« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »

2012年6月

カンニングのマナー

・大学三年の前期試験で、全ての科目をカンニングさせろという破廉恥な奴がいた。私も一夜漬けの様なものだったが、真面目に勉強をした。カンニングにはカンニングのマナーというものがあって、一科目写さしてもらったら、他の奴の所に行くというのが常識だった。しかし、その図々しい奴は、全科目写させろと言った。そいつは、試験の時に限って早く来て、自分の席と私の席を確保しているのであった。あれは、たしか五科目目のことだったが、電子回路の試験で、私は前の晩に徹夜して臨んだのに、そいつがいい顔色をして、「今日も頼むぞ」と言ったので、私はブチ切れて、「お前、いい顔色しとるなあ、俺は徹夜明けやぞ、これで、お前、何科目俺の答案うつしてんだ?少しは無い頭で、自分の力でやれ!!」と突き放した。すると、そいつも諦めたのだが、しばらくして、別の奴から「写させてくれ」と頼まれ、断り切れず、また、答案が『B』になるのかと諦め、写させてやった。私が、そういう風にブチ切れた試験の後、早くに来ていたみんなが、私の答えを聞きに来た・・・そんな事考えていると、自分の成績を落としてまで、何人救ってやったかわからないぐらいだ。カンニングにもマナーがあって、一科目だけに押さえておくのが基本なのだ。

・家の飼い犬は、普段は鳴かないのだが、眠っている時に鳴くことが多かった。でも、最近、青年になったのか、番犬として吠える様になった。

・マイケルジャクソン程、風の好きな奴もいなかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

移ろい

 日々の移ろいは

年を経るごとに早く

何ぞのものを観ていても

時の流れには、かなわない

どうして人生の夏よ

過ぎるのか

好きな人とも

朧気なままに・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

馬鹿な奴等

・塾講師時代、毎月、ミーティングと言っては、ボーリング大会をするのが塾長であった。マイボールとマイシューズを揃え、女性の塾講師のみならず、生徒までも自分のチームに入れていた。なんなんだあいつは、という声も聞かれられた。私が初めて行ったときは、塾長が負けそうになったので、2ゲーム目、ワザと手をぬいた。そういう気遣いが解らない馬鹿なのである。私の意見は尊重してくれたが、棚ぼた地主として、金に物を言わせてやりたい放題にやっていた。私も、下からの突き上げと、上からの圧力でどうにも行かなくなってきた。その馬鹿な塾長が、ソニーがどうのトヨタがどうのホンダがどうのと言って、アメリカでは高校生が教えていると言い張り、日本も負けてはいられないでしょう、と来た。その候補の生徒の実力も解りきっていた私は、黙っていたが、止めようが無い感じだった。聞いていた私は、馬鹿馬鹿しくなって、「いい加減にして下さい」と言い、「時間が無いので帰ります」と言って、靴を履いていた時に、後ろから、「あなたも私を駄目な人間だと思っているんですか?」と言ってきたので、黙認した。すると次の日、私の家の玄関口で、フォーンが鳴ったので、お袋が出たのだが、まず、ケーキを差し出して無理矢理入ってきて、私のクビを宣告された。卑怯な人間だと思ったし、子供じゃあねえんだから、ケーキじゃ無くて、ヘネシーのXOでも持って来いよと文句を言った。それぐらいしてもらってもおかしく無い程、我々、講師陣は無料授業など貢献していたし、タダ働きしていたのである。

・前に女子アナ志望のある講師が、ある生徒のことを、塾長の前で「鬱病だと思います」と言ったので、私はブチ切れて、「お前が躁病なんだ」と言ってやった。そいつは殺人事件を笑いながら話す様なキャラクターだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

運転免許の筆記試験

・私は、一夜漬けで運転免許の筆記試験に臨んだが、実技も一回無理矢理落とされただけで、ほぼストレートで行った。一方、母は、運転免許の筆記試験ごときで、教習所の自習室にこもり、毎日、朝一から勉強していたらしい。私は、本番の試験は95点だったが、必死で努力した母は97点取り、勝ち誇っていた。しかし、母は実技が弱く、土日も欠かさず毎日通って、普通の人の倍以上費やして免許を取った。そして、親父の退職後、中古の真っ赤なスターレットがやって来たが、母は、「もう、運転しない」などとぬかしたので、私が助手席に座り、無理矢理、母の運転で、「よし、これからドライブだ」と言ったはいいものの、一時停止を無視した時点で、よっぽど教習車みたいに、助手席にもブレーキペダルがあればいいなと思わざるを得なかった。また、ドライブの途中で、通行人にミラーを当ててしまい、咄嗟に車を止める様に言って、ダッシュして、私が謝りに行った。相手は、「初心者なのね」と言って、許してくれたが、冷や汗ものだった。その後は無事に済んだが、帰路は私が運転した覚えがある。現在、母は、運転していない。

・本屋で単行本を完読した奴は、私ぐらいのものではないのか・・・

・私は大学の時、疲労の研究をしていたので、飛行機に乗る度に、雨の日など、翼が折れないか不安で仕方がない。だから、飛行機に乗るときには、運を天に任せることにしている。そうして空いているときには、エコノミーの四人席で、横になって寝ることにしている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ボーイスカウト

・私と小学校時代塾が一緒で、中・高・大と一緒だった友人はボーイスカウトをやっていた。すると、我々が中一の時に日航機が御巣鷹山に墜落し、大ニュースとなったのだが、その友人は、「俺はボーイスカウトの隊長をしていて、あの日航機を観た」と言い張っていたのだが、私とか、同じバドミントン部の連中から、「お前の話は嘘だとは思わないけれども、本当にダッチロールしていたのか?」という疑念が生じた。しかし、友人は、「間違いない」と言って譲らなかった。ただ、彼が逞しいのは、ボーイスカウトなどでキャンプなどをする際、そこら辺の草を持ってきて、用を足した後、拭いていたそうである。しかしながら、彼の告白によれば、一度、漆の葉でそれをやってしまい、この上ない苦しみを味わったそうである。ボーイスカウトをやっていると、生活力がUPする気がするが、漆の話を聞くと、私にはとても務まらない気がした。

・私は幼稚園に通う前から背が小さい方で、小学校の一年生の頃は、前から三番目だった。一番前に立つと、整列の時にみんなと違うポーズをしなければならならなかったので、それだけはしたくなかった。それが、高一の夏休みが明けると、友人から、「お前、シークレットブーツを履いているんじゃあ無いのか?」と言われる程、自分の背が一ヶ月半で5cm~10cm位伸びていた。自分でも不思議な感覚だった。未だに解らないのだが、人間にはタケノコみたいに急にニョキニョキ伸びる時期があるということだ。

・集中すると、音や声が聞こえなくなる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

結婚式のスピーチ

・結婚式のスピーチと言えば、粗相が出来ない分、緊張するものである。何度か、友人のスピーチや二次会のパーティでの役割をこなしたが、いつまで経っても慣れないものである。主に、中・高の友人に頼まれる事が多かったが、一度だけ暴走したことがある。小学校の塾友達で、中・高・大と一緒だった友達には、「お前の結婚式なんだから俺にも何か言わせろ」と言ってしまった。友人代表の挨拶をする奴からは、「お前、凄い度胸だな」と言われたが、私も引き下がれなかった。披露宴では、私のスピーチの時間は無いと思っていた。しかし、私が、たんまり酔った頃、マイクが回り始めた。『これは、俺に来る』と思った私は、用意していた話を披露した。それは行きの電車の中で考えていたのだが、その友人と、中一の時、一緒に遊園地に行った時の話であった。マイクを持った私は、その友人との二十年にも渡る腐れ縁を話し、お互いに三十近くなった頃に、中一の夏休みの終わりのことを話していた。卑猥にならない様に注意しながら、「その遊園地には、プールがあったのですが、私は遊園地に行くということで、水着を持って行きませんでした。すると友人は用意のいいことに海水パンツを二つ持ってきて、プールに入ろうと言ってくれたのですが、私も幾分躊躇した挙げ句にプールに入ることにしました。それからというもの、同じ釜の飯と言うよりも、同じ海水パンツを履いた仲として、付き合わせて頂きました。重ね重ね、本日はおめでとうございます」と言った私の言葉がトリとなった。友人と奥さんに、私なりに、精一杯のはなむけの言葉を贈った。友人の親父さんが大声で笑ってくれたのを今でも覚えている。

・結婚式は、やっぱり、飯の旨さに限る。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

行きつけのガソリンスタンドの主任

・最近は、ガソリンがやたら高いので、近所で一番安いスタンドのセルフで入れることにしている。そこの主任の方とも仲良くなったのだが、一ヶ月程行けなかったのは、もちろん、骨折のせいである。主任の方に、熱海のゴルフ場で高台に打ち上げてしまい、そこで足を滑らせて、斜面を15m位転落し、肋骨を二本程折った話をした。当時は大して痛くもなかったので、打撲だと思い、その後もドライバーを振り回して、車で帰って来た旨を告げると、驚いていた。その主任の方は、ゴルフはやったことは無いらしいが、小・中・高と野球をやっていたそうだ。こう書くと、ものすごく失礼だが、私は暴走族のヘッドでもやっていた方だと思っていた(それ位しっかりした方だ)。私の疑念をよそに、きっと私よりも若いであろうその主任は、思いっきり体育会系だったのである。だから、話すときも目をそらさないし、ものすごく礼儀正しい方である。私は、あの青年が気に入っている面もあり、そのガソリンスタンドでお世話になっているのだが、こないだ行った時、「ガソリン安くなりましたよね」と話した所、リッターあたり、先月よりも十円前後安くなったそうだ。車を整備してもらう時も、側で興味深く眺めさせてもらっている。これでも私は機会科出身、興味が湧いて仕方が無いのである。

・そういえば、学生の頃、家庭教師で教えていた男の子が、車が好きで、車のプラモデルを作っていた。彼は、高校進学の際、車好きが高じて、そっちの道を選んでいた。若くして自分の道を決めたのだから大したものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ロータリーエンジンの悲劇

・もう、二十年くらい前のことになるが、ルマン24時間耐久レースで、唯一のロータリーエンジンを積んだマツダのマシンが総合優勝したことがある。しかしながら、翌年からレシプロエンジンのみの大会となり、いわゆる、『ロータリーエンジン禁止令』をくらい、事実上、レースからほされた。そもそも、ロータリーエンジンとは、ドイツ人が考案したエンジンであるが、それを実用化したのは、マツダである。燃費の問題など、様々抱えていたのだが、レシプロエンジンが、縦運動を回転運動に代えるのに対し、ロータリーエンジンは、回転運動を回転運動に伝えるという、画期的なエンジンであった。私は中三の時に、ロータリーエンジンの幾何学的美しさに惚れた。一年分のテキストを一週間で読み、親父の本棚から、専門書まで紐解いていた。何より、機械屋にとっては、あのエンジン音がたまらない。マツダが、ロータリーエンジンの研究は進めるが、今後は市販車には搭載しないと宣言したのは、残念でならない。

・自宅周辺をしょっちゅう、廃品回収車が廻る様になった。最初、壊れかけていた、友人から譲り受けたソニーのコンポを無料で引き取ったが、他の品を出したら、尋常では無い金を取られた。友人にその話をすると、笑ってはいたが、一言、「それって詐欺じゃあねえのか?」と言われた。三年程経ってからだろうか、その廃品回収車のテープは改められて、「パソコン、コンポ、原付バイクなどは無料にて引き取ります」という表現に代わったが、相変わらず、「無料にて、無料にて、お取引致します」という所がデフォルメされているのは、代わっていなかった。そういう車が廻りだし、近所中からひんしゅくを買っていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ゲルマン民族

ポルシェはドイツ人のポルシェ博士が作ったので、その名がついた。高速でポルシェを見かけた時、その高速での機動性に驚いた。その上、ポルシェが空冷なのにも驚いた。前にうちの隣に住んでいたおっちゃんがポルシェに乗っていたのだが、「ポルシェって空冷なんですよね」と尋ねると、エンジンオイルを大量に積んでいるとのことだった・・・山口百恵の『プレイバックpart2』では」、『緑の中行く真っ赤なポルシェ』と出てくるが、私は奥軽井沢のあたりをイメージするのだが、歌詞では、ミラーをこすっただけで、なめられ、最後には『馬鹿にしないでよ~』と、運転しているお姉ちゃんがブチ切れるのだが、どう考えても、現在の軽井沢に、真っ赤なポルシェは必要ない。本来ならば、ドイツの速度無制限のアウトバーンを250Km/h位でぶっ飛ばしながら、小回りに疾走する真っ赤なポルシェの方がイメージが湧く。でなければ、あの車の良さが解るはずも無い・・・なんというか、ポルシェ博士を生み出した、ゲルマン民族の偉大さみたいなものが伝わってくる。

・水道管などを直角に曲げるという問題にぶち当たった時、東大生の結論は、『いくら計算しても、理論的に作れない』というものだったが、どこかの工業高校の生徒が、『エイヤー』と創ると出来たらしい。

・Uボートこと、いわゆる潜水艦を作ったのもドイツ人である。タンクを発明したのも、車を発明したのもドイツ人である。日本人に親切なのも、二次大戦のセピア色した賜物かもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

本当に好きなものは好きとは言えないよな・・・

・私が中学一年の時に、つくば万博があった。その時、友達同士で行こうということになり、スケジュール管理をするために、図書室に通っては時刻表などを調べ、余裕のあるものにして、全員分コピーした。私も含め、五人で行ったのだが、仲の良い友人の親父さんがなかなか行くことを許してくれなかったそうだ。それも仕方が無い。しかし、友人が、我々が作った計画表を見せた所、お許しが出た。後に聞くと、子供とばかり思っていた親父さんが、私達の計画表にいたく感心したとのこと・・・しかし、その友人はやってくれた。混み合う万博会場の中で昼食を採ったのはいいのだが、ついでに、財布と学生証と定期券と生徒手帳まで落としてきてくれた。帰りの切符代は、皆で出し合った覚えがある。その友人が真剣に落ち込んでいたので、みんなからかうどころでは無く、慰めるのに大変だった。その後、親切な方から、学校宛てに、彼の元へ財布類が届いたのだが、友人は苦笑いしながら、受け取っていた。

・内藤國雄著の本で語っていたのだが、『おゆき』がヒットした際、美空ひばりと会う機会があったらしい。美空ひばりは、将棋もなかなか強かったらしく、内藤は、よっぽど声を掛けようと思ったらしいのだが、掛けられなかった事を後悔したそうである。あの内藤を持ってしても、美空ひばりは天上人であったようだ。私にも経験があるから解るが、哀しいかな、男というものは、本当に好きな娘に出逢った時、なかなか声を掛けられないものなのだ。

・ずうずうしいくらいならば、私は節度を守る。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『にぎり』と言えば寿司

・昔、友人で熱狂的な巨人ファンの友人がいたので、ニギることにした(時効)・・・その話を大学一年の時の退屈な独語の時間に友人に話した所、「ニギるってどういう意味だ?」と聞かれたので、説明に困り、咄嗟に私は、「ニギる?ニギる・・・にぎると言えば寿司だ」と応え、手で寿司を握る格好をした。そして、その友人に、日本シリーズの話として、「一日目には千円の寿司をにぎり、二日目には、二千円の寿司をにぎり・・・結局四連勝しちまったんだよな」と話し、「結局、四日目には四千円の寿司をにぎることになった。結果、それで壱万円の寿司を美味しく頂いた」という話が済んだ頃には、友人も寿司の握り方を覚えた様だった。それから暫く、考えていたのだが、あることに気が付いた。それは、そういうにぎり方をしていると、四連勝が一番美味しいお寿司をいただけるということだ。いろいろなパターンを考えてみたが、どう考えても、そうなるのである・・・野球に関して言えば、現在では、クライマックスステージなどという、客集めの興行などが行われているが、本来、日本シリーズに出るのは、リーグ戦で一位のチームが出るべきであり、でなければ、シーズンの成績というものが報われない。

・私は寿司を食う際、『カッパ巻き』から入る。カッパ巻きのいわれは、きっと、河童の好物がキューリであるからであろう。数年前、遠野の『河童淵』を旅したが、震災後、(あそこに暮らしている方々を中心に)どうなったのか、心配でたまらない。

・私の母は、私が子供の頃、いくら服を汚しても、決して叱らなかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

サッカーの王様、ペレ

・大学二年の春休みの事であろうか、弟とサッカーゲームをしていた際に、昔の豪傑達が集まっているチームがあった。豪傑達の中でも、背番号10はペレである。私が、普通のチームを選んでも、なかなか弟に勝てなかったので、豪傑チームを選んだ。それでも、なかなか勝てなかった。仕方が無いので私は作戦を変えることにした。ペレにボールが渡ったら、必死にドリブルさせ、歌を歌うことにした。たしか、「ペーレーペレペレ、俺は~王様~」などと歌ったはずだ。これが弟の笑いのツボをつついたらしく、勝つことが出来た記憶がある。尤も、三試合しか勝てないワザではあったが・・・

・とある新婚の友人に、「セックスは真剣にやれよ」と二回も同じ事を言ってしまった・・・『芸がねえ』と反省する一方で、『どうしようもねえ奴だな』と、後で自己嫌悪に陥った。

・塾講師仲間でゲームの話になった時、繊細だが面倒見が良く、話をしても、笑いが止まらない講師が、初代ファミコンの話になった時に、「昔のことですけど、俺のファミコン、長時間やり過ぎて、火を噴きましたよ」と語っていたのが傑作だったので、私が、「レーシングマシンじゃあるまいし」と言って爆笑していた。火を噴いた時点で、大慌てで水を掛けたらしく、「それじゃあ、火攻めに水攻めじゃないか」と言って再び笑い・・・「それにしても、ファミコンで自宅が全焼なんて事になったら、出火原因を言うのも恥ずかしいじゃないですか」と言うので、「そうなったら任天堂を訴えるしかないな」と応えたら、「それも恥ずかしすぎますよ」と言っていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

源氏と平氏

・一般に、『平家の落人』といえば、聞こえは悪いが、初めて武士で太政大臣まで登り詰めたたのは、平清盛である。平氏も源氏も天皇家の血筋である。源氏は清和源氏と言って、清和天皇の血を引いている。一方で平氏は『鳴くよ(794)鶯、平安京』で有名な、桓武天皇の血筋から来ている。何で、源氏だけが征夷大将軍となって幕府を開ける様になったのかは知らないが、ルーツは、もっと前の時代の坂上田村麻呂から来ている。そもそも、源氏と語り、征夷大将軍となった者のみが、幕府を開いて、政権を開く権利を持つ様になったのは、後世になって作られた、しきたりというのが妥当であるし、後付けと言わざるを得ない。そういうわけであるから、『歴史は勝者が作る』という事実を踏まえれば、平家を祖先に持っている家系というのは、卑屈になる必要も無く、それだけ、源氏の追い込みが激しかったことを物語っている。私が記憶している限りで、武士で太政大臣以上に登り詰めたのは、平清盛と、かの、太閤秀吉ぐらいなものである。源平の合戦で、戦の天才、源義経に完膚なきまでに叩きのめされたからこそ、平氏は清盛亡き後、『落人』などと呼ばれるまでになったのだ。平氏無き後、義経は頼朝に追い詰められ、討ち死にする。勝った源氏の頼朝も、二代で滅びている。結局、『吾妻鏡』からも明らかな様に、鎌倉時代というのは、東国の一毫族である北条氏のものとなってしまった。天下を取ったのは、源氏でも平氏でも無いというのは、皮肉なものである。

・小学校の時の友人が、『義経記』を読みながら歩いていたらしいが、危うく車にはねられそうになったそうだ。それを聞いて私は、「そういうことは、二宮金次郎の時代にやれよ」と言った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

凄い発見

・私が塾講師をしていた時代に、とんでもないハッタリ野郎がいた事は何度か書いた。そいつは某大学の物理学科に所属していたのだが、私に『シュレディンガーの猫』の説明も出来ない奴だった。そこで、素粒子論という、旬を去った研究(?)をしていたのだが、ある時、私の携帯に電話してきて、「俺、凄い発見しちゃったかもしれないんですよ」と、開口一番に言ってきた。私はほろ酔い加減だったのだが、『どうせ嘘だろ』と思い、適当に持ち上げてから落とすことにした。そして、「もしそれが本当ならば、IQ200とでも言っておけ」と言った後に、もっと持ち上げるために、「今の時代、IQはもう古い・・・そうだな、EQが500ありましたとでも言っておけ。もし、お前のEQが500だとするならば、一生、女に不自由しないぞ」とまくしたてた。そいつは嬉しそうに、「そうスよねえ」と乗ってきたので、私は、「いいか、今の時代EQなんて計る方法が無い。そこが付け入るチャンスだ」と言ったら、そいつはさらに調子に乗り、「もしこれが正しければ、ノーベル賞ものですよ」と言ったので、私はそろそろ落とし所だと思い、「馬鹿野郎。たかがお前の卒論程度で、そんなことある訳無いだろ」と言ってから、「計算ミスがあるはずだから、自分で検算してみろ。まあ頑張ってくれ」と言って、電話を切った。すると、数日後、案の定、「この間の発見、俺の計算ミスでした」という電話が鳴った。図々しい奴だったので、フォローしなくてもいいか、と思ったのだが、せめてラーメンを奢ってやった。

・嵌めたのは悪かったが、ハッタリ野郎は、『不確定性原理』についても、よく解っていなかった。それでどうやって素粒子論やれるんだよ・・・高校物理だぞ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

氷上の格闘技

・ケーブルTVで、遅まきながら、NHLの2011~2012年度のスタンレーカップの試合を観た。キングスとデビルスの試合で第6戦、キングスが三勝二敗で王手をかけていた試合だった。結果は1ピリで着いたと言っても過言ではない。デビルスの選手がキングスの選手に強烈なチェックをして、メジャーペナルティを喰らい、その間のパワープレイでキングスが3点取って、あっけなく決まってしまった。チェックしたデビルスの選手も、反則は犯しておらず、メジャーは納得がいかなかった。私が思うに、アイスホッケーで、少々きついチェックに文句を付ける位なら、それは、戦っていない証拠だ。反則で無い限り、チャージを喰らって、気を失うのなら、それは、そいつが悪いのである。そういう覚悟の無い者に、出る資格は無い。余りにもシラけた結果だった。

・一度きりのことだが、高校時代、電車の中で、立って参考書を読んでいたら、眠気に襲われ、膝がガクガクしてきた。すると、前に座っていたおっちゃんが、「勉強している奴を立たせるわけにはいかねえ」と、席を譲ってくれようとしたが、数学塾で終電で帰ってくるのも私の責任、英語の授業の予習で眠くなるのも私の責任、深夜放送を聞いて夜更かしするのも私の責任・・・他にも、もろもろあったが、全て、私の責任問題であった。そんな中で、そういう風に、席を譲られても申し訳なかった。人の親切を断るのも、失礼だと思ったが、礼を言って、断固として電車の中で立ち続けた記憶がある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

マックとコンビニと

・塾講師時代の後輩講師達が、就職活動の時期に入った頃、みんな、口をそろえて、「二度とこんな事したくねえ」とばかり言っていた。塾講師室で、私が、「コンビニとマックとどっちを発明した奴の方が偉いんだろうな?」と聞いてみた所、私はコンビニ派だったのだが、就職活動をしていた戦士達は、異口同音に、「そりゃ、マックにきまっているじゃあないですか」と言うので、私は、「どっちとも言えないんじゃあないのか?」と反論したが、彼らは譲らなかった。その様子を伺い、『就職活動中はマクドナルドのバーガーばかり食っているのかなあ?』と思ったので、話題を変えてみた・・・もう、十年以上前になるが、マクドナルドが『バリューセット』なるものを売り出したのだが、皆で話し合った所、あれはフライドポテト(爆発的に利益率がいい)をいかにサバくかという作戦で、お得などころか、無理矢理ポテトを食べさせている様なものだ、という結論が出た。要するに、マクドナルドは売れない商品をサバいていたとの噂であった。それでもみんな、仕方無く食べていた様である。気の毒に思った私は、面接必勝法を伝授した。最終的には、なんだかんだ言って、みんな就職内定をもらったのだから、良かったと思っている。

・元々私は、ヨーロッパを放浪した時に、イタリアのミラノで、(物価が高いために)五食連続でマクドナルドのハンバーガーを食べた。その後、五年くらいはバーガーなるものが食べられなかった。

・日本とドイツとイタリア。ローマ帝国時代のイタリアなら、同盟にも意味があったが、イタリアが、今、一番うまいのは、サッカーとイタメシぐらいなものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

賽の目

・現在、大河ドラマで『平清盛』をやっているが、あのオープニングの映像で、二つのサイコロが転がるC.G.が流れる度に思い出すことがある。どの法皇が言った言葉かは忘れたが、あの時代、「鴨(賀茂?)川の水の流れ、比叡山の僧兵、双六の目はいかんともし難い」という、有名なコメントがあった。現代では、鴨川も整備され、叡山には寺の子が通う様になったが、モノポリーでの双六の目は、いかんともし難い。双六という漢字一つ採っても、考える余地がありそうだ。また、文化面では、当時、『三夕』と呼ばれた、『秋の夕暮れ』で止めた短歌が三つあるのだが、一つはインパクトに欠けて私の記憶の中から去ってしまった。その中に、西行のものもあった筈である。忘れた記憶の中から、脳髄を振り絞って思い出してみても、『五、七、五、七、七』のうちの二つの『七、七』しか思い出せない。それは、『霧立ち上る 秋の夕暮れ』と『鴫立つ沢の 秋の夕暮れ』という二つであるが、どちらが西行のものか忘れてしまった。どちらも名句であることには変わりは無いのだが。

・大学で何をやるのかも解らないのに、高校の時点で、進路が決められる筈がないだろう。

・中高時代の話だが、いくら学業でトップを張ってても、エロ本を読んだだけで、学年中の噂になる様な道を選ぶ奴は、はっきり言って馬鹿以外の何物でも無い。そういう奴は、伸びしろが見えている様なものだ。もっと、上手くやれと言いたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

スリラー・スリラ-ナイト

・マイケルジャクソンの『スリラー』ではないが、それを地で行く様な宿に泊まったことがある。埼玉の奥地を家族で旅した際(私が中一の頃)、ゴールデンウイークかお盆だったか忘れたが、旅館に行く度に、「満室です」と宿泊を断られていた。困って宿探しをしていると、『釣り堀、アイススケート・・・』などと書かれた看板を、親父が目ざとく見付け、その宿に直行した。どれだけ山道を登ったか覚えていないが、怪しげな宿に着いた。宿泊客は我々のみ。宿選びに疲れていた私達は、そこで一泊することとなった。部屋に案内され、夕食はまだかと待っているうちに、いい歳をした女将が、一升瓶を抱えて。我々が食事を採る中、そのばばあは、独りで呑んでいたので、おふくろが、「稼ぎ時に仲居さんが一人もいないんですね」と言ったら、そのばばあは、「今、みんな田舎に帰っている」という、苦しいハッタリをカマした。また、親父が、「釣り堀はどこにあるんですか?」とフォローも込めて聞くと、「三年前まではあった」などという始末。ブチ切れた私が、「看板に書いてあった、アイススケートをする場所なんか、ないじゃあないですか!!」と、文句を言ったら、「冬に川が凍ったら滑れる」などと言いながら、終いには、独りでグデグデに酔っ払って、私と弟に説教する始末・・・よっぽど、ぶちのめしてやろうかと思った。いざ、就寝の時間になると、大雨が降り、雷が鳴り出した。肝っ玉の座った私のお袋でも、「この宿には何かある」と言ってあまり眠られなかったそうである。他の三人は爆睡したが・・・翌日、朝食を採った後、私と親父と弟は、鬱憤を晴らすべく、私が持ってきたブーメランを、その宿の駐車場の裏にいかにぶつけるかを競った。勘定を済ますと、母は、「今までで、最低の宿だった」と言っていた。

・私は独り旅で、民宿の仏間に通されたことがある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ムツゴロウさん

・ムツゴロウさん(畑正憲さん)は、動物番組で一躍有名になったが、雀聖、阿左田哲也からも認められる程の、麻雀の強豪だった。そんなムツゴロウさんが言っていていたことなのだが、「今までに、たくさんの役満を観て来たが、スーカンツだけは観たことが無い」とのこと。色々事情は考えられるが、みんな、スーアンコウにしてしまう方が、効率がいいからであろうと思う・・・畑さんは北海道に住み、多くの動物を飼っていることで知られている。しかし、私が思うに、『ムツゴロウさん』というのは覆面な様なもので、実は、相当な勝負師であった様な気がしてならないのである。

・人に自分のものまねをされて、気分のいい奴などいない。大学時代に、二人、殴り飛ばしてやりたかった奴等がいた。

・洋楽を訳す場合、詩というものは、文法さえ間違っていなければ、『この詩を自分ではこう解釈した』と言っても通るものだと聞いた。例えるなら、『千の風』などがいい例だ。あれは、鎮魂歌などではない。あの曲の邦訳は、本当に身内を亡くした人の気持ちなどを捕らえるものではない。慰めにもなってはいない。どうでもいい様なものなのである。仮に鎮魂歌だとするならば、少しばかりでも、デリカシーのある、救われる訳をつけて欲しかった。

・人の幸福を喜べるって事は、自分にとっても有り難いことだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

五歳になったか

・今日を迎えて、この毎日blogも満五年となった・・・とりあえず、胃が痛い。胃薬でも飲もうか・・・何でこんな苦行を毎日続けているのか、自分でも不思議である。「このblog、今日で満五年だ」と言うと、母が黙って、赤飯を炊いてくれた・・・いろんな想いがあった。愛をうたったこともある。悲しみにふさがれたこともある。酔い崩れて、何を書いたか解らない時もある。ただただ哀しかったから、続けて来られたのだろう。どんな時間に眠っても、午後の十一時半には目が覚める様になった・・・哀しいことを悲しい思いで語ってはならない。世の中は、歳を取れば取る程、解らなくなる。その中でも、我々は凜々しく立って行かなければ・・・新たな希望よ、弾けろ。真夏の空を彩る花火の様に。新たな華よ、咲き誇れ。香しい花が絶えない様に・・・もっと、もっと、笑って過ごそう。何もかも知った上で、何にも知らない童子の様に・・・

・体格面でレギュラーになれないスポーツ選手の先輩を観ていたが、その人は、ベンチで一番大きな声で、味方に声援を送っていた。偉いなと思った。

・俺は悔しい時に泣くんだけれどな、いつの時の事に泣いているのかなあ。過去についてなのか、現在の事なのか、未来への不安なのかは、解らない・・・そういう風に考える様になった。

・俺は、足の裏のごはん粒でも、喜んで食べるよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

20勝15敗の男

・金ヤンこと、400勝投手の金田正一は、コントロールの変化を使って、審判のストライクゾーンを5cm程度広げていたという話だ。本当だとすると、恐ろしい程のコントロールである。しかも、金ヤンは、400勝300敗という記録を残している。これは、よくよく考えると、二十年間で、毎年20勝して、しかも、15敗しなければ達成できない記録だ。その方が驚く・・・故親父がよく言っていたことだが、「金田のフォームは、誰にも真似が出来ないくらい、しなっていた」と語っていたのを、昨日のことの様に覚えている。

・高校時代、「『ねるとん紅鯨団』に出ようかなあ」と言った友人に、「あんなにレベルの低い女達と付き合っていると、自分のレベルまで落ちるぞ」と留めたら、その友人は思いとどまった。何故、その言葉を使ったかというと、友人の将来性を見込んでいたのと、バレンタイン特別企画として、女の子の方からチョコを持って、逆告白するという週があったのだ。その時に、フラれた女が、夜叉のごとく荒れ回りチョコを踏みにじった。それを知っていたから、あの番組に出る女の質というものが解るというものである。将来有望な友人だったからこそ、「出るなよ」と言ったのだ。

・『酔う』という事は、心が揺れるということだ。酔っていないから、心は醒めているのだ。独り月を見ながら飲み、音楽をかけ、希望を探す。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

俺に買いに行かさせて下さい

・大学の研究室時代、私が競馬新聞を読んでいる所(時効)、仲のよいて先輩が、「折角の有馬記念だし、俺も買ってみようかなあ・・・でも素人だしなあ」と迷っていたので、「それだったら勝負ですよ」と言って、事細かに説明した。「お前が、そこまで研究しているなら、お前に乗るよ」と言われたので、何としても、この先輩に勝たしてあげたいと思った。そして、私は、「このレースは三頭で走る様なものですよ」と言った所、その先輩が「千円までしか出せないけれど、予想はお前に任せる」と言ってくれた。そして、再び解説に入った後、私のキャリアをおもしろおかしく聞いてもらった。そして、肝心な一言として、「GⅠだから、どの馬も勝ちに来ていますが、飛び抜けているのは、この三頭です。それでも、あえて二頭となると一番人気の、組み合わせですね。私は、三番人気の馬が好きなんで、そっちを本線にしますが、もちろん一番人気の馬も買いますよ」と言うと、私の、馬鹿な方の部下が、「僕も混ぜて下さいよ」と、言って来たが、私はそいつを信用していなかったので、予想しか教えなかったが、そいつは「俺が買って来ますよ」と、言ったので少しは見直した・・・年明けに、思い出したかのいように「先輩、馬券ヒットしたじゃないですか!!」と言うと、先輩は、思い出したかのように「本当か?」という話になったのだが、問題は「俺が買って来ますよ」と、言った私の部下だった。配当金なんかはどこ吹く風、受け取った金まで、支払おうとしなかった。私はブチきれて、「お前、先輩の金をノんだのか?」と言い寄ったところで、先輩が、「もういいよ」と言っていたので、余計、腹が立った。そいつに、「お前には、バクチを打つ資格はねえぞ!!二度と手を出すな!!」と言って先輩に、千円程、受け取って貰らおうとしたが、その先輩は、受け取らなかった・・・申し訳なさで一杯だった。

・先輩の結婚式で頂いたベルは今でも気分転換の時に使わさせて頂いている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

生命力

・本当に生命力の溢れている時は、寝ている間も隙がない。

・アイスホッケーは、スティックが折れたら(無くたりしたら)、何も出来ない・・・これは、人間関係でも成り立つことで、後ろ盾がなかったら、何も出来ない。

・私は、過去を振り返らない方だが、今でも思い出すことがある。研究室を体育会に代えてしまい(新入りの時、彼はおとなしくしていた)困った奴がいた。理工学部のアメフトをやっていたが、何度も喧嘩を売られそうになった。私は、ほっておいたし、そいつと同じぐらいのタッパを持った、実弟と、高校時代、殺し合いの様なケンカをしていたので、暴力には屈しなかったが、そいつの虫の居所の悪い時に、イジメのような説教をして、訳の分からない論理を吐いていた。結局、後輩に言うことがどぎつすぎて本人自体が守れないという始末だった・・・最終的には、『暴力で解決するぞ』と言わんばかりだったが、そんな馬鹿を相手にするのも、誰からも相手にされない嫌われ者を、殴り飛ばしても、くだらなかった。それが証拠に、別の先輩には結婚式に招かれたのだが、そいつはどこにもいなかった。

・どんなに悔しい思いをしても、そいつの、先天的な病気については、何を言われようともボケ続けて、一言も触れなかった。自分の悪口を言われても黙っていた・・・それを言ったら、人間失格だと思ったからだ。私なりの人間の尊厳の解釈である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「ボデー!!ボデ-!!」

・パンチランカーである、ガッツ石松が、とある有名な選手のセコンドに着いたらしい。そして、選手に、「最後の一ラウンドに、お前の人生を賭けろ!!」と言って送り出したはいいたものの、その選手はノックアウト負けを喰らった。選手もかっこわるかったが、それ以上にそういう指示を出してまで、タイミングが合っていないコメントを出していた、ガッツの方がもっと、かっこわるかった・・・その話をした、友人の話によると、世界タイトルマッチで、ガッツが解説すると、「ボデー、ボデー」うるさすぎるんだよな、という話で盛り上がった。

・高校時代に通っていた数学塾では、数学以外にも、多くを学ばさせて頂いた。そこでは、私が私立という事で、一学年上のクラスに入れられた影響も大きいが、数学の勉強以外に、目上の人への敬語の使い方というものを真面目に考えさせられた・・・」叱ってくれる人もいなければ、褒めてくれる人もいなかったからだ。

・友人との待ち合わせの時(携帯がなかった頃)、改札で本を読んでいたら、なかなか来ないなと思って周りを見渡したら、そいつも、読書に熱中していた馬鹿なようで本当の話である。

・最も楽しい、駅の改札での待ち合わせ方は、人間観察をすることである。しかし一人あたり、パッと観て、性格や物腰まで当てなければ意味がない・・・もちろん、聞きに行った事など無いが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

女心と秋の空

・愛情に溢れた上司。それは、部下を見出してあげて、会社、ひいては社会に貢献するものだが、大概の場合は、自分の地位にしがみついて、潰す人の方が多い。

・本当に伸びるピッチャーは、文武両道である。努力の塊だ・・・それはガタイでも才能でも無い。

・かつて、私と友人で、経験に基づき、語り合った結論は、恋愛に溺れたら、男は(試験で)0点ばっかり取っているのに、女は、関係なく、全部Aを取れるんだよな、不思議だな、という事だった。男と女で脳みその作りが違うんじゃないかと、お互い本気で思っていたし、その、不思議なメカニズムを解明できたら、ノーベル賞ものだという結論に達した。『女心と秋の空』という言葉にお互い、多く、泣かされてきたよな、と乾杯したが、逆説的に考えてみると、この言葉は、一途な男の、馬鹿さ加減を言っている事のような気がする。

・解っている、男同士でも話せないこともあるんだ。でも、男同士でしか話せないこともあるんだ。

・「いやいいよ」という言葉の中には、『我慢』がある。「忘れてもらって構わない」という言葉の中には『意地』がある。『我慢』と『意地』と、どっちの方が疲れるんだろうな・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

究極の女好き

・私には、一浪して仮面して、二浪して、某医大に行った知り合いで、大学一年の時、クラスの女で、一番ケバい女とくっついた奴がいた。そして授業の時、女と一緒に『今やって来ました』という雰囲気、そういう所が気にくわなかった。それでいて、女を抱くために、男と仲良くなるために、男友達連中と仲が良くなるようにつもりで油を売っていた。大学二年かの時、友人に頼まれて、ちゃんこを食う事になったのだが、サザンの『love affaier』を地く男だったが、友人は、じっと観察していた・・・マンションに住んでいと時、女たらしと、そいつの女をほったして、不覚にも、友人は深く眠りに就いてしまったのだが、「あいつら、絶対に、俺の部屋でやってやがったよ」と応えてきた。。。また、スケベな方の様々な武勇伝も聞いたが、彼とはもう十五年以上、面識がない・・・ある時 、友人も含め、三人で脂ぎったちゃんこの具を食べさせられているのに、そいつは、別の意味で、脂まみれの解剖学本を見せつけるのであった。私は食欲を失ったが本人は、ばくばく食うのであった。私がそいつに「将来は何を専門にする気だ?」と聞くと、恥ずかしげもなく、「俺は、産婦人科に進むつもりだ」とこともなげにいうのを観て、『コイツは究極の女好きやな』とかなりしんどい思いをした.・・・今思うに彼は主に色欲のみで産婦人科医になろうとしていたが現代の産婦人科医の、多忙さといったら殺人的なスケジュールである。私から言わせれば、奴には、己の欲を満たすために、精一杯、悪行を積み重ねてきた業である。まあ頑張ってくれ、としか言いようが無い。

・世の中には、信じられない位の女好きがいる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

骨折の経過

・半月程前の肋骨の骨折の後が、ようやく治ってきた様だ。一緒に廻った二人には迷惑を掛けたが、その後、骨折の件をblogで公開した際、二人から、メールと電話をもらった。そして、二人から、「怪我が治ったらまたいくぞ!!」という、最高のエールをくれた。まだ打ちっ放しには通えないが、密かにパットの練習をしている。当面のライバルは、草加の『Katsu』の店長であるが、彼は運動神経が良く、抜群のパワーを持っているので、侮れない・・・しかし、この三人組で廻ったら、ギャグが絶えないのだから面白い。彼に、私がケーブルテレビで集めた、ゴルフのレッスン番組を、「BR(ブルーレイ)でよかったら、貸してあげるよ」と言った所、「店にPS3ならあるんだけどなあ・・・」と言ったので、『さすがに、飲食店で、ゴルフレッスン番組を流すのはまずいかもな・・・』と思った私に、店長は、「スカパーもあるぞ」と言っていたので、「そこでレッスン番組をいくらでもやっているだろう」と話したのだが、それも店の物らしく、上手く行かなかった・・・しかし、店長もゴルフにハマッた様なので、私も精進せねばならないと思っている。あっという間に抜き去られるのだけは、避けなければならない。

・ゴルフの初ラウンドで、まさか肋骨を折っていると、思ってはいなかったので、二人を熱海駅まで送った後、その日のうちに、車で帰宅したのだが、翌日、下半身(特に右足)の筋肉痛と骨折の痛みが同時にやって来た。もし、その日に帰っていなければ、大変なことになっていたことだろう。翌日では帰ってはこれなかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

仲の良かったおっちゃん

・私が覚えている記憶はこれで最後になるが、例のご近所さんで、シャイな内面に裏打ちされた破天荒なおっちゃん(もう亡くなったと聞いた)が、ある時、私が車庫から車を出すと、歩いていらした。その時は、お袋が免許を取った際の、中古のストーレットだった。私は、多分、どことなく出かける予定だったのだが、おっちゃんを見付けると、軽くクラクションを鳴らし、どこに行くのか尋ねると、おっちゃんは洗濯機の取水のバルブが壊れたそうで、バスに乗って、近い様で遠い雑貨店に行くとのことのことだった。私は、おっちゃんが引っ越してきて歳月が経っていないので、「それなら、もっと近くに同じ様なホームセンターがありますよ」と言って、おっちゃんを送ることにした。おっちゃんは無口であったが、まもなく店に着いた。二人でその部品を捜していたのだが、おっちゃんが目ざとく見付けた。私が店員を呼んで、おっちゃんの前で、説明を聞いていると、その店員は自分への責任を避したけるためか、私でも解らない説明をした。おっちゃんは、しばらく黙っていたが、勝負師が何かに賭けるような雰囲気で、「これでいい」と言って購入してしまった。私が、「大丈夫なんですか?」と車の中で尋ねると、おっちゃんは、「あいつ、言い訳ばかりしていただろ、昔は下の奴の責任を上の奴が取るのが当たり前だった」と言って懐かしい眼をした。そして、「あの店、いずれ潰れるぞ」とブチ切れながら言っていた。洗濯機の問題は、上手くいったのだが、おっちゃんの言うとおり、その店は潰れていた。予言通りだった。

・そのホームセンターの店員の説明をギョロリとした眼で、じっと見ていたおっちゃんの顔が忘れられない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

番外戦

・将棋の十五世名人、大山康晴は、確かに強かったのであるが、番外戦も得意だった様である。将棋のタイトル戦などでは、高級旅館や一流ホテルなどが対局場になるのだが、対局中に、後輩棋士が、考え込んでいると、大山は、さらりと、「君、宿の人に、いくら包んだ?」などという、答えに困る様な話題を振ったりしてまで、勝ちに行った様である。また、とある先輩棋士との対局の際、先輩棋士の残り時間が無くなって、一分の秒読みに入った時、先輩棋士が、何度も、時間オーバーしていたらしいのだが、業を煮やした大山は、何回目かの時間オーバーの際、盤上を観ずに、時計の方を観て、「ああっっっ!!」と叫び、結局、その先輩棋士を、タイムオーバーで負かしたらしい。姑息な様だが、そういう知恵が廻らなければ、あれだけ将棋界で、天下は取れなかったであろう。また、大山程、最近の棋士では、将棋界に貢献した棋士もいない。今の将棋会館が出来たのも、大山による功績が大きい。どちらにしろ、偉大な棋士である事には、変わりが無い。

・音感の問題なのかも知れないが、中・高・大と同じ大学に通っていた友人が、これまた、同じ大学の今でも付き合いのある帰国子女の友人に聞いたことがあるらしい(当時は帰国子女の友人とは付き合いはなかった)。それは、「洋楽でも、桑田佳祐張りに、何を言っているのか判らない奴っているのか?」というものだった。その帰国子女の友人は、「いっぱいいるぞ」と笑いながら応えたらしい。それを聞いて、おかしくてしょうが無かった。後で聞いた話によると、帰国子女の友人は、運転中にサザンの『真夏の果実』を聞いて、事故を起こしたらしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

いい焼け方してやがるなぁ

・高校生の時、すぐにブチ切れる、ヤクザの様な眼をした、駄目な英語教師がいた。その教師は、我々の代ではないが、下駄箱に置いてあった、自分の革靴に、生卵を入れられたそうだ。もし私だったら、恥ずかしくてそんな話はしない。私が卒業した後も、生徒への問題発言でPTAからお叱りを受けたらしい・・・それを人のせいにするから、あんな人間は教師としての役割に欠けるのだ。私が高校の頃と言えば、バブルの頃で、ゴルフの会員権など暴騰していたが、何故か、その教師は会員権を二つも持っていた。そして授業で、「明日風邪を引きます」と言って、次の日休んだ後、その次の日は、左手以外、思いっきりゴルフ焼けをしてくる様な奴だった。その後のある授業の時(私は全く相手にしていなかった)、教科書の質問で、「What is your the best hobby?(貴方の一番の趣味は何ですか?)」という例文を当てたのだが、当てた生徒が悪かった。某旧帝大の医学部に一浪して行った奴だった。彼は、嫌味を言った。「My hobby is golf. But,my best score is not under one hundret .I love golf, if I will go to golf, though, I don't do my job.(私の最大の趣味はゴルフです。でも、私はベトスコアが100切っていないのに、いざ、ゴルフに行く段になると、仕事を放り投げてでも行くのです)」。と、言い放った。その教師は、よっぽど殴りかかりそうだったが、その友人は堂々としていた。クラス全体で手拍子が起こり、その教師も苦虫をかみつぶした様な顔で、怒りの震えをこらえていた。授業終了後、彼は英雄だった。その教師は、みんなから嫌われていたのだ。

・教師でも、生徒の立場に立って、死ぬ程の努力をしてくれる先生にはついて行くし、何も言わない。生徒をナメる教師は、必ず、生徒からナメられる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

族の兄ちゃん達

・私が車に乗っていて、暴走族に遭遇した事は、今まで二度あるが、一度目は友人の車だったので、すかさず、「脇に寄せろ」と言って、車を止めさせた。その時、よくよく観ていると、対向車線を走っているバイクが半分で、完璧に道路を占有していた。幸い、何にもされなかったが、私が、「迷惑な奴等だな」と言うと、強がりな友人も、「あいつらイカれてるぞ。多分、カラオケで尾崎の『卒業』でも歌った後に、来たんじゃあないのか」と言ったので、私は、「それはあり得るかも知れないな」と爆笑させられた・・・それから十五年位のことであろうか、私が夜道を帰宅すべく、車を運転していると、途中の交差点でうるさい音がし出した。その後、暴走族の車止めにあった。バカな真似をするのは勝手だが、信号が青なのに、赤信号無視の奴等が、我が物顔で走って行った。私としては、『久しぶりだな』と言う思いと同時に、『今時、あんな族がいるのか』と言う驚きを否めなかった。よくよく観察してみると、奴等は、パトカーと同じく、音で威圧して、車止めをするのだ。だから、一番前には、威勢のいい奴(単に目立って、うるさい奴)がいて、しばらくして、若造が走り、その後、幹部に囲まれた親玉の車が通り・・・という様な、私から言わせれば、魚鱗の陣をしいているのが、面白かった。まあ、迷惑な事にには、変わりが無いのであるが・・・

・それにしても、族の兄ちゃんが、ガソリンスタンドで、セルフでガソリンを入れている姿を想像すると、マヌケ極まりない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »