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2013年8月

クロネコヤマトVS郵便局

・無性に人生のつまらなさを感じた私は、昨日、早朝、AMAZONで衝動買いをした。お金を貯めるストレスが爆発したのだ。四万ほど使った。CDやら、KINDLEやら、本やら、その他をカートに入れまくった。そして、速達便で頼んだ。私はキャッシュ派なので、何でも現金で払う。クレジットカードも持ってはいるが、衝動買いを避けるために、あまり使わない。昨日の午前四時頃、このblogを書いた後に、やたら暑いので(日中程では無いのでクーラーは使わない)苛立って、焼酎のウーロン杯をやけくそみたいに飲んだ。その結果、怒りの対象が、購物欲へと変わった。半年に一回位、私はこうなる。それでも、『金』については悩んでいる。昔、坊さんに聞いたら、人間の五大欲は、押さえすぎると爆発する、と・・・昨日、私は爆発したのだ。限度というか分別はつけてはいたが。それから眠りに就き、起きると、暑すぎる地獄が待っていた。そんな中で、嫌でも飯を食う。今年は異常な暑さだが、今のままでは来年以降も続くであろう。一昨日の『クローズアップ現代』でも異常気象についてやっていた。海底の温度を今頃計っているというのだ。東大の教授がだ。地球温暖化に伴う『プレート膨張説』も『日本熱帯化説』も当たり前のことでは無いか・・・まあいい。衝動買いした荷物は、ヤマト運輸と郵便局に別れたのだが、どっちが先に着くのか楽しみであった。丁度、昨晩の7:20頃、30秒差でヤマト運輸が勝った・・・だてに修羅場を乗り越えてきていないな、と感じた。

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研究室の選び方

・私の大学時代の就活は、四年の前期からであった。理工学部の中でも、機械工学科というのは一番ツブシが効くので、多くの友人、知り合いが文系就職したり、学校推薦でメーカーに行ったりというのが目立った。私は、自分の将来について考える時間が欲しかったので、院に行ったが、研究室を選ぶのは大学三年の末だった。結果、最悪の研究室を選ぶことになる。たとえ、どんなにきつい研究室でも、勉強について行ける自信はあった。しかし、指導教官が最悪だったのである。文系就職を希望される方ならともかく、その道で食って行きたいと思うのなら、尊敬できる指導教官を選ぶべきである・・・以前、私の大学の機械工学科では、材料力学と、流体力学と、ニュートン力学のややこしい物が、三本柱だと記した。細かく言うと、その枝は何層にも別れ、いろんな研究がなされていた。院の時に、大学三年生の後輩達の答案を添削していたが、出来の悪さに唖然とした。大学三年生にもなって、微分方程式が解けないのである・・・まあいい。研究室という所は、組織だ。上下関係もある。そして、指導教官が研究テーマを決めてしまう。論文も書かねばならない。この場合、経験上、何にも解っていない、名誉欲の塊みたいな教官は、絶対に避けねばならない。あくまでも、学問を追究している教官を選ぶべきだ・・・しんどいのは当たり前である。私もそう覚悟して入ったのだが、教官が私よりもおばかさんだった。名誉欲だけが先んじて、どうしようも無い奴だった。私は、これは進むべき道では無い。時間の無駄だと感じたので、院の二年に上がった四月に退学届を出した・・・そして旅に出て、帰って来たら、塾講師をした。研究室を選ぶ場合、やはり、尊敬できるほどの、一流どころを選ぶべきだ。その前に、それが本当に自分が人生を賭けてやりたいことか、自問自答せねばならない。

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桑田佳祐を哲学しているDJ

・お袋の買い物の足に、車を運転したが、最近の私は面倒なのでCDを掛けずに、FMを流している。なぜだか解らないのだが、ラジオを点けると、VICKSが効かなくなるのだが、もう慣れた。丁度、J-WAVEを効いていると、サザンの特集をやっていた。最初こそ適当に聞いていたのだが、段々、DJが桑田佳祐についての哲学論みたいな話をし出したので、可笑しくなってしまった。私個人としては、これは桑田さんが酩酊状態で作った曲では無いのか?とか、半分趣味に走っているな・・・などと感じていたのだが、そのDJは言葉巧みにサザンのエロ音楽についてテツガクしていた。桑田さんのエロい歌詞が許されるのも、サザンに、紅一点、原由子さんの笑顔があるからである・・・などと、おもしろ可笑しく語ってくれた。お袋は桑田さんの歌詞を聴き取れないので、適当に、プロデビューのきっかけとなった、『女呼んでブギ』の冒頭を歌って、「これでデビューしたんだよ」と語っていたら、案の定、信じられない顔をしていた。そして、同じく、「そんな歌詞ばっかり書いていたの?」と聞くので、「1/3はそうかなあ・・・でも素晴らしい歌詞も書いてる。天才だな」と応えた。私は、桑田氏は才能が涸れたかなと、残念に思っていた時期もあったが、食道がんを乗り越えられて、大分、変化が出てきた気がする。まだまだ、ガンガンにエロイ曲や、誰もがしびれるような音楽を提供して頂きたい・・・P.S.:桑田さんのソロの『フロムイエスタデイ』の中の、英語の歌詞の歌で、『I got no chance.』と叫ぶところ、私には、「加藤茶~~」と叫んでいるようにしか聞こえないのだが、気のせいだろうか?

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返事の無い塾

・私が中三から通っていた数学塾に、初めて行ったとき、いくら、インターフォンを押しても誰も出てくることが無かった。前もって連絡を入れてあるのに、おかしいと思った私は、怖々と、ドアを開けた・・・誰もいない。靴を脱ぎ、大量にあるスリッパの中から二つ取って、玄関から上がった。もう一度、大声で、「すいません。誰かおられませんか。入塾希望の者です!!」と言ったら、怖い顔をした、おばちゃん先生が出てきて、「今、授業の途中だから、あなたも入りなさい」と言われた。教室に入って驚いたのは、壁一面が黒板で、先週、当てられた問題を、生徒達がプレゼンしていたことだった。周りはみんな年上で(私が私立に通っていたからだ)、自己紹介の暇も無かった。それから通うことになったのだが、生半可な塾では無かった。週一回四時間、年上のクラスに入れらるんだから、当然、私が叱られ役となる。女の子には甘いが、入りたての男は、みんなの前で、ボロクソに言われる。いわゆる根性試しである。それに耐えられなかったら、早い男は一日で、遅くとも一ヶ月後には辞めていた。私もボロクソに言われたが、塾の仕組みが面白かったのと、数学が好きだったことと、学校こそ違えど、同い年の私立の友人がいるから続いた。自分も一丁前の答案を書こうと、他の人のプレゼンをじっくり観察し、頭に叩き込んでいた。根性試しにも勝った。今の子供達は、先生から叱られ、先輩からイヤミを言われたら、直ぐに親が直訴に行くという。そんな生半可な気持ちでは、何者にもなれない。我慢の末に辛抱がある。私は三年かかったが、当時の一つ上の連中共を乗り越えた。すると、理系ハイクラスというのがあって、私立(公立一人)ばかりの生徒を集めた講座で、再び、ショックを受けた次第である。

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体育の先生

・一番厳しかったのも、体育の先生方であったが、一旦、認められると(悪い意味ではなく)一番ツブシが効くのも体育の先生だった。大学の時、一科目留年した友人が二人いた。そのうちの一人は、大学二年の時に、とりわけ仲が良かった友人で、親父さんが体育の先生だという友人がいた。彼の留年が決まったときに、実家に電話した。そして、「残念だったな。来年、過去問と過去レポを、たくさん(大学に)持っていく・・・ちなみに昨日、俺は女に振られた。お前、彼女がいるだけでもいいじゃあないか」と語った友人は、案外、さっぱりしていた。暇なので採れる科目と、教職を採るという。ついでにラーメン一杯で代返も頼んだ(もちろん、次の年、過去レポと過去問と過去ノートは、山ほど持っていった)・・・体育の先生には何度か助けてもらったことがある。中高時代もそうであるが、大学時代もそうである。高二の体育祭の騎馬戦の時、騎馬の私は、ケリやからみを入れた。お互いに関節などの急所は蹴らない。そんな中、ケンカになる恐れがあると、一部教員が近寄ってきた。『こんなことは柔道で言えば当たり前のことなのに、あいつら、何を恐れているんだ?男子校の騎馬戦っていうのは、こういうものだろうが』と思った。それから、体育の先生達が私に一目置いてくれる様になった。格技大会にも、クラスメイトから選ばれて、団体戦のクラス代表として、剣道で出た・・・大学に入っても、もっと上がいた。国体に出た奴がゴロゴロいたのである。壁は厳しかったが、大学の体育の先生達も粋だった。剣道の先生は、素振りをまじめに1600回やったら、誰もいない格技場で、出身校と恩師を聞かれ、答えると、知っていたらしく、それまでの全てを、全出席にしてくれた。後期にも、コネでは無く、根性で認められた。シーズンスポーツのアイスホッケーの時も体育会の先輩にお世話になった。だから、私の大学一年の時の通知簿は、体育関連で『A』が三、勉強系では一個、計四つの『A』と、必修二つの『D』だった。

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おまえなんか、破門だ、破門

・こないだのスマホのメールを見て、今日一日、冷房をつけなかった。今日は涼しくて、参考にならないので、明日以降が勝負だ。へこんだ腹も、お袋のニーズに合わせて食べていたら、膨らみだした・・・そんなことはどうでもいい。フェイスブックの醜さとメリットを知った私は、金儲け目当ての奴と、どうでもいい奴を、大幅にカットした。やっぱり、私の本業はこちらにあるようだ・・・その背景にはこんな事がある。昨日、さらっとページを開けてみたら、私のことを『先生』と呼んでいた兄ちゃんが、三つ目の大学として、『大阪大学に入学しました』と書かれてあった。結婚もしているようだし、「お前、何歳やねん?」とツッコミを入れたくなった。呆れ果てた。詳しくページを見ていると、それまで、阪大のマイナーな、『漢方学講座』の様なものに入っていると書かれていたのに、この時期に、『勤務先:大阪大学 元』と書かれてあった。これでは意味は解らない・・・学歴が欲しいのなら、努力しろ。金が欲しいのなら、働け。学問したいなら、本を読め。こいつの履歴の怪しさには、前々から気付いていたが、元塾講師の下の奴だった、ハッタリ野郎を思い出す。そいつは、「俺、東大の大学院受けようと思ったんですけど、ペーパーテストじゃあ楽勝なのに、日程が合わないスよね」と誤魔化していたが、私が、「楽勝なんだろ?だったら東大受けろ。それが男だ」と言ったら、またもや嘘をついた。みんな、「すごいですね」などと言っていたが、私はハッタリだと見抜いていたが黙っていた。『中学生に英語も教えられないくせに、どうやって、院試の英文が読めるんだよ』と。こういう奴等とはつきあいたくは無い。終いは、どうせ、ケンカ別れだからだ。

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涼しげな一日

・昨日は、久々に、涼しげな一日だった。よっぽどゴルフの練習にでも行こうかと思ったが、土日は混む。その上、私は、何か食べるごとに寝ていた。それでも、腹がへこみ始めたのは不思議である。ゴルフの誘いを受けた友人に、「この暑さの中、ラウンドしたら、死ぬぞ」とお誘いの時に書いたのだが、友人は、「猛暑ぐれえで死ぬんなら、それは寿命だ」と返してきた。悔しいので、家の中のクーラーを全て止めた。扇風機一つで、結構、何とかなるものである。後は、練習し、友人にはかなわなくとも、『こんだけ成長したぜ!!』というところを、見せつけてやりたい・・・本当は、早朝練習に行きたいのだが、このblogがネックになっていることは否めない。午前二時近くまで起きているからだ・・・とりあえず、ゴルフは歩くスポーツなので、昨日から、足の筋トレを始めた。CATVの新しい番組も観た・・・が、その番組はレベルが高すぎて、理屈では解っていても、今の私には真似できない。とりあえず、下半身を鍛えなければ、どうしようもない。断食の影響は消えつつあるが、未だ、完璧とは言えない。こういう時に、無理をすると、しくじる。だから、エアコンを止めることと、足の筋トレから始めたのである。それにしても、友人の誘ってくれたコースは、アップダウンが激しい。相当、足に来るコースである。肋骨を折って、二ヶ月動かなかったら、足と体力が駄目になったのが、よおおく解った・・・ってあのゴルフコース、遠いいんだよなあ・・・風呂に湧いている温泉は抜群だけれど。まあ、ありがたいお誘いです。

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ゴルフのお誘い・・・以心伝心?

・私は、寝っぱなしだった。少し起きては、黙り込み、何か食べては寝ていた・・・8月20日21日と、二日間、固形物を断食していた。特に理由は無いのだが、栄養失調に陥り、昨日から、徐々にだが食べだした。体力はかなり落ちていたが、徐々に回復しだした。断食をしていると、思考能力が無くなる以前に、まともに歩けなくなるのである。真似はしない方がいい。何事も以心伝心なのかどうかは解らないが、半年ぶり位に、ゴルフクラブを譲ってもらった友人から、携帯(私はFOMAを使っている)にショートメールが来た。明けてみると、「ゴルフ行かねえか?」とあった。このところの暑さと運動不足で、なまった体を鍛え直す必要があると思った私は、「涼しくなってからでもいいのなら・・・練習と調整はしておく」と打った。すぐに、「いいよ」という返信が来た。「条件を聞いて了承し、ありがとうな」と返信した。私は、ゴルフが大好きなのである。前は今年の五月二日に、中高時代の友人二人と廻ったが、まずまずだった。まずまずと言っても、やっと、ボールが真っ直ぐ飛ぶようになった程度であるが・・・CATV で、ゴルフのレッスン番組も、毎週見続けてきた。撮りだめしたブルーレイは十枚位になる。ただ、猛暑で練習する気にもならないので、怠けていた。スタミナが付いたら、練習とサウナで、体を絞るつもりである。しかし、友人達は新幹線で来るのだろうが、私は寝不足で長距離運転しなければならないコースなのだ。去年、初ラウンドで肋骨を二本折ったコースである。空きっ腹に、寝不足で、ハーフが終わった時にビールを飲んでしまったのが原因だと言っても過言では無い(それ位、汗をかいた)。

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気持ちの錯綜

・昨日は喜んでいいのか、泣いていいのか、解らない一日だった。長く書くつもりは無い。喜びは、イチロー選手の4000本安打達成についてだ。そこまでの道のりと、我慢、絶え間ない努力に天賦の才能が輝いた瞬間だ。嬉しかった・・・が、ひとたびGoogleのニュースを開くと、藤圭子の訃報を知った。言葉を失った。ずっと憂鬱な気持ちで今まで過ごしている。自分の親父をがんで亡くした時のことを思い出していた。私は、三年間立ち上がれなかった。ひたすら、耐えてきた。人生観も変わった。三年経って、心のもやもやが消えた・・・きっとそうなる時が来る・・・合掌

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帽子コンプレックス

・昨日、弟のかみさんが、甥っ子を預かってもらったお礼にと、夕刻、我が家に寄った。弟の長男もいたらしい。私は出なかったが、その知らせを聞いて直ぐに、母に、「お返しにお米でもあげたら」とコメントした。母は慌てて用意していたが、「焦んなくてもいいんだよ」と言って、私は、自分の仕事をしていた。頂いた物は、有名どころの、ところてん。後で夜食として頂こうと思っているが、もらって得だとか、損だとか、そういう話では無い。そういう気配りが、ありがたいのだ。お袋が、弟の長男のことを、「十頭身ぐらいあるかと思った」と言ったので、私が笑って、「宝塚じゃああるまいし、せいぜい五頭身以上って所だろ」と応えると、「いやあの子、カルシウムや栄養をつけて、もっと体を大きくしなきゃ」と言っていた。弟の長男の方の甥は、中二で、エースで四番をやっている。勉強もまじめにやっているのだが、何故か体育の成績が『5』ではなく、『4』なのである。謎だ。まあいい。長男の方の甥は、ガキの頃に芸能事務所にスカウトされたらしいが、弟夫婦は断ったそうだ。昔から、帽子(CAP)がよく似合う。それに比べて、私などは、幼稚園に入った時に、既に小学校六年生がかぶるような帽子をかぶっていた。歳と共に、段々かぶれる帽子が減ってきた。しかし、この暑さで、夏には、昔、懐かしい麦わら帽子をかぶるようになった・・・坊主頭にサングラスで麦わら帽子・・・怪しすぎる。

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根性がなっていない!!

・昨日、私のことを、『先生』と呼ぶ、不思議な男にウェブ上で出逢った話をした。私も書き込み、彼も書き込み、という状態だったが、仲良くなった反面で、彼は意外なことをしてくれた。私の持病である『痛風』と、それに伴う、毎日のユリノーム(尿酸値を下げる薬)を飲んでいることを、ネット上で採り上げたのである・・・これは許せない。確かに、ネットというのは、何を書いても許される面がある。それも承知の上なので、腹は立たない。ああ、また、バカ相手にしちまったなという感じである。年齢上、後輩なので、これ以上書きたくは無いが、論理がまるっきりおかしい。私のことを『先生』と呼ぶ前に、ネット上のマナーを身につけるべきだ。言っていいことと、いけないことがあることも解らない位の奴なら、相手にするべきでは無かった。今後、ノータッチで行くつもりである。こういうバカを相手にしていると、お互いに傷つくだけなのだ。学歴社会と言っても、死語になりつつあるが、何故、人は学歴を求めるのか?そこに、優秀な人材がいるからである。勘違いしてもらいたくないのは、勉強が出来るということでは無いことだ。私が大学で得た唯一の財産は、何でも話せる友人を何人も得たことだ。彼らは、口が堅く、視野が広い。そして、面白い。大学時代に100友達がいたとしたら、今でも会っているのは5に満たないだろう。それぐらい、みんなの人生があるのだ。昨日の彼は、人生を語る以前の問題で散らかっていると思えた。

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最近の大学生

・今日は、あえて夜型にした。車検開けの車を取りに行くためにである。無事、完了した。9年乗っているが、マメにパーツを交換していたので、問題は無かった。運転して帰って来て、近頃ハマッているフェイスブック(以下FB)を開いて、観ていた。その中で、苦学している、漢方が専門の学生がいた。その子は、何故か、私のことを『先生』と呼ぶのだ。最終的には、堅苦しいから、そんな呼び方しなくていいよ、と書いた。先輩が後輩に教えてあげるのは、当たり前のことだし、君がそうできるようになったら、後輩に同じようにしてあげて、と書いた。私は理工学部機械科卒なので、薬学のことは詳しくない。でも、若いせいか、偏っているところを、僕なりに、指摘してあげた。その子の過去のコメントにも、まずいと思うところは、昨晩、チェックを入れた。彼は、渡辺美里さんが好きらしいので、話が弾んだ。久々にAMAZONで、彼、お勧めのCDを購入した。楽しみである・・・ただ、彼には、学問や勉強に対する姿勢が甘いところがあったので、そこも質問した。彼は、大学でも、解りやすく教えてもらうことが当たり前だと思っているのである・・・それは甘えなのだ。大学生にもなったら大人である。自分で勉強するのが当たり前なのだ。彼は学ぼうという姿勢があるだけいい。私の学生時代の友人など、ノートを借りるのはマシな方で、試験当日に、写させてやった奴が何人もいる。私も爆発型なので、試験前は、徹夜続きだった。成績など気にしなかったが、単位は取れたし、院にも推薦で行けた。私は極端な性格で、いざ勉強するとなったら、出席の無い授業でも、駅から走って行った。私が眼鏡を掛けている姿も、その時、初めてお披露目した。実験パートナーだった女の子からは、「あなた、今まで授業聞いてなかったの?」と聞かれたので、「人生勉強の方が忙しすぎた。今まで全部、一夜漬けだ」と応えた。学問とは、机に向かうことだけでは無い、という信念を私は持っていた・・・さて、FBの後輩、学問と勉強の違いについて、今度は、どう、挑んでくるかな・・・もちろん友人との付き合いも大切にしている。

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現代坊主論

・昨日のblogで書いた、いきなり友達の家族が岩手に行っている、という話から、私は興味深くメールをチェックしていた。時にはフェイスブック(以下FB)も。いろいろと眺めていたが、友人の最後のメールで、盛岡駅で待ち時間に取ったフリーペーパーが、坊さんについての話だった(なんでも、地域活動にボランティアで活動しているとか)。私はこれまでの人生で、嫌というほど堕落坊主に会って、説法された。そういう時は、私も黙っているわけでは無く、問答となる。クソ坊主には負けたことが無いって、世の中、そういう坊主ばかりが増えたのが哀しい・・・友人のメールにも、そう書いた。すると、FBで、友人の友人から同意見を頂いた。クソ坊主嘆き論、である。私も丁寧に応えた。それは、例えば、今の小学生に、「お坊さんって何する人?」と聞いたら、ほぼ100%、「お葬式の時の人」と答えるだろう、というところから始まった。お坊さんでも、本当に、毎日、どんなことでも『行』だと考えている人は、輝いている。オーラに圧倒されるのだ。そういう時、私は無言になる。威圧されて、問答のしようも無い。そういう方は珍しいが、人生相談などにも真剣に応えてくれる。本来、坊主とは、人生について考える哲学者でなければならないのだ。その上で、人に施しをする姿が、本物のお坊さんの姿なのだ。それにしても、堕落坊主が多すぎる。お経の意味も解らず、声だけのハッタリで済ませている奴が多い。そういう奴には、私は容赦なく質問する。相手が怯む・・・母方の爺ちゃんの葬式の時にも吠えた。念仏を唱える時間まで、仏前で、坊主がタバコを吸っていたからだ。私が、「親族が悲しみ、村落の皆さんが集まっている中で、何故、そのような愚行をする?」と尋ねた所、「時間前じゃ」と応えたので、ブチ切れた私は、「人の死をなんだと思っている、この堕落坊主!!、爺ちゃんは若い頃、結核になって、タバコは止めたんじゃ。その遺影を前に、ようもそんなことが出来たもんじゃな!!」と怒鳴ったら、集まってくれた人、みんなが、「そうじゃ、それはなかろう」ということになって、嫌々タバコを消した和尚の顔が忘れられない。葬式で無ければ、ぶん殴っているところだ。

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いきなりの友人からの知らせ

・昨日、メールの整理をしていたら、中高時代の友人から、「今、平泉にいます」という一報が入った(実はフェイスブック(以下FB)から、送られてきたメールだった)。平泉のユースは潰れたが、私は三回ほど世話になっている。というより、東北・北海道が好きで、特に、『みちのく』の方達には世話になった。東も西も真ん中も制覇した(東日本大震災では複雑な思いだったが・・・)。友人宛に、東北の見所を書いたはいいものの、情報過多になってしまった。私は『車派』なのだが、友人は、家族で電車で行ったらしい。世界遺産になった平泉についても、駅前の、おそば屋さんの事まで書いてしまった。どのくらいの期間、旅するのかは解らないが、電車だと、東北の旅は不便だ。折角、平泉まで行ったのなら、私だったら北海道、もしくは恐山まで行くのだが、友人も忙しい。平泉から花巻まで車で30分、盛岡まで、1時間位か・・・折角だから、花巻で宮澤賢治にちなんだ場所を巡るのもいいが、足が無いと不便だ。わんこそばも美味しいし(私はあんなに旨いそばを食べたことが無い)、人も温かい・・・すると友人が、宮澤賢治の像の横で、賢治先生そっくりのポーズで写っている写真を送ってくれた。場所は解らなかったが、本当にそっくりだった(笑)・・・いいなあ、旅!!行きたくても、先立つ物が無い上に、今日から車検である。また、FBでは、世話になっている友人のために、『いいね!』を押すこともある。私はゲームなどやってはいない。そんな暇があったら寝る。

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広島・長崎でなく・・・

・私は、テンションが上がると、独り連想ゲームをする。もちろん意味あることにだ。思ったことを直接的に表現するのは危険だから、いつも寝言のようにキーワードを羅列する。滅多に無い現象であるが、そういう時は、いくらでも思いつく。そして、それを、信頼できる友人にだけ送っていた。今日は、その中の一節を思い出した。それは、『ヒロシマ、ナガサキではなく、もしもエルサレムだったら・・・』という自分の一言についてだ。今日はそれについて書く・・・イスラエルの政府高官が、広島・長崎が原爆の慰霊祭をやるのに、否定的なコメントを出した。これは、いくら国を挙げてワビを入れても、許される発言では無い。私が小学校の頃、イスラエルは、とある施設の地下奥深くで、密かに核兵器を開発しているという情報が世界中に広まった。中学生になって、中東戦争のことを知った。何故、いつもイスラエルが勝つのかは、その時は解らなかったけれど、今なら誰でも知っている。世界には多くの宗教があるが、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教とメジャーな宗教の聖地がエルサレムにあることも知っている。どれも一神教だ。エルサレムについて、もめないはずが無い。イスラエルと周りの国々の戦争も、黒幕は、第二次大戦後のイギリスだと言われているが、私はそれだけでは無いと考えている・・・他にも、今日は、日本国内でも、デタラメな記事を見た。広島原爆の悲惨さを訴えた、『はだしのゲン』が、島根県の教育委員会から否定されたというのだ。一瞬、毛利と尼子の戦かとも思ったが、平和ボケも甚だしい。世界中の国々で、『はだしのゲン』が受け入れられようとしている最中に、国内でもめていたらどうしようも無い。所詮、戦争など、きれい事では済まないのだ。原爆の悲惨さ、戦争の惨めさ、解っていても無くならない争い、『はだしのゲン』は、それを如実に表している。自分だけがきれいで置こうと思うなら、断食すべきである。あんたらだって、小さな命を食って生きているのだ。水分だって採ってはならない。水の中に微生物がいるからだ・・・我々は、自分より弱い者を殺して生きている。それが、多神教たる仏教の『不殺生戒』だ。般若心経で言うなら、『不垢不浄』だ。宮沢賢治流に言うと『みんなきたなもくなく、きれいでもない』だ。『はだしのゲン』を否定する奴等、自分のクソを、よおおおく眺めてから物言え。

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ぶっ倒れそうな墓参り

・昨日の墓参りは、早朝に行ったが、かなりハードだった。というのも、一昨日、弟の次男のパワーが凄まじく、分割睡眠状態の私が、寝る暇も無くお袋と二人で相手をしてやっていたので、結局、朝食の軽めのオムライスと、街に出てのかき氷、晩は折角の黒豚のトンカツが母も私も入りそうに無かったので、弟と甥が帰った後に、ポテトサラダだけを食べて、寝た。腹は減っていたが、夜の十一時頃、私は眠りにつき、昨日の午前三時前に嫌でも目が覚めた。起きてすぐに階下の居間に行き、blogを更新しようかと思ったが、頭がぼやけて、眠れない。お盆の親父の命日だから、いくら暑くても、絶対に墓参りは欠かせない。折角、早く起きたのだから、できれば、午前五時前には家を出たい、と考えた私は、blogを手短に更新し(すんません)、午前四時頃、母を起こした。「墓参りに今から行っちまおう」と言って。母も了承し、朝食をどうするか聞いてきた。「今、食べたら運転中に寝ちまう」と応え、身支度をしてから、夜明け前に、水筒を持って出かけた。お盆のせいか、夜明け前だったからか、道は異常にすいていた。寺に車を駐め、外に出ると、蒸し暑かった、しばらく歩き、コンビニで花を買ってから、寺へ行き、階段を登って、親父の墓に着いた頃には、汗が出てきたので、ショートタオルで汗を拭きながら、墓の掃除をしてから、線香とタバコを焚き、読経し、ビールを墓の前にまいて、再び車へ。日の出を迎えたので、帰りはサングラスに変えて運転、したはいいも、恐ろしい眠気がやって来た。あんなにひどい眠気の中、運転したことは無い。母も私も汗をかいていたので、帰りは冷房をつけていたが、車幅感覚が鈍って来たので、窓を全開にした。相当きつかったが、これまた道がすいていたので、助かった。助手席の母が、「信号、赤だよ」とか、「どっかに車駐めて、タクシーで帰ろうか?」などとあんまりしつこく言うので、「教習所の教官じゃああるまいし、運転に集中させてくれ!!」と言って、何とか帰って来た。帰宅し、シャワーを浴びて、着替え、しばらくは、ボケーッとしていたが、眠気は取れていたので、母に聞くと、眠い中、私をわざと怒らしたらしい。朝からトンカツも無いだろ、という話になり、ゼリーを食べて二人して寝た。私は正午頃、起きたが、母はあまり眠れなかったそうだ。今度は仏間で父の霊を弔い、何か食べようと思ったが、簡単な物しか入らなかった。また四時間ほど寝て(母の事はよく知らぬ)、十時頃置き、やっと、お盆スペシャルの黒豚トンカツにありつけた。そして、再び三時間ほど寝て今に至る。

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親父の五周忌

・今日、8月15日は亡き父の命日である。丁度五周忌だ。来年が七回忌(四十九日が一回忌なので、六周忌に当たる)なので、早いものだと思う。昨日はちょっと悲しいことがあったので、あまりよく眠れなかったが、猛暑の中の墓参りはきついので、ここぞとばかりに、早く行って、早く帰ってくる予定。なので、これからダッシュで行って参ります。

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丈夫に生んでくれてありがとう

・最近の私は、一日に、四時間×二回の分割睡眠になっている。昨日の夕方の六時頃寝て、十時頃起きて居間に行ったら、弟がソファーでザコ寝していて、寝ぼけながら、「おじゃましてます」と言って、また寝た。私も寝ぼけていたので、「おう、いらっしゃい」と返事をして、パソコンを立ち上げた。一連の処理が終わると、母から、「昨日、徹夜だったらしいわよ」と聞かされ、弟もよく働くな、と感心した。現在、弟の中二の長男が所属している野球部が静岡に遠征に行っているらしく、弟のかみさんと小二の次男が我が家に着いたのは、夜の11時頃だった。弟夫妻は、今日の午前六時頃には出て行くらしいが、小二の次男坊は今日の夜まで預かることになった。今日は黒豚のトンカツ肉を買いに、母が次男坊を連れて、デパートまで買い出しに行くという。「車で送ろうか?」と言ったら、次男坊は車ばかりで移動しているらしく、電車に乗りたいそうだ。かわいいものである。と同時に、つまらないことに拘泥していた自分を恥じた。弟とはシャワーを浴びた後、ビールを一本づつ飲んで、母との取り決めで、葬式や戒名、車の名義変更などの話をしたが、全部了承してくれた。そして、弟の家族とお袋は現在、寝ているのだが、以前、私がお袋に、「今までの人生、いろんな事があったけれど、丈夫に生んでくれてありがとう」と言ったら、最近、働きづめの弟も、「金は働けば何とかなる・・・丈夫に生んでくれてありがとう」と言ったらしい。母は笑っていたが、人は、まず、体が資本でもある。二人とも本気で言っているのだ・・・それにしても兄弟で、お袋への感謝の言葉が一致するとは、何ともいえない。今日は、弟の次男坊の日になるだろうし、明日は親父の命日だ。猛暑の中、みんな大変である。

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ネットは何も教えてはくれませんよ

・最近の私のblogでヒットしているネタは、『ナローガイド』や『お経の覚え方』や、『浄財とは』などである。『ナローガイド(狭い幅)』がどうして成り立つのかは、あえてblogには書かなかったが、簡単なことなのである。例えば、窓などを閉める際、細い幅の方がスムーズである。何故かと言えば、その方が、物体を動かす際の回転モーメントが少ないからである。回転モーメントが少ないということは、それだけ抵抗が少なく、スムーズに物体をスライドさせる事が可能だということだ。こんなことは、小学生にでも解る。次に『お経の覚え方』についてであるが、唱えるだけなら、テープを聴きながら、一年間毎日唱えていれば、誰でも覚えられる。しかし、意味が解っていないと、馬の耳に念仏だ。私は、般若心経を覚えるために、本で意味を押さえながら、半年間、写経した。CDを流しながら・・・楽な道など無いのだ。その事は、ご理解頂きたい。最後に、『浄財とは』という質問をされる方々は、金持ちであろうが無かろうが、現代社会でのお金について、深く考えておられる、なかなかの方達だとお見受けする。仏教本来の考え方からすると、慈悲の心とは無償で無ければならない。そうなると、寺にある賽銭箱に書かれてある、『浄財』は誰も受け取ってはならないことになる。しかし、私は浄財と書かれた賽銭箱が溢れているのを一度も観たことが無い。これは、矛盾している。最近の寺は、献金額によって読む経を変える。ましてや、バイトの坊主まで使う。我が家が檀家になっている寺は、銀行の口座番号を教えろとまで言う・・・こんな無茶苦茶があるか!!まだ健康なお袋に、死ぬ前に戒名つけてやるから、金を払え、とまで言ってきた・・・あまりにも腹が立ったので、その寺とは縁切りすることにした。親父の来年の七回忌も、私と母で般若心経を唱えることにした。戒名も、自分たちでつけることにし、死んでも、坊主は呼ばず、密葬とすることにした。母もそれで納得している。それ位、堕落した寺だらけなのが現状だ。奴等に本気で冥界を相手にして食っていく覚悟があるとは思えない。それなら、体裁にこだわらず、心を込めた『南無阿弥陀仏』や『般若心経』の方が全然マシなのである。憤りを隠せないが、まあいい・・・最近反応の多かったネタについて掘り下げてみたが、易しい順に書いてみた。

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日航機墜落より

・あれは中学一年の時だった。御巣鷹山に日航機が墜落した事件。母校の方針で、八月一杯、中学生は朝日の『天声人語』に出てくる漢字を、高校生には+αで社説の漢字も全校生徒一斉に、九月の頭に統一漢字テスト、というものを受けさせられるのであった。そして、国語の先生が、ここぞとばかりに、「お前ら、70点未満だったら、親を呼ぶぞ」と脅すのである。新聞を朝日に限定するのはどうかとも思ったが、私が中一の時は、70点ピッタリで、何とかなった。そんな中で、日航機墜落の記事を何度も何度も呼んだり、TVで観たりしていた。最終的に、原因は圧力隔壁の金属疲労が原因ということになったが、その勢いで垂直尾翼もやられ、操縦不能になったとの結論が生還客からの情報で、確認された。圧力隔壁が破損した瞬間に、機内は白くなったという。これは明らかに、気圧が急激に変化した証拠だ。みなさんも車などを運転していて、一度は経験あるだろう・・・私は大学で機械工学科から材料の研究室を選んだ。ここまでは親父の背中を追いかけていたような人生だったが、親父は非破壊検査、私は腐食疲労の研究をした。疲労が起こる原因は、細かいき裂が徐々に進行していって、材料を破壊するというものである。き裂の中に液体が入ると、疲労寿命は極端に落ちるのである。それが、私の卒論のメインテーマだった・・・9.11でショックを受けた方も多かったろうが、墜落した日航機は街にでは無く、山に落ちたから、とんでもない悲劇にならずに済んだのも事実である・・・友人の一人は何も語らなかったが、その事を見抜いていた。私には、解ってくれ、という感じで、パソコンのフライトゲームで、飛行機を街に向けていた・・・無言のメッセージをくれていたのだ。9.11の遙かに前の事である。

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とてもじゃないが・・・

・とてもじゃないが、今日はblogの為に知恵を絞る気は無い。別に、お袋とケンカしたわけでも無い。弟とそのカミさんにブチ切れているのだ。八月十五日は父の五回目の命日だというのに、小学二年生の次男を預かってくれと言う依頼が、今日まで連絡されなかったことはもちろん、13~14と、預かってくれと言われた。しかも夜中にだ。これでは盆の早朝に墓参りすることなど不可能と同時に、ああ、あいつらは墓参りに行くつもりが無いから、そういう話になるのだな、と思った。せめて、預かる間の次男に、美味しい物を食わせてやろうと、鹿児島の黒豚のトンカツ、三人で食べるのもいいな、などと話していたら、弟も食うという。しかも、カミさんと長男のために二人分持って帰るという。この話を聞いた時、肉屋に勤めていたら、鹿児島の黒豚が、どれだけ高い物か当然解っているはずなのに、その、がめつさに嫌気がさした。弟の長男にも食べさせてあげたいとは思う。でも、お持ち帰りしてまで食わす必要はあらん。親父の命日に良くもそんな要求が、今頃、出されたものだと思う。私はけったくそ悪くて、「貸している金を帳消しにしてやるから、縁切りするぞと言ってやる」、と言ったら、母が、「あの子らは背伸びして生活しているからねえ」と言っていた。たしかに弟夫婦には、『どこまでガメついんだよ、こいつら』という面ばかりが目立つが、母の寂しそうな表情を観て、我に返った。携帯電話を床に叩き付けずに済んだ。

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うとりうとりと

・ここ数日寝てばかりいる。原因は謎である。今日も夕方から夜半まで寝てしまった。気がつくと寝ているのである。『寝る子は育つ』というが、充分大人だ。元々、12時間ぐらい寝なければ、頭がすっきりしないタチなのである。アインシュタインは私と同じ、長眠派。ナポレオンは睡眠時間三時間という短眠派(昼寝はしていたそうだが)。人間は寝ていても考えると実感することは多い。だから、目覚めの瞬間に閃くことが多いのだ・・・まあいい。今回は不思議な夢を観た。私が車を駐めて、母校のグラウンドを高台から眺めているのだ。そこでは、懐かしい先生方が輪になって、談笑しているのだ。何故か、海が近く、生徒は一人もいなかった。どの先生も白髪頭で、中には薄くなっている方もいた・・・しばらく眺めていると、数学で世話になった先生が、私の存在に気付き、私の高校時代の担任と来てくれた。「先生(数学の方)、お世話になりました」と挨拶すると、担任の方がふてくされた。そこで私が、担任だった先生に、「まだ訳の分からない物理教えているんですか?それだったら、この数学の先生に解析学教わって、授業の役に立てた方がいいですよ」と言ったら、目が覚めた。今になって思うと、何で、こんな夢を観たんだろう?と思った・・・同じ『先生』と言われる方々でも、努力している方と怠けている方は、生徒にはお見通しなのだ。高二にもなると、寝ていい授業とそうで無い物を自分で決める。起きとかなければならない時は、親父から聞いた故事に習って、眠くなったら、シャープペンシルで足を刺していた。

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久々の運転で、買い物の足になる

・ガソリンスタンドに車検の申し込みに行ってから、二週間あまり、私は車の運転をしていなかった。お袋が、安売りスーパーに行きたいとねだるので、3時寝の9時起きで、朝飯も食わずに行った。食ったら寝ると思ったからである。起きて30分で運転したので、寝ぼけ気味だったが、一旦、大通りに入ったら、目が覚めた。滅茶苦茶な運転ばかりしている奴が多いからである。無事に着いた頃には、暑さとの戦いが待っていた。寝ぼけていたので、携帯を忘れたが、私個人の買い物(主にお酒類)と、母に頼まれた買い物をして、私の買い物カートは一杯になった。本来は今日行くつもりであったが、混むだろうと思って、無理矢理出発した。このスーパーに来る日は、間違いなく私の預金が最低でも二万は減る日なのである。その事はユウウツだが、確かに安いので、スーパーに行って二、三日間は牛肉などを食べられる日でもある。行く直前など悲惨である。朝食は豆乳、昼食は豆腐とネギの味噌汁、夕飯は厚揚げ豆腐とナスの甘辛煮などと、豆腐とナスが入り乱れるのである。『贅沢は敵』と言うスローガンの基、たまには美味しい物を食べたい。もちろん、お袋の料理にケチを付けているわけでは無い。密かに、味噌は八丁味噌を使ったり、ワカメは鳴門のものを使ったりしているのである。今の私が一番したいことは、正午過ぎに冷房の効いた客室で、かき氷の宇治金時を凄い勢いで食べて、頭がツーンと痛くなることである。

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飲み会の日取り確定

・一昨日出した、大学時代の友人達との飲み会、『残暑の会』の日取りが決まった。二日で日程調整できたのは、ありがたいことであるが、やはり、今回も犠牲になってもらう友人がいた。幹事としては、心苦しい。他にも、後から参加するようになった友人は、みんなの気配を観て、わざと遅れて返事をくれるなど、問題点は多いな、と考えさせられた。日程調整上、一番速くリプライをくれた友人が、一人だけ参加できない日程になってしまった・・・申し訳なさ過ぎる。幹事として日程調整をやる以上、早い者順にするのは当然である(友達は選べないから)。でも、それは、やむを得ず重なってしまった場合の処置であり、当然、参加人数が多い日を優先せざるを得ない・・・辛いところだ。決して、友達を選ぶ気はない。そんなことをするぐらいならやらない・・・胸が締め付けられる。忙しすぎるみんなだから、全員揃うのが難しいし、レスポンスも早い。店の方は、毎度、草加の『Katsu』(宣伝入ってます)なのだが、今回は、友人に注文を付けた。みんな食通だから、みんなが舌鼓を打つ様なものを頼む、と。原発の事故以来、飲食業は食材にみんな悩んでいると思う。『Katsu』の店長には、何かそういうものを吹っ飛ばして欲しいのだ。もちろん、予算内で結構。高い物を要求しているのでは無く、普通の物を普通に出してくれればいい。ただし、みんなを草加まで呼ぶ以上、私以外の食通のみんなをうならせる様なものを、一品でもいいから出して欲しい。

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慌ただしい一日

・早朝、目を覚まし、やらなければならないことが山積みになっていることに気がつく。だが、私は目覚めの良い方では無い。しかし、8月6日は、私にとって忘れられない日でもある。8時になると自然とTVを点けていた。原爆の日だからだ。ここ数年で、私は原爆により一瞬で亡くなった方も気の毒だが、原爆症を患い、風評被害を受けて心の傷を負った方達のことも、深刻に考えるようになった・・・もちろん、福島の事例も発端の一つである。朝食を採り、自室のデスクトップパソコンのメンテナンスをすると、えらいこと時間が掛かった。コンピューターとのにらめっこが続いたが、アップデートプログラムのインストールが始まると、久々にいろんな音楽をかけながら、いろんなことを考えていた。全てが終わると、もう昼過ぎであった。居間に戻り、今度はノートパソコンで、大学時代の友人宛に、『夏の会』ならぬ『残暑の会』を九月にやるべく、みんなにメールを廻した。この日程調整が上手く行かないと、幹事としてはドツボにはまった気分になる。ここで、昼食を食べ終わったら、知らぬ間に座椅子に座って寝ていた。起きたら五時。現在、分割睡眠症になっているのだが、実は、これは結構しんどい。パソコンを立ち上げ、送ったメールのリプライ状況を確認。つづいてフェイスブックのチェック。コメントや『いいね』を入れて、友人から送られてくるコメントに対応。メインは中高時代の友人達だ。昨日のblogは五冊目の本のエンディングに使おうと思っていたのだが、読み直してみて自分の文才の無さに幻滅。もやもやした気持ちで風呂に入ったのが八時過ぎ。涼んでから、またメールチェック。少しづつ、『残暑の会』の表が埋まり出す。みんな忙しいことが解る。一息つくと、また、座椅子で一時間強寝る。そして、いろんなチェックが終わってから、blogのアイデアをひねり出し、現在に至る。夕食は午前様・・・幹事をやっている時はスケジュールが決まるまで仕方が無いのだが、もう、座椅子で寝たくない。禅僧じゃあ無いんだから・・・

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芸術は誰のためにあるのか?

 以前、私はシナリオライターになりたいという友人が、「なんのために書いているのか解らなくなった」という痛切な言葉に、漱石の『草枕』の冒頭の部分を採り上げて、それが答えになるんじゃ無いのかと考えていた。しかし、それでは甘いことを思い知った。また、ある友人の結婚式で知り合った奴は、二人がかりで10分映画を作ったりして、「誰かに何かを伝えたいのが目的だ」と言っていたが、私は直感的に、『こいつは間違っている』と感じた。黙っていたが・・・ピカソがあの戦争画の大作、『ゲルニカ』を描いたのは、誰かのためであったか?否、魂の揺さぶりというか、自分自身の中で押さえきれない何かをキャンパスに叩き付けるために描いたのであろう。古今東西、すぐれた芸術というものは、決して他人のためのものでは無い。何らかの、己の押さえがたい魂の燃え上がる炎を納めるために、そのはけ口として、成り立って来た筈だ。それらは、決して、他人の為では無く、自分との葛藤であり、後から他人が共感するものなのだ。例えば、漱石はお気楽物は別として、本気で書いたものは、一つとして人のために書いてはいない。何か、自分自身だけが抱え込んだ『問題意識』をぶつけているのだ。つまり、執筆をして、うさ晴らしをしていると言っても過言では無い。再び、シナリオライター志望の友人に、今、「なんの為に書いているんだ?」と聞かれたら、私は、「押さえきれない情熱の炎を鎮める為に書いている。後に残るのは、俺の魂の灰と、へたくそな文章だけだ」と言うだろう。そうして、『自分だけの衝撃』について語るだろう。物書きなら文章で、音楽家ならメロディーで、絵描きならデッサンで・・・あらゆる豊かな感受性が、凡才でも必要だし、1000表現して、1つでも残れば、いいじゃないか・・・どんな人にもそれ位はできるはずだ・・・・・・さて、これからビールでも飲もうか、と思ったら、眠くなってきた。眠るべしかな。

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入ったでは無く、入ってから何を得たかだ

・フェイスブック(以下FB)をしたての頃、高校時代の友人で、某京都の元帝大に行った友人からの、「金閣寺から母校を抜けて、いざ帰らん」というメッセージに、私が、「その想念は、こうであった。『金閣は焼かねばならぬ』(『金閣寺』三島由紀夫)より」と返信したら、彼からメールが届いたので、お互いのあれからを軽く綴った。中高一緒であったが、それほど親しかった訳では無く、正にFBが起こした奇跡の一つだった。彼は薬学部だったのだが、学んでいる途中で、その面白さに取り憑かれ、革命が起きたらしい。そうして、薬学を研究するために、中国語までマスターしていた・・・漢方薬の為かもしれない。彼も進化し続けているな、と嬉しくなった。彼は某大学で准教授をしているのだが、中国人留学生達と焼肉(中国語では火鍋)をしたらしい。中国の火鍋は、モンゴル式らしいので、私が、「モンゴルの牛乳みたいな、きついお酒は飲んだかい?僕は台湾で飲んだけれど美味しかったよ」と書き込んでみると、「さすがに馬乳酒はメニューになかったなあ。地元で飲めるところを検索したところ、一軒見付かったので、今度行ってみます」という返事が返ってきた・・・私は、大学合格などで頭打ちになってしまう知り合いを、嫌というほど観てきた。問題は、大学に入ることも大切だが、入ってから何を自分の人生を伸ばす糧としたかだ。そうでなければ、卒業してから、惨めな人生が待っている。方向性は違えど、浮かれている暇など無い、ということを彼から教わった気がする。どうせ目標にするなら、絶対に下を見てはならない。上を見て精進するのだ。

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バスに乗ると・・・

・私が小学校の低学年の頃の話である。最寄り駅へと向かうのに、バスの運転手さんの真後ろの席が、特等席だった。なぜならば、バスの運転手さんの一挙手一投足を観察できたからである。漢字は得意な方だったが、『先ず止まれ』というプレートが、どのバスの運転席の脇にも貼ってあったのだが、『止まれ』は解っても、『先ず』という漢字が読めなくて、悔しかった思い出がある。バスの運転手さんの運転の巧さなど解ろう筈もなかったが、ハンドルが大きいことには驚いた。しばらく乗っているうちに、同じバス会社の運転手さん同士がバスですれ違う際に、右手をチョンと挙げて挨拶していることに気がついた。それに気がついてから、私もバスがすれ違う際に、運転手さんと一緒に、右手をチョンと挙げると、すれ違うバスの運転手さんが、ガキの私にも、笑いながら、手を挙げてくれたのが嬉しかった。後ろの席に座っていた弟も、私の真似をするようになった。どの運転手さんも、私と弟に挨拶してくれるようになった。小学校の頃、仲のよかった友達の親父さんが、バスの運転手さんだった事もあり、その話をすると、クラス中の男子みんなが、私の真似をするようになった。今思うと、運転手さん達も、仕事に誇りを持っていると同時に、私達の振るまいが面白かったのだと思う。子供心に嬉しかった。小学校の低学年の頃の話だが、どうしようも無く懐かしくなって、書いてみた。今は、皆、座ることに夢中で、子供にも遊び心が無い気がする。

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BLUE ROSE

・四日前に、お袋が買ってきたアスターという、青いカリフラワー形状の花が二日で枯れた。仕方が無いので、街へ繰り出す予定だった私が、珍しいと思った、黄色いバラ五本とユリの花を二本買ってきた。今も卓上のテーブルで、のんびりと咲いている。ユリはこれからか。そういえば昨日は、三十年以上もの付き合いの友人の誕生日であることを、フェイスブック(以下FB)で初めて知った。花を飾った日と一緒だったので、嬉しく思った。誕生日であっても、単身赴任中なので、家族と会えないだろうなと思った私は、FBで「・・・美味しいお酒を飲んで下さいな」と書き、先程、彼からの返事を見ると、美味しいお酒を飲んだことが記されていた。花を買って正解だったなと思ったと同時に、今もぼんやり眺めていると気が落ち着く・・・ところで皆さんは、青いバラを観たことがあるだろうか。私は無い。英語で『BLUE ROSE(青いバラ)』という言葉の意味には、『不可能』という意味があるそうだ。昔から、様々な方達が品種改良しても、どうしても創れなかったものが、『青いバラ』だそうである。しかも、何かの本で読んだが、青いバラが出来ても、それが三代続かないと、正式には認められないそうである・・・前にもこの話書いたかなと、ネットでチェックしたら載っていなかったので、今日はこの話にした。と、同時に青いバラの記事が載っていたのでチェックすると、白いバラに青い染料を注入しただけという、何ともロマンの無い話であった。しかも、気色悪かった。

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本当に辞書を食う奴

・私は学生時代、英語の辞書を買ってくると、引きやすいように、まず、縦にして、マジックでA~Zまで、書いてから(最近の辞書はどうなっているか解らないが・・・)、1Pずつ軽めにくしゃくしゃにしていた。これをやると、引くときに、ページがくっつかないので、より使いやすくなる。数時間かけてこれをやると、手も疲れるのだが、辞書が扇のようになってしまうので、二晩ぐらい上に重しを載せてみると、使い勝手のいい辞書の出来上がりである。後は、引いた単語は、赤線を引きながら、必死で読んだ。他の参考書なども、赤線を引いて、読みまくった。中には、本がバラバラになって、根を上げる物もおり、泣く泣く新しい物に変えていた・・・昔から、辞書の覚えたところのページを食べる、という事は知っていたのだが、単なるギャグだと思っていたの所、親父の高校時代の同級生で、本当に覚えたところを食べていた輩がいたそうだ。私は、『ヤギじゃあるまいし』と思ったが、その人は、東大教授になるのが夢だったらしく、通学時間や休み時間など、辞書を片手に二宮金次郎状態だったそうだ。しかし、学校のクラス委員などをしていなかったため、問題となり、風紀委員(いわゆる掃除係)をさせられたそらしい。そこでも、辞書を手放さなかったので、同じ風紀委員の間でも気まずくなったが、その人は、我関せず、で三年間貫き通したそうだ・・・その人は、東大教授になったそうだが、私だったら、友達もいない学生生活なんて送りたくはない。

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数十年振りの鼻血

・前に出したのがいつだったか忘れた頃に、鼻血が出た。すぐに処置したので、すぐに止まったが、なかなか勢いのいい鼻血であった。慢性鼻炎ということもあり、右の鼻が詰まった感じで、鼻の中に血の塊が出来たら厄介だと思ったのだが、現在は何ともない。私は生まれつき、貧血気味なので、貴重な血をこれ以上無くしては困る。貧血なのを知ったのは、大学時代のことで、体調がすぐれなかった時に、大学の保健室に行ったところ、まぶたの裏が白かったので、血液検査をして、そのデータを持っていったところ、赤血球の密度が薄いと診断された。そして、念のためにと、大学病院の血液専門の先生への紹介状を書いて頂いたのだが、忙しくて行く暇が無かった。それから、擦り傷などは時々作ったが、二十年弱、何事も無く過ごしてきた・・・ところで、今回の鼻血、何が原因なのか考えてみたのだが、とりわけやらしいことを考えていた訳でもないし、何でだろうと、不思議に思っていたら、塩分の取り過ぎなのかという仮説を立ててみた。味噌汁も赤だしに変えたし、昼に汗をかくと、カリカリ梅を最低でも2個は食べていた。でも、鼻血が出るほど食べていないのになあ・・・と思案していると、母が、「スタミナ補給とか言って、ニンニクの食べ過ぎだからじゃあないの?」と指摘。『多分、それだ』と思った私は、ラーメンや豚汁に、山盛り大さじ二杯はニンニクを入れる。確かに入れすぎだな、と思っても反省しない私の鼻が、何だかチリチリしてきた。

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