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2013年1月

自分を強くしたかったからだ

・私の学生時代の友人で、私とそっくりなことをしている友人が一人いた。彼に、「俺は勉強してない時には、どうしても、人を教える気はしないんだよな」と言ったところ、彼からも同じ様な返事が返ってきて、彼もいろんなバイトをしたり、いろんな人と話して、自分の知見を拡げていた。私の場合、大学が休みの頃、肉体労働から初めて、徹夜して一日に一万円の給料を稼いで、所得税も納めていた。私の気持ちとしては、『最悪これで喰っていける』という自信が芽生えていた。また、クラ友のお嬢ちゃんお兄ちゃんには、とても耐えられない仕事だろうな、とも思った・・・結局、私も彼も、自分を強くしたかったのである・・・一方で、大学一年の時の私の弟分であった某高校の特待生であった奴が、「俺がセンター試験で何点取れるか賭けないか?」とほざき、「東大に入ったらさらに倍!」などと言うので、『コイツ、金のありがたみとか、稼ぐことがどれだけ厳しいことか解ってねえな』と思った私は、一刀両断、「お前なんか受かるわけねえだろ。そもそも、クズ見てえな学校の特待生だったらしいけど、世の中をナメてたら、痛い目見るぞ・・・お前が東大受からないに、一万円」と言って話を切った。そいつは確かに特待生だったのかも知れないが、大学では全く通用しなかった。そいつが、「試験写させてくれ」と頼んだのも、クラスの女子生徒に向けてで、私はそいつのことを、軽蔑の眼差しで観ていた。そして、試験が終わった後で、「何で写させてくれなかったんだよ!!」とほざいたので、そいつの頭をおもいっきりハタいてやった。そして、「特待生君、女の子に答案写させろ、なんて、よくも言えたもんだな・・・それって女便所に入るのと同じぐらいの罪だぞ。恥を知れ、この馬鹿野郎!!」と怒鳴りつけたら、私の声が大きすぎたのか、クラス中のみんなが、こっちを観ていた。そいつは、荷物をまとめて、すごすごと退散していった。

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クソ坊主・・・殴んなきゃあわからねえのか

・親父の四十九日の日、坊主は遅れてやって来た。確かに解りにくい場所だったが、親族が集まっているのに、坊主が遅れてくることは許されることじゃあない。そいつはエヘラエヘラと笑っていた。その時点で私はブチ切れていた。そいつが読経を始めると、線香の煙で、ゲホゲホ言いながらだったので、雰囲気もぶち壊しだった。私は、その日読まれたお経があまりいいものではないと解った時点で、お袋に、お布施の額で読むお経を代える寺に対しての不信感を述べた。その寺は、訳の分からない時期に、お布施を要求したりで、とてもじゃあないけれど、本当に仏門に仕えている寺とは思えなかった。私が以前、京都の伏見で行をしている人に、こそっと千円札を懐に入れ、何気なく質問した。結果、「現代の俗な僧を、師匠は全く認めていませんし、現状を嘆いておられます」と教えてくれた。私はそれから坊主を見る目が変わった。四十九日の時の坊主はバイトだったし、お布施をもらう時だけ笑顔になり、その上、石屋のおっちゃんと口ゲンカまでしだした。そして携帯電話を取りだして、解らない事を聞いたりしていたので、もし、親父の四十九日で無ければ、殴り飛ばしていたところである。その怒りを何とか静めながら、帰り道の車の中で、母に、「寺代えようか・・・あんな野郎に法要してもらっても、親父は喜ばないよ」と、言ったら、母は、「私の時には坊主呼ばんでいいよ」と、悔しそうに言っていた。

・今年の正月に弟の家族が我が家に来てくれた際、みんな仏壇に線香を上げてくれたので、閉めに私が般若心経を唱えた。そして、「四十九日の時のバイトの坊主はひどかったな」という話題になったら、弟のかみさんが、「あんなのにお金払うぐらいなら、私の時でもお兄さんに読経してもらいたいですよ」と言ってくれた、が、「俺より先に逝くなよ」というのが、今年の初笑いであった。

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伊丹十三と大江健三郎と武満徹と

・最近、伊丹十三の映画を観ているが、才能に満ちあふれている。しかしながら、当方は、どんな理由であれ、自ら命を絶つことは許せない。そんな、伊丹十三の幼少からの親友が、大江健三郎だった(実際に伊丹十三の妹と結婚している)。伊丹が死んだ時の苦しみを、大江は、A.ランボーを引用して、『取り替え子(チェンジリング)』という作品を書いていたが、それは追悼なのかどうなのかまでは、大江の作品のフィクションの多さから、解らなかった。主人公は苦しみまくっていたが、素晴らしい作品に仕上がっていた。伊丹十三と大江健三郎といえば、もう一人外せない人物がいる。主に雅楽を創っていた、武満徹であろう(坂本龍一も影響を受けた一人)。「三人で巨大な三角形を創ろう」と言っていたが、まず、武満ががんで死に、伊丹がダイブした。同様、大江に、もしも、光君がいなければ、とっくの昔に死んでいたと思うのは、私だけではなかろう。

・友人と伊丹十三の話をしていたら、友人曰く、「伊丹の側に十三(じゅうそう)って駅があるんだよな」と皮肉っていた。

・大江健三郎は、現役の時に東大を受けたが、一日目の物理の問題が全然解けず、ショックで帰省したそうだ。すると、その年の東大の物理は、やたらめったら難しかったらしく、ほとんどの受験生が解けなかったと聞いて、唖然としたそうだ。母親から、「しっかりせえ」と言われ、一浪して東大の文学部に入ったそうである。

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赤線

・大学二年の時の英語の授業で、ヤクザやらに騙されて日本に連れてこられて、売春をさせられているという記事を読んだ。実感こそ湧かなかったが、夏のとある日、友人に繰り出されて夜の街に繰り出した。私達は、いたずら坊主のように、その街を観察していた。いわゆる『赤線』というやつだ。通りを歩いていると、店頭にピンクのネオンが光っていた。入り口には女将が立っており、怪しい雰囲気に満ちていた。嫌気が差して、友人と一気にそこを通り抜けたが、何か申し訳ない気持ちで一杯だった。その後、くぁぞいの道を歩いていたら、前方に二人の女の気配を感じた。私は嫌な予感がしたのだが、夏ということもあり、すれ違いざまに、私の半袖の左腕を掴まれ、座り込んだ女がいた。反射的に殴ろうかとも思ったが、座り込んでいるその女の目を観ると、私では無く、もっと遠い祖国か何かを見ている目だった。一瞬で申し訳なさの方が溢れ出した・・・その女はイカれていたのだ。一緒に歩いていた女が、真剣に私に詫びを乞うたが、私の方が謝っていた。友人も私の対応を観て、黙っていた。複雑な気持ちだったが、申し訳なさの方が強かった・・・あの子はきっと、故郷の恋人のことでも考えていたのだろう。そういう女を喰いものにしているエージェントというものが許せなかった。

・日本がいくら先進国になったとしても、こういう事例がある限り、後進国なのだ。現在でも、キャバクラで働きたいという女子大生などが絶えないのも問題である。そりゃ、みんな金は欲しい。しかし、そこで安易に決めずに、自分の人生も考えてみてほしい。もしも自分が母親となって、娘がキャバクラで働いていたら、ショックではないのか?構いやしない、と言うならば、そいつに親になる資格は無い。もちろん、男にも責任はあるが・・・

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男気

・私の家の近くの商店街にガラス屋がある。そこのおっちゃんは、男気があって、父が他界した直後から、私と母とをいたわってくれた。おばさんも品のある方で、息子さん、そのかみさんも、大変親切な方々である。そのおっちゃんんは、調理師の免許も持っていて、胸焼けしないコロッケを開発し、売り出した。休みの日も、デパートなどの営業周りをして、一躍ヒット商品となった。クリーニングもしている店で、昔からお世話になっていた。一方で、おっちゃんは、スイーツなどの新商品なども手がけていた。一度、私もそのスイーツを食したのだが、今まで食べたことの無い触感と味だと思った。クリーニングの服を受け取りに行った母によると、そのスイーツは、微妙に変化していたらしい。コロッケと一緒に購入し、その変化したスイーツを食べてみたところ、不思議な食感が無かったらしい。その店はスーパーに行く途中にあるので、後日、コロッケを買いに行ったところ、奥からおっちゃんが出てきたので、母が、「あのスイーツの不思議な食感をデコレーションが潰してしまった気がする」とアドバイスしたらしい。もちろんおっちゃんも、逆恨みをしたりする人では無いので、「貴重なご意見ありがとうございます」と言ってくれたそうだ。どこまでも器のでかいおっちゃんだ。

・おっちゃんは、スイーツ一つ作るのでも、芸術性を込めるそうだ・・・例えば、母が指摘したスイーツならば、ビーチと海をイメージしたらしい。そこまで行くと、もう、職人さんだ。

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研ナオコは妥当か?

・私が中三の時の美術の先生が、研ナオコが初めてTVに出た際に、『こんなのがTVにでていいのか?』と驚き、激しく悩んだそうである。しかしながら、みんなに何を言われようが、たくましく生きている研ナオコは偉い。そういう事をはねのけて、育てた親も偉いと思う。

・NHKの『のど自慢』で観てみたいのは、不意を突いて、本番で自分の出番の時に、替え歌を歌い、自分の会社の宣伝をする奴だ。もし、文句が出たら、「NHKだってさんざん番宣しているじゃあないか俺が俺の会社の宣伝をして何が悪い。お前らが番宣辞めない限り、俺は受信料を払わないぞ」と言ってブチ切れる奴を観てみたい。

・瀬戸のミカン農家に生まれた、私の母によると、本当の通は、ミカンをヘタから剥くそうである。そうすると、ミカンの房に着いている白いものが、よくとれるらしい。食べると便通も良くなるそうだ。

・世界で唯一、原爆を落とされた国が、地震による放射能で、再び苦しんでいることは余りに皮肉なことだ。かつての黄金の国、『ジパング』がもう一度、甦るのかは今の若者達次第である。

・演歌歌手を目指すならば、北島三郎の舎弟になるよりも、『のど自慢』の鐘を司っている男による方がなりやすいのでは無いだろうか?

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バッカスの舞

・私は、酒の愛好家である。だがしかし、粗末な焼酎を飲んでいるのが現状でもある。父は強かったが「、母の家系は猛烈に弱い。この前、家の空気が凄まじく暗かったため「御神酒だ!御神酒だ!」と、酒の神『バッカス』の力を借りて、母に、「梅酒でも飲んでごらん」と言ったはいいものの、肝心の梅酒が無いことに気が付いたので、仕方なく、料理用の赤ワインがあったので、無理矢理、それを飲んでもらった。すると母は急に強気になり、私に絡んできたので、上等上等と思った私は、相手をしてあげた。酒については、私が大関ぐらいで、母は序の口位なので、充分に稽古の相手になったというところであろうか。景気付けに飲んだ赤ワインも、母は、「目茶苦茶まずいよ、これ」と言ってダッシュでトイレに向かったので、私が介抱した。吐いてしまったが、母のうっぷんも一緒に吐き出した様子で、家の空気が少し丸くなった。お酒というものも、古今東西、万能薬と言われているが、美味しい飲み方をすれば、楽しく飲めるし、そうでなければ、単に肝臓をを痛めるどころか、人間関係まであやふやになってしまう。もしも母が酒豪であったならば、恐ろしい目に遭ったかも知れないが、ビール一本で、気持ち悪くなる人だから、その心配は無い。しかしながら、ごくまれに、こっそりと甘酒を造っている事を私は知っている。なぜならば、私は甘酒の香りが大嫌いなのである。酒は辛口で、冷やに限るというのが、私のポリシーなのだ。

・母は、グラスの底から1cm赤ワインを入れて、飲んだだけで潰れた。甘酒も一杯飲んだだけで、真っ赤な顔をしている・・・私としては、残り少ない命の中で、父と飲めたことが忘れられない。

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大学時代の友人達との飲み会2013(その5)

・友人のうちの二人の娘さんが、同じ小学校の同じクラスにいるという話を聞いた。片方の友人の娘さんは、某塾のテストで、女性1位を取っていると聞いた。もう片方の友人の娘さんは、ピアノでも書道でも後れを取っているらしいのだが、友人は悔しそうにしていたが、二人とも仲が良いらしい。するとみんなが、お互いに切磋琢磨するのは非常に良い環境だという意見が強かった。でも、娘さんが負けている方の友人は、一回でいいから、勝たしてやりたい様子だったので、みんながフォローを入れる中、私は、あくまでもギャグで、「種の違いだな」と言ったが、きっと彼もその友人を目標にしているに違いない。私は、その友人より、十五年は遅れているに違いない。その友人も、上には上がいるということを教えるために、『平成教育委員会』などの番組で、娘より早く、即答するらしい。勉強面はそれで良いのだが、女の子としての魅力を、どうしているのかが知りたくなった私は、「性格っていうか、情操面はどうしているんだ?」と聞いたら、「主に躾だな。その後には嫌でも社会が教えてくれる」と言ったので感心した。「人間なんて我慢が歩いている様なものだからな」と私が締めくくった。

・最後に話した友人は、中・高・大と同じ友達だったが、結婚はしているもののお子さんはいない。友人もいろいろと、私のblog本対策を教えてくれると共に、共通の友達について話をした。それはそれで盛り上がったのだが、大学時代に苦労をした奴も多く、「あいつ性格が金平糖だったのが、ドロップになったな」というような話をしていた。帰りの電車で、一緒に帰った友人も、母のことをおもんばかってくれ、非常に有り難かった。「俺は秋は苦手なんだけれど、俺が順調ならば、お袋も順調だ」と言って、責任感を感じた。

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大学時代の友人達との新年会2013(その4)

・引き続き、インドの話を続けさせてもらうと、インドに仕事で行った友人が、通訳と共に電車の指定席に乗っていたところ、ある部族の王様(国王では無い)に、「召使い達と共にその席に座りたい。金は払うから、どけ」と言われたらしい。その時に友人は、「一ヶ月前から予約していた指定席だし、空いてる席は、なんぼでもあるんだから、こっちはどく気は無い」と通訳に言ったそうだ。王様も、これには閉口したらしく、渋々座ったそうだ。みんなは、その根性に惚れたが、ある友人が、「もしそのお金が一億円だったらどうしてた?」と聞くと、「額の問題じゃあ無くて、ああいう態度が許せなかった」と言っていた。正に大和魂である・・・すると店長が、突然、「実は六年半付き合っていた彼女と別れた」と告白した。みんなが驚く中、店長は、「赤坂店を立ち上げる事に、彼女が反対して、やむを得なかった」と言うと、みんなから、「結婚しちまえ」の集中砲火をあびていた。私は、そっと、「前に来ていた娘だろ?同棲もしていたんだろ?」と聞いたら、店長は頷いた。「赤坂に女が出来たと思われているんじゃあねえか?」という様な、ブラックジョークも出たが、「それは違う。だから、今、同棲はしていないけれど、時々、『逢おうよ』などという知らせが入る」と言ったら、みんなから一層の集中砲火を受けていた。例えば、「結婚は論理では無い。成り行きだ」などという意見が大半だった。

・私の結婚観というのも、やっぱり成り行き任せ。これまでにも、何度もの出会いがあったが、自律神経失調症の薬を飲んでいる限り(それで遺伝しないことを知りつつも)、付き合うチャンスさえ逃してきた。余り深くは考えていない、というのが現状です。

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大学時代の友人達との新年会2013(その3)

・大人同士の猥談というものは、卑猥では無い。店長の新しい店の、顔になってもらう娘のための猥談だった。ウトウトしていた私は、目が覚めた時、『しまった、乗り遅れた』と思ったのだが、よくよく聞いてみると、みんな一線を外していない。私の場合、卑猥な猥談では、口をきかないのだが、みんなが店長のために、必死で卑猥では無い猥談を議論している姿が面白かった。結論は、店長の新しい店には、いい女の子を入れよう、という事で合致した。すると今度は、その女の子のチャームポイントをどこに置くか?ということで、みんなの意見が割れた。私は、その頃、完全に目が覚めたし、みんなが最近の流行りについて詳しかったので、私には手も足もでなかった。そうして、本当に熱い場が醒めてきた頃、私がポツリと、「インドに行ったって聞いたけれど、カースト制度と衛生面は、今どうなっているんだ?」と聞いたところ、最近行った友人が、「確かにインドは民主主義の国なんだけれども、カースト制度はまだ生きている。だからバラモンしか政治家にはなれない。そもそも、ヒンズー教やジャイナ教のしきたりによって決められるのがオチなんだ。カーストもあることはあるけれど、それぞれ、ソーシャルネットワークが確立されている」と教えてくれた。また、日本の今回の東日本大震災の被災者の方々にも、いかにソーシャルネットワークが大切かということを教えられた。

・インドの衛生面の問題はどうなっているのか?という質問に対しては、行ったことがある三人のうち、二人はアタッたらしい。そのうちの一人が、一度目はアタッたそうだが、二度目は大丈夫だったらしい。それは、抗体が出来たのだろうと思った。

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大学時代の友人達との飲み会2013(その2)

・今回の『Katsu』の店長の料理のコンセプトは、『鳥』だった。いろんな部位の焼き鳥だけで、1ダースくらいの串が出てきた上に、鳥鍋が出てきた(そういえば、刺身も出てきた)。みんなが美味美味と言いながら、店長が、前からみんなに言われてきた、『赤坂出店計画』を真面目に考え出していることを聞いた。実際に何度か赤坂近辺に足を運び、人の流れを観察してきたそうだ。物件のコピーもいくつか持ってきていたが、別の友人が、i-Padで地図を引き出し、みんなで検討していた所、いろんな情報が錯綜していった中で、店長も段々と決意を固めていった様だった。まあ、その辺の所は、店長はプロだから、心配ない。そして私が、「開店のメドは?」と聞くと、「今の草加の店の引き継ぎが終わったら、秋口ぐらいまでには開店する」と店長が決意表明した。そこで問題になったのが、店名であった。店長は「海千山千にちなんで、魚千鳥千っていうのはどうかなあ?」と聞くと、ダメ出しがでてしまった。そこで、「海鮮山鮮はどうだろう?」と提案した所、みんなも納得したが、ネットで調べたところ、その名前のお店は既にあったらしい。多分、ひらめきの様な感覚で、良い名前が出てくると思う。

・今年も青森の斗瓶取りの田酒が出てきたが、今年のは出来が良い気がした。舌の上で、まろやかな風味を出しながら、ミネラルウオーターの様に飲め、悪酔いしない・・・田酒を飲みながら焼き鳥を食べている間に、不覚にも、私は、壁にもたれかかって寝てしまった。最近、自律神経の問題なのか、分割睡眠になったり、長時間睡眠になったりと、きつい日々を送っている・・・一時間後ぐらいに目覚めたが、何か大人の話に変わっていた。

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大学時代の友人達との飲み会2013(その1)

・昨日の晩、blogを書き上げて2:00頃眠った。長い一日になるのが解っていたので、11:00位までは眠りたかったのだが、丁度、ガキが遊園地に行く前の日の様に、朝の8:00に目覚めてしまった。『しまった!!』と思ったが、まあ六時間寝てるし、いいか、と割り切った。私の家から草加の『Katsu』まで二時間半くらいかかる。多分、相当、食べるだろうから、昼食はぬいて行く。早めに出て、電車で座れた時には、先日購入した、Amazonの『Kindle』で、宮澤賢治の『春と修羅』を読みながら行ったところ、新年会が17:00開始の所、16:00前には着いてしまった。途中、ハイパーウコンを飲み、店の空いている席で待機していた。今回は私も含めて六人だったのだが、17:00になり、座敷に移ると、みんな時間ピッタリにやって来た。そして乾杯ということになったのだが、とある友人のモンスターバイクの話や、モンスターカーの話で沸き立った。機械科の友人が多かったがせいもあったが、モンスターバイクはシフトが6速で4速で200Km/hから、ウイリーする様なバイクらしい。その代わり、エンジンブレーキのタイミングを間違えると後輪がロックするとのこと・・・モンスターカーに乗っている別の友人に、「第二東名が出来たけれど、あそこって覆面だらけじゃあ無いのか?」と聞いたら、「走ったことは無いけれど、第一東名よりは遙かに多いと聞いたことがある」と言っていた。

・別の友人が、昔、普通のバイクに乗っていた頃、後にパトカーがいたので、制限速度でタラタラ走っていたところ、パトカーに止められ、警官から、「君、急いでいるから、せめて10Km/hオーバーぐらいで走ってくれないか」と言われたらしい。間抜けだが笑える話だ。

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誕生

・私の従兄弟の子が十日前後前に誕生したそうだ。名前はややこしくて覚えてはいないが、非常におめでたいことである。新たな命が息吹を始めるというのは、希望に満ちているではないか。いろいろな人生があるのだろうが、誕生日になる度に、僕は自分を客観視することにしている。人間、時折立ち止まって、自分を客観視する事は、とても大切なことだと思う。私は昨日が誕生日だったが、自分を見つめ直してみると、大分、人生の軸が固まってきた事を感じると共に、修正点もかなり見付かった・・・昨日の私の誕生日で、駐車場の私の携帯が鳴った。番号のみの通知だったので、『誰だろう?』と思いつつ出てみると、弟から、「誕生日おめでとう」というメッセージがやってきた。そういえば、うちの弟は、毎年、誕生日に電話をくれるな、と思い出し、嬉しかった。もちろん彼の誕生日の時には、電話を掛ける様にしているのだが、いっつも電話をくれる弟には感謝している。昨日の場合は、「いやぁ、お互い歳をとったね」というので、「まだ今の歳の倍は生きるぞ!!」とお互いに励まし合った。所詮、人間という生き物は、艱難辛苦をしょってでも、『生きたい』という本能があるのであろう。自らを卑下することも無く、自惚れもせず、自然体で生きていくのが一番抵抗の少ない生き方なのでは無いだろうか?行雲流水・・・さながら北斗の拳のトキの様に。

・今日は大学時代の友人達との新年会である。草加の『Katsu』でやるのだが、どんな会になることやら。まあ、五時間半話すのに対して、往復五時間かけて行かねばならない。しかし、非常に楽しみである。帰りの電車で、寝坊しない様に気をつけなければ・・・

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不惑

・ 眠気の中、私もついに不惑の年(四十にして惑わず;論語)となった。五年半以上(消えた部分もあるが)毎日、続けてきた甲斐があった。全ては友人の一言から始まり、いろんな意味で皆様に支えられたと思う。この五年半で、父を亡くし、愛犬の最後を看取りと、様々なことがあった・・・でも、なんとかやってこられた。様々な複雑な思いの中から、私は数学塾時代の恩師の言葉を信じたい。それは、「長年、塾で言ってきたことなのですが、二十代は体力はあるけれども経験不足、三十代も同じ様なものです。ですから、私は、四十代で通用する様な人材を育てたいのです。能力と体力とが一番脂ののる時期だからです。どの著名人も言っている通りに、五十代になると、体力に自然と衰えが来るのです」と、ティーンエイジャーの私には想像も付かないことを仰っていた。ラッキーなことに、私は、この先生の言葉を覚えていた。私も、毎日、このページを観くれている友人にも感謝している。この五年半の間に、彼は飛行機を作り、飛行場を作り、滑走路までしいてくれた。準備万端である。あとは飛び立つだけである・・・自分の人生は一体どうなるんだろうな、と悩んでいたのだが、五年半、様々な事があるうちに、光が見えてきた。四十代は駆け抜けるつもりである。

・苦しくても弱音を吐かないこと、たとえ満足であっても驕らないこと。

・どんな人間にも他人には話せない様な心の傷がある。解ってはいても、なかなか解らない・・・触れないことだよ。それも、充分な思いやりなんだ。

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懐かしき日々

・小学生の頃か、ホリ君という友人が出来た。私達家族が、「遠足に行こうよ」と誘ったら、快諾してくれたのだが、ホリ君の家まで行ったら、彼は朝食を自分で作り、弁当も自分で作っている様子だった。合流してから、山路をひたすら歩き、目的地まで着いたところ、丁度、昼食時だった。ホリ君の弁当を観たら、余りに粗末なものだったので、お袋が、「私達のお弁当も食べてもいいのよ」と勧めたのだが、それすらも断るぐらいのプライドの持ち主だった・・・その後、一緒の塾に通う間柄となったが、ホリ君は思う様に成績が出ずに、親に辞めさせられた(私は、こういう友達を何人も見てきた)。幸い私は、中学受験で私立に行くことが出来たが、彼は公立に行った。彼が高校生の時、余計なことに、母がホリ君と出会った際、「ホリ君。どこの高校に行ったの?」と聞いてしまい、学区内で二番目の高校に行くと言ってはいたが、それを聞いた母が歩いていると、自転車で追いかけてきて、「実は、学区内で四番目の高校なんです」と正直に言ってきたそうだ。それから私の母は、可哀相なことを聞いたなと思い、以後、人の入学した学校のことは、誰にも聞かない様にしたらしい。

・かつて、英会話スクールで、「私の目は緑内障なんです」という事を英語で言っていた女の子がいた。可愛らしい娘だったが、授業が終わった後に、とても純情そうな彼女の瞳を観て、私は、「貴女の瞳は、俺には、とても澄んで見えるよ」と話したのだが、その娘は一緒に帰りたそうな素振りをしていたが、残念無念、次のコマも続けて受ける予定だった私には授業があった。その娘とは一期一会だったが、今の私ならば、授業を蹴ってでも、一緒二帰ったであろう。それぐらい美しい佐賀美人であった。

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浪人の心構え

・私の師匠によると、大学受験で浪人して最初から飛ばす奴はバカだと言っていたらしい。何故ならば、現役生が実力を付けてくる度に、相対的に自分の偏差値がガタ落ちし、自信を無くすらしい。そこで師匠が言った言葉は、「勝負は夏休み。ここが受験の天王山です」と語っておられたのだが、それを私も実践した。高三生ばかりの塾の父母会で、高三生の親は切羽詰まっていたらしいのだが、私の場合、高二だったので、母はトンチンカンなことを聞いたらしいのだが、師匠は黙って浪人した時の過ごし方を語って下さったそうである。それから師匠が、全ての親に対して、「風邪を引いたら、三ヶ月は数学の問題は解けません。風邪は風邪気味の時に治すものです。仰って下されば、いくらでも良い漢方薬があります」と言うと、みんなが欲しがったらしい・・・そんな師匠だが、元気そうに見えたが、それから十日で亡くなられ、冬の寒さとぽっかり胸に開いた穴とで、複雑な思いだった。もっと、叱って頂きたかった。

・浪人して四月から赤本(過去問)を解いていた奴がいたが、春先こそ良い偏差値を取っていたそうだが、徐々に数値が落ちて行く度に不安になった、という友人がいた。彼も、相当苦しんだ様子だったが、結果的に、私も含め、二人とも合格したのだから、問題あるまい。

・私は宅浪したが、夏休み前に、絶対に挫折しない計画表を作るためだけに二日かけた。それまで私が作っていた計画表は一日単位だったが、それでは無理があると思い、週単位の計画表にした。乗り気にならない日は、何をやっても駄目な自分を知っていたからである。

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工夫のしかた

・材料力学の研究室に進んだ私は、まず、材料を切る道具としてファインカッターなる物を知った。ファインカッターの刃があまりに細いので、少しでも偏心すると、すぐに粉々になって、排水口が詰まるのが難点だった。そこで、私が、「針金など使って押し出してみたらどうでしょうか?」と提案したら、先輩も、「それなら行けるかも知れない」と言って、針金をそのまま入れようとした途端に、再び私が先輩に、「多分それじゃあ、上手くいきませんよ」と言ったら、ペイペイが何言いやがる、という眼で、「そんなこと、やってみなけりゃわからねえだろ」と言われ、私は黙った。しかしながら、案の定、上手くは行かなかった。それを観ていた私が、「少しだけ私にやらせて頂けませんか」と立候補した。私の考えでは、針金をそのまま通すから、いけないんであって、針金を三重ぐらいに巻いて、強度を増し、排水口に突っ込んでみた。すると、面白い様に詰まっていた材料が出てきたので、一同から歓声を受けた。先輩の面子もあるので、私は黙っていたが、嬉しかったし、それから先輩の見る眼が変わった。例えば、私が左手の人差し指に指輪をはめていたら、怪しがられても、理由を聞かれる様になった。その指輪については、英会話スクールの帰りに英語を喋りたくて、千円値切った話をすると、大爆笑が起きたので、私は、「実は、この指輪にはあまり意味が無いのです」と言ったら、もっと爆笑された。

・大学教授といっても、別に大したことは無い。私の所は、研究室中の生徒からナメられていた。アイツ、ほんまもんの馬鹿なんじゃあないかと・・・

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盲腸は切っておくべきか?

・盲腸というものは、他の病気と見分けにくく、小学校時代の私の友人二人が近所の病院で誤診され、一ヶ月近く学校を休んでいた。私は、盲腸になったことは無いが、こじらすと命に関わると聞いた。当時は、葡萄の種などを呑み込んだら盲腸になるという本もあったが、最近の定説によると、必ずしもそうでは無いと聞く・・・昔、私が通っていた塾の先生の話によると、一昔前に、盲腸を切る手術がはやったそうである。が、先生は、そうしなかったそうである。曰く「人間の臓器で不要なものがあるとは、私には到底考えられないのです」とのことだった。そして、「人間の体の中でも、盲腸というのも、何らかの役割を果たしている様な気がしてならないのです」と語った。私が、その先生の言葉を聞いて考えたのは、ヘルニアの手術についての思い出だった。もしも、あの時、麻酔が無ければ、私は、今頃死んでいたのである・・・丁度、それが小二の時の事なので、『死』は意識してはいなかったが、千年前に産まれていたならば、きっと死んでたえだろうとは容易に想像が付いた。同部屋だったお婆ちゃん連中も、今は知らないが、私にお菓子をくれたりと、色々と可愛がってもらった。ヘルニアの手術を受けていたので、誤診した医者については、人事としては聞けなかったのである。

・私が全身麻酔したのは、ヘルニア(脱腸)の手術の時の一回きりだったのだが、その麻酔から覚める時には、水の中から浮かび上がる様なイメージで母の顔を見ていた。全身麻酔というのは怖いものだと感じた。

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学食で早弁

・中高時代、1限が体育で、2限が休講だったので、みんなが止めるのも聞かずに、一人で学食に行き、定食を食べていたら、私のクラスの成り立ての副担任から注意を受けた。私は、「先生だって食べているじゃないですか」と言い、続けて、「次の授業が休講なんですけれども、どこがいけないんでしょう?」と文句を言った。すると、そいつは、「全部食べて、早くクラスに戻りなさい」と言った。私は、いつものペースで食べて、食休みも取り、悠々と帰って行った・・・放課後、その母校の先輩でも無い、就任一年目の副担から呼び出しを受けた。職員室に行ってみると、彼は、「君、何で呼ばれたのか解るよね」と来たので、私は、「解りません」と答えた。すると、そいつはブチ切れ気味になって、「君!!今日の午前中に食堂にいたじゃあないか!!」と言いだしたので、(これは勝ったなと思った)私は、「休講だったのですから、別に構わないじゃあ無いですか。先生も食べてらしたことですし」と言い返した。すると、そいつは余計にブチ切れだしたが、私が一言、「先生、昼休みに食堂に行った事ってありますか?並ぶだけで20分待ちとかなんですよ・・・それならば、休講の時間に食事を採って、昼休みを有効に使う方が理にかなっているのではないでしょうか?」と意見したところ、そいつは何も言えなくなった。そうして、「もう帰ってもいい」などと言うので、今度は私がブチ切れた。「私は、先生のあだ名を一度も言った事もありませんし、放課後も塾などに通わなければならないのです。こんなにくだらない説教に付き合っている暇は無いんです」と私が言ったら、そいつは、苦虫をかみつぶしたような顔をしたが、何も言えなかった。職員室の先生方も黙っていた。

・学校に入って1年目の奴に、どうしてもナメられる訳にはいかなかったのである。心の中では『お前なんか、まだ、ぺいぺいじゃねえか』という気持ちの方が強かった。

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ナローガイドの原理とは

・世界中の多く人々が、20世紀最大の発明は、原爆だと言ったのだが、21世紀最大の発明は、京大の山中教授のisp細胞だと、来世紀には、そうなるかも知れない・・・人には寿命があって当然だと思うのだが。

・管が総理だった頃、「今後、数十年以内に東海地震が起きる確率が87%」と言っていたのだが、東日本大震災の後のその発言の後、地震学会が敗北を認めたということは、つじつまが合わない。総理として、不適切な発言だったのではないだろうか?

・同じ物質ならば、ナローガイドの原理とは、要するに、細くて長いものの方がスムーズに横滑りするということである。当たり前のことの様で、証明するには、大学レベルの知識がいる。

・高校時代、なんだかんだ言っても、担任の物理の授業が、一番解らなかった。その担任が、「高校物理で一番重要なのは何ですか?」と聞かれたら、「それはやっぱり力学でしょう」と答えると言っていた・・・ハッタリだ。私だったら、「もちろん、波動でしょう」と答えるところだ。「何でだ?」と聞かれたら、「私には、物理学を研究した結果、万物は波動の様な仕組みで出来ている様な気がしてならないのです」と応じるだろう所だ。無論、エントロピーなどの熱力学の問題も基底ではあるが、それは高校物理には出てこない。要するに、私の担任は、何にも解っていなかったのである。

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『青い鳥』

・グーデンベルグの『青い鳥』と言えば、誰もが一度は耳を傾けた事があるであろう。ストーリーは、兄妹が家出して、幸せの青い鳥を探しに行くというものだ、私が感心したのは、この兄妹が、苦労に苦労を重ねても、曲がらず、驕らず、人に頼らず、一心不乱に幸福を求めた点である。普通の人間ならば、ちょっと金が入った時点で驕る。そして、弱者に対して、自分の金儲けのためならば、何でもしていいと考えている連中がいる。勝者(?)が弱者を食い物にする社会など間違っている。本人はおろか、社会全体が潰れるに決まっている。一度覚えた味は捨てがたく、それを手放すことが出来ない。一度、人の心の傷をえぐったならば、覚悟せよ・・・今、私は泣いている。心の傷が、ジワリ、ジワリと痛むのだ。ヤケ酒を喰らっても、この虚しさは消えない。私は私なりの生活の中で、『幸福の青い鳥』を探してきたけれど、未だに見つからない。世の中には、やっていいことと、やっちゃあいけないことがあるけれど、金で金儲け(投機であって投資では無い)は、言語道断なのだ。そういう事をしている人間には、自然と罰が当たる。

・長い旅を終えた兄妹が気が付いたのは、『幸せの青い鳥』とは、自分達の足下にいた、という事を忘れないで欲しい。

・多くの物書きや詩人が、金に困り、世の中から相手にされないというのは、いつの世でも変わらない事なんだ・・・それは、能力が無い奴か、時代の最先端をいっているかのどちらかなのだ。

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謎の遺言

・墓参りに行く度に、心の中で、『おとっつあん、おとっつあん』と叫んでいる自分がいる気がして仕方が無い。私と母は、墓石を磨き、線香を上げて、父の鎮魂を願い、お経を唱える。それでも、『おとっつあん、おとっつあん』というメッセージがなかなか消えない。それで辛い気持ちになっても、墓参りとはそんなものだと覚悟する・・・父の死に際を観た際、武士(もののふ)たる生き様及び死に方を知った。幼少の頃なら泣いていたかも知れないが、三十路を越え、長男である私は、ショックでしか無かった。やむを得ず、自分で自分の人生を捨てる覚悟とは、かくたるものかと思った・・・普段、何事も無かった時には、焼酎をを飲んで、将棋などを指し、トイレから帰ってくると、「盤面が変わってンじゃあねえのか」などという因縁か文句をお互いで言っていた。親父との将棋が常習化した時、私は将棋雑誌を見て、将棋盤と駒を合わせて八万円という商品に惹かれた。私は五万出し、親父は三万出して、購入し、それで将棋を指すのが楽しみになったが、購入後、僅か三ヶ月で、親父は逝っちまった。泉下の親父に怒る気もしないが、命日の朝はヤケに早く目覚めた。飛び出して病院に向かい、親父は再び目を開いた。私が、「遺言を書いてくれ」と頼むと、『・・・・・・・・・・・・・・・・・・、ごめんな』とだけ書いてくれた。『・・・』の部分は、わざとそうしたのだろうが、『何も遺言で、謝らなくてもいいだろうに』と思わざるを得なかった。親父が八年間も苦しい闘病生活を送ってくれた代わりに、私も、その間は自分の時間を投げ出した。全然、後悔してはいない。「お疲れ様」と言いたい。

・親思ふ 心にまさる 親心 けふの日を知り 何とぞ思ふや (吉田松陰)

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神風特攻隊

・『国破れて山河有り』とは、有名な中国の詩人である杜甫の詩であるが、祖母による話に依れば、太平洋戦争で敗れた、我が国、日本の行く末について案じていたらしい。祖母の弟にあたる叔父さんも、「特攻隊に志願したい」と言ったそうだが、親が必死の思いで止めたそうだ。私でも同じ時代なら、同じ事を考えていたと思う。違うのは、親が止めようが、私なら行っていたという事である(今でも中国の船に特攻したいという様な気持ちが湧くことがある)・・・そんな中で、母から、故淡谷のり子が特攻隊の慰問に訪れた際に、歌を聞きながら、一人、また一人と起立し、盃を受け取り、敬礼をして、特攻してゆく姿ばかりだったと聞いた。例えば、戦前の軍人である、石原完爾の写真を観てみても、今の自衛官とは顔つきが異なる。日本の男子全員がそうなってしまったのではないかと恐れる。

・高校時代、私には英語と数学で、二人の恩師がいた。英語の恩師は、高校時代の先生で、休み明けの宿題提出の際、二度目に初めて、「お前は必ず伸びる」と言われた時には嬉しくて仕方が無かった。私がその先生について行ったのは、生徒以上に努力している先生だったからだ。男子校で幕末の話を聞いて、自分も志士になろうとした。そういう根性を叩き込まれた・・・一方、数学塾の方の恩師には、根性を付けられた。叱られ通しだったが、そのおかげで、打たれ強くなった。意外なことに、父母会では、「私に、実力以上の大学を受けさせて下さい」と、私を認めて下さっていることを知った。それも、ものすごく嬉しかった。そこそこの大学に行けたのも、この二人の恩師による・・・世話になった恩師を数えればきりがないが、受験に於いて、英語と数学が得意というのは、ものすごく有利な展開へと自分を導いてくれるのである・・・まあ、大概のことは忘れてしまったが。

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中・高時代の飲み会(最終話)

・中・高時代の問題児は、20年弱前に、大学三年生が中学三年生に対して、強姦未遂事件を起こしたというものだった。待ち合わせ場所に来るのが、あまりに遅いので、私の友人が様子を見に行った。それで全てが助かった。一番傷ついたのは、その娘であろうが、そいつは、無理矢理、ファーストキスをさせていたところだったという。後でも、「ちっ、あの野郎、余計な時に来やがって」と言う様な、人間のクズだった。その本性が全然、変わっていなかったので、私は絶交することにした。飲み会で口げんかした友人は、「それは、若気の至りだろ!!」と言ってはいたが、私が、「人間として、やっちゃあいけないことがあるし、言っちゃあいけないこともある。もし、お前の娘がそういう目に遭ったら、どう思う?」と言ったら、友人は黙った。私が絶交した本当の理由は、私を法廷に呼んで、傍聴させ、自分に有利なblogを書いてもらいたかったからだ、という彼のコメントだ。そんな事のために、一張羅を着て行った自分がバカバカしかったし、許せなかった。こないだ会った時でも、全然、本性は変わっていなかった。私はヤケ酒を飲み、タクシーで家に帰ったが、次の日、正月からまずい酒を飲んできたんだなと、お袋に言われた。何でも、『大学出たって馬鹿だから、常識なんかは通じねえ』と歌いながら、ぶっつぶれたそうである。そんな事は、今まで一度も無かった。『痴漢は死ね』だ。

・新年会は男五人だったが、二人が距離と仕事の関係で先に帰った。残った三人のうちの一人が私だったが、中途半端な時間になってしまい、みんなでラーメン屋に行った。この歳になると脂っこいのは食べられないが、そこのお店のラーメンは旨かった。

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中・高時代の飲み会2013(その2)

・場はどんどん盛り上がってゆき、独身の友人が、二年前に見合いしていたことを聞いた。その友人曰く、「話すことが無くて困った」と言っていたので、私が、「その辺に咲いている一輪の花についてでもいいじゃあねえか」と言ったら、みんなが彼についての結婚話を始めた。三者三様の意見が出たのは面白かった。結局、その友人は、出会いは求めてはいても、出会いは無かった、と結んだ。すると、みんなから、「結婚に理想を求めすぎていないか?」などという話になったので、私が、「どうでもいいから、気に入った女ナンパして、独り暮らしだったら、ヒモでも何でもいいから居座っちまえ」と言ったら、収まりが付いた。私が思ったのは、彼も私も男兄弟ばかりで、男子中、男子校、理系、と来たので、多分、女の子と喋るのが苦手なんだろうな、とは思った。私も大学に入った際に、女の子と喋れず、大人数相手に独りで喋るのが苦手だったので、何としても直したいと思い、荒行を積んだ(私自身、誘われても、悪いことは一度もしていません)。大学時代、私の付き合っていた飲み会仲間は、みんなジェントルだった。みんなバカでは無かったし、女に甘える気持ちも持ってはいなかった。だから、誰かの結婚式で会っても、帰りには飲んで帰る様な仲間達だった。私の大学時代の友人に悪人はいない。いたとしても、遙かに大金持ちの方が多かった。

・飲み会の時に、友人に、「俺はアイツとは年賀状交換だけにして、絶交する」と、これまた、とある友人に宣言した。とある友人から反撃を受けたが、お話にならない話だったので、「お前の話は論理的に矛盾している」と言って、言い返してしまったが、私には、話題に上った奴の行為が許せなかった。友人とはケンカするつもりなど無かったので、刀を鞘に収めた。問題児の話は、明日書く・・・もちろん、新年会にも呼ばれてはいない。

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中・高時代の新年会2013(その1)

・先程、タクシーに乗って、最寄り駅から帰ってきた。今日は悪酔いはしていない。しかし複雑な気持ちの新年会だった。それは、三日前の飲みのことが忘れられなかったからだ。その時の私はブチ切れて、『~大学出たって馬鹿だから、常識なんかは通じねえ』と歌いながら、居間でぶっ倒れたそうである。そしてそのまま寝た・・・まあ、この話は後日書くとして、昨日は、待ち合わせ時間の一時間半前に店に着いてしまった。仕方が無いので、Kindleで宮澤賢治の詩を読んでいた。集合時間の十分前くらいに、後輩と友人がやって来た。そして待ち合わせ時間になったので、「三人で乾杯しちまおう」と言ってから一分後に、幹事が来た。私と二人でやっていたのだが、私が、「お前、幹事なんだから、たとえ一分でも遅刻は許されねえぞ。示しがつかねえじゃねえか」と、今年初の説教をした(幹事役頑張ってくれたのは認めるが・・・)。一人が遅れるらしいという情報があったので、みんなで飲んでいたら、もう一人もやって来た。改めて乾杯である。最初こそビールを飲んだが、やがてハイボールに移り、最後は芋焼酎の水割りだった。計、男子五名だったが、私だけ今年の抱負を聞かれ、「まずは、blogを続けること・・・そして、まとまった電子書籍として、Kindleで売ること」と言った。少しでも家計の足しにしたかったのである。そして、「四十代は厄年も何も関係ねえ。ひたすら突っ走るだけだ」と言った。そして、幹事に、年賀状を手渡ししたら(住所が解らなかったので)嬉しそうな顔をしてくれた。

・東大卒の後輩に、勉強について、「爆発型かい?継続型かい?」と聞いたら、「爆発型ですね」と聞き、「俺と一緒だ。安心した」と話した。いろんな話をしたが、機転の利く賢い後輩だなあ、頼もしい、と思い知らされた。

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小林秀雄と中原中也と宮澤賢治

・先日、年賀状を送りたいけれども、住所が解らない友人の居所を聞くのに、別の友人にショートメールを送った。その友人は、晩婚だったけれども、結婚して、一層パワーが溢れていた。そして、教えてくれた友人が、「結婚はしないのか?」と尋ねてきたので、私は中原の言葉を借りて、「結婚については、前途ボーヨーだよ」と返したら、「ボーヨーってどういう意味だ?」と聞かれたので、「前途要望の逆だよ」と応えた。そんな中で、小林秀雄が中原中也との会話を書いていた事を思い出した。小林秀雄も、中原が、「ああ、ボーヨーボーヨー」言った事について質問したらしい。女関係とか、フランス文学とか、その他、様々なことが記されている。小林も中原も、全く違う別の女と結婚したらしいが、中原の方は、僅か数ヶ月で息子が死んで、苦しんだそうである。そのうちに気も病んで、食欲が異常になったそうである。そしてまもなく発狂して死んだ。中原は生前から自分の骨の歌を歌ってみたりしていたが、小林秀雄に依ると、葬式で骨をひらう際、骨がパチパチ燃えていたのが印象的であった、と批評していた。

・中原中也が、ある書店で、宮澤賢治の『春と修羅』を読んで、その才能に驚嘆したらしい。同じ詩人として、プライドを傷つけられたのであろう・・・しかし、その才能は認めざるを得なかった。同じ詩人として、複雑な思いであっただろう。

・今日は中・高の仲間と飲む日。単身赴任などで、参加メンバーは減ってしまったが、最低、五人は集まれる・・・寒くなきゃあいいんだけどなあ。

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おみくじの謎と永ちゃん

・昨日は、最寄り駅に二度行った。朝早くに、母と初詣を済まし、私は賽銭を555円入れた。二拝、二拍手、一拝、をして、願った。願い事は秘密である・・・その後、正月勝負の『おみくじ』を引いた。私はこれまで、正月のおみくじで、『凶』を引いたことは無い・・・『今年はどうか?』というスリルを味わいながら巫女さんで、一番、栄えてる人を選ぼうとしたのだが、一人もいなかった。仕方が無いので、空いているところで引いたのだが、『吉』だった。まあ良かれと思いながらおみくじを読んでいると、納得の行く内容だった。めでたしめでたし・・・ところで、おみくじの順位制というものは、どうなっているのだろう?それまで思っていたのは、上から、大吉→中吉→小吉→吉→末吉→凶→大凶、という順番だと思っていたのだが、中吉と小吉と吉と末吉のバランスが解らなくなってしまった。しかし、一番いいのは、『永吉』であろう。バスに乗っていたら、『E.YAZAWA』のタオルでデコレーションしている車がいた。

・二度目は飲み会であったが、17:30頃、急に私の携帯が鳴り、「今から四人で飲みに行くぞ」というコールだった。最寄り駅の改札で、19:00に集合し、一人は連絡が付かなかったので、三人での飲みとなった。話題は、色々とあったが、メインは、中・高時代の、友人の一人が、一年以上前に、痴漢容疑で捕まり、去年の十月頃に無罪となった話だった。この話は、今まで伏せていたのだが、新聞沙汰にもなったので、友人の許可を得て、書いている。話を聞いているうちに、「それは冤罪だな」ということになった。しかし私は、彼が無類の女好きであることを知っていたので、複雑な気持ちだった。

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友人と酒を酌み交わす時

・相変わらず、大学の方の新年会の日程は、三日間で済んだのに、中・高校時代の新年会のメンバーは藪の中である。毎年、人数調整を私がやっていて、店選びを頼んでいたのだが、今年は逆のパターンとなってしまい、実際の人数が解らないままに、店の予約をした。お店の方は増える分には構わないと言って下さったので、甘えることにした。私達の年頃にもなると、単身赴任の友人も増えてきて、異常に日程調整が面倒になったせいにもよる(でも、飛び入りを期待している)・・・この時季はもう一人の幹事と、何度もメール交換を重ねる・・・情報が入る度に、煮詰めてゆくのだが、毎年、毎年が、こういう具合だから、苦にもならなくなった。ただ、それが、みんな『当たり前のこと』になっていないことは望む。それは、耐えがたい間違った研究を無理矢理、押しつけられていることに近い。せめてもの救いが、一年振りの友人達と、酒を酌み交わすことだろう。みんな、何かを背負っているから、出会いを大切にする。ガキの頃の付き合いの友人達との飲み会まであと二日、楽しみでしょうがない。

・私は、バカは相手にしない主義だったが、これまでの日々を客観的に振り返ってみると、バカが一言言っただけで、その三倍の集中砲火を浴びせてきていた。おちょくることもあったが・・・大学院を辞めた私に、ネズミ講の商品(NUSKIN)を誘ってきた馬鹿がいた。『俺はそこまでナメられているのか』と思い、頭にきて、「お前は俺を子ネズミにしようとしているのか?」と半ばブチ切れ気味に言った。「いや、クリントンも認めているし、同志になって欲しいんだ」と言われ、余計に腹が立った。『コイツはいくら勉強が出来ても、ほんまもんの馬鹿や』と思った。

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あけましておめでとうございまする・・・

・きのうは元旦、一年の始まりだ。大晦日の紅白で感動させられて眠りに就いたのだが、夢見たことは、ゴルフ場で友人と周りながら、ギザギザに刻んで悲惨な思いをしているという、ロクでもない夢だった。そんな朝、早く目覚めすぎたと後悔したが、時計は午前11時を廻っていた。大慌てで起きたら、お袋が、「お勤め済ましたよ」と言ったので、少々申し訳ない気がした・・・午後三時頃か、弟の一家がやって来た。新年の挨拶と共に、みんなでおせちを食べながら、長男には好物のカニと次男にはイクラを、何日も前からAmazonで注文していたものを出してやった。甥達は喜び、かぶりついていた。「こういうお正月もいいね」と母から洩れた。

・弟のカミさんが、私のblogに興味を持ったのか、Googleでのキーワードを尋ねてきた。私は、「それなら四冊目の本をあげるよ」と言ったが、「ネットで調べますんで」という事になった。もはや中一の長男の事を案じ、「いつでもボランティアで勉強教えてやるから」と言ったら、嬉しそうだった。任せておくべし。

・後半はサッカーゲームを四人でトーナメント方式でやったのだが、私が優勝した。決勝戦は長男と私だったのだが、長男に、「このTVは3Dなんだよ。でも、見せてやりたいけれど見せられない理由があるんだ・・・あのな、おっちゃんの持っている3Dのソフトは、全部、エロビデオだからだ。いる時には、いつでも言ってくれていいからな」と言ったら、大爆笑していた。そして、「もしもプロ野球選手になったら、絶対に阪神に行けよ、バッターでもピッチャーでもいい甲子園まで応援に行くからな」と話したら、また、笑われてしまった。

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ヤワなことは言うまい

・去年の紅白では、美輪明宏の『ヨイトマケの歌』が、全歌手の歌を喰った。それだけ聞けただけでも、あの演技には参った。後から歌った歌手は、辛かったと思う。それ程、素人の私でも、明白に解った。歌を歌で無く、歌劇の様にしていた・・・あれは見事だ。

・あっ、申し遅れておりました。新年、開けまして、お目出度うございます。今年以降は、一層の精進を加えて参りますので、どうぞ、宜しくお願い致します。四十代で通用する為の人材を育成したいと言った、数学塾の師匠に申し訳ないし、何よりも自分の人生に悔いが残る。

・人間の煩悩は百八つあると言うが、年開けてまで八つの鐘を鳴らすのは、何故か?

・ 『人間なんて、みんな弱い。いるのは、強い振りをしている人間と、そうでは無い人間だけだ』(親友at大学院)の言葉を聞いて、母に、「私は弱いのか?」と聞いた。すると母は、私が弱いのではなく、「落ち込んでも、それをバネにする力が強いのだ」と励まされた。

・今年から十年間は、走り続けるつもりである。そうしなければ、数学塾の恩師に迎える顔が無いし、私の人生のケジメが付かない。必死で走るつもりだ。自分で自分の人生にケジメが付かなかければ、自分自身で、自分を潰している様なものではないか・・・昨日の紅白、美輪明宏が歌っていた(というより、演じていた)歌が百点ならば、みんな赤点だった。

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