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2012年9月

隣国との付き合い方

・韓国の大統領は、任期を終えたら、ことごとく悲惨な末路を送っている。だから、大統領選が近くなると、人気取りのために日本叩きをする・・・しかも、韓国では、一生を決めるという、日本のセンター試験の様な日には、寝坊しても、パトカーが送ってくれるらしい。肝心な日に寝坊する奴など、出世する筈もないのだが、そういう奴が間違って政界や財界の重鎮になっている可能性もある。寝坊した奴を警察が手を貸すなど過保護としか言いようがないし、言語道断である・・・まあ、日本の最高学府である東大の合格発表の時の胴上げ(横でママ手をパチパチ)も同じ様なものであるが。

・中国も台湾も韓国も北朝鮮もロシアも、日本が手を出せないことをいいことに、やりたい放題やってくれる。このままでいいのだろうか?竹島問題などは、島が二つあるのだから、分かち合えばいいと思うのだが。

・所詮、日本は、アメリカの経済的植民地であって、これを覆すことは困難だ。

・旬だった頃の立花隆の本で、間違って東大に入った奴が三割いる、とほざいていたが、そいつらは、まず間違いなく留年していることであろう・・・何よりも、立花先生が留年しておられるのだから、立花先生も間違って入ってしまったのではないか?そんな奴の言うことなどに、真面目に耳を傾けている暇はない。

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酩酊状態での勘違い

・この間、ベロベロに酔っ払って、二階の私の部屋から一階に向かおうと思った際、向かいの仏間の戸が閉まっていると決めつけて、背中から寄りかかったら、実は戸は開いていていて、思いっきり後ろにコケた。幸い、和室だったので、畳が敷いてあったが為に、大怪我にはならなかったが、余りにも派手なコケ方をしたので、一階で寝ている母親まで起こしてしまった・・・翌日、目が覚めると、全身アザだらけで、特に、左手首内側に、まるでリストカットし損ねた様な傷が残ってしまった。だいぶ治ってきたのだが、近々、友人達とゴルフに行くというのに、その傷は、丁度、私の頸動脈の上にあり、友人達に誤解されない為のフォローとして、このblogを打っている。

・私の父は、がんになっても、酒も煙草も止めない人だった。けれども、お袋と大ゲンカした時には、独りで自分の墓を見に行く様な人だった。『本当は繊細なんだな』と感じ、墓参りしている次第。

・ここだけの話、オリックスバファローズを辞任する岡田監督を観ると、藤山寛美を思い出して仕方がない。

・教授?・・・もう、才能が枯れたな。才能が長続きしただけいい・・・そういえば、F1のプロストもいやらしい奴だったし、私の指導教官にも罰が当たるであろう。

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ボヘミアン・ラプソディー

・最近のmy B.G.M.として、Qweenの『ボヘミアン・ラプソディー』を聞いているのだが、何度聞いても飽きない。だがしかし、あの曲の歌詞は切なすぎる。最初に耳に付くのは、『ママ~ウゥウウ~~』という部分なのだが、聞き込んでみると、歌詞の中に、『俺、バカなガキだったけれど、まだ、死にたくないよ』などという様な、哀しい歌詞が続くのである。また、『easy come. easy go.』という部分を、自分だったら、どう訳すかと考えてみると、結局、『諸行無常』と訳すであろう。Qweenの曲では、他にも好きなものが多すぎるのだが、『ボヘミアン・ラプソディー』には、早死にした、フレディ・マーキュリーの遺曲のような魂が籠もっている気がしてならない・・・人間が、産まれてきて、死んでゆく間には、いろんな事があるが、所詮、喜怒哀楽に属しているのではないか?それを、フレディが、あの、悲しさに満ちた、妖艶な声で歌っているのが何とも言えない。結局、人生とは、『やり残したことが多すぎる』と思いながら死に行くものなのだろうか?また、戦争中、特攻機で、いざ、相手の船に突っ込む時には、多くの若者が、「お母さ~ん」と叫びながら散っていった様に、フレディ・マーキュリーも、母に対しての申し訳なさの中に、強烈なインパクトのある曲を残して死んでいった。最終的に、男が戻る場所というのは、母体なのかもしれない。

・最近、邦楽で聞いているのは、坂本龍一と宇多田ヒカルだけである。聞く曲がないのだ。だから、洋楽とクラッシックばかり聴いている。私は絶対音感などはないが、耳はいい方である。しかし、最近、何を歌っているのか解らないバンドの洋楽を聴いたりしているので始末が悪い。

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俺は、お前よりも、長生きしてやる

・中・高時代の友人で、段ボール会社から外資系の生保の会社に転職した奴がいて、私もお誘いを受けたのだが、いろんな事を教えてくれた代わりに、「体重の増減が激しい奴は、死にやすいんだよな」と言ったので、カチンと来た私は、「だったら、ボクサーなんてどうなるんだ。みんな長生きしているじゃあねえか。そもそも、それは統計上の話だろ?俺は、そんなものには支配されない。絶対に、お前よりも長生きしてやる」と応えた。次に会った時には、私よりも肥えていた。保険会社の営業は辞めたらしいが・・・

・中世ヨーロッパでは、錬金術なるものがはやり、いかに他の物質から『金』を鋳造するかに燃えている奴が多かったとのことだ。結局、錬金術師達の試みは失敗に終わるのだが、彼らの研究が、後の化学に貢献した事を何かで読んだ。それを知り、私が真っ先に考えたのは、『錬金術師が本当に金を創り出してしまうと、情報があっという間に拡がり、金の価格が暴落しただろうな』ということである。もしくは消されるか、どのみち、怪しい奴等で、事故死した奴も多いのだろう。それは、錬金術にとっては、とっても間抜けな話だと思った次第。

・家にやって来る車のディーラーは、一度、説明したにもかかわらず、車庫に入らない車のパンフレットを、いつも毎回持ってくる・・・いくら不況だといえ、少し頭が弱いのではないかと疑う。まあ、私も、季節の変わり目に、自販機で冷たいものが飲みたいのに、『あったか~い』を押してしまい、知り合いから、「頭弱えよ」言われたことがあるが。

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食欲の秋の友人

・小学生の頃、お誕生日会を、各家が行っていた。私も、お誕生日会に呼ばれたりした時、みんな、プレゼントを、自分のお小遣いの範囲内で、小さなボードゲームやマンガ二冊くらいを持って行った。私の時も、来てくれたのは、クラスの男ばっかり十人ぐらいだったが、毎年みんな来てくれて、その中に、アメリカ帰りの、親が離婚した友人がいた。子供心に、黙っていたが、日頃、あまり家庭料理を食べていないのか、私の母の作る料理を喜んで食べてくれた。しかし、翌年、学校から、あまり派手なものにしない様に、とのお達しが来て、それで、翌年は、昨年の手料理にせず、簡単なものにした。すると、去年、大喜びしてくれた友人が、がっかりして残念そうだった。その後、みんなでTVゲームをしだしたが、その中の一人が寝そべっていた上に、末っ子の彼が乗った。しかし、その友人は怒りもせずに、ニコニコして、彼と一緒に遊んでいた。母は、その事にも感心していた。母の料理を楽しみにしてくれた友人のためにも、後に彼が片親だと知った母は、「いつものように、豪華にしてあげれば良かった」と、今でも悔いている・・・その後も、中学時代なども、バスの中で出会ったら、話を交わしたり、会うと、お互いに手を軽く振ったりしていたが、彼が大人の顔つきをしているのには驚いた・・・今でも彼の笑顔は覚えている。いい友人だった。

・彼みたいに、ハングリーな人というのは、しぶといと思う。男ばっかりの四兄弟の末っ子だったので、多分、まともな料理を作る人がいなかったのであろう。しかし、父母会の決定というのも疑問だ。そんな事にまで、口を出す必要などないと思う。みんな千円ぐらいのプレゼントだった。今となっては、彼と寿司でも食べに行きたい。

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昔のファイルを見て

・昔のファイルを開けると、いきなり海王星の写真が出てきた。アメリカのボイジャーが撮ったものを新聞で切り抜いたのだが、名前の通り、青い星だった。その次のページには、棋士の谷川が永世名人を獲得した時の、新聞の切り抜きがあった。両方とも色褪せていたが、読む事は出来た。あとは、自分の論文のコピーやら(学会に提出したものなので、2~3枚)一つ上の先輩の論文の、学会で発表した時のOHPやらが残っていた。こちらの方は、胸くそ悪く眺めていた。二つ上の先輩が私の上司だったのだが、某メーカーに就職した後、自分では二つしか論文を書いていないくせに、三つ送ってこいと言ったので、二つしか送らずにいたら、「あの馬鹿」みたいな言い方をされたので、腹が立って仕方がなかった。普通、就職してまで、「お前の書いた論文持って来い」と言われるという事は、よっぽど仕事が出来なかったのであろう。その人は、確かに大学の成績は、ずば抜けていたが、勉強以外の他のことが、まるっきり駄目な人であった。また、ファイルのページをめくると、塾講師時代に作った現国の問題や、好きだった洋曲の訳などが出てきた。確かに、『今だったら、こう訳すのになあ』というものが多かった。訳したのは、EAGLS、enya、Jhon Lennon、などだった。一方、国語の問題は、漱石、開高健、小林秀雄、宮沢賢治などである。国語の講師から、「漱石は難しいんじゃないですかね」と言われたが、「『草枕』の冒頭などは、常識ですよ。しかも、人間関係で悩んだ時にも役に立つ」と、私は応えた。今でも本当にそう考えている。

・洋楽の歌詞カードの訳がデタラメなのには驚いた。私はホテカルで十年悩んだが、帰国子女の友人によると、その国の歴史、文化、風土などが解らないと、翻訳は難しいらしい。

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物事というもの

・物事は観て覚えるのが良い。さらに良いのは、自分で体験してみることである・・・ガキの頃、親父の行きつけのガソリンスタンドで、洗車機の中が不思議で仕方がなかった。スタンドのおっちゃんに頼んで、車に乗って洗車機を掛けてもらったことがある。それで初めて、洗車機とはこういうものかと、納得がいった。しばらくすると、車の整備の際に、小さな弁が、あの重い車を持ち上げるのが、不思議になった。小学校の頃に、お袋に買ってもらった学習マンガで、初めてそれが、『パスカルの原理』を利用していることを知った。パスカルはいろんな事を発見しているが、『パスカルの原理』は、手品を見せられている様であった。主に液体などで、圧力が均一にかかることを意味しているのだが、あんなに重たい車でも、簡単に持ち上がるのだ・・・この間、スタンドに行った際、車を下から観てみたのだが、初めて観る光景に驚いた・・・今や、車庫入れなどで、エンジン音がしないハイブリッドカーが増えたが、それも、ガソリン代をあげている一因だと思う。地球には優しいが・・・私の運転する車は親父の形見であり、多少燃費が悪くても、売る気にはなれない。しかし、こうもガソリン代が上がると、ドライブなどは道楽となってしまう。オートマ車ばかりの世の中、久々にマニュアル車を運転してみたいものである。

・こうもガソリン価格が高くては、女に貢ぐ、いわゆるアッシー君という言葉も、死語になったであろう。

・物事に事実はあっても、真実はない。真理もない。

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驚いた

・いわゆる、『ゆとり教育』の世代がいなくなって、理系にも人が帰ってきたという。宇宙用語などを知っている生徒が増えたというニュースを今朝観た。すると、私の母校の先生が、NHKのインタビューに応えていたのには驚いた。あれから二十年、髪も白くなって、老けられたなあという印象と共に、まだ現役でやっているのか、と感心した・・・大学一年の時に、一般教養で四教科取らなければならなかったのだが、その天文学の先生の授業は、厳しいことで有名だった。私は前期に書いたレポートが評価されたのか、後期に一度しか出席していなかったのに、ものは試しと、試験を受けたら、Bが来た。友人四人のうち、二人がDを喰らったのに、不思議でしょうがなかった。確かに試験は易しかったのだが、全出席して、レポートも全提出してDを喰らった友人二人は、「あの野郎、天誅を下してやる」と言って収まらなかったので、その晩は飲んだ。その先生の専門は、『超新星爆発』についてなのだが、同じ班の奴に、「今度はお前が発表しろよ」と、高圧的な言い方をされたが、発表内容は、『何故、古い星程、重原子が多いのか』というものだった。解答は、古い恒星程、核融合を繰り返すからなのだが、大学に入った当初、私は女の娘と話せないことと、大人数相手に喋るのが苦手であった。在学中にどっちも克服したが、何せ発表するのは大学一年の時である。黒板に図を書き、いざマイクを渡されると、自分の声が何重にもなって聞こえた。相当、緊張したが発表は気合いで上手くいった。しかし、それで安堵してしまい、質問には訳の分からない答え方をしてしまった。友人の結婚式などでも、このポカは、時々やってしまった。

・披露宴でスピーチを頼まれたことがないと言う友人を哀れに思った。

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雲はスポンジ

・冬に日本海側などで豪雪が多いが、私の頃の地理的な分野では、夏は南高北低、冬は西高東低、と習ったが、何故、北国では豪雪地帯となり、種子島では雨が少ないのに、すぐ側の屋久島では雨が多いいのか、理解している奴は少なかった・・・私の小学生時代は、平手だが、本気で叩く講師も多かった。また、塾では、授業中に居眠りをしても、見逃してくれる講師も多かった。そんな中、暴力をふるう講師に対して、一番上のクラスを中心に、ボイコットをしだした。今の時代で言えば、その講師も、『精神的に病んでたんだなあ』と思わせる話も多かった。実際に東大卒の地理の講師の親友三名が自殺した話を聞かされた。実際の所、私もボイコットに参加したかったのだが、親父が薄給な上に、お袋は、教育費に全てを掛けていた。だから、私は、授業に出る道を選んだ(上から二番目のクラスだったが)。クラスの生徒が半分の中、陰口も叩く奴もいた。ボイコットの理由は、『いい大人が小学生相手に暴力を振るのはおかしい』ということであったが、同調したい中、親の気持ちを考えると、同意できなかった。しかし、次第に授業に出ている私を排除する動きが出てきた。私は、「だって、親に何て言ったらいいんだ?」と聞いたが、結局、塾を辞めざるを得なかった(勿論、家庭の経済状態も原因だが・・・)。入試の三ヶ月前に辞めた。そうして、いざ、本番の試験となると、見事に第一志望の学校をスベった。

・こんな事を書いたら気象予報士に叱られかも知れないが、雨雲というのは水を含んだスポンジみたいなものであって、高い山にぶつかると、水が下に落ちる様なものではないか?

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・中・高・大と一緒だった友人が、大学一年の時に彼女を作った。女癖が悪いわけでも無かったが、ただ、手は早かった。友人の彼女も、中・高と女子校だったので、男性経験は無いとのことだった。私にだけ、その旨を語ってくるので、「もう、キスはしたんだろう?だったら、後はムード次第だな」と語った・・・しばらくして、彼に受難があった。私と彼と二人きりの時などに、彼の車で、私の恋の悩みについても、よく相談に乗ってもらったが、彼が受難した時は、強烈な相談だった。彼曰く、「あいつと初めて寝たんだけれど、一ヶ月経っても、生理がこないって言うんだよな。まあ、俺は悩まない主義だけどな」とのことだったが、その後、車で自爆事故を起こしたりなどして、焦りは隠せなかった・・・友人の彼女も、かわいい娘だったのだが、彼が何度も相談してくるので、私が、「あのなあ、何重にも防護策をしいて、ちゃんと避妊したんだろ?女なんてデリケートなものなんだから、ちょっと遅れているだけじゃあないのか?もしくは、お前の器を探っているのかも知れないぞ。だから、ここが正念場じゃあねえか」と話したら、彼の顔が急に明るくなった・・・その後、妊娠していないことが判明し、彼は受難の呪縛から解かれた・・・しかし、よくよく考えてみると、女が初めて関係を持った男に、「生理が来ないの」という技は、本当でなければ、一番、女がやっちゃあいけない技だと感じた。

・大学に入ってから、いろんな合格祝いをもらったが、母からのプレゼントは、『避妊のすべて』という本だった。強烈だったが、こちとら、そんなに女ったらしでもないのになあ、と怪訝に思った次第である。本当の意味での硬派だったのである。

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勘違いしている奴等

・『俺だけが道化師(ピエロ)でもいいや』と、太宰か中原あたりにかぶれて、真夏でもロングコートにシルクハットで、格好だけ真似ている文系の奴がいた。

・大学の入学式の後、文系に行った友人と飲みに行ったら、理工学部のことを馬鹿にして、「いやー、俺の入学式の時に、隣に座った奴から、「君、原爆の作り方知ってる?」とか言われて、困ったよ」と言うので、「確かに、カルトな奴もいるからなあ・・・」などと話していたのだが、理系を馬鹿にした面も覗えたので、カチンと来た私は、「半世紀以上前に開発された原爆の作り方、知らねえ方が問題だと思うぞ。日本だって戦争中は原爆造る計画があったんだぞ。今や、インドでも地下核実験をしているのに、簡単な原爆の作り方ぐれえ知らなくて、どうするんだよ?」という話で収まった。そして、「今からお前のジョッキに、原爆を投下する」と言って、ジョッキに生卵を投下した。友人も体育会系なので、そこらの呼吸は解っているらしく、(余りのまずさに)演技しながら一気した。しかし、当然のことながら、報復を受け、半熟卵を二個入れられた。「これじゃあ、一気できねえじゃあねえか」と言ったら、『モグモグ』というコールを掛けてきて、噛みながら飲まされた・・・まあ、それで場が収まったのだから、良しとしよう。私から言わせれば、『非核三原則』などというものは、平和ボケの典型的な例と考えざるを得ない。

・多分、私達の世代が、就職ハガキを手書きで書いた最後の世代なんだろうな・・・

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敬老の日の太陽

・一昨日の敬老の日に、母方の祖母へ電話するよう、母に言った。これで、この日は役割を終えたと思っていたら、夕方、弟一家が来るとの電話が入った。いきなりだったので、驚いたが、たぶん敬老の日ということで、一家で来てくれたのであろう。弟の子供は、男二兄弟なのだが、上が中一で、野球にハマッていて、下は小一で、未だ、ガキガキしていた。いきなり一家でやって来たので、料理の支度が出来ず、モスバーガーということになった。私は弟と酒を飲みながら、いろんな話をしていたが、ガキガキした小一の方の次男が、将棋をやりたくて仕方が無いらしく、将棋盤を取り出し、駒の動き方から教えてあげた。一通り終えると、駒落ちで一局指したのであるが、まだまだであった。中一の野球小僧の方の長男は、野球の合宿からの戻りたてだったのだが、猛打賞を決めてきたとの事だった。彼は中一にして既に、私の身長を超していたし、まもなく弟も抜かれるであろう。丁度、声変わりの時期で、逞しい男になっていた。ガキの頃から野球小僧であったが、父親である弟と、軽い叩き合いをしている光景を観た私は、長男坊に、「ピッチャーがデッドボールを当てたら、バッターが殴りに来ることがあるだろう?」と、いわゆる乱闘のことを話し、「そうなっても、ピッチャーだけは指先が商売道具だから、絶対に殴ったりはしねえんだ」と諭したら、長男坊と弟の乱闘が終わった。暗に、『大きい者が乱暴するな』と、教えたのだ。

・弟の次男坊の将棋を観ていて思ったことは、『こいつ、お人好しやな』という事であり、野球小僧の長男に思った事は、『腕白でもいい、逞しく育ってくれ』ということだった。

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深夜の銃声

・アメリカに行った際、最初に驚いたのは、真夜中の三時頃に拳銃の発砲音がしたことであったが、街中にジュースなどの自動販売機が存在しないことも意外だった・・・サンフランシスコの空港の喫煙室で知り合ったシゲと同部屋だったのだが、発砲音を聞いて、二人とも飛び起きた。最初こそ、二人とも寝ぼけていたものの、目が覚めてしまったので、「肝試しに、今、銃声がなった所にいってみようぜ」と私が誘った。シゲも負けん気の強い奴で、その案に乗ってきた。お互い支度をして部屋を出て、ホテルのフロントの人に、「今の発砲音は何ですか?」と聞くと、フロントの人は、「あんなの、いつものことよ」と言ったので、余計に我々の冒険心に火が点き、偵察に出る事にした。私達が泊まっていたホテルは、向かいにストリップ劇場がある様な、治安のいい地域とそうで無い地域の境界線上にあった。シゲと場所を確認しながら、治安の悪い方へと向かった。すると、ラリった麻薬の密売人が寄って来て、「買わねえったら、買わねえ」と言っても、あんまりにもしつこいので、ホテルに戻ることにした。部屋に戻るとシゲが、「どうなっとんねん、この国」と言ったので、私が、「初日に、この国の裏側が観られてラッキーじゃねえか」と言い、お互いに、もう一度、寝直した・・・さて、最初に書いた自販機の件であるが、アメリカでは金目の物を夜中に出しておくというのは、置いておく方がおかしいという論理なのだ。これは、何処に行ってもそうだった。街でも、通り一つ間違うだけで、別世界な面もあるのだ。銃声については、結局、何も解らなかったが・・・

・アメリカでは田舎町の方が、夜は楽しかった。安全だからである。

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2ケツのバイクで走り出す

・学生時代のいつ頃だったか、ビリヤードの上手い友人の下宿に泊めてもらうことになった。私は酔っていたので、原チャリの2ケツで走り出した。私はメットなど被ってはいない。すると、運悪く、パトカーとすれ違ってしまった。友人は飲んではいない。酔いながらも、『悪い事したなあ』と思いつつ、パトカーのナンバープレートを蹴ろうか迷っていたが、友人の立場を考えて止めた。そして、友人の部屋に入ってから、私が、「罰金の五千円については、勿論、俺が払う。でも、点数は、どうしてあげることも出来ないんだよなあ。ごめんな」と言ったら、彼は意外にも、「罰金を支払ってくれるんやったらかまわんよ。点数はどうでもええ」と言ってくれた。この時思ったのは、複雑なもので、『ごめんな』という気持ちと、『罰金を俺が払うのは、当たり前のことだけど、俺って、そんなに信用ないのかなあ』という気持ちで、逆に私が意外に思った。彼の部屋で、再び酒を飲み、彼の好きなサッカーのJリーグの話を聞き、私は遠慮して、鞄を枕代わりにして、寝た。彼の下宿は、それほど狭かったのである。

・いつのことだったが忘れたが、某TV局の生番組の本番で、あの、Mr.マリックが、トランプの手品で、モロにミスってしまい、一瞬、番組が凍り付いた。マリック本人もミスを認め、数ヶ月後に、同じ手品で、同じ番組で、リベンジを果たしていた。

・日本叩きするなら、秋葉原なんかに来なきゃあいいじゃねえか。パンダ一匹、数千万円もするなら、それは、ボッタクリというものだ。

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男が恋に堕ちる時

・塾講師時代の国語専門の講師は、こう言っては失礼なのだが、家があまり裕福ではなかった。しかし、国語が抜群に出来たので、親御さんに迷惑を掛けない様に、某私立大学の国語の特待生制度を使おうと思っていたらしいが、あと9点足りなかった。だが、親御さんが学費を出してくれることになり、その大学に進学した。塾で、彼とは三年程、仕事をさせてもらったが、普段はアホである。私の方が年上だったので、生徒から出てくるあらゆる質問に関しては、彼を筆頭に、下の講師に考えさせる様にした。すると、国語以外の科目については、他の講師に質問することもあった。私は一切教えなかったのだが、それは、私がいなくなっても、彼らでやって行ける様にする為である。誰も答えられない問題だけ、私が見ていた。彼も、後進を育てようとして、必死だった様だ。ある時、彼の後輩の講師から古文の活用形について質問されていたが、彼は一喝し、「馬鹿者!!活用なぞアテになるか!!」と叱っていた。本当にセンスのある人は、暗記などしないのである。・・・そんな彼が、ある時、恋に堕ち、プライベートで、私に相談してくることがあった。私は、「俺も男兄弟だし、ずっと男子校の様なものだったから、女心は解らん。けれど、片思いも恋、というのは二十歳までだ。ラブレターも御法度だ・・・男だったら、本人の眼を観て、告白しろ」と、自分の失敗談なども含めてアドバイスした。彼は、きっかけの鍵を握っていたので、後押しすることにした。結果、振られてしまったのだが、私の振られ話を語ったら、「結構、強烈な振られ方ですねえ」と言って笑いを誘い、慰めになった・・・若いうちは、死なない程度に、熱烈な恋をした方がいいのである。それが国語の必勝法なのだ。胆力の無い男は駄目だ。

・彼が恋に堕ちた時、一つの風景を見ても、即興で、短歌が三つくらい浮かんだそうだ。男心とは、そういうものである。

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『秋?希望を捨てよ』

・   『秋?希望を捨てよ』

  朝晩が冷え込んできた スズムシの音色が聞こえる

 ツクツクボウシが鳴きだしたら、夏も終わりとのこと

 清少納言は『秋は夕暮れ』とシャレたが

 俺には理解しかねる

  私に於きましては 

 秋は地獄  『希望』を捨てる季節なのだ。

 なにもかにもがヌルい

 ヌルい酒は嫌いだ

  俺にとっては

 魂が沈む季節、意欲を無くす季節、体調を崩す季節なのだ

 何故、暑くてもいいから、天は夏で終わらせない

 天の川どころか 富士山も見えなくなって・・・

  そっと、『抗うつ剤』を飲みながら

 自問自答する。

 こんな秋の夕暮れの様な私に

 果たして 何がやって来るんだろうかと

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男気

・今日はくだらないblogでも書いて・・・と思ったら、自己嫌悪に陥ったので、書かないことにした。これからも、バカバカしいものも載せていく予定だが、今日はその日では無い。

・男とは、己の信念によってしか動かない。

・NHKの高倉健についてのドキュメンタリーは観ない方がよかった。所詮、健さんも普通のおっちゃんだ。

・詩人というものには、妄想が欠かせない。現実など観たくはない。ある種の『メルヘン』という酒に酔っていたいのだ。バッカスが出す中でも、最高の酒だ。これに酔うと、シャブ中よりも厳しい人生が待っている。それでも、詩人は酔っているから気付かない。彼にとっては、それでいいのだ。

・男の人生の半分は、伴侶次第である。だから、ゴータマ・ブッダも言っている。「良き絆があれば、伴侶と共に進め。悪しき者を道連れにするな」と。

・バーディーを2ホール続けて取った夢を見た・・・現実は甘くなく、今の私は、打ちっ放しで、おっちゃんからレッスンを受け、基礎固めをしている所だ。

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原発が無くなると・・・

・次の選挙を見据えて、各党が守りもしない公約を掲げ出した。各党、一致しているスローガンは、『将来的に原発ゼロ』である。確かに、先の地震及び、それに伴う津波で、多くの街が消え、福島を始めとして、日本国中が放射性物質に懸念を示す結果となった。当初こそ、地震や原発の報道が絶えなかったが、一年も経ってみると、この国の人々はマスメディアなどの、いわゆる、『普通の放道』で、安心を掴んだつもりになっている。しかし、それでいいのだろうか?少なくとも私は、この、仮の平穏に嫌気が差している。セシウムの半減期は28年なのである。しかも、現在も、福島第一はどうなるのか解らないのである。この現実を、我々は常に心に留め置かねばならない。全ての被害者(日本国民と言えるかも知れない)に、お悔やみを申し上げると共に、我々も同様に苦しんでることを、お伝えしたい。原発の悲劇を嘆く一方で、もはや役割の無い、大江健三郎などがしゃしゃり出るべきでは無かった。それは、確かに、地震、津波、原発事故と続いた一連の悲劇は哀しい。しかし、政治家達が、選挙に勝つために、「原発を無くす」とほざくのは、国家戦略上いかがなものかと考える。消費税を増税した上に、光熱費まで数倍になっては生活してはゆけないのだ。何よりも問題なのは、この国から原子力の技師が消えるということなのだ。世界最高基準の安全度を求められたことにより培ってきた技術が風化するということは、軍事的な問題にも繋がる。我が国の原子力技術が地に墜ちては、残念ながら、国家間のバランスが偏ることを意味しているのだ。

・人は一度手に入れた便利さというものを、手放すことは不可能である。

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スポーツドリンク

・この前、友人達と飲んだ時、私はスポーツドリンク肥りをしていた。気が付いた時点で、ウーロン茶に切り替えたのだが、調整が間に合わず、惨めな自分をさらけ出してしまった。その後、15Kg落としを行ったのだが、その最中で、整形外科の先生にその話をすると、先生は、「スポーツドリンクには、砂糖が入っているからなあ」と教えて頂き、私が、「ある友人から聞いたのですが、水道水を基にしたものばかり飲んでいると、いわゆる、ミネラル(カリウム、マグネシウム、塩分等)が摂取できないと聞いたのですが、例えば、塩分などは、浸透圧と関係があるのでしょうか?」と質問すると、先生は、「ある」と言い、続けて、「人間の血中濃度に合わせるなら、本来、スポーツドリンクは二倍から三倍に薄めた方がいいんだよ」とおしゃったので、すかさず私が、「それじゃあ、味がしないじゃあないですか」と応えると、立っていた看護師さんが笑ってらしたので、さらに笑いを撮りに行こうかと考えたが、それは止めることにした。すると先生が、「スポーツなんかで水分を持って行く場合は、ミネラルウオーターに塩を混ぜるぐらいが丁度いいんだよ」とおっしゃった。とにかく解ったことは、日常生活でも、ミネラル成分も適度に摂らねばならないということだ。

・16年前、アメリカのスポーツドリンクといえば、ゲータレードであった。いろんな色のゲータレードを売っているのに、ポカリスエットなどは一つも無かった。真夏のアメリカは、乾燥していて、直射日光がきつく、汗をかくので、しょっちゅうゲータレードを飲んでいた。それ以来、私は、ポカリやアクエリアスよりも、ゲータレード派になった。

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体調

・体調悪し。よろしく無し。風邪薬を飲んで寝る。・・・しばし、しばし。

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ペンギンの鳴き声

・イジメを無視している、ペンギンの鳴き声が聞こえる。「俺はやっていない」と。

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アナロジーの利用

・私が浪人の時、その概念が解らずに、二日二晩徹夜した、電磁気のオームの法則V(電圧)=R(抵抗)×I(電流)、いわゆる、V=RIという概念を、なんのヒントもなしに考えても埒が明かない。つまり、抵抗値に電流値を掛けたら、何故、電圧値が出てくるのかが解りにくい。概念を把握せずに公式を丸暗記しても、伸びしろが無い。私から言わせれば、概念を把握するために、逆転の発想で、V(電圧という電気的なエネルギー)というものは、I(電流の量)とR(抵抗のきつさ)のバランスによると逆さから考えて、パチンコなどを連想したほうが解りやすい。この基本が解れば、高校レベルの電磁気学は、八割制したと言ってもいい。この事は、数学の微積分の知識が前提となるのだが、解れば残りの二割はすぐ終わる。ニュートン力学でいうならば、オームの法則と同じ様に、ニュートンの運動方程式、F(力)=M(質量)×α(加速度)と同様である。力学の運動方程式を、時間について積分すれば、速度となり、運動量(MV)となり、さらに時間について積分すれば、1/2MV2(二分の一えむぶい二乗)という、運動エネルギーとなる。一方で、ニュートンの運動方程式をある重力下での高さに付いて積分すればMαhという位置エネルギーにもなる。運動エネルギーと位置エネルギーを足せば、エネルギー保存則になる。こういう関係というのは、基本物理学内だけでいうなら、電磁気学にも同じ事が言える。要は、基本の公式の概念さえ覚えておけば、他は簡単に導けるということである。こういう関係をロジックが似ていることから、アナロジー(類似性)と言う。この考え方は、ずっと応用が利く。覚えていて損はない。

・母に話したら、「解るわけないじゃない」で一蹴された。話す相手を間違えた。

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全身ビシビシ

・以前、暑いからといって、スポーツドリンクを飲んでいたら、15Kg位、水太りして、我ながら驚いた。やっと脇腹の贅肉が大分落ち、元に戻ったので、整形外科医のゴーサインも出たことだし、久方ぶりに、昨日、ゴルフの打ちっ放しに行ってきたら、暑くてそれどころではなかった。打ちっ放しというのは、ボールを買う仕組みになっている。私の行く所は、平日500円で55球である。クラブは自分で担がねばならないが、無ければ借りることも出来る。確か、クラブ一本に付き、100円だったと思う・・・二階席に登り、靴と水筒も一緒に持って上がる。打席を確認すると、ポケットの中の余分な物を椅子の横の小さなテーブルに置く。靴を履き替え、ストレッチをして、私の場合は、7Iのハーフスイング位から始める。久々だったので感触を忘れていたのだが、まあ、様子見である。最初は力みすぎていたのだが、軽く打っても、飛距離は100y前後である。ボール代がもったいないので、上手くいかない時は三回素振りしてからボールを打つ様にしている。感触がいい時はバシバシ打つのだが、悪くなったら休憩。上手い方のスイングを拝見しながら、一服して、水分を摂る。おしぼりで汗を拭きながら、のんびりとやる。昨日は暑すぎたので、汗を拭くのが大変だった。まあ、他のクラブやウッドでも同じ事をする・・・昨日は一つ、発見があった。クラブを振る際に、肩幅ぐらいに広げるのだが、その際、両足のつま先を広げる様に立つのがコツだと解った。相変わらず、ドライバーが、なかなか芯を食わない。これはスイング軌道が一定ではないからなのだが、下半身を早く開かせる練習などもしているので、仕方ない。

・昨日、久々に運動らしきものをしたが、全身がビシビシになっている。体重の方の調整は、ある程度済んだので、九月下旬にラウンドする時までに、体力面の調整が必要だ。

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トライアスロンの掟

・オリンピックにしろ、徳之島にしろ、どのトライアスロンにも共通しているのは、スイム→バイク→ランの順番で行われていることである。この順番を間違えたら、人など簡単に死んでしまう・・・私が高三の時に、ひとつ上の先輩が、チャリンコサークルに入っていたらしいのだが、ニュースにはならなかったが、死んだ。夏休みの合宿で琵琶湖に行った際、サークルの阿呆な先輩の思いつきで、トライアスロンをすることになったらしい。その際、ラン→スイム→バイクの順番で行ったらしいのだ。男はみんな、全力疾走した後に琵琶湖の桟橋から、次々と飛び込んだらしいのだが、そこで、私の先輩は命を落とした。合計二名が溺死したのだが、大昔の、産まれて初めて酒を飲んだ東大生の数名が、真冬の凍り付いた山中湖で、夜中にボートを漕ぎ出して、転覆し、馬鹿が死んだ事故程、注目されなかった。トライアスロンをやる場合、絶対に、最初にスイムを持ってこなければ、ならないのだ。後に遺体が上がって、検死すると、その二人の肺には大量の水が入っていたそうである。その、インチキトライアスロンでは、最初のランが50mか100m足らずだったと聞いている。たったそれだけで、若い男が二人死んだのだ。水の事故と行っても、非常に勿体ない命の落とし方である。親御さんの無念さを考えると、心から合掌したい。

・私が通っていた数学塾の恩師は、事あるごとに、飲み会を開いていた。それも店でである。最初、私が一番驚いたことは、中三の時からビールを飲まされたことである。そこでおかわりする奴も珍しいと思うのだが、女の子達は飲まなくても許されたので、餅などを食べていた。同学年の友人は、完全にデキ上がってしまい、先輩達と共に、塾に戻り、水を飲んで酔いを覚ますという具合だった。恩師が飲み会を開く根拠は、上記の山中湖の一件で、世間知らずのまま、育ててはいけないというのが主旨だった。しかし、その先生は、身体が弱く、独り者だったせいもあり、賑やかなことが好きだったのだろうと憶測する。もちろん、会には、参加できない子は参加しなくても良いのだ・・・師は私が高二の冬に若くして亡くなったのだが、今にして思えば、孤独だったのだろうなと思う。あの人が心から笑っている写真を持っているだけ、私は幸福者だ。

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健さん、受賞、おめでとうございます

・今月の、ケーブルTVのプログラムの表紙が、健さんであったのだが、バブルの頃だったと思うが、健さんの映画に助演として出演した、たけしが、ロケの様子を深夜放送で語ってくれていた。なんでも、北海道あたりで、映画の撮影をしていた時に、スタッフが、寒いのでドラム缶に火をたいて、暖まろうという手筈になっていたらしい。健さんの出番は終わったにもかかわらず、暖まりに来ないので、スタッフの一人が近寄り、「健さん暖まりましょうよ」と誘うと、健さんは、「いや、まだ仕事をいる人がいるから」と、頑として受け付けなかったらしい。すると、監督の次に偉い健さんが来ないので、誰も暖まる事が出来なかったそうだ。また、たけしと健さんは、健さんの映画を通じて、親しくなったそうだ・・・そんな健さんが、『あなたへ』でモントリオール国際映画祭の特別賞を受賞したと聞き、TVでチェックしてみると、友情出演かどうかは知らないが、たけしも役者として出演していた。また、健さんのスピーチも素晴らしく、この上ない勲章が健さんに付いた。健さん、おめでとうございます。これから健さんの任侠映画を拝見させて頂く予定だ。

・昔、友人に、ケンさんがどうのこうのという話を聞いて、私は、「ケンさんといったら、拳の方(緒形拳)か、どっちだ?」と聞いたことがある。すると友人は、軽く笑って、「ケンさんといったら、拳の方じゃなくて、高倉健に決まっているじゃねえか」と言われたことがある・・・当時、いくら健さんの映画を観たくても、ビデオデッキが無かったのである。そういえば、バブルの頃といえば、やたら、レンタルビデオ屋があったが、みんな潰れちまったな・・・

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騒がしい朝

・昨日の朝、台所が何か騒々しいと思い、行ってみると、母が、「電子レンジが壊れちゃったよ。どうしよう?」と、あたふたしていたので、私は、「そのレンジ、何年ぐらい使ったっけ?」と尋ねると、「もう、二十年近くかなあ、何年か前から、少し不調だったし・・・」と言うので、「そりゃあ寿命だな。新しいの買った方が安いよ」と応えると、母は、一転、暗い顔になり、「生活必需品だから買わなきゃいけないのは解ってはいるんだけど、何も、お金のない時に壊れなくてもいいのにねえ・・・どうしようか?」と朝から嘆いていたので、「多分、今月、家に入れたお金で何とかなる」と慰めた。そうしたら、お袋の頭の中は、多分、出来るだけ安いものを、という一念で、「ヤマダ電機で何とかする」と言っていたのだが、私が、「あそこの店員は、品物をロクに説明できない上に、責任を取らない。確かに安いんだけれど、やめておいた方がいい」と言うと、「じゃあ、どうする?」と聞いて来たので、「俺だったら、ネットで買うよ」と述べると、母はやはり、一時代前の人なのだろう、消極的だった。電子レンジなので、熱を発する。だから、ちゃんとしたメーカーの物を買う様に勧め、とりあえず、眠い目をこすって、パソコンを立ち上げ、アマゾンで検索してみた。すると、なかなかのものが、二万円台で売っていた。迷っていても仕方が無いので、国内の某メーカーのものに絞り、サイズ等も観ていたら、評価の高い物があった。母の了解を取った後で、いわゆるアマゾンの『お急ぎ便』で注文すると、その八時間後には、レンジがやって来た。母は驚いたらしく、保証書をしまった後で、取扱説明書を二時間ぐらい読んでいて、ご満悦の様だった。

・昨日購買した、電子レンジは、我が家では三代目である。送料込みで、二万強だったが、二代目の電子レンジは、ボロいくせに六万し、なんと初代のものは、十万したそうだ。買い方の差もあるのだろうが、時代の進歩というものは早いものだ。

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ガチャピン

・私が幼稚園に行く前にTVで観ていた、『ポンキッキ』では、印象的なキャラクターが二匹いた。当然、ガチャピンとムックである。後に聞いた話によると、ガチャピンがビートルズのポールをモデルにして、ムックがジョンレノンをモデルにしていると聞いたことがある・・・折しも、私が塾講師を勤めていた間は、生徒連中が生意気な連中が多かった。そんな中、新入りの某大学の女は、極めて軽い女だった。当初は、私も相手にせずに、放っておいた。なにしろ、五歳以上下の娘に、タメ口をきかれるのである。放っておくしかない・・・ある時、中二の女子生徒が、そいつの事を観て、「あっ!!ガチャピンだ!!」と言ったので、そいつのあだ名は『ガチャピン』に決まった。すると、翌週、ガチャピンが、その生徒のことを、「『あさりちゃん』の中の1キャラクターに似てない?」と言ったのだが、それは流行らなかった。どちらにしろ、これは問題だと感じたので、最年長である私が、例えれば、猫に鈴を付けに行くという、嫌な役割を引き受けた・・・その日の授業が全て終わり、生徒達が帰っていった後に、人気のない奥のロッカールームに呼び出しだした。その時ばかりは、ガチャピンとは呼ばずに、名字で呼んで、説教した。これほど女に説教するのが面倒だとは、知らなかったが、とりあえず、「お前も大学三年生なんだろ。ってことは成人だよなあ、だから、たかがガキにあれこれ言われたからって、言い返しす歳じゃあないだろうが。ああいうことすると、イジメにも繋がる事になるから、二度と、ああいう事をするな」と言った。すると、「でも・・・」と言いだしたので、すかさず私が、「でももクソもあるか、大学生にもなって、真面目に中学生の相手をする馬鹿がいるか」という、当たり前のことを言った。講師室に戻ると、ハッタリ野郎が、「お疲れ様です」と笑顔で言うので、「馬鹿野郎、お前だって叱られたくはないだろう」と怒鳴りつけて、嫌な役目は終わった。

・幼稚園前のことだが、『ポンキッキ』ではガチャピン派だったが、その件以降、ムック派になった。

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デンの家じゃあ何が食えるんだろうな?

・私の通った男子校は、私立だったため、いろんな所から通ってくる奴が多かった。その中でも、田園調布に住んでいるというだけで、『デン』というあだ名が付けられている友人がいた。当時はバブルに時代であった。中三の頃であっただろうか、彼の家で麻雀をすることになった。私はその時、負けたのだが、いくら田園調布に住んでいても、彼の部屋に入ると、普通の男の部屋だった。当時、売れ始めたCD付きのラジカセ(メーカーは異なるが、私も持っていた)で、誰かが持ってきた、ザ・ブルーハーツのデビューアルバムを聴きながら、麻雀をした。何しろ『デン』の家だから、麻雀をしていた連中は、昼食にどんなご馳走が出てくるのか、まだガキだったし、ワクワクしていた。しかし、ケンタッキーフライドチキンが出てきて、みんなズッこけていた。私は、なかなかいい作戦だと思ったし、何より彼は、普通に接してほしかったのだ・・・その後も彼とは仲良くしていたが、高校生のある日、彼が突然、パーマを当ててきたのにはクラス中が驚いていた(私は、『女でも出来たのかな』と思った)。彼は、お坊ちゃま育ちの様だったが、それを否定するかの様に、努力していた。それだけ自立心が強く、某大学の推薦を取り、大学一年の時は、『北海道の長万部に行ってきます』コースを選んでいた。確か、その後も独り暮らしを貫いた様である・・・もう、20年以上も会っていないが、今でも笑って過ごせる気がする・・・もし結婚しているのなら、お子さんに会ってみたいものだ。

・今年の年賀状でのこの一枚は、決めポーズの友人だった。お宮参りの写真なんだろうが、着物を着た奥さんが普通にしていて娘さんを抱いているのに、彼が一番、目立っていた。

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たわごと

・二流の奴は、所詮、二流のことしか言わない。

・性とセックスを結びつけて、力説し、一体何になるというのだ。

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『一物論』を終えて

・とにかくとにかく疲れ切っている。温泉ランドにも行く気が湧かない。多分、それは、汚い一物を想像するからであって、実際そのような行いをしている男も多く、私では何ともいえない。そりゃ、夢精すると言えば、男子の生理であり、何とも言えない。人間の堕落とは、性が遊びに化けた時点から始まったのであって、そこにはモラルも秩序もない。ただし、自分が性も何もかも、かき乱す様な真似をする人間には、いづれ、子供がそうなったって、一言も反論の余地がない・・・考えてみれば、中途半端に、間違ったこと(知らなかったとはいえ、大学生が中学生をナンパしてしまうなぞ・・・僕は相手の女の子に謝り続けた(私に関して言えば、やましいことは何一つ無い)・・・無いのも問題なのだが、犯罪に関わることは、する気が無かった)。

・『一物論』は久しぶりの大作であった。ただいま反響を見て、疲れ切った次第。これからの反響も見たい。ということは、疲れ切って何も書く気がしないということです。

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『一物論』 その2

・(つづき)白黒のフィルムを見せられて、何より私が驚いたのは、彼の一物のでかさであり、それを崇めると、彼は謙虚に、「いや、よく、そう言われるんだけれど、俺の場合は、膨張率が1.2位なんだ」と、聞いて、私の頭の中に『膨張率』という、新たな概念が生まれた。当時の友人達の間でも、膨張率が3をこす奴は一杯いたと思う・・・実際に観てはいないが、確かに普段からデカい奴もいるが、そいつの膨張率が3とすると、馬の一物よりデカくなってしまうではないか。そんな矛盾に気付き、そんな奴、日本人ではどこにもいない、という矛盾に気が付いた時、たけしとその研究室の友人を、神の様に崇めた。こういうナーバスな問題というのは、大学生にでもなったら、どうでもよく、誰も何にも言わないが、歳が小さいうちには、あまり、どの情報も当てにはならない。しかしながら、人間とは惨いもので、幼少の頃程、一物に興味を持ったりして、年上の人間が、年下の奴を、無理矢理に脱がしたりして(これは弟の話だ。私と同い年の女もいた「止めろ」と言っても彼らは続けた)知りたがるものである。そこに、他人の親が絡んできたこともあったが、何にせよ被害者は我々なのである。また、一般的に、そういうことでイジメをするならば、未成年といえど、私の中では死刑である。また、私の僅かな知識を拾ってみれば、黒人は別として(私は黒人と一緒に風呂に入ったことがない)、『人類みな兄弟』みたいなものである。外人の一物というのは、あらゆる所で観たが、大して変わりは無い。大人になったら『一物』の大きさなどで評価する奴はいないし、幼稚である。まあ、異性のことを考えれば、清潔にしておくのが一番なのだが。

・芸人とはいえ、たけし程のビッグな芸人が」、深夜放送とはいえ、要するに、『自分は仮性包茎だ』と言いきる所に、男気を感じるし、何よりも、それが性教育というものだ。深夜放送を聞いていたのも、まんざら間違いではなかった。

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