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2012年11月

寝言

・私がコタツでうたた寝していた時、寝言で、「すべてはそこから始まった」と言ったそうだが、『そこ』がどこなのかが解らない。

・携帯電話の設定を変えてしまったのか、ショートメールが送れなかったので、docomoショップに行こうと思っているのだが、まだ行っていない。いいかげんに行かないとなあ・・・

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『約』って何なんだよ?

・コタツの上の、つまようじのラベルを観たら、『約500本』と書いてあった。そんな適当な商売してもいいのかよ?と、疑問に思うと同時に、商品の数で『約』なんて使っていいのかよ、と疑問に思った。

・昨日、インフルエンザの予防接種を受けたのだが、よく考えてみると、私は、これまでの生涯で、一度もインフルエンザになった事が無いのだ。その話をしたら、母は、「幸せな人だねえ」と言い、自分は五回位かかっていると言っていた。友人は、子供さんがもらってくる場合が一番まずいそうである。

・私の友人達は、生き急いでいる感じがしてならない(もちろんそうで無い場合もあるが)。以前、イソップ童話の、『ウサギとカメ』の話で、私が「実はウサギが勝つ」という話を、とある友人に持ちかけたのだが、その友人は、「勝つのは、そのどちらでも無く、居眠りをしないライオンだ」という話を聞いた。一方で、私は、故父から、「おまえは、マラソンを走る所を、100m走の様に走る」と言われ、ハッとしたことがある。私は、没頭してしまうと、時間感覚も食欲も無くなる・・・そして、死んだ様に寝る。伸びきったゴムは、いつか切れてしまう。人間、バランス感覚とタフであること、それに多少の余裕があることが大切なのだろう。

・(昨日電話をくれた友人へ)『お前には俺も付いているぞ』

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思い通りにゆかぬもの

・思い通りにゆかぬもの・・・『なんでも鑑定団』の鑑定額の予想・・・相撲の星取り表・・・『のど自慢』の鐘の数。

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童心ながらに

・小学生の時に通っていた塾で、「悪い大人の真似をしないように」と言って、竹刀を持ってブンブン振り回している講師がいたが、童心ながらに、『こいつが一番なっちゃあいねえ大人なんじゃねえか?』と、矛盾を感じた。

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『うつ』と『憂うつ』について

・老後の蓄えが無いという事と異国の地で無一文になるということは、不安、という意味では似ている。

・『うつ』と『憂うつ』というのは異なる。『うつ』は沈んで行くだけだが、『憂うつ』というのは、『うつ』を憂いている分だけ、余裕があるではないか。私は、自分が辛い時には、『憂鬱モード』に入ったなと思って、気軽に考えることにしている。人生の波ではベクトルが上を向いているということだからだ。

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相撲古今東西

・いつ頃からかは解らぬが、相撲の力士達を観ていると、みんな、おふくろがいて、産んでもらって、頑丈な力士になったのだ、と思わざるを得なくなった。

・北の富士が、解説しているところで、アナウンサーが、「北の富士さん、横綱千代の富士関について、何かアドバイスはありますか?」と尋ねた所、北の富士は、「僕より優勝回数が多いのに、何を言えばいいんですか」と、笑って応えたらしい。

・北の富士と舞の海が解説の場合、相撲が終わると、多分、一緒に飲みに行っているのだろうと推測する。

・把瑠都、次の初場所で10勝すればいいんだからな、絶対に返り咲いてくれ。

・相撲が終わってしまったら、なにか寂しいなあ・・・

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ピッチャー小松、第一球を投げました

・ウオークマンこそ持ってはいたものの、CDプレイヤーもレコードプレイヤーも、我が家には無かったにもかかわらず、中3の時に、つきあいで、友達とレンタル店に行っていた。その時、私は、『確か、洋楽に詳しい別の友人に、「基本はビートルズだな」』と言われた事を思い出し、夢中でレコードを借りて来たのだが、家に帰ると、母が、「それをどうやって聞くの?」と聞いて来たので、我ながら馬鹿なことをやっちまった、と反省した・・・翌日、友達に、「悪いんだけれど、テープに落としてくれないか?」と頼んだ所、「ああ、いいよ」と言ってくれたので、何とか形にはなった。しかし、カセットテープを聞いていると、ある曲が終わったとたんに、「ピッチャー小松、第一球を投げました。ああっと、打たれました・・・」という様な、アナウンサーの声が入っていたので、思わず笑ってしまった。多分、彼なりのギャグか何かだったのだろう。

・洋楽を聴き始めるのに、『ビートルズが基本だ』と言ってくれた友人には感謝している。毎月の小遣いで、アルバムを一枚ずつ買って、聞き込み、歌詞カードを観ながら、努力した。そして、いい加減飽きた所で、他の洋楽だけでなくクラッシックまで手を出していた・・・幅広く、音楽というものを楽しみたかったからである。

・高一の時には、CDラジカセを買っていたのである。まだ、CDの出始めの頃だった。あのカラヤンでさえ、その音色の美しさに、「私は産まれる年を五十年、誤ってしまった」と語ったそうである。

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喋ると聞くについて

・アメリカの、チャイニーズ・シアターの目の前にあるユースに泊まったことがある。そこでは、イギリスから来た女の子と喋る機会があったが、私のアメリカ英語は、全くと言っていい程、通じなかった。しかしながら。イギリスから来たという女の子の発音は美しく、彼女が喋る意味は、ものすごく理解できた・・・これって、屈辱だよな!!

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物事

・物事は一度決めたら、即断即決。交渉に入る前に、決断しておくのだ・・・そうすると、交渉しやすい。

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マチカネフクキタルの夢

・自分が不幸せだと思っている人間は、本当に不幸せになる。友人も言っていたが、『笑う門には福来たる』だ。

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人間の進歩か退化か?

・日本の国民が、今日の様に食べられる様になったのは、一年に例えると、12月31日の午後6時以降だと聞いたことがある。

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『I love you』について

・私は、尾崎豊の『I love you』という曲が好きだし、友達とカラオケに行った時には、それで点数を稼ぐことが多い。一方で英会話スクールに通っていた時に、いろんな講師の授業を受けたが、ある講師が、「いつでも、I love you.と言って貰えないのは切ない」という話をしていた。なんでも、アメリカでは、家族同士の間では、しょっちゅう、「I love you.」という言葉を掛け合うそうだ。その話を聞いて、面倒な国だな、とも思ったが、その講師に対して、咄嗟に、「I love you Ms. ーー」と声を掛けたら、一同爆笑していた。その講師は、このイタズラ坊主が、と思った様だったが、そんなに悪い気持ちはしなかった様子だった。その時、私が思ったのは、アメリカ人というのは、常々、「I love you.」と言わなければならないのは、寂しい文化であると思った。それはつまり、日本語に訳すと、「愛しているよ」と毎日、言う様なものなのだ。これでは疲れる。後に、その英会話スクールで、唯一、煙草が吸える場所で、そいつと一緒になった時に、「日本人の文化では、愛してる、とばっかり言うのは新婚さんぐらいなもので、あんまり言い過ぎると、安っぽく、うつちゃうんだよ」と言っておいた。

・本当の女性というのは、献身的なんだ。でも、心から相手を尊敬していなければ、そうは行かない事の方が多い。

・本当の恋愛っていうのは、本能的なものなんだよな。

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父の仇打ちしたかった

・今の日本代表の、ザッケローニ監督は、何もやっていない様だが、相当、厳しい監督だと私は思っている。試合前のミーティングなどは、それこそ、一触即発の様でないのかと考える。そんな中で、長谷部が代表のキャプテンに選ばれたのは、器量だけではなく、その面ッぷりと男らしさに、監督が惚れたのだと思う。確かに誠実で、しっかりした男だとは観ていても感じる。今の日本の男に欠けているものを、彼は持っている。男というのは、その、生き様が顔に表れるのである。アメリカの大統領であったリンカーンも、三十を過ぎたら自分の顔に責任を持てと言っている。たやすい様で、それはなかなか難しいことなのだ。

・私の父が、小学校の先生から、「灘受けろ」と言われて、嫌々受けたのだが、見事にスベッた。その代わり、中学ではものすごい成績を取った・・・もし私が、その話を聞いていたら、必死で勉強して、親父の仇討ちとして、灘を蹴ってやってた。けれど親父は、私が夏期講習などから帰って来たら、いっつも、「これで面子がそろったな」と、私を悪の道へと歩ませるのだ。まあ、12時間、塾に通っていたので、親父なりに気分転換の方法を教えてくれたのだろう。

・最近は、セルフのガソリンスタンドが増えて、確かにガソリン価格は安めになったが、車の構造を知らなくて、水抜き剤を入れないバカが多くなった。

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先生の思いやり

・私の高校の時の尊敬していた現国の先生が、高三の時、突如クラスに現れて、みんなに原稿用紙を配り、ある話を書かせた。その話は、恋に堕ちていた浪人生の男女の話だった。私達、バカクラスの生徒達は、それを筆記させられた。その先生は小林秀雄を尊敬している様な方だったが、馬鹿にでも解る様に、語りだし、筆写する様に言った。舞台は、どこかの駅で、まず、女の子が、「私代々木にに通っているのよ。あなたは?」と、プラットフォームで、恋人に聞くのだが、男の方は、「俺はお茶の水」と応える内容で、そうしたら、女の子が、「まあ、あなた凄いのねえ」と語るストーリーだった。その先生は、バカクラスの私達も相手にしてくれ、きっと、多分、お前ら浪人するだろうから、どうせ浪人するんなら、お茶に通えと、教えてくれたんだなと感じた。そういうことは、どの生徒も感じていた。何で、私達みたいなバカクラスでも、そう言ってくれるのかは解らなかったが、バカクラスというのは、勉強していないバカと本当のバカとがいる。だから、ミドルクラスなどよりもよっぽど伸びる奴がいるのだ。きっと、その先生は、そういうことが解っていたからこそ、そういう話をしてくれたのだと思う。その先生の年季には頭が下がる・・・私は現役で通った友人達からの参考書を譲り受けて、宅浪で通したが。

・勉強というものは、人に教わる者では無い。孤独に進んで行くものだ。でなければ、大学でも苦労するだけだ。この癖が着いていなければ、到底、学問なんぞ出来ない。

・メシを作る能力も、才能のうちだぞ。

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予知能力について

・故石ノ森章太郎の『サイボーグ009』という作品で、サイボーグの『001』は確か赤ん坊で、何日かに一回だけしか起きない代わりに、予知能力を持っていたと記憶している。私はそれを観て、自分が12時間寝る代わりに、少しだけ、世の中の将来が見える青年だったと記憶している(もちろん、『001』程の者では無いのだが・・・)。私は、それが幸なのか不幸なのかは判らない。それが、一部の業界人やら、いわゆる、ファッションを流布している代理店などに利用されるのが嫌だった。同時に、自分の深みに触れて考える事も必要だと考えていたが、同時に、それは不幸なことだと考えざるを得なかった。・・・私は別に、明日の株価がどうなるのかもわからない。そんなものだ。ただ、街を歩いていて、友達の役に立つ情報は提供してきた。街を観察していると、私には自然と解るのである。不思議なことだが、解るのである。

・石ノ森章太郎は、若い頃から、目を付けられ、その才能に、みんな感動したそうだ。トキワ荘に住む様になっても、『実は、手塚先生よりも、絵がうまいんじゃあねのか』などという噂がたったが、それは禁句であった。そんな彼が行き詰まった際、借金をして世界一周の旅に出たらしい。それが後の吉に繋がったそうだ。

・漫画家の井上雄彦が、二年半ぶりに、『バガボンド』の続編を描いた。絵は洗練され、とても面白かった。その裏で私が思った事は、『コイツ、多分、二年半の間、武蔵のことばっかり考えていたんだろうなあ』という事だった。実際に武蔵には後継者がおらず、その心中を描くことは死ぬ程辛かったことであろうと推測する。

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お金のやりとり

・うちの母は、非常に珍しい人である。レシートについて非常に厳しい人なのだ。これは損得勘定の問題では無い。もちろん家計簿を着けているから、解ることなのであろうが、私が、こないだ、無性に鰻が食べたくなった時、二匹買ったはずなのに、一匹分のレシートと、何故か書いてある、鰻のタレの値段で、翌日、レシートと鰻の実物を持って行って、定価どうりに金を払っていた。すると、サービスカウンターの人に、カップラーメンをもらって帰って来た。お袋が言うには、「銀行では、たとえ1円勘定が合わなくても、みんな残業させられる」ということで、お金の遣り取りは、しっかりする様に、と改めて習った。私は、「そういう風にしていると、自然と運が良くなるよ」と話した。また、先日、アマゾンの代引きでデジカメを購入した所、おつりが千円多すぎる事に気が付き、わざわざ電話までして返したそうである。その時、電話の受話器を取ると異常音がしたので、電話がぶっ壊れている事に気付けた、と、お袋は言っていた。私は、これまでずっと、お袋は馬鹿正直だなあ、と思っていたのだが、歳をとるにつれて、それが人間として、一番正しい姿勢なのだと気付かされた。親にそういう姿勢を見せられては、到底、悪事は出来ない。また、親がそういう態度で臨むことは、いいお手本だとも思った。

・どの子にでも、必ず、取り柄がある。だから大切なのは、長所を引き延ばして、短所を縮めて観てあげることなのだ。友人付き合いだって、そんなもんだ。

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無給休暇の日

・脂汗がひどい。今日は無給料休暇の日。やたらと眠い。

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体育会系ラグビー部

・今回の東北の旅で、秋田のユースに泊まった際、青森の八戸からやって来た、高校のラグビー部員がいた。ラグビー部のことだから、きっと泥まみれになってやって来るだろうと予想した私は、大好きな酒を我慢して、速攻で風呂に向かったが、彼らの方が上手だった。男湯はみんなラグビー部員が入っていて、しっかり体を洗いながら、いろんな話が飛び交っていた。私は、少し浮いた存在となってしまった。その時は、解らなかったのだが、多分、上級生から入っていたのだと思う。そんな中で、多分、その日の試合に勝った様子で、みんながワイワイ自慢し合っていた。ある一人の部員が、「俺、3トライ決めたから、次の学級新聞の一面は俺で決まりだな」という輩がいたら、すかさず、「確かにそうかも知れねけれど、女子生徒の視線はついてこねえぞ」と言う奴がおり、「自分の顔を鏡で見てから言え」などの野次も飛び、風呂中で大爆笑していた。すると、自慢していた奴が、「何言ってんだこの野郎、お前なんか1点しか取ってねえじゃあねえか」と言い返したので、私は久しぶりに、和気藹々とした風呂に入った気分だった。私は彼等に対して、好感を持った。私は風呂場の中では特異点だったが、さすがにラグビー部、みんないいガタイがいいなと思った。

・その翌朝、朝食の時間帯に、あの小僧どもと一緒になったら、食いそびれると思った私は、時間前に、食堂に行った。しかし、食堂は開いておらず、ソファーに座っていた。よくよく観察してみると、まず一年生らしき数名が、整列して、先輩に、「おはようございます」と、大声で挨拶をしまくっていた。その体育会系ラグビー部の生徒達は、礼儀作法がしっかり行き届いていた。朝食を先に行かしてくれた事には感心した。しかし、顧問の先生らしき人物はサラッと食堂に入っていったので、示しがつかねえじゃないかよ、とも思った。

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What do you think of men?

・私が英会話スクールに通っていた時、日本語は話さないのだが、いい授業をしている女性講師がいた。そいつの授業はコンセプトだけを与えて、自由に話し合える授業だった。好んで参加した授業の一つだ。すると、ある時、私以外は女生徒と、ラッキーな日があった。そこで、普段日本語では聞きにくい質問を私がクラスでしてみた。それは、「What do you think of men?(貴女たちは、男というものを、どういう風にとらえていますか?)」という、ある種、哲学的な質問だった。するとその講師は、「It's a nice quettion.(いい質問だわ)」と言ってみんなに質問しだした。中には意味が解っていない娘もいて、大慌てで、『男の存在って君にとってなんなの』と殴り書きした紙を、みんなに廻した。上手く言えない子もいたが、中には「It's all of my happiness(幸せの全てよ)」みたいに応える奴もいて面白かった。私は深みのある答えを期待していたのだが、今度は逆に、講師から、「What do you think of women?(あなたは、女性っていうものをどう考えてるの?)」と聞かれ、確か私は、「I feel maternal love by any kind of women.Just like a Lennon's 『woman』.(女性には、母性愛を感じるよ、どんな人でも・・・ジョンレノンの『woman』みたいなのをね。不思議でしょうがない)」と応えたら、講師が、「You're the best of nice guy!!(あなたイカしているわ)」と応えてくれた。

・スクールの帰りにプラットホームで、そいつと、もう一人の女の外人を見付けた。私が声を掛けて、合流したのだが、隣駅に住んでいると知って、帰宅電車で色々と聞いてみた。まず聞いたのが、邦楽の中の英語についての話だった。三人とも英語で喋っていたのだが、その講師の答えよりも、周りの雰囲気が変わった事に気が付いた。さながら、『両端に外人ハベらせて、何者なんだコイツ』という様な空気だった。

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結局は100円ライター派

・私が若かりし頃、パチンコの景品として取った、ジッポのライターを愛用していた。あの独特の開け方や閉じ方にも馴染んでいた。火打ち石やら、ライターオイルなども、自分でメンテナンスしていた。私が元祖なのだが、大学時代、ジッポで火を点けるのが流行った。私は、ジッポに愛着があり、五個ぐらいは使っていたと記憶している。ところが、ある風の強い日に、ジッポで火を点けようとしたら、どうしようもなく火が点かなかった。その時、友人に、「風に強いからジッポじゃあねえの?」とからかわれ、私が応えるのに詰まった時、同じくパチンコで手に入れたというレノマのターボライターを持っている奴がいた。その時は、みんなそいつに火を借りたのだが、あんまりそいつが自慢するもんで、ジッポ派の私としては、多少、悔しくなった・・・数日後、レノマのターボライターを手に入れて、間もない友人は、砂浜で落としてしまい、そのライターはぶっ壊れ、二週間で壊れた事には爆笑せざるを得なかった。確かに墓参りなどで線香に火を点ける時や、風の強い所などでは、ターボライターの方が優れているのだが、レノマのターボライターが壊れたそいつは、それからライターについては一切、言わなくなり、100円ライターで通していた。なんだかんだ言っても、100円ライターが一番お手軽で、無くしても諦めが付くし、家にいくらでも転がっているので、経済的である。今では私も、ジッポなど使わずに、100円ライターで事足りている。

・あらゆる意味で、世界史を学ぶには、岩波の専門書がいいと、ある友人から聞いたことがある。

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芥川賞と直木賞

・芥川賞をもらった作家の中で、誰一人として、芥川龍之介を超えている者がいないのはいない。私が、芥川の作品で尤も好きなのは、晩年に書かれた、『侏儒の言葉』である。それに私の青春をなぞらえた。暗く孤独なのが、青春時代と重なったのである。

・自分は物書きとして、芥川派なのか、直木派なのかを考えた事がある。どちらかというと、私も凡人なので、直木三十五の様なものかな、と思った。それで、道を間違わずに済んだ。先日紹介した、『猫を殺したい』などという作品は、タイトルだけでインパクトを採っている気がしてならない。配慮の全くないタイトルである。その馬鹿馬鹿しさに付き合っている私も多分、阿呆であろう。

・今、現在では芥川賞よりも直木賞の方が格上なのは事実である。芥川賞をおとしめたのは、選考委員に、石原慎太郎や村上龍が居座っているおかげである。二人とも似た様な作家で、エログロナンセンスを突き抜けてきた作家で、芥川の鋭さを全く持っていない輩どもである。それだけで、現在、芥川賞を採っても、食いっぱぐれている作家がいる。その点直木賞みたいな、軌道に乗った作家を評する賞の方が、よっぽど格が付く。

・古い写真や思い出などが、よく、セピア色に染まると言うが、セピア色とはいかの墨の色で、大変切ないものである。

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ヤブ医者で強気に出てくる者

・私の家から徒歩一分ぐらいの所に、自称・内科医と称して病院をやっている人がいる。違法では無いのだが、いくら医師免許を持っていても、ヤブ医者であることには変わりが無い。これまた、病院が一件の時には、患者も多く、一時間ぐらい待たされる事もあったが、ある日、医院のドアに、箇条書きのビラが張られてあった。内容は、患者への注文と題して、六箇条ぐらい書いてあったが、どれも目を疑う様な物ばかりであったが、『エゴイストお断り』には驚いた。『こんな医者がいてええんか』と思ったが、後に、それは、自分のクラスの女生徒の父親との大ゲンカにより始まったそうである。私だって、小学校の三年の時の給食で、調子悪くて嘔吐した旨を伝えた所、「お前、馬鹿じゃあないのか?」と言われ、相当むかついたのだが、腹痛の薬を出され、帰らされたが、いくら薬を飲んでも、腹痛は止まらなかった。むしろ、余計に痛くなった。夜中に母が心配し、タクシーで緊急病院まで連れて行ってくれた。その病院で、私の話を聞いてくれた医師が、注射一本打ってくれただけで、とたんに良くなった・・・事情を知らない近所の医者は、それからも私のカルテに嘔吐三回などと書いていたが、小学生なりに、こんな馬鹿は相手にしてはいけない、と考えた。

・その内科医は、私だけではなく、学校の私の友人の虫垂炎を誤診して、手遅れとなり、腹膜炎を起こして、学校を一ヶ月程度休んでいた。しかし、その内科医は詫びも行かなかったらしい。その点、後から出来た医院で、別の子供が誤診され、その先生は詫びに行ったらしい。それを聞いて、元々ある内科医の不誠実さを感じずにはいられなかった。

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混沌とした一年

・親父が死んでから、一年間あまり、私も母も何かに耐えていた。それが何物なのかは解らないが、母は、一年間、毎日父の夢を見たそうだ。私も、何もかもが上手く行かなくて、混沌とした一年を送っていた。そういう時というのは、何をやっても駄目で、どうしていいか解らなかった。親父が死んですぐの時には、お袋を家電量販店に連れて行って、好きな様に買い物してもらった。そうでもしなければ、母も私も潰れてしまいそうだった。辛かったあの頃、やたらと二人で、ドンパチ映画を観に行った・・・先日、私がうたた寝していて、寅さんの映画の夢を観た。私は大学一年の時に、「寅さんなんて観たことねえよ」と言ったら、親友に宇宙人を観る様な顔で、「信じられねえ奴だな」と酷評されてしまった。しかし、それでも『寅さん』を観ないのが私の意地でもある。その暇があるのなら、AV(Audio&Vijyual)を楽しんだ方がましだと、考えていた。寅さんシリーズも、正直言って、観ておきたかったものの、今一つ、乗り気にはなれなかった。ただ、私は、山田洋次監督の『学校』シリーズなどには、一目置いていて、何度も観ている。まあ、寅さんが銅像にになったのならば、それは日本文化の象徴であって、監督も死ぬ前におむつを穿いて勲章を授かることであろう。あっぱれ、あっぱれ、である。

・『釣りバカ日誌』のスーさん役の三國連太郎も、潔い引き際を見せてくれた。三國連太郎が、ずっと若かった頃、伊豆の下田で、溺死したという、女優の太地喜和子が、やたら幕末時のハリスの女と重ね合わせて観ていたらしく、好きな女が逝ってしまった後から、三國連太郎の演技には寂しさが付きまとっていた。

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仮面の告白

・大学二年の時に一年の時のクラ友だった女の子との待ち合わせをして、思い切って告白した事がある。私は、告白してOKをもらうには、いささかタイミングが悪いと考えていたが、断行した。よく考えてみると、その女は、つまらない、学問的ではない成績型の勉強に明け暮れている様だった。何でこんなにつまらない女に告白したのかは、現在となっては不思議である。あれから、もう、二十年が過ぎた。ただ、告白する時には、相手の瞳をまっすぐ観て、「俺と付き合ってくれないか?」と言った。その娘は、私の目を観ずに、「一日考えさせてくれない?」と言った来て、結局、フラれた・・・一度、大学一年の時に、仲の良かったクラ友と、三島由紀夫の『仮面の告白』という自伝的な処女作について語り合った事があった。その際、私は、「あいつ、デビュー作の冒頭に大嘘書いているだろう。『仮面の告白』の冒頭で、「私は、産まれてきた時のことを覚えている」なんて書いてやがったが、そんな事、医学的にも生理学的にも、ありえねえ」とクラスの、ど真ん中で言い放ったら、友人が、渋く、「そもそも、『仮面の告白』というタイトル自体がおかしいやろ。矛盾しているじゃあねえか」と聞いて、私は、思いついたかの様に、「そうだよな・・・仮面が告白することなんて有り得ねえじゃあねえか。それは必ず、矛盾に満ちている・・・振り返れば、あいつは一度も正面から告白した事なんて無いんだろうし、人をおちょくってる作家だよな、あらゆる意味で」と言って、三島の馬鹿馬鹿しさについて、言い放っていた。

・三島が割腹自殺する際にブッた演説は格好悪かった。同じ由起夫なら、鳩山由紀夫君にも自決するぐらいの覚悟で国政に当たってほしい。

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一兆円

・かつて私が歩きの旅で訪れた街の一つに、浜松がある。駅のみどりの窓口で安宿を紹介してもらった。私はチェックインしてから、部屋に荷物を置き、フロントで、客がいない限り、ずっっとTVを見続けている人に、話しかけた。気さくな人だったが、大学時代は間借りをしていたそうだ。私が、「やっぱり、故郷に戻りたくなるものですか?」と聞いたら、その方は、「タイプにもよりますけれど、そういう風になってしまうんですよね」とおっしゃていた。私は、「全然違う話なんですけれども、やっぱり浜松といったらウナギですよね。ここら辺に、どこか美味しい店ありませんか?」と聞いたら、近場の店を紹介してくれた。そこで、私がラフな格好で出かけていったら、「注文は何にしましょう?」と店員が聞いて来たのだが、当時は禁酒していたので、「生一つ」という訳にもいかず、メニューを見ながら、値段に釣り合ったウナギはどれなんだろうなと考えた挙げ句に、折角、浜松まで来たんだから、旨い鰻重を食ってやろうと、気合いを入れて、「鰻重の特上一つ!!」と注文し、食べた所、美味しく頂こうと思っていた所、想像よりも、遙かにまずかったので、黙って金を払い、宿に帰った。そして、フロントで、「あそこの店は浜名湖のウナギを出しているんですか?」と聞いた所、違うと言われ、「浜名湖産はなかなか無いですよ」と聞き、倒れかけた。それにしても、店の名前が『一兆』だったので、「あいつら、本気で一兆円稼ぐ気なんじゃあないですか?」と言ったらフロントの方も大爆笑してくれたので、いささか気が晴れた。

・長年思っていたのだが、鰻重というのは、一歩間違えると、蛇丼を食っている様な錯覚に陥る時がままある。私は爬虫類が全く駄目なので、そういう日はウナギを食わないことにしている。

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『猫を殺したい』

・宮澤賢治の作品の底辺に流れているのは、仏教思想である。『銀河鉄道の夜』も『グスコーブドリの伝記』も根底にあるのは、法隆寺の玉虫厨子の一面にある、飢えた虎に、自分自身を食べさせたという坊主の、慈愛の念から来ているのである。手塚治虫の『ブッダ』の中でも出てくるが、釈迦が一緒に修行していた坊主が、慈愛の念から、自ら進んで食べられる様子を見て、相当なショックを受けて、修行を続けるというシーンがある。そして、その後に、川のほとりの菩提樹の下で瞑想していた所、インスピレーションが働き、ブッダとなったと続く。また、梅原猛氏の説によれば、宮澤賢治の『よだかの星』は、清い心を持って行動すれば、菩薩が如来になったという話である・・・ああ、なんだかもう一度、花巻に行きたい。のんびりと。

・私は、長々と、何故、直木賞の直木三十五が三十五という名前なのか疑問に思っていた。すると、三十一歳の時は、直木三十一、三十二なら直木三十二と、自分の年齢をペンネームにしていたという話は傑作であった・・・これまで本屋に行っても、直木の小説は見かけたことがない。どういう作家なんだろうと、思っていたら、TV番組で、作品について触れていたので見入った。すると、作品のタイトルの一つに、『猫を殺したい』というものがあり、多分、ロクでもない構想のままに、どうしようもない作品を書いていた奴だと覗えた。しかし、文壇では顔が利き、だから菊池寛によって、芥川賞と直木賞が作られたのだろう。才能という面では、芥川の方が段違いに上だが、きっと直木の方は、みんなに愛されていたのだろうな、と思う、昨今である。

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きりたんぽ?う~ん、いまいちかなあ?

・若い時分は、秋田の『きりたんぽ』というのは、きっと美味しいもの何だろうなあ、と甘い夢を持っていた。しかし、実際に食べてみると、餅と御飯の中間体みたいなもだと思った。それで秋田名物というのには無理があると考えた。逆にああいうものは、外国人が喜ぶだろうな、とも思った。そこで秋田美人が機内食として振る舞ったら、「It's special nice!! I think it's the  one of the delitious japanese cuntory foods!!(おいしかったよ。あれは、日本の名物だろうね)」などと位に勘違いしてくれるだろうな、と思った。それほど、きりたんぽは、私の口には合わなかった。しかしながら、よく、巷で言う秋田美人とは、みんな性格が良く、働き者ばかりだなと思った。何か、秋田美人には雪が似合う気がする・・・そういえば、昔、長嶋が読売の監督の現役時代に、確か、秋田出身の若手のピッチャーに、「お前、故郷に帰ったら、おいしいきりたんぽが待っているんだろ」という様な、励ましなのか、解雇通告なのか、よく解らないアドバイスをしていた。ちなみにそのピッチャーは芽が出ずに故郷に帰った様子だった。

・長嶋監督時代に一番巨人でタチが悪かったのは、間違いなく『ガルベス』だったであろう。カルシウムは、ブチ切れない様な成分が入っているらしいが、そういう商品のTVのCMに出演して、「カルシウム、タリテイマスカ?」という様なものだったが、本人に、一番カルシウムが欠けていた。ガルベスは、退場処分になった後、審判に向かってボールを投げて、翌日、長嶋監督が坊主頭にしてワビを入れていた。その話を聞いた巨人ファンのおっちゃんらは、「ミスター・ジャイアンツに何てことさせるんだ、あのバカ野郎!!」と飲み屋で騒いでいた。当然、ガルベスは日本球界を去った。と言うより、追い出された。

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黒だぬきの結末

・昔、車の免許を獲る為に受けた学科の際に、経済速度は、70~80Km/hだと聞いた。しかし私は、排気量が増えるにつれて、経済速度は120km/h~140km/hにパワーバンドが上がったと観た。私が外から帰ってくると、親父相手にディラーのタヌキ親父が、やって来ていた。私はの親父のことを、『腹黒のどうしようもないタヌキ親父』と決めつけていたので」、「あいつは黒狸だから、用心してかかれよ」と話をしたが、親父に、「お前、なかなか人を観る目が出てきたな。心配するな」とだけ言って、親父独りだけでディーラーに乗り込み、新車を買う話をしていた。親父と黒狸の合戦となったのだが、さすがは関西育ちの親父、知恵比べでも負けず、結果は親父の圧勝となった。親父は不器用な人であったが、いざという時には龍となる人であった。今となっては、黒ダヌキ(私もこいつが嫌いだった)は、その後、販売店と共に消えた。

・私が一般教養で、暇だったのと、好きな娘が出ているということで、その子を気にしながらも、その大先生の授業を聞いていた。講義を試しに聴いてみると、その教授曰く、「日本の首都は確かに東京ですが、今でも経済の中心は大阪なのです」と言っていた。別の話では、プロ野球の阪神が優勝すると、国内の経済状態が良くなると、元知事の太田知事から効いた事がある。

・千年に一度の揺れを体験するとは、不思議な運命だ。乙姫と彦星は千歳に一度の別れであろうし、何より、人との別れが切ない。

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生徒からの思いやり

・塾講師時代に、私が担当していた生徒の一人に、「俺は、ナリタブライアンから競馬を教わった」という生徒がいたので、私が、「お前、甘めーよ。俺なんか、シンボリルドルフの頃から知ってんだぞ」と言って、過去の名馬を追いかけてきたことを告げ、「馬券こそ買わなかったものの、競馬新聞の読み方は、中一の時から知っていたぞ」と言い、「そんでな、お前の言うナリタブライアンは、確かにブライアンズタイムの最高傑作だけれども、血は残らねーと思うぞ・・・お前とは年も離れているし、仕方がねーんだけれど、年季が違うんだよ、年季が!!本気で馬券取りたいのなら、英語じゃなくて、競馬の講義をしてやろうか?」とまで言った記憶がある。とりあえず、「馬券を取りたいのなら、『ダビスタ』をやりまくれ」と言って、「俺はダテに有馬四連勝していないし、ダービーだって三連覇だ」と言って、払戻金で買ったボールペンを触らせてやった・・・その生徒は、中高一貫校ということで、競馬の話ばかりしていた。『ダビスタ』について教えてやったり、最近の競馬の傾向について講義していた。そいつの理論を聞く限りでは、「まだまだ、四分の一人前だ。それだと、必ず敗北する。JRAは汚ねえから用心しろよ」とだけは教えといてやった。

・競馬の話を良くした生徒とその友達が、私によくなついてくれたので、特別に卒業祝いをしてやった。昼飯をご馳走し、その後、カラオケで歌いまくったことがあった。うっかりと、時計を観るのも忘れて、そいつらを夜の10時頃に返したことは、明らかに私のチョンボであった。後で聞いた所、競馬好きの生徒は、母親にきつく叱られ、泣く程怒られたらしいが、私の事は、一切言わなかったらしい。私は、申し訳ないと思ったが、気楽に、『あいつも男なんだな。これからも、きっと上手く行く』と嬉しかった面があったのは否めない。

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お宝三昧

・『なんでも鑑定団』で、一番、手厳しいのが、お馴染みの中島誠之助である。くだらないものが出てきたら、容赦なく、千円という値を付ける。また、絵画専門の安河内は、たとえ偽物でも、一、二万は付ける。母とコーヒーキャンディをニギッた場合には、必ず(安河内の場合には)私の答えを聞いてから、私の行った値段を参考にして、値段を言ってくるケースが多い。ここ半年くらい観ているのだが、より値段の近い方が勝ちということで、もめたりすることもある。私が、安河内の鑑定する絵に、「二万!!」と言ったら、母が、「三万!!」と言って、二人とも贋作と決めつけて挑んだのだが、実はそれは真作で、一千万付いた。お互いに、『かっこ悪いな』と思ったのだが、勝負は勝負とばかりに、九百九十九万円の差で、「三万円」にコーヒーキャンディをさらわれてしまった。私としては、これ以上、母の健康の為にも、負けられない毎日が続く。

・勝つ為になら何でもする私は、父の形見でもある、中島誠之助の本を読んで、研究した。骨董商から足を洗って、鑑定団以外では、一切鑑定を断っているという言葉に惚れた。そして(そのときはキャンディーを切らしていたのだが)あの辛口の中島が、なんと、「私がこれまで観てきた中で、これ程のお宝に出会ったことはありませんでした」と言って、中国の古い青銅器に二億円の値を付けたのには驚いた。また、宮澤賢治の友人の孫が出てきた時に、私は、「これが本物だったら、一億以上するぞ」と予言したら、それ以上の値が付いた(その頃には、まだ、キャンディーが売っていなかった)。そして、こういうものは個人で所有するべきではない」と言ったのだが、不幸にも東日本大震災が起こってしまった。

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