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賢治先生の家

・今回、花巻を旅したが、宮沢賢治記念館に行くのは、四度目のことであった。内装も随分変わっており、驚いた。

・宮澤賢治は、農学校の先生だった頃に、居眠りしている生徒を叱らなかったらしい。なぜなら、彼らが朝早くから、農作業の重労働に従事し、耐えていたことを知っていたからである。試験でも、授業でやった所からしか出さなかったらしい(私も塾講師時代は、宮澤賢治か吉田松陰のようになりたいと思っていた)。地元の人に聞いたら、結核の妹の看病をしていて、それが伝染し、己も結核になったらしい。「本当に頭のいい人は早死にするからなあ」と言っていた。そう聞いて、まじまじと資料を眺めていると、そのおじいさんが私に、「あんたも賢治さんのファンかね」と言われたので、「尊敬していますよ」と応えたら、おじいさんは、「賢治さんのファンに悪い人はおらん」と励ましてくれた。

・宮澤賢治資料館や、墓に行く人は多い。しかし、賢治先生の家(カーナビに羅須知人会と入れて)宮澤賢治が晩年を過ごした建物に行く人は珍しい。昔は、学校内なので、教員にことわってから、鍵を借りていたが、今では駐車場や案内標識が出ているので不思議だ。その建物に入ると、北から独特の『やませ』という風が吹き、寒かったが、当時のコートやオルガンがある。私は、いつもそこで、サザンの『yaya』を弾くのだが、足踏み式のオルガンは結構応える。でも、賢治先生の事を考えると、少し自分が癒やされる。

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