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2013年7月

九官鳥のいる歯医者

・子供の頃の記憶で、おぼろげだが、何処かの歯医者に行った時、生まれて初めて『九官鳥』なるものを観た。九官鳥は、オウムよりも起用に人間の声真似をすると、事典で読んでいたので、早速試してみた。すると、本当に真似るので、驚き、いろんな言葉を放ってみた。あんまり上手に真似をするんで、その九官鳥に、「生麦、生米、生卵」と早口で言ったところ、イントネーションは合っていたが、九官鳥には難題だったらしく、はっきりとは、ものまね出来ていなかった・・・後にも先にも、九官鳥を観たのは、その一度きりであったが、その愛嬌からか、歯医者の怖さなど、全く覚えていない。

・定期的に入ってくるチラシといえば、寿司屋とピザ屋である。寿司屋はともかく、ピザの方は、『ピザハット』と『ピザーラ』の合戦状態である。『ピザーラ』のチラシが入れば、その何日後には、負けじと、『ピザハット』のチラシが必ず入ってくる。逆もまたしかりである。それらのチラシを見ていると、不思議と食べたくなってしまうのは不思議だ。しかも、丁度、ピザが食べたいタイミングでチラシが入ってくる。しかしながら、故祖父の遺言で、『外食するなよ』というものがあるので、我が家はほとんど外食することは無い。ピザについても同様である。

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「鶴瓶の家族に乾杯」を観て

・撮りだめしてあったTVの番組の中から、『鶴瓶の家族に乾杯』を二週分観た。最初のものは、紀州みかん農家の話だった。故祖父が、瀬戸でみかんを作っていたが、もの凄い重労働だということは、私も身をもって知っていた。故祖父はみかんが値崩れして以来、子供達に後を継がせなかった。私の母は、「みかんで大きくしてもらった様なものだから」と、生前の爺ちゃんのみかんを食べていた。先週の放送では、ゲストに東山さんが来ていたが、訪れたみかん農家の爺さんの息子に当たる親父さんが、みかん山で大けがをし、車椅子に乗っていた。すると、その親父さんの息子三人が、みんな後を継ぎたいと言っていた。今時、珍しい話である。特に長男がしっかりしていて、いろいろと事情を説明した後で、はっきりと、「跡継ぎになる」と言った時には、不覚にも心がしびれ、目が潤んだ。旅好きの私は、和歌山の人達にも、相当お世話になった。久々に感動した・・・今週の放送も観たのだが、旅をすると、いろんな方に助けられていた自分を事を思い出した。本来人間とは、困っている人に何かしてあげたいという本分があるのだと思う・・・奢ることはよろしくないが、卑屈になる必要性も無い。ただただ自然に、自分を受け入れること、それ以上に他人を受け入れることの大切さを教えてくれる番組だと感じた・・・人間なんて弱い。素直に自分をさらけ出して人と接していれば、必ず報われると信じたい。

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フェイスブックの仲間達

・とある友人から、「フェイスブック(以下FB)ぐらいしろよ」と言われて、悔しいので登録した。最初は、何が何だか解らなかったが、投稿はしなくても、コメントだけはまじめに書いていた。ある時、インドネシア人の女の子数名が載っていたので、友達希望かと思い、安易にボタンを押してしまった。後に後悔することになるのだが、やつらの言葉は解らない。英語も通じない。そんな中、FB上に、私の中高時代の仲間がたくさん集まっていることに気がついた。男子校だったので、男子中心だが、サークルみたいなものだなと理解した。それを通じて、懐かしい友人達とも、やりとりするようになった。一方でFBで金儲けしようとしている奴は、無視することにした。金儲けの仕組みはネズミ講とほとんど変わらないのである・・・自分の知り合いを子ネズミにしているという意味では。そんなんじゃ無くて、同じ学舎で六年間過ごした仲間達も、全国に散らばってしまった。二十年経った今、懐かしく話をする友達達・・・いいものだ。誰一人として腐ってはいない。私は友達に恵まれたと、つくづく思う。教えられることばかりだ。先日、剣道部の主将だった友人から、うちの高校が全国大会に出ると聞いた。彼は面倒見が良く、福岡まで遠征したらしい。1回戦は二人残して勝ったとのことだったが、今日は負けてしまったらしい。うちの高校が全国大会に出られるようになったことさえ奇跡に近い。それにしても、FBを観ると、恐ろしい数のトーナメント表だった。

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とりわけ

・今日はとりわけ書くことが無い。とりと言っても、かしわのことでは無い。

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無限大の話

・高校の数学教師が、「電卓で1を3で割ったら、0.33333・・・になりますよね。それを三倍したら0.99999・・・になるものだらけです。これはおかしいですよね」と言ったが、私は、『こいつ、微積分教えられるのか』と疑問に思った。その頃、無限についての本にかじりついていた私は、通っていた数学塾に行くと、私と講師のクマさんと二人きりの時があった。前の週の宿題の問題をプレゼンし、OKをもらうと、私は考えた。『二人きりの時に授業を進めると、他のみんなが困るだろう。ここは、無限について聞くいいチャンスだ』と思った私は、クマさんが無限に広い平面、と言った途端に、「そんなもの実在するんですか?」からかみ付いて、無理矢理、無限論の話にしてしまった。私が高一だったので、クマさんは、微積分の概念を知らない私に、どうやって説明したらいいんだろうと、いろんなモデルを提示してくれたが、どのモデルにも特異点があり、納得できなかった。マンツーマンの授業で、クマさんも大分私のことを理解してくれ(私立に通っているということで、学年が一つ上のクラスになり、年上の先輩には、相当気を遣っていた)、休憩時間にはクマさんから、「お前漫画読むか?」と言われたので、「はい」と言うと、「少女漫画は?」と聞かれ、「少女漫画は、あの眼のキラキラだけで駄目です」と応えたら、「馬鹿だなお前、少年漫画よりも少女漫画の方が奥が深いんだぞ」と言われてしまった。貸してくれるとまで言ってくれたが、「いつもはみんながおりますし・・・」と言って断った。休憩が終わると、また、いろいろと質疑応答をしたが、クマさんも、縛られた授業より、ずっと活き活きしていた・・・クマさんは沖縄出身で、東京に行ったら、アグネス・チャンに会えると思っていたそうだ。また、月に百万稼いでも、使う暇が無いとも言っていた。現在どうしておられるだろうか・・・琉球大の数学科の講師になったのは、知っているが・・・教授まで出世してくださいよ、先生!!

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教習所では指名するな

・私が車の免許を採ったのは、19~20歳にかけてである。あの頃は、入金してから六ヶ月以内に免許を採らなければ無効になってしまう時代であった。私は、大学の春休みを利用して採ろうと思ったが、「君、残り二ヶ月だけど大丈夫かい」とまじめに言われた。原付の免許をその一年前に採ったので、学科は退屈なだけだった。暇なときには違反点数だけを覚えていた。実技の方は指名制だったけれど、私はそれをやらなかった。人それぞれ性格が異なるように、運転の作法もいろんな方から学んだ方がいいと思ったからだ。第一段階で、独り言をぶつくさ言ってハンコをくれなかった教官以外には、どんどん質問しまくった・・・昔の行きつけの床屋のおばちゃんが、「教習所に通わずに一発で採ったわよ」と自慢していたが、二回程、強烈な事故を起こした。私は何も言わなかったが、『このおばちゃん、教習所代より高い金払っているな』と思った。母が免許を採ると言ったのは五十の前半ぐらいだった。当然、AT限定で臨んだらしいのだが、相当な時間と金が掛かった。私が、「教習所の先生は指名しない方がいいよ」と言ったので、母もそうしたのだが、だれよりも早く行って、学科の勉強をしていたのには感心した。母が、「教習所の先生は、何にも教えてくれなかった」と愚痴を言うので、「それは、聞かない母さんが悪いよ」と言ったが、卒検のコースを全部走ってあげて、目印や注意点などを全部教えてあげた・・・無事免許は採れたものの、車庫入れが出来ず、今ではすっかりゴールド免許のペーパードライバーである。唯一の自慢は、学科の試験で、私が95点だったのに対し、母は97点採ったことである。

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1980円の扇風機

・母が買い物に行きたいと言うので、その足になった。自己時差が六時間あったのできつかったが、車を運転し、激安スーパーに向かった。眠いので、アイスコーヒーを飲んだが、行きは結構きつかった。初心者の軽がバンバン飛ばし、無茶苦茶な運転をしていたので、頭にきて、ぶち抜いてやったあたりで、目が覚めた。片道30分ほど掛かるので(渋滞で)、本来、私は、調子の悪いときに運転するのは嫌なのであるが、こないだ、「クーラー病になってるし、何とかしないとねえ」と母が言ったので、私が、「あそこ、1980円の扇風機があったよ」と言うと、母が、「それ買おう」と言っていたのも要因であった・・・後は、そのスーパーに行くと、牛肉が食べられるのも要因の一つである。いろんなものを箱買いできるのも、メリットである。私は予備のサンダルを買い、預金が三万減る中、お酒やカツオブシ、カキ醤油や八丁味噌を探していた。全部、すぐに見付かったのだが、味噌にもいろんな品があるのだなと、驚いた。最近は、NHKの連ドラの影響からか、毎日、味噌汁を飲むようになった。簡単な作り方だと、『ほんだし』を混ぜればより上手くなることが判った。その前は、暑い中、お好み焼きも食べた・・・まあいい。扇風機の話に戻ると、帰って来てから取り付けてみたが、涼しい日には快適である。タイマーも付いているし、弱でも、結構、心地よい。愛犬の弥吉君が、風を浴びたくて私の膝に、時々乗る。扇風機自体が回っているから、意味は無いのだが、弥吉君にとっては産まれて初めて観た機械。好奇心が旺盛なのだろう。

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気温44℃越え

・小中高と一緒で、お互い一浪し、宅浪していた私に模試の受付をしてくれたり、資料を二部づつ取ってきて、一部を私にくれたりと、ものすごく親切にしてくれた友人がいる。実家は私の家から徒歩三分かからないので、学生時代はよく、私の部屋で飲んだ。彼は某電話会社に入ったが、三十の時に結婚し、まもなく最寄り駅そばのマンションをローンで買い、二人の子宝に恵まれた。ずっと、自宅から通っていたのだが、昨年位から、仕事のある日は単身赴任している。休みになると電車で帰り、家族と和んでいるようだ。単身赴任先では、フェイスブック(以下FB)で、いつもラーメンの写真が載っていたりしていたので、『野菜は採っているの?』と聞いたら、彼から『朝は野菜をスープにして食べている』という返信が来たので、一安心した・・・が、今年の夏は猛烈に暑い日が続き、仕事から単身赴任先の部屋に戻ると、『たまごっち』みたいな形の温度計が44℃超えをマークしている写真がFBに載っていた。帰宅すると窓を開け、涼むそうだが、尋常な暑さでは無い。私の記憶では、彼はクーラーが苦手だった筈なので、どうしているのか聞いてみたら、扇風機で凌いでいるそうだ。通勤時間は徒歩10分らしいが、携帯の通信基地のメンテナンスをするため、歩き回っているらしい。FBで別の友人が、富士山頂上で携帯が使えたのは彼の会社だけだと語っていた。安心して携帯電話が使えるのも、彼のように頑張ってくれている人がいるからなんだな、とつくづく実感した。私は今までずっと、彼の会社の携帯電話を使っている。せめてもの御恩返しだ。

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二度手間

・車検の受付に、近所のガソリンスタンド(以下GS)に行った。前にも行ったのだが、早すぎたので、車検証のコピーを撮ってもらい、予約をしただけであったので、7月21日(日)以降に、見積もりをしてもらうことになり、行ってきた。ディーラーの方が確かなのだが、なにせ高く付く。そこで、GSでやってもらうことにした。これで二度目である。もう九年乗っている車なので、車検の時に一度にいろんなパーツを交換すると、高く付いてしまうので、二ヶ月に一回づつ自分で変えた方がいいと納得したパーツは、交換してもらっていた。また、エンジンルームなどをチェックしてもらうときには、必ず私も立ち会って、オイルの色などを見せてもらう。そうしないと、交渉する際に何も言えないからだ。今回はメカニックの方が、「エンジンオイル、交換した方がいいかもしれませんね」と言ったが、私はまだ大丈夫と判断したので、「また、数ヶ月後に交換します」と、トゲの無いフォローを入れながら、断った。メカニックの方も、「これなら、車検に通るでしょう」と言って下さったので、今回は車検費用だけで済んだ。家に帰った直後、電話が鳴ったので取ってみると、GSのお姉ちゃんから、「申し訳ありませんが、車検証を返し忘れたのですが」と言ったところで、私が、「では、今から取りに行きます」と応えて、再度GSへ・・・行ってみると、以前、コピーした際に、本物とコピーと入れ間違えた様だった。私が、「いろんな失敗をして、仕事を覚えて下さいね」とフォローしたら、「そう言って頂くと助かります」と言って、ティッシュ十箱をくれた。とんだ二度手間であった・・・というより、一ヶ月近く、コピーの車検証で走っていたことを考えると、何も無くて良かったな、という気持ちになった。

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ボイコット

・久々に選挙をボイコットした。最初っから、自公が勝つのが見え見えだったし、入れる党が無かったのだ。私は、安倍君のやり方には賛成できない。確かに憲法を改正することも重要だろう。しかし、景気が良くなったのは、輸出産業にはよろしい材料だろう。しかし、アベノミクスとは、『弱者は死ね』と言っているようなものだ。前の衆議院選挙で懲りたかと思っていたが、相変わらず民主と維新で潰し合っている。これでは、どうしようも無い。民主党がマニュフェストを守らなかったどころか、ことごとく国民の苦しみを裏切った・・・これでは国民の信用を失うのも、やむを得ない。また、脱原発を主張して、通った奴にも聞きたい。現在、火力と水力で電気をまかなっているのが現実だ。だったら、地球温暖化問題はどうなるのか・・・太陽光や風力?そんなものでは、停電が起きるだけだ。コストが高すぎるのだ。お前が金を払うんならそうしろ、と言いたい。調子のいいことばかり言っているんじゃねえ・・・少し前に、東電の福島第一の所長が食道がんで死んだ話を聞いた。うちの親父も、原子力技師だったが、親父が担当した所は、無事だった。命がけで原発のトラブルを防ぎ、八年間のあらゆるがんとの闘病の末に五年前に死んだ・・・お前にその覚悟があるのか?あるんなら、その覚悟を示してくれ。おい、役者じゃあ食っていけなくなった山本、親父達が原発推進した安倍と一緒に、福島第一に国民の代表として行け。死んで止めてこい・・・こんな事を書いても空しい。選挙をボイコットしたのは、政治的関心が無いからでは無い。憲法問題に関して、熟慮すべきだと考えたから、投票率を下げることによって、現在の日本の政治にNOと突きつけたのだ。

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物の真贋

・テレ東の番組、『開運なんでも鑑定団』を毎週楽しく拝見している。今田耕司氏が司会を始めてからは、コイツで大丈夫なんかいな、と思っていたが、さすが吉本魂、最近、少しずつ、観る目が肥えてきたようだ。先代の島田紳助氏も長いことやっている間に目が肥えた、と中島誠之助氏が本で書いていた。陶磁器とか絵画などは私にも、大方、真贋が解るようになってきたのだが(週に一度は値段がぴったり合うようになった)、書や掛け軸の場合、カメラさんに近寄ってもらわないと、これは本物だ、と確信しても、コピーであったりする。焼き物なども、裏を見せてもらわなければ、判断しかねるところがある。書画などでいえば落款(らくいん)か。鑑定士の癖や値段の付け方の特徴も判ってきた(例えば、安河内さんは、よっぽどひどいもので無い限り一万円以下は付けない)など・・・あとは、番組の流れを読むことも重要だ(最初の二人が安いと、最後は高いとか・・・)。そんなこんなしながら、毎週、楽しみにしている。以前、あの中島誠之助氏が二億円付けたときには驚いたが、その前に、新発見の宮沢賢治の書類などが出てきたときには、『これは一億円以上するな』と思ったら、一億二千万円だった・・・この時の鑑定士は忘れたが。宮沢賢治の学生時代の親友の孫あたりのじさまが出ていたが、ああいうものは、個人で所有せず、花巻の宮沢賢治記念館に展示すべき物だと思った。東日本大震災でどうなったか心配である。

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無性に食べたくなる物

・東日本大震災が起こってから、今年に入り、NHKの連ドラの再放送が多くなった。撮りだめして観ているのだが、現在やっている『あまちゃん』の時には、うにを。『てっぱん』の時には、お好み焼き(別にもんじゃでもいい)を、『純情きらり』の時には、八丁味噌を食べてみたくなる。暑い時季だから、お好み焼きは無いにしても、うにの寿司と、八丁味噌は食べたい。近くのスーパーに買い物に行ったお袋は、早速、岡崎産の八丁味噌を見付けたそうだ。ドラマに便乗しているとしか思えない戦法・・・抜かりが無い。母によると、赤だしで固くて、値段は他の物の倍するそうだ。うちの母は味噌汁があまり好きでは無いので、きちんとだしを採らない。なので、今度、普通のみその味噌汁の場合と八丁味噌の物を作ってもらい、味を比べるつもりである。他にも、味噌田楽やら豚汁やらで、違いをかぎ分けてみたい・・・お好み焼きは、大学時代、広島風のものを友人が作ってくれたり、実際に瀬戸の島に帰る前に、広島のお好み村に連れて行ってもらって、ヘラで食べた。お袋は神戸なので、目玉焼きのような玉子とかそばは入れない。でも、大阪風でも無い。タコ焼きも神戸という街では、大阪風と明石焼きとの激戦区で、私はどちらも好きだ。ただ、タコが入っていなかったり、小さかったり、六個で500円などというものは、美味しくてもいただけない・・・それにしても、何故、お好み焼きやタコ焼き、というよりソースとマヨネーズが合うのだろう。不思議だ。

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暑すぎるし、この物価高はなんだ

・今年は梅雨明けが異常に早く、猛暑を憎んでいる。起きても食欲がわかず、朝食はリンゴジュースと豆乳と冷やしトマトで過ごしている。あとは、塩分補強のためのカリカリ梅か・・・何処かのニュースで聞いたが、部屋にいても熱中症になる時代である。異常だ。昔の夏はこんな筈ではなかった。七月二十日前後に梅雨明けし、お盆が過ぎると、夏も終わりだな、と思い、短いけど暑かった夏に、蝉の一生を感じたものだ。虚しさを覚える中、秋の虫の音が鳴っていた。人間でさえ対応しきれずに困っているのに、昆虫や植物などは対応しきれるのだろうか?少なくとも愛犬の弥吉君は対応できていない。それまで寝ていても、私がアイスキャンディーを食べ出すと、 何故か目を覚ます。三分の一は彼に取られてしまう。「もうない」と、手を広げて示すと、すごすごと自分の場所に戻る。一番冷房の効いている場所だ。そして寝る・・・昔、親父が出張で台湾に行った時、台湾の犬は、夏は日陰でぶっ倒れていた、ときいたことがあるが、実際に私が行った時にも、道端でぶっ倒れている犬を何匹も観た・・・最近は日本でも暑すぎて、食欲が落ちている。昼食は、ざるそば→そうめん→冷やしうどん→冷やし中華、の様なローテーションが続いている。本当は、冷えた野菜をしこたま食べたいのだが、3.11以降、野菜が高くてまずくなった。何とかしてもらいたいものである。円安になって物価が上がり、その上、消費税まで上げられると、やってられない。一揆でも起こすしかない。

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私の音楽の素養 その4

・大学に入ると、当たり前のようにカラオケが待っていた。最初は声の出し方も解らず、地声で歌っていた。しかし、みんな、滅茶苦茶上手いのだ。『のど自慢』だったら、私が鐘一個で、他のみんなは鐘三つだった。どうしようかなあ・・・と考えているうちに、『そうだ。私より下手な奴を誘って、授業をサボってカラオケに行こう』と思い、みんなを誘った。アルコールも昼からだけど、ビール一本ぐらいならいいだろ、と思い、持ち込み可の店に通った。段々、声の出し方も解ってきたが、耳がいいのと、はやりの曲やサザンなどのCDを聞き込むようになった。だから、友人が歌っている曲を三回も聴いたら、歌えるようになった。あえて、私が友人の十八番を歌ったら、「お前、CD買ったのか?ずるいぞ」と言うので、「そんな金無いよ。お前が歌っているのを聞いて覚えた」と言ったら、友人は唖然としていた。地声は悪いのだが、すぐに覚えていた・・・うちの弟夫妻とカラオケに行った時、弟も地声は悪いのだが、1000点満点を叩き出していた。会社のカラオケ大会でも、賞を貰ったそうだ・・・その後、吉川晃司の高音でのビブラートにハマったが、飽きが来て、女性歌手の曲を歌ったりったりもした。中高時代の二次会のカラオケでは、負けたことがない。今はあまりカラオケに行く機会もないが、私が好きな曲は、サザンの『メロディ』、『真夏の果実』、『いつか何処かで』その他、吉川晃司及びコンプレックスの『1990』その他、米米CLUBの『浪漫飛行』、踊りながら歌うマイケルジャクソンの『BILLIE JEAN』、宇多田ヒカルの『First Love』(これは高音が出ない)、その他の女性歌手の曲全般、数え上げたら切りがないや。まあ、そんなところです。

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私の音楽の素養 その3

・クラス皆の前に立ち、タクトを握ると緊張してきた。ベートーベンの交響曲五番、『運命』の冒頭が始まったと同時に、タクトを振ってみたのだが、次第に速くなる部分でズレが出て来る。クラスのほとんどの奴がそうだったのだが、私もその罠にはまってしまい、すごすごと席に着いた・・・ここで余談だが、私の母の通っていた女子校に、ものすごく音楽に熱心な先生がいて、短大で音楽学部の音楽科と高校でも音楽科を作ったらしい。そして、母の友達が家族で、とあるコンサートを見に行った際、たまたまその先生もいたらしいのだが、コンサート会場の真ん中の通路で指揮者(タクトこそ持ってはいなかったものの)気取りで指揮をしていたらしい・・・ところで、私の方はというと、中三に上がってからは、音楽の記号の意味を習った。ペーパーテストでは九割以上(問題が易しかったので)採れていた。ある授業の際、コード(コード・ネームつまり和音)の話になり、男子校だったこともあり、誰かが、「コードネーム?何かの間違いじゃあないでしょうか?」と言ったと同時に、大爆笑が起きた。中二の時の先生とは違う先生だったが、笑いながら、「ふざけたこと言ってんじゃあねえ」と言っていたが、そこが思春期の男子校の怖さ、一度そういう話題になってしまうと、止まらなくなり、授業にならなかった。高校に入ると音楽、美術、書道のうちの美術を選んだ。歌声に自信が無かったからである。私がカラオケをまともに歌えるようになったのは、大学に入ってからのことである。

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私の音楽の素養 その2

・次の音楽の授業の時、小学校仲間は、皆、四分音符だけでこなしていた。私は不思議に思った。何で、四分音符しか使わないのだろうかと・・・すると音楽の先生が、私の曲を観て、みんなの前で演奏しなさい、と言われた。一回目は三つ目の所まで行ったのだが、トチった。もう一度といいながら、どんどん吹けなくなった。それでも先生は、褒めてくれた。音楽の素養の無い私が、十六分音符まで使って、メロディを作ろうとしていたからだ。今になって思えば、全音符四つで、済ませれば良かったのかなあ・・・とも思う。でも、その時は必死で、眠気と戦いながら作った・・・その後、中学受験で男子校に行った私に音楽の理屈を教えてくれた先生もいた。中二の時は、どこかのオーケストラの指揮者をやっている先生が、何故、ドイツ音階を使うのか、ということについて説明してくれた。それは、ハニホヘトイロハでは、半音上がったり、半音下がったりする時に、一々、変ハ短調とかいうよりドイツ音階で、例えば、Cis(ツィス)などと単純に言えるからだとおしゃっていた。他にも、ドイツの音楽の歴史などについても語ってくれたし、何より、クラッシックをたくさん聴かさせてもらった。みんなうつぶせになって寝ていたのだが、その先生は、「耳だけで聞くことも大切です」と、神のお告げの様な言葉を吐いてくれたので、次週から、私も存分に寝かさせて頂いた。しかし、その先生は指揮者だけあって、試験で、クラス全員に、『運命』の最初の部分のタクトを振るように指示した。『音楽音痴の俺にとっては難儀やなあ』と思って、ゆううつだった。そして、私の順番が回ってきて、席を立った。全くと言っていいほど自信が無かった。

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私の音楽の素養 その1

・私の家には、私が高一になるまで、音楽を聴く媒体は、ウオークマン(それも中三ごろ)しかなく、誕生日祝いとクリスマス祝いを合わせて、CDラジカセを買って貰った。年玉で、当時はやっていた曲も聴いたが、訳の分からない日本人英語に飽きが来た。学校で高一の時に洋楽に詳しい友達に、「何から聞けばいい?」と聞いたら、「やっぱり最初はビートルズからだろうな」と教えてくれた。彼は既にQWEENの『KILLER QWEEN』を聞いていた。そんな中、モーツアルトのブームが起こり、ピアノの音が好きな私は、試しに小遣いで、二枚買ってみた。最初はどこが凄いのか解らない。数年後に自分でバイトして、他のクラシックを聴いた時に、彼の凄さが解った。感動した・・・私は、全く音楽用語は知らないが、小学校の時に、ト音記号の後に、4/4と書いていたら、五線紙を四分割した後で、一つあたり四分音符を四つ入れろという意味なのは解った。四分音符一つで八分音符二つ、さらに八分音符一つで十六分音符二つ、逆も同じようなものだとは理解した。すると、六年生の時、音楽の先生から「ト音記号の4/4で五線紙一行分、作曲してきなさい」という宿題が出た。塾から帰って、宿題をこなそうとした時、これは、四分音符だけではロクな曲が出来ないなと思った。そこで、縦笛を吹きながら、あろう事か、十六分音符まで使ってメロディを作ってみた。家で練習してみると、三回目でやっと完奏できたが、コードも解っていない私は、駄作だと、破り捨てたかった。

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凄い才能

・昨日の私のblogで、「タンタンターン タタタタターンタタ」というモーツアルトのメロディで始まる曲を教えて下さいとお願いしたところ、常連さんから、「アイネ・クライネ・ナハトムジークで間違いありません。その第二楽章です」というコメントを頂いたところ、見事ビンゴだった。私は、アイネの第一楽章の途中をイメージしていたのだが、その教えて下さった方が、言い切り、当てた才能に驚いた。この人は絶対に音楽を相当練習されたのだろうと思った。先程、フェイスブックをチェックしていたら、依頼主が喜んでおられて、私の名前を挙げていたので、コメントで、「私だけの力ではありません。教えて下さった方がいたのです。その方に感謝です」と書いた。そして、現在まで、アイネの第一楽章と第二楽章を聴いていたが、どちらも聞き覚えがあるメロディだった。私には音楽の教養もほとんど無いし、絶対音感もないが、耳はいい方だ。ピッタリ当てはまっていた・・・ところで、私の答えも惜しかったんだなということに気がついた。それは、つまり、私がアイネの第一楽章で指摘した部分と第二楽章の出だしがそっくりな面もあるのだ。異なるのは、テンポと、曲の雰囲気(バラードっぽくなるとしか私には言えない)、少しの音符の書き換えで、第一楽章と第二楽章に繋がりがあるという、モーツアルト・マジックに化かされた気分だった。そこに繋がりがあるとは、つゆほどにも考えていなかった・・・いずれにしろ、教えて下さった方、どうもありがとうございました。コメント欄に自分のペンネームを書き忘れて申し訳ありませんでした。

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難題

・友人の押しつけから始めたフェイスブック(以下FB)は、解れば解るほど、サイドビジネスの場として使っていることが解り、そういう人間は無視することにした。ほとんどが男子校の友人達の会話で、素直にFBを利用している人か、友人にしか返事を書かない。そんな中、会ったことのない人だが、いつも拝見している方から、難題が来た。それは、モ-ツアルトの曲で、「『タンタンターンタ、タタタタターンタタ』の出だしから始まる曲を知っている方、曲名を教えて下さい」というものだった。モーツアルトの全集を何度も聞いている立場としては、ぜひとも教えてあげたくなった。いろいろ考えたが、「出だしではないですけれども『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』の途中の所ではないでしょうか?」と返事した。するとその方から、「アイネではないんですよ。もっとゆったりしたテンポなんです」との返事が来た。私は、多分、モーツアルトのピアノ協奏曲だと確信していたのだが、他の方が、「カルメンでは?」という返事があり、聞いてみると確かによく似ている。しかし、モーツアルトではないし、テンポが違うと思った。悩んだ挙げ句に、ピアノ協奏曲の21番と27番を提案した。これは、私が高校生の時に、小遣いで初めて買ったアルバム二枚に入っていた曲である。しかしその方は、「ピアノ協奏曲だということは確信しましたが、違うんです。ありがとうございます」とメールをくれた。このままでは悔しい・・・音楽に詳しい方、どうか教えて下さい。

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孤独というもの

・私は訳あって、大学二年の秋から、抗うつ剤と精神安定剤を飲んでいる。もう四十だから、人生の半分そうしてきた。一浪したのも、宅浪したのも、そこに原因がある。何度、悩みを親に打ち明けようとしたか解らない。けれど、親を悲しませたくなかったので、ずっと黙っていた。宅浪していた夏休みの初めに、二日間ノイローゼーになり、やけくそで、勉強を始めた・・・自分が大学に入ったら、必ず、女がらみで潰れるだろうと解っていながら。のべで五ヶ月勉強し、第一志望の大学には入れた。親は喜んだが、案の定、女がらみで、二年の時に私は潰れた。二週間、大学を休んだ。アゴがよじれる程、苦しんでいた。弟は泣いた。親父もお袋も、初めて事態の深刻さに気が付いたのだ。私はこうなることを承知で、七年間、独りで戦っていた。幸いなことに留年こそしなかったが、二十歳で人前でも話せず、女性ともしゃべれずということは屈辱以外の何物でも無かった。だが、この時、私は、結婚するという権利を放棄すると自分に誓った。もう、飲まなきゃあやってられなかった。学校推薦で院にもいって、大教室で大学三年生に材料力学を教えられるようになった。院の二年で中退するまでに、荒行として、100回以上、合コンもした。「今日は帰りたくない」とか、テーブルの隣の奴が足を押しつけることもあった。マナーとして電話番号は聞いたりしたが、上記の誓いがあったため、日帰りしていたし、電話したこともない。でも、女性と話が出来るようになった。しかし、虚しさばかりが募ったのだ。自殺未遂をはかったこともある。薬を大量に飲んで、死にたかったのだ。しかし、軽い軽い薬だったので、一日寝ただけで、死ねなかった。そうこうしているうちに、父は八年間の闘病生活の後に他界し、母との二人暮らしになった。友達と飲んでいても、弱き者がさらに弱い者を叩き、金の話ばかりになってしまった。こんな会はもう止めたいと、今年の新年会で痛烈に思った。母は私が二十三の時に、「既にあんたがおなかにいたよ」と言い、今では、「結婚が幸せだと思っているの?子供育てていくのがどんなに大変か解っていない。あんた馬鹿やねえ」と言われ続けてきた。今日、頭にきて、母に、自分が薬を飲み始めたん二十歳の時の自分に対する誓いの話をした。「俺は他人がうらやましいと思ったことはない。どんな奴の子供でもかわいい。ただ、母さんがいうような話ではなくて、俺には二十歳の時に、そうする権利さえ失ったんだ」と話したら黙った。現在十二時過ぎ、四十歳、止めどもない孤独を抱えている。

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肥だめとバキュームカーの掃除

・今日は汚い話をするので、お食事中の方は、ご遠慮下さい。母がまだ神戸のひい婆ちゃんの所に出ていない頃なので、小学校の低学年の頃だろうが、母の故郷の瀬戸の島には下水がなく、ぼっとん便所だったそうだ。みんな、農家だったので、肥だめがあったそうだ。母は落ちたことはないのだが、肥だめの上には薄い板が置いてあっただけだったらしい。すると、母の従兄弟の男の子が、その板を突き破り、肥だめに落ちて、大騒ぎになったそうだ・・・こんな悲惨なことはないと思うのだが・・・その従兄弟は、必死になって体を洗ったらしい。しかし、例のフレバーが一週間ぐらい取れず、散々な思いをしたそうだ。私はそれ聞いて大爆笑してしまったが、よく似た経験をした人を知っている。私の住んでいるあたりは既に水洗だったが、一部の地域で、まだ水洗でない場所があった・・・私の小学生の頃の話である。時々バキュームカーを見かけた。当然バキュームカーもメンテナンスをしなければならず、一回で五万円もらえるおいしいバイトだと思った、弟の友達の兄貴が、中の洗浄をやったそうだ。確かに五万円もらったらしいのだが、肥だめに落ちた母の従兄弟と同じ現象が起きたらしい・・・それで、一週間、学校を休んだそうだ。その時も、悪いなと思いながらも大爆笑してしまった。今では瀬戸の島も水洗になり、この辺もみんな水洗になった。今では、もう、どちらもシャワートイレの時代である。

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書くこと無し

・書くこと無し・・・異常気象だ。

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悪い噂は賢者が止める

・諺で、『人の噂も75日』とあるが、火付け役がいたら、いつまでも続く。母が若い頃、近所の一部の悪人どもに、いびられ、苦労した。みんな、若い父と母を嫉んでいたというか、根っからの悪人なのだ。「私はいつでも貴方の味方よ」と言っていたおばはんが、自分が母のようになるのを恐れて、その渦に巻き込まれた。その頃、母は疲れ切っていた。引っ越しも考えたそうだ。けれど、特に礼儀作法において粗相をしたわけでは無く、引っ越す理由などなかった。しかし、私もひどいいじめを受けた。そんな時、母は、「人間一生で流す涙は皆同じ・・・だったら、子供の頃に泣いておいた方がいい」と言ったら、いじめが止んだそうだ。どれだけの悪のネットワークだったか伺える。隣のおっさんは、嘘ばっかり付く嫁の話を信じて、我が家に乗り込んできたことがある。母は、「自分の嫁さんの本性を見極められない、馬鹿な旦那」と言っていたし、そのおっさん、親父に、「今度焼き鳥でも食いに行きましょうや」とマヌケなことを言うので、親父は全く相手にしなかったらしい。周り近所でおかしくなったおばはんもいた。悪い噂を立てていた近所の連中も、私が中学生になった頃に、みんな逃げるように引っ越していった。ただ、近所なのだが、引っ越す際に、亭主と女房が来て(その人達は母を観て、いじめられるのが怖くて黙っていたそうだ)奥さんは泣きながら謝罪したという。その人は責められない。

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今宵、七夕の夜に・・・

・梅雨明けが平年より半月早いと聞いた。なので昼間は暑くて仕方が無いが、夜になって、空を観てみた。天の川こそ見えなかったものの、いくつかの星が輝きを放つ。どれが彦星で、どれが織姫なのかは解らなかったが、年に一度会える今宵に空が晴れていることが嬉しかった。男女の恋愛なぞ、他人が口を挟むものでは無い。二人だけにしか解らない事だってたくさんあるのだ。昔、年に一度しか逢えないなんて、酷なことだな、と思ったが、現在の私なぞ、思い出しか残ってはいない。捨てたわけでは無いが、それらも忘れた。今の私には、するべき事が多すぎて、チャラチャラしている暇など無い。自分は短命だと思っている。その代わり、太く生きようと決めつけている。私は思い込みが激しい。昔、旅先で、どうしようもなく女が欲しくなった時、私は吉田松陰を見習って、血を抜いた。我慢の一手である。万能ナイフで、太ももを軽く切った・・・最近は自分が何とか家計を立て直さなければならず、旅にもロクに出ないし、うっぷんは溜まる。女性のことを考えることも少なくなった、というより、そんな暇が無い。七夕に願い事をするのは、ロマンがあるが、そんな歳でも無い。願い事を短冊に書く暇があったら、動け、と脳が指示している。もっと汗をかけ、と。齢四十になって、自分の死に際についても考えるようになった。人生万事修行である。中途半端な男にだけはなりたくはない。

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携帯のバッテリー交換

・ドコモエンジニアリングに勤めている友人と飲んだ際、二年以上経ったら、ドコモショップで、無料で電池交換してくれると聞いた。私はスマホではなく、Fomaを使っているが、丁度二年頃使った頃から、バッテリーが弱りだした。ドコモ系列に勤めているその友人と、パナソニックでモバイル関係の戦略室に勤めていた友人の影響で、いっつも買う携帯はドコモのPということで迷った事が無かった。私にとって、携帯とは、電話とメールがかけられれば、それだけで充分なのである。万が一スマホに買い換える場合、パナソニックがドコモのスマホから撤退するという記事を先日読んだので、悩んでしまう・・・先日、街に出た際、ドコモショップの開店の十分前から並んだが、二番目だった。いざ開店すると、一人目が男性店員に、私は小柄な女性店員に、「バッテリー交換をしたいのですが、二年以上使ったら、無料だと聞いたのですが、本当ですか?」と尋ねたところ、「そうですよ」という返事が返ってきて、番号札をもらった。すぐに呼ばれ、事情を説明すると、名前と電話番号、暗証番号を聞かれ、照合確認の後に、バッテリーを交換。また、その際、安いプランに変更することにした。充電池は充電しすぎても良くないし、残量を減らしすぎるのはもっと悪いと分かり、こまめに充電しようと決めた。現在の私は、スマホを買う理由もないし、今のがぶっ壊れたら買い換えようと思った次第である。

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黒豚のトンカツ

・十年前、車中泊の旅で、山陰、九州と旅した際、鹿児島で道の駅が無かったので、やむなく高速のSAがある一区間だけ乗った。ゲームで、鹿児島の名物は黒豚と知っていたので、夕飯にトンカツを食べた。これが非常に美味しかったので、友達への土産は黒豚とすることにした。あまりに美味しすぎて、次の日の暁時、21日目にして、夢精した。幸い、夢精キッドを車に用意していたので、人気の無いSAのトイレにそれを持って行き、パンツを履き替えた。綺麗に拭いたのだが、温泉に入ることにした。鹿児島市内のガソリンスタンドで、店員に、「桜島見えませんねえ」と言ったら、「今日は雨が降っているので見えませんよ」と言われた。鹿児島に行って、桜島を観ていないなんて、かっこ悪くて、言えなかった。その後、指宿の温泉に入り、さっぱりした。来るところまで来たなと思ったので、家路につくことにした。その前に友人のための土産として、黒豚を送ろうかと思ったが、住所が解らなかったので、とりあえず自宅に、日持ちする黒豚のハムを何点か送った。友人の一人に、「まずかった」と言われ、その神経が信じられなかったので、そいつに土産を送るのは、以降、止めることにした・・・先日、お袋が街に出るというので、食欲の無い私は、「黒豚のトンカツ食べよう」と言ったら、お袋はデパートの地下で買ってきてくれた。普通のトンカツ肉の三倍したそうだが、久々に食べたら、ジューシーで旨かった。お袋も舌鼓を打っていたので、私が、「俺が言うだけのことはあるやろ」と言ったら、「今までの人生で一番おいしいトンカツだった」と言ってくれた。私にとっては久々の油物だったが、同じく、美味しく頂いた。

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父と母の結婚記念日 その4

・倉敷での旅館は、ボロ宿だったが、離れの広い部屋に泊まったそうだ。翌日、母の故郷である瀬戸の島に行ったらしい。親戚一同が集まり、父と母のために宴を開いてくれた。その時、母方の爺ちゃんの方の曾祖父である信司(のぶじ)爺さんが、父が退屈しないようにと、世界情勢とか経済の動向、その他、諸々の話を振って、親父は、『こんな田舎にこんなに聡明な爺さんがおるのか』と驚いたそうだ。瀬戸の母方の実家の集落では、三日三晩、どんちゃん騒ぎをするそうだが、仕事のある父は、先に帰った。十日後、母も戻ったらしいが、嫁入り道具が凄かったらしい。中が桐で外側にケヤキのタンスに十二単が出来るぐらいの着物を入れていたので、お針の先生をしていた父方のばあちゃんも、親父に最高級の大島紬の着物を送ったらしい。母には妹と弟の叔母さん叔父さんがいるが、普通、『娘が三人いたら、親財つぶす』と言われるが、瀬戸の爺ちゃんは自分の妹を含め、五人分の嫁入り道具をそろえたそうだ。大した爺ちゃんである。もちろんひい爺ちゃんも・・・信司爺さんは、お袋に、「何かあったらこれ使え」と、五十万キャッシュでくれたそうである。母の父に当たる爺ちゃんは、母が帰る際に、「サラ金にだけは手を出すなよ。どうしても困ったら言ってこい」と言ってくれたそうだ。母は爺ちゃん、曾爺ちゃん、みなさんに礼を言い、家路についた・・・実はこの時、母のおなかの中には既に私がいた・・・婚約後の話ではあるが。

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父と母の結婚記念日 その3

・父と母の婚約が成立し、親父は時々神戸に帰ってきたらしい。そして、いよいよ結婚式及び披露宴となる際、父は大学で尊敬していた教授に仲人を頼んだらしいが、「式には参加させてもらうけれど、用事が入っているので披露宴の途中で帰らせてもらう。それに、会社勤めしているんなら、部長さんあたりに頼んだ方がいいよ」と言われ、会社の当時の部長に頼んだそうだ。結婚式は神前結婚をし、ウエディングドレスを着た母とモーニングを着た父という、今では考えられない式で、指輪の贈呈をした。その後、披露宴が行われ、中華料理のコースで皆をもてなし、尊敬する教授から、お言葉を頂き、母の友人代表の挨拶は、中・高・短大と仲の良かった友達に頼んだそうだ。父にいろんな博打や囲碁を伝授してくれた友達は、祝儀を払わずにタダ飯を食べて、引き出物を貰うという豪傑もいたそうだ。親戚もみんな集まってくれ、母は、(小学生の時から世話になった)曾祖父がスピーチし、父は祖父がスピーチしたらしい。そうして、計二時間半ぐらいの結婚式及び披露宴はお開きとなった。皆に挨拶をしてから、着替え、新婚旅行として、一泊目は六甲山の裏の有馬温泉の高級旅館に泊まったそうだ。二泊目は倉敷で、大原美術館に行ったらしいが、ここは、私も高校の修学旅行で行った。不思議なものである。

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父と母の結婚記念日 その2

・父が正装で母の実家に行った後、父と母と母の叔父さんが、親父の実家に行ったそうだ。昔から、母の叔父も母の家庭もよく知っていた父方のばあちゃんは、家族で歓迎してくれて、お寿司が出たらしい。ただ、父方の祖父は、急なことだったので、俳句会に行っていたらしい。父方の祖父と母の初対面は、結婚式の時だった。父も、瀬戸の爺ちゃんとの初対面は結婚式の時だったそうだ。父の実家を訪れる前に、母の叔父は、「もし断られたら、大学の友達を紹介する。俺にも意地があるでよな」と言って、手土産を買って持っていったところ、歓待されたので、安心したらしい。その後、父はまた会社へと、とんぼ返り。上司には、友人の結婚式があるから、などと言っていたらしい。父が帰った後、父方の祖母が『お大師さん』に二人の相性を観てもらったところ(祖母は信心深い)、「相性がいい」と言われたので、話がトントン拍子で進んだ。その後、両家の両親と神戸の曽祖父と曾祖母と、母の叔父で、一番年上の叔父さんとで顔合わせした。母が聞いた話によると、みんな和気あいあいとしていたらしい。その年の次の春、親族の何人かが集まって、結納を交わしたそうだ。この時、媒酌人を務めて頂いたのが、母方の一番年上の叔父夫妻であった。母と叔父さん夫妻が正装して、結納が滞りなく進んだとのこと。父方の祖母や母が無事に済んだことを父に連絡したそうである。これで、晴れて婚約となった。

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父と母の結婚記念日 その1

・故父とお袋の結婚記念日は7月2日である。昨日のblogをupしたときに気がついた。何故か今まで、結婚記念日を祝う風習が無かった我が家だが、母によると、ボーナスの時期で、いつも忘れていたらしい・・・母は瀬戸の出身であるが、小学校の五年生の頃から、神戸の曾祖父の家に移り、私立の女子校に通い短大まで出て、某重工に就職した。その頃叔父に当たる叔父さんが、中高と同級生だった父に紹介したらしい。父は最初、メンパンにTシャツ、ゴム草履で会いに来たそうだ。多分、母のことを試していたのだろう。その後三人で、喫茶店で話していたらしいが、母の叔父が席を外した後、父のおんぼろカローラで、六甲山に行ったそうだ。クーラーも無い暑い日で、母は熱中症気味で、黙っていたらしい。生前の父に聞いてみると、「こいつアホちゃうんかと思った」と笑っていた。昼食時、レストランに入ったらしいけれど、母はステーキなど食べる余裕が無かったそうだ。そこで、唯一、食べられそうなものとして、カレーライスを希望、父も同じものを食べたとのこと(後で父に聞くと、会社の弁当で、まずいカレーライスをいっつも食べていたので、本当は嫌だったらしい)。その後、灼熱の太陽の下の松林で、父は、「結婚について、どう思う?」と聞いたそうだが、当時の母は山道を車で走るのが苦手で、しかも、熱中症。黙っていたらしい。父は再度、「こいつ、ほんまにアホちゃうんか」と思ったそうだが、その後、父は母を家まで送り、父は仕事のために帰宅した。そして、父が秋に神戸に帰った際には、母の家を正装で訪れたそうだ。

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車検が近づいて・・・

・今年の九月何日かまでに、車検を受けなければならないので、ディーラーよりも安い、行きつけのガソリンスタンド(以下GS)に、朝の九時過ぎに赴いた。それまで、風邪を引いたり何なりで、ほとんど車を運転しなかったので、バッテリーが上がってしまったことは以前触れた通りである。今年に入ってからも、一度しかGSに行っていなかった。行ってみるに当たって、仲良くなったGSの主任の人と、どう交渉するかをシュミレートしていた・・・いくつかの返し技のネタを考えながら。いざ、GSに着いてみると、前からいるお姉ちゃん店員がいたので、「どうも、ご無沙汰しています。車検の相談に来たのですが、主任の方、いらっしゃいますか?」と聞くと、同系列の別のGSに移動になった旨を聞き、残念に思った。そして、中に招かれ、店長と話をすることになった次第。前の主任の方が、しっかりしていて、礼儀正しく、折角、仲良くなったのにな、と思っていたら、古狸みたいな店長がやって来て、車検証のコピーをとらしてくれと言う。車から取り出し、持っていって、書類を書いて、いざ交渉か、と思ったら、まだ時期が早すぎるので、7/21以降に来てくれと言われた。車検の日まで、リッター7円引きだと言っていたのだが、無理して車に乗る方が損である。結局、その日はガソリンを7円引きで入れたが、35リッターで五千円を超したから、高いな、としか思えなかった。土産にティッシュ五箱をもらったが、安売りスーパーで178円で手に入るものなので、嬉しくも無い。現在の私は、あの古狸みたいな店長とどう交渉しようかで、策を練っている。

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『どんぶらこ』をどう訳すか

・私の父が中学生の時、実家の近くに教会があったらしい。その教会ではクリスマスになると、お菓子をくれるので、当時、仲のいい友人であった、同級生の母の叔父を誘って、行ったそうだ。お菓子をもらい食べていると、神父さんから、日本の昔話を英語で語ってくれという注文があったそうだ。親父は『さるかに合戦』を訳し、母の叔父は『桃太郎』を訳そうとしたのだが、おばあさんが川に洗濯に行ったときに流れてくる大きな桃の効果音である、『どんぶらこ どんぶらこ』という部分を訳すのに、苦心したそうである。私もその話を聞いて考えてみたが、訳しようが無いな、と思った。だから、その部分は日本語で言って、『どんぶらこ』の意味を説明するしかない。私だったら、『Long years ago,there were a old man and a old woman.The old man went to mountain to cut turfs,and the old woman went to river to wash their clothes.Then, A big peach had been flowing river 'donburako donburako'...(Donburako means the sound of the big peach which is flowing the river.)』てな感じにしか訳せない。しかも、中学生だったら、私には訳せなかっただろう。親父と母の叔父さんは、中学でも1、2を争う仲で、部活もテニス部で一緒だったらしい。高校も二人とも神戸高校だったそうだ。

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