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2012年7月

自動販売機の調査のバイト

・学生時代、友人と一緒に、市の自動販売機の調査のバイトをやったのだが、友人はチャリンコで廻るというので、平坦な所を教えてやり、私はスクーターだったので険しい所を廻る事にした。一度、調査中に酒屋のおっちゃんからケチを付けられたので、すかさず、「市の調査ですから」と言ったら、不機嫌そうに店の中に戻っていった。調査と言っても、自動販売機がどこにあって、連絡先のシールが貼ってあるかとか、ゴミ箱は設置してあるかなどを調べるだけである。また、冬だったので、スクーターで廻るのは異常に寒かった。その上、自動販売機を見付けるには、夜に光っているものを捜せば効率が良かったので、使い捨てカイロを体中のポケットに入れて廻っていた。地元を選んだので、地の利があったせいか、のべ20時間で8万円、つまり、時給4000円のおいしいバイトとなった。その事を主治医に話すと、「そんなに貰えるバイトがあるのか。見習いの医者の時給が4000円なんだよ」と話してくれた。私は、「いや、確かにおいしいバイトだったんでしたが、寒すぎましたよ。ホットコーヒーを飲んだりしていました。まあ、行政のバイトだったので、いくらでも融通が聞いたんですよ。例えば、ゴルフ場の中に自販機がない事を知っていても、よく解りません、みたいなことを言うと、そこも調べることになるわけです。おいしいと言えばおいしいバイトでしたが、おかげで風邪を引いてしまいましたよ」と言うと、先生は、「大丈夫かい?」と気遣って下さり、「あまり無理をしない方がいいよ」と仰ってので、「そんなに儲かるバイトなのに、風邪位ではへこたれません」と私が言うと、先生は、じょうがないなあと、笑っていらっしゃった。

・ハッタリ野郎が、「うちの親父が姉貴に、男を振れる女になれってって言ってんスよ」と勝ち誇っていたが、そんな事をしても、相手がいなくなるだけだろう、と思った。

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信仰の自由

・アメリカのユタ州の州都、ソルトレイクシティにはモルモン教の総本山がある。その側のユースに泊まる事にしたのだが、同部屋に世界一周しているというバックパッカーの奴と出会った。最初は余りにも日焼けしていたので、「どちらから来られたのですか?」と聞いてみると、「ジャパン」と応えたので、日本語で話しかけた所、話が盛り上がり、馬が合った。その日、二人でモルモン教の総本山に行くというので、私も一緒に行ってみる事にした。着いてみると、日本人のガイドが、いろいろと教えてくれたのだが、水の上を歩いているキリストの絵を指さし、「キリストは水の上を歩けたんですか?物理的に不可能だと思うんですけど」と聞くと、「そういう言い伝えです」と応えた。続けてガイドの人が、「モルモン教というのは、誰にも解読不可能な聖典を解読した人がいて、ここを中心に広まりました」と言うので、すかさず、「誰にも解読不可能なものを、どうやって解読したのですか?」というツッコミを入れると、その人は何も言えなくなってしまった。さらに駄目押しで、「一夫多妻制を認めているという事は、浮気が許されるという事なのですか、だとしたら、邪淫をするという事になってしまうのではないでしょうか?」と言うと、ガイドの人も困り果てていた。それまで一緒に廻っていた奴も、「ええ加減にしときや」と囁いていたのだが、最後には彼も、私に負けじと、「キリストは神なんですか、人なんですか?」と聞いていた。最後にはモルモン教の聖典をくれると言ってくれたが、一行目の初っぱなで、ノストラダムスの方の予言者と書いてあったので、「これ、訳し直した方がいいですよ」と、とどめを刺して、ユースに戻った。聖典は二人とももらわなかった。重たいからである。

・多くの国では信仰の自由があるが、少なくとも、モルモン教は私には合わなかった。

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親心のありがたさ

・夏といえば、稲川淳二の怪談だが、私が思うに、面白おかしい怪談を作るために、秋、冬、春と、アイデアを練っているとみている。その稲川さんに障害を持った子供が産まれたとき、最初は、悩み抜いて苦しんでノイローゼ気味になり、子供の首に手を掛けたそうだ。すると、その赤ん坊が突如泣き出し、我に返った稲川さんは、『俺がこの子を見捨ててどうする。・今まで以上に頑張ろう。働き抜いてなんとかしてやろう』と一念発起し、それまで以上に仕事に精を出したそうだ。私の中では、普段の稲川さんは、誰よりも明るく笑っている様に思う。親心というのは、計り知れない程ありがたい。

・大学入試の前日、緊張して眠られず、飲み慣れない酒を飲んで眠ったという奴がいた。そいつの事は、『チキン』だなとずっと思っていたが、結局は、そいつも私も、高校時代の別の友人も合格したのだが、その、酒を飲んで眠るという奴は、高校時代選抜クラスにいたのに、一浪して入った事から、同じバカクラスに入っていた私と友人は、そいつの事を、「あいつは本当の馬鹿じゃないのか?」という話になり、「間違いねえな」という結論が出た。そのほんまもんの馬鹿は、友達付き合いが出来ない奴だった。ある意味、人間性がおかしな所があったのだろう。大学生にもなっていじめなどはなかったが、誰からも相手にされないという事の方が、可哀相である。どこか欠けた人間だったのだ。

・砂漠の中の宗教は、一辺に拡がる。特にイスラム教がそうだ。

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死を意識すると・・・

・この間、NHKで桑田佳祐の特集をやっいたので、観てみた。すると食道がんで死の世界を意識した桑田さんの曲や詩がコロッとかわっていた。自分の親父も食道がんを患っていたので、食事が喉を通らないとか、いろいろ苦心していたので、きっと同じ様な想いをされているのだと、思った。私の父ががんだと判った時、医学関係のコネがきく友人に、電話したが彼曰く「食道がんは本当にタチが悪いんだぞ、食道の周りっていろんな臓器があるだろ」そして、がん研を、紹介してくれたが遠すぎて通えず、近所の総合病院でがん研出身の先生が主治医となってくれた。親父は何度手術したか分からない程、一年に一回はガンにかかっていた。それでも親父は、弱音一つ吐かず発症してから八年間も生きてくれた。私にとっては尊敬する父親であるしあんなに誇り高い男はいないだろうと思った。

・行くも地獄、去るも地獄、同じ地獄なら先に進んだ方がいい。

・何でもいいからしてみる。チヤンスは何度も来るから、モノにしろ。

・長期留学には、二つの要素があると思う、一つは語学を学ぶこと、もう一つは、日本人としての人間性を失う事だと思う。

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ジェネリック医薬品の問題点

・世に『ジェネリック医薬品』というものが流通しだしたが、要するに、特許の切れた薬剤を薬剤を消費者が安く手に入れられるという仕組みである。以前、通風の予防薬である、ユリノームという薬を処方箋薬局で出した所、仲のいいその薬局のおばさんが、「ジャネリックもありますがどうしましょうか?」と聞かれ、性質や価格などの相談をして、「それでは、ジェネリックでお願いします」と頼んだ。一日一錠飲めばいい薬なので、問題はなかったのでから暫くして懇意にしている神経科の先生の所に三ヶ月ぶりに行って(肋骨を折っていたので)状況報告をした後に「ジェネリックおお医薬品にして頂けませんか?」と頼んだ所、「ジェネリック医薬品はおススメしない」と言われた。私が「なんでですか」と聞いたら、その先生は簡単な図を書いて下さり「ジェネリック医薬品と言うのは確かに入っている成分は同じなんだけれど、その成分を包み込んでいる部分の密度が安定していないから効き目にタイムラグを生じるという欠点があるんだよ」と教えてくれた。しかし、我が家も経済的に苦しい状態なので「ジェネリック医薬品でお願いします」とゴリ押しをしたらしようがないなと言う感じで承諾してくれた。今の所 どちらを飲んでも変わらないのが現実である。ただジェネリック医薬品をお考えの方の為にこの文章をしたためた

・いつも、月に一度お世話になっている処方箋薬局で物凄いやり手の薬剤師が入ったのだが、その女性のの薬剤師は薬の知識は勿論のこと、その時どきの患状態を的確に、聞き出しアドバイスしてくれる。私の薬はとてつもなく軽いのだが、以前の血液検査でγ-GTP値が高く三ヶ月位禁酒して禁酒していたのだが、」その方が、「適度にお酒は飲んでもいいんですよ」と言って下さったので、今では安心して飲んでいる。

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ソ連の崩壊と共産主義について

・ソ連邦が崩壊した時、あらゆる評論家連中がややこしい言葉を使って、あれこれ言っていたがのだが、たけしが、「要するにソ連という国が、共産主義の一台実験室だったんだけれど、それが成り立たないってことが判ったってことだろ」と言い、続けて「マルクス主義ってのは人間の理性を信じて初めて成り立つものだろうけれど、現実的には何匹かの犬に一つの餌をやったら、分け合うどころか、取り合いになっちまったってことだろ」と言っていた。どんなに偉い評論家の言うことよりも、たけしが言った事の方がよっぽど理にかなっていた。

・イチローがマリナーズからヤンキースに移籍したと聞いて、晩年、巨人に移籍した金ヤンのことを思い出した…どんな天才でも、限界があるのだな、と寂しい気持ちにならざるを得なかった。本人が、最もそのことを理解しているのだろうし、移籍の時の表情は、終始、厳しいものであった。シアトルのマリナーズファンからも拍手されたということが、唯一の救いであろうか。バッティング能力が衰えていることを本人も自覚しているのだろうし、脚力も肩力も衰えてゆくのは目に見えている。いくら、やる気があっても、うまくゆかないのが、肉体の衰えという、アスリートの宿命である。我々日本人は、彼を持って誇りとした。WBCの二連覇もイチローがけん引したといっても過言ではない。十年以上も夢を見させてくれたのだ。その時は、凱旋帰国となるに違いない。すべての日本人から祝付されるだろう。もちろん、指には、チャンピオンズリングをはめて。

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物理実験のTA

・大学一年の時の物理実験で、人間性の歪んだ、とてつもなく嫌味なTAがいたことは、前に書いたが、実験の最初に、余りにも偉そうに、「半導体を構成する物質はなんだ?」と、順番に当てて行くときの態度が気に入らなかったので、私は答えが解っていたのだが、名前を呼ばれる前に、「解りません」と大声で言ったら、癇に障ったのか、「お前、名前なんて言うんだ」と来たので、自分の名前を告げると、名簿にチェックをいれていた。嫌らしい野郎だな、と思っていたら、他にも、もう一人、反抗的な態度をとっていたのだが、そいつは、そのTAがホワイトボートに書いた問題をみんなの前で解かされることになった。そいつが解けずに、じっと経っているのを不憫に想い、大声で独り言の様にその問題の解き方を言ってやった。すると、その嫌味なTAが、「黙れ!!」と言ったのだが、無視して、最後まで大声で解法を言ってやった。するとそのTAは再び名簿にチェックを入れていたが、『別にかまいやしねえ』と思い、放って置いた。クラスでは知り合い程度の奴だったが、みんなの前で見せしめのようにする奴が悪い。はっきり言って私には、そのTAが許せなかったのである。

・大学時代の友人で、大学院の時、後輩である大学一年の生の物理事件のTAをやっていたそうだ。その友人は、本当にド忘れして、一回だけ、すっぽかしてしまったらしい。それで彼は、後にその分のお金を返したらしいのだが、実験棟の人が、「まさか本当に返しにくるとはねえ。今までのTAでは一人もいなかったよ。わざとじゃあないんだから、もういいよ」と言ってくれたらしい。その言葉を聞いて、返しに来た奴がいなかった事に驚いていた。私も相当驚いた。

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ドラゴンボールのデフレ

・学生時代、漫画のジャンプを持ってきている奴がいた。そいつが読み終わってから、私が、「ドラゴンボールだけ読ませてくれ」と頼むと、快く貸してくれた。クラスの連中も集まっていたのだが、私が、「なんでこいつら死んでまで修行していているんだ?俺だったら死んだ後ぐらいゆっくり眠りに就きたいよ」と言ったら、みんな大爆笑していたのだが、「俺もそう思う」と言う奴等ばかりであった。続けて私が、ドラゴンボールの内容について、「最後の方で敵が強くなってきたら、パターンとして、先鋒が飲茶であって、『ビシ、バシ、ドカ・・・飲茶が死んだ』みたいな展開ばかりじゃあねえかよ。あれは、野球で言ったら、トップバッターに一番ヘボな奴を持ってくる様なものだろ。あれは致命的な作戦ミスなんじゃあないのか?それで毎回主人公の悟空が修行しすぎて遅れてやってくるんだよな。設定的にはワンパターンなんだよな」と論評を述べると、みんな頷いていた。誰かが、「相手のボスキャラの強さのインフレも止まらねえんだよな」と言ったので、私が、「インフレだけならともかく、前のボスキャラの方が強いというデフレを起こしているんだよな」と言ったら、別の誰かが、「そろそろ連載終わりにしてもいいんだけどなあ・・・そろそろと話していた。みんな、『引っ張り過ぎだよな』という結論に落ち着いた。結局、ドラゴンボールの批評会となった。

・高校時代の友人がドラゴンボ-ルについて、「観てみろよ、これ。普通の漫画家ならトーンを貼り付ける所なのに、全然使ってねーだろ。それがすごいところなんだ」と言ったので、私が「あの描き方は、大友克洋の『AKIRA』のパクリじゃあねえか」と言ったら、彼は何も言い返す事ができなかった。

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ドケチな男

・塾講師時代、受験生相手に私が無料授業を始めたところ、他の講師も続けとばかりに無料授業をやり始めた。ある時、無料授業を終えた私とハッタリ野郎が講師室に戻ると、テーブルの上に寿司が乗っていた。塾長から、「これは、ほんの気持ちですから」と言われたが、私の心中では、『こいつ、汚い真似しやがって』と思いつつも、食べ物を粗末にする事はできないので、ハッタリ野郎に、「おい。食うぞ」と言って、無理矢理、まずい寿司を食べた。その後、一切、褒美は無かったが、私は塾長の腹黒さを、そこで覚えた。やる事も言う事もナンセンス過ぎて、とても塾長といえる器では無かった。ハッタリ野郎と帰った際、給料の話をしそこねた、と言っていたので、わたしが、「バカだなあ。そういう話は精一杯働いている姿を見せつけてから、何気なく話を付けるものなんだ」と言って、「お前の場合、夏期講習で結果を出したんだから、夏期講習前に、結果が出たら昇給してくださいと釘を刺しておいてから、給料の話をするんだ。そうしたら、なんぼ、あのドケチな塾長でも断れなかっただろうよ。俺はその戦法で上がったぞ」と言ったら、「そういう戦法があったんスね」という程の阿呆であった。言いにくい話程、堂々と言うのが私のモットーだったので、そいつにも容赦なく言えた。ここまで書けば解るだろうが、私は貰っている以上の仕事をしていたし、その塾長がどれだけドケチか解るというものである。

・塾長は、どこで覚えたのか、アドバイス(advice)という単語だけ、イントネーションが合っていた。それ以外は目茶苦茶だった。そういう奴って多いよな・・・

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太陽か月か?

・かつて、ある友人が、「規則正しい生活をする事が重要なんだ」と言っていた事がある。うちの故親父も、「人間は古代から、太陽と連動して生きてきた」と言っていた。それらを聞いた私は、「例えば大潮の日に亡くなる方が多いと言うが、じゃあ人間というのは、太陽に支配されているのか、月に支配されているのか、どっちなんだ?」と尋ねた所、二人とも、「それは解らない」という返事だった。私は、様々な時間帯に用事があるときには、多少リズムが崩れるが、どうしても眠らなければならないときには、『睡眠のしくみ』という本を読んでいると、自然と眠たくなる。だから重宝している本なのだが、未だに完読していない。

・平泉が世界遺産になったが、見所は中尊寺と毛越寺ぐらいなものである。ある地元の方に話を聞くと、源頼朝が奥州藤原氏と義経を潰すために行った、奥州征伐のせいで、平泉のほとんどの文化遺産が焼き討ちされた事を知った。そして、毛越寺には、ちっぽけな資料館があるのだが、そこに、奥州藤原氏三代の絵があった。すると、資料館のおばさんが寄って来て、藤原泰衡は、義経と弁慶を裏切ったので愚か者だと言われているが、決してそうでは無く、必死で奥州藤原氏と平泉を守ろうとして、そうしたのだと、教えて頂いた。義経をかくまっていた事が、頼朝の戦争口実だったので、やむを得ずそうしたのだ、と聞いて勉強になった。

・中・高・大と一緒だった友人が、大学時代、彼女との電話で、親父さんに、ちゃちゃを入れられ、受話器がぶっ壊れる程の争いになったそうだ。それを聞いた私は、「パトロンとは喧嘩するなというのは鉄則だぞ」と一言だけ言った。

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左手の看板

・昔、草加の飲食店、『Katsu』の店の看板の文字を誰に書いてもらうかという事で、何人かで話し合った事がある。店長の友人が、私に、「字は上手か?」と聞いて来たので、「書道七級。目茶苦茶ヘタやぞ」と応えたのだが、最終的には知り合いのイラストレーターに頼んだらしい。現在その字が看板になっているのだが、私が、「なかなか味のある字でいいんじゃねえか?」と話したら、店長が、「最初、右手で書いてもらったんだけど、今ひとつだったんだよな。そこで、利き腕でない方の左手で書いてもらったら、なかなか味のある字になったんだ」と語っていたので、私は爆笑してしまった・・・草加のイトーヨーカドーの食彩館の三階には、当初、ファミレスやらそば屋やらが入っていたのだが、店を始めた直後こそ、客が付かず、友人何人かで話し合ったのだが、今となっては、ファミレスも英会話スクールとなり、そば屋もマッサージ店となり、もう一軒は、テニスグッズの店となってしまった。もちろん客が、『Katsu』に流れたからである。だから、食彩館といえど、三階は友人である店長の店のみになってしまった、というより、店長が他の店を潰してしまった様なものである。『Katsu』は多国籍料理店であるが、店長である友人の料理は、ずば抜けて旨いのである。

・友人の店の『Katsu』もリピーターが増え、常連さんが増えだしてから、はやりだした。時には会社の上司を接待する店として使われる事があったり、パーティーなども頼まれるらしい。

・まあ、一人でも気軽に飲みに行ける店なのだが、何せ家からは遠い。

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スポーツのルーツ

・世界には様々なスポーツがあるが、有名所となっているスポーツのほとんどはイギリス人が考えだしたものである。私が知っている限りでも、サッカー、ゴルフ、テニス、ラグビー・・・など、みんなそうである。アメリカの国技であるベースボールも、元をたどればイギリス人の生み出したクリケットであるし、また面白いエピソードとして、ラグビーができたのは、昔、イギリス人がサッカーの試合中に、ある選手がボールを手に持って走り出した所、みんなから文句を言われるどころか、あれも面白そうだなという発想から出てきたのだ。サッカーもラグビーも、今では立派なスポーツとして成り立っている。イギリスは、スポーツ以外にも、科学の分野でも、ものすごい数の発明・発見をしたし(鉄道を発明したのもイギリス人である)、文化の面でも、例えば文学だったらシェイクスピアなどを輩出した。現在では老大国などと呼ばれているが、今の世の中に尤も貢献した国の一つである事は間違いが無い。保守的な所もイギリス人らしいし、学生の時には、イギリス人は話を始めるのに、まず天気の話から始めると習った。私が塾の先輩に、天気の話から話を切り出した事があるのだが、「お前はイギリス人か」と、ツッこまれた・・・やはり霧の都ロンドンというだけのことはある。

・ウインブルドンの季節になったが、テニスのスコアは、15、30、40という風に計算されてゆく。これは、テニスの発祥の地であるイギリスで、昔、スコアを記録するのに巨大な時計の文字盤を使っていたからであると聞いた事がある。何でスコアが45でないのか考えた事があるが、多分、アドバンテージを示すためではないかと推測している。

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スコアメイク

・五月の友人達とのゴルフで肋骨を折ったとき、整形外科の先生に全治一ヶ月と言われ、胸にコルセットを巻いていたのだが、その間、ロクに運動もできず、動く事もままならず、アマゾンで注文したプラモデルを作る事ぐらいしかやる事が無かったので、体重が増え、足の筋肉も衰えてしまった・・・あれから二ヶ月が経ち、肋骨は付いたものの、右肩のスジが痛くて、そっちの方が治りが悪かった。その間に初心者として一緒にラウンドした草加の『Katsu』の店長が上手くなっていないかヤキモキしていたが、一昨日電話したら、ドライバーは買ったものの、忙しくて練習する暇が無いと言っていた。お互いヘボゴルフで廻るか、などと話していた。また、家の近くにあるゴルフの打ちっ放しの、コースを廻る際に色々と教えて下さった受付の方にも未だ報告が済んでいない。初ラウンドでボールを四個なくしてしまい、それも調達せねばならない(もちろんロストボール)。こないだ友人から携帯のショートメールで、『今度は九月だぞ』と入っていたので、それまでに準備を整えておかなければならない。怪我がほぼ回復した今、早い所打ちっ放しに行きたいのだが、朝一番に行かなければ暑すぎる季節となってしまった。blogも書かねばならないし、超朝方に変えていくつもりである。

・一回ラウンドした時のスコアを観てみて、最高でボギーしか取れなかったが、ミスしたホールは大叩きしており、特に肋骨を折った後は大崩れしてしまった。『スコアメイクするためには、まずは大叩きしない事が肝心なんだな』と解った。

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悩ましい

・友人達との飲み会の幹事を引き受けているが、早速、日が割れてしまった。悩ましい。

・胃が痛いので、今日はゆっくりとしよう。

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手塚治虫の言葉

・あの手塚治虫が阪大の医学部時代、漫画家業と医者になる道とで、二足のわらじを履いていたのだが、医師の国家試験に合格してから、漫画業に打ち込む事に決めたのは有名な話だ。しかし、その際、みんなから、「もったいない」と言われたそうだが、手塚はこう応えたそうだ。「僕は、漫画を通して、小児科医になるんだ」と。素晴らしい言葉だし、実現させたのも見事だ。私も手塚治虫の作品は、数多く本棚にしまってあるし、何度も何度も読み返した。大人が読んでも面白い作品も数多くあるのだ。

・今は知らないが、発足当初の航空会社のスカイマークは、運賃を安くするために、比較的給料の安い外国人のパイロットを雇うという作戦に出たらしいが、航空運賃を下げるよりも、むしろ、その外国人パイロットの家族を養う方が金が掛かるのではないかと不思議に思っていたのだが、今でも成り立っているという事は、なんとかしたという事であろう。ただ、去年一年間で操縦ミスが二十件もあるというのはいただけない。

・我が家で飼っている犬は、牛乳の味を覚え、『牛乳』という言葉を覚えてしまった。そして、少しでも、その気配を感じると、熟睡していても飛び起き、猛ダッシュして、おすそわけを待っている。根負けして、少し器に入れてやると、どんなに量が少なくても、速攻で飲み干し、舌なめずりしながら、満足げにしている。不思議な事に、それ以上は求めない、不思議な犬なのだ。

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プロの歌手

・私がガキの頃、近所のお兄ちゃんで、面白い人がいた。なんでも、バンドを結成して、ボーカルをしており、二十代後半で「某大学に通っている」と話していたが、近所のおばちゃん連中は、シークレットブーツを履いていて、女っ気が無かったので、「ゲイじゃないか」などと噂していた。バスの中などで、なぜか、うちの母には話しかけてきて、「僕の名前は、大器晩成なんですよ」などと自画自賛したりと、実はとっても面白い、お兄ちゃんである事を知ったそうだ。ある日、風邪を引いての病院からの帰り道、救急車が止まっていたので、後で聞くと、「階段から落ちたので、念のために呼んだ」とのこと。なにせ目立った格好をしていたので、どこに行っても話題になったが、そのおにいちゃんは、どこ吹く風で、ロングヘアにアロハシャツという出で立ちで歩いていたので、少し浮いていたが、一軒家に独りで住んでいた。しかし、タバコの火でボヤを出してしまい、この町に住めなくなってしまった。思い出せば人懐っこく、その土地は長い事、空き地になってしまった。貴重な人材を失った様なものである。

・相撲で、昔の田子の浦親方が解説をする時に、『五七五』の川柳から解説を始める癖があった。私が思うに、即興で作っているのならば、カッコよかったのだが、きっと、NHKの出演が決まった日から、必死で句作りをしていたのであろうと思うと、かっこ悪すぎた。

・相当、昔、聞いた話だが、プロの歌手は、一日練習を怠れば、先生に判る。二日サボれば、スタッフにも判る。三日歌わなかったら、お客さんにも判る、と聞いた事がある。

・院生の頃、データ処理のために、コンピューターで『Σ(シグマ)』を押して合計点を出した所、観ていた知り合いが、「なんで『Σ』で合計点が出るんだ?」と聞かれ、私が驚きながら、「だって、『Σ』って、全部足せっていう記号だろ」と教えてあげた。何故、驚いたかというと、彼は、学部の卒業の時、成績優秀で表彰されていたからである。

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チャンスは一度きりか?

・十五年前、スペインのマドリッドの駅の観光案内所のおっちゃんに、「サマータイムが終わるのは、いつなのですか?」と尋ねた所、「サマータイムなんて無いよ」と言うので、一度は引き下がったものの、電車の時刻が変わってはたまらないので、そのおっちゃんに、ごめんとボディランゲージで伝えてから、今度は、となりのおばちゃんに聞く事にした。それでも事情が分からない様にしていると、さっきのおっちゃんも加わって説明してくれたが、釈然としなかった。その後、実際に、パリの北駅で、サマータイムが終わっただろう日に、駅員に猛抗議している東洋人のおっちゃんがいたが、駅員は、「欧米では当たり前のことです」と相手にしていなかった。フランスの北駅といえば、ユーロスターというイギリス行きの列車の拠点だった。そのおっちゃんが自分のポカにも関わらず、どう責任取ってくれるんだと、騒ぎ立ててうるさいので、私が、「よく聞いてりゃあ、あんたが悪いんじゃねーか。やかましくて迷惑だよ」と言ったら黙った。お金が無かったので観光もできず、私は、ドイツのミュンヘン行きの夜行列車を十二時間待っており、イライラしていたのである。多分そのおっちゃんは、出張で仕事に来たのに、つまらないポカをやって、仕事にならなかったのだろうなあ、とは思った。

・十年くらい前、学生時代の、とある友人から、「おい、チャンスは一度きりだぞ」と言われ、私も、「そうかも知れないなあ」と応えたのだが、去年ぐらいか、その友人と話していた時に、私が、「お前、昔、チャンスは一度きりだと言っていたけれど、最近、俺は、チャンスが100あったら、99はそうだと思うんだけれど、本当に重要なチャンスである残りの1は何度かやってくる気がして仕方が無いんだ」と話したら、彼は決して否定しなかった。

・才能は、お金では買えない。それはどこから来るのかも解らない。ただ解る事は、努力は裏切らないという事だけだ。

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民話のふるさと

・現在、朝のみ再放送中の、『ゲゲゲの女房』を観て、再び遠野に行きたくなった。遠野の土地柄というのは、人も優しく、何とも言えない情緒のある地域であった。河童淵にも行ったが、当時の朝ドラである、『どんど晴れ』で、丁度その日に遠野をやると、地元の方から聞いて、大慌てでユースの駐車場に車を駐め、カーナビのTVで観ようとしていたら、急に、もよおしてきて、車からティッシュの箱を取り、大慌てでユースの脇の畑の、人目に付かない場所で野グソをたれた。それから車に戻り、『どんど晴れ』の主人公が、河童淵を訪れている話を観た・・・遠野という所は、柳田国男の『遠野物語』を読んでから訪れ、散策した方が何倍も面白いだろうな、と思った次第である。

・アインシュタインは、同じく、ノーベル賞を取った湯川秀樹に会った時、原爆の事を、泣いて謝ったそうだ。第二次大戦中とはいえ、アメリカの大統領の要請に応じて、書類にサインした事を悔やんでいたらしい。

・母の田舎は、瀬戸の島であるのだが、橋が付くまで、昔から交番の建物はあったが、警官のいない土地柄だった。悪い事をする人がいなかった様だが、いったん悪事をはたらくと、村中に噂が飛び交い、村に住めなくなるのである。それだけ平和な所という事であり、海の幸にも山の幸にも恵まれ、温和な気候であり、たまに帰ると、村中の人が歓待してくれた。

・整形外科の先生が、冷却スプレーのことを、「あれは使いすぎると凍傷になるから、あんまりお勧めできないなあ」と仰っていたので、私は歩きの旅の時には、足の裏に薄い湿布をはりつけて歩いた。

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テッポウ禁止

・昔、九州場所で、鉄骨の柱が力士の出入りする所にあったのだが、その鉄骨に、『テッポウ禁止』と書いてあったので、大爆笑した事が、今でも忘れられない。また、千代大海と魁皇は、今でも仲が良さそうだ。なぜなら、魁皇がカド番で七勝七敗で千秋楽に臨んだ際、千代大海が急に身体の不調を訴えて、休場し、魁皇の不戦勝となって、八勝七敗でカド番を脱出できたのだ。同様に、先場所の千秋楽での琴欧洲の休場(ドタキャン)には、頭にきた。自分の弱さや怪我で休場するのならばやむを得ないが、それでも、他の力士や見に来てくれているお客さんに失礼である。ハッキリ言って、私は完全に、琴欧洲を見限った。

・母の知り合いで、下駄箱にある日、ラブレターが入っていたそうだ。その中身を開けると『貴女がいなければ人生は、まるでクリープのないコーヒーの様なものです。』と書かれていたそうだ。その人は、決して美人では無いが、「私、TVのコマーシャルで、からかわれているのよ」と豪快に笑っていたらしい。それを聞いた母は、随分、粋な子だなと思ったそうだ。

・中学時代の社会の教師が、歴史マンガを読んでみて、「歴史とは勝者が作るものだから、どちらが良いとか悪いとか、決めつけてはならない」と語っていた。

・アインシュタインは、アメリカのプリンストン時代、靴下をはかなかったそうだ・・・わが日本にも同様の人物が実在するではないか。言わずと知れた、あの、永遠の種馬、こと石田純一である。私は、奴が靴下をはかないのは、水虫対策だとみている。

・書いているだけで、つまらない言葉でも残しておけるのだ。

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相撲の行司

・相撲の行司の発する声は、神道から来ている気がしてならない・・・掛け声のイントネーションが祝詞の読み方に似ている気がしてならないのだ。今、八百万の神々が土俵の上では、力士達には、付いている気がしてならない・・・その中でも、一番の力士は『稀勢の里』だと私の中では、密かに思っている。

・高橋留美子のマンガで、坊主のキャラクターが出てきて、「止まった時計は、一日に二回正確な時間を告げるが、一日に一分遅れる時計は、一日に二回も正確なな時間を伝えない。これいかに?」と、ふざけた禅問答の様な事を言っていたのだが、私だったら、一日一分遅れる時計を、こまめに合わせれば使うから、そっちを選ぶ。そういえば去年の今頃、日本中のみならず世界中を一緒に廻った時計が再起不能となり、新しいものを購入した。

・日本では、あの、ズラメーカーのコマーシャルでお馴染みの中野浩一は、当時のヨーロッパでは、知らない人がいない程の人気と知名度があったそうだ・・・競輪の世界でも、手元でギアチェンジする様になってから、駆け引きが面白くなり、革命が起きたそうだ。

・この間、ゴルフの時に壊した眼鏡の修理と、新しい眼鏡を作ったのだが、安いフレームで、普通の眼鏡とサングラスを作った。そこの眼鏡屋は、修理に出した眼鏡は無料で見事に治してくれた。

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最後は鶴太郎と観ている

・昔、私の知り合いで、『1』と書いたTシャツを着ている奴がいた。私は、即座に、世界の王貞治を思い出し、その偉大さを話して、「『1』の上に『OH』と、マジックでもペンキでもいいから書き込め」との話をした。そいつは、『冗談じゃ無いですよ』という顔をして、逃げ口上を語り出した。うじうじ、うじうじ言い訳をするので、私は、「あの、世界で偉大なホームラン王をしらねえのかと言って、意地でも『OH』と書きたかったが、そいつは、そういう芸も出来ない小心者だった。それでその男は、意気地なしとか根性なしとか言われる様になった・・・私は全く、悪いとは思っていない。授業をする際に、背番号『1』などという、安物のTシャツを着てくる方が、ツッ込まれても、仕方の無いTシャツを着ててくる奴の方がマヌケなのだ。

・今の朝ドラの『梅ちやん先生』は開業医を始めたが、最後の患者は、酔っ払った鶴太郎だと私個人は、観ている・・・と言うのも、そもそも鶴太郎の原点と言えば、あの、『俺たちひようきん族』での着ぐるみを着ての、『ピヨ、ピヨ、ピヨ、ひよこの親子がピヨ、ピヨ、ピヨ』ではないか。

・私が研究室時代の指導助教授は、ある時、いきなり研究室に入ってきて、「私が教授になれないのは、お前らの論文の質が低いからだ!!」と怒鳴り込んできた。そう言われると、みんな、「ふざけるんじゃあねえ、だったら自分で書けばいいじゃねえか」と言っていた。大学出たってバカだから、常識なんかは通じねえ、とう感じだった。まもなく、私は大学を棄てた。

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教師の資格

・私が大学一年の時、同学年の女が嘘を言って、私が「やりたい」と言ってました、と言われて私がT..Aをやる事になった。すると、私より一学年上のジャイアンが、T.A駐車場の名義貸しをさせくれと寄って来たので、了承した。しかし、そいつは、念を押しても、駐車場の金は払わなかった。私は何も知らなかったのだが、ある日、指導教官から実家に直接電話があった。私は、バイト明けで寝ていたが、無理矢理、電話に出る事となった。そして、電話に出た私は、「いきなり、何なんですか?いい加減にして下さい」と言ったが、「T.A駐車場の料金を払っていないのはどういうことだ!!」と、そういう風に怒鳴りつけられた。私は冷静に、「私は一度も、車で学校に行った事が無いんですけど。ずっと電車通勤です」と返したら、「じゃあ、あの駐車場の件はどういうことなんだ?」と、間抜けな質問をしてきた。それから教官は、「だったら誰が使っているんだ?」と言いだしたので、私は、「それを私に言わせるんですか?」と聞いた所、教官は、「いいから言え!!」と、責任も取らない返事をしたのだが、相手にしてられなかったので、「それだったら、ジャイアンの家に電話して下さい」と言って、こちらから電話を切った。腹が立って、目が覚めたが、まずは、ジャイアンの卑怯さに腹が立った。しかも、ジャイアンは、学校の隣駅に住んでいるのである。その上、前期のみの契約なのに、私の名義で一年間、車を駐め続けた。私の面目も丸潰れの中、ジャイアンの車は、蹴飛ばされた後があったり、十円玉チェックを入れられて、傷だらけだった。その事件から私は、名義貸しは、どんな理由があろうがしない事に決めた。

・F1ドライバーというものは、速い事が使命だが、完走する事もステイタスなのだ。

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平安時代の恋愛について

・私の知り合いの女子大に通っていた娘がいた。年は三歳年上なのだがその娘は、バブルの時に学生時代は遊びまくって金は、使い放題と有名大学の男共をハシゴして付き合っている様だった。就職も。親が無理矢理決めたのに卒論が間に合わず、就職も出来な彼女の卒論のテーマは『平安時代での恋愛について』であっつたが親が最終的には親が書いたそうであるが最終的には単位は貰えず就職できず挙げ句に親がゴリ押しして子会社に就職した。まさにキングオブバカである。そもそも平安時代の恋愛問題なぞ、小野小町のの『花の色は移りにけりな」いたづらに我が身世に振るながめせしまに」とか『いろは歌』など私だったら勉強さえしていれば、いくらでも引き出し書く事が出来る。バブル時代に遊びまくっていたツケが回ってきたのだ。私の麻雀仲間で、文系論文を一晩で書いた男がいるが、そいつはきっちり仕上げた。

・大学生にもなって親の力を頼りにするのは余りにも情けなく思えた。

・人の心の、解る人は、決して人を、傷つける言葉を言わない。

・みんな、大学に入ると、アルバイトするのが、当たり前だと思っているが、下働きからする人は珍しい。

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武蔵の足

・作家、吉川英治に、棋士の升田幸三が可愛がってもらっていて、戦後すぐの時代から煙草や酒をもらったそうだ・・・升田幸三は子供の頃、広島の田舎で、剣豪に憧れていたらしいが、幼少の頃、大怪我して、その夢を諦めたらしい。そんな中で将棋と出逢った升田幸三が、武蔵が三十を過ぎて勝負をしなかったのは、多分、足が動かなくなったせいであろうと語っていた。考えてみれば、私が高校の時に、格技の先生から、「剣道で一番重要な身体の部位はどこだ?」と聞かれたので、最初はウケ狙いで、「男子たるもの、やはり、一物なのでは無いでしょうか」と応えたら、場がドッと盛り上がった。その後で、「眼ではないでしょうか?」と真面目に応えたら、先生は、「実は、足さばきなんだ」と仰っていた・・・大学一年の時の剣道の先生もユニークな方で、「誰の挑戦でも受けて立つ」と仰っていたので、よっぽど挑戦しようかと迷ったが、その先生は木刀三本持って素振りをしていたので、挑戦はやめにした。

・バクチでは、一度ナメられると、負け癖が着くものだ。そうなると、なかなか勝てるものではない。その点、スロットに明け暮れたノリ君は、初心者だったのである。自分の部屋に、スロットマシーンが欲しい、などという間抜けな話をしていた(十五年前)。

・今みたいに、人が飢える事無く食べられる様になったのは人類の起源から、一年に例えると、十二月三十一日の午後六時過ぎからだったそうである。

・芥川龍之介は剣をぬき、その切れ味を楽しみつつ、己まで切ってしまったが、小林秀雄は鞘に収めて勝負した。

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麻雀を打つ女学生

・昔の車のエンジンルームというのは、ボンネットを開けても、スカスカだったらしい。大学の講義を受けていても、CADやらCAMという、コンピュター設計が出来る様になってから、驚異的にエンジンルームに部品を詰め込んだらしい。余りにもややこしすぎて、田舎のガソリンスタンドに行くと、「これ、うちじゃあできねえ」という様なガソリンスタンドが一杯あった。

・友人の所属していた麻雀サークルで、女性が入り浸っている情報を聞きつけた。私は、さりげなく、「女性が雀荘に入り浸っていると、変な噂が立つから、程々にしておいた方がいいぞ」と言っていたら、友人が出てきて、「なんてことを言ってくれるんだ!!」とばかりにブチ切れていたが、それからまもなく、そいつもその女の事を、「あんな奴はどうでもいいでしょ」と言っていたので、フォローで、その女の子に、私が、「君だって恋のひとつもしたいだろ?」と言って、こっそり、「だから、もう、麻雀からは足を洗え」と言い聞かせた。

・俺は、人間として卑怯な奴が嫌いなんだ。人間づきあいの中で、卑怯な奴が大嫌いなんだ。何をやっても、ごまかす、何をやっても、嘘をつく、約束は守らない。そういう奴が、一番、最低なんだ。

・うちの母が、『開運なんでも鑑定団』で金額を見切れるポイントがあると言っていたが、私はハッタリだと思っていた。現に、私がピタリ賞を二回当てた週がある。

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故親父の歌

・故親父の歌う、『五番街のマリー』は、渋かった。歌が上手いとか、そういうことを飛ばして、渋かった。何だか、父の青春の1Pでも触れた気がした。父の青春・・・それは、一体なのを物語っていたのであろうか?父は、多くを語る人ではなかったが、長崎の稲佐山の美人に惚れたそうだ。神戸からわざわざ三度も訪れたらしい・・・三度目には嫁入りしたのか、いなかったらしい。その時の父の落胆振りの話を聞くだけでも、笑えた。親父は、日本中を旅した。きっと、遣唐使ならば、進んで外国にいったであろう。現代に於ける、宇宙飛行士のようなものだ。おそれをためらわず、勇気の元に、ロケットに乗っていた筈だ。それくらい、仕事に誇りを持って突き進む人だったのだ。家で仕事をしている時には、近づけないオーラがあった。

・私が小学生の時の運動会の徒競走では、予め、体育の時間に、50m走らせて、タイムをストップウオッチで計ってから、それぞれタイムが近い順に走らされていた。我々は競走馬では無いのだから、そんな真似はして欲しくは無かった。だから、私は、結局、自分よりでかい奴と走らされていた・・・それが、今の時代だと、みんなが手をつないでみんなが一等賞ですなどと 言うのだからおかしな時代である。それは既に、徒走であり、決して徒競走ではないのである。競争なんか全くしていないではないか。そんな、おままごとみたいな事をしていては、この国は滅ぶ。いい加減にしろ。

・「天才は涼しげな眼をしており、美人の目もそうなんだ」と、あの、悲願千人切りで御高名な米長邦雄大先生がおっしゃっていた。

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a/2と1/2aが解らない馬鹿

・塾講師時代のある時、講師室にいってみると、『分数ができない大学生』という、くだらない雑誌のコピーが壁に貼ってあった。文系の講師はともかく、理系の講師は、なぜ、塾長があんな物を貼ったのか、意図が分からないままだった。みんな訝しげに思っていたが、私はある事に思い当たった。生徒の模試の計測で、塾長の娘は、1/2aが正解となっていた所、a/2と書いた生徒の答案を、全部×にしていたのである。そんな奴に、金をもらって教える資格は無い。勉強を教える資格などなかった。彼女は、何の取り柄も無い女子短大を出たらしいが、何の為に入ったのか解らない様な所を出ていた。異性間関係も、親に内緒で、不倫をして、その愛人になっている事を自慢する様な、親父譲りの馬鹿だったった。中学生以上を教える事も出来ず、塾の中では、皆の話についていけなくなっていった。ところで、『分数の出来ない大学生』という張り紙は、塾長及び塾長の娘の無能を私が如実にした。ある時の飲み会で、私は、「あいつら、何にも解っていないから、あんな無茶苦茶言うんだよ!!最近の塾長はビール飲みながら、講師室に来ているじゃあねえか」と言い、例のコピーに火を点け、「こんなものいらん。自分の娘のためのコピーだ」と言い、灰皿の上で火を点けたところ、みんな盛り上がった。

・塾長の娘は、英検三級に落ちる位の腕前であるにもかかわらず、スペイン語の勉強をしていた。ものすごくナンセンスだと思ったし、その話をした友人も、笑っていた。

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カモがネギしょってるぞ

・もう、十年以上前の話だが、飲んだ後に、みんなで麻雀を打ちに行った。ほとんどが、いつもの面子の中で、新参者はノリ君だけだった。私は、その雀荘の全自動卓のすごさに驚いていたが、ポーカーフェイスで通していた。すると、ノリ君が、しぶしぶ打っていると言わんばかりに、こう言った。「目の覚める様な手、こねーかなー」などと、ヘボの一般的決まり文句を言うので、すかさず私が、「ヘボに限って、そういう風に言うんだ。芸がねえ。折角、徹夜で付き合っているんだから、もう少し、気の効いた事を言いやがれ」と言い放った。ノリ君は、それでツキが落ちたのか眠ってしまったのかは知らないが、負け続けた。私の場合、普段、打っている面子では、少々のことを言われても、動じたりはせずに、不動心という心をキープするのが重要なのだが、ノリ君は動揺し、余りにも、崩すのが簡単な相手だった。彼には、誰からともなく、「おまえバクチに向いてねーぞ」などと言われて、他の連中からも、カモにされた。その時、別の友人が放った言葉は、「何か、今晩は、鴨が葱を背負って来ている感じだな・・・ところで、この辺に吉野家って無かったっけ?」などと、横からゆさぶっていた。ノリ君もナメられているわけでは無いのだが、こうなると、もう上がれない。誰も振り込まなかったのだが、ノリ君の目は、ことごとく潰された。あれでは勝てるはずが無い。男子校のバクチと」いうのは、それほど甘いものでは無い。

・人生、一度きり。配慮のある中で、『好きに生きろよ!!』

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『尊師』のハッタリ

・私の大学時代の研究室に、仲の良い友達がいた。私は彼のことを、そいつのチンポの大きさから、『尊師』と呼んでいたのだが、どうも膨張率の問題らしい。『尊師』は、私よりも能天的で、私よりも、ガタイが小さかった。その『尊師』が渋谷で、いきなりチーマーに殴られたらしい。その時、『尊師』は、チーマーから、「お前、俺に喧嘩を売りに来たんだろう?」と言われたらしいが、咄嗟に、「ちがう。俺は、ただ、女をナンパしに来ただけだ。お前らに喧嘩を売っているわけじゃあない」と言って、難を逃れたそうである。その話を聞いた私は、『尊師』に、「俺だったら、そんなゴミみたいな連中、ぶちのめしているぞ」と言うと、『尊師』は、「なかなか、そう上手くはいかねえんだよな」と言っていた・・・ところで、その『尊師』、理系の卒論を、みんなが「もう少し」と言ってギスギスしている中で、締め切りの二日前に、「よう!!」といってやってきて、直属の上司と二日二晩徹夜して、何とか仕上げたのである。『尊師』は研究室でも、一番優しい先輩の部下だったのである。実験データは、宇宙研から、論文にならなかったものをもらってきたらしい・・・卒論発表の時も、私は『尊師』の側に座っていたのだが、見事、ハッタリで凌いだ。そして、発表の後、『尊師』は筆談で、昭志の先輩に、「発表どうでしたか?」と渡し、先輩も、「まあまあだな」というのが、思い出せる唯一の記憶である。私は笑いを止めるのに必死だったが、理系の論文で二日で仕上げた男など、他に知らない。

・就職が決まった生徒を落とすわけにもいかず、ハンコを押させた者勝ちなのである。

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つつがなき世も

・『つつがなき世もつつがなくあばたの世もしゃれこうべなり』

・眠い。

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風邪だな

・風邪を引いた。症状軽し。

・無知が馬鹿をよぶ。

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