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2012年4月

『エイリアン』VS『JFK』

・高校時代の友人で、某大学の『映画研究会』というサークルに入っている奴がいた。そこで話題になったのは、『エイリアン』と『JFK』のどちらが面白いかという事だった。私が『JFK』派なのに対し、友人は、信じられねえ、という顔をして、「『エイリアン』の方が面白いにきまっているじゃあねえか。これは、うちのサークルの面子全員の意見だ」と言い返してきたので、私も負けじと、「おまえ、サークル代えた方がいいぞ」と言ったが、結局、どちらも譲らなかった。他の映画について語っていたら、共調し合える部分もあったであろうが、私は完璧に『エイリアン』はガキの観る映画だと考えていた。『JFK』も、決して面白い映画だとは思えなかったが、『エイリアン』よりはマシだろうと考えていた・・・エイリアンは、制作当初、とんでもない化け物をイメージしたらしいが、哀しいかな、『2001年宇宙の旅』現象を起こしている。それは、人間というものは、それ迄に認識した物からしか類推できない、というブラックホールにハマる現象である。結果、映画でのエイリアンは、ただただグロテスクな物をつなぎ合わせただけで、到底、『恐ろしい化け物』とはいえないものが出来上がっただけである。どんなSF映画でも、この壁は乗り越えられない様である・・・当たり前の事ではあるが、自分が観た事も聞いた事も無いものをイメージしようとしても、出来るはずが無いのである。医学的にも生理学的にも不可能な事は明白である。

・植物も進化するという事は、心があるという事であろうか・・・

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新たな時代への再生

・旅路の途中の函館のユースの近くの店で、夕飯を食べようと中に入ると、年配の夫婦連れがいた。その親父さんは出来上がっていたが、会津若松から来られたらしいのだが、「息子が長州の娘を連れてきた」と悔しがっていた。私は何を言えばいいか解らなかったが、会津における、薩摩と長州の圧政への怨恨は、現代まで続いているのだと、実感した。奥さんが、「あなた、もう、いい加減にしなさいよ」と言う程、その親父さんは酔っていた。一方で、今、福島の人達は、原発問題も抱え込む事となり、悩ましい・・・文明とは何なのか?文化とは何なのか?と真面目に考えた初めての近代人は、私は漱石だと思う。今の時代、文明が暴走し、日本固有の文化など無い。マスメディアは適当な事を言い、文化人は、適当な事ばかり言っている・・・そもそもそいつらは、文化人などでは無いのである。本当に日本がこれから『再生』したいのであれば、幅広い視野を持って事に当たる優秀な人材を創り上げるシステムの構築が急務となる。新たな時代を切り開くしかないのである。その為には、タイゾウ君のような馬鹿を国政に送り込む様な馬鹿な国民であってはいけないのである。また、福祉の問題を考える際、小泉は、福祉の予算を大幅にへずった。福祉が上手く行かない国では、国民が国から保証されないということだ。これでは、国民は報われない。まあ、いずれ、小泉の子孫で困る奴が出てくるであろう。

・情熱が消えたとき、その人の魂も死んだということだ。

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途中下車の旅

・大学一年の時のクラスメイトで、全然授業に出てこない奴がいた(私もそうだったが・・・)そいつは、西武池袋線で通っていたのだが、何故か、池袋で降りてしまうのだった。理由を尋ねると、パチンコで必勝法を見付け、毎日、十万は余裕で勝っていたので、講義なんかに出るのが馬鹿馬鹿しくなったと言っていた。そいつは、パチンコは得意だったらしいが、競馬はヘボだった。全然、実験にも出てこないので、以前、私が漢字の間違い一つで再レポを食らった嫌味なT.Aから、再レポならぬ『廃レポ』を食らっていた。当時のクラスで、私と彼ほどたくましかった奴もいなかったであろう・・・大学二年の頭のガイダンスで、私が出たとき、「何でお前がここにいるんだ?」と言った奴がいたが、私は、「まあ、いれるんだからいいじゃないか」と吐き捨てる様に言った後、黙っていた。後にそいつは、大学三年から四年の時に、付き合っていた女に振られて、酒浸りになり、留年していた。『因果応報』とはこういうことかと思い、留年した奴に、「今度、飲みにでも行こうか」と言って励ました。一方のパチンコ狂も、本番に強く、留年せずに大学を卒業した。電気回路の試験の際には、私は一時間半の試験時間だと思っていたのだが、実際は一時間であり、A判定以外の者は、追試を受けさせられるという屈辱の中で、パチンコ狂の奴の名前は張り出されていた。私は、電磁気学は苦手であったが、電気科の奴と話をする際には、「ガキの頃に掃除機のコードをハサミで切って、物凄い音がして、泣いたというトラウマがあるから、受験の時も電気科は避けた」などと、おどけていた。

・どんな事であれ、男として負けを認める様な自分になったら、お終いだ。

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『プロゴルファー猿』

・『プロゴルファー猿』というマンガを読んで、ゴルフを覚えた。今では、間違いなく、藤子不二雄の駄目な方の作品だと確信している。小学校当時、ゴルフ好きな友人がいて、ドライバーこそ無かった物の、私は父のアイアンセット、何も持ってこれない友人は金属バットを持ってきていた。そうして、公園の一角に穴を掘り、それをドライバー代わりにしていた(金属バットはボコボコになり、使い物にならなくなったが・・・)。しかしながら、ある時、あるおばさんから、『子供が公園でゴルフをやって危ない』というクレームが付き、ゴルフボールからプラスチックのボールに変え、私達は楽しんでいた。それでも、そのおばはんは、ヒステリーの様に『危ない』と言って、私達の遊びを取り上げた。その裏には、『金も無いお前らガキ共がするスポーツじゃあねえんだよ』という悪意もくみ取れた。イヤミなババアだった・・・ところで、今はしらないが、皆さんは、ゴルフボールの中身の構造というものを知っているだろうjか?私の小学校近くにはゴルフ場があり、そこら辺を歩いていると、いくらでもロストボールが拾えた・・・まず、ナイフでゴルフボールの外側をそぐと、異常に長い、細いゴム紐で巻き付かれており、中心には、ちょっと水の入った、ゴムのぷよぷよしたものが入っていた。そういう子供の好奇心の芽まで摘んでしまうのはいかがなものかと思う。子供のゴルフには、子供なりの安全の為のルールがあったし、一方的に阻害するものでもない。現に、何にも悪い事などしていないのだから・・・

・うまいスポーツ選手は、審判の見えない所で、イカサマをする。

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花瓶

・映画『ニューシネマパラダイス』をTVで観て思った事は、惚れた女の家の前に100日間もつったっているというのは、今のご時世、単なるストーキングでしかないだろうという事だ。ハリウッド映画よりも凝った作りにはなっているのだが、決して面白い映画では無かった・・・100日なんぞアマい。私がこの毎日blogを始めて、消えた部分はあるものの、もう2000日は経過している。

・高校の時の修学旅行で、山陰、山陽と周った時に、ある日、地元の方が『安来節』を、全校生徒の前で、歌って、踊って下さったのだが、皆、酒が入っていなかったので、シラけきっていた。

・女が花なら、男は花瓶みたいなものだ。水をやりすぎてもいけないし、水が無くてもいけない。花の無い花瓶程、空しい物も無い。また、しおれた花を受け止めるのも、花瓶の役目だ。

・悪行を為した奴には、天誅を下さずとも、必ず天罰が降る。今までの私の人生では、タイムギャップこそあれ、ことごとくそうだった。だから、恨みに思っている人も、自分の手を汚す必要は無い。バチとは、当てるものでは無くて、当たるものだからだ。

・人間やっていると、だれでも、一人や二人、辛い別れがあるものだ。

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喘息の恐怖

・ある友人と親しくなった頃(もう、十五年ぐらい前の話になるが)、私が、「競馬にでも、行かねか?」と聞くと、彼は馬の毛アレルギーだった。喘息にもなった事もあるらしいが、私が、「喘息ぐらいどうにかなるだろう。馬に乗る訳じゃあないんだし」と言うと、彼は、「お前、喘息の辛さが全然解っていない。100mを全力でダッシュした後に、呼吸を止める様なものだぞ」と言われ、悪い事を言ったな、と思った。私が、「馬以外の動物の毛でもなるのか?」と聞いた所、友人は、「犬とか猫の毛ででもなるんだよなあ」と言っていた。私の家では、室内犬を飼っているので、彼を招待できなくて残念に思っている。

・バンコクのホテルのピアノで、サザンの『YaYa』のサビを弾いていた所、「ドレミファじゃないか」とからかわれたので、「このアーティストがどれだけ偉大なのか解っていない。日本に来てみろ、お前、驚くぞ。俺は楽器は駄目だけれど、最高のタイミングでの歌詞とメロディだぞ」とブチ切れた。

・タイ旅行は蒸し暑くてやっていられなかった。

・大人になっても、近くの人に、何にも教えてもらえないのは不幸な事だ。そうした人間は、自惚れた、ただのイヤミな人間しかならない。人間、天狗になったらお終いだ。

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Call to him

・塾講師時代の教え子で、中二から英語を教え始めた男の子がいた。私は、その子が、いずれ、高校、大学へと進んで行くうちに、どんな教師にも付いて行ける様に、徹底的に文型から叩き込んだ。最初はなかなか正答する確率が低かったが、中三の頃には、文型も品詞も当てる様になった・・・私が文型から教えたのは、どんな文法書でも、五文型の説明から始まっているからである(それ以外は、皆、駄目だ)。また、品詞が解らなければ、中学生に『to不定詞』や『動名詞』の根本的な説明が出来ないのである・・・その子が中三の時、模試を受けた際に、『彼に電話を掛ける』という所を『Call to him』と書いたら1点減点されていた。私が『ジーニアス英和辞典』で調べた所、そういう表現もあると書いてあったので、よっぽど文句を言おうと思ったが、彼に一週間待たせることにした。その間に、帰国子女の友人で、一回でToeic満点という友人に聞いた所、「『電話を掛ける』という表現で、『Call to him』とは、まず使わないぞ」と言われ、「ジーニアスにはそういう表現もあると載っているんだけどなあ」と応えると、「アメリカ英語では、まず使わないんだけどなあ」と教えてくれたので、礼を言い、次の週に、教え子にその旨を伝え、「ここで1点損したおかげで、一生涯忘れられないじゃないか。『損をして得を取る』とはこういうことだ。我慢してくれ」と諭したら、その生徒も、「解りました」と潔く応じてくれた・・・彼は高校入試の時の英語で満点を叩き出してくれた。それでも、一番上の高校には行けなかった。ハッタリ野郎が数学担当だった為である。私は彼に、「寧ろ鶏口となるも、牛後となるなかれ」と言って励ました。

・その生徒に、私のジーニアスを持って行き、「どこでも好きな所をめくれ。必ず赤線が入っているから」と言ってめくらせたら、思いっきり白いページが出てしまった。あれはカッコ悪かった。

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参りました

・昔、志村けんの一発ギャグの中に、将棋のコントがあった。その時、志村けんは後手番だったのだが、先手の一手目を観るなり、考え込み、間合いを開けて、全てを観切ったかのごとく、お茶をすすって、「参りました」と投了するコントで大笑いした思い出がある。

・中三から通っていた数学塾の講師の先生に、中学の時から一緒のクラスで教えてもらった友人が、高二の最後に(私立に通っている生徒は一年上のクラスに入っていた)、「辞める」と言っていたので、「僕も辞めます」と言ったら、講師の先生が「ちょっと待て。お前は、一年か二年が勝負だ」と言われ、「高三の最後まで頑張れ」と言われたが、「それならば、僕は、先生に教えて頂きたいのです」と言ったら、その講師の先生もジ~ンと来た様子であったが、「今度の先生も、しっかりしている先生だから、ついて行け」と言う講師の先生の眼鏡の奥には愛情が溢れていたので、思わず、「解りました」と言った。

・北鎌倉のあじさい寺のアジサイは、大した物では無い。しかも、奥の、池のある庭園に行くには、別料金を取りやがる。大した庭でも無いのに・・・ただ、元寇の時の北条家の執権であった時宗の墓がある。

・故父は、アジサイが嫌いであった。なんでも、若かりし頃にやった『ヤミ鍋』でアジサイの葉っぱを食べてから嫌いになったそうである。

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生まれて初めて読んだ文庫本は?

・塾講師時代、とんでもないハッタリ野郎がいたと書いてきたが、(原作:吉川英治)で描かれている『バガボンド』という宮本武蔵についての連載マンガが三巻目まで出た時に、私はそれまで、全然、面白みを感じていなかったにもかかわらず、ハッタリ野郎は、「いや~~やっぱり『バガボンド』は面白いスよねえ」と言ったので、私は怪訝な表情をして、「この先、どう化けるのかは知らないけれど、今の段階じゃあ、俺にはちっとも面白くねえぞ」と言った。すると、そのハッタリ野郎は、「いや~あの面白さが解らないのは不幸ですよ。もっと深く読み込んだ方がいいんじゃないスか」と言ってきたので、私はブチ切れて、「お前が生まれて初めて読んだ文庫本は何だ・・・あらすじを言ってみろ」と言うと、「そんなの忘れちゃいましたよ。確か、『でる単』だったですかねえ・・・」とふざけた事を言うので、私は、「馬鹿野郎。それって参考書じゃねえか、お前自身で選んだ本を聞いているんだよ!!」と返すと、そいつは、「課題図書で中三の時に『ドリトル先生シリーズ』を読みました」と、余程ふざけた事を言うので、私は、「お前、甘すぎる。自分に甘すぎるんだよ。まだ『星の王子様』の方がためになるぞ。お前、小学校からやり直せ」と、どぎついことを言った・・・塾の同部屋で、そいつの授業を観察していると、いつもつじつまが合わないのである。講師の立場もあるので、生徒の前では余計な事は言わなかったが、二人の時に注意すると、いつも、「そうスね」でごまかしていた、私は内心で、『こいつに人を教える資格はねえな』と思うと同時に、こんな奴を相手にしていていいのか?という疑問が拭いされなかった」。

・嘘は嘘によってしか補えない。そうしている人間は憐れだ。

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出た!!190y

・先日、ゴルフの打ちっ放しに、久々ながら出かけたのだが、隣のレーンのおっちゃんを、解りやすい指導で教えてあげていた人がいた。私は休み休みのんびり打つタイプなので、タバコを吸いながら、さりげなくそのおっちゃんへの教えを聞いていた。その人は、ドライバーを打つ時には、下半身の『ひねり』に基づくスイングが大切なのだ、と教えてあげていた。最近、私は、ボール代がもったいないので、ボールを打つ量の倍ぐらい素振りをしている。そのおっちゃんの教えを聞いていた私は、まず、3Wを持って素振りをしてみた。それから、球を置いて打ってみたら、思う様に球が上がったので驚いた。感触を忘れないうちに、ドライバーに持ち替え、素振りをした後、球をセットして打ってみたら、いきなり180y飛んだので驚いた。まぐれかと思い、もう一球打ってみたら再び、同じ所に行った。それでも信じられずに、もう一球打ってみたら、190y飛んだのでガッツポーズを決めた・・・ゴルフのスイングは気を付ける点が多すぎるので、上達には時間が掛かる。何本ものレッスン番組を観て、それを身体で表現する様に、晴れた日には、練習場に行く事に決めた。そして、190y出した後にもう一度行ってみたのだが、その日は、全然駄目だった。ゴルフは確かに面白いのだが、デリケートなスポーツだなと、身に染みて感じた。

・5.15、友人達との熱海決戦。友人二人は新幹線で来るらしいが、私は早起きして車で行かねばならぬ。帰りは疲れ果てるだろうから、気合いを入れなければならない。舌戦にも勝たねばならぬ・・・まあ、楽しめれば申し分ないのだが。晴れてほしい所だ。

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ガッツポーズの謎

・嘘の様だが、『ガッツポーズ』とは、あの、ガッツ石松から来ている。これまた嘘の様だが、タバスコを初めて日本に持ってきたのは、アントニオ猪木である。

・天文学のおばちゃん助教授が、前期の授業で、自分が書いた本を教科書にして、印税を貪っていた。あまりに易しすぎたので、俺をナメているのかと思い、レポートで、最初に本の内容をベタ褒めしてから、天文学のテツガク的な疑問を大量に書いた。すると、その次の講義から、授業のレベルが格段に変わった。私は、授業でもナメていやがったのかと思い、講義に出なくなった。試験だけは受けたが、易しかった。出席を採り、毎週レポートを出される授業だったので、単位は来ないと思っていたが、意外にも『B』が来た。他の知り合いは、ついてゆけず、全出席でレポートも全部提出したのに、『D』を食らっていた。

・私は子供の頃から、星を見るのが好きだった。特に、空気の澄んだ冬の空が。海辺で白い息を吐きながら、時々、鼻をかみ、いつまでも眺めていた。大学受験の時も、天文学を専攻しようかと思ったが、食ってゆく為に止めた・・・大学四年の頃、東洋思想と出会い、研究していくうちに、根本は天文学と変わらない事が解った。

・全部同じなのだろうが、もし仏教徒であれば、まともな人間になりたければ、八正道と十善戒を守る様に努める事だ。

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「それじゃあ、カツ丼で」

・20世紀の名指揮者の一人であるカラヤンは、自らプライベートジェットを操縦し、あちこちへと飛び回っていたらしい事を友人に話した所、友人は、「やっぱり、世界のカラヤンやな・・・それに比べて、ヤッさんときたらセスナを買って、会心の笑みを浮かべていたのが忘れられない」と言ったので、私は爆笑した。それからしばらく、ヤッさんの話になったのだが、友人によると、「たけしのフライデー事件の時、たけしの事を、男やったら一人で行け、と語っていたんだけれど、それは、それで、筋が通っているんだよな」と話していたので、すかさず私は、「確かにヤッさんは一人で行ったから、筋は通っているんだけれど、半殺しにされちまったじゃあねえか。俺は、たけしの方が賢いと思うぞ」と言ったら、今度は友人が大爆笑していたので、続けざまに、たけしが軍団を連れて、講談社に殴り込みを掛けた後、警察の取り調べの際、刑事から、「腹減ったんじゃあねえのか?」と聞かれたので、たけしは、『しめた、ここはカツ丼しかねえだろ』と思い、「それじゃあ、カツ丼で」と言ったら、軍団も後に続いたらしい。たけしは刑事ドラマのお約束通り、カツ丼を平らげたのだが、当然、警察のおごりだと思っていたら、後できっちり、請求書が来て、それを見たたけしは、「金、採られるんだったら、無理してカツ丼なんて食ってなかったぞ」とラジオでブチ切れていたという話をした。

・昔、我が家で麻雀を打った時、出前を頼むのに、友人がカツ丼の特盛りを頼んだ。すると、やって来たのは、ラーメンの器に、ご飯だけが大量に増やされたものが届いた。当然のごとく、ご飯は残していたが、夜中に冷や飯を食っていたのには、みんな驚いていた。

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漢字の間違い一つで再レポ

・大学一年の時の物理実験で、女には甘く、男にはイヤミな、馬鹿なT.Aがいた。余りにも偉そうにしているので、バカバカしい質問は相手にしなかった。即座に名前を聞かれ、応えたが、どうでもいいと思っていた。私の後ろの奴が、解答してから、舌打ちしたので、私と勘違いされ、余計に反感を買った。T.A仲間でも、そいつのことを良く思っている奴がいなかったので、後の実験が、随分、楽にはなったが、私はその馬鹿なT.Aにナメられまいと、本気でレポートを書いた。しかしながら、漢字の間違い一つだけで『再レポ』をくらった。これには、全く、納得がいかなかった。私はその晩、当時の友人連れで、日本酒を一気飲みしては、吐き、吐き続けたら、少しは楽になるかと、グラウンドのベンチで吐いたが、余計に腹が立つだけだった。一緒に飲んでいた、当時の友人に迷惑を掛けたくは無かったのだが、私が嘔吐を繰り返して悔しがる為、『これは止められない』と思ったのか、介抱してくれ、気が付くと、そいつの下宿先の天井を見上げていた。後に聞くと、酔って、その馬鹿T.Aへの愚痴を言いながら、「納得がいかねえ」と繰り返し、潰れていったそうだ。漢字のミス一つで再レポになった時は、よっぽど、ぶん殴ってやろうかと、殺意さえ覚えたが、それをしたら、退学である。性格が悪いというより、根性がねじ曲がっている男だった。

・物と物との接着が、いかに上手くいくかというのは、接着面の表面を、どれだけ綺麗に研磨出来るかに掛かっているらしい。

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大人(たいじん)

・1970年の日中国交正常化の際、中国側の代表であった、周恩来先生は大人(たいじん)であった。日中戦争の賠償金を放棄して、結果、ODNを支払うものの、国交正常化に成功した。時の日本の首相は田中角栄であったが、中国に赴いた際、日本で毎朝飲んでいた味噌汁と全く同じものを出され、仰天したそうだ。それだけ、中国の情報網を見せつけられた様なものである。一方、パンダをもらった田中角栄は、アメリカで刺されたが、そんなことはどうでもいい。周恩来先生は、中国の人々からも慕われていたが、日本との国交正常化は、一時的なものでは無く、二十年、五十年、百年先を見据えた、国家の計であったといえよう。現在の温家宝など小人そのままである。中国では、貧しい人はどこまでも貧しく、富んだ奴等は、ブタみたいに日本の物を買って行き、恥ずかしげも無く軍事情報までハッキングし、船を船にぶつけた奴を英雄視する様な、ふしだらな真似なぞ、きっと、周恩来先生がトップならば、有り得ない事であろう。きっと、我が身を切ってでも、日本にワビを入れに来ていたであろう。今の中国は歪んでいる。

・所詮、人間の知恵なんてたかが知れている。要は、一歩前に踏み出す事だ。

・当面の利益しか考えない奴は馬鹿である。長い目で観て、大局的な利を望むべきである。そこには、人間としてのエチケットやマナーも存在している。そういう、人間的なものが欠けている者は、どうしようもない。

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ブロック体を書けない人

・うちの母は、英文字を筆記体(それもグシャグシャな)で書けても、ブロック体で書けないという、ことさらに珍しい人である。しかも、筆記体で書いても、スペルミスが多すぎて、無茶苦茶になる。母は、中学→高校→短大とエスカレーター式だったので、それでも不自由をしなかったのであろう・・・普通はブロック体が書けても、筆記体が書けないというケースが多いのだが、母は、思いっきり、逆張りしている点が面白い。今の中学では、ブロック体しか教えないという事を聞いたが、それでは片手落ちなのである。ブロック体では、日本での試験問題を解いたり、海外の論文を読んだりする分には支障が無いのだが、実際に海外に行ってみると筆記体の読み書きが出来なければ、通用しないのである。つまり、それは、独り旅の場合、命を落とす可能性もあるという事なのだ。葬式の前に、従兄弟が試験勉強をしていた時、私も側に立って眺めていたのだが、ブロック体ばかりを書いていたので、「筆記体は習ったのかい?」と一言聞くと、「習っていないです」と言ったので、私はサラリと、「筆記体も覚えていた方がいいよ」と言って、邪魔にならない様に、彼の元から去ったのだが、私が、二通りの書き方を学んだのは、中一の時。これからの日本の英語教育は、どこに行ってしまうんだろうと、少し不安になった。それで無くても、『ゆとり教育』という、暗愚な時代を作ってしまったのに・・・

・私の受験時代、普通のサラリーマンでは、下宿させる事など不可能だった。共稼ぎをしているか、金のある家のみの特権だった。第二次ベビーブームの頃に難しかった私大でも、今は損をしている人が多い。

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それ、私、まだ読んでませんよ

・私的な話では無いのだが、私が中三の頃は、バブルの真っ最中であった。その頃、週刊少年ジャンプとか、マガジンとか、サンデーとか、もっとマセた奴は、スピリッツとかを学校の中に持ち込んでいた。さすがに、授業中に読む奴こそいなかったものの、休み時間に廻し読みなどしょっちゅうだった。ジャンプが週に900万部以上売れていた時代だったので、私は電車の網棚に捨てられたジャンプを不憫に思い、友人に100円で売ったりしていた。そんな中、教師陣が、休み時間に、「学校にこんなもの持ってきちゃあ駄目だろう」と言って、「放課後、取りに来なさい」という事が、ままあった。しかし、ある時、教師達の秘密がばれてしまった事件が起きてしまった。ある生徒が、放課後、職員室に、取られたマンガを返してもらいに行くと、取り上げた教師は返そうとしたのだが、別のある教師が、「それ、私、まだ読んでません」と言って、返してもらえなかったそうである。生徒の方はブチ切れていたが、要するに、毎週、休み時間に、生徒のマンガ雑誌を取り上げるのは、教師達が読みたいからだという理由が判明した。この事は大きな問題にはならなかったが、学年中で噂になった。生徒から道徳的指導で取り上げておいて、教師が廻し読みするなぞ、矛盾する事、甚だしい。そこから、『尾崎豊』に走る奴まで出てきて来た。『先生、あなたは、かよわき大人の代表なのか?』という風に・・・

・磁石は鉄だけにでは無く、真ちゅうにも引っ付く。

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コンポ二千円也

・長年愛用してきたコンポがぶっ壊れ(保証期間中に一度、修理に出している)、やむを得ず買い換えた。ぶっ壊れた、古いコンポをどうしようか悩んだが、近所に『Book Off』ならぬ『Hard Off』なる店がある事を思い出し、そこに売りに行く事に決めた。コンポの本体用の段ボールは、買った時の状態で置いておいたので、よく磨いて包装し、スピーカーまで磨き抜いて、プチプチでがっちり固め、持って行った。その際、包装はお袋に頼んだので、二人して、「高値で売れたら寿司でも食いに行こう」と張り切って売りに行った。買った時の金額が十万程したのに、さんざん待たされた挙げ句、店員から、「こちら、二千円のお取引となります」と言われ、寿司だの何だの言っていた事が、全て、ぬか喜びとなってしまった。車で待っていた母に、「分け前だ」と言って、野口英世一枚と領収書を渡し、「壊れていたし、何年も使っていたから、しょうがない。でも二千円はねえだろ、二千円は・・・」と愚痴をこぼして、「あれだったら、ガソリン代の方が高くつく」と言って、二人で寿司屋ならぬ、回転寿司を食べに行った。

・男のヒステリーは、ヒコポンテリーと言うそうだ。学生時代、学会の論文発表で、私に喰いついてきた、ある教授がそうだった。あまりにも早口にまくしたてられたので、相手にしない事に決めた私が、「おっしゃる言葉の意味が解りませんが」と言う度に、その傾向が強まっていった。あんまりしつこくて、相手にしていられなかったので、別の大学の教授が手を挙げていたので、途中で、「どうぞ」と促したら、そいつも黙り込んだ。内心、私は、『こいつは女にモテなくて独身やっているタイプだな』と思った。

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元気をふりしぼり・・・

・ショックな情報を知った。それでも、前向きに、元気を振り絞って生きて行くしかない。

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ゴルフかあ・・・

・ここの所、週二回ペースでゴルフの打ちっ放しに、友人から譲り受けたクラブを入れた、キャディーバックと、靴と、水筒とを持って出かけている。車で家から5分の所にあるので、気軽にやらせてもらっている。一つだけ解った事は、ゴルフは金が掛かるスポーツだという事だ。クラブこそ譲り受けたものの、それ以外の道具をそろえるだけで、預金通帳の数字から眼が離せなくなっている・・・この間、打っていたら、余程、私の基本がなっていないせいか、隣のおっちゃん二人から、基本を教えてもらった。一人は私のグリップの握り方から、教えて下さり、もう一人は、「脇に割り箸を挟んで、一ヶ月間、毎日素振りしろ」とのアドバイスを頂いた。それから、体重移動(身体の軸のブレ)について諭された。それから、もう、二週間ぐらい経つが、左手にマメが出来るくらい、振った。いっつも7Iを50球ほど打ってから、もう50球ほど打つのだが、つい最近行った時には6Iや5Iの方が芯に当てる事が出来た。5Iで大体150y位、飛ぶ様になった。ドライバーも芯に当たると170y位は飛ぶ様になった。素振りをしているうちに、少しコツが掴めたのである・・・この間行った時は、桜が綺麗に咲いていた。注意書きによると、打ちっ放しのボールは飛ばないらしい。だから、のんびりタバコを吸い、スポーツドリンクを飲みながら、周りを観察し、上手いおっちゃんの真似をヘタクソなりにしている。それにしても515決戦、どうなるのであろうか・・・英語禁止ホールでも作ろうか。

・パールバックの『大地』が、何でノーベル文学賞に値するんだ?・・・俺には納得が行かない。鈴木大地ぐらいでいいだろ。

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How to be BIG

・高一の時、某工業大学で模試を受けたので、記念にその大学も志望校の一つに入れてやったら、帰ってきた判定を観て、27人が同じ考えを持っていた事に気が付いた。私は、その中で1位だった。要するに、それ以上勉強しなくてもいいという事である。行くつもりは無かったが、かなりレベルが低い事は解っていたし、工業大学といえば、男だらけの世界なのは、間違いない事である。その大学で、いくら飛び級する様な成績をたたき出しても、サーファーになってしまう様な予感がした。その頃の私は、高一から、東大志望とか京大志望とか書く気にはなれなかった。ロクに勉強していないのに、なにかおこがましい気がしたのである。ロクに勉強をしていない私が、第一志望、東大理Ⅲなどと書いても、浮くだけであり、そもそも医者になりたかった訳でもないし、また、高一の段階だと、勝負する時では無いと考えていた。友人達と結果を見せ合ううちに(学年単位で受けていた)、みんな欲張っていない事が、よく解った。それはつまり、みんな勉強などしていないという事の裏返しでもある。

・永ちゃんの『成り上がり』のサブタイトルに、『How to be BIG』と書かれているのを観た友人が、「ハウトゥー本なのかよ」と言って笑っていた。仕掛け人は、あの、コスイ事で有名な、糸井重里であった。

・今日、友人から、「5.15ゴルフだぞ」というショートメールが入った。私は、「了解。雨天決行か?」と書いたが、後日、確認するつもりである。練習せねば・・・

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二年振りの花見

・昨日、二年振りに花見に行ってきた。母と二人で作った弁当は、いつも通りの具材を入れたものだった。ゴザを持ち、水筒を持ち、弁当を持って、日焼け止めクリームを塗り忘れた母と、気分転換に行ってきた。十年程前、まだ友人誰もに子供さんがいなかった頃、花見をした森林公園である(確か、その時、私は日本酒の一升瓶を持って行った記憶がある。もう、そんなバカな真似は出来なくなってっしまったが、ビールとチューハイを飲みながら、弁当をつつき、今年の桜を楽しんだ。私と母が行った時には、花見客もそれ程いなかったが、正午にピークを迎えると、かなりの人が来ていた。後で聞いたのだが、母は側のグループで、十五人ぐらいいた人達を、最初は、皆、夫婦達で来ていると思っていたらしいのだが、女性の方が多く、どうも様子が違うと気が付き、そのグループを観察していたらしい。するとそれぞれの思惑(どの女性が誰を好きかなど)が手に取る様に解ったらしい。男の私が観る視点と随分異なり、シビアだなあと感じた。私は、『どいつをどういう風に口説けばいいか』などと、野暮な事を考えていた・・・それにしても、昨日は陽光眩しく、空は快晴であったので、ゴザに寝っ転がって、青い空を、ただただ見つめていた。最高のリフレッシュ法だったので、起き上がり、母にも勧めたら、いつまでも起き上がってこないので、最初は、『死んだのか?』と思い「大丈夫かい?」と聞いたら、「花の間から見える空の色が、写真で観る様で感激した」との事。私が、「最高だらふ?」と聞いたら、「最高だね」と言って起き上がった。その後、家路についた。

・野球に比べて、ゴルフは、置いたボールを打つと考えれば、気楽だ。

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王将

・戦前、将棋界は、関東と関西で、棋士の対局料が大幅に異なっていた。東高西低という状態である。かなりの差があった様だ。このため、関西の棋士達は、名人位を関西に持ってこようと、一致団結していた。『名人位を箱根の山から西に持って来ねばならぬ』というのが、関西の棋士の悲願となった。当時の名人は、木村義雄名人といい、無敵将軍と呼ばれていた。まず最初に対戦したのは、大阪の通天閣の下の『王将』の碑で有名な阪田三吉である(ちなみに、通天閣の下には、ギョーザの王将もある)。これが俗に言う、『南禅寺の決戦』であった。この時、阪田は、初手に9四歩と突く様な、常識外れな手を打った。年齢差があったのも事実で、結果、木村に敗れる・・・私が、旅で、南禅寺に行った際、和尚に、「南禅寺の決戦の場所はどこなんでしょうか?」と聞いたら、和尚は、「私もよくは知らないのですが、『南禅院』の筈ですわ」と教えてもらった。また、名人戦で最初に木村名人に挑戦したのは、他ならぬ升田幸三であったが、敗れた。本人曰く、「のぼせ上がり過ぎた」と語っていた。結局、名人位を持ってきたのは、皮肉にも、升田の弟弟子である大山康晴であった。木村は、「よき後継者を得た」と言って、引退した・・・私が思うに、升田幸三程、木村名人を尊敬していた人はいないのだと思う。それが証拠に、『陣屋事件』などが起こったのではないだろうか?・・・ずる賢い大山より、私個人としては、升田三冠王の方が、よっぽど好きである。

・悲愴な覚悟があってしか、男は生きられない。

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三毛ネコ?

・桑田佳祐が、青学で音楽サークルに属していた時、ダブったらしいのだが、同じサークルで一つ年下に、ピアノとギターが異常に上手い女がいる、ということで有名だったらしい。桑田佳祐本人は、メロディや詩が浮かんでいたらしいのだが、当初、オダマジャクシが読めなかったらしい。それを、楽譜に落としたのが、後に夫婦となった、いわゆる『原坊』である、という美しい光景があったのだ。やがて、メンバーみんなが有名になり、桑田佳祐が美人のタレントか、モデルと付き合っているということを週刊誌にスクープされた時、原坊は、それから全く口をきかなくなり、音楽活動に支障をきたすこととなった。そんなこともあってか、その後二人はめでたく結婚した。

・私がファミコンにハマッていた頃の、中二の時の英語の試験に、『Mike』という人名が出てきた。それをローマ字読みした私は、『ミケって何だ?三毛ネコの話か?それにしちゃあ、文章とかみ合わないな・・・』と悩みながら、一生懸命に、『ミケは~~した』という様に訳していった・・・当然、点数も低く、赤点こそ喰らわなかったものの、悲惨な結果だった。そのころであろうか、その威張り散らした教師を追い抜いてやろうと思ったのは・・・三年も経たないうちに、そいつの授業はくだらなくなった。

・スポーツで言う、『ポジショニング』とは、『先を読む目』以外の他の何物でもない。

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Formula

・F1の『F』とは、フォーミュラという意味である。直訳したら、『壁』である。だから、いろいろなレギュレーションの下で、速すぎるチームが現れると、いろんな制約が出てきたりもする。一番解りやすいのは、ホンダがターボ車で無敵だった頃に、ターボを廃止したり、ハイテク禁止令という名の下に、アクティブサスペンションなどが排除された。FIAもそうしなければレースとしての面白みを欠くからそうしてきたのである。そういう制約の中で、各チーム、各ドライバーは、フォーミュラに対応してきた歴史がある。単に速さとクレイジーさを楽しむならば、アメリカのインディを観る方がよい。あの、A.セナでさえ、レーシング協会が、公にバッシングするようなまねがあったことは、F1が欧州色に染まっているスポーツであるという確かな証拠である。

・人間として、人生やっていくのに、一番大切な要素は、私は、『運』だと思う。金があっても、三代持たず、いくら知性があっても、先読みばかり。意地を通せば、漱石の書くとおり、窮屈である。こういう教えは、的を得ている。それを意識すれば、『何であの時、あんな事が起こったのであろうか?』ということにも説明がつく。『草枕』という本は情について書かれた本であるが、冒頭だけで終わっている。人間の過ちというものは、気付きにくいが、案外、本人に依る所が大きいのであろう。とかくこの世は生きづらい。

・あらゆるスポーツは、攻撃される前に、相手の攻撃の芽を摘んでおかなければならない。そうしなければ勝てない。

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睡眠学習

・中一から高一まで、テープレコーダーを廻し続けた英語教師がいたのだが、彼は、学校の方針として、高二と高三、いわゆる受験生の指導からは、外されていた。麻雀仲間から得た情報によると、食堂で、しんみりと、彼が、「俺も来年は中一教えなきゃいけねえ」と嘆いていたそうである。当然だろう、とみんなが言った。他の受験向けの英語を教えている教師とは、仕事量が桁違いに少なかったからである。そんな彼が、何の為か解らないのだが、私の卒業後に、自ら、「高三を担当させて欲しい」と直訴したそうだ。私はその学年の受験生達が、気の毒でならなかった。テープレコーダーで、どうやって受験英語を教えるのか不思議だったが、結果というものは、当然、ついてくる。彼が担当した高三の学年は、史上最悪の受験結果を残したそうだ・・・受験英語の場合、テープレコーダーだけ廻していても太刀打ちできるものではない。『This is a pen.』を疑問文にする時に、『Is this a pen?』という様な中一レベルの文法説明しか出来ない様な奴が、受験英語に携わってはならないのである。そもそも彼は、外人講師との会話が成り立っていなかった時点で、自己矛盾に気が付かない方がおかしい。『高三を教える』と言った時点で、本人が理Ⅲに受かるくらいの実力が無ければ、教える資格など無いのだ。テープレコーダーを廻していて、どの大学でも受かるのであれば、私であれば、睡眠学習でもしたであろう。それほど、目茶苦茶な奴だった。これでは生徒からナメられ続けても仕方が無い。

・百聞は一見にしかず。

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『バクダン』

・戦後、物資が少ない頃、大方の酒飲みが飲んだのは、『ドブロク』であったが、それでも足りない場合、『バクダン』に手を出していたそうだ。古今東西、様々な大酒飲みがいたが、『バクダン』もメチルアルコールなので、エチルアルコールと変わらぬ感触が合ったそうだ。メチルアルコールに手を出すと、その名の通り、失明してしまうのである。だから、『バクダン』なのである。この話を知ったのは、やはり、吉行と開高健の『美酒について』という本からであった。あの二人は、悪いイタズラばかりをして、あの世に逝っちまったけれど、相変わらず、くだらない本を出していやがるなあと、しみじみ想うのである、と同時に、河島英五ならば喜んで『バクダン』を飲んだであろう、と容易に想像が付く・・・酒との付き合い方とは、女との付き合い方よりも奥が深いのかも知れないと、思った次第である。

・最近の、日本の若い男は、これっぽっちも、いわゆる、いい男だとは思えない。表情に締まりも気概も無く、関西で言う所の『アホな表情』ばかりを見かける。気合いが足りないのだ・・・まず、唇のだらしない所から治せ。唇は、色欲がもろに出る。女もそうだ。

・望むなら、国の為に死ぬ覚悟で、自衛隊に行け。

・どんなに成功しても、歴史を振り返れば、三代は続かない、というのが父の格言であった。続いたのは平安時代の藤原氏ぐらい・・・だから、父は子孫に美田を残さなかった。

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セナ足

・F1ドライバーだった、A.セナが生きていた当時は、マニュアル車がほとんどだった。その時代、他のF1ドライバーと違って、セナだけが、足首をバイブレーションさせながら加速していたので、他のドライバーと、加速する時の音が違っていた。解説者の今宮さんは、それを、『セナ足』と呼んでいたが、これは一般車では、マニュアル車でなければ、使えない技術である。私が人の気配の無い所でAT車で『セナ足』を試した所、AT車では、どうやっても、キックダウンしてしまうのである・・・こないだ、ラジオのJ-WAVEで、『ハチロク』特集をやっていたが、私の弟が最初に買った車が、正に、『ハチロク』であった。何回か運転したのだが、パワステではなく、重ステであったので、車庫入れがえらくしんどかった。峠に攻めに行ったりはしなかったが、でも『ハチロク』ならば、『セナ足』も実験できたのであろうが、弟の車なので遠慮した。弟も、『ハチロク』を買っても、あまり峠などに行ったりせず、母の足となっていた。しばらくすると、買った値段以上で売ったそうだ。その次には、燃費の悪いターボ車に乗っていた。逆輸入車なので、左ハンドルだったが・・・

・私はガキの頃、知り合いで何か自慢する奴がいると、私がそいつのことを認めていない場合、友人と、「そいつは凄げえや」とからかっていた。大人になるにつれて、そういうことを止めだした。大学でも馬鹿が自慢していると、「お達者に・・・」と言ってみたりしてからかっていた。要するに、後で誰かに、いびられても、泣くんじゃあ無いぞという意味で言っているのである。世の中、出る杭は打たれるからだ。

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父への憧憬

・幼い頃、父は、日曜日に、私と弟を連れて、会社の同僚の方とのテニスに、よく連れて行ってくれていた。当時はアイスボックスに、ジュースやらビールとやらを入れて持ってきている人もいた・・・いい時代であった。別の機会に、私だけ父の職場に連れられると、現場のおっちゃんが、持ち手を溶接した鉄板(80cm×80cm×1cm)を一家にと、プレゼントしてくれた。重宝したことは言うまでも無い・・・父は多くを語らなかったが、自分の直属の部下や上司にだけではなく、現場の人達の汗を、誰よりもよく解っていたのだ。つまらないことに拘らず、賞をもらって、金一封が付くと、現場の人達も呼んで、皆で分かち合っていたとの事。鉄板を作ってくれた、おっちゃんは、ニコニコしていた人柄だったらしいが、方や、外の部で威張りくさっていた上司には、新年の挨拶で、「白紙でつきあわさせて頂きます」と、リーダーとしての本分を見せてた。父の全盛期には、私は寝ている父の気配を察知したし、とにかく、スキの無い人であった。エンジニアという職人として、他に並ぶ物が無いほどの努力をし、その上、人付き合いに於いても、気配りが出来ていた。そんな父のポリシーは、「自分一人が金持ちになっても、決して幸せにはなれない。俺は、会社という組織の中で、皆に助けられているのだから、仕事が出来るんや。俺のアイデアなんて、世界初だろうが何だろうが、そういう人達がいなければ、そもそも成り立りたたへん」と、酔うとよく、口にしていた。

・成る様にしかならないけれど、その中で精一杯努力することが大切なんだ。

・知恵というのは、貧しさの中の汗からしか出ない。

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『もう数学なんていらない』

・十年ぐらい前に、数理科の友人が我が家に遊びに来てくれた際、本の話になった。すると友人から、インチキ作家の曾野綾子が、『もう数学なんていらない』という本を出していたことを聞いた。私は即座に、「そんな事を言っている奴に、文明の恩恵を受ける資格なんてないぞ」と文句を言った。文明というものは、数学やら、哲学、物理学などの、新たな発見に基づいて、時代を経て新たな発明や発見というものに結び付いて成り立っているのである。それ故、新たな発見などをした数学者達などの多くが、冷や飯を食ってきたのだ。時代に理解されず、人々に無視され、孤独の中に死んでいったのだ。その偉人達の功績を無視しがちなのだが、それは、文明史を知らぬ人であるということである。曾野綾子の別の本を立ち読みしても、三十秒で本棚に戻す様な、軽い本ばかりだ。文才も感じられない。自分が数学に太刀打ちできなかったというコンプレックスの元で書いた本なのか、全くナンセンスな考え方である。文明というものが、数学をはじめとした、学問から成り立っているのに、それを根本から否定するならば、その人は、文明の恩恵を受ける資格が無いことは明白である。少なくとも、曾野綾子先生にはその資格が無いのだから、私の思いつく限りで、日本を出て行き、シベリアの僻地かヒマラヤの奥地にでも行ってもらわねばならない。先生が書いた本は、紙の無駄というものである。偏った考え方をブチ通すなら、引退をお勧めする。

・楽しがっている奴も、ゆき過ぎれば堕ちる。悲しんでいる奴は、通り過ぎれば幸せになる。皆が皆、幸せになる世の中なんて、所詮、幻想なのだ。

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泣かせろ!!

・先程、確認したのだが、不妊治療をしていた友人の双子のお子さんのうちの一人を流産したとのこと・・・3/25に火葬したとのこと。彼と奥さんの為に、今日という一日を捧げる。事の重大さに気が付いたのは、メールを読んでからのことだった。今日は哀しい。俺にも泣かせてくれ。

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