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2012年8月

『一物論』 その1

・私の場合などの様に、男子で中高が塗り染められていく過程で、ほぼ全員が、その中で思春期を迎えるのが男子校というものである。大体、中三の水泳の後ぐらいからだが、みんなが、海パン越しに、それぞれの一物について評価する様になっていった。私が一番背が伸びたのが、高一の夏だから、思春期は遅い方だったと言えよう(だから、中三の時の一物に関しての批評会では、授業中、私は寝ていたが、チンケな野郎に、私の一物を批評する様な、生意気な真似をされたので、殴った)。それから、高二頃から、みんな忙しくもあり、大人になったので、遊んでいる奴は異性と話していたが、丁度、私が勉強を始めた頃には、そんな余裕がなかった。異性付き合いには相当悔いが残る。時代はバブルの末期で、まだラジオの深夜放送に、ビートたけしなどがDJをやっていた。ある時、たけしの放送で、「まあ、日本人の男の70%は仮性包茎だからな」という文句を言った瞬間に、聞き役のガダルカナル・タカが、「殿だってそうじゃあないですか」と言って、一悶着起きた。それを聞いていた私は、驚いたと同時に、『たけしあっぱれだ』と思った。また、大学に入っても、機械科という、男子校まがいのコースに進んだ私は、四年からの研究室で、自己紹介の紙に、私は白黒写真の現像ミスで金髪で映っていた写真を貼っていたのだが、隣の奴は、ウインドサーフィンに凝っていたらしいのだが、ヌードであぐら座りをし、オーラの漂う写真を貼っていた。(つづく)

・私がまだ物心ついていない頃、トイレが間に合わなくて、庭の木に立ち小便をしたところ、裏の家のファンキーばあちゃんと、ひとつ年上の男の子供が覗いていて、一言、「うお、でっけえ!!」と言ったらしい。そいつは、よっぽど小さかったのだろうが、種明かしをすれば、男性の一物というのは、海綿体に血液が溜まって大きくなる。トイレで気張ったり、トイレが近くなると、大きくなることもあるのだ。

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学問の王道はあるか? (その2:勉強論)

・『学問に王道なし』というが、講師の説明では、勉強にはテクニックが無いという説明であった。しかしながら、私は宅浪し、『勉強にもテクニックがあるな』と感じた次第を述べようと思う。浪人したのは、勉強しなかったから当たり前だが、当時は第二次ベビーブームで、都内の某私立単科大学を落ちた奴が、みんな東北の方へと行っていた。もっとひどい奴は、甲信越である。決して易しくはなかった。私が昨日のblogで、一週間単位の計画表を作ったのは、夏休み前のことだが、本気で勉強したくなったのだ。一日単位の計画表だと、すぐに挫折してしまうと思った私は、週単位にした。それを必ず守った。また、宅浪とはいえ、自分の実力を知るために、駿台の模試を受けていた。駿台に通っていた友人(今でも付き合いがある)に受付などを頼んでいたのだが、彼は嫌な顔ひとつしなかった。勉強の話をするのもなんなので、笑い話を提供した(もちろん、当時はお酒は入っていない)。彼にはものすごく感謝している。本題から外れたが、当時はボールペンとルーズリーフを使っていた。ボールペンを十本以上空にするのと、ルーズリーフを山積みにするのは、やりがいがあった。さて、要の勉強の本質論たる、『実は勉強には王道がある』と感じ始めたのは、真剣に勉強を始めてから(もちろん規則正しい生活も)、一ヶ月ぐらい経ってからのことであった。私は起きている時は食事などの時間以外は(日曜日を除いて)机に向かっていたのだが、後に読んだ、宮本武蔵の五輪の書の地の巻に似た様なことが書かれてあった。武蔵はそこで『拍子』という表現を使うのだが、今風に言えば、『リズム』の様なものが産まれてくると悟った。私は時間が10あったなら、7~8を基礎に費やしていた。すると、しっかり基礎固めが出来ている人は、リズムに乗ると、短時間で一気に伸びるのだ。何気なく書いたが、これはとても重要なことである。また、週に一日くらい休みの計画を入れる余裕も必要であろう。アナロジーを利用した面もあるが、高校生の私はそんな言葉も知らず、相似性と呼んでいた。これらの考え方が役に立ったのは、実は大学の後半以降に知り合った友達との間でのことであった。そいつらについて行くには、どんな面であれ、自分を磨き続けなければならなかった。彼らとこないだ飲んだ話は書いたが、今朝、友人の一人に、『騎士道と紳士道』について質問してみた。答えは、今度の集まりであろう。そんなこんなして、大学時代の友人でも、十五年後には、数が限られる様になってくる。鍋をつつき、言いたいことを言い、本音で語り合えた仲間だけが残った。学生時代の友人付き合いなんて、所詮、儚い。しかし、大切な絆もある。その為に、みんな毎日努力している・・・そういう友に出会ったら、決して逃してはいけない。どんな話にでもついてゆける様な将来を見つめるならば、受験勉強など、まだ、スタート地点に過ぎない。世界は広い。

・真剣に勉強に向かって、コツを覚えたら、実際の入試などで、苦手な問題が出ても、時間が無くなる程に、神が降臨した様に、頭の中に解法が絵に浮かんでくることがあった。そんなときは、時間が無いので、右手の書くスピードとの勝負になる。文武両道とはよく言ったもので、右腕をもっと鍛えておくのだったと、修羅場だけで後悔する。

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学問の王道はあるか? (その1:受験のテクニック)

・私が高三の時に通っていた、数学塾の講師がこう言った。「確かに学問に王道はないけれど、受験にはテクニックがある」と・・・その塾は大手予備校以上に情報が聞けた。親玉の先生は、父母会で、「医学部に入りたければ、言って下さい。金さえあれば、入れます・・・ただし、国家試験に受かるかどうかは保証できませんが」と言う様な女傑であった。情報以前に、コネのある人だったそうだ。実際金を払った話はきいたことがないが・・・講師の先生が言っていた受験のテクニックというのは、簡単な心理学で、まず、自分の志望する場所がある場合、逆転の発想で、まずそこに行った自分をイメージする→その為には、途中、こうであれねばならない自分を想像する→そして、今の自分が何をすればいいのかというイメージトレーニングが大前提であるが、私には明確な目標が無かった。また、実践的なものとして、国公立と私立とでの採点方法の違いを聞いた。国公立はセンター試験などで、足きりをやっているから、比較的、数学などでは途中点をくれやすいのに対し、私立では、短期間に多くの答案を捌かなければならぬので、採点官は、答えから観て行き、間違っている答案はほとんど相手にされないという話だった。また、「大問が仮に五つあるとするならば、最初から解いていく程、間抜けなこともない。解ける順番を決めて、対処するべし」とも聞いた。また、塾の親玉の先生が、「大学による受験日というのは、やさしい方から始まっているので、入学金は納めなくてもいいから、実力よりも下の大学から受け始め、ホップ、ステップ、ジャンプの要領で、勝ち癖を身につけるべし」という様なアドバイスを、頂いたそうだ。

・学問に王道なしと言うが、師匠が、「浪人しても春先から飛ばす奴は、馬鹿だ」と言ったという話を、父母会に参加した母から聞いたので、私個人は宅浪していたのだが、春先はのんびり本を読んでいた。夏休み前頃、焦りを感じ、じっくり二日掛けて、一週間単位の計画表を作った。その後も、日曜日は休みにしたが、後の時間は、食事などを除いて、勉強漬けになった。教えてくれる人もいないので、オームの法則の概念を知るため、二日二晩考え続けた。すると、三日目の昼頃、昼寝から覚めた時に、全てが解った。数学なども利用しながら、電磁気学は一週間で網羅した・・・こんな自分の頭の中で、自分なりの勉強のテクニックなるものが出てきたのだが、それは明日書く。私は『勉強に王道あり』派だ。

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ある友人へ・・・

・ (つづき)ビアガーデンで、TOTOに勤めている友人に、奥さんとのなれ初めを聞いた。そこには彼の人柄が溢れていた。また、もう一人の友人に聞いてみると、「実はシナリオライターのスクールに通っていて、知り合った。でも、今、お互いに夢破れてって所なんだよね・・・」と語ってくれた。私もシナリオに興味があったので、「ト書きとかは、俺の場合、すごく長くなっちゃうんだけれど、本来はどうなんだ?」と聞いてみた。すると、当たり前なようかも知れないが、彼は、「それも、書く人によって異なるから、一筋縄ではいかないんだよな」と教えてくれた・・・ビアホールに一時間強、滞在してから、「家路につくか」という感じになった。シナリオライター志望の友人が、私と帰りの電車が一緒だったので、自分の場合と照らし合わせながら、いろいろと話して帰った。私が、「俺なんか、よっぽどのことがない限り、ビール片手に書いているけど」と言ったら、彼は、「アルコールが入っちまうと眠くなるから、ノンアルコールビールを飲んでいるよ」と言ったので、頃合い良しと思った私は、「俺は、不遜ながら、毎日blogを書いているけど、君は最近はどうなんだい?」と切り出したら、彼は少しの沈黙の後、「最近は何の為に書いているのかが解らなくなった」と言ったので、何かアドバイスが出来たら良かったのに、情けなくも出来なかった。ある奴は、読んでくれる人の為、などと応えていたが、それでは返事にならないことくらい解りきっていた。結局、上手い答えが見つからないままに別れたのだが、この問題は、長い間、私の胸の内でくすぶっていた。そうして、私が見付けた答えは、漱石の『草枕』の頭にあった。それは、『美術や芸術という様なものは、この世知辛く、暗い世の中の人々を少しでも明るくするだけでも偉いことだ(筆者記憶)』また、それらは教養の母にもなるし、結局は、そういうものが文化史を作るのだと思う。それが、現在の私が彼に話せる言葉のひとつである。

・彼とは家も近いし、久々に飲みに行きたいなあ。

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決めポーズ

・とある友人の、三十半ばでの結婚式で、昔の大学時代の友人が三人いた。私は、結婚式とは、祝うと同時に、金が飛ぶものだと考えていた。だから、久々に同席した友人達の近況を聞くと共に、二次会をやらない様子だったので、「二次会、ビアホールにでもいかねえか?」と友人に声を掛けた。友人三人のうちの二人はOKだったのだが、もう一人には連れがいた。披露宴もお開きとなり、結局三人で飲みに行くことになった。ビールを飲みながら、時々喫煙所へ向かう私。落ち着いてからそれぞれの近況を語り合った。一人はTOTOに勤めていいたので、卒業時、「俺だったら、一生涯、便器の研究をする気にはなれねえなあ」と語った覚えがあったので、ここはフォローを入れねばならぬと思い、「うちの便器TOTOのシャワートイレ使っているんだけれど、タバコの吸い殻だけで流れる様になった。あれは革新的だ」と伝えると、彼は気が付いたかの様に、「ああ、軽い物が流れる様になったって事ね・・・だからって、便器に吸い殻棄ててたら詰まるぞ(笑)」と応えてくれた。もう一人の友人も、結婚しているのだが、数奇な運命を辿っていた。(つづく)

・その友人の結婚式の時、早い目に行った私は、トイレで偶然、新郎と会った。何しろ、彼曰く、「一世一代の晴れ舞台だから、髪もキメないと」と、言ってやたら髪をいじっていたので、私が、半分冗談で、「あのなあ、髪いじっても大して変わらねえよ・・・本当にめでたい会にしたいなら、娘さんくれた新婦のご家族の前でシャンとしろ。それ以外は、何も変わらねえ。それでも変えたいんなら、頭から水でも浴びろ」と、いささか厳しいことを言った。それから、私は、親族の方々に、お祝いの言葉を言って、挨拶した。

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大学教授の頭の中

・大学時代、勉強を始めたのは、大学三年の後期からであった。私が眼鏡を掛けてノートを摂っている様子が余程おかしかったのか、ある友人から、「お前、今まで、授業聞かずに試験を受けていたのか?」という質問が飛んだので、「当たり前だろう、全部、一夜漬けだった・・・でもな、大学で何を勉強したかを知るために、ノートを摂ることにした」と応えた。それらの授業のうちの、工作機械についての授業で、一番最初にプリントが配られ、それにチェックを入れながら、教授の言った事までノートに摂っていた。すると、飲み友達の一人が、「ノートを貸してくれ」と言うので、「次の授業までに返してくれよ」と安請け合いしたら、そいつが次の授業に現れず、仕方なく、友人からルーズリーフを何枚か貰った。そしてプリントを取りに行くと、教授が、「君、この授業は今日が初めてなのかい?」などと、皆の前でほざくので、私もカチンと来て(何処に目を付けてやがるんだという気合いで)「友人に貸したノートが帰ってこなかっただけです」と言って席に戻った・・・選択科目だったので、自筆ノートとプリントのみ持ち込み可ということになり、私のノートは5~6人に写されることとなった。試験前の時間のない時に、写すだけでも重労働だったと思うが、いざ試験を受けて結果を聞いてみると、私は珍しく『A』がきたのだが、同じノートを写した連中は、みんな単位を逃したらしかった。その話を聞いて、『やっぱり、ダテに大学教授張っているわけではないな』と思った。人数が少なかったこともあるが、受講した生徒の名前と顔は、認識されていた。

・碁打ち、藤沢秀行は生命力が溢れ過ぎているというか、書にしても天衣無縫である。なんでも、存命中に宮島の厳島神社に書が奉納されていたということは、秀校先生と平家の間に、何らかのつながりがあるのかと考えざるを得なかった。

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三次元テトリス

・私は昔、遊び飽きた積み木をボンドでくっつけ、ハンバーガーを作っているつもりになって、積み木をおじゃんにしたことがある。私としては、物心着く前から遊んでいたものなので、愛着はあったが、既に遊び飽きた物だったので、さほど未練はなかったが、それを知った母が、嘆くこと、嘆くこと・・・それから十数年程が経ち、数学塾に通っていた頃、黒板に、XYZ軸を書いて、二次元平面に立体図形を書いて解くようになったのだが、クラスの中の女の子一人が、それが全くイメージできないと言っていた。もともと、出来る奴ではなかったのだが、私はぼんやりと、『可哀想な奴だな』とぐらいに受け止めていたが、これには塾の先生方も困り果て、結局、結論として出したのは、幼い頃に積み木遊びなどで、子供は空間認識をするから、高校生にもなると、手の施しようがない様子であった。その娘は、立体図形が出ると、お手上げなのだった・・・その話を大学時代の数理科の友人に話すと、「そいつ、自分の住んでいる空間の位置認識も出来ない女やな」と言ったので、私も、「掃除が下手とみた」と、返した。

・高校生の頃、『テトリス』が流行った時、文系の友人とゲームセンターに行ってみると、鳥瞰図のような格好をした、三次元テトリスなる物があった。彼がそれにいくらチャレンジしても、一度もクリアできないので、見かねた私が百円玉を渡し、「ちょっとやらせてくれないか?」と言ってやり出したら、止まらなくなった。人気のないゲームだったので、ハイスコアを出したら、その文系の友人が、「やっぱり、文系の奴と理系の奴は違うな・・・」と、悔しそうに言ったので、理系、文系で区切るのが嫌いな私は、「理系も文系も関係あるか。人間、肝心なのはバランスだ」といった覚えがある。

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夏の集い2012 (その6)

・「お前、あの約束の日から、毎日blog書いているのか」と言われたので、「手を抜きながらな」と言ったら、「偉い」と言われたので、「もう、ネタが尽きてるよ・・・ところで、blog書いた後にみんなのページ観てるんだけど、お前の会社が日系ファンドでも、投機会社じゃあなくて、投資して、社会に経済の血液たる金を回していることに気が付いたよ」と話していたら、誰かが、「投資と投機、投機は問題だな」と言ったので、私は、「でもそのおかげで、ガソリンが安くなっているよな」と言うと、「確かに」という返事が来た。続けて私が、「今年のアメリカの大豆やトウモロコシが不作だから、そっちに金が廻ってくれたおかげだな」と言いトイレに立った。戻ってきて、博識の友人に、「かつて、東アジアや南米で通貨危機を起こした連中が投機に手を出しているんだろ」と聞いたら、「そうだ」と言っていた。

・今回も夏の集いの幹事を引き受けて、日程表を送ったのだが、リプライの早い人を優先、という前提は守った。そうしなければ、友達を選ぶことになり、筋が通らない。しかしながら、ゴルフの上手い友人が、たった二十分差で、日程が合わず、犠牲になってしまった。そんなある日、その会に後から参加した友人が、自発的に、私宛にだけのメールで、辞退してもいいというニュアンスのメールを送ってくれたので、余計に気合いが入り、『そいつは絶対に外してはならない』という炎が燃え上がった。結果、来られなかった友人と話をし、「涼しくなってきた頃に、また、『Katsu』の店長と三人でゴルフに行こう」と笑って誘ってくれたので、それにも恩に感じた。やりがいがあるが、幹事というのは、いつも、苦労する。友の支えに助けられてばっかりだ。

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夏の集い2012 (その5)

・ここに来て肝心なことを書き落としていることに気が付いた。それは、『Katsu』の味と酒である。涼やかな料理から始まったのだが、どれも、美味しかった。トマトの料理なぞは、上手い上に、涼感たっぷりだった。それから、新年会に参加できなかった友人が、『田酒の斗瓶取り飲みたい!!!』とメールに書いてあったが、この時期には田酒を入手することが不可能なそうだ。私は埼玉中を駆け回っている店長を想像しただけで楽しかったが、いろいろと為になることも教えてくれた。まず、高級な日本酒のほぼ全てが、『山田錦』という品種の稲から出来るということを知った。店長の店の田酒は青森から取り寄せ、相当プレミアムなお酒であるとのこと。秋口のこの時期には、どうしても手に入らないので、別の路線の日本酒がテーブルに上がった。みんな、「田酒より辛口だけれど、旨いな」などと言って、ラベルを携帯で撮っていた。私も舌鼓を打ちながら、「田酒の瓶より黒い瓶を使っているのは、日光対策なの?」と聞いてみたが、「よく解らない」という返事が返ってきた。「多分そうだろう」と言っているうちに、一升瓶は空になっていた。その後、議論があった中、デザートとして、チーズケーキが出てきたのだが、これも、店長に言わせれば、「ニュージーランド産のいいチーズがあったんだけれど、使えなくなっちゃて、アメリカ産のチーズなのが悔しいんだよな」と言っていたが、みんな、「おいしいよ」と言って一瞬で食べていた。私が、「日本のチーズケーキには、チーズのくさみがあるから、それを嫌う人も多い。これだったらいけるよ。チーズケーキにホイップクリームを横付けしてあるのも新鮮だ」と話した。店長は毎日、新メニューを考えているな、と感じた。

・博識の友人からもらったメールでの「「孤独に歩め・・・」という本を読んだんだけれど、いつ頃、読んだんだ?」と聞くと、「二十代前半かな」という返事が返ってきた。私が、「そのモチベーションは?」と聞くと、「人生で難破しないために読んだ」と言っていたが、「でも、女を抱いて上手く凌いで行く方が、自然でいいかもな」とジョークを飛ばしたので、笑ったが、彼が、常に向上を続ける姿勢には感心させられる。

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夏の集い2012 (その4)

・話は多少前後するが、私が席替えした隣には、一年半ぶりの友人がおり、その間、娘さんが生まれたという友人の近況を聞くためであった。双子だったのだが、男の子は流産してしまい、奥さんのことを主に聞き、「大丈夫だ」と言うので、かなり安心した。彼の人間観、というか、生死の哲学観を聞き、私が少し仏教観を話した。すると、もう一方に座っていた友人が、「お前の親父さんて、確か、原発関連のエンジニアだったよな」と面倒なことを聞いて来た。相手にしないことも出来たが、それだとみんな逆に怪しむな、と感じた私は、父がメーカーで原発関連の仕事(配管)をやっていたことを認め、素直に質問に応えた。早めに切り上げたかったのだが、しつこく聞いてくるので、ハッキリと答えざるを得なかった。やましいことは何一つないのだが、あまりにしつこいので、父の仕事哲学やら何やらを話し、私の意見として、「鉄砲を撃った場合、その責任は、鉄砲を撃ちたくて鉄砲を撃った奴にあるのか、もしくはそのために鉄砲を作らされた鍛冶屋にあるのかは明白だろ」と言って切り上げた。この間、場がしばらく凍ったので、私から、席替え前に隣にいた博識の友人に、「見合いで結婚したのは君だけだから聞くけど、相手(今の奥さん)の何処に興味が行ったんだい?」と聞くと、彼は、「そうだな・・・こいつとだったらケンカしなくて済みそうだなってところだな」と応えてくれたので、私が、「そうだな。ケンカはしない方がおかしいけれど、次の日の朝に、おはよう、で何も無かったことにするのが大切なんだよな・・・お袋との二人暮らしでもそれを感じるよ」と話し、二度目のトイレに行った。

・私の親父は、八年間の闘病の末、齢六十四でがんで死んだ。職業病だと思っている。親父を誇りに感じなかったことは一度もない。

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夏の集い2012 (その3)

・前回から参加し始めた友人は、初対面の友人が二人おり、丁度彼らの間に座る形となった。パワーのある奴なので、どんどん話を切り出していた。私は、隣の博識の友人に色々と物事を聞いていたが、突然、「ロースクールに通っていた頃、十歳ぐらい年下の連中と一緒になったんだけれど、あいつら、みんな、草食系なんだよな。女の子が自分の部屋に遊びに来ても、何もせずに返しちゃうんだよな」と聞こえたので、私がすかさず、「近所の目もあるし、好きなら、ヤらなきゃおかしいな」などと返した。友人はみんな真面目だと思っていたので、彼のためにフォローを飛ばしたつもりだったが、案外みんなもそういうネタも好きらしく、それはそれで盛り上がった。私はトイレに行き、座敷特有の、席替えで、逆サイドに移った。話題は続いていたが、私の隣の友人は、「付き合っている女の場合、来る度にやっていたら、面倒だろ」と言っていた。そこで、フォローも含めて、「いや、あいつの言っていることは、種の保存という意味で本質を突いている」と言ったら、別の友人が、「それだったら、ゴキブリの方が優れているって事になるんじゃないのか?」と反論し、議論は江戸時代の話になった。江戸時代では、夜這いが認められ、祭りといったら乱交だったんだよな、などという話になり、吉原で最上級の女郎を抱くには、今の金で、一晩一億円が必要だった、などという話になったので、思わず、「それじゃあ、藩の金を使い込むしかないじゃあねえか」と言ったら、「そうなんだよ」という話になり、高級遊郭に於ける情報戦の歴史学、みたいな話になった。半分ふざけて、半分真面目なところが面白い。

・吉原の話になると、タケちゃんマンの歌が、脳の中をリフレインした。

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夏の集い2012 (その2)

・夏の会では、夏を意識した料理がメインだった。それをつまみながら、私が、五月にゴルフをラウンドした際に折れた二本の肋骨の話を『Katsu』の店長が面白おかしく話してくれた。みんな爆笑していたが、その時に破損した眼鏡を掛けて行っていたので、レンズに僅かに残った傷跡を披露して、隣の友人と夢中で話しているうちに、店長が密かに当時の破損状況を語りながらみんなに廻していたことに気が付かなかった。話してて、気が付いたら眼鏡を渡されたので、ひょいと覗いてみたら、度がきつく、「俺の眼鏡より、きついなあ」などと話していたら、また爆笑が起こり、「それはお前の眼鏡だよ」と言われてしまい、間抜けな姿をさらしてしまった。すると、私より目の悪い友人が、「レーザーで治療してもらったらどうだ?俺も今度やるつもりだけれど」とフォローを入れてくれたので、私が、「それって、保険効くのか?」と聞いたら、「効かないけれど、昔よりは安くなってるよ、十万ぐらいかな」と応えてくれたのだが、私が、「目が悪いことに慣れると、常に目がいい状態って、リアルすぎて疲れそうだな・・・」と言うと、「視力が0.01以下になると、身体障害者ってことになるんだよ」と教えてくれたので、ビックリした・・・博識の友人とは、「肋骨を折って、肩の筋も痛めたら、なかなか運動も出来ないで、暑いのでスポーツドリンクばかりを(時には焼酎を割って)飲んでいたら、二ヶ月で急激に太ったんだよね」という話をしたら、「それは、かなりハイカロリーだぞ」と言われたので、「こないだ、温泉ランドに行って、サウナに三回入っただけで2.5Kg落ちたから、水太りだとは思うんだけど」と言うと、「う~ん」と言っていたが、本日、お疲れ様メールで、お子さんに写真を見せた所、驚いていた、とあったので、痩せに行こうと決心した次第である。

・博識の友人によると、水道水だけを採っていてはいけないそうである。ミネラル(カリウムや塩分など)が欠けているからだそうだ。勉強になる。

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夏の集い2012 (その1)

・午後1:18分のバスに乗ったら、17:00集合なのに、16:00時前に着いてしまった。店長と二人で話していたのだが、店長の友人も一寝入りしようと思っていた所だったので、これなら、折角、草加まで行ったのだし、煎餅でも探しに行った方が良かったか、とも思った。何はともあれ、店長も相手をしてくれ、スマートフォンなるものの凄さを知った。調べたいことがあると、声を認識して、表示されるのには驚いた。後にメカに強い友人に聞いてみると、辞書ソフトが充実しているからだと知った。しかしその友人はFOMAを使っていたので、「何で、スマートフォンに変えないんだ?」と聞いたら、「バッテリーが今の五倍ぐらいの耐久力になったら、買ってもいいけれど、i-padがあるから、今はそれで事足りる」と言っていた。集合時間の三分前になっても、誰もやって来なかったので、「最初の一人がやって来たら、始めちまおう」ということにしていたのだが、十分後には、みんなが一気に集合した。みんなビールから始まり、乾杯が終わると、料理も出てきて、ワイワイとなり出した。普段から知っている友人の会社などのHPを毎日チェックしている私は、そこから切り出した。『Katsu』の店長も、いろんなアイデアを披露していた。それが一段落付くと、こないだ友人から質問された、「シンクロニシティ(共時性)を意図的に起こすことは可能か?」という質問をぶつけた。私の意見は、前にも書いた通り、次元を意図的に上げるか、時間軸上での知り合いの過去を積分し、現時点での断点で微分して、方向性を探るか、などと話していたのだが、博識の友人も、少し考えて、「意図的に起こすのは難しいだろうな」と言っていた。そう言われると、私も具体的なイメージが湧きにくかった。宇宙の神秘の原点でもあるからだ。

・去年結婚した友人の奥さんがおめでただとか、不妊治療をしていた友人に、娘さんが産まれただとか、おめでたい話が多かった。

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半年ぶりの友との再会

・明日、友と合える。中には一年ぶりの奴もいる。それを考えると嬉しさがこみ上げてくるのだが、何を喋ろうかは、まだ考えてはいない。予算は壱万円だが、それ以上のもてなしをしてくれる。明日の昼飯は抜きで、草加の『Katsu』にGoだ。ただ、今日程暑くてはたまらないなと考えていたが、一転、明日は豪雨と雷注意報が出ている。片道二時間半はかかるので、傘は持って行きたくはない。バスと電車で行くと、乗り換えが片道で四回あるので早い目に行く。日程が合わず、涙を呑んでくれた友人の分まで語り合おうと思っている。そして、報告せねば・・・一番の話題は、齢四十にして子供を授かった友人の話であろう。一見、ドライな奴だが、ハートは熱いので、色々と聞いてみたいものだ。ダッドになってみた感想とかを。うちの会は、来る者拒まず、去る者追わずなので、店の座敷は一杯になって来つつある。同じ大学の、男ばかりの語り合いだから、楽しくもあるのであろう。それに、座敷だと移動がしやすいのもいいことだ。私は、みんなに顔が通っていない友人を真ん中に置くことが出来る・・・って、今、『Katsu』の店長から電話が鳴って、最終確認をした。予定通りに行けば、のべで七人集まることになっている。一年ぶりの友人が二人いる。胸が躍る。今回は、食べてばかりでないで、深い話が出来ることを期待している。私は、参加できなかった友人からの電話での、『シンクロニシティ(共時性)』から振ってみて、理論的な話を終えた後に、今の奥さんとのなれ初めで、そういうことが在ったか聞いてみようと思っている。たのしみだ。

・今集まる連中は、みんな違うことをやっているから面白い。

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マスメディアの責任問題

・今も昔も、世論をアジって記事を作り出すのがマスメディアである。極端な話、我が国が敗戦国となった原因のの一部は、行き過ぎた報道合戦と言っても過言ではない。だからこそ、おかしな新聞記者がいてもいけないし、おかしなニュースキャスターがいても困る。あくまでもフェアな良識を持って、偏らずに物事を伝えてもらわねばならない。以前、我が家では、ある新聞を取っていたが、いかにも、お高くとまった記事が多いのには、普段から腹が立っていた。特に、一面の、あるコラムでは、よっぽど頭がおかしい奴が書いていることに気が付き、夕刊を取るのを止めようかと思った。普段から我慢して読む様な物は、新聞ではないと思うのだが、新聞を取らない訳にもいかないので、仕方なく読んでいた。そんなある時、私をブチ切らさせる程の記事が載っていた。それは、イラク戦争中に独りでイラクに渡り、殺された男についての記事だった。朝刊の一面のコラム欄では、哀悼の意が述べられているのに対し、国際面では、その、殺された日本人が、バスに乗り、同乗したイラク人達に散々迷惑を掛けたという話が載っていた。電話を取り、オペレーターの姉ちゃんは、一秒で苦情センターに廻した。男が出てきたので、私が上記したことを指摘すると、そいつは、黙り込みを決めだした。私は余計に腹が立って、「軍隊が行っても危険な所に、一人で勝手に行ったんなら、死ぬことぐらい覚悟位出来ていただろうが、何が哀悼の意だよ!!しかも、お前んとこの新聞作りそのものが矛盾しているし、普段からウソばっかり書いているからこういうことになるんだよ。せいぜい、正義の味方みたいな調子で書いてやがれ、おまえんとこは、一面と国際面で正反対のことを書いているのだから、それこそ、裏表があるって事だ!!」と行って電話を切った。

・それまで取っていた新聞の傍若無人ぶりに、嫌気が差し、新聞を変えた。

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シンクロニシティの結論

・今日の夕刻、友人からメールがあり、『シンクロニシティ(共時性)』について聞かれた。十年前に結論は出ている、とメールすると、結論を教えてくれ、という流れになった。私は簡単に、我々の住む時空間よりも上の次元からの射影と応え、高次元で連続な事が下の次元では不連続に映ると書き、これを微積分とか運命論に結びつけたら面白いよ、と返した。続けて、『宇宙は7次元だ』とかいう説が、昔、流れたけれど、お釈迦様の手の平の上の孫悟空状態だと思って相手にしなかったことを言い、きりがあっては困るんだと言う意見で一致した。彼が言うには、最近、意図せずシンクロ二シティが起きることがよくあって、それを意図的に起こす方法を模索しているとのことだった。私は、「それは、シンクロと言うよりも、万有引力の法則に近いんじゃあねえか、人間力学的な・・・」というと彼は笑っていた。私がシンクロニシティについて一定の考察をしたのは、運命論と宿命論について考えた時であった。何故、自分の父と母はこの人で、地球上に七十億の人がいるのに、縁のある人といない人がいるのだろう?という疑問が原点だった。結果、我々の住んでいる時空間では不連続なものが、上の次元では連続なのであろうということに帰着した。それが『縁』である。宿命でもある。しかし、運命というのは、心がけ次第で変えられるというのが私の持論である。我々は、時間軸があるならば、『今』は断点であり、それを過去に積分して行くと、『歴史』が出来る。問題はその流れを微分して、少し先を読むことにあると思う。宗教的に言うならば、高次元が、より、いろんな意味で『密』ならば、シフトチェンジする様に、自分なりの次元を拡張することだ、と言った。

・今度の土曜日の飲み会のために、確認のメールを送った所、参加の全員から三時間以内に返事が来た。情報が光速で飛んでいたのには驚いた。

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父の四周忌と水太りとサウナとゴルフ

・父が他界してから、今日で四年になる。三周忌を終えた頃から、父のことをごちゃごちゃ考えなくなった。不思議なもので、何か、喪が明けた気がしたのである。震災など様々な事もあったが、いかに、私が父に甘えていたのかを痛感する。現在、母との二人暮らしで、私がしっかりしなければならないと、自覚している。そんな中で、ミニ・ダックスの弥吉くんは、最近、夏バテ気味だが、母と私の心のオアシスの様な所がある。近くには弟の家族が住んでいて、こないだ遊びに来た。『独りだけではない』という感覚が、どれほど励みになることか!!最近になって、やっとそれに気が付いた・・・これから、母と墓参りに行こうかと思う。賑やかな所に買ったお墓だが、父も独りでは寂しかろう。だからって、手招きはしなくていいからね(笑)。

・気温が上がり、二ヶ月ぐらいスポーツドリンクを飲んでいたら、水太りしてしまった。次の土曜日には、大学時代の友人達とも会う予定だし、これではゴルフができん、と考えた私は、サウナ通いを始めることにした。昨日、行ってきたのだが、お盆という事もあって、異常に混んでいた。久しぶりのサウナだったが、汗がダラダラと出てきた。久しぶりだったので、計三回しか入っていないのだが、2.5Kg程落ちた。今日は墓参りだから行かないにしても、明日、もう一度行こうかと思う・・・というか、しばらく通い詰めようと思っている。最初は水太りしだしていたことに気付かず、階段登るのしんどいなあ、位だったのだが、歩くパワーまで落ちていたので、ダンベルを使って毎日、足の筋トレをやっている。私は筋トレが大嫌いなのだが、好きなゴルフのためなら、喜んでするから不思議だ。体調が整ったら、ゴルフの練習も始める予定だ。

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理性と本能と

・大学一年の冬、期末テストも近い時、私は、ある女の事で本能に打ち負かされ参っていた。ノイローゼというのは、思考プログラムが無限ルーチンに入って終わらない様に、能が異常に働き、突然、眠気に襲われるものなのである。私は、その時は、その女の事が好きだったが、その女の事は考えたくもないという矛盾に悩まされていた。よって、何か他のことに集中しようと、友人の中で一番ビリヤードが上手い奴を誘って、学生街に向かった。もちろん勝つつもりである。ナインボールを昼から始め出したら、結構いい勝負になり、一進一退の攻防が続き、私は夢中になってやっていた。いい加減やっても、決着が付かないので、先に20ゲーム取った方が勝ちにしようという事になった。当然ニギっていたのだが、結局終わった時には、外は暗くなっていたのだが、私が20対18で辛くも勝った。自販機でジュースを二本買い、相手に、「お疲れ様」と言って、一本渡し、一緒に飲んだ。彼は、「次は必ず取り返すけん、ええよ」と言っていたが、私は、「俺にとっては最高の気分転換になったから、ありがとうな。余計なことを考えずに済んだので、助かった」と言うと、彼は意外そうな顔をしていたが、私の心中を汲んでくれた。そして、「いつでも挑戦は受ける」と言って、笑って別れた・・・結局、後期試験は、独語以外は、全部0点だった。それでも留年しなくて済んだのは、前期試験の貯金のおかげである。結局、意中の女には、大学二年と三年と、二度アタックしたがフラれた。野球で言えば2打数0安打である。

・後にも先にも、ナインボールを一日に38ゲームもやったのは、これが最初で最後である。

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異国でのカレーの味

・アメリカ、ユタ州の州都、ソルトレイクシティで知り合った世界一周している青年と暫く行動を共にしたのだが、彼が、「カレー食いてえ」と言ったので、私が、「じゃあ、作ってみるか」と応え、近くの巨大スーパーに買い出しに行った。余りにも広かったので、捜すのに苦労したが、目ざとくビールを見付けた私はカゴに入れ、「これは俺の責任払いな」と言って他の物を捜した。肉、野菜、カレー粉と見付けたまでは良かったが、どうしても、米が余りすぎてしまうので、余ったらユースに寄付しようというノリで、全部買ってしまった。夕方、ユースの共同キッチンで、ルーを作り、米を鍋で炊くことになった。一人あたり二、三食は食うだろうと、五合くらい炊いてみることにした。問題は水加減だったが、相方が「任せてくれ」と言うので、一任した。指で測っていたが、米は見事に炊けていた。二人でにんまり笑い、大皿に盛って、ガツガツ食べた。五合の米なんぞあっという間になくなった。ユースのマナーとして、使った食器類はきれいに洗い、元通りにしておいた。二人して、「あのカレー旨かったなあ」などと話しながらビールを飲み、眠りに就いた。翌日、私も彼も、コロラドに向かい、州都のデンバー滞在中の何日目かに、握手をして別れた。

・ソルトレイクのユースの応接間で、二人してビールを飲んでいると、アメリカ人のおっちゃんから、「あの張り紙が見えないのか!!」と怒鳴られ、観てみると英語で『ドラッグ禁止、アルコール禁止』と書かれていたので、ビックリした。ドラッグとアルコールが同じ位置づけなのがよく解らなかった。その後、二人して外のベンチで飲んだのだが、彼が、「偉いカルチャーショック受けたわ」と言ったので、私も、「同感だ。まあ、禁酒法の歴史もあるしな・・・」と言い、続けて、「それならそれで、スーパーに置いとくんじゃねえよ、紛わしいじゃねえか」と言って、二人して、いろんな話を語り合った夜だった。

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人間でないクズは死ね

・私が通っていた高校は、改札を通ってから、線路をまたぐ橋を渡って通うのであった。その橋の下に、浮浪者のおっちゃんがいたことは、知ってはいたが、『冬は寒いやろうな』などと思いながら、見て見ぬ振りをしていた。みんなそうだった筈だった。ある日のこと、その浮浪者のおっちゃんが、学校に乗り込んできて、「お前の学校の生徒に石をぶつけられた」との苦情を言いに来た。学校側は詫びを入れ、二度とそんな事が無い様にすることを約束した。その事件を、私は朝一番のホームルームの時間に聞かされたのだが、教師は名前こそ挙げなかったものの、厳重注意をしていたので、私の学年の生徒だと判った。そうして、しばらくすると、体育教師から名前を馬鹿にされたり、美術教師から、「お前家庭内暴力しているだろ」などと言われる生徒がいたので、犯人が誰かは、生徒間でも、おおよそ見当が付いていた。そいつは男のくせに、いっつも同じ奴と一緒にトイレに行く奴で、誰かが、「あいつらホモだろ」と言ったので、みんな爆笑していた。そいつの事は、小学校の塾時代から、強烈にワガママな奴だったので、私はあまり関わりを持たなかったが、その、そいつが高校の時に浮浪者のおっちゃんに石を投げた事件は、みんな、学校の恥として受け留め、許しがたく、そのホモ友達以外の誰からも、相手にされない様になった。浮浪者のおっちゃんに、石を投げるなどという、人間でないクズは死んだ方がマシだとさえ思った。

・『武士道』にもあるが、強い者が無抵抗な弱き者をいじめることなど論外である。因果応報という事を考えれば、今頃、そいつにもバチがあたっているのではないのかと考える。

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八丈島のおっちゃん

・最近入院しても、病院内に喫煙室がない所ばかりだ。喫煙者としては、時折、病院の外に出て吸いたくなるものである。現に私が、blogを始める前に、痔で一週間程入院したことがあるが、外でタバコを吸うと、クラクラとする状態になりながらも、一日三回は、外に出て吸っていた。その病院は個人病院なので、外で喫煙する奴が多すぎる、との苦情が絶えず、看護師さんたちも病院内で靴を持って歩いていると、必ず注意していた。そんな中、私が病院の売店から病室に戻る時の廊下で、靴をビニール袋に入れて注意されているおっちゃんがいたので、看護師が去った後で、そのおっちゃんの病室へ行き、私が、「おっちゃん、靴を持ち歩くのにビニール袋じゃ駄目だよ。紙袋にするんだよ紙袋に・・・そしたら、中が見えないでしょ」と言ったら、おっちゃんは、「それもそうだな」と、いい顔で笑っていた。おっちゃんとは仲良くなり、八丈島から来たことを知ったので、おっちゃんに、「八丈島の見所とかおいしいものとか何かありますか?」と聞いたら、おっちゃんは、「いや~今、何も無いんだよなあ」と言うので、私が、「釣りとかはどうですか?」と聞くと、「いやあ、黒潮が蛇行しちまって、ロクなもんがつれないんだよなあ」と言っておられた。退院の日に挨拶したが、頑張れ八丈島!!

・痔の手術をした日には、一日二度だけ麻酔が打てたのだが、私の場合、熟睡していたら一本目の麻酔が切れたらしく、ケツの中にタバスコを入れられた様な激烈な痛みで一気に目が覚め、『深夜に申し訳ないな』と思いつつ、痛みに耐えかねて、ナースコールノボタンを押した。すると、看護師がすぐにやってきて、二本目の麻酔を打ってくれた。礼を言い、麻酔が効き出した頃には寝ていた。その後の痛み止めは、一般的な鎮痛剤のロキソニンだったが、本当にきつかったのは初日だけだった。

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アフターケア

・高校の夏、仲良くしていた仲間から旅行に誘われ、快諾した。男ばっかりで、六人ぐらいで行ったのだが、その時の夜の酒の席が面白かった。ビールに始まり、いろいろな話をしながら飲んでいたのだが、飲む酒が段々強くなってくると、それぞれの本性が現れだしたのである。ある奴は、畳をドンドン叩きだしたので、私が、「おい、やめとけ。他の部屋から苦情が来たら面倒だぞ」と言ったら、普段おとなしいそいつが、「うるせ~んだよ馬鹿野郎!!こんな民宿に他の客が泊まっているわけねえだろ!!」と喚き散らし、Sっ気丸出しの奴もいた。まもなくそいついは潰れてしまったが。私は飲み慣れていたので、グビグビやっていたのだが、飲み慣れていない友人達からは、私ともう一人が酒に強い、と言ってくれたが、タバコの方は覚え立てで、胸に入れて吸ったらむせたので、みんな笑っていた。丁度ウイスキーのボトルが開いた頃、ストレートで飲んでいたのだが、私の正面に座っていた友人が、突然ダッシュして窓を開け、そこから花道を飾った。いつ頃眠ったのかはよく覚えていないのだが、たしか、布団を弾くのが面倒になって、ザコ寝をした覚えがある・・・翌朝、目覚めると、昨晩窓からリバースした友人の姿が見えなかったので、便所にでも行ったのかと思ったら、まだ寝ている友人もいる中、そいつが戻ってきた。「どうしたんだ?」と聞くと、「庭の水道で全部流してきた」と言ったので、証拠隠滅かと言って、みんなケタケタと笑った。『逞しい奴だな』と思った。

・大型船などで、やたらリベリア船籍だとかパナマ船籍だとかが多いのは、これらの国は、船に課税しない為である。

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「寒いから窓を閉めてくれたまえ」

・かの、アイザック・ニュートンはケンブリッジ時代に、光が波か粒子かで大論争をし、相当、嫌な思いをしたらしい。ニュートンがどっちの説をとったかは、よくは覚えていないが、学生達の前で、プリズムを二個取り出し、太陽光線が一つ目のプリズムで七色に別れた後、もう一つのプリズムを近づけて、再び光線になることを示して、自説を証明したらしい。ニュートンが考え事をしている時に、ゆで卵を作ろうとして、懐中時計を似てしまったことは、余りにも有名な話だが、それだけ集中力があったという事であろう。その後も研究を続け、万有引力の法則を発見していたのだが、現代でも解っていない光の二面性の論争でくたびれたニュートンは、その発見を黙っていた。すると、あのハレー彗星で有名なハレーが、ニュートンの肩を押し、『プリンキピア』というニュートン力学の基礎についての本を刊行したら、大評判となり、ベストセラーになったらしい。その功績はイギリス王室にも認められ、、その功績によって王室から、Sir(サー)かKnight(ナイト)の称号を与えられ、貴族議員になるという名誉を授かったそうだ。ただ、ニュートンは政治には関心がなかったらしく、議員の間に発言した言葉は一度きりで、それも、「寒いから窓を閉めてくれたまえ」の一言だけだったらしい。

・私が小学校の頃、ニュートンの伝記を読んで言ったのは、「ニュートンて、いったい、いくつのンオーベル賞をもらったの?」と父に聞いた所、父は、「お前アホか、ニュートンの方がノーベルよりもずっと昔の人やないか」と一笑された。小学校一年の時の話である。

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大化の改新について

・中大兄皇子と藤原鎌足が、俗に言う、大化の改新を持って、それまでの大臣達の不正をただしたと、私は初めて歴史マンガを読んだ時には書かれていたので、それが正しいと、ずっと思っていたが、あれは暗殺というクーデターだという印象が強くなっていった。武力でもって政権を無理矢理に奪ったことは事実である。前にも書いたが、歴史は勝者が作るものである。蘇我馬子や蘇我入鹿、蘇我蝦夷が成敗されたのだが、もしかしたら、彼らは良い政治を行っていたのかも知れないのである。大化の改新が作られた話っぽいのは、討ち取られた蘇我氏のそれぞれの名が、当時の最大権力者にもかかわらず、それぞれの名前が、余りにも野蛮で下劣な名前になっているのである。これはどう考えてもおかしい。後から付けられたのであろう・・・当時、氏姓制度の行き過ぎもあったであろうが、実際にクーデターを起こして権力の座に着いた、天智天皇(中大兄皇子)も、百人一首の一枚目に出てくるだけで、良政を行ったとは限らない。その後も権力闘争は続き、弟の天武天皇との壬申の乱で敗れ、追い落とされることとなった。一番おいしい思いをしたのは藤原氏である。それから数百年、藤原摂関政治の時代が始まる・・・うちの親父が言っていたことが、「どんなに裕福な家でも、三代以上続いたという話は聞いたことが無い。あるとすれば、藤原家ぐらいなもんや、日本では」と言っていた。

・『あえて子孫が為に美田を残さず』という言葉があるが私の父は、それを地で行く人だった。野っぱらしか残してくれなかった。要するに、自分で耕せということだろう。

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有意義とは?

・中二の時の自習の時間、余りにも我々が騒ぎすぎたが為に、担当の教師が、黒板に『有意義』と書き、私に、「これがどういう意味か解るか?」と聞いて来たので、私が即座に、「意義があるということです」と答えたら、その教師は、しばらく何も言えなかったが、こう問い直してきた。「君は有意義に時間を使っているのかね?」と。私は、ちょっと考えて、「コミュニケーションを通じて、友人を増やし、交流を深めるということに意義があると思います。みんながそうすれば、いじめ問題なども減りますし、その効果を考えれば、多少、やかましくなるなるのはやむを得ないと存じます」と答えたら、その先生は、私の事を、「ああ言えばこう言う。こう言えばああ言う奴だな」と言って、あきれた顔をしていた。

・やっさんがハワイかどこかに行くのに、飛行機のファーストクラスに初めて乗ったらしい。やっさんは、イラちだから、国際線に乗っている時間の長さにイライラし出したらしい。それで、スチュワーデスを呼んで、「ワイは、ファーストクラスやから、早く着くんやろ?と尋ねた所スチュワーデスが、「お客様、到着する時間は同じです。その際、飛行機から降りて頂く順番はファーストクラスの方からとなっております。また、飛行中のサービスを良いものにさせて頂いております」と説明した所、やっさんがブチ切れ、「せやたら、何で、ワイ、ファーストクラスに乗らなあかんねん!!」とあたったそうだ。どう考えてもやっさんが悪いのだと思うのだが。

・ジミヘンはボブ・デュランの歌詞を、「これは、バイブルだ」と言ったそうだ。

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現在の恋愛観

・男として、異性の眼を気にしなくなったら、それはもう、老けたということだろう。一方で、学生時代、『いい女はいないか』と目を光らせている友人もいた。私は、それが嫌で嫌で仕方が無かった。それから、特別なことでも無い限り、無理して可愛い女性を捜す真似は、街ではしなくなった(というかいなくなった)。ある友人は、「興味を持った娘でも、最低半年は観察する」と言っていたが同感だ。大学時代に女の子と話せなかった私は、何度か飲み会にも行ったこともある。結果、そのコンプレックスは払拭されたが、そういう関係では、一度も付き合った事はない。私はできるだけ合理的に考えるが、本能にとことん打ちのめされた上での話だ。だから、あるページで占ってみた所、『溢れんばかりの性欲』と一項目に出てきたが、理性でカバーできる。男らしくない真似もしたくない。だから、昔の事は振り返らない。その時、その時で、自分で決断してきたのだから、たとえどんなことがあっても後悔しない・・・私が星を観るのが好きなのは、憧憬もあってだろう。でも、あくまでも好きだから、一番輝いている星を観るのだ・・・若い頃に比べて、胸が焼き付く様な恋をしなくなった代わりに、女性の良さとは何かと求め続けた結果、色に走ることを止め、思いやりがある性格美人が好きになった。もちろん私もそうありたいと思うし、私には十年以上、胸から離れない女性がいる。その女性も悩みながら成長していると考える。自分もまだまだ精進しなければ。

・ツイッターは、文章が崩れるから読むだけにしていた。いじり方を放って置いたら、使い方が解らなくなってしまった。済まない。

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好きな洋楽を答えなさい

・英会話スクールに通っていた頃、フィリピン系のアメリカ人のアンジーという、おばさんの講師がいた。ある時、アンジーが、「あなたの好きな洋楽はなんなの?」と順番に聞いていたのだが、みんな、『何言ってやがんだ、こいつ?』みたいな感じでうまいこと答えられていなかった。アンジーも手を焼いていたが、私も、『入る英会話スクール間違えたかな?』という程レベルが低かった。私の番が回ってきたのだが、考えるのも面倒だったので、「俺の好きな曲は、ストーンズのアンジーだ」と、半ばウケ狙いで言ったら、教室がドッと湧いた。アンジーは軽く下唇を噛みながら、「真面目に答えなさい」と言ったので、「一杯ありすぎて困る」と応えたら、「では、今聴いている曲のお気に入りはなんなの?」と聞いて来た。私は、「クラプトンの『ティアーズ・イン・ヘブン』かなあ」と応えた。すると、アンジーの顔が急に真面目になって、「あなたは、あの曲のバックグラウンドを知っているの?」と聞いて来たので、「知らない」と言うと、ホワイトボードを使いながら、クラプトンのまだ幼い子供が、マンションから落下して亡くなった話をしてくれた。それを聞いて私もビックリしたが、なるほど、その曲の歌詞を考えてみると、クラプトンの懺悔の歌だということに、妙に納得した。

・友人二人と五月にゴルフをラウンドした際、肋骨を折った話は何度もしたが、治癒のためにじっとしていたら、足の力がかなり弱まった。現在、筋トレ中。

・人間は、許す心が大切なのだ。

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貴重品狙い

・中学一年の時、私の学年(しかも私のクラス)で、盗難事件が相次ぎ、学年中の問題となっていた。犯人は体育の時に貴重品を預ける時を狙っていた。ひどい時には、学校の事務の受付で、「貴重品係なんですけれど、預けた荷物を出して下さい」と言って、貴重品の入った鞄ごと盗む様な奴だった。そして時間差で、学校近くの公園で、全員の財布から金を抜き取っていた。幸い、定期券などは金に換えられないので残っていたが、その鞄は地元の人に発見され、みんな無事だったが、いい時計などは、いくつか盗まれていた。今、考えれば、すぐにばれる様な犯罪で、十回ぐらいの盗難事件の後、クラスメイトの三人が、犯人が財布から金を抜き取って、財布を棄てていた所を目撃した。教師にその話が伝わり、そいつは呼び出された。実際そいつが捕まったら盗難事件がおきなくなったのだが、そいつが犯人な事が証明され、誰からも相手にされなくなった。私は、『一発で退学だろうな』と思っていたが、そいつの兄貴が卒業するまでは居させてもらった様だった。私が高一の途中で転校するという形になった。その際、最後の挨拶の後で、全員に鉛筆を配っていたが、中一の時にそいつに金なり貴重品などを盗まれた奴は、その鉛筆をボキボキと折っていた。教師が、「物をもっと大切にしろ」と言ったが、鉛筆をおった何人かの生徒は、「これもギッてきた物なんじゃあないですか」と反論し、お別れの挨拶も台無しになっていた。可愛相だったが、それ位、中一の時にはひどい事をしたので、やむを得なかった。後味が悪い。

・何も言った事の無い父が、私と弟に「お前達、手クセの悪いことをして、後ろ指を指される様な事だけはするなよ」と、小さい頃から、そう言われて育った。

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バンパーの解釈の違い

・ヨーロッパはどうだったか覚えていないが、アメリカのバス・ディーポで予行のバスを待っていた際、タクシー乗り場があった。そこで偶然、タクシーのバンパーが軽くぶつかる事故を見た。文句の言い合いにでもなるのかと思っていたら、ぶつけた車の運転手と、ぶつけられた側の運転手が、仲良く話をしていた。その時、思い出したのが日本車などはバンパーも車の装飾品の一部としてデザインされているが、私が行った当時のアメ車のバンパーは、本体を壊さない為にあるものが多いという話を聞いた事があった。百聞は一見にしかず、実際に見てみて納得した次第である。

・東日本大震災の影響で始まった計画停電のあおりを受け、草加でも何回か停電したらしい。都内の中心地に住んでいる友人達は、「停電は無かった」と言っていたが、その分、他の地域が被害を被ったのである。草加の『Katsu』も例外ではなく、冷蔵庫までストップしたそうだ。しかし、草加の食彩館の方では、通常通りテナント料を取られたそうだ。天災とはいえ、むごい仕打ちだ。

・もし、高杉晋作が、外国大使との話をごまかさなかったら、山口県の彦島も香港の様に、外国の租借地になっていただろう、と明治時代に船に乗って関門海峡を通過する際、伊藤博文が感慨深げに言っていたそうだ。

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獅子は子を千尋の谷に落とす

・私の父は変わった所があった。受験前に甘い汁を吸わせるのである。私の中学受験の夏休み、会社の同僚の方から麻雀牌を購入し、塾から帰った私を待ちわびて、寝るまで麻雀を打っていた。一浪の時は、ビデオデッキだった。「お前の家、受験前にビデオデッキを買ったのか?」と、友人から信じられないという顔をされた。私も、父の思惑がよく解らなかったが、中学の時に麻雀で失敗したので、大学受験のラストスパートの時には、振り向かず、生活面と健康面のケアに専念していた・・・しかし、いざ受験が始まると、一緒に帰って来た友達とパチンコ屋に行って気分転換していた。そして、『そういえば、家にはビデオデッキがあったんだよな』と思ったので、駅から家までの帰り道に、あるレンタルビデオ屋で生まれて初めて、『炎のランナー』を借りる事にしたのだが、店員から、「身分証明をお願いします」と言われ、ふと(浪人だったので)、身分証明する物がひとつも無い事に気が付いた。『どう説明しようか』と考えているうちに、店員が訝しそうな目で見だしたので、仕方なく、小声で、「実は今、浪人で試験の帰りなんです。身分証明になる物が無ければ駄目なんでしょうか?」と言ったら、それまで怪訝な顔をしていたバイトの店員が、急に改まり、済まなそうな顔をして貸してくれた。普通だったら貸してくれない所だろう。初めてビデオデッキを操作して、映画を見てみたのだが、『炎のランナー』はつまらない上に、人種差別的な問題があるのではないかと思った。

・今は皇太子の住む館の事を東宮というが(または皇太子そのもの)、昔は春宮と書いていた。個人的には昔の方が、趣があって好きだ。

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台風の様な三人組

・故親父のがんが判明してからは遠慮してくれていたが、それまでは、とある休みの日に、「麻雀やろうぜ」と、台風の様にいきなりやって来る、中高時代の友人三人組がいた。毎回ぶっ続けで30時間以上打っていたので、夜中にはナチュラルハイにみんななっていた。そんな状況の中、ある時、麻雀の反則である、多牌を私がやってしまったのだが、上がりを放棄する代わりに、その二枚多い牌をコタツの中に入れて、握りつぶした。最初は上家で調子の良かった奴の所に転がして、逆に、「お前、多牌じゃねえか。罰符だ罰符」とでも言おうかと思ったが、私はそこまで極悪人には慣れなかった。その後、流局となり、牌をかき混ぜて落とした振りをして、潰していた二枚を場に戻した。そうして無事ごまかしたのだが、徹マンともなると、時にはそういうミスもやってしまうのである・・・ところで、最近、私がblogを打つ際には、時々だが、ケーブルテレビの『われめdeポン』を点けながら打っている。最近観たものでは、山城新伍やら長門裕之やらが参加していたのだが、十年以上前の再放送なので、『ユーレイが麻雀打っているんじゃあねえか』と思えて仕方が無かった。もちろん、blogを書く事に熱中しているのだが、賑やかな方が好きなので、そうしているだけだ。

・「野球って欠陥スポーツな気がするんだよな・・・だってピッチャーで勝敗が決まっちまうじゃねえか」と言っている友人がいた。

・人生の風向きなんかコロッと変わる。だから、逆境の時には、時を待て。根を伸ばせ。

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