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2013年5月

世界とつながっているんだなあ・・・

・久々にblogにコメントが来た。英語だったが解らない単語なぞはどうでもいい。その人はどこの国の人かは解らないけれど、英語でコメントをくれた。もしかしたら、日本にいる人なのかもしれない。それ位、日本語の『読む』が堪能だった。『面白いblogだ』と言ってくれたのは、何よりの励みになる。丁重に返信したつもりなのだが、ちょっと失礼だったかもしれない。相手が誰なのか解らないので、多少の警戒はする。毎日々々、ネタを探して苦悩する。苦悩した挙げ句に、一本書く。こんな毎日が続いているうちに、コメント欄を英語で書く日が多くなった。まず、パソコンを立ち上げる、メールを見る、blog欄を確かめる。最近は中国の人やロシア人まで入ってくるようになった。世界中と繋がっているんだなと、しみじみと感じる。読者の中には、パクって商売しているような奴もいる。でも、それは私のblogを認めているということであり、かわいいものである・・・私が望んでいるのは、異国の子供達(大人でもいい)が、楽しく日本語を学べるということである。たくさんの教養を身につけて欲しい。そのために、私が発している日本文化及び諸々が役に立つのならば、この上ない幸せである。『青年よ、大志を抱け』と言ったのは、有名なクラーク博士であるが、日本の漢というものは、やむを得ない場合、郷土に命を捧げる。疑う人は行ってみよ、飯森山へ。

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嘔吐

・『嘔吐』といえば、実存主義を主張した、J.P.サルトルの著書だが、朝起きて、朝食後に、実際に嘔吐したのは、私である。食欲もなく、母が、「兄ちゃん、顔色が真っ青だよ。寝ておいで」と言われ、風邪を引いた事に気がついた。確かに数日前から、のどの痛みを覚えていたのだが、イソジンでうがいして、痛みが二日で治まる中、風邪の前兆だったのかもしれない。頭痛がし、食欲もないままに、寝直した。途中、何回か起きたが、結局、市販の風邪薬と痛み止めを飲んで、寝ているうちに、今日の0:30に目覚めた。栄養失調気味の私は、フラフラし過ぎていたので、『吐いてもいいから、何か力のつくものを食べよう』と決心。丁度、母が豚汁を作り置きしておいてくれたので、すぐに食べることが出来た・・・というより、内心では、また、気分が優れなくなるのではないか?という不安だらけであった。無事に食べ終わり、ホッと一息。しかし、5月29日(水)で、持病の、『痛風』の薬が切れたので、病院に行こうと思っていたのだが、結局、行けず終い。今日、木曜は病院は休診日なのだが、明日、金曜日にも、どうやら行けるパワーが無さそうだ。私の親父も、痛風だったが、痛風の原因である、尿酸を体外に放出する薬を欠かさず飲んでいた。多分、発作が起きたときの激痛を忘れていなかったであろう・・・でも親父は、痛風の治療中、私がガキの頃に、瀬戸の母の実家まで一人で運転していた・・・マニュアル車をである。

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五月にさっき見た夢

・宇宙空間で地球人がイメージする宇宙服による宇宙服を着たまま、地球上の、人間と呼ばれる生命体により、救助される夢を見た。人間は寝ながらでも思考能力があるように、私自身も、眠りながら、夢を見て、その繊細さに驚いていた。地球や人類や、ありとあらゆる生き物というのは、何て危ういんだろうかと・・・地球以外に地球とそっくりな星があるのか?と考え続け、友人が言ったように、共時性と言うことを考えれば、いくつあってもおかしくは無いのだが、それらは、皆、ごく稀であるという意見に対して、三つの疑問にぶち当たった。一つは生命というものの儚さ。二つ目は地球という物体の脆さ、そして、現在では、人間という物体が成している地球上での、金による支配・・・ユウウツになった。例えば、新聞の社会面を書いている連中、おまえら、そんなことかしている暇があるのか?早稲田の政経、お前ら、他をアジっているのに、自分を振り返らない。それで一人前のつもりなのか?だから、朝日は嫌いなんだ・・・K.Yと珊瑚に掘った、同社の水中カメラマンがいただと?・・・ふざけるな!!人間を見極める際、学歴ではなく、人間で見極めろ。自分らで、やらせ記事作っておいて、激高する奴など誰も信用しない。それがばれたら、「申し訳ありませんでした」と言って、責任逃避を繰り返す奴の多いこと、この上なし・・・それで宣伝してんのか?・・・我々人類は、生き抜くことではなく、それを試されているんだよ。

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牡丹の花とイソップ童話

・以前、『立てばシャクヤク、座れば牡丹、歩く姿は百合の花』と美人の例えとして用いられると書いたが、私はこのような美人には、これまでの生涯で、一人にしか会っていない。逃したことを、悔いるばかりである・・・現在の卓上には、ピンク色の牡丹が咲き誇っている。母が買ってきた時、もうそんな季節かと思うと同時に、垂直な茎の牡丹をどう生けるかで迷った。「『座れば牡丹』という位だから、丈を短くした方がいい」と言って、20cmとか、15cmとか言っているうちに、バランスが取れなくなってきた。今観ると、満開なので美しいが、切る長さに迷ったときに、「あっち切れ、こっち切れ」と言っている自分が、イソップ童話の狐みたいに見えて仕方が無かった。あの、こっちが多い、あっちが多いと食べ物をケンカしている場面で、仲立ちをしようと、親切に寄り添って来た狐の話・・・多い、少ないで、もめている間にずる賢い狐が天秤で量っているうちに全部食べてしまうという話である。頭を上げてみると、卓上に、昨日まで小さな蕾だった牡丹が見事に咲いている。その花の大きさはバランスを人為的に操作しなくても、自ずから良く、はじけんばかりの勢いである。丈こそ短くしたが、また、再び、牡丹の季節がやって来たのかと、しみじみと感じる。自分の年輪にも気づかされるというものだ。

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何がNPO団体だ

・数年前、バスの停留所の跡地に、介護のNPO団体の、おかしなダークブルーの建物が出来た。駐車場と言っても、車は公道にはみ出しており、それから、私はそこを左折する際、最徐行するようになった。ご近所さんとトラブルを起こすのは嫌だし、何よりもそいつらとトラブルを起こすのが面倒だったのである。日曜日は、そのNPO団体も含めたワンブロックで、近くの公園を掃除することになっていた。うちの母も行く中、サボる奴もいる。うちの側の公園を、毎日毎日、掃除してくれるおっちゃんが、こないだ町内会の表彰を受けた。もう、定年してから、10年以上してくれていたのを、みんな観ていたのだ。その公園は、長年、カラスの巣が出来て迷惑しているという苦情が絶えなかった中、表彰された人が殺めることもあったのだ・・・近所の子供達に危ないと。相当、苦痛だったと思う。当然、その人が仕切って、公園掃除も効率よく進んだのだが、カラスの死骸を見付けてしまった人がいた。表彰された方は、「私がなんとかしますから」と言って、引き受けたらしい。それにしても腹が立つのは、NPOを気取っている奴等である。掃除に来なかったそうだ。確かに介護も重要だろうが、子供達のために、好きでカラスを処分する人がいるであろうか?介護のNPOなんかより、その人の方がよっぽど辛い気持ちを背負っていると思った次第。近所に迷惑まで掛けて、偽善者を気取るのは、止めて貰いたい。

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初めての和牛・・・水をよく飲む犬は太りやすいか・・・

・5月26日(日)であるが、そんなことは関係ない。5月25日(土)は、我が家の二代目の愛犬『弥吉』君の誕生日なのであった。初代は『弥七』君といい、四年前に、満十二歳で他界した。骨は庭に埋めてやった・・・親父が他界し、弥七君が他界し、私と母だけの暗い雰囲気を払拭すべく、ペットショップに向かった。弥七君がミニダックスの♂でタフな犬だったので、同犬種の♂にするつもりであった。私が、「名前は『弥吉』だ」と母に言ったら、「吉が多そうでいいわね」と同意してくれた。入ってすぐ、気に入ったのがいたのだが、残念ながら♀だった。すると、店員が、「もう一匹いますよ」と、裏から連れてきてくれ、顔つきが弥七君を想像させたので、乗り気になっていたところ、店員さんが、「この子は、お水が大好きなんです」と説明してくれた。チビ助で、何枚も写真を撮った覚えがある・・・それから、昨日、満四歳の誕生日を迎えた。動物病院に行く度に、体重が増えていたので、ある時、獣医から、「この犬、水をたくさん飲みますか?」と聞かれた旨を母から聞いたことがある。満四歳にして、いつも、黙ってドッグフードを食べる弥吉君に罪は無い。そこで、誕生日ぐらいは、と最近暴騰している和牛とキャベツの炒め物を食べさしてやろうということになり、私が三千円出して、超高級和牛をお袋が買ってきて、晩ご飯にやったところ、あっという間に無くなった。そして涼しいとこに行き、ヘソ天で、『もう死んでもいい』みたいな顔で寝だした。しかし、何故か弥吉君は夜型なのである・・・現在、私の側で横になっている。不思議な奴だ。

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「お疲れ様でした」と宜しくお伝え下さい。

・昨日は、朝一から歯医者に行った。ここのところ夜型だったので調整がきつかったが、何とか行った。原因は今月の頭にイチゴを食べたところ、右の上の奥から二番目の歯の銀歯と歯の間に、種が詰まった事による。それから、ナッツなどの固いものを食べると、詰まるようになってきた。やたら気になるので、わざと歯ぎしりしたり、舌で触ってみたりと、面倒きわまりなかった。歯医者は幼児体験のトラウマから死ぬほど嫌いだし、放っておいたら、虫歯になるな、という間で、悩む・・・仕方なく、今週の月曜日の午後、予約を取るべく電話をすると、いつものおばさんの声では無く、若いねえちゃんの声がした。『あれ?』と思ったが、今日行ってみて、挨拶をして診察券を出す際、おばさんのことを聞いてみみると・・・「去年辞められたんですよ」と新顔の姉ちゃんから聞き、『あの無敵のおばさんが・・・』と驚きを隠せないまま・・・名前を呼ばれ、腕のいい先生に症状を説明すると、三通りぐらいの戦法を指南された。放っておくと、いつまでも気になるし、オール銀歯にするのも嫌だったので、先生が、「ドリルでわざと穴を開けて、消毒して埋めるか」とおっしゃったので、「その戦法でお願いします」と他の頼み、あっという間に治療が済んだ。症状は軽かったらしいので、一安心。先生にお礼を言い、「あの・・・長年、受付をやってらした方が、去年退職されたと聞きました。もし、ご一緒する機会があったら、『お疲れ様でした』と宜しくお伝え下さい」と私が言ったら、先生は私の名前を知らなかったらしく、カルテを見て、「うん、解ったよ。君がそう言っていたこと、伝えておく・・・でも、こないだ会ったばっかりなんだよなあ」とおっしゃたので、ズッこけそうになったが、「必ず伝えておくよ」と約束して下さったので、嬉しい。

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一回休みだ・・・

・双六で賽の目を振る・・・賽の河原と何か関係あるのかと、余計なことを考えていたら、『一回休み』だと、なんだこのバカ野郎。

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我が家のがばいばあちゃん (その12)

・ばあちゃんは、「どないすんねん?」と聞いてきたが、「まあ観てて」と言った私は、本の仕分け方を変えた。多少、時間が掛かったが、雑巾がけまで済ませると、ばあちゃんには、何も言われへんかった。その間に、巨大なおにぎりを二つほど作ってくれはった。掃除が終わり、そして、ばあちゃんに聞きたいことがあった。率直に寝ているばあちゃんに聞いた、「俺には、商才もある。今の本の仕分け方でわかったやろ。でも、今、金持ちになったら、人生見そこなう。俺はまだまだ、いろんなことを勉強したいのも事実だし・・・ばあちゃんはどう思う?」と聞いたら、起き上がり、即答で、「それは、あんたが決めることや」と言ってくれた。私は、しばらくの正座の後に、「そうか・・・」と言い、約束していた時間を使い果たした。二階の親父のボケ兄貴と鬼嫁に挨拶をしたら、鬼嫁が真顔で、「もっと、ようけ泊まっていてほしかったわ」とウソ口を叩き、ボケ兄貴は酒の飲み過ぎか、眼が浮いていて、「また、おいでな」と嘘口・・・相手にせずにばあちゃんの所に行くと、「あんた本すきなんやろ」・・・だったら、これわかるやろ、『花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生さ』・・・ワハハ・・・私もアハハと笑って握手した。『冗談で無くて、長生きしてよ」と言ったら、「事故だけは気をつまけてな」と言ってくれた。本気で心配してくれているのと、ばさまの祈りを信じ、アクセル全開で帰った。車庫入れしているところ、電話が掛かったので、お袋に、「多分、ばあちゃんからだよ」で、この旅は幕を閉じた。

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我が家のがばいばあちゃん (その11)

・その後、ばあちゃんと、仏壇、神棚でのお参りを済ませると、ばあちゃんは自室で新聞、私は爺ちゃんの本棚を観ていた。全ての本にブックカバーが付けられていたので、じいちゃんの本への愛情を感じると同時に、見分けづらかったが、どの本を読んでみても、面白い。ばあちゃんに、「あんた今日帰るんやろ、早よせい」と言われたので、私は、「ばあちゃん、爺ちゃんの本棚って宝石箱みたいなものだよ・・・昔は解らなかったけれど、今の俺なら解る。週に三回は本屋をうろつくんだけれど、滅多に、いい本は無い。ここにあるのは、いい本だらけだ・・・爺ちゃん観る目が合ったんだねえ・・・もちろん女も。ばあちゃんには心に眼があるよ」と言ったら、ばあちゃんは、「そんなこと言っても何にも出てきゃせんで・・・価値のある本は、全部、親戚が持っていきよった。あんた、そんなに本が好きなら、好きなだけ持って帰り」と言い、続けて、「いつかあの人に、言うたったねん。そないに本を読んでも一文のの銭にもならんやろって・・・そしたら、あの人どうしたと思う?わてに推理小説買うてきたんや。それには参った」と懐かしそうに話をしていた。二つの本棚を、洗いざらい調べていたのだが、皮の表紙の本で、よく解らないものが出てきた。ばあちゃんに聞くと、「これはな、『浪曲』の本や。あの人好きでなあ、観てみい、皮がボロボロになっとるやろう」と教えてくれ、続けて、じいちゃんの本棚で初めて見た、松本清張の推理小説を見付けた。『ばあちゃんの言うとった本はこれや』と確信した私は、ばあちゃんに聞いてみたのだが、「忙しかったさかい、忘れてしもうたわ。それより、あんた急がんとかえれなくなるで」と言われたので、私は、「解った。やり方を変えるから、あと二時間・・・いや、一時間半だけ時間を頂戴」と言ったら、ばあちゃんも黙った。

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我が家のがばいばあちゃん (その10)

・食後、ばあちゃんの部屋に行って、いろいろと話していたのだが、記憶に残っているのは、「あのな、金っちゅうもんは、普段は始末しておっても、使うときには使わきゃなあかんのやで」という話と、「昔の神戸と今の神戸は変わりおった。昔は埋め立て地などあらへんで、遠浅の綺麗な海岸やったんやで・・・」という様な話を聞いていた。九時頃になると、ばあちゃんは、「あんたと話したいのも、やまやまやけど、眠うなった。すまんけれど、あんたも早う寝えよ」と言ったので、布団を正そうと思ったら、「ええ、ええ。早う寝いや」と言ったので、仏壇で先祖の霊を弔ってから、割り当てられた部屋に戻ったところ、サイドボードの下の段の、くだらない雑誌置きにしてある所から、ホコリをかぶった将棋盤を発見。何かを切った後の板で、感心したのは、普通なら将棋盤を作る際に、マジックか何かでマス目を書いてしまいがちだが、それは、逆に彫刻刀で彫ってあったので、誰が作ったのだろう?と一瞬、思ったのだが、すぐに、こんな発想をするのは、ヤツしかいないと思い家宝扱い。ヤツとは、私の親父である。後日聞いてみたら、ビンゴだった。その頃には720mlの地酒も開いていたのだが、ずっと、みんなが幸せになる道って何だろうか?と紙の裏に書いているうちに、寝てしまった。翌朝、目覚めると何故か布団が掛けられてあった。『ばあちゃん、起きてくれていたんだ』と知り、布団をたたんでから、お礼を言いに行こうと思ったら、ばあちゃんは、その事については何も言わず、「コーヒーとパンでええか?」と言うので、私がやり、焼いたパンの上に、昨日買ってきたハムを乗せて、二人で食べた。食べ終わると、ばあちゃんが薬類を飲んでいるのを観ていたら、「変やろ」と言ったので、私は、「健康な人間なんておらん」といったら、「そやな、その通りやな」と、笑ってくれたので、助かった。

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我が家のがばいばあちゃん (その9)

・私は感激してそうなったのだが、ばあちゃんが、「どうした?ホームシックにでもなったのか?」と三度聞いてきたので、声に出来ない私は、紙と書くものを要求した。興奮押さえやらぬままに、『ばあちゃんと逢えてよかった・・・』と筆談した。ばあちゃんは何も言わなかった。そして一息つくと、「ちょっと出かけてくる。電車には乗らないから心配無用」と言って、駅までの途中にあるベンチで六甲山と空を見上げつつ、『世の中に、あんなすごいばあちゃんが身内におったのか』と、完全にK.O。阪急六甲駅のスーパーで、まず養命酒を買い、地酒を買い、冷蔵庫が一杯になるように食材を確保。それから、嫌々、花屋に行き、植木鉢付きの花を買った。そうして日の暮れる頃、帰宅し、まずはばあちゃんの冷蔵庫に食物を補充。ばあちゃんに、気持ちで養命酒をあげたら、また一万出そうとしていたので、「受け取らないよ。あれは気持ちだから」と言っても、「これも、ばあちゃんの気持ちや」と言って引っ込めなかった。収拾がつかないので、仕方なく、「じゃあ、これは弟にやる。金運のお守りとして」と言って受け取り、後日、確かに弟に渡したのだが、現在、行方不明・・・ばあちゃんは、私が何か作ろうとすると、昼食と同じ、「さけでええ」と言う。「何で?」と聞くと、「あのさけがくさってしまうがな。それにな、この台所の地下には食料品、ぎょうさん蓄えておるでな」と言って、晩飯も、ばあちゃんと一緒に食べる。二階の兄貴夫婦に花をやったところ、大慌てで,へんてこサラダを持ってきた。嫌々頂いていると、ばあちゃんが、「あれ、今日、買い物に行ってへえからんやで」と言った。私は、ばあちゃんの肩を叩き、手のひらの上を指さし、ひっくり返した。ばあちゃんは、笑い、「あんた、かしこいなあ」と言ってくれた。茶碗などは私が洗ったのは当然である。

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我が家のがばいばあちゃん (その8)

・私は父方のばあちゃんは、認知症になっていると思っていたが、とんでもない誤りだった。「あんた、今日は神戸見物せんのかい?」と聞くので、「ばあちゃんと話すのもなかなか面白い。今日は、行かん」というと、「そうか」の一言でしまい。新聞を読み終わったばあちゃんは、故じいちゃんの事を語り出した。「あの人はなあ、何にも悪い遊びはしなかった。ただ、仕事帰りに、梅田の阪神百貨店の本屋に寄って、めぼしい本を見付けるのだけが、楽しみやった。そして、休みの日に、そこの縁側のな、ロッキングチェアーに腰掛けて読むのが、いつものことやった・・・あの頃はなあ、ばあちゃんの方が稼いでおったんやで」と、懐かしそうに笑った。私もつられて笑い、「やるなあ、ばあちゃん」と語り、「ばあちゃんも歳やろ、もし、俺が大金持ちだったら、芦屋あたりに豪邸構えて、ばあちゃんと暮らすのになあ・・・」とまで言ったところで、異様な気配。親父の兄貴の鬼嫁が、檀家になっている寺の広報を踏みつけ、ばあちゃんに怒鳴りつけだしたのである。ばあちゃんは、賢いから、その時だけ、耳の遠いふりをした。知らんぷりである。鬼嫁がいなくなった後、ばあちゃんは仏壇を拝み(私も正座していた)、台所の神棚で、再び正座し(私も)一族のことをお祈りしていた・・・その中に、さっき、怒鳴りつけられた鬼嫁の名前もあった・・・驚きを隠せない私の心の中で何かが動き出し、涙を抑えられなくなった私は、別の部屋のソファーの上で、嗚咽しながら号泣していた。とても、私には真似できなかったからである。というより、その時には理由など解らなかった。ただ、親父も何度も、「うちにおいでや」とは言っていたらしい。

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我が家のがばいばあちゃん  (その7)

・その後、父の実家の隣にある整形外科に腰を観てもらいに行く、と言うばあちゃんに、ついて行った。「一時間ぐらい掛かるで」と言われたが、構いやしない。ばあちゃんが治療を受けている間、仕事の邪魔にならない程度に、受付の二人の女性と話していた。神戸の名所を聞いたり、ブラインドタッチの話をしたりしたが、二人のディスプレイがやけに明るいな、と思った私は、「友達から聞いた話なんですけれども、パソコンのディスプレイって、明るい方が見やすくて、目に優しい気がするじゃないですか・・・でも実際は逆で、それだけ眼に負担が掛かるって事なんです・・・だから、暗い方が、目に優しいんですよ」と教えてあげたら、二人とも驚いていたが、奥から院長先生もやってきて、同意してくれた。そしてそこで油を売っていた私に、「おばあさんの治療、まもなく終わりますよ」と教えてくれたので、ばあちゃんの所に行き、起き上がるのもしんどそうなばあちゃんをサポートしながら歩いていると、院長先生に会ったので、挨拶し、「今はアセトアルデヒドの呪いに参っています」と二日酔いであることを告げたつもりであったが、すぐに、院長先生も意味に気付き、笑ってらした。ばあちゃんをフォローしながら、家に戻り、ばあちゃんの好きなコーヒーを入れてあげた。ばあちゃんは、一日三度は腰痛体操をするらしいが、その時は新聞を読んでいた。ほのぼのとしたひとときであったが、ばあちゃんが地獄耳なのは確かである。私も耳がいいのは、ばあちゃんからの遺伝かなあ、と思ったことがある。

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我が家のがばいばあちゃん (その6)

・酔っていた私は、ばあちゃんに不義理をしたな、と思いつつ爆睡し、翌朝、親父の兄貴に当たる叔父さんから窓をノックされるまで寝ていた。挨拶して、父の実家に戻ると、まず、ばあちゃんに詫びた。「あんた、何しとったんや?」と聞かれたので、「悪いことは何もしてない。ただ、僕は、旅する度に、ここは僕の街とどう違うんだろう?例えば、本屋に置いてある本はどうか?食べ物はどうか?町の人の言葉はどうか?・・・そういう事を観察していたんだ」と答えたら、ばあちゃんは、「あんた、そういう旅しとったら楽しいやろ」と言って許してくれた。そして、二人で朝食というときに、冷蔵庫の中に何も入っていないことに気がついた。「ばあちゃん・・・これじゃあ作りようが無いよ」と言ったら、ばあちゃんは、「かまへん、かまへん、ヘルパーさんが、こうてきてくれるんやから」と言って、二人で鮭を暖めて、一緒にご飯を食べた。ばあちゃんは、「洗い物はせんでええから、歯を磨いてこい」とだけ言った。私は歯を磨きながら、ばあちゃんが、床に落ちたご飯粒でも食べていたのには参ったなと思い、これから自分もそうしようと思いながら、台所に戻ると、ばあちゃんの姿が無い・・・キョロキョロしていると、仏間に昨日の坊さんがいた。正座し、ばあちゃんとお経を聞いていた。終わるとばあちゃんが包んだ紙を渡し、私は、線香のお礼を言い、生意気にも、「世に般若心経の解説本は多々ありますが、十人十色の本ばかりですね」と言ったら、和尚の目つきが変わり、「ほほう」と言われた。その一言で私の負けだと思ったので、「粗相すいません」から、その日が始まった。

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我が家のがばいばあちゃん (その5)

・神戸という街は、懐が広くて、国際色豊かなのがいい。まず店に入ってカウンターに座ったのだが、隣で寂しそうにしている外人がいた。私は、そいつを笑わせてやろうと思い、友人の結婚式の二次会のパーティで、危うく、ストーンズの『satissfaction』が喜びの歌だと思って選ぼうとしたら、歌詞をよく読むと、『I can't get no satissfaction.』だったので、大慌てで止めた、という話をしたら、大爆笑してくれ、カラオケで歌ってくれたので、嬉しく感じた。彼が歌い終わり、拍手をすると、照れていたが、背後から、「君、名前なんていうんや?」と聞いてきた、ウエイターっぽい服装をした、若い男から声を掛けられた。私が応えると、メモしていた。そして、好きな歌を聴かれ、答えると、カラオケで、『The Rose』を歌ってくれた・・・そして、私と話がしたいというので、「君、従業員と違うのか?」と言うと、「当たり前やろ」と言う。私が、「じゃあ、何でメモなんて・・・」と聞くと、彼は、「そこが俺の違いなんや。ところで君、『わび、さび』について説明できるか?」と言ってきたので、「わび、さび、きわみ・・・」について説明してくれと頼むと、彼は「『わび』はお詫びの『わび』や。『さび』は寂しいの『さび』や。茶道の常識や」と言っていたので、「君、詳しいねえ」と言ったら、彼は、「俺は友達から、坊主ちゅうあだ名付けられてんのや」と言っていたが、私は内心で、『きわみ』についてごまかしたそいつは、『エセ坊主』だと思った。ばあちゃんから掛かってくる電話を無視し、終電を逃した私は、タクシーで帰ったのだが、鍵が掛けられていた。当然、キーなど持っているはずも無い。どうしようかと思ったら、駐車場の車の中で車中泊をすることに決めた。

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我が家のがばいばあちゃん (その4)

・しばらくの沈黙の後、私が、「お邪魔だったほっといて下さいね」と言ったら、外人の男の方が、私に興味を持ち、私は日本語で考えて話していたのだが、日本人の女性の方に、「お邪魔じゃないですか?」と日本語で聞いたら、「ビジネスパートナーですから」と言うので、英会話スクール関係だと確信。それで、よく考えてみたら、読み書きなどは留学していた女性よりも、私の方ができるが、訳すのが面倒だったので、彼女に一任。以後、三人で、いろんな話をした。男性講師が「he's cool.」と言う中、私は、「日本語では、coolというのはcruel(残酷)というニュアンスも含まれているんですよ」と言ったら、留学二年した女の子には、意味が解らなかったらしい。私に聞き返してきたので、耳打ちして、残酷って意味ですよ、と教えてあげた。盛り上がりながら、神戸の夜は更けて行く。女の子からは、「いつ、それだけの英語力を身につけたのですか?」と聞かれ、「カンだよカン」とごまかした。男性講師は日本語の勉強ノートを見せてくれた。それを観て、私は、「You can lisson Japanise 3month's later,and you need speak Japane half of year...your passion is light way,so,I think・・・readeinng and writitin' Japanease a year ago, you can.」と言ったら素直に嬉しそうな顔をしていた。そして、トイレで連れションの際、「君はあの子とお互いに関心があるの?」と聞いたら、彼は、「No,she &me is just a bujinesu partner,that's all」と言ったので、二次会に行く際に、女の子にも、「俺がいて迷惑だったら、喜んで帰るよ」と言ったら、「折角だから、みんなで行きましょうよ」と、誘ってくれ、行き着いた所は外人のやってるバーだった。

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我が家のがばいばあちゃん (その3)

・貰った一万円札は古いものだが、今でも財布の中にある。ばあちゃんに、「これ、お守りに取っておくよ」と言ったら、ばあちゃんは、やさしく、「金は使うときには使わなきゃあかん。その時のために始末するんや」と教えてくれた。私は、久々の神戸だったので、繁華街に遊びに行きたくて仕方が無い・・・その旅の目的は、『すごい奴と出会うこと』であった。私は、車をコインパーキングに駐め、阪急六甲から三ノ宮へと。三ノ宮と元町のセンター街を往復し、古本屋に入った。そこの古本屋で、岩波の多いことに驚き、街の文化度の高さを、身にしみて感じた次第。その前に、阪急六甲駅は神戸大学の下にあるので、駅の本屋の質にも憧れた。量子論のボーアと精神分析家のユングについてのアナロジーについて書いてある本を買った。昼過ぎに、マックに寄ったら、ハンバーガーを持ってきてくれた女の子のスマイルは、確かに、お金では買えないとも思った。絵の店などにも寄って、南京町にも行った。そうこうしているうちに夜となり、ワインが飲みたくなった私は、迷わずイタ飯屋へ・・・スパゲティの何かを注文し、平らげて、ワインを飲んでいると、隣の席から英会話が聞こえた。観てみると、外人男性と同い年ぐらいの女性で、彼らは、言っている意味が解らないと思い込んでいたが、私には、よく解った。女性が、英語で、「日本で英語の力を維持させるには、どうすればいいのかしら?」と言った時に、思わず、日本語で、私も、「どうしたらいいんでしょうねえ?」と聞いてしまった。二人は驚きの表情を示した。

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休憩だ!!

・申し訳ないが、今日はどうしても、パソコンをいじりたくない。m(_ _)m

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我が家のがばいばあちゃん (その2)

・私は四国に車中泊の旅に出るつもりだった。途中、父方の実家のある神戸で、祖父の墓参りをしたくなった。家に電話すると、母が、「神戸の家には立ち寄らず、檀家になっている寺で線香を買いなさい」と言われたので、近所の寺の住職に訳を話したら、快く場所を教えてくれ、線香も買おうとしたが、受け取ってもらえなかった(後で三ノ宮で調べると五千円以上する線香だった。私は二千円渡そうと思っていたので、恥ずかしくなった)。そして、「両親は、婆ちゃんのところに行くなと言うんですけれども・・・」と言うと、住職は、ためらいなく、「遠くから来たんでしょう。よってあげれば、お婆さんも喜びますよ」と教えてくれた。私の心の中では、まだ気持ちが揺れ動いていたが、住職に線香と道案内の礼を言い、車で故祖父の墓へ行った。川沿いの霊園で、女子校の松蔭の下にある。買ってきた花を飾り、墓の手入れをして、手を合わせた。そこに独りで行くと、いつも後頭部に光が差す気配がする・・・迷った挙げ句に、婆ちゃんに会いに行くことにした。玄関に立ち、インターフォンを鳴らすと、父の兄貴の女房に当たるおばはんが出てきた。ビックリしていたが、即座に追い返そうとする前に、婆ちゃんが出てきて、「よう来たなあ、よう来たなあ、そんな所に立ってないで、お上がり」と言ってくれ、「小遣いや」と言って、私に無理矢理、一万円札をくれた。一階が婆ちゃん、二階が親父の兄貴夫婦の家である。住職に線香を頂いた話をすると、婆ちゃんは、「ちゃんとお礼を言ったのか?」と聞いてきたので、頷くと、「ならええ」と言ってくれた。

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我が家のがばいばあちゃん (その1)

・我が家のがばいばあちゃんとは、父方の祖母のことである。若いうちから、お針の仕事をして、散々苦労しながら、お金を貯め、国債を買い、株も持っていた。私がレベルの高い私立へ通っていることを知ったら、「学費の足しにしろ」と言って、親に高額なお金を、ポンと送ってくれたそうだ。その代わり、宅浪を選んだときには、親父の姉貴に当たるおばはんの入れ知恵により、婆ちゃんは、「今の時代、コンピューターで、ピピピやからな、予備校通わせい」と言われたそうだ。姉貴のおばはんにも、「予備校通わないの・・・それじゃあ、いい大学行けないかもねえ」と嫌みを言われた。親からは何も言われなかったが、一年間の宅浪生活、つらいことも多かったが、そんな時は、親父が碁の相手になってくれた。新聞の囲碁・将棋欄で日程調整していた。そして、いざ大学受験となると、私は補欠だったが、イヤミを言っていた、おばはんの長男よりも難しい所に合格した。浪人の時に、そのおばはんの亭主が他界し、複雑な気持ちにもなったが、努力し続けた・・・私は大学院時代に准教授と学説の違いで大ゲンカし、大学に退学届を提出したら、准教授は喜んでハンコを押したが、数年後のOB会で、「お前は戻ってきてもいいんだぞ」と言うので、即座に、「それだけは勘弁して下さい」と返した。後でネットのページを見たら、私の説の方が正しかったという様な研究テーマばかりが乗っていたのには腹が立った。その頃、私は塾講師も辞めて、旅に出ていた。

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勝負弱いおっちゃん

・将棋は小学校一年で、碁は二年で、麻雀は小学五年の時に、親父から伝授された。前にも書いたが、小六の夏期講習から戻ってくると、面子が揃ったと言って、家族で喜ぶ様な家である。いっつもみんなで待ち構えているのである。当時の一日の小遣いが、昼食費も含めて千円であった私にとっては、十円でも負けられなかった。なので、友人がバスの中で井上靖を読んでいても、私は麻雀の攻略本を読んでいた・・・中学に入り、親父が会社の人達を我が家に招き、大麻雀大会が二度ほど行われた。みんな、飲みながら、徹夜で打っても平気だったが、三日目の朝には、三人だけが残り、「これじゃあ、サンマで打つしかねえか」という人がいる中、親父から私に命令が飛んだ。「お前、入れ」と。面子の中の親父の部下である一人の人が、「もう、これで本当に勘弁して下さいよ」と言っているのを聞き、ここはチャンスや、と思った。逃げに廻ったギャンブラーは、尻の毛までむしられるのである。いざ、打ち始めてみると、私にいい手が来たので、リーチを掛けると、そのおっさんが見事に振ってくれ、裏ドラまでのり、ハネ満となった。その時のおっさんの悔しそうな表情は、今でも覚えている。次に何局かアガリが無い中で、私はトイ面のおっさんが、ダマでテンバッている気がしたので、降りた。すると案の定、泣き言をいっているおっちゃんが見事に振り込んだ。最後のトドメは、親父がそのおっちゃんを飛ばして終わった。私にとってはいい小遣い稼ぎになった次第である。

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男なら勝負しろ!!

・塾講師時代、富山出身の新入りがいた。その頃の私は、キャリア的にも、年齢的にも、塾講師陣のボス格になっていた・・・ある時、新入りが、私と後輩の女性講師の前で、「今の時代、私立に通うよりも、下宿してでも国公立に通う方が安い」とぬかしたので、二人ともブチ切れた。私が、「俺の親なんて、京大行きたいって言っても、仕送りが出来ないと言われて諦めたんだぞ」と言い、続けて、「お前、親御さん達の気持ちが全然解って無い・・・ところで、お前、通勤列車に乗ったことはあるのか?」と聞いてみたら、「無い」と言う。そこで私が、「某駅の7:30の列車に乗ってみろ。社会勉強だ」と言ったら、女性講師が、「7:30じゃあ、あまいですよ。7:00ですよ」と同調したので、それをそいつの宿題とした。また、「お前、センター試験だけで大学に入ったそうだな。それはお目出たいことだけれど、男のくせに、お前は勝負していない。うちの大学なんか、実質倍率4.9倍だったぞ。その内の0.9人は記念受験としても、残りの三人とは、自分の影と戦っている気分だったぞ・・・女だったら推薦やエスカレーターも許されるけれど、男だったら、受験で勝負しろ。ちなみに、お前の通っている大学、受験勉強してないうちから、模試でA判定外したことが無いぞ」と説教した。そいつは本当に何も知らなかったので、都会の人達がどんな思いをして働いているのかが解らない様子だった。

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エンジンと母の運転と

・風邪を引いて、約一ヶ月位、車のエンジンを掛けていなかったので、バッテリーの状況はどうかと、ガソリンが腐っていないかをチェックするために、アイドリングをしてみた。問題なく、エンジンも廻っており、バッテリーの充電のために昼間にちょっとフカした。今の車が新車だった頃に、ボンネットを開け、エンジンの状態をチェックしてみると、手に少し違和感を感じたが、今となっては、大変よく走ってくれる車である・・・母が教習所に通っていた頃に、車のエンジンと、その周りの仕組みがどれだけよく出来た物かを説明したが、全然、解っていなかったので、『これでは車にトラブルが起きた際にパニックになるな』と危惧した。母が免許を取ってから、助手席に座ったこともあるが、よっぽど助手席にブレーキペダルが欲しいと思った。案の定、運転中に、おばちゃまにミラーを当ててしまい、車を止めるように指示し、私はダッシュで謝りに行った。そのご婦人は、「あら、初心者だったのね」と言って、笑って許してくださった。母は笑ってごまかしていたが、もしもあの時、いかつい兄ちゃんにでもぶつけていたら、どうなっていただろうと考えると、空恐ろしくなった。母にその事を話したら、その恐ろしさを理解した様だった。それで母は、運転を辞めてペーパードライバーになったが、「軽だったら運転できると思う」と言うので、私が「人殺すか自分が死ぬかだけだから止めておきな」と言っている。

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ガキの日のゴルフ

・小学生の時に、シミ君というゴルフ好きの友達がいて、何人かで公園や空き地に行って、ゴルフのまねごとをしていたことがある。公園に穴を掘って、ゴルフボールを打つのだが、さすがにドライバーを持ってくる奴はいなかった。私は、親父が二万で買ったというアイアンセットを持って行き、みんながいろんなクラブを持ってくる中、何ももってこれなかった奴は、金属バットを持ってきていた。それがみんなのドライバー代わりになったので不思議なものである(最終的にはボコボコの金属バットになってしまったが・・・)。みんなでクラブを貸し借りしながらも、安全面には、小学生なりに細心の注意を払っていた。最初は普通のゴルフボールを使っていたのだが、これは危ないな、ということで、みんなの意見が一致し、近くのスーパーで、プラスチックのゴルフ玉を買ってプレイすることにした。その頃は、藤子不二雄の『プロゴルファー猿』などを回し読みしていた。しかし、空き地でプレイしている時に、うるさいおばちゃんに、「危ないじゃないの」と言われ、中が空洞のプラスチックのボールを使っていることを説明しても、聞いてもらえなかった。みんなで一言ずつ、「く、た、ば、れ、こ、の、く、そ、ば、ば、あ」と言って、自転車で去って行った。それからは、また別の公園で、アプローチの練習ばかりするようになった。私が持って行くアイアンは、重宝がられた。ゴルフに飽きた友達もいたが、五人ぐらいでやっているうちに、私が、ホールインワンを決めた・・・それからは塾が忙しくなり、シミ君も僕もやらなくなってしまったが、今となっては、いい思い出である。

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米軍ベースでのゴルフ (その4)

・スプーンでの調子が良かったので、途中からドライバーを使うことにした。その日は、ウッドの調子が良く、うまいこと廻れたのだが、二発連続ティーショットでOBを出した友人に「首を動かさなきゃ、真っ直ぐ飛ぶぞ」と言ったら、私より経験豊富なだけに、「何か、すげーむかつく」と言っていたが、三回目はきれいに飛んでいた。すると、残り3ホール、私の方がバテて、木立の中に打ち込む(OBではない)などという羽目になった。一度目は刻むしか無かったが、二度目はスプーンで打てた。また、ボールが消火栓の穴に入ってしまい、救済措置として出していいことは知っていたが、ペナルティが付くのかどうかを、友人に聞くと、付かないことを教えてくれた・・・そして迎えた18番ホール、私は蟻地獄バンカーに入れてしまい、ギブアップ。最後のホールはOK無しで、みんな最後まで打った。結果、私は二着で、オナーが7回位。上手い友人が9回位、車を出してくれた友人は2回位だった。車を出してくれた友人は、ため息をつきながら、「テニス部の飲み会でお前に負けたこと言わなきゃいけないのかよ」と言うので、私が、「俺、18番で大叩きしたから、引き分けって事でいいじゃねえか」とフォローした。帰りの車の中で、顔と頭に粒が付いていたので、最初は、バンカーの砂かと思ったが、よおく観ると、汗で出た塩分だった。家まで送ってくれたので、礼を言い、別れた。その後、風呂に入り、カリカリ梅を食べながら一杯やっていた・・・四日経っても足の裏と膝の裏がまだ痛い。これからは、練習場に足繁く通おうと思う。

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米軍ベースでのゴルフ (その3)

・因縁を付けられたホールをホールアウトしても、前がつかえているので、そのおっさん達のショットを観ていたら、急な下り坂のPar3で誰もワンオンする奴がいなかった上に、因縁を付けてきたおっさんはチョロ。もう一人の友人が、「あんだけ偉そうに言っておいて、チョロしてやんの。ヘボなくせして、なに言ってやがるんだ」と文句を言っていた。OUT9ホールが終わって、クラブハウスに戻り、私は水筒で持って行ったゲータレードとは別に水を買い一気飲み。昼食休憩無しで、ほとんど休憩も取らずにINの9ホールへと向かった。これは私の足腰にはつらかったが、ベース内のホールということで、起伏があまりないし、直線ホールばかりなのも、私には幸いした。ゴルフ番組で真っ直ぐ打とうと思うなら、インパクトの瞬間、首を動かさないことだと知っていたので、ほとんど右に左に走らずに済んだ。しかも、残り9ホールはカートをコースに乗り入れていいのにも足に幸いした。しかし、ベース内ということもあって、飛行機のジェットエンジンの音などがひどかった。ショットの時は集中すれば聞こえなくなるのだが、友人達の声が聞こえなくなるのには困った。途中、Par5三連チャンの時には、これってヤード数から計算すると、Par6でもおかしくは無いだろう、という感じだった。OUTの時もPar4がPar5でもおかしくないだろうと感じる具合。それくらい長かった。

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米軍ベースでのゴルフ (その2)

・車を出してくれた友人はその日はドライバーを使わないという。左利きなのに右利き用のクラブを使っているのも、悪条件だと思った。私もカンを取り戻すまでは、ドライバーは封印した。しかし、このコース、ドッグレッグホールなどは無く、真っ直ぐばかりなのだが、ヤンキー向けに作られたようで、par4でも、えらく長く感じた。風もフォローかと思えば、次のホールではアゲインストだったりと苦労の連続。2番ホールで、『俺、18ホール廻れるかなあ・・・』という程、息切れした。しかしボールは素直に飛んでくれ、無駄足を使わないで済んだ・・・その事に、友人二人は驚いていたが、体は動かしていなくとも、何回も何回も、ゴルフレッスンの番組をブルーレイで観て、準備は怠らなかった。車を出してくれた友人は、最初は不調だったが、体が温まるにつれて、調子を出してきたが、それはみんな一緒である。大叩きしたホールもあったが、初めてParを取ったりもした。しかし、このコース、ロッカーは無い、風呂も無いと、靴を履き替えるだけでもかなり不便でもあったし、何はともあれ、昼食休憩が無いのもやっかいだった。ただ、芝などは、イメージでは、かなりデコボコしているのかと思ったが、よく刈り込まれており、フェアウェイもかなり広かった。OUT9ホールでは好調だったが、前が詰まっている時に、後ろのおっちゃんから、因縁を付けられた。「もっと要領よく廻ってくれんかね」と。「前も、その前も詰まっているのにどうすればいいんですか?」という話になった。

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米軍ベースでのゴルフ (その1)

・昨日の朝、6:00に目覚め、多めの朝食を採った後で、車を出してくれるという友人との、8:30の待ち合わせに備えた。ゴルフをやると、足腰に来るので、ロキソニンという痛み止めも持って行くことにした。時間通りに友人がやって来たので、ひろって貰った。少し雨が降っていたので、友人は、助手席の私に、「お前、雨男か?」と聞いてきたので、「俺は晴れ男だぞ」と言って、もう一人の友人を迎えに行った。コンビニで待ち合わせしていたのだが、ナビに乗っておらず、適当に走っていたら、私が目ざとくコンビニを見つけた。そこで三人合流し、一路、米軍ベースに向かった。トランクには縦にゴルフバッグが三つは積めるし、いい車だと思ったと同時に、友人の運転のうまさにも驚いた。私は風邪の治りかけだったが、アドレナリンが出ていた。ゴルフは一年振りだし、実は練習にも余り行っていなかった。ラウンドは生涯二回目で、二日前に練習しようと思っていたが、体調が優れなかった・・・ぶっつけ本番である。米軍のベースの中ということで、私はパスポートを持って行き、昼食用にみんなでおにぎりなどを買った。そのころには雨も上がり、晴れてくれた。1番ホールでくじ引きをしたら、私が一番手になった。まだ、ドライバーに自信が無かったので、スプーンで打つことにした。素振りをしてから、思いっきり打ったら芯をくった。真っ直ぐに飛んで行き、友人二人が、「ナイスショット」と言ってくれ、「なかなか上手いじゃねえか」と言われた。私も意外だった。

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ゴルフ記念日

・君が、「玉を穴に入れるのが好きだ」と言ったから、今日はゴルフ記念日。

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打ちっ放しに行けず

・明日(5月2日(木))にゴルフに行こうと誘ってもらってから、早四日。今日は七時に起きて、打ちっ放しに行くぞと気合を入れていたのだが、風邪の症状が悪く、断念。『これじゃあ、ぶっつけ本番じゃねえかよ』という自分をセーブしながら、寝る。約一年振りのラウンド、負けたくは無い・・・とは言っても、初顔の二人は、やり込んでいそうだ。一人は元バドミトン部とテニス部を掛け持ちしていた男、もう一人は元ボクシング部、そして私は帰宅部(ボウリングのスコアでは負けてはいない。男子校という所は、そこに数字がある限り、なんでも賭け事になってしまうのだ(時効))。一番球技に接していた友人には、ニギリを入れて、揺さぶろうかとも考えている。それより問題なのは私の体調面だ。昨日は風邪薬と正露丸を飲んだ。晩ご飯も、いつも通り、blogを書き終えてから食べている(それ以前に母は寝ている)。しかしながら、明日は早寝するつもりである。一行blogになりそうだが、もう、ネタは仕込んである・・・一番心配なのは天気である。晴れてくれるか、とにかく雨が降らないことを祈っている。気象庁の予報はネットで見る限り、当たらない。今日は散髪でもして、明日への興奮を取り除こう。ロクにコースマナーも知らないから、教えて貰いたい。18ホール連チャンらしいので、スタミナは確保して行こう。前回のラウンドよりスコアが落ちたら嫌だな、とまあ、曖昧に考えている。

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