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話し言葉と書き言葉

・同じ鎌倉時代初期の文献である、『平家物語』は、『吾妻鏡』に比べて、比較にならない程の名文である事が何故なのかを考えてみた。『平家物語』といえば、所謂、盲目の琵琶法師達によって語り継がれてきた事が有名である。つまり、書き言葉としてではなく、話し言葉として継承されていった話である、という事がポイントになってくる。琵琶法師達が琵琶の音に合わせて、いかに上手く、人々に『平家』を語るかで競い合った事も容易に想像できる。そうして、話が洗練されてゆき、語り(文章)が変態していったと考えられる。つまり、話し言葉によって語られるものとは変化が激しいのであろう。それこそ、競争の中で、落語の噺家の様な世界であり、談志の様に突出した存在もいたのであろう。現代程、時の流れが速いものでもないだろうし、琵琶法師がいつまで居たのかも知らないが、それを文章化した時、素晴らしい『平家』へと化けたのであろう。それが私の思ってみた所であるが、逆に、『書き言葉』にもメリットが無いわけでもない。例えば、『般若心経』を始めとした、教典などというものは、変わらないから良いのであり、伝統の重みを感じざるを得ない。詮ずるところ、それぞれの違いを考察してみると、なかなか想像力が刺激されるというものである・・・上記の事は私の推論に過ぎないが、独りで、そういう事を考えてみるのも一興である。酒の肴に丁度いい。

・あらゆる思いやりや優しさというものは、『不幸』というよりも、『涙』の中からしか産まれない。

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