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2013年10月

二十年ぶりの再会・・・朝帰り その5

 二十年振りの友人が、「赤貝は大丈夫か?」と聞いてきたので、「問題ない」と言って、ビールを乾杯してから、刺身で食べた。彼は、「うん。結構いいネタだ」と言うので、改めてチェックすると、確かに旨い。最後は大トロでシメようかと思ったら、彼の、「板さん、お勘定!!」と言う声で吹っ飛んでしまった。私は中・高時代からの友人である彼を、信頼していたが、勘定はワリカンの筈だったが、彼が払った。二人で二万円。その後、台風が気になったが、二次会にバーに行くことになった。もう、こうなったら、とことんつきあう覚悟を決めた。BARと言うから、私は一番好きなカクテルの『ダイキリ』を頼んだが、友人はビール。「ダイキリってどんなカクテルなんだい?」と聞かれても、「俺が一番好きなカクテル。ラムベースなのは知っているけれど、他は知らん」と応えた。「一口飲んでみるかい?」と言ったら、彼は拒否。僕もビールを飲む様にした。細かいポップコーンの出来損ないみたいな『お通し』が来て、私は窓の外を見ながら、台風を警戒していた。友人には私の二十年を聞かれ、大学院の助教授や先輩とも合わず、大学院二年の時に退学届を出した。それから、(返してはいないけれど)親父に五十万借金して、ヨーロッパに行った。旅先で三回スリに遭って、一回はスられ、公園の鳩を捕まえて、焼き鳥にして食ってやろうかと思った。カネがなきゃあ生きてはいけないんだなと感じた俺は、その後、三年半塾講師をして、上のバカ塾長と下の講師連中との板挟みになって、言いたいこと言ってクビになった・・・同時に三人ぐらい辞めたけどな、と言い、その後は旅人になった。沖縄以外の都道府県、全部、車中泊で行ったぞ、と言ったら、それはすごい、と言われ、「で、三十代は?」と聞かれた。

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二十年ぶりの飲み・・・朝帰り その4

 「あのな、うちの親父は原子力技術者だったんだ」と言い、続けて、「今、原発反対の運動が起きて、作家の大江某とかが調子に乗っているけれど、この国から原子力技術者がいなくなったら、どうなると思う?うちの親父は半月で核作れるって言っていたぞ。それに、そもそも、原発を解体する技術者がいなくなってしまうんだよ」と語った、そして、「親父はお国のために死んだんだよ」と話した。友人が黙っていたので、続けて私が、「親父は会社の中では、溶接が専門で社長賞も人に譲るぐらい取ったし、そのお金は家庭に入れず、部下や、現場の人達の飲み会の時に使っていたらしい。そしてな、親父は原発でトラブルが起きたときに、出張に行ってた。親父が来たのが解ると、騒がしくなるから、昼間は車で寝ていて、夜に出動したらしい・・・部下連れて行ってんだから、真っ先に入るのが親父の性分や。福島第一は、親父が入社する前から在ったし、親父のメンテナンスしたところは、全部、大丈夫だった。だから、ガイガーカウンターに引っかかって、シャワーを何度も浴びた話を聞いたことがあるよ。現場で最も信頼していた人は、骨のがんになった。親父の右腕の人だったけれど、多分、ストロンチウムを浴びすぎたんだよな・・・」とまで言ったら、彼は黙っていた。親父は本当に、お国のために殉死した様なものなんだよ。と語ったら、彼は、「連れションして、店代えるか」と言ってくれた。連れションしている間も、台風のことが気がかりだった。

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二十年ぶりの再会・・・朝帰り その3

 喫煙所から寿司屋に戻り、彼が、「巻物行くか」と言うので、うにの軍艦から始まった。二人して、飲み放題の様にビールを飲みながら話していると、彼の大学の試験では、センター試験以外に、二次試験でも数学があったと聞いて驚いた。それも、結構、比重が高いと言う。「だから、税理士になれたんじゃあねえのか」と私が言い、私立文系の友人で、高田馬場に近い大学に行った友人のことに触れ、「論理が全く通じねえ馬鹿もいるらしいぞ。そう考えたら、数学って、結局は、論理学なんだよな・・・君の大学は、二次試験で数学がある分、そういう馬鹿がいなかったって事になるな」と言い、うにの軍艦をつまんだ。彼は、「俺も含めて、バカな奴は多かったぞ。でも、愛校心はある」と言うので、ガリで口を清めてから、「俺もバカだったけれど、愛校心はあるなあ。もし、俺が結婚して、ガキができたら、通わせてやりたいけれど、大学院で中退したから、多分、入学試験で満点採っても入れないだろうなあ・・・」と嘆いた。すると彼は、「うちの長男も小4で野球に燃えているけれど、日能研に通わせ始めた・・・どこで切り替えさせるかが難しい・・・ところで俺たちの通っていた学校の今の偏差値知ってるか?」と言うので、ビールを飲んでから、「72って聞いたよ。インフレだな」と私が言うと、「そうなんだよ、息子は、俺たちの母校には入れないかも知れないけれど、お父さんと同じ大学に行く」って言うんだよな。かわいいんだけど、無謀なんだよ、と嘆いていた。軍艦のいくらを食べて、ガリで口を清めてから、「君の子供は水泳で学校史上最高タイムをマークしたんだろ。やるときにはやるさ」と言うと、「いや~俺とカミさんの知能指数を2で割った感じだからなあ・・・」と言うので、タバコ吸いに行こう、と私が誘った。そして、話題を変えるべく、うちの親父の話を、私はしだした。

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二十年ぶりの再会・・・朝帰り その2

 電話に出損なって(うるさくて)、大慌てで掛け直すと、友人の声がした。「今着いた。タバコ吸ってから向かう」という声がした。懐かしいなあと思いながら、寿司屋でお通しとビールだけで待っていた・・・「よう、久しぶり!!」という声で破顔一笑。二十年ぶりの再会だった。私は、寿司屋のカウンターで食べることに詳しくなかったので、彼に一任。すると、刺身から始まって、乾杯の後、私は、「忙しい中ごめんな」と言い、彼は、「待たせてごめんな」と言う。二人ともビールで乾杯。二十年のギャップを埋めるべく、いろんな話に花が咲いた。とりあえず、私は、「外、雨降ってたか?」と聞いたら、彼は、「う~ん、外、通ってないなあ」で終わり。私も、「まあいいか」と言って、二人してビールを飲みながら談笑。彼は、「ここのネタも案外いけるなあ」と言うので、真面目に食べてみたら、口の中でとろける。ニコニコしながら、「旨いなあ、今日の日のために、金を降ろしてきた甲斐があった」と言いながら、様々な話題で盛り上がり、連れション。一服して店に戻り、二十年前から今までのことを話した。彼は、一浪して、都内の国立で唯一の文系単科大学に合格。私は同じくして、宅浪で女性に最も人気がある私立の大学の理系に、補欠で合格。大学一年の時、同じ大学に合格した友人と、彼の下宿に突撃したら、空振りで、二時間ぐらい二人で黄昏れていたところ、彼がチャリンコで帰ってきてくれて、三人で飲んでいるうちに、彼が、「お前だって補欠で合格したんじゃないか」という話を聞き、私は、そいつに黙って根性焼きをした。二人とも一浪で、某予備校に通っていたらしいが、私が宅浪時代の話をすると、「君、凄いねえ」と彼が言った。「当たり前やろ、小学校五年の時、IQ学年トップだったぞ」と言ったら、彼も、我々の中・高に入ってから、クラスの担任に呼ばれた話をしていた・・・何か空しくなって、「気付きすぎるのも、疲れるんだよな」と私が言うと、彼は、「確かに」と言った。

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二十年ぶりの再会・・・朝帰り その1

 中・高時代の友人と二十年ぶりぐらいに会うことになった。台風が直撃するという予報だったが、友人が行こう、と言うので、覚悟を決めた。寿司屋で待ち合わせしていたのだが、肝心な、携帯番号の交換をしていなかったので、私の携帯番号を知らせて、台風がひどくなる前に家を出発。お袋に、「ただいまより出発します。生きて帰れないかも知れません。神風特攻隊か片道燃料のみを積んだ戦艦大和として、二十年ぶりの友人と会ってきます」と言って敬礼した。午後7:15分の待ち合わせだったが、4:30過ぎには着いてしまった。着いたら雨は止んでいた。とりあえずデパートのレストラン街にある店を確認。その後、本屋で立ち読みでもしようと思ったのだが、面倒になって、レストラン街の中にある喫煙室でタバコを吸いながら、のんびりしていた。入ってくる人をチェックしていたら、案外、若い女性の比率が多かったことに驚いた。割合でいうと、男女半々ぐらいである。まーだかな?と時計を観ても、時計の針は5:30。寿司を食うというので、昼を抜いた私は、めまいがしてきた。黙って待っているだけではつまらないので、喫煙所に来る人達を観察していた。ため息をつく様にタバコを吸う人、高級ライターで火を付ける人、この女の子、かわいいのにタバコを吸うのかと思う人、様々。6:30になって、喫煙室を出てトイレに行き、寿司屋を偵察していた。カウンターが混み出していたので、6:50頃に店に行き、カウンターで二人との注文。外で待っていたら、7:00には入れた。7:15の待ち合わせだったので、板さんに、「とりあえず、飲み物だけで」と言って、時計と眼鏡と携帯を置き、ビールを頼む。携帯もマナーモードを止め、二十年ぶりの友人を待っていたら、まもなく音が鳴った。

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徹夜です

台風の中、徹夜での飲みの最中です。

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寿司が食いたくなるとき

 本日、二十年ぶりの中・高時代の友人と寿司屋で待ち合わせをしている。積もる話とストレス発散のために行くつもりだが、問題は台風の動きである。帰りの電車が止まらないかが一番心配でもある。今日の昼に、行くか、先延ばしにするかが決まるのだが、私としては、是非とも行きたい。何せ、二十年ぶりである。私の人生の半分の歳月でもあるからだ。現時点では、私の住んでいる地域は雨が降ってはいない。しかし、待ち合わせは夜なのだ。二次会に飲みに行ったら、帰宅困難になる怖れがあるが、状況によっては、勢いで行ってしまうかも知れない・・・ところで、皆さんは、寿司ネタのうちで何が一番好きだろうか?私が苦手な物は、アナゴと玉子である。私は刺身か、カッパから入る。ちょこちょこビールか日本酒でもひっかけながら。巻物が終わったら、本格的に板さんに頼み出す。そりゃあ、大トロが舌でとろける快感ったらない。でも、いくらも捨てがたい。うにもいいかな・・・そんなことを考えていると、本当に楽しみになってきた。旨いものを食べながら、二十年ぶりの友人と話す。考えただけで幸せだ・・・それにしても、寿司用語には日本文化を感じる。『アガリ』はお茶のこと、『ムラサキ』といったら、醤油のこと、『本ワサ』といったら、市販のわさびと異なり、醤油の中でのとけ方が違う、本物のわさび、『ガリ』は口直しの、あのショウガのこと・・・奥が深い。今の私が考えていることは、『ムラサキ』をシャリに付けようか、ネタに付けようかなどということである。時々の気分によって代えるのだ・・・それよりも、頼むから、台風よ、来るな。そして、俺を無事に帰してくれって、昼飯は抜いて行くつもりだ。

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みかん二度切り

 小学校一年の時と三年の夏休みに、弟と二人で瀬戸の爺ちゃん婆ちゃんの家に世話になっていた。お盆に家族四人で帰るのだが、親父の仕事の都合で、両親は一足早く帰っていた。みかん農家だったので、夏にすることなんてあるのかな?と思っていたら、毎日、爺ちゃん婆ちゃんは出て行く。ある朝、弟と一緒に早起きして、爺ちゃん達と一緒に、段々畑を登った。すると『テッカ』をすると言う。私は、『テッカ』てなあに?という暇も無く、爺ちゃんは山に登っていった。当時の婆ちゃんの説明によると、より美味しいみかんを作るために、余分なみかんを『テッカ』するのだと言う。何かもったいない気がしたが、『テッカ』はまだ早いから、農道待機を命じられた。最初は、爺ちゃん婆ちゃんが『テッカ』したみかんが転がってくるので、弟と二人で、農道に横並びにしてみた(冬から出荷のみかんだから、夏にはとても食べられない)。それに飽きたら、弟とキャッチボールをした。それでも飽きてしまったので、爺ちゃん婆ちゃんの指導の下、『テッカ』を一本だけやらせてもらった。楽しくて、そのみかんの木の実を全部取ってしまった。これでは『テッカ』にならない。爺ちゃん婆ちゃんは何も言わなかったが、みかんの実の切り方が面白かった。木から採るときに、一度切る。そのままコンテナに入れてしまうと、みかん同士が差し合ってしまうので、二度切りするのだ。その作業を、『ヘタトリ』と呼んでいたが、木から切って、さらにヘタの部分を二度切りするのだ。ハサミもそういう風にしやすい構造になっていた・・・作業が全て終わってから、軽トラで帰ろうとすると、爺ちゃんが横一列の『テッカ』されたみかんを観て、「おんしらがやったのけえ?まあええじゃろう」といって家路に就いた。『摘果』にしろ、『収穫』にしろ、みかん二度切りは鉄則なのである。

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『養病』ということ

 仏教でいう四苦とは、人間誰もが逃れられないとされる、『生老病死』のことである。それに伴い、『養生』とか『養老』とか『養病』は聞いたことがあるが、『養死』というのは聞いたことが無い。これは、仏教の説いている教えのアンチテーゼとなってしまうからでは無いだろうか。一方で、私の友達でも、『養生』している友人は多い。しかし、一生治らない病気に掛かってしまうと、『養病』するしか無いのではないか?と考える事となった。私の第一印象では、病気と仲良くつきあっていくことだと思った。いろんな重い疑問を抱えて、三ヶ月ぶりに主治医の所へと重い足を運んだ。私は主治医を全面的に信頼しているが、忙しさからか、間の抜けたところのある、誠実な先生である。私は、『養病』の定義を聞きたくて、足を運んだのだが、主治医はその言葉を知らず、逆に質問されてしまった。何と言えばいいのか、私も15秒くらい考えたが、例えとして、「盲腸は切ってしまえば治りますよね・・・でも、私の病気は一生治らないと覚悟しております。こういう場合、ものすごいストレスなんです。精神安定剤の様にお酒を飲んでしまうこともあります・・・でも、考え方次第なんですよね。治らない病気を治そうとしたから、僕は苦しんだのだと思います。普段は、ほとんど薬も飲みません。軽い病気だとは解ってはいても、辛い物は辛い。人生では捨ててきたことばかりです。けれど、三十を越えてからは、親父の死もあり、苦しむことも少なくなりました。病気を受け入れたからでしょうか」と説明すると、主治医の先生も、なるほどという顔をして、「病気を遠ざけたい、という気持ちが強すぎると、葛藤し、苦しむ。君は、今、とても穏やかな顔をしているけれど、病気と共存するということを受け入れたからだと思う・・・でも、現在の医学では、完治する方法が、まだ無い。だから、受け入れることも強さだと思うよ」と言って下さった。主治医の先生は素直な方なので、私の話で解らない単語等があったら、素直に、「教えてくれるかい?」と聞いてくる。かわいらしいと思っては失礼だが、誠実な方だ。そんな先生に最初から出会えたことを幸運に思う。本当に感謝している。

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重鎮(ドン)のツボ

 昔、プロ野球のニュースを観ていたら、重鎮(ドン)のツボというコーナーがあり、往年の名選手が三人ほど出ていて、現役選手にアドバイスを送る、というものがあった。重鎮(ドン)は三名ほどいたが、西鉄の豊田、近鉄の監督だった西本、もう一人がいたが、そうそうたる面々であった。毎日観ていたわけでは無いので、二回しか観たことは無いが、広島の四番であった江藤がFAで巨人に移籍した後、打てない時期が続いたとき、重鎮(ドン)の一人である豊田が、江藤(右バッター)のスイングを観て、軸足である右足のブレを指摘。「こうも軸足がブレていたのでは、いくらフルスイングしても、打てる球も撃てませんよ。江藤君、解ったかい?」とのコメントが放映された。私は、『江藤これ観ているのかなあ』と思ったが、数日後、江藤のバッティングを観てみると、見事にも、その悪いところが修正されていたので、コーチか江藤がこれを観ていたことは、容易に想像できた。さすが、重鎮(ドン)を張っている豊田に、感心せざるを得なかった。ところが、他に重鎮(ドン)を張っている西本が出てきた時、生中継では無く、録画で、言っていることの意味が解らなかった。認知症にでもかかったのかと思い、その行く末を案じている自分がいることに気がついた。豊田の場合、私の大学時代に、焼酎の呑(どん)のCMに出ていたので、まさしく、ドンである。~む~かしの友は今も友~というテーマソングだったのだが、私にノート貸してくれ、と言った友人が、いきなりこの歌を授業中に歌い出したので、爆笑した思い出がある。

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枕下でひらめく

 昔から、トイレで閃くとか、寝て起きて閃くとかいうが、事実である。私自身の経験からすると、トイレで閃いたことは無いが、悩んでいたことが、起きた瞬間に閃くということは何度も経験している。ある問題がある→考えつかれて寝る→起きた瞬間に閃く、という流れは数え切れない。解らなかったことが、起きた瞬間に網羅される、こうなると、人間とは、本当に考え続けると、寝ている間も考え続けていることになる。私がこのことに気がついたのは、ティーンエイジャーの頃であるが、黙っていた。最初は自分がおかしいのではないか?と疑ったからである。しかし、古典の授業で、中国の故事で、人間が閃きやすい場所が三カ所あるという故事を習って、昔からそうだったのかと思った。トイレで閃いた経験は、僕には無いが、目が覚めた瞬間に、『ああ、こういう仕組みだったのか』と気付いたことは何度でもある。時には、私の盲点を突く。睡眠、恐るべしである・・・昔のことだから名前は忘れたが、ある落語家の師匠が弟子に、「24時間、常に向き合っていなければ、一流にはなれない」と語っていた言葉を思い出す。その通りなのだ。僕は現在、blogをメインにしているが、目が覚めて、真っ先に考えることは、blogのことである。この場合、ネタが浮かぶのでは無く、毎日blogを続けていたかという圧迫感からである。毎日blogは、最初は苦痛で仕方が無かった。24時間縛りなのだから・・・行と思って続けているうちに、楽しみも出だした。ネタが無い時には呻吟するが、ネタなどその辺に転がっているのである。次には、どう面白おかしく書こうかと悩む。本当に深刻なネタをそういう風には書かないが、できれば、笑いも取りたい。不思議なことに、自分で、『決まったな』というときに限って、レスが少ない。そういう時は、話すことと書くことのギャップを感じるのだが、私のお客さんは、大概、昔のネタに集まっている・・・今宵はその事で悩みながら寝るとしますか。

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何事もよかれとあるべし

 そんなつもりではなかったのだが、親しかった友人のフェイスブック(以下FB)でのアップにチャチャを入れたら、チャット形式で五、六時間、パソコンに向かうことになる。結構深刻な話から始まったのだが、当初、彼は私が物書きで食っていると解釈していた様子だった。私は3回くらい、食えない物書き、と書いて、気ままに、エッセイ(この文章自体がエッセイである)、詩、小説(短編一本の構想はあるが書いていない)、を書いていることを綴った。チャット中に彼も読んでくれて、抽象的な表現が多くて解りにくい、というコメントをくれたので、シュールな文章とはこういう物だ、と言いたかったのだが、本音を書いた。それは、FBなら個人名を明記しても構わないだろうが、blogでは、プライバシーとリアリティの間で、いつも悔しい思いをしている、ということである。もし、私が、ここで、彼の実名を挙げてしまったら、彼のプライバシーが無くなってしまうのである。これだけは、誰にも、やってはいけないことと、肝に銘じている。だから、いつも、友人、知人、友達などと書いてしまう・・・今回、FBのチャットで、書き込みをしていたのは、中・高時代の友人である。それが四時間近く続いたことが恐ろしい。深夜まで続き、彼も明日辛いだろうが、私もblogの公開が遅れ、眠気の中、この駄文を打っている・・・座椅子で寝て未だblogを公開していないのかと、朝になって気がついた。今も寝ぼけているが、寝ぼけながらの文章で、その証拠に『やおい』を満たしている。『やおい』とは、ヤマ無し、オチ無し、意味無し、ということで今日はそれをやってしまった。反省。

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ガラス屋の儲け時

 台風が来る度に、被災した地域は気の毒だと思い、明日は我が身と覚悟。そんな中、台風で忙しくなるのが、ご近所のガラス屋さん。こないだの台風26号の後は、大変だったらしい。私の家は雨戸があるので、ガラスの心配はないのだが、打ち付ける風雨が強烈だった。私の部屋は、家の二階の北西に位置するのだが、寝ていても、北風が強く、何度も起こされる中、西の雨戸は音を立てない。北風がひでえなあと思いながら、また寝るの繰り返しだった。親身にさせて頂いている近所のガラス屋さんのおっちゃんには、親父が死んだ後、自身の胃がんなどの経験なども踏まえて、何度も励まされた。おっちゃんの言葉で忘れられないのが、「残される方が辛いんだよな」・・・男の言葉である。叔母さんもいい方だ。今回の台風でのガラスの方は、おっちゃんの息子さんに当たる、お兄さんが担当したらしい・・・そこで、私が思いついた悪知恵というのは、普段から小石をためておき、台風のどさくさに紛れて、その辺の家のガラス目掛けて、割りまくる、という作戦だったが、こんな事をしていたら、風で吹っ飛んできた看板に頭を打たれ、バチが当たる。下らないことを書いてしまったが、伊豆大島の方達が、今回は犠牲となった。写真や映像を見る度に、気の毒に思う。心から、お悔やみ申し上げたい・・・また、新たな強力台風が発生したというが、気象予報士は四国方面に行くと予想しているが、私は再び東海・関東に来ると予想している。あたかも、全盛期のカネやんのカーブの様に・・・ユウウツである。

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天文学と東洋思想

 私は星を見るのが好きな少年だった。天文学をやれたなら、どんなに幸せだったろう・・・私の通っていた高校は、高二から文系と理系に別れるシステムだった。だから、高一の時に、適性検査という物を受けさせられる。私の結果は、応用化学、航空宇宙、機械工学の順であった。化学なら解るけれど、応用が付くとどう変わるんだとか、不思議の一点。気合を入れて、航空宇宙に進もうかと思っても、理系で一番人気のコースであるし、本気でやりたいのなら、東大に行くしかなかった。その中でも勝ち抜かねばならない。航空宇宙の分野で、虐げられた日本の現状を考え、これは面倒だ、と思った私は、結局、どこに行きたいのか解らなくななる。ただ、数学が好きだっただけで理系に進んだ私にとって、自分の将来が専門化されてゆくことに怖ろしさを感じていた。私は、幅広く学び続けたかっただけなのである。様々な理由で、そうも言っていられなくなった、私は、一浪した時に、機械工学科に行くことを決めた・・・それは、エンジンというものへの憧れで、中三の時に一週間で教科書どころか、親父の本棚にあった専門書まで読んだ時の感動からである。第一志望の大学に合格したときは嬉しかったが、そこでも、より専門化が進み、嫌気が差し、大学一年の時から続けていた、広い視野での人生勉強を繰り返していた。いろんな方とも話した。当時の新宿西口に行ったこともある。バイトもジャンルを選ばずにやった。大学で何を勉強しているのかを知るために、勉強に必死になった時期もある。そんな折、友人から借りた一冊の本がきっかけで、人生観が180度変わり、修行不足だが、自分を肯定できると同時に、当時やっていた学問に疑問を持つ様になって、通学時や実験中、暇があれば本を読む様になった。思い切って大学を辞めて、東洋思想やお経に目を向ける様になると、そこでは、自分のやりたかった宇宙論についても書かれていた時のショックったりゃあありゃあしない。時には旅に出て、いい坊さんと出会えると幸せだった。ほんの5%位ではあったが・・・

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拘泥しすぎると、人格が歪む

 Beatlesの曲で、『ABBEY ROAD』という、実質、最後のアルバムとなった最初の曲は、ギターのジョージ・ハリスンが作ったという、『SOMETHING』だ。そこで歌われているのは、純情な男の、ある女性への、まさしく、愛の賛歌だ。その一方で、曲名は忘れたが、メロディーと歌詞を覚えている曲がある。英語表記が面倒なので、意訳してしまうが、『お前らは、私に一度も金をくれなかった。その代わりに、訳の解らない、というか馬鹿馬鹿しい紙を送ってきた』という意味の歌詞から始まる曲がある。ポールマッカートニーが歌っている。僕はこの曲を、よく知っていた。最高の曲に最低の歌詞を込めた曲だからだ。聞く度に悲しくなる曲だった。『人間なんてカネに屈するものか』と若い頃は信じていた。だから、騙され続けた(博打の世界では別だが)。博打をやらなくなっても、いくら騙されようが、自分をガードしてくれる様々な人に助けられた。だから、自分を見失うこともなかったし、死にたい気持ちになっても、『まだまだや、未来は明るい』と信じ込んできた。齢四十になってもそうである。常に死を覚悟していても、写真を撮ってもらうときには、心から笑う様にしている。笑えないときでも、大爆笑したネタを思い出し、笑う。時には、人も笑わす・・・今でも付き合いのある友達達のほとんどは変わっていない。でも、少しずつ距離が出る。これは仕方の無いことだ。問題は、性格が悪い方向へと変わってしまった友人だ。『変わってしまったんだね』と思い嘆く。それが、どうでもいい奴ならどうでもいいが、愛して止まない存在だったら、どうしよう?観ていられないし、放っておけない。貴女の心からの笑顔のために、きっと尽くすでしょう・・・I wanna see your smilin' face, as soon as possible.

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台風直撃

 台風は、陸地を通ったら、基本的に勢力が弱まる。私の住んでいる地域では、明日の朝頃が今回の台風のピークだとも、ニュースなどで言われている。明日は電車が止まり、仕事にはならないだろうとも思う。被害が最小限に済むことを祈る。現在、こうやって、キーボードを叩いていても、風雨の音が凄まじい。私の住んでいるところは、丘の上の住宅地なので、水の心配はない。台風対策は全てした。こまい所では、停電が起きた場合に、このblogを途切れさせないために、携帯をフルに充電しておいた。だが、今のところは電気が通じている。こないだの台風での京都市や福知山市の水害は気の毒であった。訳の解らない突風による竜巻も、ゲリラ的に発生している。今の日本、どこで何が起きても不思議ではない。被災された方を気の毒に思うと共に、明日は我が身かも知れぬという覚悟が必要だ。若い頃の福井洪水でボランティアに行ったが、今の日本では、どこにボランティアに行ったらいいかも解らない。それほど、天変地異が続いているということだ。寝て、目が覚めたら、屋根が吹っ飛ばされているのではないかと疑うことのことの方が大切かも知れない。気象庁の予報は全然、当たらない。昔の統計を下に、スーパーコンピューターを何台使ってでも予想しているからだ。十月半ばでの、この暑さは異常だし、私の見立てでは、日本周辺の気候が変わったと観ている。本気で天気を予想するときには、等圧線図と最近の流れを観る。予報士の言うことなど聞かない。いざというときには、私の予想の方が当たる。今回は、みんな言うとおり、我が家を直撃するだろう。無事を祈って、寝ようと思う。くわばら、くわばらという風にしか応対できない。自然をナメ過ぎると、こうなる。

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球と円の話

 十年以上前、友人に、ある本を紹介された。まじめに読んでみて、読破した時、当時の自分が満ち足りている物と足りないものとが解った。それらのファクターを線で結んで行くと歪んだ球体が想像され、月で例えるなら、満ち足りない月の様なイメージだった。その話を、共通の友人にした。「足りないファクターを満たしていって、満月を目指そうとするエネルギーが人間にはあるんじゃないだろうか・・・そして、その球体を大きくしていこうとするパワーが、人間の進化の原動力なのではないか」と。「確かに球体が絶対空間では、一番効率のいい体積のため方なんだよね」と友人は、面白い変化球を投げてきた。私は、「なるほどなあ、確かに、これまた共通の友達の部屋で飲むときに、球形をしたグラスで飲むと悪酔いする」と変化球で返したら、彼が大笑いした。そこで、今度は直球で、「星が球体である理由は、その通りかも知れないけれど、どうせだったら、俺は恒星になりたい」と、言うと、彼も、「その通りだな」と言って、また笑い合う。「球体が一番体積上効率がいいのは、二次元のユークリッド平面では、円が一番面積上効率がいいのと同じ事なんだよな。絶対平面での円の定義は、『ある一点から、同一距離上にある点の軌跡』と習ったよ」と語ると、彼は『うんうん』という感じで頷いていた・・・あれから、今まで、みんな戦い続けてきたが、一体、私は成長できたのだろうか・・・疑問を感じる。

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神様の降臨した日

 昨日の甲子園でのプロ野球CSをTVで観ていた。先制点を取って、こりゃ行ける、と思ったら、追加点が取れずに、投手戦になった。先日は広島のエースたるマエケンだったので観なかったのだが、今日は生中継を観ていた。高校野球の聖地である甲子園で、球児達が必死にプレイする姿は何度も観てきたが、プロの選手が、あんなに必死になって戦う試合を、僕は生まれて初めて観た。広島の野村監督は、選手時代、守備でならしてきた、強烈な一番バッターでもあった。その甲斐あってか、特に二遊間が鉄壁の守備を誇った一戦だった。あれにやられたと言ってもいい。折角、タイガースが先制したのに、流れが変わった。もう、後が無い試合で、あんなにだらしない試合をするのか(エラーとか失投ばかり)、と思ったし、兄貴と新井を引き抜かれたことへの怨念を感じた。じゃなきゃあ、シーズン中に、あんなにマエケンをぶつけてはこないだろう・・・野球の得意だった親父が言っていた。「あれだけの観衆の中でバッターボックスに入ったら、燃えるやろうなあ」と。そうして九回裏ツーアウトランナー無しで、四番のマートンに打順が回ってきた。私が監督だったら、代打に神様を送っていた。観戦しながら、『頼む、マートン。神様につないでくれ』と負け試合を覚悟しながらも、神様の花道を観たかった。すると、マートンが右方向にヒットを打って、神様につなげてくれた。ワクワクしながら観ていたら、ああいう時には、本当にボールがスローモーションで見えるのだろうか、神様は、初球打ちでライトスタンドへのホームラン。泣いた。私の知っている限り、引退試合の最終打席でホームランを打った選手は、他には、近鉄時代のカズ山本選手しか知らない。代打の神様、桧山選手、お疲れ様でした。

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フェイスブックに、『悪いね!』ボタン

 フェイスブック(以下FB)を観ていて、いろんな方がいることを知った。中・高時代の友人が嘆いているのに、『いいね!』ボタンは押せないなあ・・・などと考えているうちに、『悪いね!』ボタンが無いのはおかしいと思った。そこで、友人のページのコメント欄にその事を書いたら、すぐさま三つの『いいね!』がやって来た。皮肉なものだ。友人も携帯で応じてくれたので、最近の話をしていたら、大学こそ異なれど、学生時代の論文の話になった。彼は京都にある元帝大の薬学部、私は自宅から一時間半の私大の機械工学科で材料力学が専門。私が材料系の研究室に入ったのは、間違いなく親父の背中を追っていたからだ。私は、企業からの共試材料で実験をしていた。私の下に付いた後輩のうちの一人は、委託実験をやっていて、結論が既に海外の科学者の理論で説明が付くものだった。相談されたが、「なんとかなる」としか言えなかった。窮屈な中で、実験をしていたが、私は大学生活の集大成として、誰にも恥ずかしくない学位論文を仕上げた。D論として提出しても恥ずかしくない物だった。FBで友人に、「コロンブスの卵的な、当たり前のことに気がついただけなんだけれど、それまでの学会の定説を壊す様な戦いだったし、指導教官も認めてはくれなかった。それで院の時に退学届を出した。でも、五年後には、学会では、僕の説が主流になった」的なことを伝えると、彼の大学では、院生になったら、教授と連名の論文で無くてもよかったらしい。だから、根本的に彼の大学院生活と異なっていることを知った。個人的に論文を投稿したらよかったのに、とまで言ってくれたが、私立でそんなことをしたら、少なくとも私の所属していた研究室では潰される。彼みたいに研究を通じて、面白みを知った人は羨ましい。私は研究室に二年強いたが、無茶苦茶が多すぎたし、他にやりたいことが見付けられたので、縁を切った。彼は某市大の准教授になっているし、生徒からも慕われている様子なので、嬉しいことこの上ない。私も頑張らねば。

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おんぼろルービックキューブにて

 私が小学校の低学年の頃、『ゲームウオッチ』なるものと、『ルービックキューブ』なる玩具が流行った。『ゲームウオッチ』とは、任天堂の商品で、ゲームボーイを百倍位チャチにした時計付きのゲームだった。あんまりにも流行っていたので、母が、「うちの子らにも買ってあげようか?」と父に相談したところ、父は断固として反対した。その当時は、何故、父が反対したのか解らなかったが、今では解る。要するに、教育上、建設的では無いのだ。一方で、『ルービックキューブ』とは、一辺10cm位の立方体の六面に異なる色が配置されていて、一面3×3のピースで成り立っており、いかにバラバラな六面の色を素早く回転させて、色を元通りにするか、という玩具であった。これも、一家に一つはあるぐらいに爆発的にヒットした。父は、これなら買ってもいい、ということで、習い事から帰ると、母が手渡してくれた。弟と二人で取り合いになったが、それも最初の頃だけの話である。一度、色をバラバラにしたルービックキューブは、六面のうちの一面は容易に揃えられるが、二面はなかなか揃わないのである。バラバラなキューブを即座に揃えられる人は、TVに出ていた。弟も私も親父も母も、家族全員がギブアップした。そんな時、私の友達が、ルービックキューブの法則性が書いてある紙を私だけに見せてくれた。彼はそれをマスターしていたので、私の前で六面揃えてくれた。しかし、その頃には、ルービックキューブのブームなどとうに過ぎていた。

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もちは餅屋に頼むのが鉄則

 先日、家の台所の水道がいくらきつく閉めても、水がしたたる様になった。昔、排水溝の問題で、恐ろしい額を請求された、と聞いていたので、とりあえず、水道局に電話して、信用できる所を紹介してもらい、とアドバイスした。すると、数日経って、業者の方が来て、「この蛇口では、いくらパッキンを代えても、意味が無いです」と説明されたそうだ。そして、バルブ式の水道に取り替える事を勧められたそうだ。私が、「いくらかかるの?」と聞いたら、「二万のにしようか三万のにしようかで迷っている」と母が言うので、母の炊事をする場、つまり仕事場なんだから、「一万高くても、三万の蛇口を付けいな」と返事した。業者の方も誠実なのが解っていたし、それでお願いした。最近では、母も楽しそうに炊事をしているし、新しい蛇口にもすっかり慣れた様だった・・・しかし、まだ、母が恐れていたことがあった。風呂のバランス釜である。あれを取っ替えると、一回で二十万かかると嘆いていたら、ほんとうにバランス釜が変な音をする様になった。もし、不完全燃焼しているのなら、一酸化炭素中毒にもなりかねない。今回は、やはり、ボッたくる様な業者では無く、東京ガスに電話して、信頼できる方を紹介してもらった。すると、バランス釜をばらして、下に鉄の板を引き、パッキンの交換やらガスの燃焼系もきれいに掃除してくれて、七千円弱で済んだ・・・知らない人を家に上げるというのは、怖いことでもある。何度も訳の解らない領収書を書かされてきた・・・だから、もちは餅屋に頼め、というのが鉄則なのである。

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英語の返事は苦労する

 私のblogにスパムでは無いコメントが来るのは歓迎する。私は日本語と、ちょっぴりの英語しか出来ないが、英語で来たコメントには英語で返す様にしている・・・それが、どんなにくだらなかったり、馬鹿にされている様なコメントでもだ。もちろん、辞書なんか使わない。思いついたままに書く。直訳が解らなければ、回りくどくも書く・・・私の学生時代、英語で一番苦手だったのは、英作文だった。翻訳は当時の高校のクラスの中で、一、二を争う実力だった。だから、口語体でも、相手の言葉のニュアンスが、教えて欲しいとか、馬鹿にしてやがる、とすぐに解る。教えて欲しいと言ってくるときは、一生懸命、伝わる様に書く。馬鹿にしてやがる、と思った時でも、相手の失礼と無知を悲しみながら、まじめに書く。多分、このぐらいの馬鹿だったら、まじめに返事を書いても、意味が無いだろうな、と思っても書く。馬鹿みたいなコメントでも、誠意が無いと、こちらが真剣に書いた文章が無駄になるからだ・・・フェイスブックを始めた最近、私は三人とケンカした。みんな、書き逃げしていった。卑怯な商売をしている奴には、私が刑務所に入った前歴があるとまで書かれた。最近、英語でのメールでも、これは日本人が書いているな、などと解る様になった。日本人の英語は、解りやすすぎるのである。blogを始める際、八方を敵に回しても続けようと決めた。ペンは剣より強し、コメントにはコメントで返す。いや~な思いをしながら。

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帰っては来ないもの

 うちの弟に物を貸して帰って来た試しが無い。その弟が、私に「50万貸してくれ」とやって来た。私は貸す気は無かったが、弟が、本当かウソかは知らないが、「会社の金、使い込んじまってよう・・・」などと言うので、渋々貸した。普通だったらトイチで貸すところなのだが、弟の事情もくみ取り、毎月5万づつで、十ヶ月で返す様にしてやった。そして、口座のキャッシュカードと暗証番号を聞いて、毎月入金されてあったという、母の情報を信頼していた。そして、昨日、弟がうどんを食いに来た。もう、貸してから半年あまり、半分は返してくれたんだろうと、借金の話なので、あまり触れずに接した。それから弟は寝たのだが、何でも、所要に必要だから、キャッシュカードを返してくれ、と母に言っていたらしい。私は彼が帰ってから、その話を聞いた。当然、「何で俺には話してくれんかったんや」という話になった。彼は既にいない。お袋の家系簿をみたら、未だ42万貸していることになっている。「これは、どういうこっちゃ!!」と母を信頼してきたのに、裏切られた気持ちになった私は、お袋を責めた。そうしたら、マンションのローンがどうのこうので、とりっぱぐれたと言う。そして、私の立場まで聞かれて、無茶苦茶いいおった。私は、自分の貯金のうちの3/4に当たる額をお袋の口座に移した。寄付である。どんな気持ちでそうしたのかも解らずに、お袋は訳の解らない事を言う。当然、私は荒れた。彼とは縁切りだ、と思ったと同時に、50万ぐらい、すぐに作れる男になろうと誓った。

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『続・残暑の会』2013…飛行機編

 オートマ限定の友達が、「そんなに車ってマニュアルじゃあなきゃいけないのか?確かに、フランスに行ったときに、レンタカーでマニュアル車で左ハンドルだった時には、ビビったけれど、すぐにAT車に変えてもらったよ」と言って、さらに笑いを誘った。それからしばらく、お食事の時間となったのだが、私がジェットエンジンの話を始めた。それまでJALに勤めていた、中・高時代の友人から、「何でジェットエンジンが羽の下に着けられているか解るか?」というような、ある意味ナメられたような質問をされた時、即答した思い出があった。それと全然関係なく、ホンダが開発したプライベートジェットは、羽の上側の後部にジェットエンジンが使われているのがすごい、という話をして、あの、高速流体力学の特異点を見つけたことは、革新的なことだ、と話したら、本田宗一郎を尊敬している友人が、「そうなんだ。あれで 二億なら安い」と言っていた。「だったら、航空免許とって、お前が操縦してくれよ」みたいな声が飛び交う中、「暇がない」という彼の鶴の一声で、場が収まった。本当は、操縦したそうだったが…みんな、今が働き盛りなのである。私も負けてはいられない。そうだ、友人に誘われたゴルフも、しっかり返事しとかないとな…私自身は、ぎっくり腰で回れないけれど、インチキなキャディーみたいなことはできる。最近、また、ゴルフ番組が始まったので、のんびりと観ている。

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『続・残暑の会』2013・・・車編

 大学時代の友人と集まると、メインは機械科の友人となる。みんなエンジンに憧れて来た様なものだったし、当然、車の話に熱が入る。ある友人が、「F1はセミオートマになってただのアクセルの踏み合いになって、面白くなくなった」と言ったので、私が、「だったら、セミオートマを開発した、ジョン・バーナードは間違っていたのか?」とマニュアックな話を振ってみたが、彼は、「いや・・・それは時の流れであって、必然だった。ただ、本当に速い奴が勝つのか解らなくなってしまった」と嘆く。続けて私が、「A.セナが、みんなが六速で走るところを、五速全開で勝負する楽しみが無くなった、とは言っていたなあ」と言っても、みんな着いてこれるから怖い。文系の友人でも、車に関しては詳しかったりするのだ。そこから、ロータリーエンジンの話に持っていこうとしたが場が許さなかった。しかしながら、マニュアルとオートマの議論は続き、日産のGT-Rの話になった。なんでも、セミオートマでダブルクラッチと聞いたときには、思わず、「クラッチペダルが二個あるのか?」と聞いてしまった。友人が詳しく解説してくれたので、後から、「それだったら、コンピューター制御で、クラッチ板が二つあるって事か?」と納得したら、みんな、「そうだ」と言ってくれた。でも、あれは車として認めないという意見が主流だった。みんなエンジンが好きで機械科に来たのだから、当然の意見ではある。教習場に通っていた頃も、ひねくれた教官に当たり、ハンコがもらえずに、ヤケで、クラッチを踏まずにタコメーターだけでシフトチェンジしていた、などと言う友人もいた。そんな時に、ふと、「あのよう、俺の免許、AT限定なんだけど・・・」と言った友人がいた時には、みんなマニュアックな話をしていたのに、ズッこけてしまった。

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消費税8%について

 私は、消費税が8%になる前の晩、自称たる『アベノミクス』が崩壊し、あらゆる銘柄の株式が下げ止まりになる夢を観た。本当のことだ。グラフがコキッと折れ、どの銘柄も下げ止まらない。今日は、昨晩観た『NHKスペシャル』で、どれだけ政治家がウソをついていたかが証明されたので、それについて書く。はっきり言って、これだけ増えた赤字国債、福祉や医療の問題、その他、全てが完全に保証されるならば、私は消費税が30%を超えても構わないと思っていた。次の世代へのためと、お年寄りが、ユウウツな将来像を掲げないためにだ。中国でも17%の消費税を課していると昔聞いた。私の考え方からすると、本当に社会福祉や赤字国債を返却するためなら、消費税が多少上げられても、国民みんな納得すると思う。デフレは良くないとか言っても、私の様な貧乏人は、それによる円高で食べてこれたのだ。今では、車も運転できない。『アベノミクス』は、輸出産業等、一部の(8%以下の)産業を発展させ、数字でしか考えておらず、弱者切り捨てをやったのと同類である。小泉も医療や介護でこれをやった。郵政民営化と言いながら、社会的弱者を切り捨てる法案を通しまくった。政治家が本来、通したい法案のために、訳の解らない大義名分で選挙を戦う、というのはよくあることだが、本当に庶民のための民主主義なのかよ、と疑う。アベだって、長州人、長州人、とやたらに言っているが、会津の人達の感情を考えていない。副総理の麻生はバラマキ(きっと、小さい頃からそうやって育ってきたのだろう)。まとめてみれば、みんな、福祉や介護のために使われる税なら仕方が無い、ということで、消費税8%を受け入れたのだが、実は、そのお金は、一部の日本国民のデフレ脱却のためとか、数値で計ったデータのために使われる。つまりは、消費税8%とは、社会福祉のためでも何でも無く、ただ、社会で札束が廻って、好景気になるという、安易な予想によるのだ・・・これでは、確実に国が潰れる。

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『シュール』って何だ?

 『シュール』という言葉が日本語にはある。でも、一体、『シュール』って何なんだ?という話になると、苦労する。美術の世界では、『シュールレアリズム』などという言葉があるが、それは、『超現実主義』などと訳されても、だったら、『シュール』とは『超』って意味なの?と考えてみても納得が行かない。視点を移してみると、「フランスシネマみたいにシュールな恋をしようよ(REBECCA『Love Is Cash』より)」などという表現にも用いられる。『シュール』という言葉を調べようとしたが、多分フランス語であるこの言葉に対応する辞書が家には無い。自分だったらどう訳すだろうと、ニュアンスだけで考えてみたが、『斬新な』という訳が出てきたが、どうにも、当てはまる場合とそうでない場合がある様な気がする。何か、上記の訳は近いけれど、温かいオムレツに、ナイフで面打ちしている気がしてならないのだ。一方で、英語の『sure』から考えてみても道にそれる(ある意味、丁寧語だが、あまりに粗雑すぎる)。ここで、逆説的に考えてみる。女性に、「シュールな恋をしようよ」と言って、一時期は上手くいっても、長続きしない気がする。もし、『斬新』というニュアンスであったとしても、それは何かへの反抗を物語っている気がしてならない。しかしながら、『シュール』という言葉は、どこか若さに満ちあふれていても、大人びた風格がある・・・英語を訳すのでも、解らない一言で、あらゆる知識を動員する。確実に外国語とのギャップは拭えない。意訳をしてもいいが、しすぎるとオリジナルの味が消える・・・さながら、外国人にとっての『おもてなし』のニュアンスの様なものだ。もし、私が外国人をもてなすとしてら、英語の解る方には、つたない英語で、そうでなければ、体当たりで、『おもてなし』たる日本文化を伝える。

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爺ちゃんの命日だったなあ

 いつも、このblogを夜中に書いているので、昨日と今日と明日をまちがえることがよくある。読んで下さる方には申し訳ないが、気付いたら、直す様に心掛けてはいる。さて、昨日は故瀬戸の爺ちゃんの三周忌だった。故父が最も信頼していた身内の一人だった。とにかく、でかい爺ちゃんだった。爺ちゃんの初孫が私だったので、年違いの弟と兄弟二人、瀬戸に帰るともの凄く可愛がってくれた。他の母の兄弟の従兄弟も、爺ちゃんのことが大好きだったらしい。皮肉にも父の方が早く他界してしまったが、父が最初にがんになったと知ったとき、爺ちゃんは速攻で、漢方で効くといわれる『サルノコシカケ』を送ってくれた。爺ちゃんは、みかん畑の何処に何があるのかを、把握していたのである。しかし、母は使い方が解らず、宝の持ち腐れとなってしまった。爺ちゃんがいなくなってから、婆ちゃんの面倒は、母の弟に当たる叔父さんに面倒を観て頂いている。婆ちゃんも八十後半となり、認知症気味の様子らしいので心配だ・・・ところで、私はぎっくり腰の中、コルセットをはめ、痛み止めを飲んで買い出しに行ったが、帰って来てコルセットを外すと、少し腰に来たので、少し寝て起きたら、違和感はあるものの、嘘の様に痛みが取れ、もう、十時間ぐらい経つ。腰の調子がいい。もちろん痛み止めは飲んでいない。まだ明日の朝、起きるまで、どうなるのか解らないので、一喜一憂は出来ないが、明るい兆しであることには間違いが無い。

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実はぎっくり腰・・・兄弟揃って

 ここのところ、就寝中、不思議な夢や嬉しい夢を観ている。ついつい起きそびれそうになるのだが、いざ、目が覚めて三分もすると忘れてしまう。起きて先ず考えるのは、このblogのネタのこと・・・もう慣れたが。最近は、起きてすぐに頭がクリアにならないので、とりあえず、冷えた水を飲むことにしている。TVも、天気予報以外は観る気がしない。頭が冴えないのは、いつものことだが、今年に入って、いろいろと老けた気がする・・・さて、昨日のblogで書いた件だが、下剤が効いてもいい時間なのにすっきりしない。焦らずに水を飲んでいたが、今日こそは整形外科に行かなければならなかったので、いつもよりベルトを緩めて車で出発。痛風の薬も出して頂く所存だったので、隣の薬局の駐車場に駐めさせて頂いた、と同時に、強烈な腹痛が来たので、薬局の方に断りを入れて、緊急ピットイン。全ての苦しみから解き放たれた様に思われた。下剤でも『コーラック』は、いつやってくるか解らないので恐ろしい。薬局の方に挨拶して、病院に行ってみると、結構混んでいる。蒸し暑い中、病院の快適な空調の下、一時間ぐらい待っての診察。痛風は変わりない旨を伝え、腰の痛みを診察して頂いた。結果、「ぎっくり腰だよ」と言われ、治るだろうから、安心していいのかどうか迷いながら会計を済まし、薬局の方にお礼を言って、家路に就いた。私の場合のぎっくり腰は、同じ姿勢をとり続けると悪化するらしい。先生がお忙しそうなので、どれくらいで治るか聞き忘れたが、ゴルフに誘ってくれた友人には詫びようと思う・・・それにしても、弟がぎっくり腰になったので、「あまり無理するなよ」と言っていた私が、一ヶ月後にぎっくり腰・・・不思議な、兄弟の因縁を感じる。

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昨日みたいな日に限って

 一昨日に友人とメール交換をした後、昨日は、朝の五時に目覚め、整形外科に行く準備をしようとしていたのだが、早すぎたので、ヨーグルトをコップ一杯飲んで寝直し。九時前に起床し、ぼやけた頭を起こしながら、早いところ病院と買い出しに行かなければな、と思いつつ、朝食に梨一個を頬張る。そして、トイレに行こうか歯を磨こうか迷った挙げ句、歯を磨いてからトイレに入った。時計を観ると午前九時半。急がなきゃあなあ、という焦りの元、その後トイレに一時間籠もることになり、こんな時に限って、便秘かよ、と思った私は、午前中の診察を諦めた。腰を痛めた私は、下剤を飲み、その日の通院を諦めることにした。こんな事、三年振りである。腰の痛みが増した状態で、原因を考えてみたら、一昨日、ロキソニンという痛み止めと市販の風邪薬を飲んだからではないかという結論に達した。疲れ切った私は、腰の痛みを和らげるべく、ベッドに横になったら三時間ほど熟睡。起きてからも、腹は痛くなるのだが、それ以上は行かない。イライラしても仕方が無いので、下剤の効果を再び待った。寝てみて、腰は幾分良くなったが、これ以上痛み止めを飲んだら、下剤の効果がなくなる。また、数日前に座骨神経痛と書いたが、腰の痛みだろう事が推察できた。時々ストレッチをするのだが、上半身と下半身の間をつなぐ関節が痛んでいる。そのおかげで、腰の周りの筋も張って来たので、寝たのだ。明日には診察を受けたいのだが、やはり、買い出しを先廻しにして、午後からの診察となるかも知れない。風雨が強ければ、金曜日ということになってしまう。ゴルフに行きたいのは山々だが、行きたいことと、行けることは違う・・・友人に早く伝えねばならぬので、焦りもある。

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『Katsu』の店長、無事だろうか?

 多国籍料理店(と言うより何でも旨いもの屋さん)『Katsu』の店長が、仕入れの際に、三輪バイクで店に向かっていたら、突風で、一瞬のうちに吹き飛ばされ、骨や他の部位には異常は無かったものの、両腕にひどい外傷を負った。心配して、「骨に異常が無いのなら、イソジンで消毒しとけよ」と書いた。私は別に、イソジンをナメているわけでは無い。中学の頃、足の親指のささくれを取ったことから、妙に腫れる。近所の病院で、消毒してから、イソジンの強烈な奴を塗り、「もし、これで治らなかったら、手術するしか無い」と言われ、ガックリきていた。ひょう疽の手術は、当時、痛くなくもならない麻酔で、化膿した部分の爪を剥がすというものだった。つまり、強烈に痛いのである。ユウウツな中、イソジン様が、無事、助けてくれた。だから、今でも、うがいを本気でする場合には、イソジンで真剣にうがいする・・・山崎豊子の死と共に、いろいろと考えていたら、カネと名誉に群がる連中のいかに多いことかを嘆いていた。嘘をついてまで、笑いを取って、ご機嫌取りをする。嫌気が差していたところに、携帯のメールが鳴った。ショートメールで、「痩せたか?」と来たのは、ゴルフに誘っていてくれていた友人からである。私は、「ドライバーでフルスイングした時のポイントが、何故か痛くなったので、明日整形外科行きだよ」と書いて返信。でも、クラブをもらった友人からの折角のお誘いだったので、一緒に廻りたかった・・・その前に『Katsu』の店長の怪我の話を書いた。知らなかった様なので、こないだの台風があった日のフェイスブックを調べてみてくれ。結構、裂傷だぞ、と書いた。私の腰は明日次第と書いたが、日に日に良くなっている。練習できなくても、0.01tはへずりたい。歳をとるにつれて、太りやすく、痩せにくくなりつつもあるが・・・

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