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2013年2月

遅刻で一番コタえたこと

・学生時代、週に一回の体育で、何度も遅刻してきた私に、剣道の先生は、「素振り1600回」と言って、クラス中、誰もいなくなっても、独りで振り続けた話は以前、書いたが、遅刻防止のために、一番効果があったのは、遅刻したら相手にされない、ということであった。ある時、遅刻した数名がいたが、私も含め、全く相手にされないという屈辱を味わった。その授業の最後に、皆が遅刻届を出していたが、私は出す気にはなれなかった。低分みたいなクラスメイトは、心配してくれたが、私は、「今日の授業に全く参加していない以上、俺に非がある。とてもじゃあ無いけれど遅刻届を出す気にはなれない・・・たとえ、もう一年、体育をするも辞さない覚悟だ」と言い放った。実は、あらゆる授業で感じたことなのだが、遅刻した者を、相手にしないという処置が一番コタえた。翌週からまじめに通い出して、遅刻しなくなるのである。基礎体育の、いわゆる一番最後の体操(上半身で3拍子、下半身で2拍子をやっている途中で、それを逆転させる)というような、運動をさせられた。私は一番最後まで練習し、終えた友達のヤジが響く中、一発で成功させた。すると、相手にしてくれなかった先生が、「あのプレッシャーの中で、出来たことは、大いに加点すべき評価点だ」と言ってくれ、出席簿みたいな者を取ってくれ、大いに加点してくれた。結果、単位は『A』が来たのは、自分でも不思議でしょうがない。

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鼎の軽重を問う

・かの有名な戦国武将である、斎藤道三のネーミングは、幼い頃仏門に入り、青年期は商売をし、晩年期には武士として大名に上り詰めたという、これらの三つの道を指しているのであろう(司馬遼太郎氏の作品より)斎藤道三は、一国の主であったが、元々大名家に産まれていれば、娘の帰蝶と信長を結婚させてはいなかったであろうし、それ以上に、若ければ、自分で天下を取っていただろう。帰蝶が嫁入りしてまもなく、自分の娘婿に当たる 信長との対談が行われるのであるが、道三は国境の正徳寺で様子を見ていたらしい。すると、信長、長槍隊と鉄砲隊を連れて、背中には大きな一物の絵を描いた着物を纏っていたらしい。その後面会の段となり、道三が平服を着ていった所、信長は正装して出てきた。この時の道三の悔しさが手に取るように解る。その後、道三が、「我が家臣は、あのものに馬をつなぐ(家臣になる)ことだろう」と語ったエピソードは、あまりにも有名だ。

・私が小学校の頃、親父に、「戦国武将の争いなんて、今で言えば、ヤクザのシマ争いと変わらなかったんじゃあないのか?」と聞いたことがある。死んだ親父も、それを全然否定しなかった。

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人差し指は・・・

・『今は昔』という言葉は深い言葉であるが、泡沫溢れる大河になる事は間違いが無い・・・今年の新年会で、ユーモア溢れる下ネタを振る友人が参加できなかった。何でも、姑さんが、孫を見るために上京してきたそうだ。これでは仕方ない。その友人の奥さんは、干支で一回り違う年下ということも、以前は友人達の裁判にかけられた。みんなから、「俺たちが、大学かよっていた頃に、相手はランドセル背負っていたんじゃあねえか?」とかいうツッコミが絶えなかった。そういう空気の中でも、彼はめげなかった。いわゆる、明るい下ネタというものを突き返してきた。それに応えるべく、我々も盛り上がっていった。私は、『明るい奴が来て、ええなあ』と思ったのだが、一つだけ聞いてみた。それは、片手を拡げて、「これが解るか?」と言ってから、「親指が十代、人差し指が二十代・・・」というような話だった。そして私が、「調子によって二十代と三十代をさまようんだよな」と言ったら、そいつは、「馬鹿野郎。マカとユンケル飲んどけ」と言うので、私は、「子作りのためなら仕方がないけれど、いっつもそれやってたら、鼻血が止まらなくなるんじゃあねえのか?」などと、ブツブツ討論もした・・・これからも、飲み会の時には、彼に来てもらいたいし、もちろん誘うつもりである。

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行脚々々

・昔、私が歩きの旅で、行脚を行っていた所、様々な人たちと出会い、様々な体験をして、いい修行となった。野宿をしてもよかったのだが、毎日々々、30Km~40Km歩いていたら、安宿にでも泊まりたくなるというものである。駅のある場所ならば、インフォメーションセンターで聞いてみたり、タクシーの運ちゃんに聞いてみたりしたものである。そのとき私は坊主頭にしていたのだが、愛知県の豊橋駅そばの安宿はひどかった。私のことを坊主と勘違いしたのか、宿の仏間に通され、仕方が無いので、得度を得ていないことを話してから、『般若心経』を読経した。その代わり、洗濯させてもらった。仏前で読経する際、冥界を相手にする気分で、プレッシャーを感じた。そういう道(仏門)を選んだならば、慣れで読経するのは間違っている。必死で読経してもらわなければ、つじつまがあわないというものだ。堕落坊主にはそういう心構えというか、感性が欠けている。そういったナマクラ坊主には、それ相応の、正にバチが当たるであろう・・・今年の正月に、弟一家が遊びに来た時、親父や先祖達の霊の鎮魂のために、みんな仏間で線香を上げてくれた。シメに私が気合いを入れて『般若心経』の読経をした。それから、夕食が始まったのだが、弟のかみさんも、母も、「ナマクラ坊主に頼むよりかは、お兄さんが『般若心経』を読むだけで、充分なんじゃあないですか」と、金儲けに走っている坊主どものことを、手厳しく語っていた。

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私の家系簿

・少し前に、私の従姉妹に当たる披露宴に母と母の弟に当たる叔父が招かれたのだが、二人ともキャンセルしたかった様子であった。叔父も母も京都まで行くのが寒いので面倒だったのだ。母と叔父とのテーブルには、その新婦の兄も来ていた。私から見れば年下の従兄弟にあたる。その従兄弟は関西の某帝大の建築を出たと聞いていた。その従兄弟のおばさん(母の妹)はハッタリばかりを言うのである。確かに関西の某帝大を出たことは間違いが無いのだが、本当に建築学科なのかは、親戚の間でも、ずっと疑問視されていた。披露宴が始まると、叔父も相当な疑問を持っていたようで、その甥に、「建築を出ているって聞いたけれど?」とジャブを入れた。すると、「僕は工学部は工学部なんですけど・・・」というガードを決めたのだが、叔父が、「今の仕事は何なの?」と、もう一度ジャブを入れたら、「研究所ですけど」と言う甥にカウンターで「してる仕事だよ」と聞くと、甥も、「環境汚水の仕事です」と応えたので、建築とは無縁の仕事ということが判明した。叔父もそれ以上は言わなかったそうだ・・・私も機械科出身なので、何年も前から学歴詐称だと見抜いていたのだが、黙っていた。あらゆる仕事に貴賤はないと思うが、ウソをつくことは間違っていると考えている。逆説的に書くと、ウソをついたその従兄弟は、よっぽど出来なかったのであろう。私だったら、「卒アルもってこい」の一言で済ます。

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人にやさしく・・・

・大江健三郎が、ダンテの『神曲』を取り上げて、「なぜ人間は、一度地獄を味合わなければ天国に行けないのか?」と言っていた。その場合、当然、氏の長男の光君のことがメインパートになるのだが、あの人は、障害児を抱えて文体が変わっていった。大江氏も、もし光君がいなければ、ほかの作家と同じく、短命であったかもしれない。親として、光君を残しては、死ぬに死ねないのであろう・・・ドストエフスキーの『白痴』という小説があるが、私も、そういう風に産まれてきた子と、みんなから認められる子供とで、どちらが幸せなのかは解らない。白痴で産まれてくる子は神の子かもしれないのだ。所詮、人間なぞ、何が幸せで何が不幸かなど解らない。何年か前、外で奇声が聞こえたので、女の子でも襲われているのかと思い、自室の窓を開けた所、ご近所さんにそういう子がいたのだ。それを知った私は、恥ずかしくなり、一礼して窓を閉めた・・・私が疑問に思ったのは、大江健三郎が性善説の立場を取っているのか、性悪説の立場を取っているのか考えてみたからである。いつまでもケリのつかない論争の中で、氏はどう考えているのかが知りたい。ダンテの『神曲』は三部作であるが、まず最初は、地獄編である。そこでは門に、『あらゆる希望を捨てよ』と書かれている。もの凄いインパクトだ・・・本に限らず、インパクトの強い作品というのは感受性豊かな人間を潰す。ゆえに大江氏も「何故、一度地獄を見なければ、人は人の気持ちが解るようにならないのか?」という命題と戦っているのだろう。

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マドンナ達のララバイ

・学生時代の夏休み、バイトでいろいろ探していたのだが、某運送会社の夜間の仕分け、及び、流し(届いた荷物を休む間もなく、ひたすらベルトコンベアーに乗せる)を、一晩中行うという過酷なバイトだった(勉強していない自分が、どうしても人を教える気にはならなかったのである)。その代わり、肉体労働では一晩で一万円稼げた。流しは別として、仕分けのラインには、何かチームワークの様なものができつつあったが、殺気立っていた。休憩時間になると、どっかのおっちゃん二人が、「馬鹿野郎、辰吉!!負けてんじゃあねえよ、流しやれ、流し!!」と叫んでいた。まさに戦場だった。私も、荷物の仕分けの時に、金属製の籠の中にいろんな荷物をテトリスのように、多く詰め込む工夫をしていたのだが、ある時、それをトラックに詰め込むおっちゃんから、「馬鹿野郎!!もっとしっかり詰めろ」と因縁をつけられたので、こちらも負けじと、「おっさんが一番楽な仕事しているのに、偉そうな物言いするんじゃあねえよ。代わってやろうか?このボケ!!」と言い返したりする位の気合いと根性が無ければ、到底、勤まる仕事では無かった。結局、このバイトは夏休みで打ち切りにしたが、印象深かったし、いろんな事を学んだ。

・その仕事で学んだのは、責任の重さである。自分が送った宅急便が正確に着かなかったら、それは現場の責任なのである。ちなみに、給料をもらった時も嬉しかったが、生まれて初めて所得税を納めたことも、何か嬉しかった。

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時には

・時に、僕は、自分のblogが、全然なっていないと思って泣くことがある。

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信頼を勝ち取れ!!

・どんな勉強にしろ、自分より努力している先生から期待して頂いている先生がいる限り、頑張らなければ「男ではない、と考えて努力していた。信頼を勝ち取れ」!!

・勉強なぞは、自分の努力次第で何とかなる。けれども恋愛というのは、相手がいる限り、思い通りにはゆかない。そこの違いが解っていなければ、大やけどする。

・浪人した時に思ったのは、好きな本を好きなだけ好きな場所で」読めたらいいなあ、というこだった。裏返せば、それだけたるんだ時間が無かったという頃だ。浪人時代には、好きな本を好きなだけ読み、という後ろめたい気がして仕方が無かった」。

・勉強ができるということと、頭がいいということは、全く異なることなのだ。それを知らずに、大人になる事は不幸だ。

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潰れゆく会社

・昨日の午前十時ピッタリに、@Niftyのお問いわせ係に電話を入れ、クレームをつけた。私は、ぶち切れモードに入っていたのだが、オペレーター(使えない)が女性だったので、手を抜いてやった。問題は一昨日のblogが、原稿からアップデートされなかった事による。途中でフリーズ(何で数学・・・)して、タイトルだけしか反映されなかったことに、ぶち切れたのだ。ここ数日、アップデートする度に調子が悪い、何とかならないのか?ともクレームをつけた。すると@Niftyさんは、サーバーがどうのこうの言ったあげくに、「お客様の端末の問題としか考えられません」と、非は我が方にある、と断言した。いきり立った私は、「お前の会社、そういう商売していたら、絶対に潰れるぞ。いい加減なこと言ってるんじゃあねえよ」と言い、「お前の会社に、無い金払って、利用してやってるのに、おまえら杜撰な仕事しかしねえで、その金で飯食っているとはどういうことだよ!!」と言い、続けて、「もしあんたの子供が殺されたらどう思う?今回の件は、自分の子供殺されたような気分だぞ!!」と言いたいことを言わせてもらった。未だに激怒している。

・仏教でいう六道では五番目に畜生(犬や猫など)が来る・・・では、それを馬鹿にする奴は、それ以下であろう。そういう奴は、人間道を歩いているつもりでも、最低の地獄道を歩んでいるのである。

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ふざけるな!!

・私は金を払って、@Niftyと契約している。ここのところ、アップデートしたのにフリーズ状態なので、カチンときていた。今日のblogは、@Niftyの手落ちにより、消された。いいかげんにしろ@Nifty、お前らどこまでふざけているんだよ!!その金で、お前ら食っているんだろうが・・・

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「何で数学塾に通っているのに国語の偏差値の方が高いんだよ!!」

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『アナログ派』のパソコンいじり

・家の母は、TVのニュースなどを鵜呑みにしてしまう傾向がある。それだったら、一層のこと、情報をきっちり調べるか、TVを消して、新聞も読まない方がいいと思う。「これからの世界は、高度に情報化された社会になってゆくから、いかに偽の情報を掴まないかが重要なんだ」と諭した。私は母との二人住まいだが、不必要なときはTVを消すようにしている。人間的な会話ができないし、物事に熱中できないからだ・・・しかしながら、IT革命というのは、本当に人々に幸せをもたらしたのだろうか?と、私は自問自答する。社会全体が、大きくデジタル化される中、確かに、私も道具としてパソコンを使うが、頭の中は『アナログ派』である。私などは、パソコンを単なる機械としか見ていないので、長時間向き合うと、相当疲れるし、目薬も手放せない。マイクロソフト社のWINDOWS95から、いわゆる、IT革命というものが起きた。産まれながらにしてパソコンをいじっていた子供達が、もうすぐ二十歳を迎える。私の場合、無機的だから嫌だと思っていた、Facebookにも、友人から勧められて登録した。すると、案の定、バーチャルな世界での友達の取引が行われていた。これではマスターベーションと変わらないと思った私は、何か空しくなった。二度とその面見せるな、というような奴もいた。そんなことをしている暇があったら、覚悟を決めて、何かに打ち込みたいと思った。

・英語にしろ、数学にしろ、自分以上に努力している先生等の信頼を裏切る奴は、男ではない。

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『男セン』

・私がblogを長期間連載してきて思ったことは、新聞に漫画などを書いている人というのは、もの凄い根性の持ち主だということである。毎日々々心の引き出しを開けては、ひたすらに描かれている姿は紙面からは見えないが、とてもじゃあないけれど、見習う所はあっても、とても真似のできるものではない・・・私がもっとすごいと思うのは、東スポの『男セン』での『いろ鉛筆』というエロ小説を毎日書いている奴のことだ。よくもまあ、スケベなことだけを考えて、毎回々々見せ場を作るスキルは半端ではない・・・私は、東スポとは、エロと馬とプロレスと、忘れちゃいけない、一面のゴシップ記事で成り立っていると考えている。友人などが飲みに来た場合、東スポがあるだけで話題が尽きない。わずか1P をめくっただけで喧々ガクガクとなる所に面白みがある。例えば、一面のゴシップ記事で、『プレスリー死亡』と書いておいて、折り目で『か!?』などと、こすいことをしている新聞でもある。ごまかすところにテクニックがある、などと編集者が言っているところは否めない。あのビートたけしでさえ、自分に向けてのバッシングを避けるために、東スポの『名誉編集長』役をやっている。このことは、たけしが、週刊ポストにコーナーを持っていることからも、明らかに護身術といわざるを得ない。ここに私は言いたい『ゴシップ新聞よ去れ』・・・でもお馬ちゃんの時は、本紙・渡辺、頼んだぞ。

・本紙・渡辺の人気薄での▲は要注意。押さえておくべし。

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凪か

・・・そろそろ出港するか。

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まだ波が高けーな

・港で停泊・・・

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しけや

・港で停泊・・・

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シャンチー

・昔、在る友人が新婚の頃、ドンペリを持って、共通の友人の所へと遊びに行った事がある。ドンペリを持って行ったのは、勿論、新婚の友人夫妻を祝福する為だった。だがしかし、「こういう美味しいものは、早く頂かないと」という、ホストの友人の奥さんが気合いを入れて飲まれてしまい、あっという間に空き瓶と化した。私は、『一万二千円が吹き飛んだ・・・でも、お酒というのは飲む為にあるもの』と、あっさりしていた。その後、鍋となり(確かキムチ鍋だった気がする)、みんなで同じ釜の飯を食べたものだ。その後、私がくつろいでいたら、その酒豪の奥さんから、「将棋の稽古を付けてくれないかしら」と頼まれたので、マグネット将棋を久々に打った。お互い実力が解らなかったので、奥さん先手の平番で打ったのだが、友人のかみさんが、段違いに弱いことが解った。知っていれば駒を落としたのだが、しかし、そうすることも出来ず、速攻で勝ちに行くか迷ったのだが、その中間点で指すことに決めた。途中、「中国にもシャンチーという将棋みたいな者があるんだよね(そのマダムは中国人と日本人のハーフなのだ)」というようなフォローを入れながら、圧勝した。そして、感想戦になったのだが、私が、「序盤から角先の歩は付いちゃあダメだよ」と言ったら、マダムは鋭く、「まあ、あなた、手を抜いていたのね」と言われてしまったのだが、基本的な駒組みなどを教えてあげた。そうして私は、「俺なんて毎日、親父とニギっているから、仕方がないよ」とごまかした。

・何故、私がシャンチーとかインド将棋の知識を持っていたかといえば、当時は毎月、NHKの『将棋講座』を読んでいたからである。尤も、その店は潰れてしまったのではあるが・・・

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3000万出せ

・昔、とある友人が、銀行で、「キャッシュで3000万降ろしてくれ」という、銀行強盗と逆なことをやったそうだ。受付のねえちゃんは、『なんなんだコイツは』という感じでビビりまくっていたらしい。そして、そのねえちゃんは、「支店長を呼んで参りますので、しばらくお待ち下さい」と、大慌てで支店長の所に行ったらしい。支店長が大慌てで出てきても、友人は、「俺の金なんだから、早く出せ」と言って、無理矢理に3000万出させたらしい・・・後日、その友人曰く、「あんな遊びはもう二度とやる気は無いけれど、銀行員のビビりまくっていた姿は面白かったぞ」と、笑いながら語っていた・・・多分、彼も、銀行に泣かされてきた面が多かったのだろうが、私も、「粋なことやってくれるじゃあねえか」と愉快に笑った記憶がある。

・あの偉大な数学者であるガウスが、小学生の時に、担任に用事があったので、担任からクラス全員に、1から100迄の足し算をしなさい、といわれた所、ガウスは一瞬にして解いてしまい、正解だったので、担任も0唖然としたそうである。そして、ガウスにどうやって解いたのかを聞かれると、1から100までと100から1までを並べて足したら、全部、101になる。それを100倍してから、2で割ったら、5050となった旨を伝えたそうだ・・・私の数学科の友人に、尊敬する数学者は誰なのか?と聞いても、ガウスとラマヌジャンやな、という答が返ってきた。

・専門の大学数学には私は付いて行けなかった。専門の機械科とは、物理みたいな事をやるのである。それには何とかついて行けた。

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仕事の厳しさ

・故親父が現役で働いていた頃、現場の人には、相当、気を遣ったそうである。現場の人達には、職人としてのプライドがあり、親父がいくら構想を練っても、現場の人達を敵にまわせばやっていけなかったそうである。例えば、古い番組だが、NHK の『プロジェクトX』に造船の溶接から出ている人がいたが、親父の部の部長になった人、ハイレベルすぎてついて行けず、やたら神経質な人だったらしい。その性格では勿論、職場とも現場とも上手く行かずに、気が付いたらどこかに飛ばされていたらしい。また、あの、『プロジェクトX』という番組は、国家機密には触れてはいない。例えば、『巨大タンカーを造る』などというものは、インチキである。もっと厳しい国家規制もあるのだ。親父はそんな中で社長賞を何度も取ったが、家には一銭も入れなかった。職場の人と現場の人を誘って、飲みに行き、散財してしまうのが流儀であった。そうしながら、親父は現場の人ともコミュニケーションを取っていた・・・『プロジェクトX』で、霞が関ビルを造る際に、ビルの責任者が、何十階という所で、現場の責任者の、飛びの親方に、「お前、こっちまで来てみろ」と言われて、命懸けで言ったそうである話を聞いた。それ程、現場の人のプライドとは高いものなのだ・・・親父も苦労したが、課長の時に、現場を離れる際、みんなから胴上げされたそうだ。忌野清志郎の『パパの歌』を聞きたくなった。

・親父は原子力技師(溶接及び配管)であった。生前、原発について、「それは無くにこしたことはない。でも、みんな、電気のありがたみなんて解っていないだけだ」と語っていた。そして、あの人の性格だと、トラブルがあった場合に、(家族には言わなかったが)先陣をきって現場に入る人である。そうしなければ、部下や現場の人達に示しが付かないからだ。親父は64で、がんで死んだ。信頼していた部下の人は50代で、やはり、がんで死んだ。こないだNHKで、福島第一のトラブルについて、配管が原因だとする様な報道が為されたが、私も母も、ふざけるんじゃあねえという話になった。そもそも、あの原発は私の親父が入社する前に造られたものなのである。親父が毎晩々々英語の文献を読んでいた姿が忘れられない。

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教師の資格と内申点

・塾講師をしていた頃に気が付いたのだが、私の住んでいる県では高校受験の際の内申点が70%近くを占めていた。私が同僚に、「これじゃあ、試験で一発逆転なんてできる筈がないじゃあねえか。これじゃあ、出来損ないの公立中学の教師の連中によって、人生がさゆうされる事になっちまうじゃあねえか」とブチまけた。私が公立中学の出来損ない教師というのには理由がある。例えば、小学校の教師になろうと思ったら、しっかりと大学の教育学部を卒業しなければならない。しかし、中・高の教師はそうでもないのである。例えば、私は機械科育ちだが、単位さえ採ろうと思えば、数学か物理の教師になれてしまうのである。それを考えると、中学校の教師とは、異常に出来が悪いのだ。例えば生徒からもらった、数学の問題用紙を観てみると、『二乗して-1になる数はない。それが○か×か答えよ』などというふざけた問題があった。解答を観ると『○』が正解だった。それでは、高校に入った際に、複素数を習うのだから、『×』が正解なのである。明らかな問題不備である。そんな大馬鹿野郎に、生徒達の将来を決めてもらっては困る、と激怒した。丁度、思春期を迎えた生徒達は複雑な思いを抱いている所で、そんな大馬鹿教師によって、ある程度の道筋(と言うよりも、取捨選択されるということに、納得が行かない。どう考えてもおかしい・・・システムを変えるか、そういう教師を切るかで、意見が分かれる所だが、どちらにしろ、良い方向へ改良しなければこの国はもたないと考えた次第である。

・友人の息子さんが、開成に合格している夢を見た。

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県名人の弟子の弟子

・浪人することになり、私は宅浪することに決めた。現役で合格した友人達から、参考書を何冊も貰い、勉強していた。浪人と言っても、ガツガツ勉強するタイプではなかったので、時々親父と碁を打って気分転換していた・・・親父は碁にのめり込んでいた時期があったそうで、現に親父の友人が、県名人になったりもしていたそうである(真っ先に電話を頂いた)その人も大学に行ったのだが、いざ、碁の勝負となったら、教授が頭を下げていたらしい。親父も、その人から碁を伝授され、全盛期でアマチュア初段ぐらいであったらしい。私も小学校の二年生の時に、親父から囲碁を伝授され、一番調子のいい時で、置き石が三つという具合であった・・・一方将棋では、私の方が強かったが、がんになった親父と指す時には、あえて、酔って指した。親父の将棋の駒組みは、矢倉と右穴熊しか知っていなかった様子だったが、私は一切研究はしなかった。負けるのは悔しいが、余命少ない親父に、あえて、威張らしてあげようと思ったし、それで親父が病について、うさ晴らしできるのなら、それでもいいと思ったのである。

・私の浪人時代、新聞の囲碁・将棋欄を読むのが日課だった。勿論、親父との対戦の為である。しかしその頃は、実力差が激しく、親父と碁を打っても、負けまくっていた。打つ時にはしらふなのだが、受験生にもかかわらず、就寝の時には白と黒のパズルが脳裏をよぎって、眠れなかった。仕方がないので、冷蔵庫から親父のビールを拝借して眠りに就いていた。多分、親父は気付いていたと思うが、黙っていてくれた。

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人生をルーレット台に乗せる

・新年会に於いて、高校時代の友人達は、みんな真面目にサラリーマンをやって、堅実に生きている。それはそれで尊敬するのだが、ヤマ師のような私が、新年会に参加すると、どうしても、あまり話が合うという事は少ない。それを大学時代の友人達との新年会で語った所、大学時代の新年会の仲間は、みんなヤマ師で、人生をルーレット台に乗せているものだから、「そこのズレはどうしようもない」という話になった。そして私が、「お金を稼ぐ方法なんて、いくらでも在るんじゃあないのか?」と聞いた所、どこからともなく、「サラリーマンなんて、所詮、バイトの延長線上にいるだけじゃあねえか。本当に好きなことで飯を食っている人は尊敬するけどな。そんなのサラリーマンの5%ぐれえじゃあねえのか」という発言が出た。大学時代の友人達とは、年に二回以上は集まることにしているのだが、みんな、まともな勤め人をやっている様な者はおらず、みんながみんなヤマ師なのである。今年の新年会で、私が、「ここにいるみんなが、人生をエンジョイしながら、その人生をルーレット大の上にチップとして置いている様なものだよな。お前が十万円金貨を載せているとしたら、俺なんか一円玉だ・・・でも勝負している」と言った所、金銭的に貧しい思いを抱いている友人達は同意し、それなりの友人は、「ルーレットは回り続かなければならない」と言った。そこで私が放った一言は、「諸行無常」であり、「この世の掟だ」と言った後で、「まあ、みんな楽しく生きているからいいじゃあないか」と話した所で、そのお題は消えた。

・恋と受験は両立しない。どちらかを選ぶしかないんだ・・・その問題で失敗してきた奴等を何人も観て来た。

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営業のコツ

・かの、雀聖、阿左田哲也が書いたエッセイ集、『ぎゃんぶる百華』で、もしも、昔の武将が麻雀を打ったら、誰が強いかという話があった。横綱は、足利尊氏で、なぜならば、広い視野と高度な戦略性を持っていることが、バクチ打ちとしては重要なのだ、とあった。大関は徳川家康で、横綱にしてもいいが、どうも二着が多そうな気がするのである、とのことだった。そして、バクチ打ちの視点から言わせれば、最悪なのが、楠木正成であり、皇居には確かに天皇に対しての忠義を貫いたとして、銅像があるものの、あくまでもバクチ打ちの視点では、その一本気なところが、とんでもない大敗を喰らうタイプである、と書かれてあった・・・しかし、いくら足利尊氏が横綱といっても、そううつ病で患っていたし、自分が追い落とした後醍醐天皇の霊を弔うべく、京都の嵐山に天龍寺を建立させたそうだ。私は、天龍寺の庭園には何度も訪れたが、素晴らしい庭園だと思うと同時に、どことなく暗さを感じるのである。日本史を勉強し(史実、芸術、事件、文化・・・)多角的な心で眺めていると、時々、複雑な気分になる時がある。知りすぎるというのも、本人によっぽどの強さがなければ、空しいだけである。

・つい先日、電話で、営業をしている弟に、「営業のの極意って何だ?」と聞いた所、弟も真面目に応えてくれて、楽しかったのだが、「結局は、タイミングと、その人が欲しいと思う直前に行くことだ。ピークの直前ぐらいかな」と語っていた。

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ばてた。余力たなし。

ばてた。余力なし。

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萩焼の伝説

・三十の時、山陰と九州への車中泊の独り旅に出た。途中で雄大な大山を眺めたりしながら、萩に着いた。修学旅行以来だったが、高杉晋作を熱狂的に尊敬している、私にとっては、そこは聖地であった。地元の人に駐車場を聞き、車を駐めて、一路、生家に向かった。着いてみると、何気ない所だったが、ポスターを買ってしまった。そうして再び歩き出すと、お寺があった。お守りか何かを買ったはずだが、その際に私がある質問をして、住職と仲良くなり、住職本人が書いたという般若心経のプリントを頂いた。住職に礼を言い、再び散策し出すと、萩焼を売っている店があったので、入ってみると、無数に萩焼が置かれていた。私は予算を五千円と決めて品物を観ていたのだが、そこの一家は、昼食を摂っていた。私が、「さわってみてもいいですか?」と聞くと、「どうぞ」という返事が来た。いろいろ観ているうちに、候補が二つになった。どちらにしようか三十秒間、悩んだ挙げ句、釉薬のよく効いているものを買うことにした。店の人は勘定の際に、その萩焼の、ぐい飲みを作った人の写真を見せてくれた。あれから十年経った今でも、そのぐい飲みは大切にしている。普段はショーケースの中に保管しているのだが、時々、焼酎をぐいっと飲むこともある。自分のお宝だから、気持ちよく酔える。

・萩の焼き物は亥年に産まれた人が焼くと良いという話を聞いた。由来も何も解らないのだが、確かにそう聞いた。

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過ちと懺悔の告白

・私は、小学生の頃、まだ塾に通っていない頃に、実力テストで、漢字が解らず、一度だけカンニングをしたことがある。その後、塾に通い始めて、勉強が解る様になってからは、自分の過ちを繰り返さなかったが、自分で自分の事が許せなかった。しかしながら、私が学年でトップを取る様になった頃、再び私は過ちを犯してしまった・・・私はその頃、毎週日曜日にテストを受けていたので、写す奴がいると、すぐに解る様になっていた。そして、写した奴を、ぶん殴っていた。その勢いで、楽勝な小学校のテストで、隣に座っていた女の子に違和感を感じた私は、くるりと左を向くと、目が合ったので、確信した。そして私は、自分が犯した過ちでもあるのに、その娘の事を責めた・・・今となっても、思い出すと涙が出てくる様な気持ちになるのだが、女の子に対しては、黙っておいてあげるべきだったと、今でも思う。それ以降、私は他人の答案を写すことは、一切しなくなった。だから、どんなにおいしい話があっても、決して他人任せにはしなかった。小学校を卒業した私は、中・高・大と男ばかりの世界で育ったが、全部自分の実力だけでクリアしていった。中には、ダメ友人から、「頼むから、写させてくれ」と言われ、自分の成績が落ちる代わりに、写させてやったりもしていた。結局、自分としては、小学生の頃の女の子の事が、ずっと頭に引っかかっていて、人の答案を写す気には、なれなかったのである。結局、私は大学生の時に、何人救ってやったか解らない程救ってやった。

・カンニングというのは、写すからいけないのであって、写させる分には問題が無いのである。

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気合い抜け

ノートパソコンの無線LANがぶっ壊れた。泣きそうだ。やむを得ず修理に出す事になった。パソコン君も毎日の激務に参ってしまったのだろう。パソコンはもう一台あるけれど、その部屋いと寒し。今日は、防寒着を買いに行かなければならぬのでblogを書いている暇がない。しからば御免。

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入試でやっておいた方が良いこと

・私が大学受験をした際、時間前に、何度も、何でもすらすら解けるイメージトレーニングをしてから、試験に臨む様にしていた。すると、某大学の物理の試験の時に、制限時間60分の所を30分で解き終わり、早いとこ帰ろうかとも思ったが、『まてよ。念には念で、100点取らなければならないのだから、見直しをしよう』と思い、十回くらい見直しをした。そして、無事合格した。だから入試では、イメージトレーニングと見直しが重要なのである。

・こないだ初めて、『Bikkle』を飲んだ・・・大学二年の時に、長~い退屈な授業を途中で抜け出して生協に向かおうとしたら、後の友人から、「『Bikkle』を買ってきてくれ」と頼まれた。金を受け取り、学生に必要な栄養を採る為に(糖分も取らないと、頭が働かなくなるからである)、生協に行った。私の捜していたものはすぐに見付かったのだが、生協内を何往復しても、『Bikkle』は見付からなかった。仕方が無いので、お菓子コーナーを観ていると、『Pikkle』というお菓子があった。私はそれを買って、教室に戻り、「俺のおごりだ」と言って『Bikkle』代を返し、『Pikkle』を渡した。私は外でエネルギーをチャージしたのであるが、私の後ろに座っていた列の後ろの奴の、そのまた後ろの女の子達から「『Pikkle』を食べていい?」という相談があったので、「全然構わない」と言って、何事もなく、その授業は終わった・・・あれから二十年弱、『Bikkle』が未だ生き残っていたことを知って、驚きと同時に、懐かしさが甦ってきたので、購入したのである・・・それにしても、みんな元気でいるかなあ、という思いも強くなった。授業を抜けだせたのは、大教室の後の方に陣取っていたからである。

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定義と定理

・高一の時の数学塾のテストで、『Aの0乗=1は、定義か定理か。そしてその理由を述べよ』という問題が出された。私はどちらか解らなかったので、ヤマ勘で『定義』と書いた。そしてその理由付けに、『そうすると数学上都合が良いから』と書いて提出した。その日の授業の帰り道、友人と、その問題について語ったのだが、友人は『定理』と書き、理由付けも適当に行っていたらしい。お互い、「いいかげんだなあ」などと話ながら、駅に向かう交差点で別れた・・・翌週、塾に行くと、私の答案用紙に、講師から、『定義』と書いた部分には点数を貰えたが、その理由の項目に関しては、『だから、どういう風に都合がいいんだよ』と赤ペンで書かれており、そこの所は点数をくれなかった。・・・結局、Aの0乗=1とうのは、『定義』であったという事が正しかったのだが、その理由は、そうすると指数法則に連続性を持たせることができるのが理由であると知った・・・その塾のテストは、知っていれば時間内に高得点を出せる仕組みになっているのだが、知らないと全く解らないという様なテストであった。私の平均点は60点ぐらいだったが、その友人を除いたら、みんな、人に見せられないような点数を取っているだろう事は、容易に察しがついた。

・『定義』とは人間が決めたことであり、『定理』とは人間がとある命題を証明した結果である。

・それにしても、酷な問題であることには、変わりが無かった。説教するために創られた問題なのではないかと、考えてみたりもした。

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勝新の武勇伝

・亡き勝新が、銀座で豪遊していた頃、「俺のおごりだ」と言って、巨大な盃に高級ブランデーをなみなみと注ぎ、クラブに来ていたみんなに廻していたらしい。だから借金を十数億円もつくったのだ。また、ある時には俳優仲間の後輩を引き連れて、寿司屋に行き、勝新がマグロを一口食ったところ、店員を呼び出して、凄みのある表情で、「オイ、この刺身、味がおかしくねえか」と、いちゃもんを付けた所、店員は顔面蒼白となり、大慌てで、「申し訳ございません。すぐに取り替えて参ります」と言って、速攻で厨房に入っていったところ、勝新が若い役者連中に、「観たか、あれが本当に人間がビビった時の姿だ」と言って、豪快に笑い飛ばしたらしい・・・そんな勝新だが、女房の中村玉緒は、「生まれ変わっても、私には勝新しかおりません」と語っており、勝新亡き後も、黙って借金を返し続けている。ところが、勝新の坊ちゃんが、京都の映画村で撮影していた時のリハで、「真剣を使う」と言い張り、役者さんを一人、殺してしまった。私が推測するに、坊ちゃんは、時代劇の殺陣で、ベテランの役者さんも想像できないような、常軌を逸した剣の振り方をしていたに違いないと、読んでいる。

・勝新と言えばハワイでの『パンツの中にコカイン事件』だが、あの時に記憶した際の記者会見は笑わせてくれた。勝新曰く、「誰かが、俺のパンツの中にコカイン入れやがったんだよな」と、逆ギレしていた姿が忘れられない。あの事件はかっこ悪すぎて、逆に愛嬌があった。

・がんになった勝新が、記者会見でタバコを吸っていたところ、記者から、「禁煙されたと聞いたのですが」と聞かれたところ、勝新はタバコを吹かしながら「ああ止めたよ」と言っていたが、最後まで、粋に生きようと決め込んでいる気がしてならなかった。

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