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2012年10月

私が棄てた女

・大学三年の時、それまで微妙に付き合いのあった男の友人から、「あいつを抱けたら死んでもいい」という、強烈な発言を聞いた。そいつ曰く、「理工学部で一番の美人は機械科にいるでしょう」と言われたらしい。そいつが、どの女の事を言っているのかは明白だったが、運がいいのか悪いのか、『あかさたな』で名字が近い、私が実験パートナーとして、その女と組むことになった。実際の実験では、危険なことは進んで男の私がやったが、前期だけで、その女と別れられると思っていた。すると、後期の実験もそいつと一緒になった。その時の実験の後、「お前、過去レポ欲しくないか?女の子って機械科で四人しかいないから、そういう情報って入ってこないだろ?」と言ったら、「欲しい」と言っていたので、翌日、噴水前のベンチで待ち合わせて、厚さ5cm位の量の過去レポを渡した所、目をまんまるにして、驚いていた。渡してから、続けて私は、「噴水前のベンチに俺が座っているだけで、たった一週間でこれだけの情報が集まるんだ。お前も注目されている以上、中途半端な真似だけはするなよ」と言って釘を刺しておいた。その子は、独り暮らしで、入学式の時にナンパされて付き合ってることを知っていたので、あえてそう言ったのだ。それは妬みでもなく、悪でもなく、本当にそいつの事を思って言ってやったのだ・・・私がその女と歩いていても、誰も噂などたてなかった。

・後期の実験に入り、私はその女を見捨てた。淡泊すぎたのだ。しかし、私の研究室時代の仲間でも、終電のドアが閉まるまで、私が院を辞めた話で盛り上がっていたらしいのだが、「私、あの人が一番心配・・・」と言われてしまったので、ドアが閉まる瞬間まで迷って、いざ告白しようと思っていたら、ドアが閉まってしまったらしい。私は、研究室時代、そいつの事を『尊師』と呼んでいたので、いささか気まずかった。

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親父の本当の十八番の歌

・未来に希望を持てる曲として、曲名は忘れたが、『きっと、想像以上に、騒がしい未来が、僕を待ってる♪』という、スピッツの歌を、風呂場で歌っていた。風呂から上がり、下着を着て、居間にいったら、「あんたも脳天気だねえ」と言われながらも、お袋が話を始めた。お袋が、カラオケで、親父に全部、自分の十八番(おはこ)を盗られた話だった。私もカラオケに行った友人の曲を歌をすぐに覚えるという現象と同じだと思った。いざ、親父達とカラオケに行ってみたら、始めは北島三郎などの演歌を歌っていたが、お袋の歌まで盗ってしまい、お袋は歌う曲がなくなってしまった。でも、お袋は黙っていた。そんなお袋に、井上陽水の曲を紹介した所、いい曲だと、乗り気だったが、いざマイクを持つと、全く歌えなかったらしい。かし、同じ陽水でも、親父はだみ声で『少年時代』まで歌っていたので、母を不憫に思い、あの、糞詰まりの様な声を出す、中島みゆきの『時代』や『わかれうた』を紹介した・・・しかし、親父の本当の十八番は、『五番街のマリー』だった。昔に別れた女の様子を聞きに言ってくれ、という渋めの曲だった。親父がカラオケに行けた時期、親父がその歌を歌う度に、いっつも親父をからかいながら、親父の青春時代を思った。

・昔、音楽の専門学校に通って卒業した奴と、話をする機会があったのだが、酔った席で私が、「俺、歌詞書くから、お前曲書け」と言ったら、「専門的に作曲するんなら、五万は取るぞ」という返事が返ってきたので、「お前に詩の世界は解らん」と言ったら、「お前も、音楽のことは解らないだろ?」と言われ、「お前の人生、そんなに高いものなのか?」と言ってケンカになり、お互いのプライドのぶつかり合いになった。

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のど自慢でブチ切れる奴がいてもいいじゃあねえか

・ここの所、NHKの、のど自慢の傾向が変わり、後半に上手い人を集める様にはならなくなった。だから、初っ端から、合格したりする奴が増えた・・・私はあくまでも、日本の風土と県民性を、常にチェックしておく為に、学問的上の理由から毎週観ているのだが、そこで毒蛇の誘い水を提供してしまった。つまり、母とニギる様になってしまったのだ・・・尤も、ニギるといっても、ライオネス・コーヒー・キャンディが微妙に動くだけだか、色々とやって来た中で、ルール改正も多く行えわれ、鐘が三つと一つは、早い者勝ちで、買った方が、ライオネス・コーヒー・キャンディ 二個、鐘二つでも意見が一致した場合には、ドローということにしている。この間の放送を見た時、トップバッターで、合格している奴がいた。私はそいつが、思いっきり音程を外した時点で、「二つ」と言ったら、お袋は、「三つ」と言っていた。結果、合格したので、悔しい思いをした。残念だったが、二人目に歌った若い男もいい声をしていたので、私が、「鐘三つ」と言ったら、お袋は渋々、「二つ」と応えた。結果は鐘二つで、私の二連敗となった。TVを観ていて思ったのだが、私は、そいつにブチ切れて欲しかった。「何であいつが合格で、俺が鐘二つなんだよ」と。そういう風に言い張る奴がいても、面白いと思った。のど自慢もマンネリ化していることだし、そういう話題性のあるキャラクターを入れたら、視聴率も上がることだろうと感じた。

・NHKの、のど自慢は、緊張を取る為に、顔が赤くならない程度に酒を入れているらしい(成年のみ)。しかし、この間、下戸のおじいちゃんが出ていたら、三ヶ月ぶりくらいに、鐘が一つしかならなかった。しばらくの沈黙の後、大慌てでアナウンサーがフォローを入れていたが、、あれほど気まずい瞬間など、滅多にあるものではない。

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いきなりの坊主頭

・高校時代のある日、クラスの人気者が、いきなり坊主頭にして登場したら、クラス中の奴から笑われていた。そいつは柔道部に高一から入ったのだ。現国の先生がそれを観て、「Going my wayか、あっぱれあっぱれ」と言ったりもしていた。柔道部に入った友人は、合宿で、遅いながらも長距離を完走し、指導している先生からは、一目置かれていた。その一方で、私の隣の席の奴も、そいつに誘われて柔道部に入ったが、学年全体が体育でラグビーを行った際、「あれは痛てえ」と言って、わざわざ何ともない小指にバンドエイドを張ってまで、欠場する様な根性なしだったので、柔道部に入っても芽が出なかった。その一年後の行われた格技大会で、私は剣道で出場したのだが、柔道に比べて早く終わってしまい、剣道の連中はみんな柔道を観に行っていた。すると、クラスの人気者だった奴は、花道状態となり、見事に優勝していた。その時はみんなが歓声を上げてそいつの事を応援していた。

・私のヨミでは、高一の時の友人が、いきなり友達を誘って柔道部に入ったのは、多分、小林まことの、『柔道部物語』を読んで、入れ込んだクチだと思っている。それまでは、麻雀ばっかりやっている奴だった。

・衝動的に死にたくなる気持ちは、誰にでもやって来る。特に恋愛に於いては・・・土俵際で踏ん張る力士の様にの様な逞しさを、みんな持って欲しい。

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2000話目に思うこと

・早いもので、今日のblogで2000話目となった。途中、名義変更などで、二カ所消えてしまった部分もあるが、私は友人との約束から始まった、このblogを一日たりとも休んではいない・・・適当に済ますことはあったが・・・海外からモブログで書いてみたりして、しんどかった記憶しか無い。24時間以内に、何かしらのことを書かねばならないという緊張感は、五年以上、体に染みついている。

・自分で自分を褒める気など毛頭無い。多くの読者の方や、常連さん、友人の励ましがあったから、続けられたのだ。一人でも読んでくれる人がいたら、私は書き続ける。

・先日、友人からのメールで、アマゾンで無料で出版できるぞ、という事を教えてくれた。早速アマゾンのページを覗いたが、いろいろと登録した挙げ句に、結局はアマゾンで買い物をしてしまった・・・後悔。でも、そういう可能性が増えるならば、自分も利用したいし、ネットというものが、あたかも空気の様なものだと、感じた次第である。教えてくれた友人に感謝。

・2000と言うと、どうしてもプロ野球の名球会の数字だと感じる。今度は、3000本安打の張本さんを目標にしようかなあ。

・辿り着いて、まだ道半ば。まだまだ、自分は未熟である、という事が解った。

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You're the one of million.

・私には、私を待ってくれている、数百万人に一人の女性がいると思う。私とは、社会的な身分も異なりすぎて、自分から及べる華ではない。でも、その人がどんな人か想像するだけで、一日が幸せになる。また、お粗末な語り方をしているだけで、残念に思う。私には、何故、その人が好きなのか、よく解らない。惰性で好きになったのか、毎日、確認する。英文で書かれた解らない文章は、辞書を片手にお相手をする。それでも、自分が本当に惚れているのかは解らない。でも、その人は、遠く冬の夜に輝く恒星の様に魅力的に輝く人であって、私の手の届く所にはいない。私がいくら頑張っても、追いつけない様なものだ・・・丁度、今、友人から携帯にメールが入り、アマゾンで無料で自費出版してくれることを知った。これで、僕の人生も少しは変わるかも知れない。男というものは、酷なもので、自分の生計が立たない内は、女に告白も出来ない。何度も何度も、いかに自分に甲斐性が無いのかを、そしてその味を、死ぬ程味わった。誰の問題でも無く、自分自身の問題だからこそ、荒れた時季もあった。いつもいつもblogを書いていても、空しく、本当に自分が報われるのかと思いながら、五年以上を過ごしてきた・・・人間失格の自分には、それで丁度よいのでしょう。

・私は決してモテはしなかったが、相手にされる男ではあった。

・赤い糸って本当だね。

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男の中の男

・元プロ野球選手で、男の中の男、カズ山本選手は、その風貌から、ドラキュラというあだ名が付けられた為、子供がいじめられた。そこで、選手名を山本から、『カズ山本』と買えたのである。いろんな球団を渡り歩き、捨てられてもくじけず、バッティングセンターでバイトをしながら、『俺はまだやれる』と信じてプロを目指した話は有名すぎるが、福岡ドームでのオールスターでの決勝ホームランよりも、私は引退時代でのホームランの方が、魅力的であった。長年在籍していたホークスから解雇通知を告げられ、昔の知り合いのつてで、近鉄バッファローズに入った。山本選手曰く、「まるで、長年連れ添った女房に捨てられたみたいだ」と言っていたから、福岡ドームのオールスター戦は泣けた。しかし、体に衰えが来てても、引退時代の時、かつての古巣のホークス相手に、福岡ドームで、先発出場し、そのシーズンで無敵であった左腕のピッチャー篠原から、最後の打席で勝ち越しホームランを打ち、その時には、私も感動した。カズ山本選手は、若い頃は守備にも光るセンスを持っていた。現役に拘り続け、挑戦し続けた男が、「最終打席でホームランを打つのが夢だった」という夢を叶え、静かに引退していった。

・私の塾講師時代、国語専門の講師は、男を感じるものが好きだった。自己紹介の紙を観ると、いろいろと書かれていたのだが、映画の『アンタッチャブル』や『カズ山本』が抜けているのを指摘したら、大慌てで付け足していた。しかし、『ゴッドファーザー』シリーズは男に入らないのか?と指摘したら、それは違うでしょう、という返事だった。そこで、「御老人向けに、初代水戸黄門の東野英二郎なんかはどうだ?」と聞いたら、「いやあ~種が枯れていますからねえ」と言うので、私は、「それなら、由美かおるの入浴シーンはどうなるんだ?」と聞いたら、「あの人は女じゃないですか」と言われてしまった。

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屈辱

・親父が存命中、会社の上からのお達しで、若い奴の教育担当をしたらしい。本業の方でも忙しいのに、そういうことを親父は大切にする人だった。しかしながら、家では、「最近の若い奴は廉恥心というものがない」と言うのだ。親父が担当だった頃、「手軽な英語の文献を訳してきてプレゼンしろ」と言ったらしいのだが、翌週になって集めてみると、どいつもこいつもが「やってこられませんでした」と、普通に言うらしいのだ。それで、勉強会にはならなかったらしい(私だったら、その道で食って行くのなら、死んでもやって行く)。親父は三ヶ月でその任務を辞退したらしい。私も確かにだらしない面はあるが、中学一年の時、宿題が終わらず、みんなの前で立たされた。その時の屈辱感と言ったら、このうえなかった。泣きたいぐらいだった。それ以来、どんなにきつい宿題を出されても、必ずやり遂げてきた・・・高校の時の話だが、宿題をロクにやっていない奴が、通勤時間五分の医者になったが、そんな奴に身を任せる気にはなれない。私の場合は、宿題と言われると二日二晩徹夜してでもやっていった。仮眠は別としても、私は決して計画的な人間ではないが、それぐらいのプライドはあった。宿題をやってこないで、自分を許せるという人間は、信用できなかった。それは、信頼を裏切り、約束を反故にしているのと変わらない。それは、男の道ではない。

・中一の夏休みの宿題が終わらなかっただけで、見せしめにされた仲間達は、その屈辱を決して忘れないであろう。その時の担任は、気にもしていないだろうが、やられた方は、絶対に忘れない・・・高校に入っても、もっときつい宿題を出して来る先生もいたが、食らいついていった。周りを見ると、やって来ていない奴等ばかりであったが・・・

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賢治先生の家

・今回、花巻を旅したが、宮沢賢治記念館に行くのは、四度目のことであった。内装も随分変わっており、驚いた。

・宮澤賢治は、農学校の先生だった頃に、居眠りしている生徒を叱らなかったらしい。なぜなら、彼らが朝早くから、農作業の重労働に従事し、耐えていたことを知っていたからである。試験でも、授業でやった所からしか出さなかったらしい(私も塾講師時代は、宮澤賢治か吉田松陰のようになりたいと思っていた)。地元の人に聞いたら、結核の妹の看病をしていて、それが伝染し、己も結核になったらしい。「本当に頭のいい人は早死にするからなあ」と言っていた。そう聞いて、まじまじと資料を眺めていると、そのおじいさんが私に、「あんたも賢治さんのファンかね」と言われたので、「尊敬していますよ」と応えたら、おじいさんは、「賢治さんのファンに悪い人はおらん」と励ましてくれた。

・宮澤賢治資料館や、墓に行く人は多い。しかし、賢治先生の家(カーナビに羅須知人会と入れて)宮澤賢治が晩年を過ごした建物に行く人は珍しい。昔は、学校内なので、教員にことわってから、鍵を借りていたが、今では駐車場や案内標識が出ているので不思議だ。その建物に入ると、北から独特の『やませ』という風が吹き、寒かったが、当時のコートやオルガンがある。私は、いつもそこで、サザンの『yaya』を弾くのだが、足踏み式のオルガンは結構応える。でも、賢治先生の事を考えると、少し自分が癒やされる。

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たとえば車の旅をするならば

・車での旅をするならば、一番に困るのは事故、二番目が車のトラブル、三番目がおまわりとのトラブルである。

・道の駅が増えた今、車中泊の旅もいいが、自分の為の最低限の条件がある。まず、カロリーメイトあたりをそろえる。それから、2lのペットボトルを四本は積んでおく。毎回々々ペットボトルの物を買っていたら、どんどん金が減って行く。衛生上、朝一番には新しい500mlのペットボトルを買うのはいいが、それ以降は、でかいペットボトルから注ぎ足す工夫をしなければならない。ぬるいだの、そんなことは三日で消える。

・高速道路のある所には、道の駅は少ない。

・車中泊をする場合には、寝る前のストレッチと朝起きてからのストレッチを必ずやるべし。腰痛などで痛くなる前に・・・ちなみに、腰痛のコルセットは薬局で買うと、異常に高い。整形外科などで、保険証を使ったら安く済む。

・ドライブで旅をするならば、携帯電話などの充電器は持って行った方がいい。ノートパソコンなどを持って行く方は、それこそ、プラグ型のアダプターを持って行った方がいい。

・同じ高速道路を走り続けたら、飽きもくるものだ。

・車中泊の旅をする場合、寝る前と就寝後に、かなりきつめのストレッチをするのが基本だ。

・旅で本当に楽しいのは、地元の方と交流することなのだ。

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何故東北なのか?

・おかげさまで、東北の旅から、昨日の夕方、無事帰宅。一日で青森から車で帰ってくるには、根性がいった。昨日は土曜だったので、車も多かったが、一度だけ、高速で危険な思いをした。咄嗟に追い越し車線に逃げたのだが、それで事故っていたら、そいつに、ぶつけに行く性格である。疲労困憊、まだ、疲れがとれぬ。

・私の最近の旅の傾向は、北にある。何故、東北なのか?と考えてみると、そこには人情の温かさがあるからだ。もちろん、気分の悪い奴もいるが、私自身の中では、日本は北へ行く程、人がスレていない気がする。四泊五日で青森はきつかったが、花巻の賢治先生の家、資料館(そこでは、前に、『なんでも鑑定団』で一億二千万付いた資料が寄付されているかもチェックしに行った)を観に行った。資料は二年前と少し変わっていた。人情という意味では、花巻から盛岡へ抜ける道での事故で、迂回路を教えてくれたおばちゃん、十和田湖で奥入瀬を歩いた後に、ノンアルコールビールを飲みながら、煙草が吸いたいな、と思っていた時に、「うちの店で吸っていっていいよ」と言ってくれたおっちゃん(やませがきつく、寒かった。吸い終わってから、「今度、十和田湖に来たら、こちらの店を使わせて頂きます」と言ったら、娘さんと二人で、「いつでもおいでよ」笑いながら言ってくれた)。もちろん観光案内所のおばちゃんも、相変わらず親切だった。そんな、自然の中での人情に惚れる。

・三陸方面の方、お気の毒でした。でも、青森では結構、八戸ナンバーが走っていた。

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一路、家路へ

現在、青森のYH。昨日は奥入瀬を歩いたので、少し疲労ぎみである。その後、八甲田を抜けて来た。紅葉は八甲田では盛りだったが奥入瀬はまだ早かった。さあ、朝食を食べたら、一路、家路につく。

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現在、十和田湖

紅葉の季節の十和田湖は美しかったが、湖水が減っていた。今の所、雨には振られてはいないので、ラッキーだ。今日は奥入瀬を歩く予定だ。

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果たして天候は?

昨日、花巻観光を終えて、盛岡から秋田へ。現在秋田のYHにいる。ここのYHは、お気に入りなのだが、ガキの群がうるさかった。天候にもよるが、北上するか迷っている。とりあえず寝る。

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気がつけば花巻

現在、花巻にいる。今日は、半日、花巻観光をして、その後、秋田方面に向かう予定。今回は短期旅行の予定。昨日、長距離運転をしたので、今日はゆっくりしたい。

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深く落ち込む日

・深く落ち込む日、それが今日だ。発狂しそうな程、苦しんでいる。

・芥川龍之介の『河童』の世界に憧れる。

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母からの贈り物

・未婚の私に母が言った言葉。

母:「(弟の)子供達にとっては、唯一のおじちゃんなんだから、面倒見てあげてね」

私:「・・・」

母:「どうかお願いだから」

私:「あんたが未婚で、妹の子供達の世話をしろって言われたら、どんな気持ちがする?・・・嫌だろ、嫌に決まっているし、いいかげんにせんかい!!」

母:「・・・」

・世の中で、自分が一番不幸せと思っている人が多いが、皆、幸せばかりではないはずだ。不幸せと幸せとは心の問題だ。

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柔道場で野球

・文化祭の時、暇だったので、柔道部の練習場で、高二柔道部員対それ以下の柔道部員との、ゴムボール野球(ゴムボールといっても、縫い目の着いた、本格的なゴムボールである)が行われた。相手ピッチャーは私の近所に住む後輩だったので、死んでも打たなければならなかった。ましてや負けなど許される筈がない。それまで高二チームはみんな凡退していたのだが、いざ打席に立ってみると、かなりノビのあるストレートを投げていた。しかし、三球観て、そいつがストレートだけのピッチャーだと解った。そして、四球目を狙い撃ちすることにした。すると、キレはいいのだが、ど真ん中に入ってきたので、ライト側にホームランを打つことが出来た。結果は、何とか高二チームが面目を保つことが出来た。問題はその後に来た。ホームベース代わりに使っていた柔道場の朱畳みに、バットの先の黒いゴムかすが残ってしまったのだ。下級生に畳磨きをさせたものの、上手くは行かなかった。後に、格技大会の前に、友達のつてで、使い古した柔道着を着ると、柔道顧問の先生が、「おい!お前もやっていくのか?うちは出稽古歓迎だぞ」と言われたので、参ってしまった。私は、「剣道の方で格技大会には参加しますので、見学させて頂きます」と言ってはみたものの、結局、一時間正座し、下半身が死んだ様だった。まあ、柔道場の一件は、それでカタが着いた様なものだったが、なんとも、粋な先生だった。

・筋肉には二種類のタイプがある。一つは瞬発力の筋肉、そしてもう一つは、持久力の筋肉だ。勉強をする奴のタイプも同じ様なものである。

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ジーコの贈り物

・まだJリーグが出来たての頃、鹿島アントラーズはジーコを招くこととなった。選手達は、社会人の道と、プロ選手の道とのどちらかを選ばねばならなくなった。皆が模索する中、プロを選んだ選手達に対して、ジーコは基本中の基本から教えなおしていた。フリーキックの基本を選手達に教えていた映像は、今でも忘れられない・・・その頃は、ジーコが家族と電車に乗っていても、誰も気が付かなかったらしく、ジーコも普通に電車移動できたが、Jリーグの試合が始まると、ジーコも顔が売れてきて、それができなくなってしまった。『ここでもそうなってしまったか』と思ったそうなのだが、プレイを続けた。そして、鹿島アントラーズの秋田選手に、「君は日本のサッカー界で重要な選手になるだろう」と予言したそうだが、その通りになった。やがてジーコも現役を引退し、日本代表の監督になった時、ジーコとの約束を破って、若手の日本代表の何人かが、キャバクラに行き、ジーコは彼らを二度と出場させなかった。その中の一人が、スペインのチームに移籍したが、行く前と行った後で、顔つきがまるっきり変わっていた。ジーコが一番信頼を置いていたのは、中田英選手であり、お互いに信頼を寄せていた。中田英が現役の頃の、試合中は、首がコキコキと、うごきまくり、他にそんな選手などいなかった。実質的に初めて世界に通じるプレーヤーでもあった・・・ジーコが日本代表監督を辞める際、「私の全てを教えた」と語ったが、日本のサッカー界で、種をまき、水をやり、花開かせてくれた事への貢献度は程知れない。

・中田英選手が現役引退した後、すぐにジーコに会いに行ったそうだ。

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書きたくない

・書きたくない時は、書きたくないものである。

・犬にも反抗期があるのかも知れない。

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アホ教授

・学生時代、私の卒業論文を機械学会で発表する機会を得た。狭い部屋でプレゼンをしたのだが、私の論文のミソは、『コロンブスの卵』的な発想で、それまでの学会の中での定説とは異なる案を提唱したものだった。プレゼンが終わり、「ご質問はありませんか?」と言うと、バカ田大学の教授が、反論してきた。私は、『こいつは、自分が切れ者だと思わせたくて仕方がなく、男としては、ヒステリックな奴だな』と観察し、余りにも早口で何を言っているのか判らなかった。私の方も必死で書いた論文なので、引き下がるわけにもいかず、一言、「おっしゃる言葉の意味が解らないのですが・・・」と言い返した。すると、その、男ヒステリー教授は、益々、話すスピードが速くなって、余計に訳が分からなくなってしまった。私は落ち着いて、「学会って狭いんですね・・・あなたの様な者でも食っていける・・・さっきよりも、何を仰っているのか解らないんですけれども、今迄の学説というのは、絶対に間違っています。新しいモデルを提唱しているのです!!」と話した。すると、そのバカ教授は、頭がゆでかえり、「君みたいな、無礼者を私は知らん」と言って、ようやく席に着いた。それから私は、「私はこの様なバカですので、解りやすく具体的に質問を頂ける方いらっしゃいませんか?」と聞いた所、みんな黙っていた。私は、「質問がなければ、終わらせて頂きます。ありがとうございました」と言って席に戻った。それだけ言えたのも、自分の研究に、ハッキリとした手応えと自信があったからである。

・私が大学院を辞めて、数年後、研究室のホームページを観てみたら、研究内容は、私の方が正しかったという様な感じだった。私はそれを観て、『勝った』と思った。

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『千の風になって』は酷だ

・宇宙というのは決して甘い環境ではない。地球近辺では、太陽光を受けると超高温になり、影の部分に入ると超低温となる。従って、宇宙服の中では水を循環させて、温度を一律にしていると、何かで読んだことがある。

・私の友人の中に、毎年、年賀状を送っても、毎年、住所が変わる奴がいる。『夏の集い2012』でも、帰りの電車で、「秋にまた引っ越す」と言っていた。それだけ引っ越しを繰り返すと、面倒なのではないか?と私は思うのだが、いかがなものだろう。

・『千の風になって』は、一見、素晴らしいという様な歌詞だが、いざ、その『死』に直面すると、死に行く人にとっても、残される人にとっても、何の慰めにもならず、むしろ、辛い曲である。意訳し過ぎな所も多い詩である。はっきり言って、残酷な詩である。私の父は余命宣告を受けた際、替え歌を作って歌っていた。

・アメリカ旅行から帰ってくると、渥美清こと寅さんが亡くなっていた。研究室に戻り、非常階段の所のフロアで、先輩数名と盛り上がった時、フッと間が開いたので、私が、「アイツ、『寅さん逝く』みたいにいかないですかねえ」と言うと、先輩達も、「アイツは酒も煙草もやらないからなあ、しかも普段は十時に来て五時には帰っている最低な奴だからなあ・・・公務員よりひでーよ」と、語っていた・・・指導教官も、生徒から相手にされないと、惨めなものである。

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トリマーかなあ?

・塾講師時代の夏期講習で、電磁気学の『フレミングの左手の法則』を教えねばならないことになった。手っ取り早い方法は、左手の親指と人差し指と中指を利用して、親指がF(力)、人差し指がB(磁場)、中指がI(電場)という様になっているので、アメリカの連邦捜査局であるFBIと語呂合わせで覚えるのが一番いい、と言ったのだが、教えていた子は、FBIを知らなかった。それではしょうも無いので、丸暗記させた、と同時に、話をしようと思った。私が高校時代の話で、「物理の試験中に、この問題を出された時、試験中に顔を上げてみると、クラスのほぼ全員の左手がうにょうにょ動いていたんだよ。あれは異常な光景だったけれど、カンニングではないんだよな」と言うと、その子は、無口なのだが笑っていた。一呼吸して、「ところで、何で雷はギザギザに落ちるか知っているかい?」と聞いたのだが、その子は首を横に振るだけだったので、私が、「雷って、電気でしょう?一番、通りやすい所を通っているから、ギザギザになるんだよ」と話し、続けて、「そういえば、雷が鳴っている時にゴルフ場でプレイしていた奴が、アイアンを振りかざした瞬間に直撃して、即死したことがある。空気よりも鉄の方が電気を通しやすいからな」と説明したら、その子はまた笑っていた。そして、「このペースだと、テキストが全部終わりそうにないんだ。俺が余計な話をするのは、印象深くする為で、申し訳ないね。それでもいいかい?」と聞くと、その子は笑顔で頷いてくれた。

・その教え子が、あんまり無口なので、国語担当の後輩講師が、自己紹介用の紙を渡していた。数日後、その用紙には、ポケモンのシールで彩られ、いろいろと書いてあった。その紙では、驚く程、雄弁であったので驚いた。将来の夢は、『トリマーかなあ?』と書かれてあった。私は、『頼りなさそうで心配だったけれど、しっかりしているな』と思い、安心した。

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お嬢

・美空ひばりは、小さい時から人気がありすぎたので、日本中あちこちでコンサートを開いていたが、人気に陰りが出だして、コンサート会場で空席が目立ち始めると、歌うことを拒否したそうだ。お嬢である・・・一方で私の高校の時の地理の先生は、大学の卒論に、『美空ひばりと戦後日本の復興について』というテーマで書いたそうだ。その先生は、自称、オタクと語っていたのだが、母校の先輩だったので、ナメられなかった。時には、生徒から、「あのアイドル、どこに行っちゃたんですか?」などという質問が飛び、見事に応えていた・・・美空ひばりが存命中に、ビートたけしとたけし軍団の数名が、自宅に招待されたそうだ。すると、部屋の中でワシか何かは覚えていないが、大きな鳥が飛んでいたそうである。たけしは恐縮していたらしいのだが、軍団員は月給五万円のため、料理等をガッついたらしい・・・美空ひばりの最後の方のシングルとなった、『川の流れのように』には、ファンが多いが、私から言わせれば、たまたま遺作の様になっただけの話である。私は、あの曲が発表される前に、手塚治虫の『ブッダ』という長編の中で、釈迦が川の側の菩提樹の下で悟りを開いた時に、「あの川の様に」と言った場面を覚えている。作詞の秋元康は、ニューヨークの河辺でヒラめいたと言っているが、私は、間違いなくパクッたと観ている。

・横浜、東京を旅した際に、安宿に泊まっていたのだが、日曜日に競馬のダービーがあると聞いたので、JRAの場外馬券売り場であるウインズに向かった。馬券は取れなかったが、街を観察していると、すぐ側に、美空ひばりの小さな古い銅像があった。

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蜂の巣の取り方

・母方の祖父にあたる、瀬戸のじいちゃんの三回忌が今月の三日であった。その集落の風習として、三回忌よりも、一周忌を重んじる土地柄である・・・私が未だ小学生の低学年の頃、夏休みに弟と二人でいたら、ある時、屋外で蜂の巣を見付けた。そこを通る度に怖い思いをしていたので、その事を、夕食後、じいちゃんに相談した・・・じいちゃんは、例えば、職人さんに頼んだりした時には、作業を手伝いながら、その技を盗む天才であった。そして、その後は、自分で何でもこなしてしまうのであった・・・いざ、蜂の巣を取るという時に、じいちゃんが用意したものは、長い棹とその先っぽに乾いた雑巾を巻いて、油に浸したものである。何をするのか観ていたら、雑巾に火を点け、遠い所から、蜂の巣をあぶるのである。蜂は羽を焼かれ襲っては来なかった。じいちゃんは素早く火を消し、蜂の巣を取り除いていた。そして、取り除いた蜂の巣から、蜂の子を取り出し、「これは、おねしょに効くけん」と言って私の弟に食べる様に勧めた。弟も、いやいやながら、蜂の子を食べたらしい。本人も気にしていたのであろう。

・そのころは父と母が早めに帰宅し、私と弟は、夏休み中、瀬戸に残っていた。海は近いし、山もすぐ。畑仕事を手伝いながら(雑草を抜く程度)、毎日を過ごしていた。夏休みが終わると、ばあちゃんに連れられて、新幹線で、家路につくのであった。

・じいちゃんが他界して、もう二年。戦争に行った以上、棺桶まで持って行った話も多いのだろう。もう、やすらかに眠ってほしい。じいちゃんありがとう!!

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『自分の場所』の一つが無くなった

・先日、高三の時の模試をサボって、丸一日掛けてサイクリングしたコースを、車で走ってみた。まず第一に感じたことは、あの頃の俺には、パワーがあったんだなあ、ということである。街並みを走って行けば、やがて海が開け、潮風の心地良い場所に着いた。チャリンコの時は、確か、ここら辺で弁当を食べたなあ、などと思い出しながら、海岸線を走っていった。そこを過ぎると、勾配が厳しくなり、車が行く中、死にもの狂いでペダルを漕いで、時々、一服したなあ、と思ったら、新しい道が出来ていやがった。そして、日が傾く中、磯の岩場で黄昏れていたなあ、と思いながら、そこを、『自分の場所』の一つに指定した。それからも、何か考え事がある度に、時々、車で来ていた。東日本大震災の後、初めて行ってみたら、磯の岩場を歩いていると、かなりの地殻変動を起こしていた。そして、『自分の場所』に向かおうかと思ったら、あろう事か、巨大な岩石が二つに割れており、行けなくなってしまった事には、かなりショックを受けた。高三の時は、その後、ひたすら下の道で自転車を漕いで帰ったのだが、先日は、高速を通って帰ってしまった。

・親父が存命中に、その岩場で釣りを楽しんでいたのだが、小学校高学年ぐらいのグループがやって来て、「あの~断層って何なんですか?できれば写真を撮りたいんですが?」と質問してきた。辺りを見廻すと、そこいら全体が断層の様なものだったのだが、釣り竿を置いて見廻し、地層がないかと探した。断層のある、丁度いい地層があったので、地層の説明をしてから、断層の話をした。質問もバシバシ飛んできたが、最後は、お礼を言われて、手を振って別れた。「足下、気をつけるんだよ」と、言った記憶がある。

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桂米朝とざこば

・桂米朝といえば、私の親父も認めていた落語家で、私も一ネタで大爆笑したことがある。米朝は、若い頃から上手かったらしい。当然、弟子入りしてくる若者も多く、その一人が、ざこばであった。さこばが修行していた頃、まずは下積みからであった・・・ざこばがある年頃になった時、体が痒くて仕方がないようになり、近所の皮膚科で観てもらい、塗り薬を処方されたそうだ。しかし、この塗り薬、相当なフレバーを放っていたらしく、誰も何も言わない中で、お手伝いさんの一人から毛嫌いされたそうだ・・・ある時、ざこばが台所で豆腐を切っていた時に、その根性悪のお手伝いさんに、イヤミを言われたらしい。ざこばは、豆腐を切っていたのだから、当然、包丁を手にしていた。あんまりしつこいので、ざこばが振り向くと、根性悪のお手伝いさんが、「ざこばが私に包丁を突き付けた」と言って、師匠の米朝に、「ざこばを辞めさせるか、私を辞めさせるかのどちらかにしてください」と直訴したそうだ。師匠の米朝は、普段から観察していたので、即座に、「お前が国に帰れ」と言い放ち、ざこばをかばったそうだ。一方、ざこばの皮膚病は一向に良くならず、先輩か後輩からの勧めで、別の病院に行ってみたらしい。すると医者が、「コレはホルモンバランスの問題だね」と言われ、注射一本で治ったそうである。米朝の器の広さも光る話だが、『ヤブ医者、要注意』という話でもある。

・車を運転しながら落語のCDを聞いていると、全く内容が頭に入らなくなるので困る。

・談志も天才だった。一度っきりでも寄席に行ってみたかったが、居眠りして、「出てけ」と言われるのが関の山であろう。

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休ませてくれい

・脂汗が出ている

・熱はなし

・昨日食べた物は、辛ラーメンときゅうりのキュ-ちゃんのみ

 診断:これにより、私の症状は、栄養失調と見受けられる

対処法:栄養のあるものを摂って、ゆっくり休むべし。

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エンジンに憧れ尽くした人々

・本田宗一郎は、何事も、政治家に頼らなかった。サーキットを、とどこに作ろうかと、思案していた時に、豪勢な接待ばかりを受けたそうだが、鈴鹿では、お茶一杯出されただけだったので、現在の鈴鹿サーキットがある。鈴鹿サーキットというのは、立体交差しているので、よく考えてみたら、右回りと左回りとの両方がある、世界でも類を見ないサーキットなのだ・・・その昔、島田紳助が、鈴鹿のバイクレースである、『鈴鹿八時間耐久レース』に熱を入れていた時、『風よ鈴鹿へ』という本を出したが、全然売れなかった・・・本田宗一郎は、ガキの頃、当時、珍しかった自動車を見付けると、そのガソリンの匂いに憧れたそうだ。私から言わせれば、超ジャンク屋の『オヤジ』が、てんかをとった様なものである。もちろん、その裏には、心血を注いだ努力あってのことだろうが、F1でHONDAが一番強かった頃に他界された。天運とでも言おうか、そういう人はごく稀である。会社の誰もから、『オヤジ』と慕われ、アメリカの車の殿堂に、唯一、名を刻まれた日本人でもある。今の、静岡大学の理工系が浜松にあるのも、ホンダとヤマハの向上があるからかも知れないなと思った。

・私の友人が、本田宗一郎を尊敬しており、とある食事会で、「本田宗一郎の本は全部読んだ」と語っていたので、私が、「『本田宗一郎 一日一話』という本は読んだの?」と聞いたら、「ある」と言うので、「俺は全部は読んでいないけれど、あの本の中には、間違っていることも多いと思うぞ」と聞いたら、彼は「確かにそれは言えるな」と応えた。

・機会科という所は、エンジンに憧れて入って来る馬鹿ばかりだ。でも、本田宗一郎はエンジンの神様である。あと、マツダのロータリーを実用化した人達も。

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スキップ・ビート

・学生時代、ある奴が、「俺の腰は、痛くなったり、痛くなかったりするんだよな」と、暗に彼女の存在をほのめかせていた。イヤミに聞こえた私が、「ハッキリ言って、コレ(小指)ができたってことだろ?」と言ったら、集まっていたみんなの中の一人が、「腰痛が出る程、励んでいるのなら、攻めすぎて、学生結婚ってことになるなよ」と茶化したので、みんなが笑った。すると、どこからともなく、「~腰を絡め、すんげぇ、スッケベー、スッケベー、スッケベー」という歌声が聞こえたので、一同、大爆笑になった。そして、また誰かが、「お前の腰の振りじゃあ、『すんげぇ』には遠いな」と言ったので、そいつも『ビリージーン』の腰を振る仕草をしたので、「角度が甘めーよ」などという突っ込みが入り、笑いが止まらなくなったので、みんな授業に遅れた。

・母に、毎日、家計簿を付ける様にアドバイスしたのだが、全く復習をしていない。これではただの徒労に終わってしまう上に、やりくりなどできる筈がない。金というものは、使う時には使い、閉める時には閉めて、始末するものだ。どんな金持ちでも、解っていない奴を山程観て来た。

・たとえ、どんなことをされても、自分の信念、信条に反するものを受け入れるべきではない。

・こないだのNHKの『のど自慢』のゲストに出ていた、演歌歌手の島津アヤ(漢字知らず)の実力は認めているのだが、少し声が割れるようになった気がした。

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とある寿司屋にて

・板前:「スンまへん、お客さん。台風で大シケやから、その・・・ネタが入ってけえへんのです     わ」

・サングラスの客:「ワレ、寿司屋で寿司が食えへんちゅうのは、どういうこっちゃ!!ワレだって職人やろうが!!何とかせい!!」

・板前:「お客さん、悪いでっけど、こっちは包丁持ってまっせ」

・サングラスの客:「チッ、ケタクソ悪い」

ト書き:ヤクザの客はその辺のものを蹴飛ばしながら帰って行く。勿論、外は大雨。板前が大将に、「ワレ、何かアカンことしましたやろか?」と聞くと、大将が、「ええ仕事やった。のれん下げてこい」と言う。

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