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2012年12月

おおみそかか・・・

・大晦日のこの日、私が、「俺はあんたのせいで潰された」と言うと、「あんたのせいで私も潰された」と言った。どうにもならない気性だ。

・お袋は、私の根性を褒めちぎり、「よう頑張ってきた」と言ってくれ、「ありがとう」と言ってくれた。

・大きなクラックがあるならば、思い切って前に飛べ。

・今年の紅白は、母が紅組に、コーヒー・キャンディを五個。私は逆張りしている。

・私は来年で40(不惑)の歳を迎える。寂しい気もするが、私は、振り返らない。そこには、何にも無いからだ。逆に40代は、数学塾の師匠の言った通り、人生で最も充実した月日を送ることと思う。精一杯、努力してやろうと思う。恩師の顔に泥を塗るわけにはいかない。

・うつろい、うつろいながら、また一歩一歩、歩き出す。「あなたはそれでも寂しくないの?」と言うお嬢に、黙りながら砂浜を歩き出す。

・波の音を聞きながら・・・

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後で気付いたお守り

・私が初めて東北旅行に行った時には、のんびりのんびりと、各地のYHをつむぎ歩いて、一週間位してから、仙台に入った。土地勘が無いので、青葉城跡に行ったところ、立派な神社があったので、父の病を思って、護国神社にて祈祷してもらった。私は、真剣に父の恢復を祈ったし、神主さんに、「明日、私の父が、午前九時から命がけの手術をします。祝詞を唱えてくれとは申しませんが、どうか、午前九時頃に心の中でお簿いておいて頂けませんか:」と、無理を言った。その人は、「解りました」とだけ言って、去って行ったが、私は神社の社務所で一番のお守りを買った・・・その後、北海道まで行ったのだが、旅から帰ったら、父は八年間生きてくれた。二度程、その神社でお参りしたのだが、二回目は胸水が溜まり続けて危篤状態となった・・・まもなく父は、武士の様な死に様を見せた。母も、大分やつれていたが、私は、たとえ父が死んでも、絶対に泣かない様に決めていた。私が泣いたら示しが付かないと考えたからだ・・・その後、母と、父の遺品の整理をしていたら、父の札束入れの中のポケットの一つから、仙台で私が買って来た、護国神社の身体健全のお守りが出てきた・・・その時、私は泣いた。どこまでも見栄っ張りな父親に、「馬鹿野郎」と叫びたかった。いつも私の事ばかり心配していてくれていたが、その時ばかりは、「バカヤロー」と言いたくて仕方がなかった。

・父には感謝している。金の面を除いて・・・大体、二人で買った将棋盤が数万もしたのに、それから三ヶ月で逝く事は許されない。今は、母と力強く生きているが、母は、今でも、あなたの夢を見るそうだ。男子一代の仕事のせいとはいえ、空しい。

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憎めない子

・塾講師時代、地主の塾長の土地の上にあるボロアパートでお婆ちゃんと二人暮らししている生徒がいた。私は、彼が小学校の五年の時から、算数を受け持ったが、成績は決して良いものでは無かった。ある時、私の携帯電話が、マナーモードにしていたにも関わらず、呼び出し音の『となりのトトロ』の音楽が鳴り止まらなかったので、講師室に置き、みんなに、「申し訳ない」と謝った。すると、その子が、「先生、彼女から?」と言われてしまい、「お前はマセ過ぎてるぞ」と言ってごまかした・・・その後、彼が算数の分数のテストで、90点を叩きだした答案を私に見せびらかした。私は本当に感激し、「やればできるじゃあねえかよ」と言って、自分の事の様に喜んだ。その後、夏期講習には参加せず、引っ越しするかも知れない、と聞いたので、私が、「せめて、算数の教材だけでもとっておけ」と言い、それを夏休みの宿題とした・・・やがて、私にとって、ハードだった夏期講習が終わった頃、彼が私に宿題を届けてきた。「後で届けるから」と言って、暇な時間に添削していると、30分で終わったので、彼が持ってきてから、一時間以内に届けに行った。塾を辞めざるを得ない彼に、一筆書くことにした。

・引っ越した後に、彼を受け持つであろう講師に対してこんな手紙を書いた。『彼は大器です。今は解らないかも知れませんが、どうか長い目で観てやって下さい。どうぞ宜しくお願い致します。』という様なことを、必死になって書いた・・・それから半年程して、私がバスで本を読んでいると、わざとぶち当たってきた少年がいた。彼だった。私が、「近くの街にでも遊びに行ってきたのかい?」と聞くと、「そうだよ」と応えてくれた。彼の元気そうな顔を見て嬉しかったし、彼が、友達グループといても、気さくに、私に話しかけてきてくれた事が嬉しかった。

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接待合コン

・英会話スクールで弟分がいた。そいつの大学は九割以上が女子と聞いた。ある時、その弟分が、私を頼りに、翻訳をしてくれと泣きついてきた。とりあえず、原稿に目を通したところ、私は、それが、コレラ菌についての物だと解ったのだが、専門用語が全然解らなかったし、研究が忙しい時期だったが、訳してやる代わりに合コンを要求した。そして、「専門用語が解らないし、どうせ学校中の連中が写すんだろ?だから、『A』は保証できないけれど、『C』なら保証できる」と言った。弟分は、「全然かまいません。その条件も呑みます」と言って、私に和訳を依頼してきた。私は研究室などで、少しずつ訳していたのだが、案外すぐに出来上がった。再び英会話スクールで会った時、テーブルに訳をバサッと置いて、「専門用語はお前らで訳せ」と忠告した。弟分は、訳が出来ただけで喜んでいたが、内心では『こんなのできなくてどうするんだよ』と思っていた。後で、そいつに、「単位きたか?」と心配して尋ねたら、「いやぁ、みんな『B』でしたよ」と言うので、「百枚くらい同じ答案があったら、まず『A』は取れない」と、半分ワビを入れたのだが、弟分は、「『B』でも単位が来ただけで大満足だと、うちの学年連中、言ってましたよ」と言っていたが、『コイツ甘めーな』と思ったと同時に、今度は私が報酬を受け取る番だった。当時、面倒を見て頂いていたM2の先輩達との接待合コンを考えていた。

・とある駅で、待ち合わせをした所、すぐに弟分の姿に気付いた。接待合コンだったので、六対六の巨大合コンになってしまったのだが、店の手配等は、弟分がしてくれた。まず、先輩に、思い思いの席に座って頂いたのだが、その後、私はサワーを20杯くらい一気させられたりとか、食べ物をモグモグさせられて、意識が吹っ飛んだ・・・だが、決して合コンなどの場に於いて悪いことはしていない。「今日は帰りたくない」などと言う女の貞操観念を疑うからだ・・・それ以来、学祭の時季になると、先輩に一言、「出張に行ってきます」で通る様になった。

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志ある若者への追悼

・渡辺大剛さんが、ロシアで事故死という一報を聞いた。渡辺さんは、2004年に七大陸最高峰を日本人最年少の22歳で制覇した冒険家である。私は彼のことをTV で知ったのだが、確か、登山者の2/3が命を落とすという、アルプスの『アイガー北壁』に挑むと言っていた記憶がある。私は、その、チャレンジャーズ・スピリットに惚れ込んでいた。自分も常に、チャレンジャーでありたいと思うからだ・・・かつて、同じく冒険家の植村直己さんがアラスカのマッキンリーで遭難した時もショックであったが、植村さんの言葉で、「冒険はしたい。でも、怖い自分がいる。けれども、応援してくれた人々や、貴重なお金を出してくれた人達のことを考えると、後には引けない。そういう思いが僕を突き動かしているんです」と語っておられた。私はまだまだ甘いのだが、生まれて初めての海外旅行でアメリカをバスで横断すると決めた。飛行機に乗った時点で、アメリカに骨を埋める覚悟をした。それ程、若さと冒険心と好奇心に満ちていた。その旅は、異常にに面白かったので、飛び出して正解だと思った。人間迷った場合には、前に進むしか無いと知った・・・今回の渡辺さんの事故を聞き、多分、冒険家としての血がたぎる思いを、いつも抱えていたんだろうなと思った・・・危険度は全く異なるが。

・自分と同じ様な志を抱いていた、自分よりも若い、冒険家の渡辺さんが亡くなっているなら、非常に辛い。あの、冒険する時の恐怖心と好奇心を克服する為には、相当の覚悟と勇気が必要だったことは、容易に解る。ご冥福をお祈りする。

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江夏の21球での男の友情

・かつての日本シリーズで、広島と近鉄が対戦したことがあった。江夏は広島の抑えを任されていた。その日本シリーズは、第七戦までもつれ、最終戦で、その年の日本一が決まることになった。近鉄は悲願の日本一をかけて、鉄拳制裁で有名な西本が、広島はベンチの奥で半分しか姿を見せない古葉が監督をやっていた。その最終戦で、奇跡が起きた。九回裏に4対3で、広島がリードしている場面で、抑えの切り札である江夏を古葉はマウンドに送った。しかし、近鉄も、ものすごいパワーを発揮し、ノーアウト満塁となった。その時、古葉監督は、大慌てでブルペンに北別府と川口を送った・・・当然、江夏のプライドはズタズタにされたのだが、その時、それに気が付いた、ファーストの鉄人衣笠が、慌ててマウンドに駆け寄り、「お前が辞めるんだったら、俺も辞める」と声をかけたそうだ。そこで、男江夏は冷静さを取り戻して発奮し、後に言われた『江夏の21球』という、奇跡を成し遂げ、そのピンチを防ぎ、広島を日本一に導いた。その中にはスクイズを観抜き、一瞬にしてボールに回転をかけて、高めに外し、アウトを取ったシーンもあった。その後、江夏は、『優勝請負人』とメディアから持ち上げられていた。

・江夏が阪神から広島にトレードされる事になった時、本人は、嫌で嫌で仕方がなかったそうだ。そんな江夏に、(確か)野村から、「お前、腐ってないで、お前が行って、頑張って、行ったチームを優勝に導いたれ」とハッパをかけられ、江夏は、広島に行っても、一念発起して、実際に日本一に導いたのだから、大したものである。

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入試監督補佐のバイトで

・修士1年の春休み、入試監督補佐のバイトをやった。一日目は、小教室で、理工学部の問題を配ったが、その時の正規の監督は、数理科の野郎で、「お互い休憩しながらのんびりやろう」と言われた。なので、私が見張り番の時には、教卓に座り、悠々と宮澤賢治の詩集を読んでいた。怪しい雰囲気は無かった。「トイレに行きたい」と言う奴がいれば、黙って挙手させ、廊下で待機している、学ランを着た連中に任せていた。そして、時間になると、その怪しい数理科の教授が戻ってきた。私は、『こいつ、飯でも食ってきたんじゃあねえのか?』という疑念を抱いた。答案集めをすると、一人ずつチェックして、名前と受験番号を書いていない奴には、赤鉛筆で書いてやっていた。そいつが通ったかどうかは知らないが、私の経験によると、五十人に一人は、そういうマヌケだった。翌日、大教室で文学部の試験を任せられたが、私も問題文を観てみて、小論文の場合、『私だったら、どう書くだろうな』と考えていた。高校生には少し難しいだろうな、とも思った。そして、答案回収の時、ほとんどの受験生が小論文の八割以上を書けていない実態を知り、哀れに思った。また、前日と同じく、名前と受験番号を書いていない生徒には、黙って指を指し、答案をそろえる振りをしながら、書かせた。そんな間抜けなミスなど、私には考えられなかった。雀の涙程の給料だったが、学ぶことは多かった。

・文学部に現役で通った奴に、その話をしてみると、「英語と歴史でほとんど決まっちまうから、小論文なんて気楽に書けばいいのになあ・・・それにしても、名前と受験番号を書いていない奴がそんなにいたのか」と驚いていた。そして、「そんな野郎は落ちて当然だ」とまで言っていた。同感である。

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So,This is X'mas

・ジョン・レノンのこの曲は、クリスマスの為にだけある様なものだ。私は特別な日だとは思っていないのだが、やっぱり、他の日とは違う。それは、子供は靴下をぶら下げて、サンタさんを待つ、大人なら、彼女を連れて、どこかおしゃれなレストランにでも行きたくなる気分になる日だ。現在の私には、そういう女性はいないが、友人にツッこまれたなら、「今に見とれよ、そのうち、すんんんげ~の連れてきてやるから」と見栄を張る日だ。それでみんなが爆笑してくれるなら、もうけもんである。タイトルにある曲は、ジョン・レノンのベストアルバムに入っている。他にも、『IMAGINE』や『Stand By Me』や『Woman』、『Starting Over』などが入っているアルバムなので、このクリスマス専用の歌を、夏にも聴いてしまうことが多かった。上記の曲の中でも、『Starting Over』を空港で聞くと切ない思いになるメロディだと感じる(歌詞の内容は大まかにしか考えていない)。サンタさんのことを考えると、いろんな思い出があるが、私の場合は、現金が一番嬉しかった・・・今、お袋は寝ているので、一足早いサンタさんにでもなって、今晩、フライング気味に、私の穴の開いた靴下にお金を入れて、置いておこうかとも思う。クリスマスとは、仏教徒の私でも、心を広げ、何かハッピーな気持ちにさせてくれる日でもある。とりわけ特別な意識は無いが、何だか嬉しくなる。やましい気持ちを持たずとも、自然と街のイルミナシオンに見とれて、白い息を吐く・・・そんな時季でもある。恋人達がコートを着て、マフラーをしながら、手をつないで歩く・・・そんな光景が、自然と私の脳裏をよぎる。みんなが幸せであればよい・・・そんな風に受け止める歳に、私もなってしまった。

・オノ・ヨーコには才能のかけらも無いと思っているのは、私だけであろうか?

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教師たるもの

・高校の修学旅行の時、最初に倉敷に行ったのだが、私は班行動を外れて、仲のいい友達と倉敷見物をしていた。集合の時間にはバスに戻ったつもりだったのだが、勘違いして、遅刻した。悪気は無かったので、みんなに謝ろうと思ったのだが、それより先に、普段、訳の解らない高校物理を教えていた担任に、いきなり胸ぐらを掴まれた。一瞬、反射的に殴り飛ばそうと思ったが、理性が働き、いつもの自分に戻った・・・修学旅行の後、ある数学教師が、「修学旅行が終わった後の伸びしろで、受験の結果が決まるのです」と言って、朝と夕に、ボランティアで、数学の入試問題集の解説をしてくれた。私は、当時、数学塾にも通っていたので、夕方に出るのは不可能だったので、朝の講義に眠りながら参加した覚えがある。すると、私のクラス(バカクラス)の奴は一人もおらず、選抜クラスの連中しかいなかったので、私は教室の隅っこに座って解いていた。その先生の授業は解りやすく、教室の隅にいる私にまでフォローしてくれた。それと、数学塾の恩師の死が重なり、高二の三学期、私の成績は爆発的に伸びた。すると、修学旅行で私の胸ぐらを掴んだ担任も態度が変わり、三者面談などで、おべんちゃらを言う様にまでなった。どちらにしろ、私は一向に態度を変えていないのに、勉強さえ出来ればいい、という様な担任が気に入らなかった。『コイツ、何か勘違いしているな』という疑念は拭いされなかった。

・短期的には、今を大事に生きろ。長期的には自分の人生を見つめろ。そうすれば、不幸にあったりしても踏ん張れるし、いざ死ぬ時にでも悔いなく散れる。

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寝ぼけながらの飲み(最終回)

・相当前に、友人の実家に行ったところ、彼の実家の家の車庫の車止めの石は、新幹線の敷石であった。親父さんが仕事に関わった際に持って帰って来たらしいのだが、粋だなと思った。その親父さんは定年後、リニアモーターカーの仕事に携わっていると聞いた。

・友人が現在暮らしている地域での、公立の某名門小学校では、高学年の男子全員が将来は医者になりたいと言っているらしい。友人が皮肉っぽく言っていたので、私は、「その学校、ある意味、病んでるぞ」と話した。大体、そういう風に応える子いうのは、親に言わされている様なものだ。私の場合、大学生になるまで、父の背中ばかりを追いかけ、そんな中でのいろいろな出会いや体験が、私を導いた。昨晩、マザーテレサとシュリーマンの話を、母と話したのだが、私が、「今の俗世間、出家しても意味が無い。賢治先生の思想を継ぐには、まずは自分がパンを買う金を用意し、余ったら、地球上で本当に困っている人達の為に役立ちたい。ボランティアでもNPOでもNGOでも、なんでもいい、言葉が通じなくてもかまわない。そういう仕事が俺はしたいんだ…もしも、俺が一生独身だったら」と言ってはみたものの、「でも俺にも欲がある。どういう風にしたらいいんだろうな?」と母に尋ねたところ、母は、「今日、初めて、兄ちゃんの目標を知った。嬉しいよ…でもね、あんたもまだ若いんだから、欲があって当たり前なんだ」と言って涙を流してくれた。

・話はだいぶ脱線したが、友人と二時間飲んで、私が眠気に負けそうになったので、あがることにした。その日は、その友人にごちそうになった。ありがたし。

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寝ぼけながらの飲み会(その3)

・先日飲んだ友達に、「冬でもゴルフ行くぞ」と言われたので、昨日、ヴィクトリアに行って、前回無くした、マーカーを買ってきた。一つあたり、840円也・・・恐ろしい価格設定だ。それよりも、私としては、路面の凍結が怖い。それにしても、友人に、「ゴルフに行って、ボールが当たった奴は聞いたことはあるが、肋骨折った奴は知らねえ」と言われたので、私が、「ハーフ回った後に、寝不足で空きっ腹のところに、ビールを入れたのが敗因だな・・・でも、お前がくれたクラブだから、意地でも守るつもりだった」と言った。そうでなければ、クラブを放していた。

・彼が住んでいた地域では、私立のいい学校が一校しかなかったらしい。確か男子校だったと覚えるが、その学区の公立中学でTOPを張れるような奴しか受からなかったらしい・・・私の大学一年のクラ友に、彼の同級生がいたが、性格的にナメられていた。あだ名も付けられ、院試にも落ちていた。私が、「何であんなにハッキリしねえ奴が受かるんだよ?」と聞いたら、彼は、「確かに謎だな・・・あんなにハッキリしねえ奴も珍しかった」と言っていた。

・彼の住んでいるところから、うちの大学に通おうと思ったら、片道四時間かかると言っていた。一方で、広島出身で、嘘ばかりついて笑いを取ろうとしている奴がいたのだが、誰からも相手にされなくなっていた。私も餌食になった。そいつは独り暮らしだったが、友人と、志望する研究室が一緒だった時、友人は落ちた。そいつは、これ見よがしに、「実験の時に遅刻しているから落ちたんじゃろう」と言っていたが、私から言わせれば、「だったら、お前、広島から新幹線で、毎日、通学しろよな」と、よっぽど言ってやりたかった。

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寝ぼけながらの飲み(その2)

・私が大学の頃、親しかった友人で、卒業以来、会っていない友人は何人もいたのだが、そんな中で、一緒に飲んだ友人が年賀状をやりとりしている友人のうちの一人の話をしてくれた。かつて彼は、文系就職を志したが、ことごとく一次面接で落とされ、仕方なく学校推薦で某印刷会社の内定を取った時、私に、「おい、俺が入ったら、エロ本のモザイクを限りなく薄くしてやるからな」という様な、面白すぎる奴だった。何年か経って、結婚し、今では会社を辞めて、奥さんの実家の会社で営業か何かをやっていると聞いていた・・・そんな彼なのだが、飲みの席での友人の話によると、ある晩、突然、電話が掛かってきたので取ってみると、随分焦った声で、「おい、業務用のノートパソコンでエロサイト観ていたら、ウイルスに感染したのか、画面が動かなくなっちまった。こんなとこ、下の奴に観られたら、とんでもないことになっちまう。なんとか、明日の朝までになおしてくれねえか。お願いだ」と言われたらしく、一緒に飲んでいた、コンピューターに詳しい友人は、「しょうがねえなあ。俺の家の近くまで持ってくるなら、なおしてやるよ」と言ったら、「すまねえな、恩にきる。速攻で持って行くから頼む」と礼を言ったそうだ・・・友人は、「しょうがねえから、なおしてやったよ」と言ったので、私は大爆笑してしまった。そして、私が、「あいつ、奥さんいるのにどうしようもねえなあ。まあ、あいつらしい話だけれど」と言って、また笑ってしまった。

・今思うに、180km/h位の速度で車を運転していたのでは無かろうか。

・私がblogを書きながらこんなに笑ったのは初めてである。

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寝ぼけながらの飲み(その1)

・昨日、仏画やゴルフクラブをくれた友人と、二時間飲む為に、片道一時間半掛けて、街に繰り出した。すると、待ち合わせした駅よりも、一駅手前の駅の方が近かったので、少し歩いたが、一年振りの再会に嬉しさが止まらなかった。しかし、私の調整ミスで、眠たげになってしまい、悪いことをした。私は、彼のことを、彼は私の事を心配していたので、お互いに元気そうで良かったな、という流れになった。名古屋料理の居酒屋に行き、ビールで乾杯したのだが、彼の娘さんで小学校の六年生になる子が、私のblog本が面白いと語っていた、と言ってくれたので、ものすごく嬉しかった。なんでも、その子は、六年生レベルの一冊の本を一時間で読んでしまうらしい。友人が、松下幸之助の本を読ませたら、凄い人ね、と言ったらしい。友人によると、多分、斜め読みしているんだろう、と言っていた。そこで漱石の『吾輩は猫である』を渡した所、難しすぎた様子だった、と語っていた。私が、「中学受験させるのか?」と聞いたら、「算数が駄目だから、つぶしが効かないんだよ」と言っていた。続けて、「教えてやる事も出来るんだけれど、どうしても強制する気にはなれないんだよな」と語っていた。そして、ゲームが欲しいと言ったので、「秋葉原で部品を買ってきて、やりたきゃ自分で造れ」と言ったところ、見事に造って、楽しんでいるらしい。しかし彼は、コンピューターの専門家なので、その恐ろしさも充分心得ているから、まだ、コンピューターは触れさせてはいないらしい。まだまだ面白い話が続くのだが、それはまた次回に・・・(つづく)

・将棋界の巨星落つ・・・米長邦雄大先生のご冥福を祈る。

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ワン・フォア・オール、オール・フォア・ワン

・『継続は力なり』という言葉は、ずっと私には解らなかったし、軽視していた。しかし、友人から、blogを毎日書くように勧められて約束してから五年半、涙を流しながらも、なんとか毎日続けてみて、初めて、その言葉の重みが解った気がした・・・体験だから、上手くは説明できないのだが。

・酒呑みの気持ちは酒呑みにしか解らない。煙草呑みの気持ちだって同じだ・・・ところで、男にとって、一番解らないのが、女の気持ちである。

・スポーツ選手でも、普通の人でも、社会に対しては、『ワン・フォア・オール、オール・フォア・ワン』でなければならない。

・升田幸三の説によると、三十を超えて、宮本武蔵が決闘を拒んだのは、足さばきが出来なったからだそうだ。升田幸三も、ガキの頃に剣士を志したが、怪我をして諦めたから、それがよく解る、と書いていた。また、「足が動かなくなると人間、何も出来ませんわなあ」とも言っていた。その言葉を知って、肋骨を折ってから、足が随分衰えた自分の事を言われている様な気がした。こないだの墓参りの際に雨の日以外は散歩する覚悟をして、ナイキのエア入りのスポーツシューズの壱万円近い物を買った。このまんまじゃあ、ロクにゴルフも出来ないと感じた私は、少々焦っている・・・クラブをくれた友人に申し訳が立たないからだ。

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度胸試し

・私が高二の時に修学旅行に行く際、山陰山陽と廻ったのだが、その前に、数学塾の講師の先生に、「土産は何がいいでしょう?」と聞いたら、即答で、「地酒買ってこい」と言われた。私は、度胸試しをされているのかと思い、自由行動の時間に、萩で、密かに店の人に、「この店で一番美味しい地酒は何ですか?」と聞いた所、萩焼の器に入った地酒を紹介してくれたので、それに決めた。もう一人の同学年の友人は、どこに行ったのかは知らないのだが、おしゃれな徳利に入った地酒を買ってきていたが、それは塾生全員が飲み、私の分は、講師の先生が持って帰った。今でも、あの、私の萩焼を大切にしてくれているだろうか・・・生徒に地酒なんか買ってこさせるんじゃあねえよ、と思ったがみんな酒好きなのだから仕方ない。

・日本のサッカー会を強くしてくれたのは、ジーコのおかげだと言っても過言では無い。今のサッカー会のの中で、様々な選手が外国に行けるのも、ジーコが基礎から教えてくれたおかげである。現在ジーコは、イラクの監督をしているというと聞いて、いかにもジーコらしいな、と思った・・・老後は日本に来て、温泉にでもつかりながら、ゆっくりと過ごして欲しい。今となっては、アルシンドが懐かしい。

・どんな職業でも浮き沈みがある。だから、いちいち気にしすぎないことだ。パソコンが急激に発達したので、アナログ派の私にとっても、きつかったが、仕事などで困る人が多くなったのでは無いだろうか。デジタルなのはCDとDVDだけでよい。

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大学というもの

・私は大学三年の頃より、将来に絶望して、荒れ始めた。前期はほとんど出席せず、家でバーボンを飲みまくっていた。試験前でも、飲みながら勉強していた。そんな奴の答案を写させてくれ、というバカがいたのには驚いた。その頃は、もう、何もかにもが嫌になり、週に四本はボトルを開けていた。出席点があることも解ってはいたが、そんな事はどうでもよかった。ただただ飲んでいた。そんな私の解答を三人同時に写させたことがある。カンニングというのは、盗み見るからいけないのであって、見させる分には罪にはならない。しかし、誰が好んで他人に写されるだろうか?ひどい奴は、私の全科目の答案を写させろと言ってきたので、最後にはブチ切れて、みんなの前で怒鳴ってやった。同時に、同じ答案が四枚あるのだから、『A』など来る筈もなく、『B』ばかりであった・・・その代わり、大学で自分が何を勉強しているのか知りたかったので、三年(専門)の後期には、出席が無い授業でも、遅刻したらダッシュしてまで、初めて眼鏡を掛けてノートを取った。捨てた科目以外は、全科目『A』だった。そういう時には、写させてくれという輩もいなかった。もちろん前期よりも、大幅に酒量を下げて挑んだのだが、それだけストレスも溜まった。落ち込み気味な日々が続く中、いっつも授業に出ているメンバーから、励まされた。中には関西人で、二浪して入ってきた奴もいたが、そいつの側に座ると、ダウンタウンの松ちゃんが書いた本を貸してくれ、退屈はしなかった。しかもそいつは、校舎の二階に上がる時に、エレベーターで一発ギャグをカマしてくれ、大いに笑わされた記憶がある。もちろん私もツッコミを入れたが、そいつは二浪していたが、無事、大会社に就職した。

・私が院の推薦を取れたのも、そいつのお笑い精神による。

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首相になって欲しい人

・昨日、親父の墓参りの帰りに、衆議院議員選挙の期日前投票に行ったのだが、どう考えても、入れたい候補がいなかったので、仕方なく候補者名に、私は、『ビートたけち』と書き、母は、『テリー伊藤』と書いて、投票箱の中に入れた。しかも、最高裁判所の裁判官の判定は、一人だけおかしな思想を持った奴がいたので、連帯責任で、私も母も全員×にした。比例の政党名はまともに書いたのだが、余りにも、選挙をウケ狙いで入れてしまったので、何か、有権者として後ろめたい気がしてならなかった。しかしながら、自分のポリシーと異なる奴などに、入れるわけにはいかない。自民党と民主党で馬鹿みたいな争いをしている国会中継を観ると政治的関心は、ものすごくあるのだが、テレビを消す・・・今回は原発問題を一番の判断材料とした。候補者の中には原発廃止論があるようだが、現在、地球上で、最も強力なウエポン(武器)は、原爆及び水爆なのだ。ただでさえ、現在、韓国及び中国、北朝鮮にナメられている状態なのに、この国から原子力技術者がいなくなったら、もっと外圧を受けることであろう。馬鹿な候補者は、原発反対というスローガンを単に掲げているが、日本の国益にかなわないことを言っていると考える。確かに福島の方で、避難区域に入っている方達には気の毒なのだが、国益を考えれば、私は原発という物は、必要な物であると考えている。

・私と母は、本当は入れたい候補がいたのだが、党の方針として、原発問題についてのポリシーが合わなかったので、二人とも、半ばブチ切れ気味に書いたのである。猫も杓子も同じ様な事を言う候補者ばかりで、長期的かつ大局的な国益にかなったビジョンを持っている奴がいないと判断したのである。

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大局観を磨く

・母からは、毎日、「勉強しなさい」という意味で、小さな人生を教わった。父は何も教えてくれないかわりに「勉強しろ」と言われた記憶が無い。小学生の時から、囲碁、将棋、麻雀を伝授され、物事を大局的に観る大切さを教わった。物事を大局的に観るという事は、ものすごく難しい事のようであるが、それが無ければ何も出来ないのである。塾でいくらトップを取っても、それがなければ意味が無い。例えるならば、サッカーなどの集団競技で、ボールに集中する様になったら、あえて、広いスペースのある逆サイドに行く選手は滅多にいない。大学に入ってからも、シーズンスポーツのアイスホッケーでも同じ思いをした・・・『こいつら、馬鹿なんじゃあねーのか?』と。大局観を見失うと何事も上手くは運ばない。スポーツの場合、大局観とは、視野の広さを言っているのだろうが、それが無い選手は、無能と言っていい。同様に、勉学に於いても、視野が狭いことは、大敵である。私は勉強で、塾では一番を取ったことが無い。最高で72位だった・・・しかし、15000人以上が受けているテストでである。それにしても、人間味溢れる多くの友が、小学校時代に、親に塾を辞めさせられていた姿を忘れ去ることが出来なかった。私は、当時の塾で一番上のクラスに入った事もあるが、全員の親が、いわゆる教育ママであり、人間性を疑うような生徒もいた。私がもっと努力していれば、親の為に特待生を取ってもよかった。でも、そうしなかったおかげで、幅広い視野を持つことが出来た。両親のおかげである。

・父は、大人になった私に、「本当の意味での馬鹿であれ」と語った。前にも書いたが、「馬鹿になろうとして失敗してきた奴は一杯いるが、本当の大馬鹿者になれば、案外、物事は上手くゆくものだ」と語っていた。私が、真っ先に思い浮かべたのは、碁打ちの秀行先生だ・・・これは失礼なことであろうか?

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諸葛亮について

・名前に、『亮』という字がくっついている方が、日本には一杯いる。それを観る度に、『諸葛亮(諸葛孔明)』を思い出してならない。私も、中一の時に三国志を読んだ際、自分の息子にも付けたい一字だと、一時期考えたが、学問を深めるうちに、そういう気は無くなった。そもそも、吉川英治の三国志は三国志演義から良いとこばかりをチョイスしている気がしてならなかった。三国志演義自体が、大げさに書きすぎている。例えば、他の本によると、諸葛亮が優れていたのは、情報収集能力のみであったという。有名な『桃園の誓い』で劉備と義兄弟になった関羽を失ったのは、諸葛亮の責任だとされている。確かに諸葛亮も『出師の表』などを観ていたら、優れた軍師だといえる。ある新聞によると、先代の円楽などは、「『出師の表』を読んで泣かずんば、男子たるものにあたらず」と言い切っていたが、やや大げさな記事だと思わざるを得なかった。よくは解らないが、中国人などは、諸葛亮よりも、関羽、字は雲長の方を祀っている気配がある。実際に中華街には、関羽を祀った『関帝廟』なるものがあるけれど、『諸葛廟』などというものはない。それらを含めて考えて観ると、『亮』の一字を安易に付けるのはどうかと思う。まあ、名前としては立派なものなのだが、それにしても、分かり易すぎる。

・いつの時代でも、戦争というものは情報戦であると私は思う。ある本によると、諸葛亮が優れていたのは、その情報網であり、そういう意味では、星を観て将来を予知したなどということは、ごまかしが効かない。それでも三国志が面白くなってくるのは、諸葛亮が三顧の礼によって、登場しだしてからである。うちの母などは「登場人物が多すぎる」と言って、挫折した。

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ヒッチハイク野郎の本音

・世界遺産と言っても、平泉駅の東側には、ただただ田園地帯が拡がるだけである。その駅前の確か、『芭蕉庵』で、ヒッチハイクをしていた奴に、ご馳走した。旨いそばを食べた覚えがある。そいつは人生の岐路について、迷っていた様子だった。私は、「今、お前、悩んでいるからヒッチハイクの旅をしているんだろ?」と聞いた所、そいつは黙り通していた。私は、「でも、折角、平泉まで来たのなら中尊寺は観ておくべきだぞ」と言って、二人して見て回った。その後も飯を食べたのだが、そいつが、泣きながらビールを飲んで、「一ヶ月ぶりッスよ。こんなに旨いビールを飲んだのは」と言って、涙を隠すべく、おしぼりで顔を拭いている姿を観て、私が一言、「あのなあ、お前、俺よりも若いだろ・・・それならば、今日、俺がしてやったことに対して、恩返しなんか考えなくていい。お前が出来るようになったら、お前の見込んだ奴に、ご馳走してやれ・・・どういう時代でも、そういうことっていうのは、大切な事なんだ」と言ったら、そいつは、ビールを飲み干し、「三日ぶりの食事ッスよ・・・ごちそうさまでした」と言っていた。そいつと中尊寺の横にある毛越寺という寺の、庭を歩いていた時、鐘のところで、『一突き10円』と書いてあったのを観て、そいつは、「俺、こういう金の取り方って、許せないんですよね」と言ったので、私も、「同感だ。金なんか払わなくていいから、思う存分突いてやろうぜ」と言ったら、二人併せて五十回ぐらい突いていた。私が、「こんな事しても仏罰があたるはずが無い」と言って引き揚げた。

・そいつは、八戸を目指していたらしいのだが、トラックの運ちゃんに拾われて、その日のうちに盛岡に着きました、というメールが来た・・・そいつ、案外、大物になるかもな、と思った。

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「随分季節外れな曲だねえ」

・私が塾講師時代に、生徒から『ガチャピン』という、あだ名を付けられた女性講師がいた。その娘は、女子アナ志望であったが、私が、「お前、絶対女子アナに向いてない。だって、殺人事件でも笑いながら読む様なところがあるから、他の職も考えておけ」とだけ言った。そうしたら、「意地でもなってみせますよ!!」と怒鳴ってきたので、私は、「自分の顔、鏡で見てからそういうことは言え」とかわした・・・今、現在、奴の顔はTVで拝見したことは無いので、多分、面接の一次試験で落ちたのだろうな、と容易に想像が付いたが、日本国安泰の為にはその方が良かったのだろうと黙っていた・・・その女の塾講師は、両親が看護師らしいが、ある生徒のことを、塾長に、「あの子はうつ病だと思います」などと言っていたので、レポートを書いていた私がブチ切れて、「お前、医者の資格も無いのに何でそんな事言うんだ?あの子はうつ病なんきあじゃあない。子供の芽を潰すな・・・俺から言わせれば、そんな事言っているお前の方が、そう病なんだよ!!ふざけたこと言ってるんじゃあねえ」と怒鳴った。まもなく、そいつはクビになっていた。

・宇多田ヒカルの新曲、『桜流し』は、私の学生時代のある女を思い起こさせると同時に、昔の曲である、『SAKURAドロップス』を直訳した様な曲名だと感じた。しかしながら、昔の曲に比べると、随分、桜に対する日本人の気持ちが入っていると感じた・・・母にその話をすると、「随分季節外れな曲だねえ」の一言で収まった。

・みんな生き急いでいるのだ。私はイソップ童話のウサギでいい。

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惚れそこない

・私は女に不自由してきた。高校の時の数学塾で惚れた女の子は、二人とも年上だった。年下だけれども、私立ということで、一年上のクラスに入れられた私には為す術が無かった。当然、哀しい結末が待っていたし、まさしく一期一会だった。私が大学に入った際、その娘らは、もう別の人生を歩んでいるんだろうと悟った。胸に響く、強烈な失恋の詩が私を襲った。・・・それから数ヶ月して、私は、クラスのある女の子に惚れていることに気付いたが、それは間違いであった。気が強くて女性的な魅力が全然無かった。大学一年の時、四人の女性を見捨てた私は、大学四年間、彼女を作らないことに決めた・・・そのうちに、私は女の嫌な面を持っていない女性に憧れてきた。うちの大学に通ってきていた女共は、どいつもこいつもペルシャ猫の様だった。そんな中、研究室の友人の元彼女と出くわした。ボーイッシュなタイプで、時々、うちの研究室に顔を出していた。何故か、研究室の入り口にいる彼女の存在に気付くのは、私が一番早かった。気付いたら、煙草を吸いに行く振りをして、そいつと話すのだが、そいつが最後に発した一言は、「私、来年からここにいなくなるの」という言葉だった。なんでも、東大の大学院の院試に受かったとのこと・・・複雑な気持ちだったが、私は、「おめでとう」と言い、「俺、お前からパワーもらっていたんだから、お前がいなくなると困るよ」とうっかり言ってしまった。すると彼女は、「そういうことは、もっと早く言ってよ」と言っていたので、私の方が、「気が付かなくてごめんな」と謝っていた。同輩の元彼女だから、ずっと黙っていたが、その娘は、「この馬鹿野郎」と言って、最後に涙を見せた。

・一件複雑に見えても、物事たるものは、実はシンプルに出来ている気がして仕方がない。

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弔いとは?

・私が初めて、その数学塾を訪れた時、玄関のベルを何度押しても反応が無かったので、仕方なく中に入ると師匠がいた。しばらくの面接の後、入門が許された。授業中だったので中に入れてもらうと、中学の同級生がいた。私も問題を当てられ、解いてみたが、「全然なっていない」と言われ、プレゼンさせてもくれなかった。後に深夜、家の電話が鳴り、ボロクソに言われたのが始まりだった。入門は許すが、私立だから、一年上のクラスに入れられた。

・あの頃はバブルだったせいもあり、男の入門者には厳しかった。ボロクソに言われて、たった1日で辞める奴や、一ヶ月で辞める奴が後を絶たなかった。高三ハイクラスで最後まで残ったのは、私を含めて二人だけだった。辞めた奴の行った大学名は知らない。

・私はハイクラスでは叱られ役だった。しかし、そのうち、ワザと叱っていることを知ってからは、叱られ方が上手くなった。スタンダードクラスでは、ニコニコニコニコ笑う女の子が叱られ役だった・・・恋もした。男達からはマドンナと呼ばれる娘で、何故か私だけに話しかけてきた。年下だった私は、周りからのプレッシャーを感じていた。でも、嬉しかった。

・高二の冬、師匠が亡くなったとの知らせを受けた。この時、私は、師匠の葬儀に出るべきか、学校の試験を受けるべきか悩んだが、後者を選択した。試験で頑張った方が、師匠の葬儀に出るよりも、何よりの弔いだと思ったからだ。その試験の数学で、学年で一人しか解けなかった数学の問題を解いた。いい供養になったことだろうと信じたい。

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世界三大珍味?

・これまで、友人達の結婚式に散々招かれ、世界三大珍味のうちの、フォアグラは制覇し、絶品だと思った。その新郎たる友人は、どうせ披露宴を開くなら、飯の旨い所にしろ、と親父さんから言われ、そうしたらしい。いろんな披露宴に招かれたが、本当に、いい披露宴とは、飯の旨い所に限る。塾講師時代、その話をしたら、国語専門の講師が、また、世界三大珍味のキャビアを食べて、一粒で、いくら二十個分の美味しさ、と語っていたので、私は、披露宴に招かれる度に、密かにキャビアを狙っていた。しかし出てこなかったので、しかたなく、この前キャビア(ノルウェー産)を買ってきてもらい、ワクワクしながら食べた所、第一観は、塩分が高いなというものだった。まあ、酒の肴には丁度いいかと、妙な納得をして、食べた。瓶詰めのキャビアだけで評価してはならないのだが、幻滅した・・・とりあえず、世界三大珍味のうちの二つは制覇したのだが、料理の仕方によって全く異なるものだと解った。本当の珍味に出逢えるのは、披露宴ぐらいしか無いのであるが、大概の友人は、そこの予算をへずって来るので、全く期待していないのも事実である。

・エスカルゴの缶詰を食べてみた所、『これはカタツムリだ。これはカタツムリだ』と念じた所、余計に気持ち悪くなってしまい、触感から味まで、『これはなんだ?』ということになり、やはり、調理法によると思った。エスカルゴということで、舞い上がってしまったのだろう。

・披露宴は、飯が旨いのに限る。

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選挙は競馬じゃあねえだろ

・今朝の日経新聞を読んで、驚きを隠せなかった。元々、ヤマ師のためにある新聞なのかと何度も疑ったが、今日、そうだと確信した。次の衆議院議員選挙の候補者名と同時に、その選挙区で誰が有利かというコメントまで載っていた。それを観た私は、この記事を書いた奴等、崇高なる選挙と、競馬を勘違いしているのではないかと疑った。6Pにも及ぶ紙面は、まるで競馬新聞の様だった。こいつらに言いたい、選挙は競馬じゃあねえだろ、と。

・私は、次の選挙も期日前投票するつもりだが、入れたい候補がいなくて、迷っている。全国各地にこういう方達が大勢いると思っている。

・日経の予想では、自民が圧勝しそうな勢いである。そういえば、昔、花巻のユースに泊まった時に、一緒にTVで結果を見ていたおばちゃん三人組のうちの一人は、わざと共産党に入れる、と語っていた。右にぶれすぎない様に、歯止めを掛ける為だということだった。

・私は、野田元総理は、よくやったと思う。あの状況では、ああせざるを得なかったのだと考える。しかし、東日本大震災があったとはいえ、民主党は前回の選挙の公約を、結果的には一つも守らなかった。マニュフェストという言葉も段々と死語になってゆくのではなかろうか?

・最近は、民主主義の限界ということについてよく考えている。

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商売人たるもの

・私の友人で、実家が商家たる友人は、商店街の一角のマンションに住んでいたのだが、家電用品をそろえる際、あえて量販店には行かず、商店街の電気屋さんに頼んだそうだ。それは、商店街で独り暮らしをする際、味方を一人でも作っておくという知恵に裏打ちされたものだ。まさしく、『損をして得を取れ』という生き方だ。

・商売人は、たとえどんな状況であっても、カラ元気を出さなければならない時には、出さなければならない。そうでなければ、店の空気が暗くなってしまう・・・気合いだ、気合い!!

・大学の経済学部か商学部の教授がやっているという、一般教養の授業にモグった際、その先生は、「商売という意味では、東京よりも大阪の方が、遙かに洗練されている」と語っていた。

・私の、小中高が同じ友人が、当時、出だしだったウオークマンを買う際、値切ってみたらしい。店の人も中坊が独りで買いに来たので、迷ったそうだが、その度胸に免じて、いくらか安くしてくれたらしい。その話を聞いて、私も何かを買いに行った時、値切ってみたが、どやされて、追い出された。『買う店を間違えたな』と思って以来、その店では何も買わなくなった。バブルがはじけたら、潰れていた。

・古今東西、商売とは、信用第一。

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ゴン、あっぱれだ!!

・その男は、朝、目覚めた際、まずは体を確認していたそうだ・・・今日もサッカーやれるかなと。怪我と戦いながらも、J1史上最多の157得点を挙げた選手はそう語っていた。どんなスポーツでも、怪我が一番怖い。しかし、どの選手も怪我をごまかしごまかしプレーしている。過酷な世界だ。しかし、そうしなければ、勝てないのである・・・自分に。また、その男は、コメンテイターとしてやってきた女性にインタビューされた時、「海外からのオファーも考えていますか?」という質問に、「もちろん、コシタン(虎視眈々)ですよ」と明るく応えていた。

・その男が、ゴールを決めて、ボールを速攻で持って帰った姿が忘れられない。『俺は最後まであきらめないんだ』という闘志が伝わってきた。観ているこちらも身震いした。Jリーグでも、相手のディフェンダーがクリアしようとするボールに、頭から突っ込んでいった勇姿が忘れられない。泥まみれの選手なのだ。親父さんからも、「でかした、息子」と言われ、親父越えをした。

・その男、日本代表の試合でゴールを決めた時、カズのユニフォームを下に着ていて、自分のユニフォームをまくった。後で、それが問題となり、インタビューされたが、「次はカミさんのブラジャーでも付けていきましょうかね」と愛嬌があった。思いやりがあった。

・その男の名は、中山雅史という。ゴン中山の愛称で知られられ、日韓合同W杯の時には、出場すると、観客が異常に盛り上がった・・・長い間の現役生活にピリオドを打つという。心から、お疲れ様と言いたい。

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『マトリックス』

・居間のコタツで、うたた寝をしていたら、マリリン・マンソンの音楽が聞こえたので目覚めた所、母が映画の『マトリックス』を見終わっていた様子だった。マリリン・マンソンの音楽ということで、少し複雑な気持ちになったが、面白かったらしいので、まあいいか。

・母が映画の『マトリックス』がすごく面白かったと聞いたので、私が冗談で、「首の裏側に、ドリルで穴開けてプラグを付けてあげようか?」と言ったら、冗談じゃないという顔をしたのだが、続けて私が、「何をインプットしようかなあ。う~ん、掃除のやり方とか、車の運転方法とか、外国語の会話や読み書き・・・とかかなあ」と言うと、母は、「そんなもん、できんかって、生きて行ける」と応じてきたので、それには笑ってしまった。

・たしか、友人から、映画の『マトリックス2』は奥が深いと聞いていたので、私もDVDを借りてきて観ていたのだが、ソース(トンカツソースではなくて、『源』)についての議論をしたことがある。しかし、酔った私には、内容が濃すぎて、本質が解らなかった。悔しかったが、『マトリックス3』は駄作だった記憶がある。

・元JRAジョッキーの田原をみてみろ。冗談でも、シャブは一度やったら絶対に抜けだせないものなのだ。

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教師の奢り

・中学生の時の冬、クラスに朝一番について、ストーブを灯し、本を読んでいたら、ガラスが割れる音がし、中学校舎の方から二人駆けてくる後輩の生徒がいた。私は、いつものことだと思ったので、観に行く気さえしなかった。ところが、国語の授業中に、教師から、「今日、このクラスで一番早く来た者」と聞くので、私が手を上げた。するとその教師は、「君はガラスが割れる音を聞いたかい?」と質問されたので、「はい」と言った。するとクラス中が盛り上がったが、その教師が次に言った言葉が気に入らなかった。その教師は、「君は、当然、観に行ったよね?」と聞いて来たので、『トウゼン?』と思い、『コイツはなにを根拠にきめつけてやがるんだろう?』と思ったので、事実通り、「観に行きませんでした」と応えた。その教師は不思議な顔をしていたが、男子校でガラスが割れるなど、しょっちゅうの事なのだ。

・うちの父は在職中、会社に最も早く行く人だった。その点で、育てた部下を叱った事があるらしい。「上に立つ者が、遅刻ぎりぎりでは、示しが付かん。もっと早く来い」と。それから、その方は早く来る様になったとのことだ。うちの父は、残業手当よりも家族を選んでくれた。

・私が塾講師になった時、吉田松陰か賢治先生を目標とした。本気でである。だから、ある生徒達からは、学校の教師よりも慕われ、卒業後も、時々、遊びに来てくれていた。解らないというところも、黙って説明した。ある生徒からは、「塾のチューターよりも凄い」と言われたが、黙って教えてやった。今の世の中、教師が駄目だしなあ・・・

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美味しいミカンの見分け方

・小学校低学年頃の夏休み、母の実家の瀬戸の家で、私と弟と故祖父とで、たしか、馬の物語だったかなにかをTVで観ていた。主人公の少年が家出するというシーンになった時、祖父が一言、「こいつは馬鹿じゃ」と言った。私と弟は、よく解らず、「何で馬鹿なの?」と聞いた。すると祖父は、「あたりまえじゃろうが。こんな、家出みたいな真似したら、みんなが心配するじゃろうが」と言って、「こげなこと、したらだめじゃぞ」と言って、私と弟を躾けてくれた。

・じいちゃんの葬式の時に知ったのだが、じいちゃんには、何でも話せる親友が二人いたらしい。そのうちの一人の方が、私の母の弟にあたる叔父さんに、葬式の晩、やってきて、いろいろと話していたが、意味は解った。そして最後に、「次はワレの番じゃぞ」と言ったら叔父さんは、「はい」と言っていた。私は、方言を聞き取ることは出来るのだが、話すことは出来なくなってしまった・・・ガキの頃は話せたのになあ。

・夏休みに、瀬戸の家に帰っても、父は仕事があるので、私と弟だけが夏休み一杯、瀬戸の家にいた。その間に、いろんな友達が出来た。

・美味しいミカンは、皮が薄く、表から見て、房の様子が判る様なものである。そうでない物は今一つなのだ。

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聖徳太子は実在したか?

・聖徳太子はいなかった、ということが最近の定説になっているらしいが、そうなったら、梅原猛の立場はどうなるんだ?

・今度、本屋で、冠位十二階やら、十七条の憲法について、立ち読みしてくる必要性がある。買いはしないが。

・歴史や考古学というものは、たった一つの発見で、覆る面白さがある。それをロマンにしている人も多い。しかし、捏造だけはやってはいけない。

・実際に奈良の法隆寺を観てみたら、聖徳太子を祀ってあるお堂があった。では、もし、いなかったとしたら、どうやって説明がつくのかの論文を読んでみたい。

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