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2012年2月

パソコンの無かった頃

・パソコンのキーボードでのアルファベットの配置は、はっきり言って目茶苦茶である。これを、指が覚えるために、タイプ専用のソフトまで売っている。私が、この、無茶苦茶な配列を覚えたのは、中学か高校の時であり、当時、ワープロ単体で、十万以上するようなものばかりであったものを、親父が仕事の為に家に持って帰ってきた際に、「暇な時は、打ってもいいぞ」と言ってくれたので、私は、夢中になって英語の教科書を写していた。そうしているうちに、いつの間にか、アルファベットの配置は覚えてしまった。当時は、『ホームポジション』やら、『ブラインドタッチ』などという言葉と言うより、そういう概念も無かった。ネットも無く、我流で身につけるしか無かった・・・これが劇的に変化したのがか『WINDOWS95』の登場によってである。私は、早く生まれすぎたとは思わないが、我流で覚えた為に、癖が抜けなくなってしまった。今だに、『インチキブラインド』しか出来なくなってしまった・・・そもそも、アルファベットのキーの配列が、この様にデタラメになったのは、タイプライター時代の名残りらしい。素直にキーを設定した所、余りにも早いタイピストが打った時に、タイプライターのキー同士が接触してしまうので、出来るだけデタラメに配列したと聴いた事がある・・・それを学ぶ為のソフトがあるのも不思議な話だが、やるのとやらないので、スピードが恐ろしく異なる事も、観てきた。指が文字を自然に打つ様にならなければ、駄目だとの事だ。

・前に飼っていた犬が死んだから、この犬が家に来たんだ。生意気さなんて、これっぽっちも無いけれど、これも運命なんだよな。

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日本とトルコの不思議な関係

・イスタンブールのトプカプ宮殿で、巨大な黄金の鐘(日本でいう銅鐸のイメージ)が二つあり、他にも宝石類(特にブルーサファイア)を持って帰りたかったが、入り口で機関銃を持った衛兵が二人いたので、泣く泣く諦めた。トルコ人が日本人に対して、ものすごく好意的である事は、知ってはいたが、それは遙か昔の海難事故にまで起源が遡る。確か明治時代だったと思うが、紀伊半島沖でトルコの船が座礁した時、食い物にも困っていた日本人が、献身的な看護をして、船員を助けたそうだ。それから、その話はトルコでも有名な話となり、伝説となったそうだ。イライラ戦争で、フセインが暴発した時に、テヘランの空港まで日本人を向かえに来てくれたのは、隣国のトルコの旅客機であったという。私もイスタンブールでトプカプ宮殿の場所が判らず、公園にいた3人連れの女学生に聞いた所、もの凄く急な坂の上まで3人とも案内してくれたので、もの凄く有り難かった。付け焼き刃のトルコ語で、「ありがとう」と言ったら、発音がおかしかったせいか、3人とも、「どういいたしまして」という感じで笑ってくれた。そして、何事も無かったかの様に、手を振って笑顔で別れた。こういう親切さというのは、さらりとしているのだが、独り旅の時には、非常に有り難いものである。

・父方の祖母が、ガキの頃、樽から蛇口をひねる様にして日本酒を飲んでいたらしい。ある時、友達の家に行くと、友達のお父さんが瓶でお酒を飲んでいるのが、不思議でしょうが無かったらしい。ガキの頃から、粋な道を行っているばあちゃんだな、と感心した。

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足利義満!?

・空海の創ったと言われる、『いろは歌』は、全ての平仮名を一度づつだけ使い切り、その上、日本人独特の、『もののあはれ』を表現しているところは素晴らしい。大和魂、もしくは、大和撫子の魂を串刺しにする。

・中学時代、テープレコーダーのみを廻して三年間凌いだ、英語教師がいた。そいつが私の中二の時の担任だった時、試験の点数が悪かった頃、数百ページあるテキストを相手にしていたのだが、通知簿に、『すべて丸暗記してしまいなさい』と書いていたので、その下に、赤ペンで、『まずは、先生が実践なされる事を望みます。そうしたら、私もやります』と、私のサインを付けて送り返した・・・自分に出来ない事を『しろ』というのも無茶苦茶だし、虫が良すぎると、今でも思う。自分がバスケの教師で、自分がダンクを出来ないのに、生徒に、『やれ』と言っている様なものである。私が朱文字で、通知簿に書き込みをしているのを観ても、両親は何も言わなかった。

・俺はこれまで、金に惹かれる女を沢山観てきた(男もそうだが)。人間として最低だと思う。

・懐かしい友人から、文字化けしたメールを受け取った。解読してみると、私も可愛がっていた子供さんに、歴史の資料を見て、「パパの友達にこういう人いなかったけ?」と問われたらしく、足利義満の肖像画が添付してあった・・・そこまで俺は老けてないし、出家を促しているのならば、この上なく俗な坊主になる自信がある。現時点で、堕落坊主が多すぎるんだよな・・・

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計算プリント

・塾講師時代、後輩の同僚で、とんでもないハッタリ野郎がいた。そいつ曰く、「いゃ~計算プリント創りましたよ。解答は俺が持っているんで、必要な時には言って下さい」と、勝ち誇っていた。私が、「そいつはすげーな。解答間違っていないのか?」と聞いた所、「まかせてくださいよ。そんなチョンボはしません」と言ったので、「お前、偉いな~」と応えたら、「その辺はまかせてくださいよ」と、やはり勝ち誇っていた・・・ある時、私が数学を教えていた所、人よりも半年先を行っている生徒がいた。出す宿題が無いので、後輩の同僚が自慢していた計算プリントを宿題に出した。翌週、その娘の宿題を観ようとしたら、既に私が教えていた問題と、全く同じ計算プリントである事に気が付いた。返す言葉も無く、生徒に謝った。授業が終わった後、その計算プリントを問題集からコピーしたハッタリ野郎に、「お前、あんだけ言っといて、一体どういうことなんだ?」と詰め寄ると、「まともにやっていたら、やっていけませんよ」と言ったので、「仮にも、大学で理数系の学校に通ってんだろうが!!お前のやった事は、オリジナルでは無く、単なる盗作だ」と言って「お前、そんな事ばかりしているから、駄目なんだよ。何が計算プリント創りましただ!!コピーなのに、大きな顔をして、創りましたなんて、何で言えるんだよ!!単に問題集を写しただけじゃねえか!!カンニングと変わらねえんだよ」と、激怒した。そいつはそれだけ言っても、大きな口を叩いていたが、私は、「お前には誠意が無い」と言って、不機嫌な顔をして、タバコを吸った。

・ハッタリは、言えば言う程、嘘になる。『嘘つきは泥棒の始まり』である。

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A.セナの思い出

・二次元平面で、三次元の球をイメージして、円周に沿って一周したら元の位置に戻るように、地球から延々と宇宙を突き進んだら、元の地球に戻ってくるだろう事は、容易に類推できる。膨張宇宙説が主流になって、はや何十年も経つが、昨年のノーベル物理学賞は、宇宙が加速的に膨張していることの発見についての研究であった。ホーキングの研究か何かで、ビッグバンより、三次元空間で例えると、宇宙は球状に膨張しているというのが定説であったが、ラッパ状に膨張しているということである。次元論的な解釈で行くと、(ここから先は暴論だが)宇宙が何に対して膨張しているという根本的な疑問が説明できないのであれば、研究そのものに意味が無くなる。こんな疑問は、小学生だって思い浮かぶはずだ。

・F1の故A.セナが「今はみんなセミオートマで走るけれど、マニュアルの方が楽しい面もある。コーナーなどで、6速で走る所を、あえて5速に入れて踏み込んで勝負した方が早いタイムが出る事がしょっちゅうあったし、そういう楽しみが無くなった」と言っていた。セナにしか言えない台詞である。超一流だった。私はプロスト派だったが、出先でセナが死んだ事を知り、その日は飲んだくれた。さみしかったんだよな・・・

・バガバッド・ギーター(ヒンズー教の聖典)でインド哲学を少しかじった私は、今、原始仏教の本を読んでいる。今朝、ある本を読み返していたら、今の母の心境にピッタリな所があったので、2~3P読んでもらった。すると、読み終えた母は、「この様な本が読みたかった」というような調子のいい事を言っていた。本当に読みたいのならば、若い頃に本屋にいっている筈だらうが、と思った。

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夢を達成する男

・将棋界の重鎮、内藤圀雄が、「私は、本当の天才と言える棋士は、升田幸三さんだけだと思っていましたが羽生さんもそうなんですね」と語っていた。私には羽生の将棋は解らないが、ただ、勝負師として最後まで諦めない姿勢には感心する。升田幸三については、本や、伝説、でしか解らないので、イメージだけが膨らむ。内藤といえば、現在でこそA級にもおらず、名人になった事も無いのだが、若い頃、対局前に闘争心が欲しくて、動物園にライオンを観に行ったりしていた、欲の無い人である。ヒット曲を出したりと、飽きっぽい関東とは異なり、今でも関西では根強い人気を持つ。そんな内藤の著作を読んでみると、大先輩棋士である升田幸三に、恐る恐る、「そんなに威張っていて、しんどくありませんか?」と、若手の頃に聞いたらしい。すると升田は、「しんどいぞぅ」と一言だけ応えたらしい・・・それでもTVなどで、升田幸三の事をやっていると、どうしても観てしまう・・・それは、僅か十三歳の少年が、物差しの裏に書き置きをし、大志を抱いて、家出までし、目標としていた夢を、何十年と掛けて成し遂げたという男のロマンに、何か、現代風の宮本武蔵を観る様な気がするのである。

・アイスホッケーの決勝の際、自分のチョンボで負けたので、ゴーリーの奴に「ごめんな」と謝りに行ったら、「・・・なんのことだ」とボケてくれた。

・ゴルフウエアを買いに行った際、クラブの値段を観たら驚いた。使い古しとはいえ、くれた友人に精一杯の感謝を込めたい。

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利害関係の解らない馬鹿

・私は高校の時に、二年程、剣道の指導を受けた。だから、基本は知っていた。しかし、大学の時の剣道で、基本を全く知らない奴と立ち合った。そいつは、バットを振るように、『胴』を狙ってきたが、剣道では無く、チャンバラをやっているようなものだった。私は、かわして面を打ったりしていたが、クラスメイトという立場も考えずに、力一杯当ててくる奴だった。『こいつ馬鹿だな』と思ったのは言うまでも無い。竹刀で防いでも、防具の上からミミズ腫れになるほどの強さだった。高校の時に、『突き』をしても良いと言われても、よっぽどナメられていない限り、クラスメイトとしての利害関係を考えて、『突き』をやる奴は、そうそう、いなかった。バットの軌道で入ってくる『胴』を力一杯、クラスメイトに当てに来る奴のデリカシーの無さに嫌気が差し、『剣道を知らない奴は知らないなりに、おとなしくしていろよ』とばかりに、よっぽど、大学では禁止されていた『突き』をカウンターで喰らわせようかとも思ったが、自制した。そいつが大学の名刺を作って、女を口説いている馬鹿だと知っていたからである。

・詩っていうのは難しいんだ。心が考えすぎていても書けないし、穏やかであっても書けない。丁度、心のバランスが崩れた時に、浮かぶものなんだ。

・人の悪口を言う奴は、自然と自滅していった。

・国と国がもめると戦争になる様に、男と男がもめるとケンカになる。そうしないとナメられる・・・哀しい事だ。

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世の中って、そんなものだよ・・・

・中三の頃からの付き合いで、将来の夢を語り合った友人がいたのだが、私は『未定』なのに対し、彼はハッキリと、「化粧品の開発がしたい」と言っていた。私はその時点で、将来の夢が決まっているのを羨望するよりも、『未定』な私自身が情けなく思えた。彼は現役で東大に行き、某化粧品メーカーに予定通り就職した。彼がフレッシュマンの頃(もう、十五年以上前になる)に、久しぶりに電話で話をした。お互い、別々の大学で過ごしてきたのだが、高校の頃は、私が彼の話す事を聞くだけだったが、電話した時には、完全に私が話のイニシアティブを取っている事に気が付いた。何故かと考えたが、大学時代の過ごし方で逆転したのであろう。彼も、大学の研究室という組織で悩んでいたが、それについては、彼から送られてくるメールに、事細かに対応した。また、彼が就職した後、文句を言っていたのだが、高級化粧品の原価とシャンプーの原価が変わらないという矛盾について語っていたのだが、私はそれを聞いて、彼が本当に真面目な奴だなと感じ、「シャンプーよりも化粧品の方が開発費が掛かるだろうし、そんな矛盾、考えるな」と話した。「でも・・・」という彼に、「世の中って、そんなものだよ・・・そういう仕組みで出来ているんだ」と話した。・・・確かに高級な化粧品は高すぎるというのは事実であるが、クレオパトラの時代から、女の身だしなみとして存在していた事も事実であって、当時も高かったことだろうな、とぼんやりと思った。

・女というものは、いつでも美しくありたいと願っているもんなんだな・・・まずは、心を磨くべきだと思うのだが。

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異性の魅力とは・・・

・中学時代の英語の教師で、文法など説明した事が無く、三年間、テープレコーダーしか廻さず、無茶苦茶な発音でぶっ通した奴がいた。確かにリスニング能力は上がったのだが、外人と話をしても、言っている事は解っても、話してみると、なかなか聞き取ってもらえなかった経験がある・・・そんな彼に、「アメリカの女性で、一番美人なのは誰ですか?」と質問した生徒がいた。するとその教師は、「う~ん、やっぱりマドンナですね」と応えた。私は、『それはお前の趣味だろうが』と思った。昔から居るアメリカの有名女性でも、魅力的な人は一杯いた。私が浮かんだだけでも、『ビビアン・リー』や『エリザベス・テーラー』や『オードリ-・ヘップバーン』などの名前が、即座に浮かんできた・・・その教師は、保健の講師とくっついたので、私達より、ちょっと上の先輩達から、「あいつ、保健室でヤってたんじゃないか?」などという噂が広まり、『レイパー』という、不名誉なあだ名が付いてしまった・・・その教師が、「マドンナ」と応えたのは、単なる性欲に基づいたものなのかも知れないのだ、と思った。私は、女性を、そういう目で観るべきでは無いと、二十歳の頃から考える様になった・・・今年のスーパーボウルのハ-フタイムショーで、いい歳をしたマドンナが出ていたが、私から観ると、知性も感じられず、醜女では無いのだが、ただのおばちゃんにしか観えなかった、という感想である。

・間違いなく、スポーツ選手というのは、負けず嫌いである。プロともなると、反則ぎりぎりの、ありとあらゆる戦法を使ってでも、勝ちに行こうとするものだ。

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人生哀歌 その2

・屋台の女将とケンカした。「お前みたいな客、二度と来るんじゃ無いよ!!」と言われ、とぼとぼと歩いていた。それでも、『生きているうちは生きてやる・・・たとえどんな事があっても、お前のために生きてやる』と、奮い立った。空を見上げた。美しい星座達・・・折角、生まれてきたのだから、命を完全燃焼させなければ勿体ない。それは、クソ真面目に生きるというわけでは無く、何事にも真剣に立ち向かう、『勇気』を持つという事だ・・・さあ、今にでも、決断せねばならぬ。

・そんなもんなんだよ、食えない物書きなんか・・・他の勤め人だって、いつ、転げ落ちるか解らない。要するに、『覚悟』を持って、険しい道のりを歩むのが、結局、万人皆に与えられた、『人生』というものなのだろう。楽な道なんてありはしない。登るんなら、人の三倍以上の汗をかいて登れ!狂うんなら、人に迷惑を掛けずに、覚悟して狂え!死にたいなら前向きに死ね、遺書など残さずに!・・・どれも感心はしない。勝手にしてくれ・・・誰も、なにも自分の面倒など看てはくれない。解決法は自身の中にある。俺は、二十年以上、いわゆる、『生き地獄』ってやつを、物心ついた頃から、味わっていた。それだけ、一日一日を苦しみながらも、大切に過ごした。人の気持ちが解るようになり、知恵も知識も身につけた。二十代の頃に飲んだくれて、自分が、何故、生まれてきたのかは解らなかったが、『宿命』というのは変えられない。子が親を選べない様に。しかし、自分の人生の『運命』というものは、本人の行い次第で変えられるものだ、と気が付いた。時折、嫌な気持ちになる事もあるけれど、それをバネにして、思い切って飛び出す!!・・・そういう所に、この深い人生を渡って行くヒントがあるような気がしてならない。

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人生哀歌 その1

・あれこれと知識を学ぼうが、愛情には勝てやしないというのが、よくある映画のパターンだ。しかし、自分の意志で汗を流して身に付けた、知恵というものは、何物にも敗れない。『愛が全てさ』とか言う奴に限って、知識も知恵も無く、ただ、ひたすら、求めるだけの愛情を、一方的に求めている様な気がしてならない。甘ちゃんなのである。本当の愛とは、まずは自分から、身を呈して行動する事である。ここから初めて、最も崇高なる無償の愛というものが生まれる。

・人と人との付き合い方ってあるだろ?家族間でも、超えてはいけない一線てあるだろ・・・それを解らない奴は、ただのバカだ。

・死ぬ気で呑んでやる。死ぬ気で書いてやる。だから、いつ、ぶっ潰れてもいいように、必死なんだ・・・今日が、地球最後の日のように・・・残せるものは紙切れだけだし。価値なんてあるのか無いのか判らないけれどな・・・

・散りゆく桜をぼんやりと見ていたら、君が、『ポン』と私の背中をたたき、「黄昏れているんじゃあないよ」と声を掛けてくれた。私は、「お前、あの桜の散り際の切なさが解らないのか?」と言うと、らしくなく哀しい声で、「散るものは散るの」と応えた。その子は達観しているように思えたが、お互いに青春の迷路に陥っていたんだよな・・・友人の彼女だったけれど、いい女だと、改めて思った。

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クラブ磨き

・一作日の昼頃、友人が使わなくなったと言っていたクラブ一式が届いた。何日も前からワクワクしながら、待っていたのだが、メールに、『バッグは無いぞ』と書かれていたにも関わらず、友人の家にバッグを買って送るという作戦を思いついたのは、友人が既に段ボールに繰るんで、送ってくれた後だった。大変申し訳ない事をしたと思った。段ボールの梱包を開けるなり、クラブを持ってみると、余りの軽さに驚いた。そして、一階では犬が居るので、二階の仏間で、メガネを拭く様に、全てのクラブをタオルで磨いた。その後、キャリーバッグをネットで注文し、残るは、ゴルフシューズとロストボールとピンだけだなと思っていたが、それは、いつも通っている、打ちっ放しで買おうかと考えている。クラブをくれた友人は、「7Iで150yは飛ばせるぞ」と言い、さらに、「フォームさえ整えば、ドライバーで250yなんて余裕だぞ」と煽られた。私は、「まだ250球位しか打っていねえし、俺の次の目標は200yだなあ」と話し、続けて、「眼鏡を掛けているとブレるし、やっとボールとクラブとの距離感が掴めてきた所なんだ」と話すと、彼は「花粉の季節が終わったら、コースに出るぞ」とまで言ってくれた。最近は半月に一回しか打ちっ放しには行けないけれど、ここの所、毎日、ケーブルTVのゴルフのレッスン番組を撮りだめしておいて、暇な時間に観る様にしている。まずは、クラブとボールとの距離感、そして、フォーム固めだ。打ちっ放しの方には、「プロにレッスンを」と勧められたのだが、なんだかんだ言って、一回では終わりそうに無いので、そちらは、やんわり断るつもりである。

・持つべきものは友なり。もちろんお礼もしたが。

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ポルトガルのタクシーメーター

・十五年前の秋、ヨーロッパに行く際、アエロフロート(ロシア航空)で行った際、乗り換えのためにモスクワのホテルで一泊したのだが、ビザが無かったので、夜に着いてから、次の日の夕方迄、軟禁されている様なものだった。荷物はホテルには持って行ってはならないと言われ、空港に預けることになった。ホテルとはいえ、出てきたのは、ブレックファーストだけだった。幸い、友人のアドバイスでカロリーメイトを持っていたので、なんとかなった。翌日、ポルトガルに向かう便に搭乗し、フライトが始まると、隣の席に、カザフスタンの貿易商で、ポルトガルにワインを買い付けに行くというおっちゃんが、クラッキーチョコとウオッカを分けてくれた。言葉は解らないのだが(英語が通じながった)、ウオッカを皆で廻し飲みしているうちに、みんな仲良くなった。そうなると、もう、ポルトガルまでは、すぐだった。飛行機を降りて、空港で、おっちゃんと握手をして別れた。空港で自分の荷物を見ると、ザックにくくりつけていたコートが盗まれていた。他の所は小さな錠をしていたので、無事だったが、もちろん、バッゲージクレームに行き、モスクワの空港で盗まれたことを話し、書類を書いてもらった。大分時間が掛かってしまい、夜中になってしまった。夜に着くことは解っていたので、その日だけ、宿を取っていた。タクシーに乗り、運転手さんと話していたら、二十分ほどで、ホテルの前に付けてくれた。タクシーメーターを観たら、『5821』と書いてあったので、「高すぎるよ」と言うと、「深夜料金だから仕方が無いんだ」と言って、「千二百八十五エスクードだよ?」と言われ、日本と異なり、ポルトガルではメーターを右から読むのか、と察し、「日本ではメーターを左側から読むから、勘違いしていたよ」と笑って話したら、運転手さんも笑って、私が料金に、チップを上乗せして渡した所、「OKだよ」と言って、荷物をフロントまで運んでくれた。この後、ヨーロッパを40日ぐらい放浪するのだが、初日から、いきなりカルチャーショックを受けた次第である。

・続けるというのは大変なんだ。川が流れる様に、営み続け、何かを頼りに(自分でもいい)生き続けている様なものである。

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嘘が人に嘘をつかせる

・以前、私が勤めていた塾講師の後輩で、とんでもないハッタリ野郎がいた。某大学の物理学科に属していたが、私も、そいつの五年前に受験していたので、そいつに、「物理満点だったぞ」と言うと、「うちの物理の問題、楽勝ですからねえ」と言ってのけた。それで、そいつが大学四年の時に、最初は、「東大の院試なんて楽勝ですよ。観といてください」とハッタリをカマしていたのだが、色々と聞いているうちに、言うことが変わりだし、「併願したいので、東大の院試とは、日程が合わない」と言い出した。私は、「あんなに自慢げに言っていたんだから、東大一本槍で受けろ。男だったら勝負しろ」と命令したのだが、そいつ曰く、「いやあ~この歳で既に借金が四桁(万)に行きそうなんスよ。勝負したかったんスけどねえ」と言ったので、私は驚いて、それ以上は何も言わなかった。そいつは、上越新幹線に乗って某国立大学に入った。その頃は既に、お互い塾から去っていたので、プライベートで話をしていたが、そいつは仲の良い友人と、金が無いので、二人暮らしを始めていたのだが、三ヶ月後に会うと、ケンカ別れしたと聞いた。相当、ずる賢い奴だったので、私の読み筋に入っていたが、肝心の借金について、それとなく聞いてみると、「いや~奨学金とったんスよ。それでバイクの免許でも取ろうかと・・・」と応えたので、私は呆気にとられ、「雪国でバイクに乗るバカが居るか!!それより、借金の返済に廻すべきだぞ」と指摘したところ、「何言ってるんスか、海外に留学して、パツキン女とラスベガスで豪遊ですよ」と応えたので、私は、『こいつ頭がおかしいんじゃねえのか』と疑った。そもそも、中学英語も教えられなかった奴が、なんで院に行けたのかも解らなかったし、留学するなどとハッタリをカマし続ける、そいつは、救いようのないバカとしか言いようが無かった。

・嘘が人に嘘をつかせる。そうなったら人間として最低だ。

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コンピューターが自我を持つと・・・

・コンピューターに精通している友人に、「コンピュターが暴走して人間を支配する様なことはあるのか?例えば、ホーキングやペンローズの理論などを持って来たら、成り立つものなのか?」と質問した。すると、彼は即座に、「それは無い。そういうことは有り得ない」と断言した。そこで私が、「所詮、コンピューターなんて、電卓と同じで、いつまでも人間の指図を受け続とけるものなのか?」と、追問すると、「今の技術ではそうだ」と話してくれたので、私は少し安心した。・・・映画『2001年宇宙の旅』の宇宙船のコンピューター『HALL9000』の様なことをイメージすると、空恐ろしい。また、その友人は、「人間がプログラミングしてやると、コンピューターは、いくらでも計算を続けますし、現に今、スーパーストリングセオリー(超ひも理論)についてなど、バリバリ計算されています」と、5年以上前に教えてくれた。しかし、チェスの世界チャンピオンが、IBMのスーパーコンピュータに十数年前に負け、将棋でも、米長邦雄大先生が見事に敗れた・・・今後、100年、200年後、コンピューターを開発した、F.ノイマンのような、新たな天才が現れ、コンピューターが暴走する可能性も否めないのも、事実である。映画『マトリックス2』のストーリーを思い出した。

・高校の頃、アメフト部の部員が5~6人しかいなかった頃、ラグビー部の部員が助っ人に行っていたそうだ。また、その逆もあったらしく、お互いに持ちつ持たれつの関係だった。また、特にラグビー部の知り合いが言っていたのだが、当時の人気ドラマ、『スクールウオーズ』が再放送される度に、新入部員が増えたそうである。

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恩師の言葉

・孔子は、『我、十五にして学を志し、三十にして立つ。四十にして惑わず、五十にて天命を知る』と有名な言葉を残しているが、私の恩師は、私が未だteenagerの頃に、「四十代で通用する人材を育てたいのです」と仰っていた。そして、「それは、体力と能力のピークが一般的に、その年頃だからです」と伺った。私も、その頃は、先が観えない青春のど真ん中であったが、私なりに理解しようと努力した。それは、たとえ大学に入ろうが、結婚しようが、『頭打ち』になってはならないという、厳しい教えに感じた。恩師が亡くなって、十年ぐらいが過ぎた頃、週刊文春の特集号を観ていると、将棋の故大山康晴永世名人が同じことを言っていた。その言葉は、「五十を過ぎると、どうしても体力がついてきません」というものであった。私は恩師のお眼鏡にかなう弟子なのか解らないが、精一杯に期待に応えようと、日々、研鑽している。(もちろん、ダラける日もあるが)師匠の志を叶えたいと共に、恩義を忠節を持って応えたいと、身に染みて感じている所存である。

・むつかしいんだよな・・・人生には、『これ』っていう道なんかない。結局は人間皆が進むべきは、『Our Own road』・・・我が道を行くしかないんだ!!・・・じゃなきゃ、人生は面白くない。

・海水浴に友人と行った際、海岸で岩場に降りたら、「お前、血が出てるぞ」と言ったら、「お前もだよ」と言われ観てみると、確かに血が出ていた。そして、「何でナンパ目的でもなく、こんな所に来たんだろう。若い娘もいなかったしな」という、空しい反省会をした。

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日の丸を背負って

・太平洋戦争末期、飛行機を敵艦にぶつけるという、所謂、『神風特攻隊』なるものがあった(私の親戚のおじさんも志願したいと言ったが、親に強く止められた)。実際に、特攻した多くの人達が無駄死にをしたのだが、私でも志願する様な覚悟を決めなければならない局面であった。特攻隊の人達は、特攻する直前に、「お母~さん」と言って死んでいった方達が多かったそうだ。私はその話を聞いて、何故、『お父さん』ではないのかと、興味を持った。心理学の話になるのだが、子供として産まれるまで、10ヶ月近くも、お腹の中で育んでくれて、命がけで産み、何も出来ない子供を一生懸命に、自分で少しずつ出来る様になるまで、育ててくれる、その無償の愛情に、男というものが、結局、帰る場所は母胎の中かも知れないと推察するのみである。

・日本の赤字国債は、アメリカに貢いだ分だけの量なのではないのか?全部がそうでもなくても、半分以上は、ぼったくられたものなのではないのか?

・人間、笑顔で生きてゆき、笑って暮らしていれば、いつか、本当に笑える様になる。その逆で、人間、下を向いて、しかめっつらばかりをしていると、それこそ下に落ちてしまう。気持ちの持ち方一つで、人生とは両極端に変わってくるものなのだ。

・「またでいいよ」・・・「おいおい、それならこれを受け取ってくれ」

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段の上・・・?

・塾講師時代、国語のプロフェッショナルがいた。私達は、毎週、毎月、恐ろしい程のコメントを書かされていた(これは契約違反で、塾長が二倍以上書かせたのである)。私は中学生だったら、全科目、教えられたが、彼がいたので、黙って、理数中心に教えていた。彼は、私と同じく、古典の活用なんか覚えていないのに、完璧な答えを出す講師だった。だから、安心して任せていたのだが、ある時、月末のまとめの蘭に、『徐々に』と書くところを『除々に』と書いてしまい、大慌てで塾に書き直しに来たらしい。その律儀さにも感心するのだが、国語の教師をしている以上、そうしなければ、示しがつかない。私だったら御愛敬で済ませてしまうのだが、彼の誠実さは、皆に認められていた。

・飲んでる時に、ある女の子が、異常に字が達筆だったので、「書道何段持っているの?」と聞いたところ、その子は、やや遠慮しながら、「・・・段の上にも試験があるんですよ」と応えた。それを聞いた私は、ビックリして、「書道には段の上にも位があったのか!?」と驚いた。そうして、「僕も書道習っていたけれど、7級止まりで知らなかったよ」と言い、「いつか稽古をつけていただきたいと存じます」と言って、だめな塾講師の女の子を持ち上げた。

・口だけではない。行動しなければ、人間には意味がなくなるのだ。

・(あの悲願千人斬りで御高名な)米長邦雄大先生の考え方は、既に古い。

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友人からのメール

・中・高の体育祭の前日、皆、準備で忙しかった中、学校の坂を上がった所で、後輩が三人帰って行った。それを見た体育教師のマサ先生が、血相を変えて、「お前ら何しとんじゃ!!帰るとは何事じゃ!!」とすごい剣幕で怒り散らしていた。それを聞いた三人組の生徒達は、二人が逃げ、一人は、謝りに行っていた。マサ先生は、高校生にもナメられない様に、中学一年の時に腕っ節を見せながら、怖い先生だと思わせる様にしていた。結末は知らないが、捕まった一人は、全てを白状したことだろう。

・拡いものがほしいのです。拡いものが・・・でも、原爆の朝を考えると、そういう気持ちにはなれないのです。

・どんな憎しみの塊でも、生まれつきの致命的な欠点を言っては、絶対になりません。なぜなら、その人は、可哀相なことに、その、致命的な欠点でひねくれていることが多いからです。

・昨日、私のblogを毎日チェックしてくれている友人から、ショートメールがあった。数日前に、ゴルフの話を書いていたblogを読んでもらったせいか、『古いクラブをあげるよ』という、大変ありがたいものだった。すぐに送り返し、「着払いでいいから、頼む。ありがとう」と返事をした。すると、すぐに、『了解』という返事が返ってきた。この上なく有り難かったし、いつか、彼と、自分のクラブでコースをプレイしたいと思った。

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病院でIQを計る奴

・塾講師時代の同僚で、とんでもないハッタリ野郎に、私が小学校時代のIQテストのことを話し、「最近はそういうのやらねえんだよな。どういう仕組みなのか、さっぱり解らねえよ」と言い、「最近の高校入試の制度もどうなってるか解らねえし、はっきり言って、公立の中学の教師が、一番レベルが低い」と嘆いていた。いろいろと話し合う中、「IQの定義っていうのは、頭の回転の速さよりも、精神年齢の問題なんだよな」と言った記憶がある。私が、生物学の本を読んでいて、モーツアルトIQがおよそ150位で、ゲーテが200強だというデータを知っていたのだが、ある時、その塾の後輩に当たるその同僚がそれを観て、「みんな低い。低すぎますよ」と言ったので、私が、「お前に何が解るんだ?」と聞いたら、そいつは、「だって、余りにも低いじゃあないっスか」とカマした。私は、「お前、何を根拠にそんなこと言っているんだ?」と聞くと、そいつは、「いや~IQの問題っスよ、IQの問題」と言い放ったので、「どうしてそんなことが言えるんだ?」と、そいつに尋ねたところ、得意気な表情で、「だって、俺よりIQ低いんですもん」と、ハッタリをカマした。私が、「どこでお前のIQ計ってもらったんだ?」と聞くと、「病院で計ったんスよ」と言うので、私が、「お前の数値いくつやったんや?病院も忙しいし、お前のIQ計っている暇なんてあるわけねえだろ」と言うと、そいつは、「データはデータですから」と応えたので、頭にきた私は、「病院でどうやって、おまえの精神年齢計るんだよ!!この馬鹿野郎!!」と一蹴した。

・自分の保身のために手の平を返す奴は最低だ。

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運動不足解消のために

・運動不足と気分転換のために、半月に一度くらい、ゴルフの打ちっ放しに通う癖がついた。グローブこそ買ったものの、肝心なクラブやスパイクが買えないので、いつもクラブを借り、サンダル姿で通っていた。上手い人のフォームを観察しながら、上達の道を求めたのだが、何分サンダルでは、良いフォームにならないことが解りだしてきた。最近はドライバーとピッチングウエッジしか借りないのだが、PWの練習は少ししかしない。『ゴルフの基礎はアイアン』とは解っているのだが、気分転換に、折角、広い打ちっぱなしに行っているのだから、ドライバーばかりを打つ。最初てんで駄目だったが、四回通うちに、150Yは普通に飛ぶようになった。こないだ行った時に、『何で同じ、ドライバーなのに、隣の人は250Y飛ばすのに、私は150Yなんだろう』と疑問に思った。すると自分のスイングの悪さが解るというものである。そもそも、サンダルだと右足の回転が鈍くなる。それでも真似していたら、五十球に一球だけ、170Y越えをした会心の一発が決まった。それでも満足できずに、上手い人のショットを観ていると、遠心力を効かせて、力まず打っているのがよく解った。それを真似するのである。ドライバーの微妙な傾斜にも気が付いたし、それを意識したら、飛んだ。私は初心者なので、オーナーさんは、いつもプロに習うことを勧めてくれるが、何分金がない。基本の大切さは痛いほど解っているのだが、あくまで、気分転換なのである。それでも、もしも、ゴルフ道具一式を揃えるならば、そこで買わざるを得ない状況になりつつある。

・学問を続けた結果、日本のどの大学の入試問題も楽勝になった(大学を出ておいて、成長しないことは許されない)。しかしながら、数学の話をするのは好きなのだが、若い頃にもっとも得意だった計算が出来なくなってきた。成長したのか、退化したのか、解らない年頃である。

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座右の銘として

・私と院の時に親しくなり、今でも腐れ縁で、十五年来の悪友がいる。知り合った当初、私から、自己紹介のメ-ルを送ったのだが、その項目の中の一つに、座右の銘として、私は寺山修司の言葉を引用し、『私には忘れてしまったことが多い。だが、それは、決して捨ててきたというわけではない。忘れることも愛するような気がするのである』と挙げたら、友人からの返信で、彼の座右の銘を送ってくれたのだが、それは、『強い人間なんていない。いるのは強いふりをする人間と、そうでない人間だけだ』と書かれていた。彼はどんなバイトでもやったし、いろんな人と話したし、私と似ているところが多かった。彼自身のコメントを見て、彼は、ある意味、人付き合いで達観しているのではないかと思った。

・週刊文春か新聞の将棋欄を読んでいると、将棋に興味を持っている小学生に、そのエッセイを書いているプロ棋士が、「将棋のコツはね、相手が陣形を整える前に仕掛けることが大切なんだよ」と、教えてあげていた。

・私は、人が書いた文章を読んでいて、漢字や送り仮名や文体等のミスには、とても敏感である(自分のミスには気づきにくいのだが・・・)。それは、何年にも渡って、本を読み、自ら文章を書き、美しい文体を求め続けた結果であると言わざるを得ない。他人の文章がおかしかったら、自然と違和感を覚えるのである。多分、骨董商なども、長年の修行により、偽物には、まず、違和感を覚えるのであろう。そこから鑑定に入るのであろう。

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質量を積分したらどうなるか?

・私が、高校までの物理学を勉強し終わった時、『加速度は何で微分できないのだろう?』と思った。強引に言えば、『加加速度』と、計算は出来るのだが、私が疑問に思った事は、何故それが物理的な意味を持たないのだろうか?という、基本的で哲学的なものであった。つまり、『加加速度』などと、単純に割り切ったら、数にきりがない様に、単なるパラメータになってしまう。私はパラメータ一つ一つの物理的な意味を知りたかっただけである。今から十年ほど前、ある友人から、「自由落下でも、何かが出てくるかも知れません」というヒントをもらった。最初は意味が解らなかったのだが、真面目に考えているうちに、アインシュタインの『等価原理』を疑えば、何か意味があるのかも知れないと気が付いた・・・思えば私は大学一年の頃の知り合いに、『エネルギー保存則』について、「あれは、時間と長さについてしか考えられていない。それについて考えるよりも、他のパラメータについて考える方が、よっぽど面白い。例えば質量を微積分したらどうなるのかとか、そういう事を考える方がよっぽど面白い」などと話していたのだが、その知り合いには、私の言っている事が、さっぱり解らない様子であった。しかしながら、彼の方が成績はいいのである。私は、『所詮、大学まで来てみても、この程度か』と思っているうちに、学んでいた事を忘れだした。そんな私にとって、E=MC2というアインシュタインの相対論は、奥が深かった。

・世界史上、ウズベキスタンのタシケントは、シルクロードで、ものすごく重要な街だった。

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原チャリが壊れる時

・原チャリに乗っていて、ぶっ壊れたので、バイク屋に持って行くと、「クランクシャフトが折れています」と言われ、友人達に、その事を話したら、「そんな奴、聞いた事がねえぞ」と言われ、「多分、ピストンが焼き付いたんだろうな」と言われ、妙に納得した。私がエンジンオイルを切らしていた訳ではないのだが、壊れる前に長距離を走り、壊れる直前は、やけにエンジンの調子が良かった記憶がある。ぶっ壊れる瞬間、「ピャッ」というような音がして、一瞬、後輪がロックし、後ろを見ると火花が飛んでいた。それで、その原チャリから乗り換えて、買った、二代目の原チャリは、遊びで80Km/h出すように改造したけれど、飲酒による自爆事故(時効)で電柱と喧嘩してしまい、再びバイク屋に持って行ったところ、今度は、「フロントフォークがねじ曲がっています。これに乗っていたら、いつ死んでも保証できません」と言われたのでやむなく廃車にした。二台の原チャリをおシャカにしてしまったのだが、再び友人達にその話をすると、バイクを知らない友達からは、「生きているのが信じられねえ」という評判をもらい、バイクに詳しい友人達からは、「バイクで死ぬのは、電柱で死ぬ奴が一番多いんだぞ」と釘を刺され、大変反省した次第である。

・ケーブルTVで、マイケルの追悼番組をやっていたのだが、マイケル役の奴のダンスが、あまりにも下手くそだった。いっそのこと、『とんねるず』の憲武がやった方がハマるのではないかと思った。

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論語読まずの論語知らず

・塾講師時代、同僚の後輩で、ハッタリで紛らわす奴がいた。ある時、私が最年長のキャリアになった時、塾長から、塾で出来たカップルを追い出そうかどうかという相談を受けた(そいつらは、塾の中でもベタベタしていて、生徒に示しがつかなかった)..。その時、行きのバスで、たまたま論語を読んでいた私は、「『その地位にあらざるものは、口を出すべからず』と、孔子が言っているので、おまかせします」と言ったら、そのハッタリ野郎が、「俺もそれ知ってますよ」と付け加えた。私はノーコメントを通したのだが、そいつは裏で目茶苦茶に言っていた・・・結局、塾内恋愛していた二人はクビになって、ハッタリ野郎の思い通りになった。家が近かったので、よく一緒に帰ったこともあるが、そいつ曰く、「今度、論語を貸してくださいよ」と言うので、貸してやったが、そいつは、貸したものを返さない奴だった・・・私が塾長にコメントした際には、さも、論語の全てを把握している様な口ぶりだったので驚いた。後日、よく考えてみると、そいつは何も知らない事に気が付いた。『論語読みの論語知らず』という言葉は聞いた事があるが、『論語読まずの論語知らず』という言葉は聞いた事がない。とんでもないハッタリ野郎だ。

・バブル期に安っぽいロックで売れた、『ハウンドドッグ』のボーカルこと、大友は、ある曲で、『ジジイになる前に死んでやる』と歌っていたが、この間、久々にTVでみかけた所、いいジジイになってダサい、ロックともいえないロックを、仕事がないせいか、下手くそに歌っていた。自分で言った事には責任を持て、と言いたい。

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宴のあと(新年会その7)

・私が目覚めると、既に十時を回っていた。横にいる友人に、「俺、どれくらい寝てた?」と聞くと、「三十分くらいかなあ」と気を遣ってくれた。土曜だし、そろそろとなった時に、『katsu』の店長の前に一万円札が舞った。仕事が忙しくてキャンセルした友人の分も払おうとしたが、三人が同時に二万円を出し、収拾がつかなくなった。結局は、店長がかぶってくれることになったのだが、幹事としては歯切れが悪い。そんなこんなで、草加駅で解散となったのだが、トイレに行くと、以前、ゴルフに誘ってくれた友人がいた。私が、「最近、打ちっ放しに半月に一回は通っているぞ。やっと1/10ぐらいの確率で150Y 飛ぶようになった」と話すと「なかなかじゃねーか。今度、一緒に行くか」と言われたので、「ああ、ただ、もう少し上手くなってからな」と言ってホームに上がると、電車が来ていたのでみんなで飛び乗った。ちなみに、新人の友人には、元々、六袋注文していた冷凍のグリーンカレーのうちの二袋をプレゼントした。お礼を言われたが、「お礼なら店長に言ってくれ・・・あいつ、千円しか受け取ってくれなかったんだよな」と話した。後日、感謝メールが届いた。それから、厄年の友人の一人に、「最近はどんなことを考えているんだい?」と言われたので、手短に、「これからは、お受験→受験→一流大学→一流企業、という図式は成り立たなくなる。俺らの仲間でも、一人もまともにサラリーマンしている奴がいねえじゃねえか。才能のある奴は、己で道を切り開くよ」と話した。それでも友人は、「俺たちは確かにサラリーマンしてないけれど、それでも人間として右の道を行っているんだ。だけど、お前は違う。左を突き進んでいるんだよなあ」と言い、「貫き通せ。どうしようもなくなったら、死ね」と、事も無げに言ってきた。まあ、親より先には死ねないが・・・

・「もし、死ぬ場合、切腹する。その代わり、お前が介錯してくれ。今からでも剣道習っておいてくれ」と応えた。

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田酒登場(新年会その6)

・今年も例年と変わらず、新年会のために、斗瓶造りの『田酒』を出してくれた。青森のお酒らしいのだが、あまりにも旨いので、一升瓶があっという間に開いてしまう。これを飲んでしまうと、他の日本酒は飲めなくなってしまうくらいに旨い。今年は私は三杯飲んだが、絶妙であった。初参戦の友人も、感心していた。一升瓶が開いた頃に、本を紹介した友人から、「日本の文化論について語ってくれ」と頼まれたので、しょっちゅう、このblogで書いている内容の話をした・・・いずれ、日本人とは何か?と迷う時代が来る、と。友人は、えらく感心し、「それが解っているのなら、問題ないよ」と言った。初参戦の友人が、私の書いているblogを読んでくれたらしく、「俺たちが仕事で書く書類とは、やっぱり違うんだよな」と言ってくれ、お世辞だとしても嬉しかった。そして、「俺も論文書いて、応募したことあるよ。落選したけれど・・・」と話すと、どこからともなく、「マジでか?」という話になり、「親父が生きていた頃に、某月刊誌で、『教育再建』というテーマで書いた。塾講師とかしてた期間が長かったからなあ」と話し、続けて、「誰が書いてもいいという条件だったのに、選ばれた三人はみんな教師だったんだよな」と言うと、「それはおかしい」という声が飛び、私が、「その三人の論文は、教育再建論なんて書いてはいなくて、俺は、論文だと思って、あえてカタい文章を書きながらも、教育再建の方法論を道徳に基づいて、しっかりと書いたんだけれど、親父に全部の論文を読んでもらって、二人して、漫画を応募しているところに論文送っちまったな、と嘆いていたよ」と、言うと、「それって編集者の質が低いってことだよな。これから出版社も潰れて行くだろうしな」という話になった。そうして、ここのところ、分割睡眠が続いている私は、不覚にも、眠ってしまった。

・~トキが七羽に減ってしまったと~(さだまさし)

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課題図書(新年会その5)

・この新年会の幹事をやっていた際、ある常連のメンバーから、私個人宛に、メールで、「最近の新書でよむ価値のある本がない。何か本を紹介してくれ」というメールが入った。私は十冊ぐらい紹介したのだが、絞り込んでくれと言うので、『名人に香車を引いた男』と、漫画の『リアル』を紹介した。その友人は、「生まれて初めて『漫画喫茶』に行ったよ」と言っていたが、「あれ、深い漫画だっただろ?」と聞くと、素直に頷いていた。もう一冊の、升田幸三の自伝については、「ポイントがどこにあるかを探ってください」などとメールしたが、いろんな答えが返ってきた。私は、「どれもその通りだ」と言うに留まった。「面白かったか?」と聞くと、「面白かった」という返事が返ってきたので、とりあえずは成功である。その時は、そいつと語り合うために、席の真ん中にいた。その時はそれでよかったのだが、いろんな案件について話しているうちに、弁護士になって日が浅い友人に、「お前は馬鹿だ。だから司法試験なんか通るんだ」と優しく言ったので、すかさず私が、「馬鹿の仲でも大馬鹿ものや」とフォローを飛ばし、親父の言葉で、「馬鹿になりゃええんや。世の中、そうなろうとして失敗してきやつはたくさん知っているが、ほんまもんの馬鹿になりきった奴は、充分、世渡りできる」という言葉を吐いた。「だから、馬鹿になりきりゃいいんだ」とフォローにもなっていないフォローを飛ばした。「そんなものかな」という彼を尻目に、私は『破天荒な馬鹿』について話をしていた。するとみんなから、「それってお前のことじゃねえか」という返事が返ってきた。

・碁打ちの藤沢秀行のような生き方に、男なら誰だって憧れるというものだ。

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ヤクザの喧嘩を止めて・・・(新年会その4)

・店長が空手をやっていたことは知ってはいたが、高校時代、治安の悪い地域に住んでいて、相当、名前が売れていたことまでは知らなかった。何でも、乗っているバイクのミラーが片方壊れたりすると、何にも言っていないのに下の奴が、「ミラー持ってきました。これ使ってください」などということがあったり、暴走族が走っていて、後ろから追いつくと、族の連中が、店長のバイクの音だと気が付くと、モーゼのように、暴走族が割れて、道を譲ったそうだ。だから、「バイク置き場に鍵差したままバイクを置いていても、俺のバイクは盗まれたりしなかった」と笑って言っていた。大学時代も、普通なら、企業に就職するところを、佐川急便にぶっつけで行ってみたら、「初任給で、月60万出す」と言われたそうだが、料理人の道を選んだらしい。そして、お金を貯めて、最初は西川口に店を出していた。私もよく通っていたが、その頃でも、たくさんの常連さんがいた。そんなある時、店の外で怒鳴り声が聞こえたので、『何だ?』と行ってみると、ヤクザが今にも喧嘩しそうな状態で喚いていたらしい。店長は「おまえらやめろ!!営業妨害じゃあねえか!!」と言って、喧嘩を止めたらしい。するとそのヤクザの組長が感心して、兄貴分を店に送り、「こないだはありがとうございました」などとお礼を言われたらしい。それからまもなく、ヤクザが二人くらいでやってきて、店長に、「キャバクラ行きましょう」と誘われたのでお金を用意して行ったら、会計の際、「お金は組長から頂いているのでいいですと言われた」などと笑って話していた。新年会のみんなは、「なんなんだよそれ」とか、「舎弟にバイクの部品窃盗させるな」などと、爆笑していた。もちろん今は、真っ当な職人をしており、後ろめたいことなどないのだが(つづく)。

・西川口の店の頃が懐かしい。もう、数十年前になるなあ・・・

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