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王将

・戦前、将棋界は、関東と関西で、棋士の対局料が大幅に異なっていた。東高西低という状態である。かなりの差があった様だ。このため、関西の棋士達は、名人位を関西に持ってこようと、一致団結していた。『名人位を箱根の山から西に持って来ねばならぬ』というのが、関西の棋士の悲願となった。当時の名人は、木村義雄名人といい、無敵将軍と呼ばれていた。まず最初に対戦したのは、大阪の通天閣の下の『王将』の碑で有名な阪田三吉である(ちなみに、通天閣の下には、ギョーザの王将もある)。これが俗に言う、『南禅寺の決戦』であった。この時、阪田は、初手に9四歩と突く様な、常識外れな手を打った。年齢差があったのも事実で、結果、木村に敗れる・・・私が、旅で、南禅寺に行った際、和尚に、「南禅寺の決戦の場所はどこなんでしょうか?」と聞いたら、和尚は、「私もよくは知らないのですが、『南禅院』の筈ですわ」と教えてもらった。また、名人戦で最初に木村名人に挑戦したのは、他ならぬ升田幸三であったが、敗れた。本人曰く、「のぼせ上がり過ぎた」と語っていた。結局、名人位を持ってきたのは、皮肉にも、升田の弟弟子である大山康晴であった。木村は、「よき後継者を得た」と言って、引退した・・・私が思うに、升田幸三程、木村名人を尊敬していた人はいないのだと思う。それが証拠に、『陣屋事件』などが起こったのではないだろうか?・・・ずる賢い大山より、私個人としては、升田三冠王の方が、よっぽど好きである。

・悲愴な覚悟があってしか、男は生きられない。

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