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2011年12月

大晦日の思い出

・毎年のことだが、私は大晦日にしか大掃除をしない。それも、机の上ぐらいなものだ。今年は五月か六月に、家中の整理整頓を十日ぐらい掛けてやったので、随分と楽ではある。

・現在、草加で店をやっている友人は、草加に店を出す前に、西川口で小規模な店をやっていた。大晦日になると、常連さん達が集合し、私も輪に入れてもらっていた。ほとんどの方が私より五歳ぐらい上の方達だったが、もの凄いノリだった。宴の最中に、必ず、誰がが飲まされ役になってしまい、みんなのコールで、つぶされてしまうのであった。幸い私が狙われた事はないのだが、正月早々気を失い、寝ながら嘔吐している姿を観ると、気の毒に見えて仕方がなかった。現在、皆さんがどうしているかは知らないが、あれだけのパワーがあったら、今でも元気にしてらっしゃる事だろう。

・年末価格というのは恐ろしい。半年前に900円ぐらいだったローストビーフが、3500円以上に値上がりしていた。そんな肉、誰も買わないと思うが・・・

・今月は風邪で苦しめられた事を昨日書いたが、それでも新年会の幹事だけはやっていた。大学時代の方の新年会のスケジュールは三日で決まるのに、高校の方は未だに決まっていない。年を越しそうだ。

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風邪がひどすぎる

・十二月の上旬に引いた風邪が、未だに治らない。二年越しの風邪にはしたくないので、今日一日寝ていようと思う。よりによって、暮れの忙しい時に寝ることになるとは・・・

・高校の頃に通っていた数学塾の恩師が言っていた。「風邪を引いたら、二ヶ月は数学の問題は解けなくなります」と。現在、私の脳みそが鼻水の塊の様な状態で、思考力が全然無い。確かにこれでは、数学どころか、他の科目も駄目である。

・風邪を治す薬ができたらノーベル賞ものだ、と聞いたことがある。それだけ、風邪の菌というのは千差万別ということなのだろう。

・大学受験の時、友人仲間の中で、一人だけ風邪を引いてしまった奴がいた。模試では、第一志望が、『合格確実ライン』だったのに、スベり止めの大学に行くことになって、可哀想だった。

・若い頃はどれだけ無茶をしても風邪など引かなかったのに、ここ数年は無理が利かなくなっている。ドラゴンボールで言うなら、元気玉が欲しい。「みんな、オラに元気をわけてくれ」って感じで・・・この風邪はしつこすぎる。

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つれあいを亡くす悲しみ

・一ヶ月程前、母が地元の野菜直売所に行くというので、その足になった。待っている間、コンビニの灰皿の前で老人に話しかけられた。「同じ銘柄の缶コーヒーですね」というきっかけから、しばらくは世間話をしていたのだが、私が応対しているうちに、そのおじいさんは、突如、涙ぐんで、奥さんを亡くされて間もないことを打ち明けてくれた。私は、咄嗟にハンカチで涙を拭ってあげたのだが、相当ショックが大きかったらしく、慰めの言葉も見つからないうちに、ただただ話を聞いていた。その方は、きっと、誰かに話を聞いてもらいたかったのだろう、まだ心の整理がついておらず、相当、参っていらっしゃる様子だった。私も三年前に父を亡くしたので、痛い程、気持ちが伝わってきた。やがて母がやって来たので、事情を話すと、母は、「ちゃんと食べていらっしゃいますか?」と母らしいことを聞いていた。おじいさんは、「娘が週に三回来てくれるんです」と話されていたが、「つい最近、女房が夢に出てきて、旅行に連れて行ってくれてありがとう」と言ったんです、と泣いてらした。母が、「私も一年間位は、毎晩主人の夢を見ました。時だけが解決してくれるんですよ」と話すと、おじいさんは、つれあいを亡くす辛さを語ってらした。私は、「太陽の光を浴びるのが一番ですよ」と、そのおじいさんの孤独を何とか晴らす術を話した。そのおじいさんは、母と私に、泣きながらお礼を言って下さった・・・丁度、今日か明日が四十九日だと思うのだが、一つの立ち直るきっかけになってくれればと願っている。

・現在、室内犬として飼っている犬は、夜型である。甘えん坊で、母のベッドで寝るのだが、ある日の昼間、母が、「夜中に起きて、スフィンクスの様に座って何を考えているのだろうか?」と言うので、「こいつなりにテツガクしているんだよ」と私が応えたら、母は笑い、犬の方は『へそ天』で寝ていた。

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壊れかけのドラえもん

・海外にあてもなく独りで旅する時の帰りの飛行機のチケットは、オープンチケットを取るのが鉄則である。

・昔、友人のやっていた飲み屋の常連さんの一人に、床屋の、やっさんという、私より多少年上の方がいた。可愛がってもらったが、とても大切な事を教えて下さった。それは、「男女関係というのは、お互いが黙っていても平気な事が大切なんだよ」ということだった。教えてもらった当初は、今ひとつピンと来なかったが、よく考えてみると、『気を遣い過ぎたら無理があるだろ』という事に、現在の私の中では帰着している。

・前の日銀の総裁が、己の利益の為に、ファンドに手を出すなんて考えられない事だ。そんな国は無茶苦茶になるに決まっている。

・藤子不二雄の生き残った方は駄目である。俗世間に染まりすぎている。こないだ、ドラえもんを観たが、途中でTVを消してしまった。夢が無いどころか、子供に悪影響を与える様なストーリーだった。ドラえもんは22世紀から来た、猫型ロボットということもあり、故障してしまったのだろう。さしずめ、TVにしろ映画にしろ、『壊れかけのドラえもん』を流しているということだ。もしも、私が親だったら、子供には観せないだろう。

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武勇伝

・パリは花の都、ベネチアは水の都、ウイーンは音楽の都、ロンドンが霧の都・・・私はこのうちの一つしか制覇していない。でも、ビールの都のミュンヘンで飲んだビールは旨かった。

・以前、ご近所に住まわれていたおっちゃんは、シャイな内面に裏打ちされた、やんちゃさで愛嬌のある方だった。ある日の朝、おっちゃんがゴミ出しの日に、木の束を重たそうに運んでいたので、片方を持ってあげた。すると、おっちゃんが、「庭の木を一本処分してくれと、近所の造園業者に頼んだら、五万も取ると言いやがった」と話してくれた。そこは、適当な仕事しかしないのに、ボッタクリで有名な業者だったが、おっちゃんは引っ越して来て間もない頃だったので、知らなかったらしく、ブチ切れて、業者に、「たかが木一本抜くだけでそんなに取るのなら、自分でするからいい。ふざけるんじゃねえ!!」と言い放ったそうだ。おっちゃんは奮起して、木を根っこから引っこ抜いたらしく、その武勇伝も聞かせてくれた。ちなみに、その悪質な業者は、まもなく夜逃げしてしまった。

・十二月の頭から引いていた風邪が少し良くなってきた。まだ風邪薬を飲んでいるが、しつこい風邪だった。何より困ったのが、思考能力が全くなくなった事だった。年明けまでには完全に治してしまいたい。

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Stay Gold

・日中戦争の時、故祖父は最前線で戦っていた。部隊は連戦連勝で、何で日本が負けたのか解らなかった、と祖父は言っていた。また、上官からも殴られた事がない、とも言っていた。そんな事をしていたら、どさくさに紛れて、味方から打たれるからじゃ、と笑っていた。

・スティービーワンダーのコンサートで『superstition(迷信)』という曲が一番盛り上がる、お約束の曲だと聞いた。私は、『Stay Gold』の方が好きであるが、宇多田ヒカルの『STAY GOLD』も、馬の『ステイゴールド』も好きである。私は幼い頃、ゲンを担ぐ方だったが、『迷信』なんて信じていなかった。大人になって、民俗学をかじると、逆に『迷信』にも何らかの意味があるのではないかと考える様になった。

・中高時代の数学の教師が、図書館にやたら難しい本ばかりを大量に寄贈していた。そして、図書委員の女とくっついた。私が想像するに、古本屋で仕入れて、読みもしないのに寄付を繰り返していたのであろう・・・小せえ、小せえ。

・私が、夜、寝付けない時に、故父は、「眠れなくて死んだ奴は聞いた事がない」とよく言ってくれていた。その後、効率的に睡眠を取る為に、睡眠についての本を本屋で買った。すると、夜にその本を読んでいると、何故だか眠くなるのである。だから、未だに完読はしていないのだが、眠りたい時には読む事にしている。

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STAY GOLD

・眠いから寝る。

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罰当たり者

・ケンタッキーフライドチキンが一年で最もボロ儲けするのが今日であろう。昔は我が家でも買っていたが、今年の我が家の夕飯は鶏の唐揚げと、随分質素になってしまった。また、クリスマスケーキも一番売れる時期なのだろうが、私がお酒好きの甘いもの嫌いなので、どうでもよくなってしまった。シャンパンも、ドンペリぐらいいいものならいいのだが、その辺の酒屋で売っている、銀色の包装紙に包まれたものなど、飲みたくもない。それからクリスマスといえば、サンタさんだが、私は未だに信じている。靴下を置いて、眠りに就くのだが、去年は夜中に目が覚めてしまい、私がサンタさんになってしまった。まあ、そろそろ私が親孝行するのも当たり前の事であるが、今年は懐が寒くて、どうしようか悩んでいる。

・有馬記念が近づいてきたが、昔ほど燃えなくなった。四年連続当てた事もあったが、五年目にボロ負けを喰らった。私の中で、特別なレースは、有馬とダービーだけなのだが、ダービーも三連覇したことがある。その時の配当金で、現在、モンブランのボールペンを使っている。

・私は仏教徒なのに、クリスマスがキリストの誕生日である事は知ってはいても、肝心な釈迦の誕生日を忘れている、罰当たり者である。また、かの有名な、アイザック・ニュートンが12月25日生まれだという様なことも知ってはいるが、知らなくてもいい事だらけである。なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。風邪を早く治しきりたい。

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運転のリズム

・車を運転している時に、赤信号などでブレーキを踏む際に、前の車が通常と異なるタイミングでブレーキを踏むと、自分まで、そのおかしなリズムに付き合わされて、非常に運転しづらい。また、アクセルを踏む場合も同様で、おかしなパターンで運転されると、非常に気を遣う。プリウスなどのハイブリッド車については、よく判らないが、運転のコツは、アクセルワークで流れに対応し、できるだけブレーキを踏まない事だ。

・(悲願千人切りで御高名な)米長大先生が内弟子時代、山梨の実家から東京までという極悪な距離を、何度かキセルをし、山手線で落ちている切符を拾って安上がりに済ませていたそうだが、ある時、ハッと、『これから将棋界のトップに立つ人間がこんな事をしていてはいけない』と思い立ち、それからはキセルを止めたと、ある本で書いてあったが、恐ろしい程の自信だと、恐縮してしまった。と同時に、米長大先生ほどの御方が、たかが山梨と東京を行き来する為に、キセルをやっていたとは考えもしなかった。それからは、私は大先生の事を、『ただ将棋が強いだけで、ロクな事していないオッサン』位にしか思えなくなってしまった。

・私は何故か、昔からダウンタウンの笑いというのに、余り面白みを感じた事がない。バラエティ番組をあまり観ないからなのかも知れないが、私には、よく解らない。

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『イマジン』な世界

・レノンの『イマジン』を高校時代に聞いて、感動したという教師がいたが、あの曲は非現実的である気がしてならない。また、レノンの暗殺の裏には、レノンが左翼団体に多額の献金をしていたという問題もある。個人的には、『イマジン』は好きな曲だが、私は、人間というものは、もっとドロドロとしたものであると考えている・・・現に、ソ連邦を始めとした、共産主義など成り立たなかったではないか。理想だけを語っても、単に、アナーキーな世界が拡がるだけなのである。

・元こぶ平が、小学校時代、親父の方の三平の事でイジめられていた時、授業参観の日に、三平が突然乱入し、一席ぶったらしい。それから、元こぶ平はイジめられなくなったらしいが、これは、よく考えてみると、『いい話』どころか、今で言う、『モンスターペアレント』の様なものでもある。だから、あんなアマちゃんになったのであろう。まあ、親が子供の事を思う気持ちは充分に理解できるが、過保護すぎるのではないか。それが、子孫を駄目にしてしまうのだ。男だったら、自分の力で乗り越えなければならない。女の子だったら、別だが。

・高二の冬、体育の授業で、みんな、頭の中でスクールウオーズのテーマを流しながら、ラグビーをしていて、学年で、骨を折った奴が一人、歯を折った奴が二人いて、可哀想だった。怪我をしたくない奴は仮病を使って、いつも見学していた。わざわざ、健康な指に包帯を巻いてまで、そうしている奴もいたが、そいつらは『チキン』扱いされていた。

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友達の気持ち

・梅毒は、コロンブスがヨーロッパに持ち帰ったという話は有名だが、中世の、いわゆる『天才』と呼ばれた人たちの多くが、梅毒の覚醒期になされたものだと聞いた事がある。たしか 、吉行と開高健の対談本で触れていた筈だ。

・中・高時代一緒で、今でも付き合いのある友達が、高校の頃、皆で『マガジン』を廻し読みしていたのだが、みんな、読む順番は大方決まっていた。そんな中で、凄腕の医者の漫画からチェックしている彼がいた。それを見ると、みんなが笑い、ある友人は、「お前、その漫画からチェックする奴なんて知らねえぞ」という爆笑に包まれても、彼はそのスタイルを変えなかった・・・彼の親父さんは、彼が大学生の時に亡くなった。おそらく、高校時代から不治の病を患っていたのであろう。私も父を亡くして、初めて彼の気持ちが理解できた。

・『何か書かなきゃな』という日は、大概、眠りに就く。特に日曜日は、健康的な生活(うたた寝をしている)。何も考えない日も必要だ。

・恋をすると、何でだろうとかいう理屈は必要なくなる。けれど、何で俺はこいつを好きになったのだろうと、冷静に考えてみるとよく解らなくなる。『それでも好きなんだ!!』という理由の答は、自分自身の中にある。

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スランプ

・人間というものは不思議なもので、死にたくなる時もあるが、喜びの絶頂な時もある。いろいろとあるのが人生の味というものであろうが、私には、到底、人間というものの本質が掴めない。結局は、解らないという結論に至る。自分自身でさえも解らないのが現状だ。

・元西鉄ライオンズの豊田と小林秀雄が対談した時の話で、豊田が面白い事を言っていた。それはスランプについての話だったが、豊田が言うには、「若手で、まだ技術的にも未熟な選手が、ちょっと調子を落として、やれスランプだ、と言う奴がいるが、それは本当のスランプではない。本当のスランプというのは、技術的にも成熟した者が、どういう訳か打てなくなる事を言うんだ」と述べていた。要するに、いくら努力しても、見えない壁というか、バイオリズムというか、見えないけれども、何らかの波というものが、あらゆる事について存在するのだろうと観じた次第である。

・借りた物品を返さない奴は信頼しない。時間にルーズな奴は信用しない。それ以上の事だったらなおさらだ。これらの事が守れない奴は、放っておいても自滅する。

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はるばる

・日露戦争の日本海海戦で、東郷平八郎率いる連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を撃破して勝利に結びついた事は間違いがない。その後、東郷平八郎は『軍神』扱いされた。しかし、よく考えてみると、日本海海戦は、連合艦隊が強かったから勝ったのではなくて、バルチック艦隊が疲弊しきっていたから勝てたのだとも見て取れる。そもそも、バルチックというのは、ヨーロッパのバルト海に所属する艦隊である事からネーミングされている。日露戦争のために、遠路はるばる欧州から何十日も掛けて極東の日本までやって来た時点で、乗組員の士気が極度に下がっていた事は容易に想像がつく。

・矢沢永吉、高校の卒業証書を破って上京す。(『成り上がり・・・How to be BIG』より)

・下北半島の大間で車中泊をするべく、夕食を食べようと食堂に入った。そこの旦那がヨネスケに似ていたのだが、話す事もヨネスケ張りにスベりまくっていた。かみさんは、田中真紀子に似ていて、同様に無愛想だった。海鮮丼は旨かったが、大間のマグロは食べられなかった。聞く所によると、全て築地などへ行ってしまうらしく、それだけが心残りだった。その食堂で知り合った、軽自動車で車中泊をしながら、日本一周しているという、名無しの旅人さんと出会った事は忘れられない。一期一会だった。

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風邪が・・

・今日は、風邪で病欠。十二月のはじめから引いていたものを悪化させてしまった。

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ゲーテの耳

・小林秀雄の批評によると、ゲーテは友人にモーツアルトを聴かされると上機嫌だったらしい。しかしベートーベンを聴かされた時には、「こんなもの、芸術でも何でもない。ただ、大衆を驚かせるだけだ。こんなものが全世界で響き渡ったら、世界はどうなるであろうか」と言って、後は鬱々とした沈黙と、独り言を繰り返していたらしい・・・さて、2000年に開かれたシドニー五輪の開会式では、小澤征爾がタクトを振り、全世界で一斉にベートーベンの第九を合唱していた。その時、私は、件のゲーテの言葉を思い出し、非常に嫌な予感がした。それが的中したのか、翌年の2001年の9.11がN.Yで起きた。ノストラダムスの大予言が時間差で当たったのか、私はひどく落ち込んだ記憶がある。本当に辛かった。友人に助けを求めるメールを打ったりして、精神的なカオスから逃げ出したかった・・・あれから世の中は変わり、私から観てみると、インカの暦説ではないが、『人類の進化は肯定できるのか?』という疑問が心から消えない。世の中はますます不幸に向かっている気がしてならないのに、それでも、人は人としての営みを繰り返している事が、自分も含めて、何か滑稽な感じがしてならないのである。

・そういえば、昔、友人が借りてきたAVを入れたまま、ビデオデッキが壊れてしまい、泣く泣くデッキを分解して、テープを取り出し、返したという話を思い出した。「それって、かなり悲惨だなあ」と同情した事がある。

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男女の釣り合い

・それは、父が存命中に、まだETCがそれほど普及していない時に起きた事件である。高速道路を走っていたら、白い営業車が、まるで父の車をターゲットにするがごとく、運転して追い抜いていったそうだ。しかし、ジャンクション(JCT)の料金所で、ETCを搭載していた父の車がさらりと抜き返してしまう。すると、暫くして、その営業車は、猛スピードで父の車を追い抜いてブチ抜いていったそうだが、また、次のJCTで父があっさりと逆転してしまう。再度、その営業車は、猛スピードで抜いていったそうだが、間抜けな事に、覆面に捕まっていたそうだ。その話を聞いて、私が、「そいつ、いつも退屈だから、そういう運転をしているんじゃないのか?」と言うと、父も、「多分な・・・それにしても笑いが止まらへんかったなあ」と言っていた。父の没後、私しか車を運転していないのだが、運転している時に、取り締まりを食らっている様子を見かけると、独りで、「南無阿弥陀仏」と唱える事にしている。

・男性と女性が釣り合うとは、お互いが尊敬し合える事。

・若かりし頃の母の知り合いで、ある街の準ミスになった人がいるらしい。大手の商社の社長秘書になったと聞いて、母が友人に、「その娘、そんなに出来たっけ?」と言うと、友人は、「馬鹿ねえ、秘書にも事務用と観賞用とがあるのよ」と応えたらしく、母は、『なるほど』と、妙に納得したらしい。

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童心

・剣道の授業は、一年間基礎ばかりしていたが、それが済んで、地稽古をやる様になった。すると、新任の若い先生が、「実践では、小手面の時は、多少インチキでも、一本が取れればいい」などと、コツを教えてくれた。また、その先生は、「お前ら、『突き』が足りない」と言って、「突いて、突いて、突きまくれ!!」と仰ったので、生徒も皆、自分よりも格下だと思える相手には『突き』を連発していた(中には、『突き』だけを食らっている奴もいたが・・・)。また、その先生は、柔道の先生と組んで、『格技』なる名目で、個人戦と団体戦を年に一回開く事にしていた。私は、遅刻、欠席の常習犯だったので、出るつもりは無かったのだが、クラス代表に選ばれた。とても名誉な事であった。不思議なもので、学校など嫌いだが、体育だけが唯一の楽しみだった私は、剣道部の知り合いを通じて、潜り込ませてもらったりしていた・・・それまで、自分のクラスの相手には『突き』を打っていなかったのだが、クラス対抗となると話は別である。蹲踞してからの立ち会いで、いきなり『突き』をかました覚えがある。

・母が、総合病院での検査中に足のくるぶしを複雑骨折したので、整形外科に行っていた(四年くらい前)。母は、私と父の到着を待っていたのだが、その時の話の事・・・隣の机で中国人の家族が、多分、交通事故か何かで、ボッタくろうとしていたのだろう、親が二人とも、「やれ、首が痛い、肩が痛い、腰が痛い・・・子供も痛いんだ」と言っている様子だったそうだ。すると、担当の医者の先生が、子供に、「ボク、どこか痛い所あるかい?」と尋ねた所、子供は、「どこも痛くないよ」と、あっさりと答えたらしい。両親もそれを聞いて黙ったそうだが、子供は正直であると、つくづく思った話であった。

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業をはらす

・昔の話だが、確か、京セラの会長が、とある坊さんと親しくしていたらしい。ある時、京セラで不祥事が取りざたされた時に、会長はその坊さんの寺に行き、相談に乗ってもらったそうだ。すると、その坊さんは、「業をはらす、いい機会じゃないですか」と応えたらしい。京セラの会長も、その一言で、考え方を転換して、会社を建て直したそうだ。

・友人の実家の離れで鍋をつつきながら呑んでいた時、誰かが、ある友人を、「お前がラーメンを食うと、本当に美味そうに食べるな」と言っていた事があったので、別の機会に、彼のラーメンの食べ方を観察してみた。すると、左手で器用にレンゲを使って食べている事に気が付いた。相当、気合いを入れて食べていたので、ハンカチで顔の汗を拭いてあげた。また、彼は、筋肉をムキムキにした尾崎豊に似ていたので、さりげなく言ったら、彼はポソリと、「俺、尾崎豊はあんまり好きじゃないんだよな・・・」と言ったので、それからは、その話題には触れない事にした。彼は、もっと、心の琴線を揺らされる音楽が好きな様だった。彼の結婚式の二次会では、私が音楽担当だったが、いろいろと試行錯誤した思い出がある。

・人間、他人のせいにしたり、物のせいにしたら、堕落するものだ。

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忘れる前に・・・

・本には申し訳ないけれど、私がブックカバーをしている本は一冊だけ、神戸のセンター街の古本屋で見付けた、故升田幸三氏の自伝である、『名人に香車を引いた男』の初版だけである。それが定価で売られていたという事もあるが、それ以上に、私の人生にとって、大切な事が書かれた、宝石の様な本だからである。そもそも、ブックカバーをしてしまうと、どこに何があるかが解らなくなるというデメリットが生じる。

・自分が頑張って働いていたら、もし、頑張れない人の分もその家族も含めて、何百人もの人達が食べてゆける。そのためならば、自分の給料が安くても、働きがいがある。そういう仕事がいいし、そういう生き方もいい・・・亡き父の言葉である。私もさういふやふに進みたい。

・男の気合いというのは、所詮、『コンチクショウ』なんだ。

・一瞬でも、美しいと感じられる女性・・・大概は、一瞬の輝きに惚れている。長い目で見なければ、解らない事の方が多いと観じる。それでも自分の心に焼き付いて、消しようがなければ、動く時だ。

・いろいろな事がありすぎた・・・けれど、それを試練ととらえるか、不幸ととらえるかで、人生は正反対のものになる。

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打ちっ放し

・オバマは、太平洋戦争での日本軍の事を、『ファシズムを倒した』と表現した。軍事的にも経済的にも情報関連についても、戦後のアメリカの方が、よっぽどファシズムを貫いている気がする。

・我が家の近くに、大きなゴルフの打ちっ放しがあるのだが、先日、そこのチラシが入っていた。母が目敏く見付けて、気分転換に行ってみたらどうか?と尋ねてきた。私は二十歳の頃が運動能力のピークだったし、鍛錬もしていなかったので、気が乗らなかった。私に、「ゴルフバック担いで行ってみたらどうだ」と言うので、我が家には担ぐクラブなぞ無い、と言い放った。また、以前、友人が気分転換にゴルフを誘ってくれたのだが、私は生涯で一度もコースに出た事がなかったので、「俺はパー5の所を100打叩くぞ」と言っても、友人は、笑いながら、「それ位全然問題じゃねー」とまで言ってくれたのに、何か私には分不相応な気がして、申し訳ないと思いつつ断ってしまった後ろめたさから(打ちっ放し)にも行ってみて、三ヶ月続いたらクラブを2~3本でも買ってみようか」とういう気分になった。打ちっ放しには行った事があるのだが、面倒だった覚えがある。けれども、友人からの誘いを聞いて、断ってしまった以上、独り、練習あるのみとも思う。しかしながら、時間と金が掛かりすぎる。『打ちっ放し』とでも聞くと、何かストレスの発散になると、母は思っている様だが、ヘタクソにはストレスが溜まる一方なのである。私のゴルフ歴は、今のところ、小学生の時に友達とやった、公園でのゴルフである。当時の私は、独り勝ちしていた。

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堕落坊主

・世の中のほぼ全ての仕事には、責任の対象がある。例えば主婦の内職一つを取っても、お金をもらう限り、責任が明確である。しかしながら、坊主の、全く知らぬ故人の為に経を唱え、布施を頂くという仕事というのは、責任が明確ではなく、恐ろしいと感じた事がある。冥界を相手にする仕事というのは、そもそも成り立つのか、疑問に感じざるを得ない・・・例えば、私が知っている堕落坊主との問答では、お布施を頂いている根拠として、「自分たちを見守っていらっしゃる仏様への功徳です」と述べた。私が、「仏の慈悲というものは、万人に至るものではないのでしょうか?」と尋ねた所、その堕落坊主は、「我々を必要としていらっしゃる方々に、御仏のお力を借りているだけの事です。お布施というのは、やはり、我々にではなく、御仏のお気持ちだと受け止めております」と抜かした。私は、全く信心のなさそうなその坊主連中の懐に布施が入るのを疑問に感じたので、こう質問した。「お堂の賽銭箱に『浄罪』と書かれてあったが、それはいかなるものですか?」と。そのクソ坊主は恥ずかしげも無く、「やはり、それも御仏への功徳だと考えています」と面倒くさそうに答えた。私は、静かに、「御仏への功徳の為の為の浄罪ならば、今頃、あの賽銭箱は溢れかえっている筈なのではないか?」と尋ねた。するとその坊主は急に用事を思い出し去っていった・・・本当の浄罪とは、お金の問題ではなく、ボランティアの様な無償のものではないのか、と考えさせられた。ちなみに、その寺は、鐘を一回つく度に10円という箱が置いてあった。

・本気になった男は鞘に納まるものではない。

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小心者

・自動車の教習所に通っていた頃に、中・高・大と同じ学校の奴と電車でバッタリ出会ったことがある。私が、「車の免許を取らないのか?」と聞いた所、そいつは、「車で事故を起こしたら大変だから、怖くて運転なんか出来ないよ。だから、絶対に、運転なんかしないし、信じられないよ」と言い放った奴が、トヨタに就職した。開いた口がふさがらなかったが、『まあ、年賀状を書くのにシャープペンシルで下書きしてから、ボールペンで書き、消しゴムで消してから送ってくる様な小心者だったからなあ。理系なのに自己矛盾の気が付かない程の馬鹿だ』と思って、そいつの事を頭の中からデリートすることにした・・・その後、五年程して、友人のやっていた飲食店で知り合った、常連さんの一人から、「トヨタは会社で大学を持っているから、どんな経歴を持っている奴でも、お偉いさんにはなれない」と聞いて、胸がスカッとしたと同時に、人生に安全牌なんて無いと、改めて思った。

・モーツアルトの3台のピアノの為の協奏曲ヘ長調、K(ケッヘル)242『ロドロン』を聴く前と後とで、ほぼ同じレベルのIQテストを同じ人達(確か、大学生だったと思う)で行った所、聴いた後の方が全体的にIQが高くなる傾向のデータが出たと聞いた事がある。

・年賀状を書き終えたけれど、丸一日潰れてしまったのは、(時間が)もったいないなあ。

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命の不思議

・二車線の道路で、左車線に路駐している車や、バスがいるのにもかかわらず、タクシーは左車線から強引に右車線に入ってきたりするので、当初は、乱暴な運転だと思っていたが、よくよく考えてみると、タクシーが右車線ばかり走っていたら、客が拾えない(商売にならない)事に気が付き、許せる気持ちになった。

・私が小学二年の夏休み、ヘルニアの手術で、生まれて初めて全身麻酔をしたのだが、手術中、一回だけ目を開けた記憶がある、と母に話したら、母も若い頃、虫垂炎のオペをする際に、全身麻酔の途中で一瞬、意識が戻り、医者が、「今日の切り方、違うやろ」と看護師さんに言っているのを聞いた記憶がある、と話していた。麻酔の量にもよるのかも知れないが、何か、命の危険が迫った時の、人間の本能の凄さを感じてならない。

・部屋の花瓶の花は、下から咲いてゆく。不思議だ。

・そろそろ年賀状を書かなければならない。コンピューターに向かう時間が増えるのを考えると憂鬱だが、今年は旅行に行っていないので、昨年の写真を使おうかと迷う。印刷の仕方を間違えない様にしないと。あとは、一言ずつメッセージを書くだけだ。

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レクイエムについて

・鎮魂歌(レクイエム)というのは、主にキリスト教文化圏では、死者の為にあるようだが、最近、私は、生きている者に魂の安らぎを与えてくれる様に受け止めてもいいのではないかと思う様になった。

・風邪で近くの整形外科に行き、問診票の記入を求められた。『症状は?』とあったので、『風邪だと思われます』と、自分で勝手に診断し、『原因は?』とあったので『不明』と書いて提出したら、いざ診察の時に、先生は私の喉を見て、「喉が少し赤いですねえ。う~ん。どうしましょうか?」と聞かれたので、仕方なく私が、「抗生物質を出して頂ければ、ありがたいのですが」と言って、薬を出して頂き、家に帰った。待つ事1時間20分、診察は1分で終わったのだが、よく考えてみると、どちらが医者なのか判らない気がしたのだが、そういうところに、その町医者の先生の人の良さがあるのである。

・高校の時、ある先生が、寝ている生徒達を観て、「私の授業は、道場なんだ!!」と怒鳴り、スミの一列全員にビンタを加えていた。幸い私は真ん中辺の席だったので、被災せずにすんだが、その先生は、それだけ自分の授業に誇りを持って臨んでいるのが解っていたので、誰も何も言わなかった。そういう教師というのが、最近はいないんだろうな。

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生きている石

・以前ご近所に住まわれていた、おっちゃんは、シャイな内面に裏打ちされた、やんちゃさで愛嬌があった。ある時、家の塗装をペンキ屋に依頼した際、門の脇の塀の石には命があるからと、塗らない様にペンキを塗らない様に頼んでいたのに、何を間違ったか、ペンキ屋は塀も塗ってしまった。それを知ったおっちゃんが怒って、「ペンキをはがす様に」と言ったら、ペンキ屋が、かなり高額な料金を請求したらしく、おっちゃんはブチ切れて、「じゃあ、自分でやる!!」と怒鳴り、次の日からペンキを独りではがし始める行動に出た。塀の白いペンキは、少しずつはがれていったが、いつの日からか、ペンキの模様が変わらなくなった。かなりの重労働であろう事は容易に想像できたので、きっと、おっちゃん、挫折したな、という事が解った。暫くすると、おっちゃんは、自分のポリシーを曲げてまで、削った所に同じ色のペンキを塗っていた。それから不思議な事に、おっちゃんが削った部分は、何故か、何度塗っても、浮き出てくるのである・・・今となっては、おっちゃんは引っ越してしまったのでどうしているかは知らないが、現在でも、おっちゃんが削った所のペンキは、はがれている。まさに、おっちゃんの執念というか、魂というかが入り込んだ石になった。おっちゃんが言っていた、『生きている石』というのはこういうものなのかと、その石を観る度に思い出す。

・水戸黄門のオープニングの歌の歌詞は、よく考えてみると、相当、残酷だ。しかし、家で以前、飼っていた犬の名前は、私の思いつきで、『弥七』と名付けた。TVの水戸黄門シリーズが終わると聞いて、少し寂しい。

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御聖断

・相当、昔に聞いた話だが、ある子供が、今で言う『お受験』の時の面接で、面接官に、「今日はどうやって来ましたか?」と聞かれた所、その子は元気よく、「セドリックに乗ってきました」と応えたらしい。その子が合格したかどうかは知らないが・・・

・(悲願千人切りで御高名な)米長大先生が、結婚の御聖断をなされた時、相手であった奥さんの実家を訪れた際、相手方から、「ご職業は?」と聞かれ、ここぞとばかりに「私は日本一の将棋指しになる男です」と決め台詞を吐いたのだが、それでも相手方から、「で、ご職業は?」と言われてしまい、抜いた刀の治め所がなかった。しばらくして、奥さんの御両親が、当時も今も有名な、孤高の天才、升田幸三に米長の事を相談しに行くと、事情を呑み込んでか、「お前らの娘に米長はもったいなさ過ぎる」と言い放ち、結婚が決まったそうである。これには、さすがの大先生も頭が上がらなかったであろう。ただ、さすがは大先生、その後も剣技には一層の磨きを掛けられたそうだが、いざ離婚の危機となると、こちらも孤高の天才碁打ち、藤沢秀行名誉棋聖に泣きついたそうである。

・一日一日が誰かの誕生日であり、誰かの命日であると考えてみると、日々の重みを感じる。

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金に溺れて

・学生時代、パチンコで五万負けたと自慢する馬鹿がいたのだが、高校時代に、そいつの親父の上司が、自宅に来た時に、相当な御機嫌取りをしたらしい。すると、酔った上司が、「お前はなかなか見所がある。利口だ。欲しいものを言ってみろ。買ってやるから」と言われ、ウオークマンを買ってもらったらしい・・・常識的に考えて、親父の立場を考えるならば、数万もする様なものなど、要求する様な真似は、絶対にしないのが、当たり前の事だ。これも自慢話だったが、開いた口が塞がらなかった。利口どころか、大馬鹿者である。

・ある番組で、ラスベガスのカジノ特集をしていた。すると、たまたま居合わせていた、元こぶ平がいた。カメラが廻っていない時は、悪人面に観えたのだが、いざ、カメラが廻っている事を知ると、元こぶ平は、急に善人面をしだした。甘ったれ小僧にしては、なかなか良い芸が出来たのではないだろうか。本音は、ベガスのカジノで遊んでないで、芸を本気で磨けと言いたい。

・どの高利貸しもグレーゾーンが少し変わっただけで潰れた。後は、いろんな銀行に合併された。けれども、ティッシュペーパーがもらえなくなって、少し寂しい。

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バレたな・・・

・F1のモノコックなどに使われているCFRP(炭素繊維強化プラスチックス)が開発された当初は、コストがかかり過ぎて、なかなか買い手がつかなかったらしい。しかし、試しにゴルフのクラブに使ってみたところ、人間というのは不思議なもので、趣味に関しては、財布の紐が緩むみたいで、今では、ゴルフクラブに当たり前の様に使われる様になった。(十五年前に聞いた古い話だが、現在では市販車にも導入が検討されているという。時の流れは早い)。

・小学校の家庭科の授業で、裁縫の宿題が出たのだが、私は手先が不器用な事もあり、お袋がワザと、この上なくヘタクソに塗ってくれた(一週間毎日塾に通っていたので、縫っている暇がなかった)。しかしながら、通知簿に先生が『大変良く出来ていました』と書かれてあり、バレたな、と直感的に思った。

・シェイクスピアのオペラを観てみたい。

・正確で便利な電波時計が増えたけれども、海外に行った時にはどうなんだろう?国際規格でもあるのだろうか?

・便利さの中で、人は贅沢をしてしまう

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苦学生への尊敬

・新聞配達をしながら、奨学金をもらい、学校に通っている奴と麻雀を打つ機会があった。みんな、技量にそれほど差があるわけではないのだが、その時は、そいつの独り勝ちであった。私もやられたが、大負けした奴が、「まけてくれ」と泣きついたら、そいつは、ためらいもなく、「俺は、そんな甘いものじゃないと考えている」とさらりと言った。その時、『こいつは一本芯が通っているな』と思い、私も潔く払ったし、そいつは皆の分も、ビタ一文まけなかった。麻雀友達の中にも、こんなハングリーな奴が居たのかと、感心した。一期一会だったので、名字は覚えたが、名前は知らなかった・・・彼が胃薬を飲んでまで新聞配達を続けながら、学業も頑張っていた事を知り、名前も知ったが、それは皮肉な事に、彼の留年が決まった時の、学校の掲示板の前での事だった。私は恵まれているのだと痛感した。

・小林秀雄の批評によると、ゲーテは己のライフワークである、『ファウスト』を、幾度も己の納得という封印を破ってまで、書き直し続けたそうである。さらには、『ファウスト』の歌劇化(オペラ化)さえ夢見ていたという。しかし、肝心なオペラの作曲者は、もうこの世にはいなかった、とまで批評では描かれている。その作曲者の名前は、他でもない、『ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルト』である・・・分野こそ違えど、天才は天才と共鳴するのか、二人とも同時代に生きたドイツ人であり、『ヴォルフガング』という名前さえ一緒であった。

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プロとしての自覚

・碁打ち藤沢秀行が亡くなってから何年か経つ。破天荒な生き方をして、無茶苦茶に、『呑む・打つ・食う』をやりたい放題に生きた先生だった。二度のがんでも、くじけずに前向きであられた先生程、私の場合は前向きにはなれないだろう。遺書とも言える、『野垂れ死に』という本の中で、『神経が持たないから、呑まざるを得なかったのだ』と仰っている所には、私も深い感銘を受けた。自分もそうだったからでもある。

・『強い人なんていない。いるのは、強いフリをする人間とそうでない人間だけだ』(友人の二十代の頃の言葉)という自己テツガクを聞き、いろいろと医者にもいろんなのがいるんだなと勘ぐった。所詮、医者も人間であり、『医者の不養生』という言葉を思い出した。

・タクシーに乗っていて、(多分、新米だろう)運転手が遠回りをした時に、軽く文句を言った。すると、その運転手は、勘定の際に、最短コースとの差額を私に返した。『この人は運転手として大成するな』と思った。自分の職業に対してのプロとしての誇りを観たからである。

・将棋の棋士、羽生善治が、名人、王座と続けて失った。羽生程の人でも、四十歳近くなると、思考力が落ちるのかとも思い、少し哀しかった。同じ歳の森内が名人になったが、順位戦だけにターゲットを絞っている感は否めない。森内も自分の影を見つめていたから、晩成したのであろうし、羽生の状態も、一時的に目標を失ったが故のスランプだと信じたい。

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唯一の楽しみ

・何のきっかけからか、以前、新宿を歩いていた時に、初老の神主さんから声を掛けられた事がある。その方は私に、「男の若さというのは、(身体の)どこに出るか解りますか?」と仰った。「解りません」と応えると、その方は、「肩に出るんですよ」と教えて下さった。それは何も、ヤクザ映画の様に、肩で風を切って歩く事ではなく、多分、肩がピシッとしている事なのだと思う。そして、その神主さんは、何故か、私の事を褒めて下さった。それから神主さんは、「私の年齢が解りますか?」と私に聞いてこられたので、思ったよりも、少し低めに答えたのだが、なんと、八十歳を過ぎていらっしゃったので、大変に驚いた。それが、私が三十の時の事であり、一期一会であったが、私は相当に嬉しかったので、今でもその人の顔を覚えている。現在でも、お元気でいらっしゃる事を願っている・・・何で声を掛けられたのかは、未だに解らないのだが、身なりこそ洋服を着てらしたが、確かに神主さんらしい雰囲気を持ってらした。

・私が学校に行っていたのは、唯一の楽しみが体育だけだったからである。

・母が言っていたのだが、『人生、みんな、泣く(流す涙)量は、だれも同じだ』と言っていたのだが、この歳になって、何となく、解り始めてきた。

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