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芸術は誰のためにあるのか?

 以前、私はシナリオライターになりたいという友人が、「なんのために書いているのか解らなくなった」という痛切な言葉に、漱石の『草枕』の冒頭の部分を採り上げて、それが答えになるんじゃ無いのかと考えていた。しかし、それでは甘いことを思い知った。また、ある友人の結婚式で知り合った奴は、二人がかりで10分映画を作ったりして、「誰かに何かを伝えたいのが目的だ」と言っていたが、私は直感的に、『こいつは間違っている』と感じた。黙っていたが・・・ピカソがあの戦争画の大作、『ゲルニカ』を描いたのは、誰かのためであったか?否、魂の揺さぶりというか、自分自身の中で押さえきれない何かをキャンパスに叩き付けるために描いたのであろう。古今東西、すぐれた芸術というものは、決して他人のためのものでは無い。何らかの、己の押さえがたい魂の燃え上がる炎を納めるために、そのはけ口として、成り立って来た筈だ。それらは、決して、他人の為では無く、自分との葛藤であり、後から他人が共感するものなのだ。例えば、漱石はお気楽物は別として、本気で書いたものは、一つとして人のために書いてはいない。何か、自分自身だけが抱え込んだ『問題意識』をぶつけているのだ。つまり、執筆をして、うさ晴らしをしていると言っても過言では無い。再び、シナリオライター志望の友人に、今、「なんの為に書いているんだ?」と聞かれたら、私は、「押さえきれない情熱の炎を鎮める為に書いている。後に残るのは、俺の魂の灰と、へたくそな文章だけだ」と言うだろう。そうして、『自分だけの衝撃』について語るだろう。物書きなら文章で、音楽家ならメロディーで、絵描きならデッサンで・・・あらゆる豊かな感受性が、凡才でも必要だし、1000表現して、1つでも残れば、いいじゃないか・・・どんな人にもそれ位はできるはずだ・・・・・・さて、これからビールでも飲もうか、と思ったら、眠くなってきた。眠るべしかな。

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