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プロとしての自覚

・碁打ち藤沢秀行が亡くなってから何年か経つ。破天荒な生き方をして、無茶苦茶に、『呑む・打つ・食う』をやりたい放題に生きた先生だった。二度のがんでも、くじけずに前向きであられた先生程、私の場合は前向きにはなれないだろう。遺書とも言える、『野垂れ死に』という本の中で、『神経が持たないから、呑まざるを得なかったのだ』と仰っている所には、私も深い感銘を受けた。自分もそうだったからでもある。

・『強い人なんていない。いるのは、強いフリをする人間とそうでない人間だけだ』(友人の二十代の頃の言葉)という自己テツガクを聞き、いろいろと医者にもいろんなのがいるんだなと勘ぐった。所詮、医者も人間であり、『医者の不養生』という言葉を思い出した。

・タクシーに乗っていて、(多分、新米だろう)運転手が遠回りをした時に、軽く文句を言った。すると、その運転手は、勘定の際に、最短コースとの差額を私に返した。『この人は運転手として大成するな』と思った。自分の職業に対してのプロとしての誇りを観たからである。

・将棋の棋士、羽生善治が、名人、王座と続けて失った。羽生程の人でも、四十歳近くなると、思考力が落ちるのかとも思い、少し哀しかった。同じ歳の森内が名人になったが、順位戦だけにターゲットを絞っている感は否めない。森内も自分の影を見つめていたから、晩成したのであろうし、羽生の状態も、一時的に目標を失ったが故のスランプだと信じたい。

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