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学問の王道はあるか? (その2:勉強論)

・『学問に王道なし』というが、講師の説明では、勉強にはテクニックが無いという説明であった。しかしながら、私は宅浪し、『勉強にもテクニックがあるな』と感じた次第を述べようと思う。浪人したのは、勉強しなかったから当たり前だが、当時は第二次ベビーブームで、都内の某私立単科大学を落ちた奴が、みんな東北の方へと行っていた。もっとひどい奴は、甲信越である。決して易しくはなかった。私が昨日のblogで、一週間単位の計画表を作ったのは、夏休み前のことだが、本気で勉強したくなったのだ。一日単位の計画表だと、すぐに挫折してしまうと思った私は、週単位にした。それを必ず守った。また、宅浪とはいえ、自分の実力を知るために、駿台の模試を受けていた。駿台に通っていた友人(今でも付き合いがある)に受付などを頼んでいたのだが、彼は嫌な顔ひとつしなかった。勉強の話をするのもなんなので、笑い話を提供した(もちろん、当時はお酒は入っていない)。彼にはものすごく感謝している。本題から外れたが、当時はボールペンとルーズリーフを使っていた。ボールペンを十本以上空にするのと、ルーズリーフを山積みにするのは、やりがいがあった。さて、要の勉強の本質論たる、『実は勉強には王道がある』と感じ始めたのは、真剣に勉強を始めてから(もちろん規則正しい生活も)、一ヶ月ぐらい経ってからのことであった。私は起きている時は食事などの時間以外は(日曜日を除いて)机に向かっていたのだが、後に読んだ、宮本武蔵の五輪の書の地の巻に似た様なことが書かれてあった。武蔵はそこで『拍子』という表現を使うのだが、今風に言えば、『リズム』の様なものが産まれてくると悟った。私は時間が10あったなら、7~8を基礎に費やしていた。すると、しっかり基礎固めが出来ている人は、リズムに乗ると、短時間で一気に伸びるのだ。何気なく書いたが、これはとても重要なことである。また、週に一日くらい休みの計画を入れる余裕も必要であろう。アナロジーを利用した面もあるが、高校生の私はそんな言葉も知らず、相似性と呼んでいた。これらの考え方が役に立ったのは、実は大学の後半以降に知り合った友達との間でのことであった。そいつらについて行くには、どんな面であれ、自分を磨き続けなければならなかった。彼らとこないだ飲んだ話は書いたが、今朝、友人の一人に、『騎士道と紳士道』について質問してみた。答えは、今度の集まりであろう。そんなこんなして、大学時代の友人でも、十五年後には、数が限られる様になってくる。鍋をつつき、言いたいことを言い、本音で語り合えた仲間だけが残った。学生時代の友人付き合いなんて、所詮、儚い。しかし、大切な絆もある。その為に、みんな毎日努力している・・・そういう友に出会ったら、決して逃してはいけない。どんな話にでもついてゆける様な将来を見つめるならば、受験勉強など、まだ、スタート地点に過ぎない。世界は広い。

・真剣に勉強に向かって、コツを覚えたら、実際の入試などで、苦手な問題が出ても、時間が無くなる程に、神が降臨した様に、頭の中に解法が絵に浮かんでくることがあった。そんなときは、時間が無いので、右手の書くスピードとの勝負になる。文武両道とはよく言ったもので、右腕をもっと鍛えておくのだったと、修羅場だけで後悔する。

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