋をすると誰でも詩人になれる?

 某ネットのページで、『恋をすると誰でも詩人になれる』と書いてあったのに疑問を感じた。そりゃ、誰だって恋をすれば何らか思う事は確かだ。しかし、文章に出来るだろうか?ましてや詩に出来るだろうか?・・・そんなに甘いものでは無いと考える。大人になっての初恋の時、私は日記を付け始めた。とても悩んだ思い出を整理するために。けれど詩は書けなかった。世の中には、どうでもいい詩などたくさんある。大した研鑽も積まずに書いている詩が多すぎる。詩とは書こうと思って書けるものではない。何らかの原因で激しく魂を揺さぶられたときに、自然と出てくるものなのだ。恋は確かに魂を揺さぶる事件かも知れない。ゲーテは八十歳になっても恋をし、詩を書いた。しかし、そんな人は特別なのである。凡人が詩を書こうと思ったら、ひどい努力がいる。人生経験、感受性、文章力・・・数え切れないほどの試練がいる。このblogでも、私が詩を書くことは滅多にない。どれも、駄作だと思う。唯一気に入っているのは、『つむぎ』という詩だけだ。かなわぬ恋心から生まれたものだ。ある時、親身にして下さった占い師さんが、世間話をしていた時にはっきりと僕に言った。詩を見せてもいないのに、「詩では食べてはいけません」と。院の時の友人にも言われた。「お前、授業中、詩集を読んでるだろ。俺には解らない世界なんだ」とも。どっちも骨身にしみた。どうしようもなく哀しかった。父方の亡きじいちゃんは、詩集を持っていた。俳号も持っていた。時々いいのが出来ると、投書し、度々新聞に載ったらしい・・・詩が解るためには、そのバックグラウンドを知らなければならない。短歌、俳句だってそうだ。

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ソエちゃんとクリスマスイヴ~山下達郎編

 研究室時代の同輩で、ソエちゃんという息の会う仲間がいた。彼は文系就職希望だったのだが、すべて一次面接で落ちてしまい、卒論だけは通して、一科目留年をする事になった。卒論も、〆切りの二日前にデータだけ持ってきて、二日二晩先輩とつきっきりで仕上げ、ハッタリの発表でも、そつなくこなし単位をもらった。卒論発表会の時の筆談は今でも覚えている。私の発表が終わった後だったので、手伝ってもらった先輩にソエちゃんは筆談していた。可笑しかったので、私も筆談で、紙を送り、その全容をつかんだ。「今の発表どうでしたか?」、「まずまずだな」、「どうもありがとうございました」みたいな感じ。笑ってしまった。ソエちゃんはこれで、晴れて、選択科目のみの単位を一つ残して希望留年となった。他にも、渋谷にナンパしにいったら、当時のチーマーになぐられたと言うし、笑いが止まらないキャラなのだ。私が修士一年の時の各大学からなるセミナーに参加する時、ソエちゃんを誘った。富山なので、私が車を出し、助手席にソエちゃんを乗せた。前年に発売された山下達郎のベストアルバムを掛けていると、ソエちゃんが不思議そうに言う。「この曲さあ、JRとかだけでなく、毎年聞くけど、矛盾していると思うんだよな。99%来ない女の子のために、待ち続けるっていうのは、メルヘンだけど、そんな男、勘違い甚だしいと思うんだよな。自惚れてるって言うか、現実的じゃあないといつも感じるんだ」とのコメント。手厳しい一手であった・・・Merry X'mas!! for everybody.

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冬至の習慣

 昨日は冬至、友人の誕生日でもある。早速、フェイスブックで誕生日おめでとうメールを送っておいた。もう、二十年以上会ってはいない。これまでの人生の半分以上だ。しかし、思い出多い友達であることには変わりが無い。なんんとも懐かしい・・・さて、今日は冬至ということで、ゆず湯に入ろうかと思ったら、お袋がゆずを買い忘れて、食用のゆずを一個入れただけだった。香りこそ少なかったものの、きれいなゆずだった。それを体に擦りつける。北半球で年で一番夜が長い日、のんびり風呂につかる。快適なものだ。散髪もしたので、震えながら風呂に入り、頭と体を洗ったが、のんびり湯船につかると、その寒さも忘れさせてくれる。湯冷めが嫌だったので、すぐに厚着をした。コタツに入ってもぬくい。後は、なぜだかは知らないのだが、冬至の時にはカボチャを食べるものらしい。私が、パンプキンスープをリクエストしたのだが、お袋は、ゆずと同じく、肝心な牛乳を買い忘れていた。ということで、今日の夕食は、おでんだった。何か冬至らしくない今日の日に、友人の誕生日と、これから日の当たる時間が多くなることに乾杯。『乾杯』といえば長渕剛の歌だが、中学校の卒業式の祝賀会で、新米の技術の先生が歌ってくれた思い出がある。その先生の指導で、僕は機械科を選んだようなものだし、自分でハンダ付けしたトランジスタラジオが鳴ったときには嬉しかった。数学塾では、「お前、技術だけは出来るんだな」といわれてしまったが・・・

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新年会日程確定 2014

 いつも大学時代の友人達との新年会の幹事をやっている私は、みんな猛烈に忙しいので、まずはアンケートから始める。来年の1月4日(土)は中高時代の友人達との新年会が決定しているので、その日は外した。例年なら、そちらも私ともう一人が幹事をやるのだが、来年は別の友達がやってくれる。おかげさまで、今年は大学時代の友人達の方の幹事に専念できた。恒例の草加の友人の店、『Katsu』でやることにしたのだが、例年より遅く出したせいか、いつもよりレスポンスが悪かった。いつもなら二日で済むのに、五日かかったというのは、暮れだからだろう。七人にお声をかけたうち、五人はほぼ確定した。未定が一人。全員のアンケートが揃ったところで、『Katsu』の店長の友人に、来年の二月一日(土)になりそうだけれどいいかい?というショートメールを送った。午後三時頃。しかし、なかなかリプライが来ない。来たのは六時間後の午後九時過ぎであった。『いいよ』とのことだったが、彼のお店も今がかき入れ時、相当忙しいのだろうなと思っていたが、すぐに全員に新年会日程確定のメールを出した。後は、直前に確認メールを入れるだけである。今回のメンツからすると、あまりメカメカした話にはなりそうにない。昔は私が話を振る係だったが、歳をとったせいか成長したのか、人の話をよく聞くようになった。勉強になることだらけである。世間はクリスマス一色だが、とりあえず、私の頭は、年末の地元でのプチ忘年会に頭が行っている。天気が良ければいいのだが・・・

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泣く泣くの出費

 久々に自室のホストコンピューターを付けてみると起動しない。ハードディスクが機能していなかった。普段は居間のコタツで無線LANからの電波でblogや文章を書いているので、気付かなかった。でも、何故、無線LANが生きているのか不思議に思ったのだが、多分、CPU   のうちの一つが生きているからだろうと推察した。そっちだって、いつぶっ壊れてもおかしくは無い。万が一ぶっ壊れると、ネットがまるっきり使えなくなる。そうなってしまうと、中古のパソコン屋か家電量販店で高い買い物をすることになる。年末年始でお金がいくらあっても足りない中、泣く泣く普段は使わない本体だけを購入した。五万強である。評判の悪いWINDOWS8にも対応した、WINDOWS7のOSを持ったものを選択。本当に痛い出費である。前に、年賀状を印刷しようと思ったら、プリンターがぶっ壊れていたと書いたが、壊れていたのは本体だった。かなりのショックの中で、スピーカーもぶっ壊れていたことを思い出した。しかし、基本的には使わないパソコンなので、ヘッドホンでいいかと先延ばし。問題は設定である。ケーブルTV会社のルーターを使っているので、設定が面倒になりそうだ。ソフトのインストールも、かなり面倒な作業だ。幸いデータは外付けハードディスクに全て入れられてあるので、なんとかなりそうだが、これも面倒な作業であることに変わりは無い。使わないパソコンに大枚をはたいて、AMAZONの注文確定ボタンを押すのを何度もためらったが、商売道具なので仕方が無い。貯金しようと思ったら、出て行くの法則が今回も成り立った。

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経過良好で一安心

 さて、寒いけれど、バスと電車でお尻の病院に向かうかと考えていたのだが、初日にもらった資料によると、術後三日目からは車を運転してもいいと書かれてある紙を見付けた。なんだ、そうだったのかよ、という思いよりも、やった!という思いの方が強かった。午後からの診療は1:00からなのだが、混んでいることを予想して、午前11:00過ぎには車で病院に向かう。途中、ガソリンスタンドで水抜き剤とガソリンを入れたのだが、正午過ぎには病院に着いていた。これなら、早く診てもらえるだろう、と診察券を入れた私が受け取った番号札は170番だった。診療中の番号の表示を見ると100番台・・・私が甘かった。午前中の患者の診療が続いているのだった。二時間以上待ち、名前が呼ばれると、挨拶し、ここ一週間の状況を報告。診断の結果、経過良好とのことで、無事に病院通いが終了となった。ただ、血液検査の結果、肝機能が低下していることと、貧血について指摘された。これは、どの医者からも言われることである。会計を済まし、家路に就いた。一週間、禁酒をした私は、家に帰ると、ワカサギの天ぷらを食べながら三時間かけてビールを飲んだ。久々のお酒だったので、かなり参った。天気予報を見ていると、翌日も冷たい雨ということで、早めに行って正解。プチ忘年会のために、夜型にしなければならないので、何だかんだで日付変更線をまたいで書いている次第。これにて、一件落着。

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禁酒一週間

 尻の血栓除去の手術をしてから一週間になる。その間、禁酒していたのだが、タバコの本数は増えてしまった。私にはタバコを吸い終わった後に水を飲む癖がある。また口寂しいので、水分を採る。すると、寝ていても、二回はトイレに行くことになる。これがやっかいだった。アルコールの場合は汗になって出てくるので、この寒い季節、夜中に着替えるのよりはマシだが。それから、ご飯がおいしくなった。一日三度、きっちり食べるし、食べる量も増えた。禁酒当初は、風邪のせいもあり、食事もままならなかったが、風邪が治ったら、猛烈に食欲が出てきた。まあ、お酒の飲み過ぎで、胃が荒れていた面も否めないが・・・尻の傷もおかげさまで痛まなくなった。ただ、痛み止めに飲んでいたロキソニンという薬や、風邪薬を飲んでいたら、便秘になり、二日に一回下剤を飲むという悪循環もあったので、治りはやや悪くなっていたかも知れない。超朝型になっていたのだが、今日は思いっきり寝てしまった。今日の午前中に病院に行くつもりだったが、雪への懸念から、午後から行くことにした。それにしても寒い。一週間後には、大学時代の友人二人との、プチ忘年会もある。なんとか今日で片を付けたいものだ・・・って、超朝型から、夜型に変えなければならないということだ。これは結構きつい。今日のメールで友人のうちの一人に第三子が産まれるそうなので、お祝いもせねば。年末年始はいろいろと忙しい。

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初雪は降るのか?

 初雪が降るかも知れないという。日本列島の南を移動する低気圧の進路次第だが、微妙である。何もなければ、のんびり雪化粧を観ながら、ぼんやりしている所だが、出かける用事が入っているときには、やっかいだ。雪が降らなくても、今日、明日と、曇り時々雨とのこと。寒さが身にしみる。日本の夏は南高北低、冬は西高東低というのが昔からの日本の気象のセオリーである。今年は、太平洋高気圧の勢力が強く、十月ぐらいまで暑かった。かと思うと、十一月後半頃からは、一気に西高東低の冬型に変わった・・・何年か前から、冬に北海道を爆弾低気圧が通過するようになり、おかしな天気図だと思っていたが、今日の気象図を観たら、西高東低の冬型の低気圧と高気圧の緯度が、昔に比べて上がっているのに驚いた。原因は不明だが、こういう現象が、今後も続くのか、一過性のものなのかも解らない。天気予報のニュースでも、気象予報士によって予想が異なる。昔とは明らかに状況が変わってしまった。どの気象予報士も当たり前のことを強調し、予想は微妙なものになってしまった。十年前の気候とは明らかに異なるのに、その頃、予報士になった人は大丈夫なのだろうか・・・私の住んでいる地域で雪が降るとすれば、今晩からだろうが、今朝四時の段階では、雪が降るほど底冷えしていなかった・・・なんだか、人間が自然を破壊して行くと、ここまで自然は猛威を振るうのかと、ここ数年前から考えさせられていることである。

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新年会のアンケート表作成

 年賀状も書き終わり、後はチェックするだけとなった。それが終わったら、明日あたり、郵便局に行く用事もあるので、出してこようと思う。これで終わり、だったらいいのだが、大学時代の友人達との新年会のアンケート表を作らねばならない。いささか、遅きに徹した感があるが、私もバタバタしていたのでやむを得ない。昨晩、『Katsu』の店長にメールを出したところ、一月下旬の方が、コストパフォーマンスが良くなる、との返事だった。確かに一月上旬は正月価格で物が売られてしまうので物価が高くなる。しかし、下旬のみに絞ってしまうと、来られなくなる友人が出てくるだろう。そのトレードオフに頭を痛めているところだ。とりあえず、来年のカレンダーを観てみてから判断するしかない・・・それにしても、毎回々々集まりのアンケートは、私にとって戦いである。こまめにメールチェックをし、友達の予定が割れてしまうことがあるからだ。そういう場合は、早い者勝ちになってしまうのだが、これが、幹事としては一番辛い。その後のフォローにも苦心する。かなりやっかいな作業なのである・・・今年の九月に集まったばかりなので、確かに一月下旬がいいとは思う。それに、友人のうちの二人とは、私の地元で、年末にプチ忘年会を行う。気の合う友人とは何回会っても楽しいものだが、間隔が短すぎる気がするのは私だけであろうか・・・まあ、いいですな。

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史上最悪なblog

 何か今年はあっという間に年末を迎えてしまった感がある。歳と共に時の流れを早く感じるようになると、よく言うが、本当にそうだな、とつくづく思う。充実感があったか?と自問自答してみても、あまりあったとは言えない。なにか、密度の薄い年だった。来年は改善しなければならない。目標を立ててみようか、とも思う。まあ、それは追々考えるとして、とりあえず年賀状を書くことにした。今年は旅にも出なかったし、それならそれで、近場で写真でも撮ろうと思ったら、場所を考えているうちに、歳月が流れてしまった。仕方が無いので、いつしかの写真を印刷しようと思ったら、プリンターの調子がおかしい。やむを得ず、今年は印刷された年賀状を買ってきて、昨日から書き始めたのだが、自分の住所を手書きで書くのが異常に面倒である。もっと深刻な問題は、風邪のせいか、気の利いた言葉が書けないことである。また、ワープロの使い過ぎか、簡単な漢字がパッと出てこないときがあるのだ・・・これは何とかしなければならない。歳のせいか、記憶力も落ちた。発想力も切れ味が無い。風邪を引いているせいだと思いたい。昔ほど、悩みの塊が歩いているような頭ではなくなり、楽にはなったが、思考力の低下はまずい。それが悩みである・・・って、このまとまりのない文章も、何だか情けない。とはいっても、年賀状の〆切りが近いので、後で続きを書くことにするか。

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危ないところだった

 無事、帰宅し、麻酔がいつ切れるかと、ユウウツな気分で待っていたら、6時間ぐらい経っても、痛みがやってこない。その日は、ずっと横になっていたが、麻酔が切れても痛みはやってこなかった。ホッと胸をなで下ろし、その日は余り食欲もなかったので、軽めに済ませた。ちなみにアルコールと辛い物は一週間禁止。翌日、再診のために、再び病院へ。混んでいたが、なぜかすぐに、名前を呼ばれる。そして、患部の状態から、風呂に入ってもいいとのお告げ。そして、次に言われたのは、「もし、処置が遅れていたら、血栓から血が止まらないところだったんだよ」という戦慄を覚える言葉。それはつまり、早い段階で手を打っていなかったら、血栓から血を抜くために、通いで、あの強烈な注射を打たれていたと同時に、お酒も飲めなくなっていた、ということだろう。危ないところだった。そして、「一週間後に再び来なさい」と言われ、再診終了。自宅に帰り、飲みに行こうと言っていた友人二人に、すまないが、日にちをずらして欲しいんだけれど、というメールを出した。二人とも理解を示してくれて、ありがたかったし、申し訳なかった。そして、風呂に入り、横になった。血栓というのは、便秘や下痢が原因でなるらしい。私は、ここのところ便秘気味だったので、多分、それが原因だったのだろう・・・皆様も用心されたし。

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究極的に痛い注射

 一週間ぐらい前のこと、このblogでも採り上げたが、大学時代の友人二人と飲むことになった。風邪を引いてしんどい思いをしていた私も、その頃には治っているだろうと、心配していなかったのだ。しかし、眠りに就き、起きると、尻にできものが出来ている。まあ、ただの痔だろうと、市販の薬を付けてはみても、段々と、大きくなり、『これは、早めに手を打つべし』と、速攻で専門病院に向かう。新患受付をし、二階の治療室の前で待っている間中、『入院コースだったらたまらない』と憂鬱な気分。診察を受けると、血栓ができており、当日に除去手術を受ける運びとなり、『入院コース』ではなかったので、やはり先手必勝だな、と喜んでいた。血液検査を受け、処置室前で勝ち誇った様に待っていると名前が呼ばれ、手術開始。最初に麻酔を打つのだが、いきなり先生から、「痛いよ」と言われ、青ざめた。患部周辺に麻酔を打つのだが、その痛いこと痛いこと。あんなに痛い注射は初めてだった。麻酔が効き、レザーメスだと思うのだが、血栓除去手術自体は五分で終わった。料金は、一万円弱。その翌日(つまり昨日)も来いと言われ、薬局に寄り、次に考えたのは、『もし、麻酔が切れたら、激痛がやってくるのだろうか』という猛烈な恐怖。そんな中家路に就いた。

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絶対安静

 昨日、風邪でぶっ倒れそうな中、ケツの血栓除去手術を受けた。幸い入院はしなくて済んだが、今日も病院に行くことになっている。座ってもいけないし、立ってもいけない、ということは寝ているしかない。絶対安静状態なので、今日はみじかめにさせて頂く。

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ここにきて・・・

 ここに来て、不測の事態が発生してしまった。先程、目を覚ますと、痔主様となってしまったのだ。もう、入院は嫌だなとアンニュイな気持ちであったのだが、出来てしまった物は仕方が無い。入院だけは勘弁してくれと、神に祈る。今日、その道の名門病院に行くつもりだが、現在は何ともない。即入院ということはないので、どうなるかは解らないのだが、早く処置しないと、友人にも迷惑が掛かる。そもそも暮れのクソ忙しいときに、こんな事になってしまうとは!!、とりあえずは、その名門病院でみてもらう。事と次第によっては、友人にメールを送らなければならない。送る相手が多すぎる。未だ、年賀状も書いてはいない。それをやらなかったら、失礼に当たる。悩み多き中、失礼に当たることだけは避けなければいけない。全ては、明日の診断次第だ。医者が即入院と行っても、突っぱねるつもりである。せめて二月にしてくれないかと・・・以前も一週間ぐらい入院したことがある。その頃には、毎日blogをやっていなかった。LANケーブルや電源が入らない場合、パソコンからの操作は不可能となる。そうなると携帯から、つまらない物を送ってしまうことになる。もしも、そうなったらご勘弁を・・・って、友達二人にまずは連絡しないと。即入院は考えにくいし、「飲むな」と言われても、酒は飲む。今から『きつねうどん』でも食べて、とりあえず寝たい。

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忘年会予告

 先日、大学時代の友人二人から、私の最寄り駅の一つで、プチ忘年会をやろうという話が来た。来てもらえるのは、ありがたいのだが、『赤提灯の店』みたいなところがいい、という話に頭を悩ませた。20年前ぐらいだったらたくさんあったのだが、再開発に次ぐ再開発で、そういうお店は消えてしまい、代わりに普通の居酒屋がたくさん入ったビルなどができてしまったのである。その旨を二人にメールで知らせたら、それならそれでいいよ、というありがたい返事が返ってきた。折角、私の地元まで来てくれるのに、居酒屋じゃあ芸が無いなあ、と思った私は、そういやあ街の奥に、たしか小さな沖縄料理の店があったはずだ、と思い出した。沖縄料理といえば、豚料理と泡盛がメインだ。記憶違いだったら申し訳ないが、とりあえず、他の店も含めて、三人で散策してみようということになった。最近はヤバイ店は減ったのだが、それにも用心しなければならない。もし、『赤提灯の店』があるとしたら、駅から一番奥に入ったあたりなのだ。その辺にしか、昔の風情はない。大学一年の時に、『赤提灯の店』を二軒はしごした記憶がある。二軒目は焼き鳥屋だったと覚えてはいるのだが、ヤバい一角の一軒だったはずだ(その店は健全なのだが)・・・来てくれる友人は、とてもありがたいが、私に、あと五日以内に風邪を治せ、と言われている気がしてならない(笑)。

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『薫ちゃん』のレッスン

 先週は、あの宮里藍の実兄である宮里優作プロが初優勝した。これまでの妹の活躍を観ていて、死ぬほど辛い道程があったのだと思う。ゴルフというのは、リードしていても、いかに勝ちきるのかが難しいところが、囲碁・将棋に似ている。晴れの一勝を挙げて、これからも活躍してもらいたい。もう、宮里藍のお兄ちゃんではなくて、プロゴルファー宮里優作なのだ。拍手を持って迎えたい・・・一方で私は打ちっ放しに行ってもスライスばかりしていた。これを直してくれたのが、何をあろう、ケーブルTVのゴルフ番組で御高名な、青山薫プロだった。ゴリラの様な顔をしているが、日体大卒で、自分のことを、『僕』と呼び、どんなゲストにも丁寧語を遣うところに好感を持った。私は気軽に、「薫ちゃんのゴルフ観ないとなあ」などと言っているが、真っ直ぐ飛ぶ様にアドバイスしてくれたのは、他ならぬ『薫ちゃん』なのである。基本から応用まで、細かく指導してくれる(ただ、パットは得意ではないようだが)。まず、ゴルフは下半身で打つ、ということを教わった。次に、真っ直ぐ飛ばすコツは、インパクトの瞬間まで首を動かさないことだ、ということも教わった。それで打つと、確かに真っ直ぐ飛ぶのである・・・練習場などに行ったら、おっちゃんからもアドバイスを受ける。「7I位でフォームを固めた方がいい」とか、「脇に割り箸挟んで、庭で練習しろ」などなど・・・青山薫プロは、基本を丁寧に教えてくれる。理屈通りに教えてくれるから、わかりやすい。もっと他のプロの指導では、感覚で覚えているから、解りにくい点も多いのだ。バレーボールの河合も日体大らしいが、「お前も低学年の時にやられたろ」と言っていたが、体育会系では、それが当たり前なのである。

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水曜日のコメンター

 私のフェイスブック(以下FB)での友人は、ほとんどが中・高時代の友人ばかりである。学生時代に余り親しくなくても、この歳になるとみんな仲良くなるから不思議である。もちろん、親しかった友人も多い。高校で文系と理系に別れてしまったりするので、同じクラスになれなかった友人も多い。もう、ずいぶん昔のことなので、忘れてしまった事も多いが、同じ学舎で過ごしたどうし、結束力は固い。FBで友達リクエストが来ると、99%友達になる。学歴とか勉強が出来たとかは関係ない・・・そんな中で、水曜日に残業無しの友人が度々コメントを寄せる。その友人がいっつも瓶ビールの写真を載せるので、缶ビールの写真ばかりだった友人の話と対にしてツッコミを入れたら、『いいね』が来た。彼は神戸勤務なのだが、しばらくして、素晴らしい紅葉の写真をアップしてきた。当然のことながら、私は『いいね』ボタンを押し、コメントを入れた。そんな彼が慰安旅行で奥飛騨に行ったらしたのだが、升で日本酒の冷やを呑んだ写真がアップされていた。多分ヒノキの升だと思うのだが、清流みたいな日本酒と、升のヒノキの香りがマッチして、絶妙な風味を出すのである。これに奥飛騨の新鮮なつまみを肴にしたらと思うと、よだれが出てくる。しかも、別の店では、100円のおちょこを買うだけで、4種類ぐらいの日本酒の試飲をし放題というのだから、極楽すぎる。私も金を貯めて下呂温泉経由で行ってみたいと思った。

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ラーメンと餃子とビール

 塾講師時代、バスと電車か、原チャリか、車で通っていたのだが、独りで電車とバスで帰る時の唯一の楽しみは、電車を降りて、駅前の中華料理屋で、ラーメンを食べてから家路に就くことであった。結構流行っている店で、ラーメンが出てくるまでに時間が掛かったので、それまでに、餃子とビールを頼み、餃子をホクホクしながら、ビールを飲むのも絶品なのである。そうすると、一日の疲れが一気に取れる気がした。そうして、サッポロ味噌チャーシューの中盛りがやってくると、緑のニンニクを小さじ2杯に、コショウをかけて、チャーシューをつまみながら、麺とスープをすする。食べ終わったら、お金を払って素早く立ち去る。約千円ちょいなり。「ごちそうさまでした」と言って、店を後にするとバスターミナルに向かい、終バスで帰ってくる。家に着いても、すぐには眠らず、冷蔵庫のビールを持ってパソコンに向かい、生徒向けの問題を作ったりしていた。車で近所の講師仲間を連れて帰ってやる際も、別のラーメン屋に寄ったりもしたが、あの、ラーメンが出てくるまでの餃子とビールの至福感が無いのが残念なのである。車や原チャリの方が便利なのだが、バスと電車で帰ってくるというのも、なかなか楽しみがあった・・・今日は餃子とのことで、あの懐かしい味が蘇るだろう。

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ネルソンマンデラ氏の死

 元南ア大統領のN.マンデラ氏の死を知ったのは昨日のことであった。国葬になるらしいが、氏のことは、密かに尊敬していた。明らかに、人類のために偉大な一歩を残した事は間違いがない。アパルトヘイトみたいな無茶苦茶なことが、本当になくなるとは、ガキの頃の私は思ってもいなかったのは、南アは資源が豊富で、多少の国際世論では、動じないだろうと予測していたからである。金になる国、日本とは、黄色人種なのに名誉白人として商売をしてきた。故親父が、シンガポール経由で南アに行った時も、案内役の人が車を運転していたのだが、道に人が寝そべっていたらしい。でも止まらないのだそうだ。止まったら、その集落の連中から何をされるか解らないぐらい、治安の悪い国だったと聞いた。やがてマンデラ氏が27年間投獄された、三畳とトイレだけの南アの沖の監獄所から解放されたというニュースの時には驚いた。アパルトヘイト撲滅のリーダーが解放されたからである。そして、黒人初の大統領となった。大統領になっても、朝の暗いうちから働いて、決して黒人が白人に報復しないように指導した。普通の人に出来ることではない。マンデラさんには高い志と夢と智恵があったに違いない。我々はこれを引き継いで行かねばならない。皮膚の色や血、民族性などで争いが起きることのバカバカしさを、身をもって示してくれた。ここに尊敬と追悼の言葉を残すことは、極めて名誉なことである。95歳・・・惜しい方を亡くした。

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みかんの不思議

 不運なことに風邪を引いてしまった。昨日一日寝っぱなしだったが、広島の叔父さんが瀬戸の実家に帰った時に取ってくれたミカンだけはなんとか入った。ミカンの不思議なところなのだが、どんなに調子が悪くても、なんとか食べられる果物なのである。うどんも食べたが、1/3玉を食べるのが精一杯だった。しかし、ミカンだけは何故か食べられるのである。フルーツゼリーも2個食したが、栄養失調気味なのは確かだ。このblogを書き終わったら、お粥でも作ろうかと思っている・・・今回の風邪は、体調が悪く、頭痛がし、鼻水がやたら出てきて、喉が痛いという、典型的な風邪である。年に最低二度は風邪を引く、私の至らないことったりゃあ、ありゃしない。今日も無理をせず、寝ながら、blogのネタの仕込みでもしておこう。それでは、失敬。

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父の教育方針

 私の母は、「勉強しなさい!!」と一日に三度言わなければ、気の済まない人だった。それに対して、父からは何も言われたことがない上に、何も教えてくれなかったが、遊びにはちょくちょく誘ってくるのである。当然、私も遊びの方に嵌まる。モノポリーや人生ゲームなどをやっていたら、いっつも父が1着だった。当たり前である。父が銀行役をやり、その金をお袋へのワイロに使ったり、何だかんだ言って着服していたのだから。でも、一時的に怒っても、憎めなかった。『世の中にはこんな奴ばっかりだから用心せい』という教訓を学んだ。つまりは、そいつらの一歩上を行かないと、人生なんて渡っていけない、ということだ。親父のイカサマを見抜くのは大変だったが、ものすごく人生勉強になったと思う。ただ、試験前にもやってしまい、当時、学年で240人中235位を取ってしまった時には、さすがの親父も、悲しそうな顔をしていた。せめて100番台にはしないとまずいと、幼心に思った。親父の晩年、「何で勉強しろって言わなかったんだい?」と聞くと、「親の両方から言われたら窮屈だと思ったからや」と応えてくれた。親父は、私にガリ勉させたくなかったのだ。それよりも、視野を広げろということを教えてくれたのだろう。高校時代には、数学と英語をみっちり勉強しながら、深夜放送も聞いていた。おかげで、通学途中の電車の中では、膝がガクッときて、ドア脇の手すりに思いっきり、顔をぶつけて、泣きそうだった。

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遺伝学について

 私と弟は母と父のどちらを受けたのか?という疑問が生じた。私は酒もやるけれど、弟は弱い。この点で私は父の系統であることが解る。しかしながら、究極の晴れ男である運は、お袋の婆さんからもらったようだ。まず、私と弟の違いは、よく解らないのだが、弟が文系で私が理系な気がする。弟は詩、ましてや本など読まない。しかし、一旦営業をやらせたら、120%はたたき出す。この辺は父方のばあちゃんと母方のじいちゃんと、ひいじいちゃんの血をもらっている気がする。私は、金よりも運を選ぶ方であるから、確かに母方のひいばあちゃんの血も引いているのだろうが、性格とか考え方とかを考えると、父の親父に当たる、じいちゃんの血を引いている気がしてならない。読書家で、坊さんの説法に行ったり、俳句にのめり込んで、師匠から、『竹雨(ちくう)』という俳号をもらって、新聞に何度も俳句が載る様な人だったらしい。面白いのは、父と爺ちゃんで将棋をしている姿を横から見たら、二人とも同じ頭の形をしていることであった。お袋に言わせると、私も同じ頭の形をしているそうだ。そして顔の下半分は父方のばあちゃんそっくりだ、と、ありがたい話をしてくれた。母方のじいちゃんには、生きるすべを教えてもらったし、ばあちゃんは戦前、物理99点を叩き出して、単純労働を免れたそうである。「それって俺と同じだ」と言ったら、母から、「いつ?」と聞いてきたので、私が中一の時に地理で99点取った話をして、「あれ、百点狙ってたんだけど、日本の冬の気候をユーモアたっぷりに図入りで書いたんだけど、『夏は?』で1点引かれちまったんだよな」と呟くと、「あんたもアホやねえ」と言われてしまった。

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アホたれ

 私が本部から薦められて、通う塾の塾長は馬鹿であった。何にも本は読まないが、それで、リフォームの仕事としていた。私が塾長が洗車している姿しか観たことがない。棚ぼた地主の典型的な例ではないか。兄貴は3浪していて、妹は塾の事務担当。兄貴には、新車のクアウンを買った際に、古い方をやったそうだ。それには後部座敷にマッサージチェアーが就いていた。妹は1/2aとa/2なども解らないおばかさん。英検四級の本を真面目に読んでいた。その当時の塾講では、英検二級ぐらいの実力は持っていたのだが、講師室には(ハッタリ野郎は例外)いくら経っても、笑いが絶えなかった。それを嫉んだお嬢様は、私達の会話について行けず、『塾は9時30分で終わりです。という張り紙を張った』という。これに激怒した講師陣との間で亀裂が入った。本人も面白くなかったのであろうが、こっちは本来の1.5倍分の仕事とをさせられて、やってきた。基底を変えるには、講師同士の話し合いも重要なのである。親方が、一方的に決めるのは理不尽だと思う。大体、この管理職を任せられた、塾の娘が一番の犯人である。塾長も私が辞めることも知っていたらしいが、授業の終わりに、巨人戦を観て、ビールを飲んだ表情ありありだった。塾講師や生徒からも見捨てられていた。

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物書きの気持ち

 物書きとは、昔から哀れな性分である。あるTV番組で、「書くのが楽しくて楽しくて仕方が無い」という人がいたが、その人は、日記でも付けていたらいいのである。いっぱしの物書きは、みんな、泣きながら書いているのだ。仕事量に比べ、割の合わない報酬を受け取り、いつも頭の中はレッドゾーン。こんな毎日を送っているのだ。売れれば『先生』、売れなければ『ひきこもり』と近所からは言われる・・・前に寿司を一緒に食った友人が言っていた。「あの、司馬遼太郎でも、書けない時には、寿司屋に来てたらふく食ったそうだぞ・・・天才なんていないのかもしれないな」と。私は黙って聞いていたが、「俺でも、書けない時には、泣きながら書くぞ」と言った。同じようなことを三島由紀夫も語っていた。「いつも鼻歌交じりで小説を書いているわけでは無い。時には脂汗をかきながら書いている」と。私は、三島は嫌いだが、文才は認める。きっと、あの人も泣きながら書いていたのでは無いかと感じる。五木寛之だって最初からっ最期まで、下らない小説を書いていたが、一年ぐらいのオフを取っていたじゃあないか・・・この人の文才は全く認めていないが、泣き続けていたのは解る。十五年ぐらい前に或る大学の友人が我が家に遊びに来てくれた時、「今、書けないんだよな、俺」と言ったところ、「あの、夏目漱石でさえ、血を吐いてでも、締め切りは守ったそうだぞ」と言われ、何も言えなかった・・・だから、blogは、意地でも続けているのである。

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ATMに宝くじボタン

 銀行のATMに『宝くじ』と描かれているボタンが登場した様だ。主な内容は、ロト関係で、最高7桁まで行くという。数字は、『お任せ』か、『個人入力』に限られていて、当たれば個人の預金に振り込まれるという。便利な様だが、このシステム、厄介でならない。ATMが混みすぎるばかりか、ボタンに誘われるのである。親には、「絶対に押すな」と言ったのに、ついつい一口1500円のボタンを押してしまったそうだ。そう聞くと、私も連打しそうな気持ちになるが、お金というものは、コツコツ貯めるところに意義がある。私は、「絶対に宝くじを勢いで買うな」と言っていた。宝くじの期待値など50%に満たないからだ。多分、40%位であろう。期待値とは、確率×元本のことで、例えばJRAならば75%である。こんな非道い博打があるものか。割が合わなくなって来すぎているのだ。競馬の場合でも、テラ銭を25%も取られたら、勝負になるはずがない。それだけテラ銭を取っているから、CMを流したり、ピカピカの競馬場を作れるのだ。ましてや、宝くじなぞ、千枚買っても、半分以上が数百円である。こんなばかげた博打をする奴は、馬鹿である。確かに当たったらでかいが、確率と相談してみるものである・・・昔、風水に頼って宝くじを当てる人という話があったが、友人の奥さんが雄弁に語るので、私は、「多分、その人は本当のことを言ってはいない」と発した直後、友人も、「その通りだ」といったら、奥さんは、「八百長ってこと・・・?」と言ったので、私が、「勝負師が自分のセオリーをTVなんかで話すわけないでしょ」と言ったら、絶句していた。

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