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『養病』ということ

 仏教でいう四苦とは、人間誰もが逃れられないとされる、『生老病死』のことである。それに伴い、『養生』とか『養老』とか『養病』は聞いたことがあるが、『養死』というのは聞いたことが無い。これは、仏教の説いている教えのアンチテーゼとなってしまうからでは無いだろうか。一方で、私の友達でも、『養生』している友人は多い。しかし、一生治らない病気に掛かってしまうと、『養病』するしか無いのではないか?と考える事となった。私の第一印象では、病気と仲良くつきあっていくことだと思った。いろんな重い疑問を抱えて、三ヶ月ぶりに主治医の所へと重い足を運んだ。私は主治医を全面的に信頼しているが、忙しさからか、間の抜けたところのある、誠実な先生である。私は、『養病』の定義を聞きたくて、足を運んだのだが、主治医はその言葉を知らず、逆に質問されてしまった。何と言えばいいのか、私も15秒くらい考えたが、例えとして、「盲腸は切ってしまえば治りますよね・・・でも、私の病気は一生治らないと覚悟しております。こういう場合、ものすごいストレスなんです。精神安定剤の様にお酒を飲んでしまうこともあります・・・でも、考え方次第なんですよね。治らない病気を治そうとしたから、僕は苦しんだのだと思います。普段は、ほとんど薬も飲みません。軽い病気だとは解ってはいても、辛い物は辛い。人生では捨ててきたことばかりです。けれど、三十を越えてからは、親父の死もあり、苦しむことも少なくなりました。病気を受け入れたからでしょうか」と説明すると、主治医の先生も、なるほどという顔をして、「病気を遠ざけたい、という気持ちが強すぎると、葛藤し、苦しむ。君は、今、とても穏やかな顔をしているけれど、病気と共存するということを受け入れたからだと思う・・・でも、現在の医学では、完治する方法が、まだ無い。だから、受け入れることも強さだと思うよ」と言って下さった。主治医の先生は素直な方なので、私の話で解らない単語等があったら、素直に、「教えてくれるかい?」と聞いてくる。かわいらしいと思っては失礼だが、誠実な方だ。そんな先生に最初から出会えたことを幸運に思う。本当に感謝している。

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